第14章「土のクリスタル」
S.「森の一夜」
main character:セシル=ハーヴィ
location:トロイア大森林・磁力の洞窟前
磁力の洞窟のある島に着いたのは、もう陽が沈んで辺りが夜の帳に包まれた頃だった。
灯りと呼べるのは天井の星々と、二つの月だけ。
天から注ぐささやかな灯火をアテにして、セシル達はキャンプするために、枯れ木を組んで火をおこす。「解っているとは思いますが、生木は絶対に使わないように。枯れ木だけを集めてください」
飛空艇に乗ってきた面々で、一番野外活動に詳しいのは、ずっと旅をしていたギルバートだった。が、彼は足を骨折しているので、車椅子の上で指示を出すだけだ。ギルバートの指示に従い、迅速にキャンプの準備は行われていく。
キャンプが一段落した頃、セシルは額の汗を拭い、一息つく。
トロイアは温暖な地方だ。動いていれば汗も出る。しかも周囲は木々に囲まれた深い森だ。昼間ならばともかく、薄暗いと妙な閉塞感を感じて、余計に暑さを感じてしまう。
今にものしかかってきそうな、たき火に照らされてそびえ立つ木々を見回しながら、セシルは苦笑。「トロイアの大森林の話は聞いて知っていたけど、ここまで森ばっかりとはね」
そう呟きつつ見るのは、森の中に不時着しているエンタープライズだ。最新鋭の飛空艇は、幾つかの細い木々をしならせて、無理矢理にその間に巨体を納めている。
実は、磁力の洞窟のある島に着いたのは、陽が落ちる前だった。
だが、飛空艇が着地するための場所を探しているうちに、時間が経ってしまったのだ。陽が落ちてしまい、暗い中では着陸場所を見つけるのもおろか、うっそうと茂った森の形を認識することも難しい。ファスがチョコに乗って、場所を探してくれなければ、空の上で一夜を過ごすことになっただろう。(ファスとチョコには感謝しないとな)
「・・・せ、せしる」
名前を呼ばれて振り返ると当のファスとチョコが居た。ファスはチョコを後ろに従えて、なにやら口をもごもごさせている。視線もうろうろと、セシルを見たりチョコを振り返ったりと、落ち着かない。
「ああ、ファス。お帰り、どうだった?」
ファスにはヤンやテラと一緒に、飛空艇が着陸した場所から、磁力の洞窟への道のりを探索してもらっていた。そのヤンとテラはと見ると、少し離れた場所で、妙に優しい表情でこちらを見守っている。セシルにとってファスは苦手と知っていながら、一対一にさせて楽しんでいるんだろうと、少し黒い気分で推測する。
(・・・今度、覚えていろよ・・・)
「あのね・・・せ、せしる。あっちのほうに、少し行ったところに洞窟があった」
セシルに対して、以前のようにどもったり怯えたりするようなことは無くなった。
が、何故か名前を呼ぶ時にだけ、まだ慣れていないのかどもる。それでも、セシルの言ったことを素直に守っているのか、積極的にセシルの名前を口にするようにしてくれている。彼女の落ち着かない様子も、無理して名前を呼んでいるせいだとセシルは気がついた。(ま、そのうちに慣れるかな・・・多分)
「せ、せしる・・・」
また名前を呼ばれて、セシルはにこりと笑ってファスに顔を向ける。
「ん? なに?」
「わたしが居ないあいだ、悪いことしなかった?」
「・・・・・・」笑顔が固まった。
硬直した表情のまま、セシルは心の中で嘆いてみる。(・・・いつになったら、僕は悪人じゃなくなるんだろーな)
ちょっと心の中で涙を流しつつ、セシルは笑顔のまま首を横に振る。
「いいや、なにもしてないよ」
「・・・よかったぁ」(ホント、疑り深いのか素直なのか解らないな)
心底安堵したように言うファスに、セシルは苦笑した―――
******
森の中での野営。
夕食を済まし、後は寝るだけだった。周囲の見張りは、アマゾネス達が交代で行ってくれている。
セシル達は魔物を気にして警戒することなく、ゆっくりと休めばいい。セシルは大きな木々の根元に腰掛けて、周囲の様子をぼんやりと眺めていた。
傍らでは、同じく木の根本に身体を預けたチョコの柔らかそうな羽毛に身を埋めて、ファスが静かに寝息を立てている。眠りながら、ファスの手はしっかりとセシルの服を掴んでいた。今朝のように、眠っているうちに勝手にどこかへ行かないように捕まえておくらしい。眠っていないのはセシルだけではなかった。
