第16章「一ヶ月」
C.「王様の一日」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロン
王の朝は早い。
「朝ですぞー!」
まだ陽も出ていないうちから、セシルはベイガンに叩き起こされる。
「う、うう・・・あともうちょっとだけ・・・」
などという文字通りの寝言を、ベイガンは聞く耳持たず。
「それではレイアナーゼ殿、よろしくお願い致します」
「心得ました。―――秘技・寝床返しッ!」
「のわっ!?」どんな原理かは不明だが、セシルの身体が毛布ごと天井近くまで跳ね上げられる。
どしん、と割と大きな音を立ててベッドの上に落下。体中に衝撃を感じてセシルは目を覚ます。「い・・・いたたた・・・」
「ではお着替えの時間です」痛みを堪えるセシルを、レイアナーゼが手をわきわきとさせながら見下ろす。
ベッドに横になった状態で、バロンの王は引きつった顔でそれを見上げる。「い、いや、起きる! 起きるから! だから着替えも自分で・・・!」
「残念ながら貴方様に決定権は御座いません」
「王様なのにっ!?」
「さあ、皆様。準備は宜しいですね?」はい、ととっても良い笑顔で頷くメイド達。
セシルは慌てて逃げようとするが、先程ベッドに叩き付けられたせいか、それとも焦りのためなのか、腰が抜けて上手く動けない。
当然逃げられるはずもなく―――「いやああああああああああああああああああああっ!」
朝の城内に、セシルの絹を裂くような悲鳴が響き渡った―――
******
起床した後は、八大軍団の早朝訓練の巡視である。
城内の幾つかの場所で訓練する兵士達を見回り、時には激励、時には叱咤するのである。
ちなみにバロンが誇る八大軍団のうち、現在再編中の海兵団は陸兵団や飛空艇団に混じって訓練している。白魔道士団、黒魔道士団の二つは戦闘訓練は行っていない(研究のために、何日も徹夜することはあるが)。もう一つ、バロン城に戦力の全てが揃っているわけでもない。
陸兵団の大半はバロン支配下の村や街に駐留しているし、飛空艇団の精鋭は飛空艇と共にゴルベーザの支配下にあり、今バロンに居るのは練度の低い訓練兵だけだ。近衛兵団も全滅して、現在ベイガンの配下にいるのは、見習いと例のメイド部隊だけである。暗黒騎士団もファブールでセシルに受けたダメージ(主に精神的なもの)から立ち直っていない者も少なくない。唯一、竜騎士団だけが無傷ではあるが、長であるカイン=ハイウィンドの愛竜アベルしか成竜が居ない現状では、飛空艇団との連携がなければ翼のもがれた鳥と同じだ。
結論を言えば、今のバロンは疲弊しきっている。
いや、バロンだけではない。ダムシアン、ファブール、ミシディア・・・・・・フォールスの各国それぞれが疲弊しきっていた。トロイアで遭遇した、魔物の軍勢―――
あれが攻め込んで来れば、一夜と掛からずに国が飲み込まれてしまうだろう程に。(―――それを考えれば、テラが放った大魔法メテオは、フォールスそのものを救ったとも言える、な)
ぼんやりと、竜騎士団が槍を振り回す様を眺めながら、セシルは考える。
「戦力の増強が必要ですな」
セシルの後ろを忍んで歩いていたベイガンが、そんなことを呟いた。
だが、セシルは答える気にはなれなかった。
そんなことは言われなくとも解っていたし、解っていたところでどうしようもないことも解っている。ムリに徴兵でもしようものなら、それこそ見習い以前の人間しか集まらないだろう。敵が同じ人間ならば、数を揃えればそれなりに戦いようはあるかもしれないが、残念ながら敵は人とは一線を画した存在だ。数を揃えたところで削り節のように蹴散らされるのがオチだろう。それに、戦争を繰り返していて王への信頼は失われている。そこへ新しい国王が強引に徴兵してしまえば、民達は国家そのものに絶望してしまうだろう。
とはいえ、このまま何もしないでいれば、いつゴルベーザが攻め込んでくるかも解らない。
