第14章「土のクリスタル」
J.「運命を見る少女」
main character:セシル=ハーヴィ
location:トロイアの街

 

「・・・・・・はあああああああああああああああああああ・・・」

 外に出た瞬間、セシルは今出てきたばかりのドアに寄りかかり、重く長い溜息を吐く。
 意外と時間が経っていたらしく、随分と遅い時刻らしい。辺りには人影が見えない。
 夜の息吹のような風がセシルの頬を撫でる。冷たい風が、火照った肌に気持ちよかった。

「・・・・・・おっ、と・・・」

 ドアから離れようとして、少し足がもつれた。
 酒は一滴も飲んでないはずだが、雰囲気にでも酔ったのか足下がおぼつかない。

「慣れてないからなあ・・・」

 その言葉は言い訳のつもりだったのか、自分でもよく解らなかった。
 セシルはもう一度小さく吐息すると、歩き出す。
 自分の身体の調子を確かめるように、一歩一歩ゆっくりと。

 とりあえず城には向かわずに、広場に着地してある飛空艇へと向かう。
 飛空艇にはまだシドとテラが残っているはずだった。城に来るように使いを出したが、やはりテラはギルバートと顔を合わせたくないのか、城に来ようとはしなかった。色々葛藤もあるのだろう。一晩くらいは放っておいてやろうと思ったが、街に出てきたついででもある。様子を見に行こうと飛空艇の方へと足を向けた。

 一歩一歩足を踏み出すたび、夜の空気の中へ踏み込むたびに、身体から熱気が抜けていく。
 足取りが確かなものとなり、パブの雰囲気が完全に抜けきり、広場に鎮座する飛空艇の影が遠目で確認できたその時。

「・・・ん?」

 広場の入り口で、1人の少女がセシルを待つようにして立っていた―――

 

 

******

 

 

「ま、待っていました・・・」

 セシルに向かい、待っていた、というその声には聞き覚えがあった。
 怯え、振るえる声。
 されど、目を反むけることなく、逃げることなく、退くことなく突き付けてくる言葉。

「ファス・・・?」

 雲一つ無い空には二つの月が浮かんでいた。
 一つの月は半分に欠けていたが、もう一つは真円を描き闇夜を切り裂かんばかりに照らしている。
 そんな明るい月夜でも、少女の黒髪黒肌は闇へと溶け込み、目を凝らさなければ少女の表情を伺い見ることも出来ない。

 月の明かりを背後に従え、白い服を夜風にはためかせ、少女はセシルを真っ直ぐに見つめていた。
 昼間のように怯えているのか、闇に溶けた彼女の表情からは読み取ることは出来ない―――が、闇に浮かぶ蒼い眼光は揺らぐことなく。

「・・・待っていたって? 待ち合わせをしていたつもりはないけれど―――」

 ファスの言葉に、セシルは首を傾げる。
 待つのなら城で待つべきだろう。こんなところで待つのは明らかに妙だった。
 言ったとおり待ち合わせした覚えはないし、なによりここへ来ようと思ったのはついさっき、ほんの気まぐれだ。
 後を付けていて、直前で先回りしたようにも見えない―――それならば多少なりとも息切れしているはずだ。

(声音が震えているのは僕に対する恐怖だろうし)

 そもそもそこからが解らない。
 どんなに記憶の箱をひっくり返して見ても、ファスと以前に会った覚えはない。
 名前はともかく、人の顔を忘れることはほとんど無い。セシルは雑踏の中ですれ違った人であっても、もう一度顔を見たならなんとなく思い出すことができる。ましてや、自分に対してこんなに怯えるような少女のことを忘れるはずがない。

「ここへ来れば会えるって、見えたから」
「見えた・・・?」

 思わずセシルが呟き返すと、ファスは視線を落とす。
 それは恐怖に耐えきれなくなったからというわけではなく、どうやら逡巡したからのようだった。
 言うべきか、言わざるべきか――― “嘘” を吐くことを迷っている様な気がして、セシルは先に口を開く。

「いや、別になにか言いづらい事情があるなら無理に言わなくても良いけど」
「う・・・ううん! こ、これは言っておかなければならないことだから。で、でないと、わたしの言葉があなたに通じない・・・」

 機先を制したセシルの言葉が、ファスの迷いを断ち切ったようだった。
 相変わらず震えた声で、しかし力を込めて。

「わ、わたしには見えるの」
「何が、かな?」
「運命が」

 ―――これが、別の国で聞いた別の国の人間の言った言葉ならば、セシルは困惑しただろう。
 だが、ここは宗教国家トロイアである。
 トロイアが崇める大地の神は、希に人に神通力を授けるという。それは人の運命を見通す力。どうやら、ファスはその力を持っているようだった。

