第14章「土のクリスタル」
X.「苦笑」
main character:セシル=ハーヴィ
location:磁力の洞窟

 

「『シェル』」

 セシル達に火炎の魔弾が当たる寸前、テラの対抗魔法が割り込んだ。
 前衛に居たセシル、ヤン、マッシュを蛍光緑色の光が包み込む。炎は防護の光に激突し、爆発するが、その威力は半減する。

「ぢぃっ!」

 肌を焼く熱気を、セシルは歯を食いしばって耐える。
 テラの抗魔の術でも完全には防ぎきれない力。まともに直撃していたら、今頃は消し炭になっていたかも知れない。

「だあああああああっ!」
「うおおおおおおおっ!」

 熱気を押し返すようにして、ヤンとマッシュが始動する。
 攻撃されたために、逆に戦意が上がって威圧を跳ね退けることができたのだろう。
 二人は示し合わせたように、アストスの左右に大きく回り込むと、同時に突進した。

「喰らえッ」

 まずマッシュの拳の一撃がアストスの横顔を捉える。そして一拍と置かずに、ヤンの回し蹴りがアストスの腹へと食い込んだ。
 二人の渾身の一撃に、アストスの身体はきりもみ回転しながら後ろへとあっけなく吹っ飛ぶ。

「・・・へ?」

 あまりにあっけなく飛ぶアストスに、マッシュは思わずきょとんとした。
 手応えが無かったわけではない。
 逆に、かつて無いほど完璧な手応えを感じたのだ。どんな相手だろうと、確実に仕留めたというはっきりとした手応え。この一撃を受けて起きあがれたならば、正真正銘の化け物に違いない。

「まだ終わってないぞ!」
「え・・・?」

 ヤンの警告に、マッシュは今度は呆然としてアストスの吹っ飛んだ方向を見る。
 見れば、アストスがゆっくりと起きあがる所だった。それはまるで、朝当然の如く目覚めて起きあがるかのように。マッシュとヤンの渾身の一撃など、無かったかのように。

「嘘だろ・・・あれを受けて、そんな簡単に―――あ」

 愕然としかけて気がつく。

「回復魔法か!」
「いや、違う」

 マッシュの思いついた答えは、冷静なテラの声であっさりと一蹴される。

「ヤツは回復魔法など使ってはおらん」
「そんな馬鹿な! まともに入ったんだぞ! なんでそれで簡単に立てるんだよ!」
「・・・良い打撃だった。が、私には通じない」

 冷笑を浮かべるアストスに、マッシュは気圧され後ずさる。そんなマッシュに、ヤンの鋭い声が飛ぶ。

「気後れするな! 言っていただろう、エルフには金属武器でなければ通用しないと!」
「だけど! じゃあ、どうしろっていうんだ! 金属武器は使えないんだろう!?」
「―――いや、金属武器以外にも通じるものはある!」

 そう言ったのはテラだった。
 彼は口早に呪文を唱え、アストスに向かって手にしたロッドをつきだして魔法を放つ。

「喰らえッ! 『ファイガ』!」

 ロッドから吹き出した炎は、ヤンとマッシュの間を通って、一直線にアストスへと伸びる。
 だが。

「―――『シェル』」

 アストスが対抗魔法が、テラの放った魔法の炎を阻む。
 緑の殻に当たって、魔炎はあっさりと対消滅した。

「―――確かに、森と大地の加護があるエルフに、炎の力は弱点となる―――が、その程度の魔力では通じんな」
「くっ・・・馬鹿な、私が使える最高の火炎魔法を・・・!」
「次は私の番だ・・・受けて見せろよ?」

 アストスが呪文を唱える。
 それを見て、セシルはテラを振り返る。

「テラ! 対抗魔法を!」
「いかん! 間に合わん!」
「くっそおおおおおおおっ!」

 マッシュが詠唱中のアストスに向かって突進する。

「ぢぃっ!」

 一瞬遅れて、ヤンも駆けだした、が。

「遅い! ―――天の叫びに伏して倒れろ! 『サンダラ』!」
「「ぐああああああああっ!」」

 マッシュの拳が、ヤンの蹴りがアストスに届くよりも早く、アストスの右手から放たれた二条の雷撃が二人の身体を貫いた!

