第14章「土のクリスタル」
P.「勇気ある者」
main character:テラ
location:トロイアの街・飛空艇
エニシェルのいなくなった空間を、ファスはじっと見つめていた。
「どうしたかね?」
「えっ・・・?」テラに声をかけられて、ファスは我に返る。
「どうって・・・いえ、別に」
「そうかね」―――テラから見て、いなくなったエニシェルをじっと見つめるファスの表情は、なんだかとても後ろめたさを感じているように思えたのだが。
だが、そのことをテラは口にしなかった。「・・・・・・」
「・・・・・・」沈黙。
ファスはなにも喋らず、テラも何も言わない。テラは知っていた。
ファス=エルラメントは、見た目ほどか弱い少女ではないということを。
セシルからも聞いていたし、今のエニシェルとのやりとりを見ても解る。
彼女は臆病ではあるが、揺るぎない強い意志を秘めている。恐怖に竦んで、立ち止まったとしても逃げ出したりすることもなく、顔を背けることなく真っ直ぐに前を見据える心を持っている。恐怖に怯える弱さと、恐怖に立ち向かう強さを併せ持つ少女。
一見矛盾していることのようではあるが、そういうわけでもない。何故ならばそれは心ある者ならば誰もが持ちうる “力” であるからだ。
恐れが強ければ強いほど、その力もまた強くなる。あらゆる困難に立ち向かうことのできる力。それは―――
(――― “勇気” )
テラは胸中でその力を呟く。
恐怖から目を反らすことなく、向き合える力。
弱者であるが故に持ちうる力。屈強な英雄は必ずしも勇敢であるとは言えない。己の力に自信がある人間は、そもそも恐怖を抱かない。(勇者とは、弱き者が勇気を振り絞り、その成長の果てに与えられる称号)
勇気とは恐怖を打ち砕く力。
エニシェルが気圧されてしまったのも、そのせいだろう。古今東西、英雄と呼び称される人間はそれこそ数え切れないほどに居る。
だが、真に勇者と呼べる人間を、テラはたった1人しか知らない。
かつて、このフォールスがまだフォールスと呼ばれていなかった時代の英雄。元は力なきただの青年だったが、パラメキア帝国に故郷を焼かれ、反乱軍の一員となった赤毛の英雄。 “野ばらの勇者” フリオニール。テラが古い文献を読んで知る限り、フリオニールという青年は、本当に普通の人間だったという。
特殊な力を生まれ持っていたわけでもない。天性の素質がわけでもない。吟遊詩人が語るヒロイックサーガに出てくるような、大いなる力を持った存在に “選ばれた者” というわけでもない。なんの力も持たない凡人が、しかしレジスタンスとして帝国に立ち向かい、仲間と共に最後には帝国を打倒した。さらには地獄の宮殿パンデモニウムまで皇帝を追いつめ、それを倒したという。
結果だけ見ればフリオニールという英雄は大それた人物に思えるが、実はそうでもない。幾度も帝国の罠にはまり、何度も窮地に陥った。そして大切な仲間達を何人も犠牲にしている。まさに傷だらけ、ボロボロになりながら、けれど最後まで諦めずに戦った。それは、或る意味凡人だからこそ勝ち得た勝利なのかもしれない。力在る人間は、自分の力を及ばない敵を前にしてしまえば諦めるしかない。
力無き人間は、最初から自分の力が及ばないことを知っている。だから勇気さえあれば、何度でも立ち向かえる。何度も、何度でも、諦めずに立ち向かったその果てに乗り越えたその時、力無き者は “勇者” と呼ばれる。(・・・ “勇者” か)
ぼんやりとそんなことを考えていたテラの脳裏に、ふと1人の青年の顔が思い浮かんだ。
一度だけダムシアンで見た青年。
テラの最愛の娘を連れ去り―――そして守れずに死なせてしまった、ゴルベーザとは別の憎むべき存在。セシルの話ではこのトロイアに居るという。
最後にテラが見たのはダムシアンで、瓦礫に潰されたアンナの亡骸を前に泣きべそをかいている情けない顔だ。
それが今、このトロイアに居る。―――自分の恋人の仇である、ゴルベーザを倒すために。昨晩、セシルがファスを連れてきた時に、ギルバートの事も少しだけセシルは語った。
ダムシアンで別れてから、ギルバートはセシルの恋人を助けるためにバッツ達と砂漠の光を採りに行ったこと。そして、カイポの村での魔物の襲撃。ファブールでの攻城戦―――セシルから聞いたギルバートの印象は、自分のそれと食い違っていた。テラのギルバートに対する印象は、アンナを拐かし、自分の恋人を前にして泣きべそをかくことしかできない軟弱者だった。
だというのにセシルの話ではまるで、それこそ “勇者” であるように聞こえる。セシルの話を聞いても、ギルバートは無力であった。セシルのように暗黒剣や聖剣を使えるわけでもない。バッツのように天賦の才があるわけでもない。ちょっと呪歌が使える程度のひ弱な男。その呪歌にしても、テラはおろか才能はあるとはいえ、まだ幼いリディアやミシディアの双子達にも敵わないだろう。それでも無力なりにギルバートは今まで戦ってきた。
己の無力を認めた上で、自分ができることを。(―――何を考えている、私はッ!)