「運命を見る力か―――つまり、ここに来れば僕と会える運命を予言したって事?」

 セシルには想像する事しかできないが、なにか頭の中でピピッと感じて、脳裏にビジョンとして浮かんだりするのだろうか、などと思っていると。

「す、少し違うの。私に見えるのは、正確には生命の流れ。命というのは、星を取り巻く大きな流れから細かく別れたもので、やがてまた大きな流れに戻るものだから」
「生命の・・・流れ?」
「海があるでしょう。海の水が蒸発して雲になって、その雲から雨が降って地上で川になるようなもの。小さな川は他の川と合流して、だんだん大きな川になっていって、最後には海へと戻るの。そしてまた海から雲が出来て、雨となって川になって―――その循環」
「物知りだね」

 セシルが感心したように言うと、ファスは小さくはにかんだ。

「お姉ちゃんが教えてくれたんです。お姉ちゃんは、すっごく頭後良くて、なんでも知っていたから」

 姉の話になると、少女は上機嫌になるようだった。
 本当に姉のことが好きなのだと、セシルは微笑ましく思う―――同時に、先程思いついた嫌な想像を思い出して、暗澹とした気分になる。

 セシルが複雑な顔をしているのにも気づかずに、ファスは続けた。

「それで、わたしが見る “生命の流れ” も一緒。大きな生命の流れから別れた人の生命が、この星の上を巡り巡って、また大きな流れに還る。それをわたしは見ることが出来る」
「つまり、僕の生命の流れとやらが飛空艇の方に流れているのが見えたから、ここに来るのが解ったって事か」

 実際に、その “生命の流れ” とやらが視認できないセシルには、理解は難しかったが、なんとか解る範囲でそう結論づける。
 だが、ファスは首を横に振った。

「ここでわたしの運命がぼやけていたから―――だから来るって解った」
「ぼやけていた・・・?」
「川と同じ様に一つ一つの命の流れは、他の命と合流して大きな流れになる。―――でも、あなたの命はぼやけている」
「ぼやけてるって・・・なにそれ?」
「あなたが今まで辿ってきた命の流れは見える。色んな命と交わったり別れたり・・・普通のものと変わらない―――でも!」

 いつの間にか声は震えていなかった。
 姉の話をしたせいかとも思ったが、姉の話をしていた時とはまるで違う、言葉に強い力がこもっている。

「こんなの初めて・・・! あなたの未来に続く命の流れがぼやけてて見えない。確かに先に向かって流れているのは解るのに、何処へ向かっているのかが全然解らない!」

 声は震えていない。
 だが、ファスは明らかに怯えていた。
 ともすれば震えて竦んでしまいそうな自分を、声に力を込めて奮い立たせている。

「ぼやけてるのはあなたの運命だけじゃなくて、あなたと交わった運命もぼやけてしまうんです!」

 最早少女の言葉は絶叫に近かった。
 沸き上がる恐怖を、意志の力で抑え込んでいる。暗黒騎士であり、恐怖を制御する術を身に着けているセシルは、その様子がはっきりと見て取れた。

「あなたはっ・・・あなたは運命を狂わせる!」
「・・・・・・」
「あなたは何者なんですか!?」

 悲痛な響きのある、悲鳴にも似た叫び。
 彼女が怯える理由は解った。

(さて、どうしたものかな)

 と、思いつつ、とりあえず。

「セシルだ」
「え?」
「セシル=ハーヴィ。僕の名前だよ―――そう言えば、自己紹介もしていなかったね」

 そう言ってにこりと微笑みかける。

「わ・・・わたしはファス=エルラメント・・・です」
「君からは自己紹介してもらったよ?」
「え・・・あ・・・そのっ、14歳です!」

 自己紹介されたら自己紹介しかえさなければならないと思っているのだろうか。

(律儀といえば律儀だけど)

 それよりも、ファスには余裕が無いように、セシルには感じられた。

(・・・もしかしたら、他人と話すのが苦手なのかな)

 敬語が入り交じった彼女の口調はどうにも安定していない。
 視線を外したりはしないが、目を合わせるのも自然体ではない。まるで睨付けるように目に力を込めて凝視してしまっている。おそらく彼女の姉か誰かに「人と話をする時は、相手の目を見なさい」とでも教育されたのだろう。その言いつけを必死に守っているのだと、セシルは推察する。
 ややどもったりするのも、セシルに対するおびえのせいだと思っていたが、そればかりが原因ではないようだ。