「ヤン! マッシュ!」
「『ケアルラ』!」

 雷撃に灼かれた二人が地面に倒れて跳ねる。そこでようやくテラの魔法が発動し、二人を癒やした。

「くっ・・・」

 回復魔法でも完全には癒やしきれなかったらしい、ダメージの残る動きで、なんとかヤンとマッシュは立ち上がる。

「テラは攻撃ではなく、魔法でサポートを頼む!」
「それが正解のようだな。私の魔法では、ヤツには通じん!」

 セシルはテラに指示を出すと、後ろに控えているスカルミリョーネを振り返った。

「スカルミリョーネ、と言ったね。あなたにも手伝ってもらう! 攻撃魔法は使えるんだろう?」
「フシュルル・・・無論。だが、生憎とエルフに通じる火炎魔法は不得手でな。雷撃系ならば、それなりに使えるのだが」
「無いよりマシだ。援護を頼む!」

 そう言い捨てて、セシルはアストスを睨付ける。
 武器のないセシルには戦う術がない。一応、格闘術は軍学校で習ったが、ヤンやマッシュの攻撃すら通じなかったのだ。やってみようと考えること自体が無駄だ。

(今の僕に出来ることは・・・現状を冷静に把握すること―――)

 ヤンとマッシュがアストスへと飛びかかる。
 だが、アストスは避けようともせずに二人の攻撃をその身に受けた。軽々と吹っ飛ぶアストスの身体―――しかし、今ヤン達が攻撃したことが、夢か幻であったかのように、ダークエルフの王はノーダメージで起きあがる。

“地の底より沸き出でるもの、天の果てから降り注ぎしもの―――”
「フシュルルルル・・・・・・させんよ・・・・・・『サンダガ』」

 アストスが魔法を発動させようとする寸前、スカルミリョーネの雷撃がアストスを直撃する。
 先程のテラが放った魔法よりも、さらに高威力の一撃だ。
 ―――しかし、それでもアストスには通じない。ヤンとマッシュの打撃とは違い、今度は強烈な雷撃にビクともせずに動じず、唱えていた魔法を放つ!

「――― 『ファイガ』!」
「『シェル』!」

 アストスが放った魔法の爆炎と、テラの対抗魔法はほぼ同時。
 炎の赤と防護の緑が混ざり合い、二人を包む。
 直撃ではなかったものの、テラの魔法は完全には間に合わなかった。最早、声を上げることもなく倒れ伏すヤンとマッシュ。防護魔法のお陰か、皮膚が焼けただれ、黒く焦げるなどと言うことはなかったが、ぷすぷすと全身から薄い白煙を立ち上らせている。

「『ケアルラ』」

 セシルが未だ不慣れな回復魔法を二人にかける。
 ただでさえ覚え立ての魔法を、離れた場所に居る複数の目標にかけて、どれだけの効果があるのかセシル自身疑問だったが、気休め程度にはなるはずだ。

「―――つまらんな」

 抑揚のない台詞で、感想を告げたのはアストスだった。
 彼は倒れたままぴくりとも動かないヤンを見下ろし、その頭を軽く足で踏みつける。

「・・・こんなものか。やはり、クリスタルに選ばれた戦士でなければ、人間など相手にならんか・・・・・・む?」
「やめてっ!」

 ヤンを踏みつける、アストスの足にすがりつく存在があった。
 ファスだ。
 アストスは、膝をついて自分の足にしがみつくファスを怪訝そうに見下ろし、静かに問う。

「何をしている・・・?」
「足を、どけて・・・」
「ほう・・・面白い。私に命令するのか、人間の娘」
「どかして!」

 声は震えていた。
 その瞳は恐怖のためか、涙が覆って揺らめいていた。
 しかし、その声は力強く、その瞳は反らされることなく。

「どけ、娘。殺すぞ」

 静かな、声。
 だが、そこに込められた殺意は呪詛のそれよりも濃密で、気の弱い者ならばそれを耳にするだけで心臓の動きを自ら止めてしまうだろう。
 しかし、ファス=エルラメントは引かない。

「死なない・・・っ」
「なに・・・?」
「殺されない! この人達も、わたしも、今ここで死ぬ運命じゃない! あなたなんかに―――負けないッ!」
「・・・ぬ・・・?」

 アストスの身体がぐらりと揺らぐ。
 ファスが、アストスの足を持ち上げて、ヤンの頭からどかしたのだ。

「なに・・・?」

 アストスは愕然とする。
 エルフは森や大地と同等の生命力を持つ反面、その身は細く華奢であり、お世辞にも力があるとは言えない。それを補ってあまりある莫大な魔力があるのだが。
 しかし、だからといって人間の少女の力に負ける程でもない。だということは、つまり―――

(私が自分から足を退いた・・・? まさか、この娘に気圧されたというのか、私が!?)