我に返る。
そして自分の考えに苛立ちを覚えた。今、自分は憎むべき愛娘の仇を認めようとしていた。「あ、あの、どうかしたんですか?」
心配そうにファスがテラの顔を覗き込む。
苛立ちが表情に出ていたのだろう。心配半分怯え半分の表情で、ファスがこちらを見ている事に気がついて、テラは苦笑する。「いいや、なんでもない―――それよりも朝食がまだだったな。保存食ならここにもあるが―――」
「い、いえっ! これ以上お世話になるわけには―――というより、わたしあの人を追い掛けないと!」
「セシルのことか? 追い掛けなくても、昼までには戻ると言っていたが・・・」
「だめっ。あの人、見張ってないと不安なんです! 運命がぼやけてるから・・・何をするか解らなくて・・・」
「まあ、確かに何をするか解らない人間ではあるな」ミシディアの一件を思い出す。
セシルはミシディアの民の憎しみと怒りを誤魔化すことなくその身に受け、試練の山では自分自身の闇を否定するわけでも、倒して乗り越えるわけでもなく、その身に受け入れた。どうしてセシルがそんなことをしたのか知ってはいるが、未だに完全に理解することは難しい。テラ自身、かつてミシディアという国に対して罪をおかした。
その結果、テラは逃げ出した。故郷を捨て、魔法を捨て、ミシディアから遠く離れたカイポの村に家庭を作り、ひっそりと一生を遂げようとした。
間違っても、セシルのように罰として憎しみを身に受けようとは思わない。自分の心の闇が分離されたとしたら、それを再び受け入れようなどとは思わないだろう。「―――ああ、そう言えば、君は人の運命が見えるのだったな」
テラが尋ねると、ファスはびくりと身を震わせる。
あまり話題にされたくない話だったのだろう―――が、それを承知でテラはさらに尋ねる。「私はどうかね?」
「・・・えっ?」
「私の運命はどうなっているのだろう? 私はゴルベーザを倒すことが出来るのか?」
「・・・・・・わ、わかりません」
「解らない? それは、見えないと言うことか? セシルと同じようにぼやけていると?」テラの問いに、ファスは首を横に振った。
「昔は見えたり見えなかったりしていたんです。でも、今はわたしがが見ようとしなければ見えないように訓練したから・・・出来ることなら、そういうの、あまり見たくないし」
「何故だね? 確かに人の運命を見て楽しいものではないだろうが、人の運命を知っていれば―――例えば事故で死ぬことが解っていれば、それを救うことだって―――」
「・・・できないっ!」テラの台詞を断ち切るそのファスの声は悲鳴だった。
見れば瞳を潤ませ、今にも泣きそうな顔をしている。「できなかったの! 大好きだったおばあちゃんも、大好きだったシロもわたしは助けられなかった! 死ぬって解ってたのに。シロなんて死なせないように、お風呂はいる時も、寝る時だってぎゅーって抱きしめてたのに、ちょっと目をはなした所為でっ・・・・・・!」
もう最後の方は言葉なのか嗚咽なのか解らなくなってしまっていた。
テラの方を見据えたまま、その瞳から流れる涙を拭おうともせずに、ファスは泣き続ける。その姿を見て、テラは己の発言を悔やんだ。なんと考えの無い事を言ってしまったのかと。「・・・すまぬ」
泣き続けるファスにテラは頭を垂れると、それから持っていたハンカチでファスの涙を拭ってやる。
「ひくっ、えぐっ・・・・・・」
「すまん、私が愚かだった。もう二度とそんなことは頼んだりしない。許して欲しい」もし、テラが頼み込んで、ファスがテラの死ぬ運命を見てしまったら、きっと彼女は苦しむのだろう。
今みたいに涙を零して哀しんで、そして悔やむのだろう。人の死を見るだけで何も出来ない己を。「ひっく・・・・・・ぐす・・・・・・」
テラが謝ると、ようやくファスは泣きやみ始めた。
それから、ハンカチでは拭いきれなかった自分の顔を、ファスが巻頭衣の袖で乱暴に拭う。「すまなかった」
テラがもう一度謝ると、ファスは首を横に振る。
それから、テラを真っ直ぐに見つめて、言う。「死ぬつもり、なんですか?」