今のところ、動いたという気配はないが、だからこそ逆に何時来るか怖ろしく感じる。早急に対策を考えなければならない。「・・・エブラーナ、か」
眠い頭で思考して、ふと出てきたのは彼の国の名前だ。
長年、バロンと敵対状態にあり、つい先日も攻め込んできた敵国の名前を聞いて、ベイガンが不機嫌そうに声を上げる。「エブラーナですと?」
「あ・・・」ベイガンの反応を聞いて、セシルは迂闊なことを言ってしまったと後悔。
だが、後悔というものは取り戻せないのが相場だ。一旦口に出してしまった言葉を引っ込ませることもできずにいると、ベイガンがセシルの目の前に回り込んで詰問してくる。「まさか、エブラーナに助力を求めようなどとは考えていますまいな!?」
「・・・あー・・・」まさに考えていたことを言われ、セシルは返答に詰まる。
カインから報告は聞いていた。
エブラーナの現当主は死に、城も落ちた―――が、エブラーナの忍者達は、自分たちの故郷の地に潜み、未だに滅んではいないと。戦力がないというのなら、あるところから求めればいい。
(考えただけだし。虫の良すぎるとは思ってはいるけど)
「宜しいですか? 忍者などと手を結んでも、何時寝首を掻かれるか解ったものではありません。そもそも、バロンとエブラーナが長年戦いを続けた理由も元々は―――」
(・・・ま、それはそれとして、一度調査する必要はあるな。バブイルの塔も気になるし・・・)
ベイガンの反エブラーナ論を聞き流しながら、セシルは思索に耽っていた―――
******
早朝訓練の巡視が終われば朝食である。
当然、王の朝食ともなれば、華美豪勢でかといって朝食なので重くなくしかしすっきりとまろやかで以下省略。
そんな感じのメニューが、輝かんばかりの真っ白い上質のテーブルクロスの上を絢爛な華のように飾り云々。そして、そんあ朝食を王一人だけで食べるわけではない。
国の主立った騎士や貴族やらを毎日数人ずつ呼んで供にする。それは臣下との親交を深めるためだけではなく、会話の端々から配下の内情を探るためと、その人となりを見極めるためである。今日はバロンという国ができた頃からの古く由緒正しい名家の当主と、それに連なる分家の当主。それからその二人に援助を受けて、最近成り上がってきた若い貴族の三人が食卓に呼ばれた。
ちなみに騎士と貴族とは一緒に呼ばない。ハイウィンド家とファレル家という例外もあるが、基本的に騎士と貴族は仲が悪い。仲が悪い相手が居ては、言葉少ない食卓になるか、言葉が出ても相手への皮肉や悪口だけだろう。それはそれで知りうることもあるが、大概は騎士と貴族は仲が悪いと再確認するだけだ。逆に中が良い人間が集まれば、雰囲気も良くなり会話も弾む。会話が弾めば口も軽くなり、思わず言わなくても良いことを言ってしまうこともある。
そんなわけで、王の食事に呼ばれるのは仲の良かったり、何かしらの繋がりがあるグループである。
・・・のだが。「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」呼ばれた三人の貴族は、落ち着かない様子で王の席に注目していた。
会話など何もなく、時間だけが過ぎていく。
しばらくして、溜まらなくなった貴族の一人が、控えていたメイドに尋ねる。「・・・陛下はどうなされたのだ?」
尋ねられたメイド―――レイアナーゼは、誰も座っていない王の席を一瞥してから、貴族の方に微笑んで答えた。
「只今、捜索中です♪」
******
「陛下ぁぁぁあぁぁぁぁ! セシル王ーーーーーーーっ! どこにお隠れにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
ベイガンが喚きながら城内を疾駆する。
その声を聞きながら、セシルは乾燥してガチガチになったパンの端を、温められたシチューに付けてかじる。