 アストスを退かせ、ファスは立ち上がる。
 そして庇うようにヤンとの間に立ち、アストスを睨付ける。

(力無き少女が私を退かせるか・・・)

 アストスは目の前の少女が無力だと言うことに気がついていた。
 女戦士のように俊敏さを生かした戦闘能力を持つわけでもない。当然、全てを砕くような力を持つわけでもない。そして、魔道士のような魔力を持つわけでもない。
 ただの人間の娘。

「・・・娘。面白いことを言ったな・・・?」

 にぃ、と、端正な表情に邪悪な笑みを浮かべ、問う。

「そこに倒れ伏すザコ共が、死ぬ運命ではないと・・・? 運命を見る力があるというのか・・・?」
「・・・・・・」

 こくん、とファスは小さく頷く。

「そうか・・・ならば私はどう見る?」
「え・・・?」
「私の運命はどうなっているかと聞いている・・・お前達に殺される運命でも見えるのか?」
「・・・・・・」

 ファスは答えるべきかどうかを逡巡する。
 ヤンとマッシュの運命は確かに見えた。少なくとも、ここで死ぬ運命には無い。
 だが、アストスの運命は―――

「どうした? 何故、答えない? それとも運命が見えるというのははったりか?」
「あ・・・あなたの、運命は・・・・・・・・・」
「――― “見えない” だろう? ファス」

 ファスの代わりに答えたのは、セシルだった。

「ダークエルフの王の力は、君の能力の範疇を越えている―――僕の中にある闇のカケラと同じように、ね」

 その言葉に、アストスはセシルを振り返り、 “見る” 。

「ほう・・・? 気がつかなかったが貴様、人間の分際で、始祖たる闇を身に宿すか」
「らしいね。僕自身、ピンとこないんだけど」
「それはそうだろう。始祖の闇とは言え、カケラ程度には過分なほどの封印が込められている。少しばかりダークフォースが使えるようだが、それ以外は普通の人間と変わらん」
「封印?」

 初耳だった。

(でもまあ、考えてみれば、この歳になるまでそんなものが身の内にあるなんて気づかなかったし)

「その力で私と戦うか? 確かにそれならば、少しは楽しめそうだ」
「いや、残念だけど、僕はもうこの力は使えない。とある旅人に無力化されてしまったし」

 この闇は孤独の闇。
 孤独ではないセシルが使っても無意味な力だと、バッツ=クラウザーに教えられてしまった。
 だがら、今セシルの中にあるこの力は、ただ在るだけの無駄なものでしかない。

「ならばどうする? 逃げるか?」
「逃がしてくれるのなら」
「駄目だな。期待外れならば期待外れなりに、暇潰しくらいにはなってもらわんとな―――それに」

 アストスはじっとセシルの瞳を見つめる。
 まるで、その瞳の向こうに、別の誰かをみるように。

「やはりな。貴様は似すぎている」
「・・・?」
「私がもっとも憎むべき人間。真なる王に居たる道に立ち塞がった、クリスタルの戦士」
「いや、それは他人の空似というか、僕にしてみれば言いがかりで―――」
「黙れ。・・・そして、死ね」

 すっ―――と、滑るように滑らかな動作で、アストスは細い腕をセシルに向かって突き出すと、詠唱開始。

「『凍れる海の氷の女王―――』」
「『裂ける天、割れる大地―――』」

 アストスの呪文と重なるようにして、もう一つの詠唱が開始する。
 それはセシルのものではなく、セシルの後ろに控えていたテラのものだった。

(なんだ・・・? 攻撃魔法ではない。これは―――時空系の魔法・・・?)