リックモッドとギルガメッシュは、テラやシドを交えて酒を酌み交わせているし、マッシュとヤンは見張りではないアマゾネス達と軽く手合わせしている。ロックとロイドは、それを眺め、隙あらばナンパしようとしているようだった。まだ懲りていないらしい。ギルバートは車椅子に座って、なにやら1人で竪琴をつま弾いている。テラとはまだ口も聞いては居ないようだった。その心情を表しているのか、少し寂しそうなせつないメロディが響いてくる。
ついてきた神官は、アマゾネス達が設置したテントの中で早々に休んでいる。
飛空艇の中にも部屋があるとセシルは告げたが、やはり慣れない飛空艇の中よりも、まだ森の中で休んだ方が気が楽なのか、神官はテントの中へと引っ込んだ。まだ宵の口だ。
ファスのようなお子様は、もう眠る時間だが、他の大人達はまだ眠る気配を見せない。
明日は洞窟に潜むダークエルフと戦わなければならないというのに、とセシルは内心で呆れる。(・・・ヘンに気負いするよりは良いけどね)
そう思い、自分はそろそろ寝ようと背中の木に体重を預けて眠ろうとして。
「あれ・・・?」
ふと、気がついた。
誰かが居ないことに。「エニシェル・・・?」
全然気がつかなかったが、そう言えばトロイアを出立するした時からエニシェルの姿を見ていないことに気がつく。
気がつけば勝手に傍にいる。だから、逆に居ないことに気がつかなかったのかも知れない。ファブールからずっと、居るのが当たり前だったから。(気にする事じゃないとは思う・・・けど)
「エニシェルー」
小声で辺りに呼びかけてみる。
周囲の人間には聞こえないように注意して。勿論、そんな呼びかけでは出てくるものも出てこない―――が、あの暗黒剣なら、少女の姿で木々の合間からひょっこりと姿を現すような気もしていた。だが、やはりというべきか、エニシェルは姿を現さない。
「・・・・・・」
しばらく考えて、セシルは腕を水平に伸ばして呟く。
「―――在れ」
魔法的な集中とか、魔力とかそういうものは必要ない。
ただ、己の剣の事を頭に浮かべ、呟くだけでそれが現出する。
小さな爆音と、暗い闇の閃光と共に、一振りの剣が現れる。
剣の出現に気がついた、何人かのアマゾネスがこちらを振り返るが、その漆黒の剣を目にした途端、目を反らす。それは本能的な反応だった。恐怖を目にし、それから目を背けようとする人間の本能。最強の暗黒剣デスブリンガー―――
焚かれた炎の光に照らされ、赤く、そして黒くそのシルエットを浮かび上がらせる剣を手にし、セシルは呼びかける。「―――こんばんわ、エニシェル」
剣に夜の挨拶をするのも間抜けだなあと思いつつも、口を出た言葉はそんなものだった。
別に、エニシェルになにか問いただしたいわけでもない。ただ、視界にエニシェルが居ないことが、妙に気になっただけだった。―――我になんか様か?
脳に剣の声が響く。
普段も古めかしい口調だが、今はそれに輪を掛けて堅苦しい口調だ。「・・・なんだ? 悪いものでも食べたのか?」
普段と様子の違う暗黒剣に、セシルは疑問。
―――我は暗黒剣ぞ。なにも食する必要もなく、また食したところでどうなるわけでもない。
「・・・・・・なんか様子が変だな。妾、じゃなくて我とか言ってるし」
―――我は正常だ。変に感じるならば、今までの我が変だったということ。我は暗黒剣―――原初の闇の欠片を宿した、 “無為なる絶望” デスブリンガー・・・手にしたものに、抗うことの出来ぬ絶望を与える存在・・・・・・
様子が変だった。
いや、エニシェル―――デスブリンガーの言うとおり、今までのエニシェルが暗黒剣らしくないと言えばその通りなのだが。
だが、それにしたって妙だとセシルは感じる。
暗黒剣の本分を思い出したにしては性急すぎる。セシルがエニシェルと別れたのは今朝、トロイアの城に向かう時だ。面倒だと言って飛空艇に残ると言ったエニシェルを見たのが最後だった。城から飛空艇に戻った時は、すでにエニシェルの姿は見えなかった気がする。(飛空艇でなにかあった―――あの時、飛空艇に残っていたのはエニシェルの他に、テラとシドと・・・それからファス、か)
「飛空艇でなにかあったのか?」
セシルが問うと、エニシェルは無言を返す。
答える気はないらしい。そのことを察して、セシルは嘆息。(なんかなー。剣としての本分を取り戻したというより、なんだかこれは・・・)
「君、スネてない?」
―――スネてなどおらん。
即答。
それを聞いて、セシルは苦笑する。「・・・まあ、それならいいや。じゃ、おやすみ」
―――む?
