第15章「信じる心」
U.「猛虎の牙」
main character:マッシュ
location:トロイアの森上空
落ちる。
「うおおおああああああああああああああっっっっっ!?」
マグに飛空艇の外へと放り投げられて、マッシュは完膚無きまでに落ちていた。
頭は下。視界の先には、緑の森がぐんぐんと迫っている。死ぬ。
まず間違いなく死ねる高さだと、マッシュは直感的に感じ取った。
いやもしかしたら木がクッションになってしかも鍛え鍛えに鍛え抜いたこの身体ならば九死に一生くらいは得られるかもしれないとか淡い期待を抱いてみたりとかするけれどやっぱり死ぬなあと再確認。「死んでたまるかあああああああああああっ!」
悲鳴が口から漏れ出て、マッシュは無我夢中で両手を地上に向けて突き出していた。
特に何か考えての行動ではない。
言うなれば生存本能というやつが、マッシュの身体を突き動かしていた。「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ」
オーラキャノン
光がマッシュの両手から迸る。
手から “気” の光線が放たれたその反動で、マッシュの落下が止まった。「ぬ・お・お・お・お・お・お・おぉおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっ!」
裂帛の気合いと共に、マッシュの放つ光線がさらに強まる。
それは、遙か下の地上にまで届き、森の木を一本なぎ倒すほどの威力。
威力の上昇に伴って、さらなる反動がマッシュの身体を突き上げる。今し方放り捨てられた飛空艇の上までも。「ほ!?」
飛空艇の高さまで舞い戻ったマッシュは、マグと目があった。
マグはマッシュが再び戻ってきたことに驚き、ぽかんとした表情を浮かべている。「うおあああああっ!」
そんなマグにマッシュはオーラキャノンの反動で飛びかかり、跳び蹴りを放つ!
「ぶほおおおおっ!?」
顔面を蹴り倒されて、ごろんと転がるマグ。
一方、マグを蹴倒したマッシュは、そのまま飛空艇の甲板へと着地した。「はぁっ、はぁっ・・・・・・」
マッシュは荒い息を吐きながら、がくりと膝を突く。
頭の中は真っ白だった。目の前もチカチカして何も見えない。
落下した恐怖が脳裏にこびりついている。落ちたあの時、マッシュの脳裏にあったのはただの一言、死にたくない! という事だけ。「はぁっ・・・・・・はっ・・・・・・はっ・・・・・・は――――――」
考えての行動ではなかった。
オーラキャノンの反動で、舞い戻るなんて発想すらできなかった。ついさっき使えるようになったばかりの技で、試したこともない。できるとも思わなかった。
けれども、止まった思考を無視して、身体が勝手に動いていた。
本能、というやつだろうか。強い生存本能が働いて、理屈ではなく身体が最善の行動を取った。
マグに向かって蹴りを放ったのもマッシュの中に眠る戦闘本能の表われか。ともあれ、マッシュは心臓が口から飛び出そうなほど暴れ狂う動悸を落ち着けて、ようやく現状を理解する。
「・・・・・・あ・・・生きてる・・・?」
先程まで頭は真っ白だった。だが、自分の行動は覚えている。
それを思い出して、しかしマッシュは今、こうして生きているという実感がわかない。
まるで夢の中のことのように、現実味が無かった。だが、はっきりしていることはある。
それは自分が生きていると言うこと。それから―――「イタイ・・・」
ごろん、と巨体が起きあがる。
蹴倒されたマグが、蹴られた顔面を抑えて起きあがるところだった。「イタイタイタイタイタイタイタイタイタイタ―――いたーーーーーいっ!」
喚くラグを見て、マッシュはゆっくりと立ち上がる。
(はっきりしていることがある。さっきの俺が夢の中だったとしても―――)
立ち上がったマッシュを、マグがギロリと睨付けた。
「よくもよくもオトメの顔をぉぉぉおおっ! 殺すッ!」
物理的な重圧を感じさせるほどの強い殺意。
しかし、それに怯むことなく、マッシュはにらみ返す。(―――今ここにあるのは戦いの現実。ならっ!)
マッシュは拳を握りしめ、歯を噛み締め、息を声に出して意気を吐く。
全身に力を込め、甲板を蹴り、マグに向かって突進する!(なら、俺がしなければならないのは、この拳を握り振るうのみ!)
