第15章「信じる心」
I .「信じたもの」
main character:セシル=ハーヴィ
location:ゾットの塔
『降参だ、セリス。僕の負けだよ』
映像の向こうでセシルが剣を落とし、両手を上げる。
「降参だと!?」
ヤンが目を見開き、息を呑む。
「馬鹿な! 諦めてどうする!?」
「諦めてなどいない!」ヤンの叫びをカインが否定する。
「しかし、負けを・・・」
「セシルの目的は何だ?」
「目的・・・?」
「セシルはセリスに勝つことが目的ではない。ローザの命を救うことが目的だ―――そのためならば、ヤツはなんだってするだろうよ」そういうカインの言葉を肯定するかのように、セシルはセリスに命乞いをする。
自分の命はどうでもいいから、ローザを助けて欲しいと。『貴方は・・・それだけはやってはいけなかった!』
それを聞いたセリスが、先程までとは冷たさすら感じる雰囲気を破って、烈火の如く激昂する。
なにが気に障ったのか、セシルにも、そしてカイン達にも解らない。
ただ、彼女と同じように、バルバリシアもまた不機嫌そうに映像の向こうのセシルを睨付ける。『ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
セリスに否定され、セシルもまた頭に血を昇らせ、自棄になったかのようにセリスに向かって突進する。
剣も持たずに、拳を振り上げて。「馬鹿な! 無謀すぎるッ!」
ヤンが再び声を上げる。届かないと解っていながらも、ヤンは声を上げずには居られなかった。
「いや、違うぜそいつは」
ヤンの隣で取り乱すこと無く、ロックが呟く。
同じようにカインもまた腕を組んで平然と見守っていた。
ロックが言ったようにカインもまた確信していた。セシルは諦めたわけでも自棄になったわけでもない。まともにセシルと戦っていてはローザを救い出せないと判断したが故に、一か八かの賭に出たのだと。(セシル=ハーヴィを知らない者は、誰もが騙されるだろう。しかし、ヤツを知っている者ならば解る。あいつは最後の瞬間まで諦める人間ではないと―――)
ドクン。
心の中で呟いて、カインは気分の悪い違和感のようなものを感じた。
なにか、忘れている―――とても重要なことを忘れているような気がして。(なんだ・・・?)
違和感を自覚した瞬間、それは一気に膨れあがった。
ドクン、ドクン、と心臓が高鳴る。吐き気すら感じはじめた。
思い出さなければならない事があると。映像の向こうでは、セシルが拳を大きく空打って前のめりになるところだった。
そこへセリスが首を断ち切らんと剣を振り上げる。同時。
セシルが前のめりの状態から一歩踏み出して体勢を立て直した。
腰に手をやり、そこに暗黒剣が出現する。セシルが得意とする抜剣術―――居合い切りの体勢だ。(なんだ・・・? なにを忘れている?)
“違和感” の正体を探るために集中しているせいだろうか。
周囲の時間の流れがいやにゆっくりと感じる。
本来ならば神速であるはずの居合いも、剣が鞘を滑り抜き放たれていくのが確認できた。対して、セリスはまだ剣を振り下ろしていない―――いや、振り下ろそうともしていない。
おかしい、とカインは感じた。
セリスが剣を振り上げたのは、セシルの踏み込みよりも若干早いはずだった。セシルの居合いの体勢を見て気がついたにしても、剣は振り下ろし始めているはずだ。
斬るのを躊躇ったということはまずあり得ない。ならば、つまり―――(セシルの行動に気づいて―――)
―――だって、あれはセシル=ハービィだもの。
蘇るのは1つの台詞。
―――だったら、なにも恐れる必要はないでしょう?
ファブールで、暴走したセシルを前にして、ローザと・・・そしてセリスが言った台詞。
それを思い出した瞬間、違和感の正体がはっきりした。(セリスは・・・セシルを “知っている” !)
違和感が消えた瞬間、周囲の時間の流れが元に戻る。
そして映像の向こうで決着がついた―――
******
自棄になったセシルが拳を振り上げて飛びかかってくる。
セリスは反射的に後ろに下がって回避―――実際には回避する必要もなかったが。
体勢を崩して前のめりになるセシルに、自分の剣を振り上げた。(終わりにしよう。全て)
振り上げた剣をセシルの首めがけて振り下ろ――――――そうとして、止まる。
(――――――本当に?)