「『―――その息吹は輝く真白、その腕は眩しき白銀』」
「『―――境界揺らぎて貫くは、次元引き裂く魔神の斧』」

(時空魔法で私をこの場から吹き飛ばすつもりか!)

 魔法の完成の速さは微妙だった。
 アストスの魔法の方が若干速いが、その対象はセシルを狙ったもの。セシルを魔法で倒しても、その直後にテラの魔法が飛んでくる。
 強引に対象を変更したり、複数にかけることも出来るが、その場合発動までの時間をロスしてしまう。

「チッ」

 余裕を持っていたアストスが、初めてその表情を歪ませて舌打ちする。
 詠唱を途中で打ち切り、テラの魔法に対して備える。同時、テラの魔法が完成する。

「狭間に落ちろッ! 『デジョン』!」

 テラの魔法が完成し、アストスを魔力が包み込む。

「・・・・・・ッ」

 それは次元の壁を貫き、アストスの存在をこの空間、次元から剥離させようとする魔力だ。
 もしもその力に従ってしまえば、アストスは次元の狭間にはじき飛ばされてしまうだろう。次元の狭間に落ちてしまえば、二度とこの場に戻ってくることは敵わない。

「ぬううううううっ!」

 ロッドをアストスに向け、テラは渾身の魔力を注ぎ込む。
 対し、アストスはその魔力に抗し、この空間にしがみつく。
 激しい魔力の拮抗に、アストスの周囲の空間が歪み、足下に落ちていた小石が浮き上がり―――魔力に従い、次元の狭間へと消えていく。

「や、やああああっ・・・」

 それを見たファスが、悲鳴を上げて後ろに下がる。
 後ろにヤンの身体があることに気がつかずに踏みつけてしまい、そのまま倒れてしまうが、慌てて立ち上がるとヤンの身体を引き摺って後ろに下がる。と、ヤンの身体を別の手が掴む。

「せ、せしる・・・」

 振り返ると、セシルがヤンの身体を抱え上げるところだった。
 彼はにこりと微笑むと、ファスに、

「頑張ったね。ファス、ここはいいから下がって」
「・・・うん」

 素直に頷いて、ファスはテラの傍まで駆け戻る。

「うをーっ! なんだコイツ。一体、何キロあるんだよ!?」

 ロックも倒れたマッシュを引き摺って後ろに下がるところだった。
 それを見て、セシルも退く。

「ぬううううううううううっ」
「チィィィ・・・」

 テラとアストスの魔力は拮抗していた。
 振り絞ったテラの魔力は、いかなダークエルフの王と言えども簡単には防げないようだった―――が。

 その均衡は、あっけなく破られる。

「ぬ・・・ぐっ・・・」

 がくっ、とテラの身体が崩れ落ちる。
 ロッドを地面につくが、それでも身体を支えられない。膝をついて、苦しそうに荒い息をつく。
 当然、アストスを覆っていたテラの魔力も霧散する。

「・・・ふ。今のは中々良かったぞ。貴様、人間にしては―――」
「『デジョン』!」
「なぁっ!?」

 アストスが気を抜いた所に、同じ魔法が飛んだ。
 抗する間もなく、アストスの身体はその場から消え去る。

「フシュルルルルルル・・・・・・上手くいったようだな・・・」

 不気味な笑い声を立てたのは、当然スカルミリョーネだ。
 スカルミリョーネはセシルの方を見やり。

「セシル=ハーヴィ・・・噂に違わぬ策士ぶり・・・・・・」
「単なるペテンだよ。だいたい、僕は何もしちゃいない」

 セシルは周囲の仲間達を見回して。

「ヤンとマッシュが僕に考える時間をくれた。ファスの勇気が、テラ達に作戦を相談する時間をくれた。テラが力を振り絞ってくれて、スカルミリョーネがトドメを差した―――僕は、ただ考えただけだよ」
「それ以上に何を望むんだよ。俺なんかマジでなんもやってないぜ」