「う・お・お・おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「ブチッと殺してやるうううぅぅぅうううぅぅううう!」突撃するマッシュ、迎え撃つマグ。
マグの全身の9割を占める巨大な腹に、マッシュの剛拳が突き刺さった―――
******
「―――がはぁっ!」
甲板に叩き付けられ、マッシュの身体が跳ねる。まるでゴムボールのように高く跳ね上がり、そして再び甲板へ墜落する。
「ぶほほほほほほほほほほほ!」
先程まで怒り狂っていたものとは思えないほど、上機嫌なマグの哄笑が倒れたマッシュへと降り注ぐ。
その笑い声を聞きながら、マッシュは傷ついた身体に活を入れて立ち上がる。「ぜぇ・・・はぁっ・・・ぁぁっ・・・・・・」
すでにマッシュは満身創痍だった。
マグに殴りかかっては、厚い脂肪の壁に跳ね返され、逆にマグの剛力に身体を掴まれては子供が気にくわないぬいぐるみを床に叩き付けるように、何度も何度も何度も、マグの腕が疲れるまで甲板に叩き付けられ、放り捨てられる。その度に、マッシュは立ち上がり、そして殴りかかり―――その繰り返しだ。左腕の骨は砕け、体中痛めつけられている。打撲していない箇所の方が圧倒的に少ないくらいだった。
それでも、左を犠牲にしてまで利き腕を庇ったために、まだ握れる拳はある。だからこそ、マッシュはまだ立ち上がれる。「まだ・・・だ・・・ッ」
「ぶほほほほ。しつこい、しつこいヤツだ! 弱いくせに、しぶとさだけは一人前だねえ」
「頑丈だけが・・・取り柄でなあっ!」吠え、マッシュは右の拳を握りしめ、マグに向かって突撃する。
もう何度繰り返したか解らない愚行。
無駄だと解っていたが、最早マッシュにはそうする意外に術を残されていなかった。突進―――しかし、明らかに速度は遅い。そんなマッシュを余裕をもってマグは待ち受ける。
「うおおおおおおおおっ!」
気迫だけは十分に、マッシュは拳をマグの腹へと叩き付ける―――が、当たり前のように通じない。
身体の芯に届かずに、弾力ある巨大な腹に、マッシュの拳は跳ね返される。「いい加減に死んじゃいなさい!」
「ぐっ」拳が弾かれ、体勢を崩したマッシュにマグの手が伸びる。
再び掴まれ、叩き付けられる―――それを覚悟して、マッシュは歯を食いしばった、が。
風神脚
ズガアアアアアアッ!
「ぶほおおおおおおおおおおっ!?」
突風を連想させるような一撃が、横からマグの巨体をはじき飛ばす。
奇襲とはいえ、自分の拳も必殺技も通用しなかった相手が軽々と吹っ飛ぶのを見て、マッシュは唖然とその攻撃の主を見る。「ヤン・・・さん!」
「下がれマッシュ。これはお前には荷が重い!」今まで戦闘不能であるセシル達を守っていたはずのヤンだ。
「セシル達は―――!」
「代わって貰った」
「え・・・?」マッシュがセシル達の方を見ると、そこには翼持つ魔物達に対して、ナイフを振るったり投げたりして牽制しているロックの姿が。
「あいつ、チビっこいのと戦っていたはずじゃ・・・倒したって言うのか?」
マッシュが驚いているのを余所に、ヤンは蹴り飛ばしたばかりのマグを注視する。
ごろごろと転がって倒れたマグは、しかしダメージは大して無いようで、すぐに起きあがるとヤンを睨付ける。「ぶふおっ! おのれぇっ、今度は貴様かあああああっ!」
怒りを込めてマグが叫ぶ。
それを見て、ヤンは逆に呆れたように見返した。「怒ったり笑ったり忙しいヤツだな」
「殺すううううっ!」
「貴様では役者不足だ!」マグがヤンに向かって突進し、ヤンもまた呼応して駆け出す。
疾走。際限なく加速していく、爆発的なヤンの脚力から生み出されるのは、風をも従える必殺の蹴り!
風神脚
風を纏ったヤンの必殺技に対し、マグは先程マッシュのオーラキャノンを跳ね返した時のように、腹を張って跳ね返そうとする。
「ぶほほっ、お腹ぼーん! ・・・・・・んん!?」
ぼよん、とマグの腹はヤンの蹴りを受け止めた。
しかし、跳ね返さない―――否、跳ね返せない。「な、なななななっ!?」
「我が蹴りは疾風怒濤! 疾風とは留まることなく吹き抜けるもの也!」
「と、止まらない!? 押し込まれ―――ぶふごほおおおっ!?」マッシュの剛拳を何度も跳ね返した脂肪の壁が、ヤンの蹴りによって貫かれる。
口から盛大に息とよだれを吹き散らしながら、マグの身体が吹っ飛んでいった。「す・・・すげえ・・・」
自分の必殺技すら通じなかった相手を、ヤンは容易く蹴り飛ばした。
実力の差は分かり切っていた。
未だ修行中の身で、半人前のマッシュに対し、ヤンはファブールのモンク僧長だ。そのことから見ても格の違いは明らかで、加えてマッシュは実際にヤンの強さを知っている。特に、磁力の洞窟でスカルミリョーネに向かって怒りを爆発させた時の凄まじさは一生忘れることはできないだろう。「お、おのれぇ・・・・・・」
蹴り飛ばされたマグが、怨嗟の声を漏らしながら起きあがる。
マッシュに見せたものよりもなお強い殺意をヤンに向けて。だがヤンは欠片も動じない。「しつこいヤツだ。しぶとさだけは一人前だな」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」マグがヤンに向かって突進する。
転がるように猛スピードでヤンに向かうその姿はまさに砲弾!
