第14章「土のクリスタル」
L.「朝一番」
main character:ファス=エルラメント
location:トロイアの街・飛空艇
チチチチ・・・
早朝に奏でられる、小鳥の小さな鳴き声が外から聞こえてきた。「んに?」
その鳴き声を聞きつけて、ファスの脳がぼんやりと覚醒する。
頭の中は、まだ半分眠った状態で、いつも通りに身を起こしてベッドから降りる。ベッドの弾力と匂いに何か違和感を感じるような気もするが、寝ぼけた頭では疑問に思うまでは至らない。軽く軋む板張りの床に素足を降ろし、家の脇にある川で顔でも洗おうと考えたその時。
コンコン。
と、ノックの音が響いた。
「はぁい」
ノックの音に、ファスは反射的に返事をする。
―――してから、ぎくりとする。寝ぼけてスローだった頭の回転が、ようやく違和感を疑問へと昇華させる。
少女は慌てて自分が眠っていたベッドを振り返り、それから部屋の中を見回す。ベッドはファスがいつも使っているものよりも一回り大きいものだった。思い返せば匂いも違う。先日あらったばかりのシーツと枕には、まだ石けんの香りが残っているはずが、このベッドには臭いというか、なにか苦みを感じる匂いがあった。弾力も全然違い、自宅にあるふわふわなベッドに比べ、妙に固く、まるで診療所か学校の保健室のベッドを思わせる。 “人が横になる” という、必要最低限の事さえ出来れば問題ないとでも言いたげに。
そんなベッドのあるこの部屋は、当然ファスの長年慣れ親しんだ自室ではなかった。
部屋はベッドとは反対に、ファスの部屋よりも一回り小さい。
ベッドが部屋の半分を占めていて、そのベッドの傍らに小さな机が置いてあり、壁に二つほどランプが掛かっている他は、窓一つ無い小さく飾り気のない無骨な部屋。ファスの部屋も、それほど彩りがあるとは言えないが、それでも本棚やタンス程度はある。まるでベッドと同じ、必要最低限のことさえ出来れば良いと言う、素っ気なさを感じさせる部屋だ。天井も低く、ファスの小さな身体でも、精一杯に腕を伸ばして飛び上がれば、指先がついてしまいそうだった。「目は覚めたかね」
「ひょわあああああああああっ!?」自室ではない部屋の様子に気を取られていたファスは、いきなり声をかけられて大声を上げる。
素早く身を翻し振り返ると、白髪白髭の色の付いた小さな丸眼鏡を掛けた老人が部屋の中に入ってきていた。「だ、誰ですかあっ!?」
見知らぬ場所での見知らぬ人間の登場に、ファスはパニックに陥った。
涙目になりながら誰何の声をあげる、と老人は困ったような顔をする。そんな様子を見て、ファスは少しだけ落ち着きを取り戻した。(え、ええっと、よく見ると悪人じゃなさそうな―――髪も白いし、髭も白いし、黒くないし。だったらきっと良い人かも。・・・あ、でもおばあちゃん言ってた。外見が白い人は中身が黒いんだって。善さそうなおじいさんだけど、実はわたしを誰かに売り飛ばすとか考えてるのかも。こんな知らないところに監禁されたし!」
「いや、監禁などしとらんが」
「ふわあああっ!? 心読まれたッ!? 怖い人ッ、怖い人だあああああっ!」途中から思考を言葉に出していた事にも気がつかず、ファスはマジ泣きしながらベッドまで後退する。
元々臆病なファスではあるが、覚悟を決めていれば真っ正面から向き合える。だが、寝起きの不意打ちで少女は完全にパニクっていた。「・・・・・・」
泣き喚く少女に、テラは無言で嘆息。
すがるように姉の名を呼び、泣き続けるファスに対し、特になにすることもなく佇んで見守るだけ。
やがて、泣き疲れたのかファスの泣き声も小さくなり、涙も止まる。「ふえっ、ふえっ・・・ぐすっ・・・・・・」
「・・・・・・」
「ううっ・・・うぐっ・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・え・・・・・・ええと・・・?」まったく何も言わないテラに、ファスは困惑する。
困ったように上目遣いでこちらを見る少女に、初めてテラが口を開いた。「―――気は、落ち着いたかね」
「あ・・・ええと・・・はい」
「それはよかった―――私はテラ。別段、君をどうこうしようと思っているわけではないから安心してもらいたい」
「わ、私はファス、です」ファスの言葉に、テラは小さく頷く。
「ファスか、良い名前だ。―――ではファス、君は状況を把握できていないようだから、軽く説明しておこう」
テラの言葉に、ファスはこくんと頷いた。
ファスの顔には、まだ涙の後はあったが、恐怖はなかった。