 ロックがぺしん、とセシルの頭を叩く。
 セシルは叩かれた自分の頭を撫でながら。

「ロックは、もしかしたらこれから出番があるかも知れないよ?」
「いや、それはそれで困るんだけどな」

 ロックが微妙な顔つきで腕を組む。
 ようやく息を落ち着かせたテラが、苦笑して。

「案ずるな。いかなダークエルフの王とは言え、次元の狭間に落とされれば元に戻ってくる術は持たんよ」

 そう言って、テラは吐息。

「それよりも。ヤンとマッシュに回復魔法を。私はもうMPを使い尽くした」
「あー・・・でも僕の魔法は正直微妙だしなあ。さっきのも通じたのかどうなのか・・・・・スカルミリョーネ、回復魔法は?」
「フシュウ・・・使えん」
「あー、うん。なんかそんな気がしてた」

 苦笑しながらセシルが魔法を使おうとヤンに手を伸ばす。その時、ヤンの目が覚めた。

「む・・・」
「ヤン!」
「く・・・アストスは―――ぐおっ!?」

 起き上がりかけたヤンは、悲鳴を上げる。
 やはりアストスの魔法のダメージは残っているらしく、まともに動けそうには無いようだった。

「無理して起きなくていい! アストスは、もうこの場には居ない。あとはゆっくり―――」
「―――ゆっくり、してもらっては困るな」

 その声は、地獄の底から聞こえてくる死神の声にも聞こえた。

「まさか・・・」
「馬鹿な! ありえん! 次元の狭間に落とされて、すぐに戻ってくるなど・・・!」

 そうテラが呟いた瞬間、ついさっきまでアストスが立っていた場所の空間が捻れ、揺らぐ。
 その揺らぎから染み出るように、黒い肌のエルフが舞い戻る。

「人間如きの尺度で測られては困るな。もっとも―――」
「ロック!」
「わかってる!」

 なにか言いかけたアストスに、ロックが何かを投げつける。
 この場所に戻れたことで気を抜いていたのか、アストスはそれをまともに浴びた。

「なんだこれは・・・水・・・? いや臭い!?」
「エルフ様には馴染みがないか? 油だよ!」

 ロックが投げつけたのは、油の詰まった水筒だった。
 頭から油を滴らせ、アストスは愕然とする。

「油だと!? まさか―――」
「フシュルルル・・・・・・いくら不得手と言えど、火をつけることくらいは出来る」

 スカルミリョーネはローブの裾を持ち上げ、節くれ立った枯れた指先を一本立てると、短く詠唱してその指先に火を灯す。

「ほれ」

 爪の先の火を弾くと、その火は一瞬でアストスの服の裾に引火した。
 それで十分だった。
 火は油を喰らい、即座に炎へ業火へと燃えさかる。

「ぎ、ぎゃああああああああああああああっ!」

 炎に包まれ、アストスはその場にのたうち回った。
 魔法の炎ならば、自身の魔力によって打ち消すことも出来たかもしれない。
 しかし、今アストスを包んでいるのは、魔法によって引火したとはいえ、ただの炎だ。水か氷の魔法でも使わなければ消化は出来ない。

「ぐあっ、ぐぅああああああああああああああああああああああああっ!」

 アストスはなんとか魔法を唱えようとするが、激しい炎に詠唱は悲鳴にしかならない。
 如何にエルフとは言えど、魔法を放つためには詠唱を必要とする。

「・・・エルフは森の妖精じゃ。森と同じように強大な生命力を持つが、木は金属の斧に切り倒され、燃やされればそれで死んでしまうように、金属剣や炎で傷つけられれば脆いもの。エルフである限り、後は燃え尽きるしかない・・・」

 炎に包まれ、悶え苦しむアストスを眺めながら、テラは淡々と告げる。
 その場の誰もが、炎に焼かれ行くダークエルフの王を痛々しげに見つめていた。
 強大な敵ではあったが、こうして苦しむ姿を見るのはあまり気持ちの良いものではない。

 嘆息してテラが呟く。

「金属の武器があれば、せめて苦しまぬようにとどめを差してやることも出来るのだがな」
「・・・憐れむか、私を・・・人間風情がッ」
「なにっ!?」

 その場にのたうち回っていたアストスの動きが止まる。
 次の瞬間、闇の光がアストスの身体から放たれる!

「なっ・・・!? これは―――」
「ダークフォース!?」

 ダークフォースが、アストスの身体を包む炎を吹き飛ばす!

