第16章「一ヶ月」
I .「君が好きだと叫びたい!(5)」
main character:セシル=ハーヴィ
location:ファレル邸・門前

 

 贈り物―――というか、お見舞い品は用意した。
 真っ赤な薔薇の花束を片手で肩に担ぐようにして持ち、セシルは緊張していた。

 目の前には鉄でできた格子の門。
 門の向こうには緑の芝生の庭園が広がり、そのさらに向こうには屋敷がどんと構えている。
 ・・・などと言うと、さぞかし広くて立派な邸宅のように思えるだろうが、実際はそうでもない。

 一般庶民の住居とは比べるべくもないが、貴族の邸宅としては小さい方だった。
 その貴族―――ファレル家は、家柄はあるがそれほど強い貴族ではない。資産も少なく、いつ潰れてもおかしくない程度の貴族だ。
 もっとも、今の当主であるウィル=ファレルの代になってからは、積極的に騎士の名門と繋がりを持ったりして力を付けてきているのだが。

「・・・・・・入いらないの?」

 不思議そうにセリスが尋ねる。
 セシルは緊張したまま、微動だにできない―――いや、動けない。

 門は閉ざされているが、鍵は掛かっていない。
 だから、入ろうと思えばいつでも入れる。物騒だと思われるかもしれないが、実際のところドロボウなどの被害にあったことはない。

 理由は三つ。

 一つは、この屋敷にキャシー=リンと言う使用人がいるためだ。・・・正確には彼女一人しか使用人がいないと言うべきか。
 しかし、元エブラーナの忍者である彼女がたった一人居るだけで、この屋敷のセキュリティは万全と言える。

 もう一つ、ファレル家が騎士との繋がり―――特にハイウィンド家と親交があることは有名である。ヘタに手を出せば、騎士達の報復があると考えれば、賊も手を出しにくい。

 最後に、そもそもドロボウに狙われるほど金があるわけではない。
 全くないわけではないが、上記二つの理由と合わせると、リスク分が大きすぎる。ちょっと利口なドロボウならば、こんな家に手を出したりしない。

「いやー・・・」

 セシルは困ったように頭を掻く。
 目の前の門をじっと見つめて。

「そういえば、ローザの家を自分から訪ねるのって初めてだなーって」
「・・・今まで、遊びに来たことは?」
「強引に連れてこられたことはあったけどね。でも、自分からは・・・」

 つい最近まで、セシルはローザと距離を置こうとしていた。
 自分のような孤児が、はしくれとはいえ貴族の娘と釣り合うとは思わなかったし、身分の違いを置いても、フォールス一の美女と謳われるような女性の愛を一身に受けるような男ではないと、己の事を貶めていたこともある。

 付け加えれば、ローザの母親はセシルの事を嫌っていた。

「HEY! セシル=ハーヴィともあろう者が、気後れしてるっていうのかい?」

 からかうように言うロックはすこぶる上機嫌だった。
 その頭には、青いバンダナが巻かれている。
 それは、以前にセリスがロックから奪い取ったバンダナと良く似たものだった。

「やかましい、黙れ」

 上機嫌なロックとは反対に、セリスは不機嫌だった。
 それもそのはずで、その青いバンダナはセリスがロックに買い与えたものだった。それも、通りがかった店先で見つけたロックが駄々をこねて、強引に買わせた物だ。
 最初は無視していたセリスだが、「人の大事なバンダナを無くしたくせに・・・」などと恨みがましく言われて、仕方なく。
 「さっきの花のお返しだ」とぶっきらぼうに言っていたが、実のところ、知らなかったとはいえロックにとって大切なバンダナを無くしてしまったことを、少しは気にしていたようだった。

 セリスは不機嫌そうな様子のまま、セシルに問いかける、

「それで、どうするの? このまま門の前で、じっと立っているだけ?」

 それなら私は帰るけど、とセリスが言うと、セシルは苦笑して。

「いや、行くよ。そのために来たんだから」

 セシルは意を決して、門を開けようと手を掛けて―――

 掛けて―――

 ―――そのまま止まる。

「・・・帰って良い?」
「ちょ、ちょっと待って。こ、心の準備が―――」
「その準備とやらはどれくらいで終わるの?」
「えっと・・・も、もう少し」
「具体的に」
「い、一分くらい」