「・・・ま。とりあえず、こんな所で立ち話もなんだしさ」

 そう言いながらセシルは、ファスの顔を見て、彼女の向こう側に聳える飛空艇を見上げた。

 

 

******

 

「はい」
「あ・・・ありがとうございます・・・」

 セシルが差し出した鉄のマグカップを、広場のベンチに座ったファスは礼を言いながら受け取る。
 カップの中には、湯気の立つ熱いコーヒーが入っていた。

 ―――最初は飛空艇の中にでも招待しようかとも思ったが、見慣れない場所では彼女が警戒するだろうし、中にはシドとテラも居る。
 ただでさえ人が苦手なファスだ。テラはともかく、シドのようなデリカシーの無い人間は、ことさら苦手だろう。

 そう思い、セシルは公園のベンチにファスを座らせ、自分は飛空艇に戻って温かい飲み物を用意して戻ってきた。

 ファスにコーヒーを渡し、セシルも自分のカップを手に隣りに腰掛ける。
 隣りといっても、ベンチの端と端だ。互いに手を伸ばせば、なんとか届くという距離。

「あつ・・・」
「あ。熱すぎたかな?」
「う、ううんっ。・・・あったかい・・・」

 ず・・・と一口飲んで、彼女は小さく微笑む。
 トロイアの気候はバロンよりもやや暖かい。
 とはいえ、夜の外はそれなりに冷える。さっきまでバーでの熱気を引き摺っていたセシルも、段々と肌寒さを感じるようになってきていた。

 ファスはもう一口だけ飲むと、傍らのベンチの上にカップを置く。
 セシルもまた同じように少し飲んで、ベンチの上に置いた。

 熱い。
 鉄製のカップのせいで、コーヒーの熱が指に伝わってくる。
 一応、取っ手はあるものの、その取っ手も熱くて持っていられない。

(・・・やっぱり、鉄の食器じゃ色々不便だよなあ・・・)

 飛空艇に常備されている食器は、全て鉄製である。
 頑丈さを重視し、戦闘などが起きた時に飛空艇が揺れて食器が床に落ちるようなことがあっても大丈夫なようにだ。
 ちなみに同じ理由で、飛空艇内にある棚類は全て壁に固定され、木製鉄製両方あるが、硝子の類は使われていない。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 無言。
 段々と冷めていくコーヒーのカップを傍らに置いたまま、セシルもファスも何も言わずに時が流れる。
 そもそもセシルは “待たれていた” 立場の人間だ。セシルがファスに用事があったわけではなく、ファスがセシルに用事があった。だから、セシルはファスに言うべき言葉などない。

(・・・失敗したかな?)

 何のためにファスがセシルを待っていたのかは解らない。
 せめて、立ったまま向かい合うよりも、座って落ち着いた方が良いと考えて口に出しただけだ。
 だが、腰を落ち着けてしまったら気持ちも落ち着いてしまったのか、ファスは何も喋る様子がない。

 あのまま、ファスの感情に任せるまま喋らせた方が良かったのかも知れない、とセシルは今更思う。

「あのさ」

 黙ったままではなにも始まらない。
 何か話題を振ろうと、とりあえず口を開く。
 だが、セシルが唐突に声を出したせいだろうか、ファスはびくりと身を竦めて、ベンチの端の端、限界まで身を離す。

 ちょっと―――いや、かなり気まずい思いをしながら、セシルはさらに続ける。ファスを刺激しないように、なるべく穏やかな声を心がけて。

「運命・・・人の命の流れが見えるって、どんな感じなのかな」

 とりあえず当たり障りの無い話題はそれぐらいしかなかった。
 いきなり “待っていた” 理由を聞いても緊張させるだけだろうし、彼女の亡くなった姉のことを聞いても悲しみを思い出させるだけだろう。

 そう思って、彼女の “能力” の事を話題に振ってみたのだが―――それが失敗だと気づいたのはすぐだった。

「・・・欲しくなかった・・・」
「え・・・?」
「欲しくなかった・・・命なんて、見えたくなかった・・・!」

 それは小さな声だった。
 けれど、深い想いのこもった声。
 深い、深い・・・苦しみのこもった声。

 その声を聞いて、セシルは遅まきながら自分の失敗を悟った。

(人の運命―――生命の流れが見えるということは、その行き着く先も解ると言うこと)

 理解する。
 いや、セシルにはそう言った特異な力はない。
 だから、想像する。それがどういうことなのかと。

(それは、人の死が見えると言うこと)