対してヤンは、どっしりと構えてそれを待ち受ける。「避けろーーーーっ!」
マッシュが叫ぶ、が、ヤンは回避しようとはしなかった。
逆に、向い来るマグに向かって手を伸ばす。拳打ではない。本当にただ手を差し伸べただけの動き。「しねえええええええええっ!」
マグの巨体がヤンに激突する―――そうマッシュが思った瞬間。
「―――ぶほ!?」
マグが宙を舞っていた。
巨体がヤンの頭の上をぽーんと飛んで、その後ろに頭から墜落する。
どっしん、と飛空艇全体が揺れた。甲板が砕けなかったのが不思議なくらいな衝撃だ。そんな激しい揺れの中、マッシュは困惑していた。
訳が解らなかった。今、何が起こったのかマッシュには理解できなかった。ヤンが魔法を使ったのかとすら思った。今、ヤンが行ったのは、相手の勢いを利用して投げる、いわゆる柔よく剛を制す―――柔道に通じる技だ。
だが、マッシュは “柔よく剛を制す” などという概念は知らない。
マッシュが師匠から伝えられたのは “力” 。純然たる力はあらゆる全てを打ち砕くという理念だ。投げ技はマッシュも知っているが、それは力任せに相手を掴んで地面に叩き付ける、先程マグがマッシュに対して行ったようなものしか知らない。「・・・ぶほっ!」
頭から甲板に落ちたマグは、しかし尚も起きあがる。
頭を打ったためか、少々フラついてはいるが、ダメージが深い様子はない。「ふむ。本当にしぶといな」
「うるしゃーい! うるさいうるさい! ころーすッ!」マグがヤンに掴みかかろうとする―――が、ヤンはひらりと甲板を蹴り、伸ばされた二本の手の間をすり抜けて、マグの頭の上まで飛び上がると、そのたまに手を置いて、マグの巨体を乗り越える。
「んあ?」
マグがヤンを振り返ろうと巨体を翻そうとするが、それよりも早くヤンの蹴りがマグの背中を蹴る。
「んあああああ!?」
ダメージはほとんど無いが、身を翻そうとした不安定な体勢だったところを蹴られたマグは、面白いように転んでまた転がった。
「ふうむ」
転がっていくマグを見送って、ヤンは嘆息する。
「さて、どうしたものだろうな。蹴っても投げても効果的ではない―――とはいえ、それ以外に私に出来ることはない、か」
ちらり、とヤンはリックモッドやギルガメッシュの方を見る。
ヤンやマッシュの打撃はマグには効果が薄い。ならば、肉を切り裂く刃物を持つ二人をと思ってみるが、リックモッドはロイドを守っているし、ギルガメッシュは三姉妹の次女、ドグと戦闘中だ。
ロックの刃の短いナイフでは、ヤンの蹴り以上に通じるとは思えない。となれば―――「ここは私が踏ん張るしかないか・・・」
「待ってくれ!」とりあえず、起きあがってこなくなるまで蹴りまくろうと覚悟を決めたヤンに、マッシュが叫ぶ。
「どうした?」
「俺に・・・俺にやらせてくれ!」痛めた身体を引き摺って懇願するマッシュ。
しかし、ヤンは首を横に振った。「言っただろう。マッシュ、お前では勝てないと」
「まだ俺は負けてない!」
「そのなりで何を言う?」
「まだ俺は何もやってないんだッ!」
「・・・・・・?」
「このままじゃ、俺がここに居る意味がない!」
「おい!」マッシュはヤンを強引に押しのけて前に出る。
目を前に向ければ、こちらへと勢いよく迫ってくるマグの巨体。(そうだ・・・俺はまだ何もやっちゃ居ない! 磁力の洞窟でもアストスにやられ、セシルやヤンがゾンビを蹴散らすのを見ていただけだ。オーラキャノンを使えるようになったって、結局ゾンビたちを全滅させたのはギルバートやファーナの歌声―――)
「じゃまだ、どけえええええっ!」
マグは最早マッシュなど眼中にないようだった。
憎々しげにヤンを睨み、一直線に突進してくる。「俺の拳の意味はぁっ!」
マッシュは前に向かって足を踏み出し、強く硬い右の拳を前に突き出す。
握りしめられた拳と、巨大な肉の塊が激突する。「ぐうっ!」
やはりマッシュの打撃はマグには届かない。脂肪の壁に阻まれて、跳ね返される―――
(だ、駄目か・・・!)