 セリスはふう、と溜息を吐いて。
 そのまま喋らずに、じっと待つ。

 時折、浮かれたように何か喋り出すロックに「黙れ」という他は、静かに時間が過ぎて―――

 一分経過。

「そろそろ、一分はたったんじゃない?」
「そ―――そうだね」

 と、言いつつも、セシルは微動だにしない。
 ロックの言葉ではないが、これが本当にあのセシル=ハーヴィかと疑いたくなる。
 本気で帰ってしまおうか―――そう、セリスが思ったその時。

「―――当家に何用ですか?」
「おぅわッ!?」

 いきなり背後から声を掛けられ、セシルは酷く大げさに驚いた。
 声に押されるように前につんのめり、そのまま門を開きながら、ファレル家の敷地内にどさりと倒れ込む。

「うう・・・」

 痛みで呻くセシルの事は放っておいて―――どうやら驚きすぎて、受け身もロクに取れなかったらしい。それでも花束は死守したようだが―――セリスが後ろを振り返ると。

「・・・メイド?」

 ファレル家の使用人であるキャシー=リンが立っていた。
 キャシーは無感動な表情で、セリスとロックを一瞥し、それから無様に倒れているセシルを見下ろすと。

「ぷっ」

 吹き出し、口元だけで笑みを作る。

「お久しぶりですね。セシ―――セシ、セシ・・・セシなんとか言う方」
「いや昨日会ったばかりだろ!? だいたい、なにそのわざとらしい名前の忘れ方!」
「セシなんとか言う方に出会ったときの礼儀ですが、なにか?」
「初耳だぁ! ていうか、なんでわざわざ背後にまわって脅かすんだよ!?」

 倒れたままセシルが喚く。
 すると、キャシーは心外だと言わんばかりに、口元に手を当てて、

「脅かしたわけではございません。たまたま外の用事から帰ってみれば、門の前にセシル様方が居られたので、声を掛けただけですが?」
「嘘だろ」
「何を根拠に嘘だと?」
「君が外にでる用事と言えば、買い物か、チョコボの散歩か、君の雇い主のお供くらいなものだ。でも、買い物ならば買った物を持っているだろうし、君の他に誰も姿が見えない―――だったら、たまたま庭で掃除でもしていたら、僕たちを見つけて、こっそり裏口からでて僕たちの背後に回り込んだ―――そう考えるのが妥当だろう?」
「可能性があるというだけでしょう? それだけで嘘つき呼ばわりされるのは―――」

 反論し掛けたキャシーに、セシルは倒れて上半身を門の中に入れたまま、庭の中を指し示した。
 門が邪魔で、セリス達には何を指しているのか見えなかったが。

「・・・あそこに放置されたままの箒が見えるんだけど。ファレル家の使用人は、清掃用具をしまい忘れて外に出かけるほど迂闊だったかな?」
「・・・・・・」
「まあ、そうだね。あくまでも可能性に過ぎない。だというのに嘘つき呼ばわりは失礼だった。謝るよ」

 何も反論の無いキャシーに、そういって微笑みながらセシルは立ち上がった。
 キャシーが手を口元から放す。そこには最早、笑みはない。

「悪かったよ。ごめん」
「心にもないことを―――」
「おや、それは失礼じゃないかな?」
「・・・・・・」

 おどけて言うセシルに、キャシーは無表情に押し黙る。
 と、そこへセリスが割って入った。

「貴様は?」

 キャシーの事を知らないセリスが、鋭く睨んで問う。
 その声音にははっきりとした警戒感があった。
 先程の言葉からして、ファレル家のメイドだと言うことは解ったが、セリスが思わず身構えたのはその気配の無さだ。
 特に警戒していなかったとはいえ、微塵も気配を感じさせずに背後を取らせてしまった。

(忍者か・・・或いは暗殺者・・・!?)

 少なくともただのメイドとは思えない。
 別に戦うつもりは無いが、それでも―――

(剣を置いてきたのは失敗だったか・・・)

 普段は常に腰に携帯している自分の剣が、今は無かった。
 油断だと、自分でも認識する。
 少なくともガストラにいた頃は、寝るときですら手の届く範囲に剣を置いていた。

 暗殺者に狙われたり、身内から襲われたり、と、そういう日常の中で訓練以外に剣を抜くことは無かったが、それでも戦士の常として剣は身近に置くことにしていた。逆に、武器が近くにないと不安になる。

 ―――だというのに、敵国ではないとはいえ、他国で剣を放すなど、気が抜けているとしか思えない。

(・・・やはり、私はどうかしてしまったのだろうな)

 心に不安が過ぎる。
 今まで作り上げてきた “セリス=シェール” という存在が根本からひび割れていくような不安感。
 しかし、不安を感じる一方で、なにか、別の想いも生まれていることにセリスは気がついていた。

 ――― “将軍” は要らない。

 さっき、セリスはセシルにそう言った。
 何故、そんなことを言ってしまったのだろうか。セリス=シェールとは、ガストラの将軍であり、そうあろうとしてきた。将軍であることを否定すると言うことは、つまりセリス=シェールを、自分自身を否定することに等しい。

 けれど。

(・・・将軍ではない “私” は一体、誰なのだろう・・・?)