色々な野菜がとろとろに溶け込んだシチューの味が、堅いパンの食感と共に口の中に広がるのを、もごもごと飲み込んでいると、ベイガンの声も遠く聞こえなくなった。それを確認して、セシルはふわあと欠伸を一つ。
「全く、ベイガンも朝っぱらから元気だなあ・・・」
「というかお前が暢気すぎやしないか?」リックモッドが呆れたようにセシルに言う。
「いいのかよ? 貴族との朝食会は?」
「いいんだよ。 “朝食会” なんて気取った集まり、疲れるだけさ」いいつつ、パンをまた人かじり。
―――セシルが居るのは陸兵団の兵舎の食堂だった。
軍に入った頃は、セシルもお世話になった場所だ。
今は朝食時で、訓練を終えた兵士達がわいわいとにぎやかに朝食を取っている。一般の兵士の中に、王であるセシルが混じっているというのに、誰も何も言わない。
ベイガンに告げ口しようとする者も居ない。
何故なら、彼らにとってセシルは王である前に仲間であったし、セシルにとっても彼らは部下である前に仲間であったからだ。「でももったいねえなー。王様だろ? やっぱメシも美味いんだろうなー」
ちょっと羨ましそうな顔で、セシルの真向かいに座ったバッツが言う。
「そりゃ作り置きの堅いパンと昨晩の残りのシチューに比べれば美味いだろうけど、僕はテーブルマナーというヤツが苦手でね」
セシルは苦笑。
そうは言っても、一応騎士の端くれとして、作法は知っている。暗黒騎士となった時に、カインとローザにみっちりと教え込まれた。
だが生来そういうことに慣れていなかったせいか、一ヶ月ほど習って上辺だけは身に着けたものの、気を張りつめなければ未だに間違える。コース料理一つ食べ終えるだけで、頭や胃が痛くなるほど神経を使う。まだダークフォースの修行のほうが楽なくらいだ。「あー、俺も好きじゃねえな」
そういうバッツも、当初は客人としてガストラの将軍達や、ダムシアンの大臣達と同じように立派な客室を与えられ、王侯貴族とは行かないがそれなりの上等な食事を運ばれた。
だが、なんとなく気が落ち着かないという理由で陸兵団の兵舎へと部屋を変えて貰ったのだ。そんなバッツにセシルは意地悪く言う。
「好きじゃない、というか知らないだけだろう?」
「マナーくらい知ってるっての。親父に教わったからな」むっとした様子でバッツが言い返す。
だが、セシルはそれを信じずに、声を立てて笑う。「あはは、悪かったよ」
「あ、信じてねえな。よおし、じゃあ今度見せてやるよ! 俺の華麗なフォーク捌きを!」シャキーン、とバッツはパンをフォークに見立てて構えてみせる。
セシルは「期待しておくよ」と受け流して、煮込みすぎて具がとろけてしまったシチューをすすった―――
******
朝食が終わると、王は謁見の間の玉座に座る。
玉座から、赤い道のように引かれた絨毯の向こうの扉が開かれて、民の一人がおそるおそるといった足取りで入ってきた。30過ぎの冴えない男だった。見るからに街の人間ではなく、どこか小さな村の出だと思わせる。男は部屋の中ほどで立ち止まると跪いた。「へ、へへ陛下におかれましてはご機嫌うるわしく・・・」
明らかに慣れていない様子で前置きを述べると、本題に入った。
「わ、私は南部にある山村の者ですが、最近野盗の被害が多いのです」
訴えられて、セシルは傍らのベイガンを見る。
すると彼は一つ頷いて、「ここのところ戦が続いた影響でしょうか、どうにも野盗の類が増えてしまったようで。この他にも同様の訴えが出ております」
各街や村に治安維持のための兵士は駐留している。
だが、例えば先のファブール攻城戦のように、戦争時にはそれらの兵士を掻き集めて他国へと攻め込む。当然、治安は悪くなり、そこにつけ込んで野党の勢力が大きくなると言うわけだ。「それぞれ、兵を送って対処させてはおりますが、根本を潰さねば被害は出続けてしまうでしょう」
ベイガンの言葉に、跪いていた村民も頷いて、