「ぐぅっ・・・・・・」

 アストスはよろめきながらも立ち上がる。
 確かにアストスの身体から炎は消えたが、焼かれたダメージは消えはしない。
 ヤンとマッシュの打撃、テラとスカルミリョーネの魔法にも平然としていたアストスの肌は醜く焼けただれ、髪の毛はちりぢりとなって、美しかったエルフがまるで幽鬼のように頼りなく佇んでいる。

「ダ、ダークフォースがなんだっていうんだよ! あの姿を見ろよ、もうボロボロじゃねえか! あんなの―――」
「ロック!」

 何故か泡食ったように騒ぐロックの台詞を、セシルが止める。
 セシルはにこりと微笑んでロックを振り返ると、傍にいたファスの背をロックの方へと押す。

「最後の出番だ。ファスを、頼む」
「な・・・なに言ってんだ? 最後とか頼むとか―――敵はもう死にかけじゃないかよ! そうだろ!?」
「流石だよ、ロック=コール。流石はトレジャーハンターだ。・・・何度も危ない橋を渡った君だからこそ、直感的に気がついたんだ。あれが―――」

 セシルは、アストスへと再び向き直る。

「―――あれが、とてつもなくヤバイモノを隠し持っているって」
「・・・・・・う」

 セシルに言われ、ロックはごくりと唾を飲み込んだ。

 例えるならばそれは罠だった。
 一見すると、なんでもないように見えるが、一歩踏み出せば致命的な仕掛けが発動する。
 罠は罠でも最強最悪な罠だ。例えば発動させてしまえば、ダンジョンそのものが大爆発してしまうとか、崩れ落ちてしまうとか。一度発動させてしまえば、後は逃げ出すしかない。

 今のアストスは、そういった罠そのものにロックには見えた。
 そして、 “一歩” はすでに踏み出してしまっている。あとはもう逃げるしかない。
 セシルもそれに気がついたのだろう。だから、ロックにファスを頼むと言った。魔力の尽きたテラや、傷ついたヤンやマッシュはまともに動けない。スカルミリョーネは本来は敵だ。だから、ロックにファスを連れて逃げろと―――

「・・・逃がすと、思うか?」

 まるでこちらの思考を読んだかのように、アストスが焼けただれた顔でこちらを睨付ける。
 その不気味な外見も合わさって、凄まじいほどの威圧感を感じる。ロックは、自分の足が震えるのを抑えることが出来なかった。

「逃がしてみせるさ」

 セシルが答える。
 いつもと変わらない口調で。
 震えることなく、怯えることなく。その姿を見て、ロックは気がついた。

 真に恐怖するべきは、凄まじい “恐怖” を放つアストスなどではないということに。
 その恐怖すら平然と受け流せる、セシル=ハーヴィにこそ恐怖するべきなのだと。

「な・・・なんなんだよっ! お前! どうしてだ! どうしてこんな状況でそう平然としていられるんだよ!?」

 思えば試練の山でもそうだった。
 最強のソルジャー。セフィロスを相手に、セシルは全く恐れることはなかった。
 ロックは今と同じように、震えて身動き一つ出来なかったというのに。

「その答えは簡単だよ。ロック」

 恐怖と、それからセシルに対する言いがかりみたいな怒りで激昂しているロックに対して、あくまでもセシルは穏やかだった。

「殺される人間は、殺される時に恐怖する。殺す人間は、人を殺す時に恐怖する―――僕は人殺しだったというだけだよ」

 ぎゃひひひひひひ、という底冷えする醜悪な笑い声が響いた。
 スカルミリョーネのそれよりも、不気味で耐え難い笑い声。
 その声の主は、セシルを侮蔑しながら言う。

「なんだそれは! 私は数え切れないほどの人間や同族を殺したが、恐怖などしたことはなかったぞ!」
「ならお前は殺される側の存在だと言うことさ」

 アストスの笑い声は一瞬で止まる。
 そんなダークエルフを見やるのは、冷笑。
 周囲の温度が一段さがるような、セシルの氷の笑みに、アストスは押し黙る。

「お前は一度倒されたんだろう? 僕に良く似たというクリスタルの戦士に。その時に、恐怖は感じなかったのか?」
「き・・・きぃさぁまぁぁぁぁぁあああああああああああああッ!」