 鼓動が、高鳴った。
 自分が崩れ去る不安。
 けれどその一方で別の想いがあった。その想いを、セリスは戸惑いながらも認める。

(怖い、けれども知りたいとも想ってる)

 想いの正体。それは―――

(私は、 “期待” しているのかしら―――?)

「・・・・・・聞いていましたか?」
「あ・・・」

 自分の想いに沈んでいたセリスは、声を掛けられてはっとした。
 キャシーが首を傾げてこちらを見ている。その表情はさっきと変わらない完全な無表情。

「聞いていましたか?」
「あ・・・悪い」

 何を言っていたのかは聞いていなかったので解らないが、ともかく謝る。
 すると、キャシーは短く「いえ」と答え。

「お初にお目に掛かります」

 一礼して。

「私はキャシー=リン。ファレル家の使用人でございます。―――お見知りおきを」
「ああ、私は―――」
「セリス=シェール様。常勝将軍の二つ名を持つガストラ帝国の将軍ですね。帝国史上最年少の将軍であり、自らが指揮した戦では未だ無敗を誇るとか」
「・・・単に勝ち運が良くて、戦をこなした数が少ないだけだ」

 自己紹介する前に説明されて、セリスは少し顔をしかめた。
 常勝将軍―――その二つ名を、セリスはあまり気に入っていない。一度負ければ消えてしまう名前だ。それに、それが “作られたもの” だと言うこともセリスは知っている。

(・・・勝ち目のある戦しかしなければ、常勝も当たり前だ)

 皇帝からくだされる命令は、つまりそういうものだった。
 常勝将軍、という名前を作るため、セリスは将軍となってから十数度戦場に出たが、見ているだけで勝てるような戦にしか参加したことがない。

 勝ちが約束されている戦―――しかし、そんな戦いが常にあるわけではない。だから、作らなければならない。
 その泥を被っているのが、実はレオ=クリストフだった。
 セリスの勝ち戦を作るために、レオは難敵と戦い、幾度も負けては敗走し、再度立ち向かい―――・・・やがて確実に勝てる状態まで敵を追い込んだら、セリスに手柄を譲る―――そういったことを何度も繰り返した。

 常勝将軍と呼ばれるセリスに比べ、レオの評価は低い。
 個人としては最強だとしても、軍隊を指揮する将軍としての力量は並以下だと。レオのせいで、何人ものの兵士が死に、無駄に消耗してしまったと。
 心無い者たちは、そういってレオを蔑んだ。

 実際、レオの将軍としての力量は、セリスには及ばない。戦術も戦略も、セリスに比べれば、レオのそれは児戯に等しい。チェスなどの戦術ゲームを、レオとさしたことはないが、もしもやれば百回やれば百回とも、、万回やれば万回セリスが勝つだろう。

 しかし、人間はチェスの駒ではない。
 場合によっては力を発揮できない場合もあるし、逆に期待以上の力を見せつけることもある。

 常に先陣切って剣を振るい、敵を屠り、味方を鼓舞するレオの指揮する部隊は士気が異常なほどに高く、強い。
 そのせいかレオの部下達は、レオ=クリストフを強く信頼し、心酔している。

 反面、セリスのことをあまり快く想っていない。
  “常勝将軍” の一件も理由の一つであるし、なによりまだ20にも歳が満たない娘が、レオ=クリストフと肩を並べる地位に居るのが気に食わないのだ。

 当然、レオ本人もセリスのことを憎んでもおかしくはない―――はずなのだが。

 レオはセリスを罵倒したり、呪いの言葉を吐いたことはない。
 常にあの無骨な顔で、淡々と接するだけだった。時折、セリスを見て表情を強ばらせることはあったものの、それ以外は憎しみを抱いている様子はうかがえなかった。

 一度、セリスはレオに詰め寄ったことがある。
 自分を憎んでいるのではないかと。
 それを聞いた瞬間、レオはまたも表情を強ばらせて首を横に振った。その表情を見て、嘘だと想ったセリスはなおも問いつめる。本当のことを言って欲しいと。

 ・・・その時セリスは、レオに罵倒して貰うことを望んでいたのかもしれない。
 しかし、レオはさらに表情を強ばらせて、言った。

 

―――貴殿の事を憎むことなどあり得ない。何故なら、貴殿は我がガストラの誇りであるからだ。

―――しかし!