何かが、セリスの脳裏を掠めた。
それがセリスに躊躇いを生む。セシルが踏み込んだ足に力を込めて、体勢を立て直す。
そして、腰の剣を一気に抜き放とうとする―――その時、顔を上げたセシルと目があった。その時まで、刹那の思考に没頭していたセリスは、ようやくセシルがまだ諦めていないことに気がついた。
気がついたその時には、鞘から抜き放たれた漆黒の刃が、セリスを切り刻もうとする―――(間に合えッ)
心の中で叫び、セリスは心の中に一輪の薔薇をイメージする。
その薔薇の花びらが粉々に散った瞬間。
全てが、動きを止めていた。
セリスの目の前では、セシルが剣を抜きはなった状態のまま動きを止めていた。
完全に制止しているその姿は、まるで一枚の写真のようにも見える。そして、その剣はセリスの腰に。
鎧の腰当てに食い込み、アンダーシャツに触れているのを感じる。
まさに紙一重のタイミングだった。「くっ・・・」
本当は一息つきたいところだったが、この状態は長くは続かない。
セリスは急いで身体を動かして移動する。空気すらも完全停止ているために、それを掻き分けるようにして移動する。普段は在ることすら気にならない空気だが、セリス以外の全てが停止した状態では、それがやたらと重く感じる。そのため居合い斬りの射程内から外れ、セシルの横に回り込むのに大分手間が掛かった。そして―――それが限界だった。
(・・・っ)
魔法の効果が切れて、 “時間が動き出す” 。
******
勝った―――と、そう思った。
確かにデスブリンガーがセリスの身体を断ち切るのが見えた。しかしそれが単なる残像だと気がついた瞬間、腰に衝撃が来た。
「がはっ!?」
わけもわからずに、セシルは吹っ飛ぶ。
受け身を取る余裕もなく、床の上にバウンドしてそのまま倒れた。「な・・・んだ・・・?」
痛みを堪える。
全く無防備の場所からの強打だ。鎧の上からとはいえ、衝撃力は鎧を伝わり身体を打ちのめす。
意識を手放さなかっただけでも奇跡だと言える。「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」
荒い息づかいが聞こえた。セシルのものではない。
激痛のために霞む視界を巡らす。と、床に剣を立てて杖代わりにして、なんとか立っているという様子のセリスが見えた。「セ・・・リス・・・?」
「不思議そうな顔ね・・・」荒く息をつきながら、セリスはセシルに向かって笑いかける。
彼女は、フゥ・・・と小さく深呼吸して息を整えると、口を開いた。「クイックという魔法を知っている? 禁忌とされたメテオに並ぶ、時空魔法の奥義。自身の時間の流れを極限まで加速させる事によって、普通の時間の流れとは逸脱した行動を取れる―――簡単に言うと、時間を止める魔法」
「魔法・・・だと?」言葉を喋るたび、息を吐くたびに全身に激痛が走る。
それでもセシルは問わずには居られなかった。「詠唱するヒマなんて無かったはずだ・・・」
「ええ。私はこの魔法を自分の深層意識にすり込んであるの。いざというときに、とあるイメージをトリガーにして、一瞬で発動できるように。ただし、その代償として自分では制御することが出来ない。一度発動してしまえば、私の中の魔力が尽きるまで効果が続く。さらに、超加速された時間の中を動き回るのにかなり体力を消費しなければならない」説明を終えてセリスは一息つく。
「これが私の切り札 “アクセラレイター” ―――納得した?」
「・・・あんまりしたくないなー」激痛を堪えながらセシルは苦笑。
時を止めた後、セシルの横に回り込んで、無防備な所にスピニングエッジを叩き込んだのだろう。
自分がどうしてここにこんな風に寝転がっているのかは納得はしたが。「時を止める・・・なんて反則もいいところじゃないか」
「意外と使いにくい能力よ? 効果時間がMPに比例するから、追い詰められた状態で使っても効果は薄いし。一回使えばほぼ戦闘不能になるし」しれっというセリスは確かにつらそうだった。
なんとか立ってはいるものの、本来ならばそれだけでも苦しいのだろう。
細かく息を整え、額からは汗が止まらない。汗をぬぐい、セリスが不思議そうにセシルに問う。