 アストスが吠えた。
 とたん、その身体がぐにゃりと崩れ、捻れ、膨張し、変異していく。
 粘土細工のように体中の部位がぐちゃぐちゃに混ざり合い、解け合う。

「これが・・・最後のトラップかよ!」

 ロックが叫ぶ。
 先に述べたダンジョンそのものを破壊し尽くすような罠のことを、トレジャーハンター達は “最後のトラップ” と読んでいた。そのまんまの通り、発動してしまえば最後、ダンジョンには二度と潜ることは出来なくなるからだ。

 アストスの最後のトラップ―――変異は、やがて一つの形を作っていく。
 その姿は長く、太く、強大に。ダークエルフの肌の色をさらに磨き込んだような、光り輝く黒い体色。

「おい・・・冗談だろ・・・?」

 長い長い、身体。
 それを見て、ロックは呆然と呟く。
 それは長くトレジャーハンター稼業をしているロックも、未だに見たことがない―――しかし幼い子供でもその姿形は知っている、高位の幻獣。

「ドラゴン・・・」

 ロックの呟いたとおり、それはドラゴンだった。
 蛇のような長い蛇身。しかして、蛇では絶対に持ち得ない雄々しさ。それこそ矮小なる人間を吹き飛ばすには、尻尾の先でも振ってやれば容易いだろう。

「と・・・飛んでもねえトラップじゃねえか・・・」
「呆然としてるヒマはないよ。ロック、早く逃げるんだ!」

 セシルの声に我に返る。
 言われたとおりに、ロックはファスの身体を抱え上げると、セシルを振り返る。

「セシル、お前は!?」
「言っただろう。逃がしてみせるって―――ここは食い止めるから早く行くんだ!」
「馬鹿言うな! 食い止めるって、相手はドラゴンだぞ!? 剣もないのにどうするつもりだ!」

 実のところ、ロックは期待していた。
 セシルならなにか秘策があるのではないのかと。
 ドラゴン相手でも、なにか起死回生一発逆転の裏技とかあるんじゃないかと。

「どうにかする!」

 期待はあっさりと裏切られた。

「どうにかするって・・・」
「ぐだぐだ言ってる場合じゃない! さっさと行けッ!」

 セシルの言葉にはもう、余裕はない。
 焦っているのがはっきりと解る。この事態は、セシルにとって完全に予想外だったのだろう。

 そんなことを考えていると、セシルがロックを振り返った。
 厳しい表情で、射抜くようにロックを睨付ける。

「何してるんだ馬鹿野郎! さっさと行けって言うのが解らないのか!」

 平然としているわけではなかった。
 恐怖は感じていなかったかも知れない。
 けれど、セシルは余裕があるわけでは決してなかった。平静であることを心掛け、冷静で在り続けようと必死で努めた。
 その結果、一度はアストスを次元の狭間に落とし、それでも気を抜かなかったセシルの作戦のお陰で、アストスを瀕死の状態まで追いつめた。

 思い返せば試練の山でもそうだったのかもしれない。
 平然として見えるのは、セシルの必死の裏返しだった。

「―――ばかやろうは・・・」
「!?」
「馬鹿野郎はてめえだろうがッ!」

 ロックは背負ったファスを地面に降ろす。

「テメエをッ、それから他のみんなを置いて、俺たちだけで逃げられるか!」

 ロックの言葉に、セシルは唖然とする。

「な・・・・・・馬鹿ッ。そんなこと言ってる場合か! ファスを連れて逃げられるのは、お前だけなんだぞ!」
「どうせ逃げられねえよッ!」

 ロックはアストスが変じた闇のドラゴン―――ダークドラゴンを睨付けて叫ぶ。
 それはヤケクソにも聞こえたが、しかし諦めの叫びではなかった。

「さっき言ったろ! セシル、お前はなにもしてないって!」

 アストスを次元の狭間に落とした時の話だ。

「今解ったぜ! その通りだ! お前が居なきゃどうにもならねえが、お前一人でもどうにもならねえ! だったら、俺が居ることでどうにかなるかもしれないだろが!」
「どうにかって・・・どうなるっていうんだ!?」
「どうにかしろッ!」
「おいっ!?」