「・・・・・・」ファスの問いにテラは答えない。
だが、その無言が明らかな答えだった。「ゴルベーザっていう悪い人。その人と戦って死ぬつもりなんですね」
「・・・そうだ。もう私にはなにもない。最愛の妻も、私の全てであった娘も、私を置いて逝ってしまった―――だから娘を殺したゴルベーザに一矢報いることができるなら、最早この命など・・・」
「嘘」
「嘘ではない。私はもう命など惜しくはない」
「嘘です。だって本当にそうなら、どうして自分の運命を知りたがるんですか? 死んでもいいなんて思うなら、自分の運命もどうでもいいはずでしょう!」
「む・・・・・・」
「なのに運命を聞きたがる。それは、生きたいってことじゃない!」
「・・・・・・」テラは何も言い返せなかった。
図星だったのか、それともそうではないのか―――それすらもテラ自身には解らない。
ただ、自覚する。自分の運命を知りたいと思ったのは、己の弱さであると。(セシルならば、自分の運命など気にもしないのだろうな)
ふと思ったのはそんなことだった。
後悔を背負い続け、それでもその重さに潰されることなく前に進む青年。
きっと、運命のうの字も考えたことなど無いに違いない。「すまなかった」
先程とは別の意味で、テラは詫びる。
そして、さっきと同じようにファスは首を横に振った。「こっちこそ、です。―――それに、わたしにはあなたの言うように具体的な運命は見えないし」
「具体的というと?」
「わたしが見えるのは、正確には命の流れ。星から生まれた命が、星に還るのが見えるだけ。その命の流れを見て、どんな命がどんな命と干渉し合ってどこに行くのか見えて、いつ星に還るのかそれが解ると言うだけ。例えば、誰かがの命が星に還るのが見えても、何故死んでしまうのかは解らない。病気なのか、事故なのかそれすらも解らない」
「では私がゴルベーザを倒せるかどうかは解らないと?」ファスはこくりと頷いた。
「私に解るのはあなたがいつ死ぬかということだけ」
「そして、いつ死ぬのか解るとしても、もはや命などどうでもいいというのなら、運命など知る必要もないか」
「え、ええっと、そこまでは」少し投げやり気味にテラが言うと、困ったようにファスが首を横に振る。
そんな彼女に、テラは微笑して見せた。「まあ、なんにせよ私は運命を見てもらっても無駄と言うことは解ったが―――1つ疑問がある」
テラの言葉に、ファスは首を傾げる。
「な、なんですか?」
「人の運命を見たくないと言いながら、何故にセシルの運命は見たのかな?」意地悪な質問だとは思ったが、悪意はなかった。
別に自分の運命を見てもらえなかった腹いせというわけではない。ファスにしてみれば、他人の運命を見ることは禁忌のようなもの。最悪、死を見てしまえば自分自身を傷つける。それなのにどうしてセシルの運命は見ようと思ったのか。「わ、解らなかったから」
「解らなかった?」
「ギルバート様の言うとおりに、あのセシルって人が本当に良い人なのかどうか解らなかったから。黒くて怖い鎧着ていたし。だから、あの人の命の流れを見れば解るかなって」
「それで、解ったのかな?」テラが聞くと、ファスは少しだけ考えて。
「・・・強い人、ってことだけ」
「強い、か」
「うん。あの人の命の流れに他の命が合流して、そして幾つかの命が星へと還ってる。それは、あの人のために誰かが死んでしまったと言うこと。それなのに、あの人の命の流れは止まらない。一緒だった命が星に還っても、一緒だった時と同じ強い流れのまま強く流れてる。あの人は、他人の命を自分の力に出来る人―――それが善いことなのか悪いことなのか解らないけど」そう言って、ファスはテラの顔を見上げる。
その瞳がテラへ訴えかけていた。果たして、セシル=ハーヴィは善人なのか悪人なのか。「・・・そう、だな。善いのか悪いのか、私にも解らん。ただ一つ言えるのは、あの男は間違っているとしても、それでも正しくあろうとする人間だと言うことだ」
「間違っていても、正しく・・・?」