「納得していない割には、ずいぶんとスッキリしているように見えるけど」
「そう見えるかい? ならそうなんだろうね」苦笑する。その笑みの下では激しい痛みが渦を巻いていた。
ともすれば、いつ意識を失ってもおかしくないほどの激痛の中で、セシルははっきりと己の負けを確信していた。自分では指一本動かせないほどにダメージは深刻だった。おそらく腰の辺りの骨が砕けている。こうしてセリスと会話できるのも不思議なくらいだった。
「今度こそ正真正銘だ。僕の負けだよ」
「負けを認めるの?」先ほどは、納得がいかないようなことを言っていたが、セシルは自分が負けたということを納得していた。
身体は動かない。
仲間はいない。
魔法で回復しようにも、激痛のために集中することもできやしない。第一、魔法を使おうとしたら確実にセリスは妨害しようとするだろう。(・・・エニシェルも動くなよ)
心中でエニシェル伝える。
今のセリスなら、エニシェルでも倒せるかもしれない。
だが、それでもローザを救うには間に合わないだろう。ならば、意味がない。セシルは “諦めていた” 。
磁力の洞窟で諦めたのとは違う。諦めることに “納得” してしまった。「1つだけ、教えてくれ」
「なんだ?」
「どうして、気づいたんだ?」セシルの賭けは九分九厘成功していた。
だが、直前でセリスが気がついた。セシルがセリスと目があった時に見た戸惑いは、セシルが諦めていないことに戸惑ったせいだと思った―――が違った。
あれは、セシルの演技に気がついたからこその戸惑いだ。だから、剣が止まっていた。「・・・・・・」
セシルの問いに何故か彼女は戸惑った。が、やがて答える。
「正直、私は貴方に幻滅した」
「うん、僕もそう感じた」だからこそ、賭に勝ったと確信したのだ。
「けど・・・私は彼女のことを知っている。だから、彼女の愛した男のことを信じたかった。ただ、それだけ」
あの一瞬に脳裏を掠めたのは疑問だった。
本当に、ローザ=ファレルが愛した男はこの程度のものなのかと。
根拠も理屈もない。
もしかすると、それはセリスの願望だったのかもしれない。そうであって欲しいという、想い。だがそのお陰で、セリスは迷い、剣を振り下ろす手を止めることができた。
そしてセシルの居合いに反応することができた。
もしも、迷わずに剣を振り下ろしていたならば、セリスが反応する間もなく、胴体が二つに別れていただろう。「成程ね・・・それで納得した。―――もう、思い残すこともない」
******
「くっ!」
倒れたセシルを見て、カインが駆け出そうとする。
その目の前に、バルバリシアが立ち塞がる。「そこをどけっ!」
槍を突き付ける―――が、バルバリシアは微笑むだけ。
「どかないわよ―――なにをそんなに焦っているの? 賭けはまだ終わりじゃないのに」
「うるさいッ」
「良いから落ち着きなさいな―――ここからが勝負でしょう?」
「なに・・・?」バルバリシアの言葉の意味がわからずに戸惑う。
そんなカインを無視して、バルバリシアは映像を見上げた。「そう・・・まだ終わってない。あの男が本当に彼女を裏切るかどうか―――ね」
「・・・・・・」カインも映像を見上げる。
こんな所でのんびり眺めている余裕などない―――が、駆け出したところで間に合うはずもない。
すでにローザの頭のカウンターは “1” になっている。いつゼロになってもおかしくない。「セシル・・・ローザ・・・!」
カインは幼馴染の名前を祈るような気持ちで呟く。
映像の向こうでは、セリスが倒れたままのセシルに問いかけるところだった。
『それで終わり?』
『え?』
『本当に終わりでいいの?』セリスの問いの意味が解らずに、セシルは困惑する。
『いや、あまり良くはないだろうけど、どうしようもないし』
『さっきみたいに命乞いとかしないのかしら?』
『したら思いっきり怒られた気がするんだけど。なんか、それだけはやっちゃいけないような言われ方したし』
『・・・でも、もしかしたら気が変わって、助けて上げる気になるかもしれないわよ?』
『じゃあ、助けてください』何故かセシルは敬語。
『誰を?』
『誰をって・・・僕とローザしかいないだろう?』
『どっちを?』
『両方』
