第15章「信じる心」
J.「身勝手な愛」
main character:セリス=シェール
location:ゾットの塔

 

 

 

「もしもセシルがセリスに負けた時、命乞いをしたら必ず私を殺して」

 セシル達が塔につく直前、ローザはセリスにそう “お願い”した。

「もし、セシルが自分の命と引き替えにでも私を救おうとしたのなら、それは結局 “解ってくれなかった” ということだから」

 それはどういう意味なのか、セリスには理解できなかった。
 ただ、もしもセシルがローザの期待を “裏切った” のならば、彼女が命を捨ててしまうほど絶望するのだということは解った。

 

 

******

 

 

「―――けれどね、もしも・・・もしも逆だったら」

 セシルたちが塔に着き、バルバリシアが出迎えに行った後。
 セリスと二人きりになったらローザは、拘束されたままの状態で “お願い” を付け加える。

「逆?」
「もし、セシルが私の命よりも、自分の命を優先させたなら・・・その時は、私はどうなっても良い。セシルの命だけで良いから助けて上げて」
「どういうこと?」

 意味が解らずに問い返すセリスに、ローザはまっすぐな視線を向けて言う。

「セシルが私の事よりも、自分が生きることを選んだのなら、それは私のことを解ってくれたということだから」

 説明されても、それこそセリスには “解らなかった” 。

「・・・さっきも言ったけど、普通は逆でしょ?」

 セリスは誰かを、自分の命を投げ出すほどに強く愛したことはない。
 けれど、なんとなく想像はする。

「本当に愛しているなら、自分のことよりも相手のことを大事にするんじゃないの?」

 少なくとも、ローザはそうだった。
 ローザは自分よりもセシルのことを優先している。
 自分とセシル、どちらかが生き残れるというような状況になれば、迷わず自分の命を投げ出すだろう。

「・・・ “想う” ことと “理解する” ということは、きっと別のことだと思うのよ」
「想うからこそ理解しようとする―――できるんでしょう」
「誰かを想うと言うことは、その人に自分の理想を押しつけようとすること。自分が望むように “理解” することよ」

 一息ついて、ローザは苦笑する。

「誰もが好きな人には “こうあって欲しい” と望むわ。 “こうであるべき” と願うのよ。・・・・・・妙な話よね? 誰も最初に人を好きになる時って言うのは、その人が “こうだったから” 好きになったはずなのに、気がつくと逆になっているのよ」

 人は自分が望む人を好きになる。
 けれど、付き合いが続くうちに、その人に自分の望みを押しつけるようになる。

「愛というのは自分勝手なものなのよ。相手を満たすために愛するんじゃない。自分を満たしたいから人を愛する。相手の気持ちなんて考えてられない―――大事にするなんて、そんな余裕なんかない」
「愛し合うというのは、互いを想い、大事にすることをいうんじゃないの!?」
「相手を想っているように見えるのは、自分が嫌われたくないだけ。自分が傷つきたくないから、嫌われないように相手の機嫌を取っているだけに過ぎないわ」

 苦笑したまま言うローザの言葉は、辛辣であるようにセリスは思えた。
 セリスは言葉を失う。
 ローザがそういうことを――― “愛” という言葉を踏みにじるような台詞を吐くとは思わなかったからだ。軽いショックすら受けて、セリスは呆然とする。

「勘違いしないでね」

 そんなセリスの表情を伺って、ローザが微笑んだ。

「私は “愛” を否定しているわけじゃないわ。愛って言うのはそんな安っぽいものじゃないって事を知っているだけ」

 さきほどの苦笑とは違い、その微笑みはなんとも彼女らしく、強く輝いている―――そうセリスは思った。

「愛とは衝動。理性や理屈なんかじゃ縛りきれない野生の本能! いい、セリス? 人を愛するのに相手を理解しようとしちゃいけないわ。必要なのは、何が何でも望むことだけ! 自分がどうしたいとか、愛する人にどうしてほしいとか、それを押しつけるだけ押しつける! でなきゃ、愛するなんて胸を張って言えないのよ!」
「じゃあ、なんで今みたいな話を・・・?」

 困惑するセリスに、ローザは勢いを止める。
 今までの輝くような微笑みが消え、違う微笑み―――せつなく、静かな、まるで闇夜に浮かぶ月のような、そんな微笑み。男ならば誰もが一目見てその美しさに息を呑むような、ローザの美貌にはふさわしい微笑み。

(だが、不思議だな。どうにもさっきみたいに明るく笑う方が、彼女らしいように思う―――)