 先程自分で言った台詞だが、言われて頭を抱えたくなる。
 そんなセシルを、小さい手が引っ張った。
 見下ろしてみれば、ファスがこちらを見上げている。

「せしるの、負け」
「負けって」
「諦めないで。それから、いつもみたいに笑って」
「いつも見たいにって、そんな笑ってるかな」
「笑っておるよ」

 膝をついたままのテラが言う。
 ダークドラゴンという恐るべき敵を前にしながら、恐怖に気圧された様子はない。
 普段と変わらない調子で淡々と告げる。

「いつも困ったように笑っておる」
「そうだな、セシルはいつも困ってばかりだ」

 そう言って愉快そうに笑うのは、倒れたまま身動きできないヤンだった。

「でも実は困った振りで、本当には困ってはないのだろう? なにせ、そう言う風に笑った後、何があっても結局はどうにかなってしまうのだから」
「・・・そうかなあ?」

 それは気のせいではないのだろうかとセシルは首を傾げ、それから吐息する。

「・・・まったく」

 困ったように呟く。
 その表情を見たファスの顔が、笑顔にほころんだ。

「どうして僕の仲間達っていうのは、いつも困ったことばかり言うのかなあ」

 そう言って、セシルはいつもの苦笑を浮かべると、アストス―――ダークドラゴンに向き直る。

「どうにかしろって言われても、責任持てないぞ! 僕は!」
「好きにしろよ! てめえとなら死んでみるのも一興だ!」

 ―――後から振り返って、ロック=コールは不思議に思い返す。
 どう考えても死ぬ状況にありながら、死ぬと言葉に吐きながら、それでもその時死ぬ気など全くなかったと断言できるのだから。

『別れの挨拶は済んだか・・・?』

 ダークドラゴンが喋る。
 ドラゴンに変身しても物を言うアストスに、セシルは少し驚く。

(前に遭遇した “龍” は喋らなかったしな)

 眼前一杯に広がる闇の龍。
 蛇身をくねらせて、セシルの目の前にそびえ立つ。
 目線は軽く見積もって、セシルの三倍強。そんな高さから睥睨している。身体の長さは考えるだけで気分悪くなりそうだから、止めておいた。

(ミストさんが召喚した霧のドラゴンよりも大きいけれど、流石にリヴァイアサンほどじゃあない、か)

 そんなことを思いつつ、とりあえず身構える。
 打開策など全くなかった。
 とりあえず、皆仲良く死ぬしかないなあ、とか半分諦めつつ思う。諦めるなと言われても、どうしようもないものはどうしようもない。

(せめてロックが逃げてくれれば、もうちょっとやる気が出たのかも知れないけどな。ここは絶対に通さないぞー! とかそんなノリで)

 などと馬鹿考えつつ、ダークドラゴンをにらみ返して頷く。

「お陰様で。ところで一つ頼みがあるんだけど」
『なんだ? 命乞いか?』

 セシルはアストスに目を向けながら、ロックを指さして。

「殺すのはあの馬鹿からにしてくれないか?」
「って、おいそりゃどういう意味だ、てめえええっ!?」
「なんだよロック。君がいればどうにかできるんだろう、僕は? だったら僕に名案浮かばせる時間を稼いでくれよ」
「馬鹿! あれはものの例えだ。できれば俺は死なない方向でお願いしまス!」

 ロックはビシッと敬礼。
 セシルは無視してダークドラゴンを見上げ、

「そういうわけでお願い致します、ダークドラゴン様」
「仲間を売る気かセシルゥー!」
『ギャヒャハハハハ! セシルとか言ったな・・・私が貴様の言うことなど聞くと思うか!? ならば望みに反して、一番最初に殺してやる!」
「うわ天の邪鬼ー」

 セシルは苦笑。
 それをみてロックは気がつく。

「お、おまっ、セシルッ! お前、わざと―――」
「ただ、期待するなよアストス! こっちはただで死ぬ気は毛頭ないんだからな!」
『ほざけ! 貴様如きに何が出来る!』

 ぶうんっ!
 凄まじいうなり声を上げて、ダークドラゴンの尻尾が跳ね、セシルに向かって振り下ろされる。

「セシル!」

 ロックが叫ぶ。
 だが、セシルは傍にいたファスを、ロックの方に強く突き飛ばすと、迫り来る尻尾を真っ直ぐに見据えて。

「―――期待するなって、言ったぞ!」

 そして、その言葉を呟いた―――

 


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