第14章「土のクリスタル」
I .「PUB『王様』にて」
main character:セシル=ハーヴィ
location:トロイア・PUB『王様』
薄暗い空間を、ぼんやりとしたランプの明かりだけが照らしている。
辺りにはアルコールと煙草の匂いが充満し、この空間の空気をどんよりと淀ませていた。
聞いたことがあるような無いような、そんなピアノの曲が静かに流れ、その曲に時折混じって男と女の笑い声が響く。
「・・・・・・」
そんな雰囲気の中、セシルは柔らかいソファに、落ち着き無く腰を下ろしていた。
緊張のためか、額からは汗が流れ、喉もカラカラに渇いてはいるが、目の前のグラスに注がれた薄く色の付いた液体を飲む気にはなれない。「ねーぇ? 飲まないのぉ?」
セシルの隣りに腰掛けていたホステスが、セシルの身体に体重を預けて寄りかかってくる。肌が透けて見えそうな、薄すぎる布きれ―――少なくともそれが衣服だとは、セシルには思えなかった―――を身体にまとわせた女の子だ。トロイア城の女兵士の鎧も際どい格好だと思ったが、これはきわどいという一線を越えてしまっている。恥ずかしくないんだろうか、とセシルは心底疑問に思った。
むしろ見ているこっちが恥ずかしく、しなだれかかってくる彼女を反射的にはね除けようとしたが、それはあまりにも失礼だと堪える。漂ってくる甘ったるい香水の香りが鼻につく。周囲の酒と煙草の入り交じった空気と合わせ、あまり吸いたくないものだった。だから自然と呼吸が苦しくなり、少しでも良い空気を求めようと顔を上げて首を伸ばす。身体を伸ばせば周囲の様子が見渡せた。
辺りには幾つもの丸いテーブルがあり、そのテーブルをソファが丸く囲むようにしておいてあった。セシルが座っているのもその一つであり、他のテーブルにも、セシルのような男性客と、それの相手をするホステスの姿があった。トロイアの街にある、PUB『王様』。
セシルはただの酒場だと聞かされていたが、少なくともそこはセシルの知っている酒場ではなかった。(いや、話にはこういうところもあるって聞いてたけどさ・・・)
セシルはあまり酒は嗜まないが、それでも付き合いで酒場に入ったことはある。
あまり思い出したくないことだが、慣れない酒を無理矢理飲まされて前後不覚に陥ったこともあった。
だがそれは、夜だけ酒場になる宿屋兼酒場であり、少なくともここのように女の子が相手をしてくれるような店ではない。一応、リサ=ポレンティーナという看板娘が居るには居るが、尻の一つでも撫でればすぐさまトレイが飛んでくるような感じだ。(・・・っていうか、なんで僕はこんなところに居るんだっけ・・・?)
淀んだ空気と身体を密着させてくる女の体温を気持ち悪く感じながら、セシルは心の中で嘆息した。
******
ギルバートと筆談を交えながら解ったことは次のことだった。
・クリスタルは大森林を北に抜けた、その先にある島の洞窟に潜むダークエルフに奪われたと言うこと。
・その洞窟は “磁力の洞窟” と呼ばれ、洞窟を構成する岩や石に鉄を引き寄せる磁力があるということ。
・ダークエルフはクリスタルの力で磁力の力を強化させ、エルフの弱点である “鉄” を封じたこと。
・ファスの母は八神官の1人だったが、急病で先日亡くなってしまったと言うこと。
・ファスの姉であるファーナが母の跡継ぎとして、神官となったこと。神官になった直後にクリスタルが奪われたこと。
・ファーナが1人でクリスタルを取り返しに洞窟へ赴き、そして帰らぬ人となったこと。だから今は七神官であること。
・ファスが姉を追って洞窟に向かう途中、魔物に襲われてギルバートたちに助けられたこと。
・その時、ファスの代わりに怪我をしたギルバートの世話や雑用を、罰としてファスがやっていること。
・トロイアの神官達は、クリスタルに関する何かを隠していると言うこと。
ダークエルフは遙か昔に失われたはずの種族のはずだった。
セシルも話には聞いたことがあるが、当然遭遇したことはない。
肌が白く争いを好まないライトエルフとは正反対に、肌が黒く好戦的で戦闘力も高い。身体は痩せ細り、ひ弱な風に見えるが、大地や森の恩恵を受けているために生命力は高く、生半可な傷はすぐに再生してしまう。が、反面鉄に弱く、鉄の剣で傷つけられると再生しにくい。また、自然の力が低い場所―――例えば鉄やレンガに囲まれた人工の街などでは、生命力が低下する。そのダークエルフが、磁力の洞窟に潜み、クリスタルの力を使って鉄を封じた。
確かに、クリスタルを奪い返すのは難しい相手だ。
ゴルベーザ達も手を出しかねるのも解る気がする。と、セシルは思った。もう一つ気になることは、ダークエルフがクリスタルの力を使って洞窟を強化したということ。
今までのセシルの印象では、クリスタルとはなんらかの “鍵” であるというイメージだった。
4つ揃わなければ意味がない―――逆に言えば1つでも失われれば、意味を為さない。セシルがクリスタルに対して執着しない理由の一つでもあった。だが、なんらかのパワーソースであるならば話はまた違ってくる。
洞窟全体に強力な磁力を張る―――それがどれほどの力が必要かは解らないが、強大な力であることには違いない。そしてそれを成し遂げるクリスタルの力は、確かにゴルベーザへの対抗手段にも成りうる。トロイアの神官の勘違いにも頷けるというものだ。