「退くなぁぁぁぁッ!」
「!」諦めかけたその時、マッシュの背後でヤンの檄が飛んだ。
その声に押されるようにして、マッシュの拳に力が籠もる。押し返されようとしていた拳を逆に押し込む。「むううっ!?」
マッシュの拳でマグの突進が止まる―――だが、しかし脂肪は貫けない。
「拳を強く握りしめろ! お前の拳に意味があるとすれば、ただ真っ直ぐに打ち込むことのみ! 他は一切考えるな! ただ前に前に―――」
「おおおおおおおおおおおおっ!」だんッ!
拳を前に突き出したそのままの体勢で、マッシュは足を一歩前に踏み出す。
前にマグがいるために、踏み出せた足は半歩ほど。それでもその半歩分、マッシュの拳がマグの腹にめり込む。「ぬぐっ・・・!?」
「おあああああああああああああっ!」さらに前へ。
わずかずつだが、マッシュは前へと進んでいく。そのたびに、拳もまた腹にめり込んでいく。「ぐ・・・ぬぬぬ・・・・・・ぐほっ!」
たまらず、マグの巨体が後ろへと押し返される。その瞬間!
「あ゛」
という、野太く力の籠もった音が、マッシュの腹の底から漏れ出でる。
その音に重なるようにして。どがムッ!
甲板にめり込む程の力強い踏み込みの音。
マグが落下しても壊れなかった甲板が砕けるほどの力は、脚を伝わり、腰で増幅され、腹の奥底から出された声と共にマッシュの身体を駆け上り、前に突き出した腕へと、そして拳へと。「がふッ!?」
それは、マグが後ろに退くよりもほんの少しだけ速く、かつ退く力よりも圧倒的に強すぎる力。
しかもそれは一つでは終わらない。「あああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
息が続く限り声を出し、それと共に足を前に前にと踏み出す。
足が踏み出すごとに、マッシュの身体を力が駆けめぐり、拳に辿り着いて強打となる。突き出された拳による、一撃による連打。
その連打によって、マッシュの拳はマグの腹にめり込み、マグの腹がマッシュの拳によって穿たれていく。「がああふっっ!?」
マグはその拳から逃れようとするが、マッシュの拳はマグの腹から離れない。後ろに退くのはもちろん、左右に逃げようとしても拳はピタリとついてくる。単なる連打ならば逃れることが出来たかもしれない。しかし拳そのものは引かれることなく、ただ打撃が伝わってくる。
「は、腹が裂け・・・・・・ッ」
「貫けぇえええええええええええええええッ!」ずぼんッ!
マッシュの最後の踏み込みと同時、拳が腹を貫いた。
「ば・・・か・・・な・・・あ・・・・・・」
信じられない、と言いたそうな表情でマグがマッシュを見下ろす。
そのマグの腹から、マッシュは拳を引き抜いた。その拳は血に濡れている。マグの血ではない。血管が千切れるほど強く握りしめたせいだった。マグの貫通した腹を始点として、ラグと同様に光の粒子となっていく。
「おのれぇ・・・・・・次は・・・こうは―――」
捨て台詞を残し、マグの巨体は光となって虚空へと消える。
それをマッシュはただ見送っていた。「よくやった」
そんなマッシュにヤンが声を掛ける。
「フム。私の蹴りが疾風だとするならば、さしずめお前の拳は―――捕えた獲物を決して離さない、猛虎の牙と言ったところか。そう、名付けるならば―――」
タイガーファング
などと、ヤンが言う―――のを、マッシュは聞いていなかった。
不意に、がくりとマッシュの身体が揺れると、そのまま力無く甲板の上に倒れ込む。「おいッ!?」
ヤンが慌てて抱き起こす―――と、マッシュは気絶していた。
「まあ、これほど痛めつけられればな―――脈拍はしっかりしている。むしろ命に別状がないのが不思議なくらいだ」
頑丈さだけならば、私でも適わないな。
と、ヤンは苦笑を漏らした―――