「へ、へえ。兵士さん達が十数人ほど来て頂けましたが、相手はその倍以上はおりますので。ある程度は守ってくれていますが、やはり・・・」
「―――なるほど」セシルは少しだけ思案すると、一つ頷いて。
「ならばリックモッドに行かせよう。この城に居る新兵の数は?」
セシルが問うと、ベイガンは数を告げる。
それを聞いて、セシルは「ほう」と頷いて。「・・・思ったよりも多いな」
「いえ、これでも少ない方です。ファブール、それからバロン城での攻防で、多くの兵を失いましたからな」
「・・・う」言われてセシルは渋い顔をする。
戦争を起こしたのはゴルベーザとはいえ、その兵を失ったのはセシルの所為でもあるからだ。
だが、それを振り切ってセシルは言う。「なら、その半分をリックモッドに任せよう。彼なら適任だ」
「? ・・・は、はあ。了解致しました」ベイガンは多少首を傾げながらも頷くと、村民の方へ向いて、
「聞いての通りだ。すぐに兵を遣わし野盗の巣ごと叩き潰すであろう」
「は、はああー! ありがとうございます!」平伏し、そして彼は下がっていった。
村民が出て行ったのを見て、ベイガンはセシルへと尋ねる。「ところで、適任というのは・・・?」
「ああ、ベイガンは知らなかったか。リックモッドさんは野盗の出なんだよ」
「・・・なっ!?」
「あ、なんだいその驚いた顔は。盗賊出身だからって、今更差別しようっていうのかい?」
「そうではありませぬ! まさか陛下、盗賊共を我が軍に加えるおつもりで!?」ベイガンが叫ぶと、今度はセシルが「おお」と驚いて見せた。
「よく解ったね。こういうことには頭の回転が速い」
「少し考えれば解ります。新兵とはいえ、野盗如きに過剰な数。それは “叩き潰す” ためのものではなく、戦意を喪失させて “降伏させる” ための兵力でしょう。そこへ、盗賊の心境が解るリックモッド殿を遣わせたということは・・・」
「彼ならきっとやってくれると思うよ」
「誇り高きバロン軍に、野盗などと言う卑しき者を・・・!」
「誇りがあるのは騎士だけで十分だ。兵士達は力であればいい」それに、と付け加えてセシルは続けた、
「誇りというのは生まれつき持っているものじゃない。身に着けていくものだ」
「私は生まれつき持っておりましたが」ふて腐れた様子でベイガンは言ったが、それ以上の反論はないようだった。
代わりに、別の質問を口にする。「新兵・・・と言いましたが、単に降伏させるだけならば、カイン=ハイウィンドの雷鳴のほうが余程効き目があるのでは?」
「もしかしたら降伏しないかもしれないだろう?」
「やはり、そう言うことですか」降伏しない場合もある。というのは、つまり戦いになるかもしれないということだった。
だが、数も多く、装備も野党よりはこちらのほうが整っている。新兵に比べれば野党達のほうが戦い慣れしているだろうが、相手が勝っているのはそれだけだ。おそらく、こちらの被害はほとんど無く圧勝できるだろう。つまり、新兵達が実戦経験を積むには格好の相手と言うことだ。
(どちらに転ぼうが、上手くすれば戦力の増強に繋がる―――か)
感心半分呆れ半分の微妙な表情をベイガンが浮かべていると次の陳情者が姿を現す。今度は2人連れの男だった。背の高い男と太った男という、見るからにでこぼことしたコンビ。
どちらも貴族の人間らしく、さっきの村人よりも豪華な格好をしているが、その服装はボロボロに汚れていて、本人達も顔に青アザを作ったりして、殴り合いでもやったようだった。二人は挨拶もそこそこに、同時に訴え出た。
「「聞いてくだい王様!」」
「コイツが先に俺の背中を」
「謝ったのにコイツは!」
「んだとー!?」
「コノヤロウッ!」
「ちょっと待て! 落ち着けッ」いきなり取っ組み合いを始めようとする二人に思わずセシルは怒鳴りつけ、控えていた近衛兵が取り押さえる。