「―――去ね」
―――ちょ!?
セシルの一言で、デスブリンガーは何事か言いかけて―――そのままセシルの手の中から消え失せる。
剣が消え去ったのを見送って、さあ寝ようとセシルは目を閉じて―――「待ていっ!」
「・・・んー?」少女の声が真っ正面から聞こえて、セシルは閉じたまぶたを再び億劫そうにゆっくりと開く。
目の前に立っていたのは、もう馴染みとなった黒ずくめの少女だ。
焚き火があるとは言え、薄暗い森の中では霞みそうな黒いドレスに身を包んだ少女は、目尻をあげてセシルを睨付けてくる。かなり苛立っているようだった。「貴様はなに相棒を放っておいて寝ようとしておるのだっ!」
「おや? またなんか変になってるよ、 “無為の絶望” デスブリンガー殿?」
「ぬ、ぬうううううっ!」からかうようにセシルが言うと、エニシェルはぎりぎりと歯を食いしばり、それから完全にスネてしまったようで、セシルに背を向ける。
けれどそれは構って欲しがっているのだとセシルは思った。本気で怒ったのなら、ダークフォースで攻撃してくるか、或いはさっさとこの場から消え去ってしまうはずだからだ。セシルはエニシェルに気取られないようにこっそりと嘆息すると、エニシェルに呼びかける。
「ええと、どうかしたのかい、エニシェル?」
「どうもせん」セシルが問いかけると、即答された。
それを聞いて、セシルは一つ頷くと。「それじゃオヤスミ」
「ちょっと待ていッ!」
「なんだよ五月蠅いな。ファスが起きちゃうよ?」セシルがそう言うと、まるでその言葉には魔法が掛かっていたかのように、そのとおりにファスの瞳が開いた。
「うにゅ・・・・・・ふわ・・・・・・おはようございます・・・?」
ほとんど寝ぼけた状態のまま、ファスは近くに居たセシルに向かって朝の挨拶をする。
それから、ぼんやりと視線を動かしてエニシェルの姿を認めると―――「・・・・・・―――ひ」
かすれた悲鳴と共に、その目が大きく見開かれる。
「や、やーーーーーーーーーっ!」
悲鳴を上げ、怯えた表情でエニシェルを凝視する。
そんなファスの様子に、エニシェルは僅かに表情を歪めた。
が、すぐにその僅かな歪みも消すと、無表情を作り、それからファスに向かって細く小さな黒い腕を伸ばした。伸ばされた手に、ファスはびくりと震える―――だが、それだけだった。
悲鳴も上げずに、差し出された手を凝視する。
エニシェルの手はファスの下顎をなぞると、自分に視線を向けさせるようにその顎を持ち上げた。エニシェルに触れられて、ファスは身を震わせたが、それ以上暴れたりはしなかった。エニシェルの瞳を、涙混じりの瞳で見つめる。「・・・我が、怖いか?」
エニシェルが問う。問われたファスは、顎を抑えられたまま、僅かに縦方向に首を動かす。
「怖い、です―――でも」
「でも?」
「でも―――怖く、ない」
「・・・・・・?」ファスの答えに、エニシェルは戸惑う。ファスの言葉の意味が上手く理解できなかったからだ。そんなエニシェルに、ファスは続ける。
「あなたは、怖い人。せしると同じ、先の運命がぼやけて、命の流れを断ち切る恐ろしい人。だから怖い―――けれど」
声は震えていた。
ファスは小さな身体の中に秘める、勇気を精一杯に絞り出して言葉を紡ぐ。
そんなファスの感じる “恐怖” をエニシェルは感じていた。ファスの心が伝達したかのように、エニシェルの心にもおびえが走る。ファスがエニシェルに恐怖しているように、エニシェルもまたファスに恐怖していた。(勇気・・・)
ファスが持つ、心の力。
それを感じてエニシェルは怯える。
何故なら、エニシェルの根源たる “恐怖” に対して最大限有効な力が “勇気” だからだ。「―――けれど、怖くない」
「それは何故だ?」
「あなたはわたしにとって味方かも知れない、敵かも知れない」そして、とファスは言葉を繋げる。
「味方なら怖がる必要はないもん。どんなに怖くたって、味方なら手を取り合える」
「なら―――敵だとしたら?」
「敵なら怯えてるだけじゃだめだもの。どんなに怖くったって、敵なら戦わなきゃいけない、立ち向かわなきゃいけない」一息。
「だから、わたしはあなたが怖いとは思わないことにする!」
「そうか・・・・・・」震え、怯えながらも、力強く断言するファス。