 心の中で、セリスはそんな感想を漏らす。

「・・・私が、それを望むから」
「え?」
「私はセシルに愛してもらうことを望まない。私が望むのは、ただ理解してもらうことだけ―――私があの人の傍に居たいって事、私が誰よりも何よりもセシル=ハーヴィを愛しているということを信じて貰う―――それが私の望み」

 ぎゅ、と、ローザは拘束された手を握る。

「・・・ “お願い” の意味がようやく解った」

 セリスは嘆息する。
 少しだけ苛ついたような、難しい表情をして、

「いや、あまり理解したくないけれど。でも、貴女にとってセシルが全てだと言うことは解った」

 そう。
 ローザ=ファレルにとって、セシル=ハーヴィは全てであった。
 だから、セシルが失われれば、ローザにとって全ての意味が消え失せる。

(こいつは、セシルが死んでしまえば自分も死ぬんだろうな)

 なんとなく、そう思った。
 それが解ったから “お願い” の意味も理解する。

「解ったわ。もしもセシルが貴女を裏切ったのなら、私があいつの前で貴女を殺してあげる」
「お願いね」

 と、返事をするローザの表情には、自分が死ぬのかもしれないという恐怖は微塵もない。
 それは或る意味、不気味ですらあったが、今のセリスはそうは思わなかった。
 ただ、これがローザ=ファレルなのだと再確認する。

「ただし、1つだけ条件があるわ」
「条件?」

 セリスの言葉に、ローザがきょとんとする。
 そんな彼女が座っている拘束椅子に近寄ると、セリスはバルバリシアから渡された鍵を手に取る。

(・・・これを私に持たせたということは、逃がせ、ということなのかしらね)

 別に鍵など使わずとも、魔法の1つでも唱えれば、拘束など簡単に外すことが出来る。
 だというのに、わざわざ鍵を持たせたのは、そういうことなのだろうかと考える。

(まあ、どっちでもいいか)

 セリスはバルバリシアの思惑どおりかそうでないのか―――ローザの拘束具の鍵を外した。

「セリス?」

 思わずローザが解放された手を挙げようとして―――それをセリスが抑える。
 外れかけた拘束具を、ローザの腕に添えつける。鍵はかけていないため、手を挙げれば簡単に外れるが、ぱっと見には拘束されているようにしか見えない。

「貴女のお願いを聞く代わりの条件―――それは、この状態で捕まったフリをすること」
「えっ?」
「そして、私とセシルの決着がつくまで、動かずに一言も喋らずに―――そうね、気絶したフリでもしていなさい。・・・それが私が貴女の願いを聞く条件」
「・・・戦ってる最中にこっそり逃げちゃうかもしれないわよ?」
「お好きにどうぞ。でも、そうしたら貴女が知りたいことは解らないままよ」
「う・・・」

 ローザは言葉に詰まる。
 セリスが言う “知りたいこと” とは、セシルが本当にローザのことを理解しているかどうか。

「貴女の望みなんでしょう? 知りたいのなら、じっとしていなさい」
「・・・意外とセリスって意地悪ね」

 少し怒ったように頬をふくらませるローザに、セリスは笑って応えてから、もうすぐ来るはずのセシルを迎え撃つため、透明化<バニシュ>の魔法詠唱を開始した―――

 

 

******

 

 そして、決着がついて―――

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・」

 ローザは泣いていた。
 すでに気絶してしまったセシルにすがりついて、泣きながら謝っている。

(結局、ローザの言うことは間違いだった・・・ってことよね)

 杖代わりの剣に体重を預け、セリスはその光景を眺めて一人ごちる。

 ローザの拘束を解いていたのは、ローザの “愛” を確かめるためだった。
 彼女の言う “愛” が真実なのか。
 本当に自分の望みのためならば、相手のことなどどうでも良いと思えるのか、それを確かめるために。

 ローザの言葉が正しいのなら、全ての決着が着くまで条件を守って動かない。
 逆に、間違いならば―――耐えられずに、条件など無視して飛び出すはずだとセリスは考えた。

(確かに愛は身勝手なものかもしれない。けれど、だから相手のことなんか考えない―――なんてことは決してない)

 確かに、ローザは最後の最後まで飛び出さなかった。
 しかし、セリスはローザの言葉が真実だったとは思わない。

 愛する人のことを考えたように見えるのは、自分が傷つきたくないからだとローザは言った。

 ローザの言い分が正しければ、自分の望みが叶うためならば、相手がどうなろうと構わないはずだ。
 彼女の望みは、セシルの傍に居ることなのだから、ならば生きていてくれさえいれば問題ないはずだ。