二人を引きはがしながら事情を聞いたところ、どうやら二人は友人同士だったのだが、太ったほうが背の高い方の屋敷に遊びに行ったところ、何かの拍子に太った方の背中に肘が当ってしまったらしい。背の高いほうが謝ろうとした瞬間に、太ったほうが反射的に反撃してしまい、そのまま乱闘へと発展したのだとか。「・・・・・・・・・」
事情を聞いてセシルは頭を抱えた。
下らないケンカではあるが、両方ともが貴族だというのが問題だ。
どちらも譲らずに、下手をすれば家同士の抗争にも発展しかねない。「どうなされますか、陛下?」
問うベイガンの口調にも、どこか呆れた者が混じっている。
セシルは嘆息して、「ケンカ両成敗。二人に適当な罰でも与えてやれ」
「「そんな!」」セシルの審判に、二人は声を揃えて叫ぶが当然無視。
「ならば城のチョコ房の掃除など妥当でしょうか。一週間ほど」
「じゃあ、それで」
「ちょっと待て! 僕は誇り高きデオランド家の後継者だぞ! なんでそんな汚らしい仕事を―――」
「それを言うなら私だって―――」ぎゃあぎゃあ喚き出す貴族達を、しかしセシルは鋭く一瞥して黙らせる。
「なんだ? 僕の裁きが不服だというのか?」
「「う・・・」」セシルの迫力に気圧され、二人の貴族は黙り込む。
そのまま近衛兵に連れられて、謁見の間を追い出された。「・・・はあ、誇りも善し悪しだと思わないか、ベイガン」
「それはさきほどの私に対する皮肉ですか?」眉に皺を寄せるベイガンに、セシルは苦笑して次の陳情者を待ち受けた―――
******
「はい。それでは王様の言うとおりにいたします!」
そう言ってその男は、嬉しそうに扉の向こうへと消えていった。
それをベイガンは苦々しげに見送る。「全く、そんな事など自分で考えれば良いでしょうに・・・!」
少し苛立っているのは、今の陳情者の所為だった。
なんとなく軽薄そうな、いわばベイガンの様な男の対極に居るような男で、入ってきた瞬間からベイガンの表情が険しくなった。
王への訴えの内容も、「井戸を掘ろうと思ったら温泉が出てきたんですが、どうすれば良いでしょうかね?」などというものだった。対して、セシルは苦笑しながら「温泉宿でも作ったらどうかな」と答えると、男は大満足の様子で帰って行ったというわけだ。「まあまあ。なかなか頭の回る男じゃないか」
「どういう意味ですか?」
「おや、解らないのかいベイガン。こういう事には意外と疎いね」クックック、と堪えるように笑ってからセシルは説明する。
そんなセシルの態度に、ベイガンはさらに渋い顔でもう一度「どういう意味ですか?」と問う。「今の男、あんなどうでも良いことを相談するために、わざわざ大金を払って順番を割り込んだだろう?」
―――このバロンでは王が絶対的な権力を持つ。
その代わり、全てを決断するのは王であり、だからこそ臣民は王に “陳情” という形で訴え出て、最初の陳情ように兵を派遣して貰ったり、諍いの裁判をしてもらったり、或いは何か判断を仰いだりする。ぶっちゃけた話、王とは日本で言う総理大臣であり裁判官であり防衛庁長官だったりするわけである。
つまり、政治の全てを王が執り行なうということだ。で、当然王様一人に対して、一人一人の訴えを聞くのには時間が掛かる。必然的に順番待ち。下手をすれば一週間、一ヶ月、一年以上も待たされることもある。
しかし、緊急の用件である場合には待っていられない。
そこで必要なのが “貢ぎ物” である。物であったりお金であったり色々だが、価値のあるものを貢ぐことによって、順番を割り込むことができるのだ。
貢ぎ物がない場合は、コネやツテを頼る方法もある。例えばセシルの親友であるカインの紹介状なんてものがあれば、優先的に順番を回されることもある。余談。
バロンやダムシアンなんかでは、賄賂は基本だったりする。
金や貢ぎ物で、権力者に取り入るのは成り上がるための第一歩で、別にそれが悪いという風潮もない―――好き嫌いは別として。