それに対してエニシェルは静かに、低い声で呟く。「―――これでも、か?」
ぶわっ。
不意に、エニシェルの周囲の空気が震えた。
黒い障気がエニシェルから吹き上がり、辺りを包む。
その障気は恐怖となって、森の中に顕現する!「な、なんだあっ!?」
マッシュの悲鳴がセシルには聞こえた。
周囲で森の一夜を過ごしていた者たちを恐怖が包み込み、皆、声もなく立ちつくす。「―――恐ろしいだろう、我が」
障気の中心で、エニシェルは無感動にファスへと呼びかける。
だが、ファスはその “恐怖” に屈しない。「怖く、ない!」
声は震え、身体は竦み、瞳からは涙が滲み出ている。
それでもファスは恐怖を否定する「怖く無いったら怖くない!」
「大した勇気だ。だがそれもいつまで持つか―――」
「違うっ!」
「?」ファスはぶんぶんぶんっ、と強く首を横に振る。
その意味がわからずに、エニシェルは再び困惑する。「なにが違う?」
「勇気なんかじゃない! わたしがあなたを怖くないのは、まだしてないから!」
「・・・何を、いっている・・・?」
「謝ってないのっ!」
「?????」ファスの言っている意味が、エニシェルには全く理解できなかった。
(何が違う・・・? 謝るとは誰に対して、なにを謝るというのだ・・・?)
「わたしはあなたに謝ってないから! だから怖いとか言ってられないだけっ!」
「は?」
「ご―――ごめんなさいっ!」いきなり謝られて、エニシェルの混乱は最高潮に達した。
恐怖に錯乱したのだろうかと一瞬思うが、なにか違うような気がする。混乱のせいだろうか。エニシェルから放たれていた障気が、本人も気がつかないうちに薄れてきていた。
「ちょっと待て。なんの話だ? どーして妾に謝る?」
「わかんないっ!」
「・・・はああああああ!?」解らないのはこっちの方だと叫びたくなる。
「あなた怖い人だからっ!」
「だーかーらっ、それでどうして謝る!? 怖いから許しを乞うということか!?」
「違うもん!」
「なにが違うという!? きちんと説明せいっ!」
「わかんないもんっ! わかんないけど、あなたが消えた時、怖い人がいなくなってほっとしたけど、でも、なにか嫌だったのっ! すごく、しちゃいけないことをしたような気がして。あなたに謝らなきゃいけないって、そんな気がして!」
「―――っ」ファスに言われて、エニシェルは言葉に詰まった。
つまり、ファスはエニシェルのことを―――(妾を傷つけたと、後悔したと言うことか・・・・・・恐怖すべき対象である妾を、気遣ったと・・・?)
「さっきもわたしが悲鳴を上げたら、あなたはなんか・・・なんだろう・・・ええと、か、可哀想な気がしたの。怖がったらいけないって、そう思ったからっ!」
「もういい・・・」
「だからっ、わたしはあなたは怖くないっ!」
「もういいっ!」エニシェルの口から、声が裏返るほどの激しい絶叫が放たれた。
その叫びに、ファスは押し黙る。エニシェルは、ファスとは視線を合わせずにセシルに声をかける。
「・・・しばらく、1人にしてくれ。すこし・・・いや、大分混乱しておるのが自分でも解る。だから」
エニシェルの言葉に、セシルは頷いた。
「解った。―――でも、明日は働いてもらわないと困るよ? 君が居なければ僕は何も出来ない」
「・・・・・・妙な時に妙なことを言うな」
「本音だよ」
「貴様まで妾を混乱させる気か・・・」そういうエニシェルの表情は―――微笑だった。
微笑みをその場に残して、エニシェルの姿は掻き消える。
同時に、辺りに漂っていた ”恐怖” の障気も同時に消える。
恐怖に声を無くしていた周囲の面々が、ざわめき始める。そんなざわつきを宥めようとするかのように、ギルバートの竪琴が静かに流れていく。「・・・・・・また、消えちゃった」
どこか落ち込んだように、ファスが呟く。
そんなファスを励ますように、チョコが羽根でファスの頭を撫でる。「でも、また謝らなきゃいけないと思うかい?」
セシルが問うと、ファスは首を横に振る。
「ううん? だって今度は可哀想じゃなかったし」
「なら、いいんじゃないかな」
「うん。わたしもそう思う」そう言って、ファスはエニシェルの居た空間を見つめ、おやすみなさい、と声には出さず呟いた―――