 ―――人は死ぬということを知らなければならない。

 セシルが、育ての親から与えられた言葉だ。
 今まで生きてきて、その言葉から色々な意味を見いだしてきた。

 だが、ファスはまさに “死ぬと言うこと” を見続けてきたのだ。
 それはどういうことなのか。

(それは・・・生きながらにして、死と直面すると言うこと―――)

 ぞくりとした。
 目の前に生きている人間が居る。だというのに、その生きている人間の死を見る。
 それは、どういうことなのか。
 セシルは想像して―――考えて―――理解しようとして―――失敗した。

 辛く、苦しく、悲しいことなのだろうということは想像することはできた。
 だが、それがどれだけの辛さなのか、苦しみ、悲しみなのか、そうぞうすることも叶わない。
 解った振りをすることはできる。けれど、安易に理解した振りをして同情することは許されないことだと、セシルは思った。

(いつからなんだろうか・・・?)

 ファスはいつ頃から、その力を得たのだろうか。
 生まれた時からなのだろうか。
 だとしたら、最初はその力の意味を理解できなかったに違いない。ただ、そういうものだと思うだけで。

 けれど、人が死ぬということを理解した時、少女にどれだけの苦しみが襲ったのだろう。
 セシルには想像もつかなかった。
 ただ、普通の人間には想像すらできないほどの苦しみに違いないと思った。

 自暴自棄になってもおかしくない。最悪、自ら命を断つことも考えられる。

 けれど、ファスは自棄になることもなく、死ぬこともなく、こうしてセシルの前にいる。
 それは、きっと。

(お姉さんの力なのかな・・・)

 ファーナ=エルラメントという女性。
 会ったこともないその人のことを、セシルは想う。
 彼女はファスの苦しみを理解してあげられたのだろうか?

 いや、とセシルは否定する。

 ファーナがファスと同じ力を持っていたのならともかく、運命が見えない人間にファスの気持ちなど理解できるはずがない。
 あくまでも想像するだけで、理解した振りをすることが限界だ。

「・・・・・・っ・・・」

 小さく、意気を飲む声が聞こえた。
 ファスだ。
 彼女は考え込んでいたセシルの顔を覗き込むようにして、まじまじと見つめている。

 いつの間にか、ファスはベンチの中ほどまで移動していた。
 傍らに置いていたコーヒーカップは両手で包むようにして、膝の上で持っている。

 手を伸ばせば簡単に届く距離だ。
 だからセシルは迷わずファスに向かって手を伸ばす。
 びくり、とファスが当然のことのように身を震わせる―――が退かない。逃げないファスの身体を、セシルは半ば強引に抱き寄せた。

「あ・・・っ」

 怯えたようなファスの声。
 セシルが傍らに置いていたコーヒーカップが弾みでベンチから滑り落ち、地面にひっくり返る―――が、セシルは気にしなかった。
 ただ、片手でファスの小さな身体を抱き寄せて―――抱きしめる。

「な、なに・・・するのっ」

 セシルの胸にファスの顔が押しつけられ、ファスは少し苦しそうに声を出す。
 その声には怯えはなかった。ただ、困惑と戸惑いがあるだけ。

 セシル自身、どうしてこんなことをしたのか解らなかった。
 ―――いや、解っていた。解らなかったからこそ、抱きしめることしかできなかったのだと。
 ファスの苦しい気持ちを理解することも出来ない。そのことが悔しくて。何も出来ない自分が歯がゆくて。だから、せめて。

「君が独りじゃないって・・・」
「え・・・?」
「・・・っ!」

 セシルは愕然とする。
 今、自分が言いかけた言葉を、セシルは知っていたからだ。
 ずっと昔に、とても優しい人が言ってくれた言葉。

 

 ―――あなたは独りじゃないわ。

 

 彼女が言ってくれた言葉。
 その時の自分は、彼女の言った言葉が解らなかった。
 自分が独りじゃないなんて、言われなくても解っているつもりだった。自分独りで生きてこれたわけじゃないと、解っていたつもりだった。
 身も知らぬ両親が居たから自分は生まれてきた。 “神父” が育ててくれたから自分は生きてこれた。カイン=ハイウィンドと言う友人も居てくれる。そう言ったことを理解していたつもりだった。

 でも、違う。

 本当に自分が独りでないと思っているのなら、 “自分は1人ではない” なんて理解しない。
 本当に独りでないのなら、自分が孤独であるかどうかなど、考えすらしないのだから。

 孤独で無いというのなら、自分が孤独ではないと理解できるはずがない。
 何故なら、近くに在ればあるほど逆に見えなくなるものだから。見えると言うことは、それだけ距離を置いていると言うこと。それをローザは敏感に感じ取ったに違いない。だからこそ、彼女はセシルの傍に居続けようとした。セシルとの距離をゼロにするために。