逆にファブールなんかではそう言うことに厳格で、舌先三寸で取り入ろうとする行為は悪とされ、厳重に処罰されることとなる。さて。
今し方帰って行った男は、大金をはたいてセシル王に「温泉をどうしたらいい?」などと言うことを聞きに来たわけだ。
その事にベイガンはフン、と鼻息荒く。「何を考えているやら。まあ、そのような阿呆だからこそ、下らない事を相談に来たのでしょう。王はヒマではないというのに・・・」
「阿呆なものか。あれはしたたかだよ。なにせ、僕の名前を使って温泉宿を作るつもりだろうからね」
「は?」ベイガンはぽかんとする、それを見たセシルはまた苦笑して続けた。
「つまりさ、彼に僕が “宿を開けばいい” と言っただろう? それを掲げて、 “セシル王お墨付きの宿!” とでも銘打つつもりじゃないかな」
「なっ・・・お、王をダシにつかったと!?」
「そういきり立つことでもないだろ」
「何を落ち着いているのです! 王の名を利用されて・・・・・・うぬぬぬ、許せぬ! 今すぐあの男を引っ立てて―――」
「落ち着きなよ。面白いアイデアじゃないか。むしろこれは褒めてもいいくらいだよ?」腰の剣にまで手を掛けたベイガンを、セシルは穏やかに宥める。
自分一人怒っていても滑稽だと思ったのか、やがてベイガンは剣の柄にかけた手を離した。「ええい、もしも王の名を使ってくだらない宿など建てたならば、その時はこの秘めたる魔物の力を使ってでも破壊の限りを・・・・・・」
今すぐ飛び出すことは止めただけで、怒りはまだ収まっていないようだったが。
ともあれ、ぶつぶつと物騒なことを呟き続けるベイガンに、セシルはふと思いついたように言う。「ああ、そう言えばそろそろお昼じゃないか? お腹も減ったし、そろそろ昼食を・・・」
「何を言っているのですか」きょとん、とした表情でベイガンがセシルを見返す。
「お昼などありません。セシル王には、夕食までずっと玉座に座って貰います」
「え゛」
「なにかご不満でも?」
「ご不満って・・・・・・お腹、すいたんだけど」
「人間、三日四日食べなくても死にはしません」
「そりゃ知ってるけど・・・でも」
「ちなみに休憩も御座いません」
「・・・・・・」
「なにかご不満でも?」
「ご不満というか・・・・・・虐待じゃないか、これ」
「何をおっしゃいます! 王とはそう言う者です! オーディン王もいつも空腹に耐えながらこの玉座に座っていたのですよ」
「うわ、それ知りたくなかったなー・・・」ふと、玉座に座っていた先王オーディンの姿を思い出す。
常に慈愛と威厳を兼ね揃えた暖かな瞳で、セシルを始めとする騎士達を見守っていたオーディン王。
その実体が、空腹に堪え夕食の時間を待ちこがれていたハラペコ王だったなんて!「・・・王様って・・・もっと満ち足りていたものだと思っていたんだけどなあ」
「満ち足りていましたとも! オーディン様は常々言っておられました! “民の喜びを思えば、空いた腹も満腹である―――” 」セシルの言葉に、ベイガンははっきりとした声で答えた後―――ふとそっぽを向いてぽつりと、
「―――と、自分に言い聞かせないとやってられないと」
「駄目じゃんそれ!」
「そういうわけで、セシル王も頑張って自分に言い聞かせてくだされ!」
「嫌な努力だなあ」空腹に鳴く腹を押さえて、セシルは次の陳情者を待ち受けた―――
******
とりあえず今日の分の陳情が終わり、ようやく夕食になる。
夕食の時間になった途端、元気を取り戻したセシル王は軽快なフットワークでベイガンから逃げ出すと、今度は飛空艇団 “赤い翼” の兵舎へと潜り込んだ。
飛空艇団の殆どは、未だゴルベーザの元にいる。なので、その数は少なかったが、シドやロックなど飛空艇技師達もやってきたので、割とにぎやかな夕食となった。途中、ベイガンがセシルを捜索に来たが、素早くテーブルの下に隠れたセシルには気がつかず、ロイドに二言三言言われただけで、何故かベイガンはあっさりと引き下がった。