かつては究極魔法などと枕詞が付く “アルテマ” を封じていたクリスタルだ。
ならば、その封印のために膨大なエネルギーが必要ではないのだろうか。そしてその封印のためのエネルギーを、封印ではない別の目的のために使えるのなら―――しかしそうなるとある疑問が浮かび上がってくる。
ファブールの王も、ミシディアの長老も、クリスタルの力についてはなにも言わなかった。長老とはそう言った話をしなかったので、教えてくれなかっただけかも知れないが、少なくともラモン王はクリスタルのことを “鍵” としか見て居らず、故にセシルもそうとしか考えていなかった。
エニシェルはオリジナル・クリスタルには強大な力があるとは言っていたが、フォールスにあるクリスタルは何かを封印することしかできないと言っていた。
それをどうしてトロイアの神官達やダークエルフは知っていたのだろうか?『ありえん可能性ではないが』
エニシェルが紙に書く。
だが。と、口に出して呟いてから。『クリスタルに触れてみても何も感じなかっただろう?』
その問いはセシルへと向けられたものだった。
確かに、セシルは水のクリスタルと風のクリスタルをこの手で持ったことがある。だが、力のカケラも感じなかった。エニシェルの言いたいことは解る。
例え力があるとしても、外に感じさせないほどに秘められた力だ。それを利用するのは困難だろう。セシルはエニシェルから紙とペンを受け取り、エニシェルに向かって質問を書く。
『なにか方法は?』
問われ、エニシェルは首を横に振った。ペンを受け取り、書き返す。
『知らん。あるかもしれんし、ないかもしれん。ただ、エルフ族は人智の及ばぬ知識を秘めておる。力を引き出す方法を知っているかもしれん』
実際に、ダークエルフはクリスタルの力を使って洞窟の力を強化している。
ならば、出来ると言うことなのだろう。
だが、ダークエルフはともかく、何故それをトロイアの神官達が知っていたのか。悩むセシル達に、今度はギルバートがペンを取る。
『証拠はあるんだけどね』
そう書いたギルバートに、セシルとエニシェルは疑問の表情を浮かべる。
「―――知っているだろう? このトロイアは、かつて荒れ地だったということを」
ギルバートが声に出して言う。
それを聞いて、セシルは思わず声を出しそうになった。(そうか! そういうことか!)
「なんじゃ? さっき来た話だが、それがなにか―――」
『この地の大森林は一夜にしてできたという伝説がある』疑問を発するエニシェルに、セシルは文章を突き付ける。やや興奮して書いたためか、少し文字が乱れているが、そんなことよりも内容にエニシェルは「あ」と驚きの声を上げる。
『つまり。この森はクリスタルの力の恩恵であると』
そういうことかと、エニシェルが紙を突き返す。
セシルとギルバートは神妙な顔で小さく頷いた。つじつまは合う。だが確証はない。
それに、どうやってクリスタルから力を引き出せたのかという事も解らない。
解らないことだらけだが、それでもクリスタルがトロイアの恵みの源だというのなら。(クリスタルを求めてやってきた僕たちに警戒するのもムリはない、か)
すこしだけ納得して―――ふと、ギルバートの後ろでベッドに横になっているファスの姿が目に入った。
ヤンの怒声に驚いて気絶したまま、目を覚まさない。
ギルバートの案で、ベッドに寝かせてやることにしたのだ。ちなみに、会話に参加していなかったヤン達は、カモフラージュのために世間話などしてもらっている。
「ファスがどうかしたかい?」
セシルの視線に気がついて、ギルバートが尋ねてくる。
そんなつもりはなかったが、無意識のうちに見つめてしまっていたらしい。「いえ、ちょっと・・・」
「なにか気になることでも?」
「少し腑に落ちないことがありましてね。・・・半分くらいは勘なんですが」
「もしかして姉の・・・ファーナのことかな?」そう言ったギルバートの口調に、親しみのようなものを感じる。
「王子はそのファーナさんのことをご存じで?」
「以前、トロイアに来た時に知り合ったんだよ。輝くような白い肌が美しい美人でね、まさに聖女と言うべき人だったよ。ファスとはつい先日顔を合わせたばかりだったけどね―――ファーナに妹が居るとは聞いていたけど」懐かしそうに、少し寂しそうにギルバートが言う。
そんな様子を見ながら、セシルはなにかを考え込むように、ぼそりと呟いた。「・・・何故、ファーナさんは1人でクリスタルを奪い返しに行ったんでしょうね」
「それは、なんでも神官になった直後だったから、それで責任を感じて・・・って聞いてるけど?」
「なるほど、責任感の強い人だったんですね」“ひそひ草” で神官達が盗み聞きしていることを考えてか、口調では納得した素振りを見せながらも、その表情はいまだ納得していないようだった。
******
(・・・責任を感じて奪い返しに行った―――でも、なにか引っかかる。そもそも、ダークエルフはどうしてクリスタルを奪ったんだ? 力を得るため? だとしたら何のために力を得ようとした? 力を得ても洞窟に潜み続けているのは何故だ? なにか、おかしい。気持ちの悪い違和感を感じる―――なにか、しっくりこない・・・)
ボタンを掛け違っているかのような、妙な食い違いを感じる。
(もしも)
ふと、思いつく。
それは突拍子もないことに思えたが―――(もしも全て逆だとしたら―――?)