 全てはローザの望み通りになった。
 セシルはローザを裏切らなかった。彼女のことを理解していた。―――そして、セシルはまだ死んでいない。
 なにもかも望み通り―――だというのに、ローザは傷つき倒れたセシルを抱きしめて、泣いて謝っている。それは。

(それは、愛する人が自分のせいで傷ついてしまったからでしょう? ローザ)

 もしも戦いの最中に、ローザが逃げ出していれば、セシルは傷つくことはなかった。
 セリス自身解っている。あのまま戦っていれば、負けていたのは自分だったと。しかし、ローザというタイムリミットがあったからこそ、セシルは先に切り札を出さなければならなかった。セリスが勝ったのは、単に後出しした結果に過ぎない。

(いや)

 セリスは考えを変える。セリスが最後の最後でセシルのことを “信じた” のは、ローザを知っていたからだ。
 つまり、二重の意味で、セシルはローザのせいで負けたことになる。

 二つめの意味に関しては、ローザは解らないだろう。
 けれど、セシルが傷ついてしまったのは自分のせいということだけは解っている。

「ところでローザ、そろそろ回復魔法の1つでもかけてあげたら?」

 セリスが言うと、ローザは謝るのをぴたりと止めた。
 それから、ゆっくりとセリスの方を振り向いた。

(うわ・・・涙と鼻水で顔が凄いことに・・・・ッ)

 思わず噴き出しそうになるのを、セリスは必死で堪える。
 そんなセリスに、ローザは自分の顔の惨状など全く気にせずに、涙の残る表情で叫んだ。

「セリス、お願い!」
「は?」

 いきなりお願いされて、虚をつかれたセリスは間の抜けた声を上げて―――不意にバランスが崩れた。

「あ―――」

 杖代わりにしていた剣が滑り、支えていた身体がどうしようもなく傾いていく。
 為す術もなく、セリスはその場に転倒した。
 だが、そんなことにも構わず、ローザは懇願する。

「お願い! セシルを癒やして!」
「・・・私の現状を見てそういうこというのかしら?」

 魔力無いどころか、一人じゃ満足に立てる余力もないんですけど。
 と、セリスは床に寝転がったまま動けない。

「でもっ、私の魔法じゃ、逆にセシルが大変なことに・・・ッ」
「自覚はあったのね」

 以前、バロンでダメージを負ったセシルに回復魔法を使い、瀕死状態まで追い込んだことを思い出す。

「悪いけど、頼られても無駄よ。私のMPは完全無欠にゼロだから」
「あ、でも確か、黒魔法に他人のMPを吸い取る魔法があるって聞いたことが」
「だから、そういう魔法を使う力も残されてないのよ」
「ううう・・・・・・」

 どうやら、セリスはアテにならないと理解したのか、ローザは再びセシルに向き直る。

「こ、こうなったら私がやるしか―――セシル、死んだらごめん」

 悲壮に悲壮を重ねたような声で、ローザは魔法詠唱を始めようとして―――

「ちょっと待て」
「ひぇいっ!?」

 いきなり背後から声をかけられ、ローザは驚いて背筋を伸ばす。
 おそるおそる後ろを振り向くと、そこには見慣れない少女―――エニシェルの姿があった。

「だ、誰っ!?」
「おお、そう言えばこの姿で会うのは初めてだったな」

 エニシェルは、ファブールで暴走したセシルに振るわれていた時、ローザの姿も見ているし、話だけならば聞いている。
 だからつい顔見知りの様な気分で居たが、ローザの方はエニシェルの人形の姿は知らない。

 エニシェルは自己紹介しようとして―――思い直す。

「妾は、セシルパパの隠し子じゃ」
「へー、セシルって隠し子が居たんだ」
「・・・いや、なんでそう平然と信じられる・・・!?」

 冗談を言ったつもりが本気に受け取られて、逆にエニシェルの方が困惑する。

「え、だって、嘘でしょ?」
「そりゃあ嘘だが・・・」
「どっちかっていうと、セシルの妹って感じがするし」
「なっ!?」

 ローザの言葉にエニシェルが顔を真っ赤にしてうろたえる。
 それを見て、ローザはぽんっと手を叩いた。

「あら、当たり?」
「違うわああああ! なんで妾がこーんなヤツの妹にならなければならんのだ!」
「えー、なんとなく!」
「なんとなくで不遜なこと抜かすなああああああああっ!」
「・・・なんで私、怒られてるの?」