空腹を満たし、ロイド達と軽く談笑した後、セシルは席を立つ。
“赤い翼” の面々は残念そうな顔をしたが、明日も忙しいからと言って兵舎を後にした。だが、セシルはそのまま寝室には戻らずに―――
******
波の打つ音が足下が響き上がってくる。
その響きを肌に感じながら、セシルは手にした暗黒剣―――デスブリンガーを無心で振るっていた。
二つの月の輝きが反射して、まるで闇を引き裂くように漆黒の剣が浮かび上がる。
汗が髪の毛を伝い、顎を伝い、激しく動くと同時に宙に飛び散る。
息が切れ、どくんどくんと心臓の鼓動が早く高鳴る。
夜の冷気が身体を覆うが、内から迸る熱がそれを押し返し、熱気が汗を湯気に変える。
―――風が吹いた。
熱気を吹き飛ばすかのような冷たい夜風を浴びて、セシルは動きを止めた―――と。
「こんなところに居られましたか」
背後から声。
振り返る。「ベイガン」
「捜しましたぞ。全く、朝だけではなく夜の会食にも欠席なさるとは・・・」
「悪かったよ。でも、そういうかしこまった食事というのは好きじゃなくて」
「好みは関係ありません。王としての責任でしょう」
「う」ベイガンの言うとおりだった。
貴族や騎士との会食は、王として臣下を知るための必要な行事でもある。嘆くように長々と嘆息するベイガンに、セシルは苦笑して。
「悪かったよ」
「声に誠意が込められていませんが。大体―――ッ!?」ひゅっ!
と、デスブリンガーの切っ先がベイガンに向かって伸びる。
それをベイガンは咄嗟に回避する―――「なにを!」
「剣を抜けよベイガン」
「どういうおつもりで?」
「いや、腹ごなしに剣を振るっていたんだけど、一人じゃどうにも面白くない。カインでも呼ぼうかと思っていたところに君が来たというわけで」笑いながら言うと、ベイガンは生真面目な表情でセシルを見つめ、
「それは・・・王としての命令ですか?」
「いや頼みかな―――まあ、命令でないと受け付けないというのなら、“命令” でも良いけど」
「・・・本当にこれで血が繋がっていないというのだろうか」
「え?」
「なんでもございません」ベイガンは剣を抜く。
防御に特化したベイガン専用の剣、ディフェンダー。(かつてのオーディン様もそうだった)
剣を構え、ベイガンは一人ごちる。
(王でありながら、この場所で毎日欠かすことなく剣を振るっていた・・・)
今、ベイガンがセシルと対峙しているこの場所は、生前オーディン王が好んでいた場所―――つい最近、バッツが父の形見を投げ捨てた場所でもある―――で、セシルと違い朝の早いオーディンは、毎朝のように陽が出る前にこの場所に来て、陽が昇るまで剣を振っていた。剣を振るうことで身体が目覚始めた頃、この国の誰よりも早くに朝の光を浴びることが、何よりも気持ちよいのだと言っていた。
そんなことを思い出しながら、ベイガンはセシルに向かって言う。
「王の “頼み” とあれば仕方ありますまい」
二つの月に照らされた、バロン王の姿を見据える。
銀髪の青年の姿が、威風堂々と神剣を構える騎士王のそれと重なった。「腹ごなし、付き合いましょう!」
******
剣と剣がぶつかり合い、闇夜に火花が散る。
互いの剣に相手を打ち倒そうとする気迫はなく、小手先の技もなく、ただ芸もなく剣と剣をぶつけ合うのみ。数度打ち合い、一息ついたところで、セシルが相手の名を呼んだ。
「ベイガン」
「何でしょうか?」答える息は荒い。
息を整えながら、セシルは言葉を放つ。「本当に、僕はこのバロンの王に相応しいだろうか」
それは “不安” だった。
誰にも相談することの出来ない不安だ。
或いはカインやバッツにならば話すことが出来たのかもしれない―――が、相談にはならないだろう。あの二人はセシルを完全に認めている。セシルが二人を “信頼” しているのと同じように。
だから迷わず肯定するだろう。しかし、セシルはそんな答えを求めては居ない。それがベイガンには解っていた。