泣いていた間、テラはファスが泣きやむのを待っていた。ヘタに慰めようと声をかけるのではなく、手を挙げてそのまま背を向けて逃げ出すこともなく、ただ見守っていた。そんな風に「待っていてくれた」からこそ、今ファスは落ち着いていられる。
心を焦らせることもなく、恐怖に立ち止まることもなく。「・・・とは言え、私に説明できることはそれほど無いのだがね。昨日の深夜、セシルが眠っている君を背負ってこの飛空挺にやってきた。ただそれだけだ」
「飛空艇・・・」ファスはセシル達が乗ってきた飛空艇を思い出した。
つまり、ここは飛空艇の中らしい。
それを知って、ファスはセシルはどうしたのかと疑問に思った。「あ・・・あの・・・あの人は・・・?」
「あの人?」あの人、という言葉にテラは最初誰のことか解らなかったが、すぐに思い当たる。
「セシルか。セシルなら早朝早くに城へ向かった。私に君の事を頼んでな」
「だ、だめっ!」いきなりファスが叫ぶ。
「ど、どうした?」
「あの人、1人にしちゃだめ! わたしは見張ってないといけないんだから!」
「見張る・・・?」昨晩のセシルとファスのやりとりを知らないテラは、ファスが何を言っているのか良く解らない。
「わたし、行かなきゃ!」
そう言って、ファスは部屋を飛び出そうとする。
部屋の入り口に立ち塞がるテラを押しのけようとして―――「お、目を覚ましたか、小娘」
いきなりテラの後ろからエニシェルが顔を出した。
「ひ―――」
その姿を見て、ファスは引きつった悲鳴をあげて―――そのまま気絶して、後ろにばったりと倒れる。
そんなファスに、エニシェルは心外そうに顔をしかめた。「むう、妾のぷりちぃな顔を見て気絶するとは、なんと無礼な娘じゃ」
「・・・・・・なんなのだ、この娘は?」テラもファスの行動の意味が計れず、首を傾げて困惑した―――
******
トロイアの城。
昨日も訪れた、神官達が控える “神官の間” へと続く大扉。
そこにセシルはいた。クリスタルの情報を得るために、朝も早くから神官の謁見を願い出て、その返事を待っているところだった。今朝はちゃんと鎧を身に着けている。もちろん、セシルが装備するのは悪魔の意匠が施された闇の鎧―――デモンズアーマーだ。
兜は置いてきたが、鎧だけでもダークフォースの秘める暗黒の鎧は重圧感を周囲に巻き散らし、扉を守る門兵を始めとする、トロイアの女兵士達に恐怖と警戒感を与えていた。ただ1人、セシルの傍にいるマッシュだけがセシルの鎧を少しばかり気味悪そうに見ながらも、トロイア兵達ほどの恐怖感は感じてはいないようだった。
ちなみに何故マッシュがここにいるかというと、その理由は偶然だった。
なんでもマッシュは陽が出る前に起きて、ヤンと一緒に城の敷地を借りて体術の訓練をしていたらしい。一通りメニューをこなしたところで、城内を流れる水路の水で汗を流し、用意され部屋に戻ろうとしたところで、神官に謁見を求めていたセシルを見つけたのだ。
セシルの目的を聞き、マッシュはそれなら付き合うといってくれたが、ヤンはどうやら昨日の謁見がとても腹に据えかねたらしく、「フン」と鼻息荒く自分の部屋に戻っていってしまった。「ふわ・・・」
セシルは小さく欠伸をする。
欠伸と共に、少し涙が視界をにじませる。ぼんやりとした視界の中、ぼやけた顔のマッシュが苦笑した。「随分と眠そうだな」
「昨日は遅かったからね」
「ふうん」マッシュは首を傾げる。
「そんなに楽しいモンなのか? 俺は行ったことがないからわからないけど」
「・・・は?」
「でも、気をつけろよ? 酒も女もほどほどにな」
「って、ちがう!」涙を拭いつつ、セシルは声を上げた。
「別に僕はそーゆーところで遅くまで居たわけじゃなくて、昨日はファスが会いに来たりとか、それから色々と考え事をしていたから」
「そうなのか? いや、少しおかしいとは思ったんだ。ロック達がまだ帰ってきてないのに、なんでセシル1人で帰ってきたのか、不思議だったんだが」
「・・・まだ帰ってきてないのか」はあ、とセシルは呆れたように嘆息する。
リックモッド達が、パブのソファで酔いつぶれて寝こけている姿がありありと想像できた。「本当にほどほどにするべきだな」
「まー、女に関して言うなら、俺も人のことは言えないけどな」
「へえ?」セシルは思わず声を上げ、マッシュの顔をまじまじと見る。
マッシュとは付き合いは浅いが、それでも真面目な男だということは解る。少なくとも女にだらしないような男ではないと考えていたが。(そういえば、双子の兄さんは女たらしだとか、ロックが言ってたっけ?)