 ぜいぜいと息を切らせるエニシェルに、ローザは首を傾げる。
 そんなローザを呆れた様子でセリスが見て、

「・・・・とりあえず、思いつきで色々と口に出すのは止めなさいよ」
「えー。言いたいこと言えないと、ストレス溜まるし」
「あんたが喋ると、周りのストレスが上がるのよ―――というか、魔法はいいの?」
「あ」

 完璧に忘れていた様子で、ローザは声を上げる。
 泣いたカラスがなんとやら―――というわけではないが、さっきまで泣きじゃくっていたとはとうてい思えない。

(まあ、それのほうがこいつらしいか)

 自分の行動に後悔して、泣いて謝るローザの姿は、あまり見ていたいものじゃないと、セリスは思った。
 そんな彼女に見守られ、ローザはセシルに向かって再び回復魔法を唱えようとする―――ローザがセシルの身体に手を添えると、エニシェルの小さな手が重なった。

「隠し子ちゃん・・・?」
「隠し子じゃないわい。妾はエニシェル。この死にかけ男の保護者じゃ」

 胸張ってエニシェルは言い、さらに続ける。

「白系の魔法は不得手だが、魔力の制御は得意でな、貴様のサポートくらいはできる」
「うん、じゃあお願い」
「・・・って、そんなあっさりと信頼して大丈夫なのか? 妾が何者かも解らんくせに」
「セシルを助ける手伝いをしてくれる―――それだけは解ってるから大丈夫よ!」

 そう言って、ローザはウィンク1つ。
 エニシェルはやれやれと肩を竦め。

「馬鹿の嫁はやっぱり馬鹿か」
「え? なにか言った?」
「貴様とセシルがお似合いだと言ったのだ」
「ありがとっ!」

 ローザは微笑んで、魔法詠唱を開始する。

“なによりも愛しい人、なによりも失いたくない人・・・・・・私は望む、ただ傍にいることだけを―――”

 とんでもない力がローザから溢れ出してくる。
 それを感じて、エニシェルは理解した。

(成程―――魔法が失敗するはずだ)

 ローザの魔法力が強大すぎるのだ。
 しかし、それは普段は周囲には感じさせない―――つまり自分の中では完璧に制御できている。
 だが、外に出てしまえば、糸の切れた凧のように制御不能に陥ってしまい、必要以上の力を魔法に注ぎ込んでしまうのだ。

 他人に水を飲ませることを考えてみよう。
 コップに水を汲んで自分で飲むことは誰にでも出来る。だが、他人に飲ませてやることは意外と難しい。上手く口に運べずに、下に零したり鼻に入ったりする。ちゃんと口に付けることが出来ても、適量でなければ口から溢れて吐き出してしまう。

 白魔法とは、まさにそれと同じ事なのだ。
 他人に使用するには、それなりに気をつけて、制御してやらなければならない。

 ローザの場合、水を入れた容器がコップではなく、バケツで飲ませているようなものだ。
 自分ならバケツで水を飲むのも、まあやってやれないことはない。だが、他人に飲ませようとすれば絶望的だ。

「『ケアルダ』!」

 ローザの魔法が完成する。
 そこへ、エニシェルが干渉―――魔法を制御する。

 ローザが飲ませる水をバケツで用意してしまったのなら、そこからコップで汲み直してやればいい。

 具体的に言うと、ローザの使った魔法を分解、小分けにしてやる。
 行き過ぎた魔力は、エニシェルが吸収する。多少、魔法の威力は落ちるが、その分、制御は完璧となる。

「う・・・・・・」

 セシルが癒しの光に包まれて、意識を取り戻す。

「セシルっ!」

 目を開けかけたセシルに向かって、ローザがダイブする。
 瞬間。

「ぐげええええええええええっ!?」

 セシルの口からもの凄い悲鳴が上がった。

「あ、あら? セシル? 魔法は完璧だったはずよね・・・?」
「こ・・・腰・・・」
「腰?」

 ローザがセシルの腰をぽんっと叩いた。途端。

「ぎえええっ!?」

 再び悲鳴が起きる。

「そういえば、腰を強打されたから瀕死だったか」

 そう言いつつ、エニシェルもセシルの腰を叩く。
 もはや悲鳴は出ず、、セシルは涙目で悶えるのみ。

 正確には、腰に受けたセリスのスピニングエッジのダメージが全身に散らばり、瀕死状態だったのだ。
 他のダメージはそれなりに回復したが、やはり大本である腰は回復しきれてはいないようだった。

「セシル! 無事か!?」

 悲鳴を聞いたためか、いやに焦った様子でカイン達が飛び込んでくる。

「あ、あまり・・・大丈夫じゃないかな―――」

 その言葉を最後に。
 セシルは再び意識を失った―――

 


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