―――私の部下がいうことを気にしているのか? だとしたら、私は失望しなければならない。

―――なに・・・?

―――言っただろう、貴殿は我がガストラの誇りなのだから―――そのような些末な事に煩う必要はない。

―――些末なこと・・・? どうしてそんなことが言える! 誇りだというのなら、貴方の誇りはどうなのだ! 私のせいで泥にまみれ・・・

―――それこそ些末なことだ。

 

 言い切って、レオはセリスに語った。
 いつものように表情を強ばらせて、それから「他の人間には話さぬように」と念を押して。
 レオが語ったのは野望だった。レオ=クリストフが、剣を手にしたときからずっと胸に抱き続けている野望。
 セリスが唖然としている目の前で、レオは最後にこう締めくくった。

 

―――私はそのためならば、私などと言うちっぽけな存在はいくらでも殺そう。泥を被るなど、なんでもないことだ。

―――・・・そんなこと、本気で可能だと思うのか?

―――不可能だったならば諦めろというのかね?

―――・・・・・・どうせ言っても聞かないだろう。

―――当然だ。

 

 そういって、レオは表情をさらに強ばらせた。
 その時になってようやく気がつく。レオが顔を強ばらせているのは―――

 

―――もしかして、笑っているのか?

―――そうだが?

 

 途端、首を傾げて無表情になる―――きょとんとしているようにセリスには思えた―――レオに、セリスは思わず噴き出した。
 そして、その時からセリスは周囲の風聞など全く気にならなくなった。
 些末なことだ。
 レオ=クリストフの壮大すぎる野望に比べれば、小さすぎて気にもならない。

「・・・なんか、またぼーっとしてるな。大丈夫か?」
「あ・・・」

 ロックに問われ、セリスは我に返った。

「・・・ちょっと、思い出していただけだ」
「何を?」
「貴様には関係ない」

 ばっさりと言葉で斬り捨てると、ロックは淋しそうにその場にしゃがみ込んで、地面に ”の” の字を書き始める。
 当然のように無視するセリス他全員。

「・・・さて、お嬢様の知人をこんな場所で立ち往生させておくわけには参りません。よろしければ中へどうぞ」

 そういって、キャシーは屋敷を指し示す。
 セシルが苦笑いして、

「僕も招待して頂けるのかな?」
「当然です」

 即答。
 さらに続ける。

「―――貴方様は首に縄を付けてでも来て頂きます」

 そういって、キャシーはセシルを見る。
 その表情は、相も変わらぬ無表情だったが―――

(・・・殺気!?)

 ぞくりとセリスの肌が泡立つ。
 言葉は静かに落ち着いた声音で、視線も睨付けているわけでもない、普通に見ているだけ―――だというのに。

(・・・やはり、剣を持ってこなくて良かった)

 もしも腰にあれば、反射的に抜剣していただろう。
 それほどまでに、濃密な、しかし静かな殺意を、ファレル家の使用人は秘めていた。

 傍から見てもはっきりと解るほどの殺意。
 しかしそれを向けられたセシルは気づいているのか居ないのか、「おや?」ととぼけた表情をして、

「それにしては、昨日はここへ来るのを邪魔された気がするけどね」
「なんの事でしょうか」
「いや、僕の気のせいならそれでいいんだけど」

 とぼける使用人に、セシルもとぼけ返す。
 キャシーは少しだけ押し黙った後、

「反省したのですよ」
「反省?」
「ええ―――これではあまりにも不公平だと」
「不公平って・・・・・・え? 意味が、解らない」

 戸惑うセシルに、キャシーは答えずに、

「貴方様も苦しみなさい。そうでなければ不公平でしょう?」

 そこで初めてキャシーの表情が動いた。笑みの形に。
 さきほど見せた、口元だけの微笑ではなく。
 顔全体に広がる満面の笑み―――しかし、その表情は作り物じみていて、まるで精巧な人形のようだった。

「だからそれはどういう―――」
「それでは皆様」

 問いかけたセシルの言葉を無視して、キャシーは半ば開いた門を大きく押し開けて、

「どうぞ中へ。たった一人の使用人ですが、全身全霊を込めて歓迎させて頂きます」

 その時にはすでにまた普段の無表情で。
 軽やかに、舞うような足取りで、使用人は客人を屋敷の中へと招き入れた―――

 


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