「周囲からみて間違っていると言われても、己が正しいと思えばそれを貫く。ミシディアであ奴はまさにそうだった。憎まれ恨まれることを望み、それが正しいと信じて譲らなかった。奴は自分が正しいと思ったなら、己が悪人になることも厭わない。そんな大馬鹿者よ」
「・・・・・・それは、つまり、正しいと思ったのなら人も殺すと言うこと?」ファスの問いに、テラは一瞬だけ息を止めた。
不意に思い返されるのはミシディアの双子のことだった。
双子の父親を、セシルは正しいこととして斬り殺している。そんなことを思い出して、テラは重々しく頷いた。
「なら・・・必要ならこの国を滅ぼすかも知れない・・・ってこと」
「そうかもしれんな」
「だ、だめっ!」
「ぬおっ!?」いきなりファスは、目の前に立っていたテラを押しのけると部屋を飛び出す。
テラがそれを押しとどめる間もなく、ファスは滅茶苦茶に飛空艇の中を走り回り、甲板へと飛び出した。「あ・・・」
甲板に飛び出して、空を見上げてファスは気がつく。
縁に駆け寄ってみてみれば、地面は巨大な船体を隔てた遙か下にあった。
昨日、トロイアに到着したセシル達は縄梯子をつかって下に降りていた。「えっと・・・」
きょろきょろと探してみればすぐに梯子は見つかった。
朝、セシルがつかったままなのだろう。すぐ傍の縁から梯子が下に垂れ下がっている。ファスはそれを見て早速降りようと思ったが―――もっと良い手段を思い出した。
彼女は二本の指を口にくわえると、思いっきり吹く。ピィィィィイイィィィ―――――――――ッ!
朝のトロイアにファスの指笛が響き渡った。
それから叫ぶ。「チョコーーーーーーーッ!」
しばらくして。
『クエエエエエエエエッ』
元気な鳴き声とともに、東の空から上がったばかりの太陽を背にして黒いチョコボが空を飛んで現れた。
それを見つけて、ファスは大きく手を振った。『クエッ♪』
黒チョコボのチョコは、ファスの隣りに着地すると、お尻をファスに向ける。ファスは迷うことなくその背中に飛び乗った。
「ぬおっ!? これは噂に聞く黒チョコボ―――っと、それよりファス、どこへ―――」
ようやく甲板を上がってきたテラがファスとチョコを認めて尋ねる。
すると、ファスはテラの方を見もせずにきっぱりと。「あの人の所に! やっぱり、見張ってなくちゃいけない人だったし!」
「待てというのに! だからセシルはそのうち戻って―――」
「お願い、チョコ! お城まで!」
『クエーッ!』テラの制止の声も聞かず、ファスを乗せてクロはトロイアの空へと飛び立った―――
******
トロイアの空から街並みを見下ろす。
豊かな国の実りによって生み出された、美しく整った街並みだ。
ファスが生まれ育った街であり、何よりも祖母と姉が大好きだった街だ。幼い頃のファスはこの街はあまり好きではなかった。
嫌いな理由は無かったが、それでもあまり好きにはなれなかった。
祖母と姉のことは好きだったが、それでもこの街―――というか、トロイアという国全体に、なにか気持ち悪さのような、嫌な違和感を感じていたからだ。
そんな感覚と、自分の “能力” の事もあって、幼い頃はずっと家に閉じ篭もって、飼い猫のシロとだけ遊んでいた。ファスの気が変わったのは、祖母が亡くなってからだった。
祖母が病気で倒れた時、死ぬと解っていながら、ファスには何も出来なかった。
だからせめてものの罪滅ぼしに、祖母が好きだったこの街を好きになろうと、積極的に家の外に出始めた。自分の能力を制御できるようになったのもこの頃だ。今でもこの国に妙な違和感は感じる。
けれど、そんな違和感を感じても、それ以上にこの街はファスにとって大切なものだった。(おばあちゃんとお姉ちゃんが大好きだったこの街―――それを滅ぼすかもしれないのなら・・・・・・)
セシル=ハーヴィのことはファスはまだよく解らない。
悪人ではないと思う。けれど、不安な―――危うい人にも思える。
だから見張らなければならないと思う。そして場合によっては止めなければならないと決意する。ファスにとって大切なものを失わないために―――