 今、セシルはローザの真似をしていると自覚する。
 それは別にファスの孤独を感じ取ったからではない。
 自分ではなにも出来ないと解ってしまったから、だから、自分が知っているとても優しい人がやってくれたことを真似しているだけだ。それしか思いつかなかったから。せめて、自分が傍にいるのだと伝えたかったのだ。例えそれが無意味な自己満足だったとしても、今のセシルにはそれしかできなかったのだから。

「なんで・・・?」

 胸の中、響くのはファスの疑問の声だ。

「君が・・・っ」

 言いかけて、言葉に詰まった。
 何を言うべきなのか、セシルには解らない―――解っていたのなら、そもそもこんな風に抱きしめたりはしていない。
 ファスの事を可哀想だというのは簡単だった。苦しみを解った振りして、同情するのは簡単だ―――けれど、セシルはそれを選択しなかった。

 だからセシルの言葉は続かない。何も言えず、ただファスを抱く腕に力を込める。
 それは、謝罪だったのかもしれないと、セシルは後になって思う。悲しい少女を前にして、何も出来ない不甲斐ない自分の無言の謝罪。

「・・・どうして・・・?」

 何も言えないセシルに、繰り返されるファスの疑問。

「どうして・・・お姉ちゃんと同じ事を言うの・・・?」
「え?」

 ファスの言葉に、セシルがファスを抱く力が僅かにゆるむ。
 そこに、いきなりファスがどんっと突き飛ばした。
 ファスの力に大した強さは無かった―――が、拒絶されたと思い、セシルは自ら身を退いた。

 ベンチ半分ほどの距離が開いて、セシルはファスの姿を見る。
 抱きしめていれば、すぐ傍にいれば、相手のことなんか見えない解らない。独りであることなど考えもしない―――けれど、距離が開けば相手のことがよく見えてしまう。

 ファスは、泣いていた。

「ファス・・・?」
「・・・ずるい」
「え?」
「ずるい・・・っ!」

 泣きながら「ずるい」と繰り返すファスに、セシルは困惑する。
 いきなり抱きしめたのだ。罵倒されることは当然だとしても、「ずるい」という言葉の意味がわからない。

「な、なんで・・・?」
「ずるいずるいずるいずるいっ! どうして!?」
「いや、なにがなんだか解らないんだけど―――」

 心底困って、とりあえず落ち着かせようと声をかけてみる。
 が、ファスにセシルの言葉は届かない。
 ファスは、まるで幼い子供が癇癪を起こしたかのように、泣きながら全身を振り回し、手足をばたつかせる。両手に持っていた鉄のコーヒーカップが地面に跳ね飛び、からん、と乾いた音を響かせた。

「どうしてお姉ちゃんと同じ顔をするの!? お姉ちゃんと同じ風にわたしを抱きしめるの!? そんなの、ずるいぃっ!」
「―――!」

 ファスの言葉に、セシルは驚き―――それから微笑んだ。

(そう・・・か。彼女の姉もきっと、僕と同じ―――)

 ファスの苦しみを想像し―――失敗して、だからこそ抱きしめた。
 抱きしめることしかできなかったから。抱きしめた。
 セシルにはファスの苦しみは解らない。けれど、ファーナの苦悩は理解できると確信する。

 だからセシルはもう一度ファスを抱きしめる。
 ファスは軽く暴れたが、そんな抵抗を無視してセシルは両腕でしっかりと少女の身体を抱きしめた。
 彼女の抵抗はすぐに収まった。
 だが、涙は止らないようで、セシルの胸の中で泣き続けている。

「・・・どう、して・・・?」

 ファスの繰り返される疑問。
 さっきは、答える言葉をセシルは持たなかった。
 けれど、今なら言える。自分と同じ事をした少女の姉のことを知ったから。

「君が―――」

 ―――1人でないということを教えたいから。

 そう、言いかけて止めた。
 どんなに抱きしめても、言葉を紡いでも、彼女は独りだ。
 それは、彼女と同じ力を持つ人間が現れない限り、永遠に変わらない事実。

 だからセシルは言葉を止めた。
 取り繕うための言葉ではなく、ただ純粋に本当の言葉を告げる。

「―――僕が、抱きしめることしかできないからだよ」

 ファスに対して。

「僕は何も出来ないから」

 それは或る意味、ファスを突き放す言葉だったのかも知れない。
 けれどファスからはなにも返事はなかった。
 ただ、セシルの胸ですすり泣くだけ。
 だからセシルは、少女が泣きやむまで、こうして抱きしめていようと思った―――

 

 


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