何故、ロックがマッシュの兄のことを知っていたのか、いまいちよく解らないが。
ともあれ、実はマッシュも男の子だったということか。「俺も昨晩はリアニー相手に楽しませてもらったしな」
「リアニー?」知らない名前が出てきた。
セシルが首を傾げ、誰のことかと尋ねると、「昨日、ここに立ってた門兵」
「・・・あー・・・」言われてセシルは思い出す。
そう言えば、マッシュがその門兵―――リアニーと手合わせの約束していた・・・「って、楽しませてもらったって・・・決闘のこと?」
「決闘って言うほどのもんじゃないさ。ただ、互いの力を確かめ合う、組み手程度のモンだ―――んん? なんのことだと思ってたんだよ?」
「べ、別にっ!?」マッシュに問い返され、セシルは思わず赤くなった。
慌てて話をそらす。「楽しませてもらった、っていうことは、強かったのかい? その、リアニーって子は」
ちなみに件の女兵士はこの場には居ない。
今、門の前には別の女兵士が立っている。セシルの問いに、マッシュはすごく嬉しそうに笑って。
「ああ! すっげー強かった! 俺に合わせて素手でやってくれたんだけどな、意外に格闘術のレベルも高かった。特に、跳び蹴り主体の蹴り技は凄かったぜ。女性ならではの軽やかな動きで、翻弄されっぱなしだった。どうにも俺は力に頼りすぎるところがあるから、ああいう動きは見習いたいぜ」
「それはそれは、随分と有意義だったようだね」弾んだ声でぺらぺらとまくし立てるマッシュに、セシルは苦笑。
強い者と戦う喜び―――セシルにも解らないでもないが、マッシュほどに心底楽しんだことはあるだろうかと自分に問う。今まで剣を振るったことを思い返して見れば、二つの名前が脳裏に浮かんだ。
カイン=ハイウィンド。
バッツ=クラウザー。
セシルにとって、戦いとは “手段” であり “目的” ではない。
だから不要な戦いはなるべく回避しようとするし、戦うにしてもなるべく楽して―――犠牲を少なくして戦おうとする。だが、カインとバッツだけは違った、
この二人だけは、セシルが戦うことを “目的” として戦った。
全てを出し切り、相手が死ぬことも、自分が死ぬことすら考えずに、ただ己の全力をもって戦ったことがある。その戦いの感情を、セシルは覚えていない。
どんな戦いであったのか記憶はしているのに、どんな想いで戦ったのか、それが上手く思い出せない。
ただ、そのどちらも戦う前は感情が荒れていて、戦い終わった後は、澄み切った青空のように気が晴れていた。(・・・って、それじゃ単に暴れてストレス発散しただけのよーな)
そんなことを考えて苦笑する。
果たしてそれは “楽しかった” ということなのだろうか。「・・・はい、わかりました」
ふと女性の声が聞こえてセシルは物思いから我に返る。
顔を上げると、門兵の1人と目があった。すると、彼女は厳かな口調でセシルに告げた。「セシル=ハーヴィ殿。神官様達がお会いになるそうです」
そう言って、門兵は大扉を開き始めた―――