『・・・・・・さっきと違わないかしら』さきほど、セシルは自分の命と引き替えにでも、ローザを救って欲しいと懇願した。
『両方助けてくれるなら、そっちの方が良いじゃないか』
さも当然そうに言う。
そんなセシルを見て、ロックが呆れたように呟く。「あいつ・・・結構、余裕ないか?」
「ただ単に完全に諦めてるだけだ―――いや・・・納得しているんだ、あいつは」カインが苦虫を噛んだような顔をして答える。
「納得?」
「負けたことを、だ」セシルはセリス=シェールという戦士を認めたのだろう。
だからこそ、自分が負けたことに納得して、観念した。『駄目よ。貴方かローザ、どちらか片方』
セリスが否定する。
それを聞いて、ロックが首を傾げた。「なんだ・・・? あいつ、まるでセシルとローザのどちらかなら助けても良いみたいな言い方して・・・」
「セリスは助ける気でいるかもね。―――もっともそれは、セシル=ハーヴィがローザを裏切らなければの話だけど」バルバリシアがロックの疑問に答えるように言う。
それをカインが横目で睨付けた。「まだ終わってない・・・とは、そういうことか」
「ええ」頷くバルバリシアに、その場の全員が息をのんで映像に注目する。
そんな映像の向こうで、セシルははっきりと答えた。『ローザだけを生かすくらいなら、僕を助けてくれ』
さきほどとは正反対の言葉を、セシルは答える。
「って、最低だあああああああああっ!?」
思わずロックが叫んだ。
「お、男じゃねえ・・・」
「見損なったぞ、セシル!」マッシュとヤンも呻き、テラは何も言わずに非難めいた視線で映像を見つめる。
「―――いや」
カインの呟きが、喚くロック達の動きを止める。
全員が振り返れば、カインが苦笑していた。「あれで正解なんだろう? バルバリシア」
「ふふ・・・そうね」彼女は微笑み、浮遊したままくるりと一回転すると、その姿が消えた。
「ど、どういうことだよ?」
混乱した様子でロックがカインに問う。
「フン、あいつが言いだしそうなことだ―――行くぞ」
カインはそういうと、駆け出してセシル達の元へと向かう。
わけが解らずに、ロック達もその後を追った―――
******
「それ、普通は逆じゃないかしら」
呆れたようにセリスが言う。
しかしセシルは苦笑して。「仕方ないだろう。ローザだけ生き残っても意味がない」
「最低ね」
「ああ、そうかもしれない」
「理由を聞いても良い?」呆れた様子のまま、セリスはさらに問う。
「ローザだけ助かっても意味が無いってどういう意味?」
「彼女は僕が死んだら自分も命を断つと言った」
「だから、ローザだけ生き残っても、自殺するから意味がないっていうの?」
「そうだよ」
「そんなこと、口だけとは思わないの?」
「思ってたらこんな事言わないよ」
「あなた、正気?」
「僕はね。ローザを正気とは思えないけど」
「正気じゃない人間を信じているあなたも正気じゃないわよ」
「そうかもね」認めてから。
ふと、今はどれくらい時間が経ったのだろうかと気になった。
最後に確認したのは、カウントが “2” の時だった。激痛のせいで、時間の感覚があやふやだが、もうゼロになっていてもおかしくない。(ごめん、ローザ。僕は君を助けることが出来なかった)
心の中だけで謝る。
おそらく、彼女は謝罪など求めていないと思うから。セシルは痛む身体を動かす。
相変わらず動いてはくれないが、それでもさっきよりはダメージはひいている。
なんとか、ローザの姿を見ようと、全身全霊を込めて頭を動かす。(・・・せめて、僕は君の死を認めてから死ぬよ。それが僕に出来るこの世で最後の―――)
「セシルッ!」
何故か、愛しい人の声がすぐ傍から聞こえた。
続いて、誰かがセシルの頭を抱きしめる。「セシル! セシル! ごめんなさい! ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・・・・!」
「ローザ・・・?」拘束されていたはずのローザが、セシルを抱きしめ、涙を零して泣きじゃくる。
どうして生きているのか。どうして泣いているのか。どうして謝っているのか―――それが解らないまま、セシルはそのまま意識を失った―――