何故ならば―――「・・・その疑問、昔にも聞いた覚えがあります」
「え?」
「だからその時と同じ言葉を返すとしましょう」剣を腰に納め、ベイガンは軽く一礼する。
何かの台本を読むように、淀みない口調で告げた。「その質問、私には解りかねます」
「・・・・・・」
「何故ならば、それは貴方様次第でありましょうから」
「わかっているさ」セシルは苦笑。
剣から手を離すと、デスブリンガーは夜の闇に溶け込むようにして消え去った。
それから、城の方へと足を向ける。「変な質問をして悪かった。もう寝るとするよ。明日も早いだろうしね」
「ですが―――」ベイガンの横をすり抜けて、城の中に戻ろうとしたセシルは、ベイガンの繋ぎの言葉で足を止める。
振り返る、とそこへさあっ、と夜の冷たい風が吹いた。思わずセシルは目を閉じる。
剣を振り回して火照った身体の熱を奪い、風が流れていく。
一陣の風が過ぎ去った頃、目を開けると、ベイガンが真っ直ぐにこちらを見据えていた。「―――ですが、私を始めとする誰もが―――貴方様を知る誰もが、貴方様が王となることを願い、望みました。そして、望んだ者たちは貴方様のために力を尽くすでしょう」
ですから。と、ベイガンはさらに続け、
「貴方様が王に相応しいか相応しくないかはまだ解りませぬ。故に不安もあるでしょうが、いずれは誰もが―――当然貴方様自身も含めて―――セシル王こそバロンの王に相応しいと声を上げるでしょうし、歴史書にもそう書かれるに違いないと、私は確信しております」
「それは―――」買いかぶりすぎじゃないのか、と言おうとしてセシルは止めた。
ベイガンはセシルをおだて上げているわけではない。
むしろその逆。
セシルを知る者たち―――セシルを好きな者たちが願い、望んだこと―――だからこそ、それに応える義務があるのだと。相応しいかどうか悩むのではなく、相応しくなるべきなのだとベイガンは言っているのだ。「・・・やれやれ」
セシルは困ったように呟いて、頭を掻く。
「厳しいね」
「甘やかされるのがお好きなようには見えませんが」
「いや? 割と楽するのが好きなんだけどね、僕は―――誰も信じてくれないけれど」
「とても信じられませんな」
「ほら」
「・・・まあ、朝が弱いのはよく解りましたが」そう言って、ベイガンはセシルの肩を押す。
そのまま城の中へと入り、セシルの寝室へと、「それではお早くおやすみを。ご自身で言ったとおり、明日も早いですぞ」
「で、できればもうちょっと寝かしておいてくれると嬉しいんだけどなー」
「ムリです」
「僕、王様だよ?」
「王なればこそです」
「王様って一番偉いんじゃないのかー」セシルが喚くがベイガンは無視。
そのまま王の寝室にセシルを押し込めると、「では、レイアナーゼ殿。あとはよろしくお願いします」
「え゛」セシルは部屋の中を見回す―――と、レイアナーゼ率いる近衛メイド部隊がスタンバっていた。
メイド達の中には、寝間着の上下を持っている者もいた。もちろん、セシルの寝間着だ。嫌な予感に顔を青ざめさせるセシルに、レイアナーゼは優雅に一礼。
「お待ちしていました、セシル様♪」
「ちょ、ちょっと待って。あのね、別に僕は一人で着替えくらい―――」
「問答は無用に願います」セシルの言葉を遮って、レイアナーゼがぱちりと指を鳴らす。
すると、配下の近衛メイド部隊が一斉にセシルへと襲いかかった。「ひいいいっ!?」
慌てて踵を返し、部屋から逃げ出そうとする―――が、今し方入ってきた扉はベイガンの手によって堅く閉じられていた。
そして。
「きゃあああああああああああああああああああああっ!」
絹を裂くような甲高いセシルの悲鳴が、夜のバロン城に響き渡った―――
******
と、まあ。
バロン王セシルの1日は、割とこんなものだったりする。「いや、ほんと。王様なんてなるもんじゃないよ・・・・・・」
ちゃんちゃん♪