一つ思いつく。その思いつきは突拍子もないことだったが、それでもセシルが感じていた “気持ちの悪さ” を吹き飛ばす考えだ。
オセロゲームで優勢だった相手の駒を一気にひっくり返すような爽快感が脳天を突き抜ける。喜びにも似た感情を感じ―――そしてすぐに怒りと悲しみがセシルの心を引き裂く。(もしも・・・もしも、僕の想像通りだというのなら―――それは)
それは、とても哀しく、やるせないことで―――
「ねえ? どうしたの、難しい顔をして・・・」
「へ? ・・・・・・わああああっ!?」いきなり目の前にあったホステスの顔に、セシルは思わずのけぞった。
今まで考えていた思考やら感情やらが完全に吹っ飛ぶ。
そして、気がついた。今、自分がいる場所に。「な、なあに? そんなに驚かれると、メグ悲しいなあ」
くすん、とか泣き真似してみせる彼女。
確か自己紹介された時は、セシルよりも少し年下だった気がするが、化粧のせいかもっと大人びて見える。だが、そんな仕草をされると年相応以上に年下に見えた。「あ・・・ご、ごめん!」
泣き真似を続けるメグに、演技だと言うことも気がつかずにセシルはひたすら狼狽えた。
というか泣きたいのは自分の方だと、心の底で泣き言を叫んでたり。
するとメグは伏せていた顔を上げ、涙のあとなどカケラもない顔でにっこりと笑い、「じゃあね、一晩付き合ってくれたら許しちゃう」
「は?」一晩付き合う。その意味がよくわからずにきょとんとする。
そんなセシルの頬に、小さな手を這わせて、首筋に軽くキスをする。「ひ・・・!?」
いきなりの行為に、セシルは反射的に逃げようとするが、また泣かれることを恐れてそのばに硬直する。
そんなセシルの反応に、メグはくすくすと楽しそうに笑って。「あなたのこと気に入っちゃった。だって、なんか可愛いんだもん」
「ちょ、ちょっと待って。えっと、気に入っちゃったって、可愛いって、ぼ、僕はそんな―――」
「やぁん、そういうところが可愛いのよう」すりすりとかなりアクティブに身体をすり寄せてくるメグに、セシルは頭の中が完全に真っ白になる。
似たようなことは毎度毎度ローザにやられているが、ローザ相手はまだ慣れもあるし、なによりもこんなはしたない格好はしていない。(あ、でも1回だけ下着姿で迫られたっけ。あれは確か風邪ひいたローザのお見舞いに行ったら、丁度着替え中で―――)
カインと一緒にローザの部屋にはいると、熱のせいで汗をかいた下着をキャシーに取り替えてもらっているところだった。セシルに気がついたローザは、病人とは思えない動きでセシルに飛びつき、至極幸せそうな表情のまま昏倒した。
(あの時のローザは熱のせいか顔が赤くて瞳が潤んで妙に色っぽかった―――って、違う違う違う! 妙な事を考えるな僕―――っ!)
だが一度頭に浮かんだものはなかなか消えない。
身体を押しつけてくるメグと下着姿のローザが重なって、セシルの思考はますますヒートアップ。
全身の血が沸騰するんじゃないかと思うほど、体中が熱くなって、頭がクラクラする。(も、もうなにがなんだが・・・)
淀んだ空気が肺を満たし、すり寄ってくるメグの体温をぼんやりと感じ、身体ふわふわする。だというのに心は果てしない奈落に墜ちていきそうな不安感がある。そのまま墜ちていってしまえば気持ちよくなれると何かが言ってるような気がするが、奈落の淵で理性が必死にしがみついている。
「がっはっはっは! セシルはそういうのに免疫ねえからなー」
豪快に笑うリックモッドの声に、セシルは少しだけ我に返った。
リックモッドはテーブルの反対側のソファに腰掛け、両側にホステスをはべらせている。こちらはセシルとは違い心の底から楽しんでいるようだった。片手で酒のつがれたグラスを握り、空いた手で片方の女の腰を抱いている。あまりにも離れした余裕のある態度に、セシルの目つきが険しくなる。「お? おい何だよセシル。怖い顔で睨んで」
「元はといえば、リックモッドさんが僕を連れてきたんでしょうが!」トロイア城でギルバートとの話し合いが終わり、いつの間にか夜になっていた。
用意された食事を食べ、とりあえずやることもないと自室に戻って早めに休もうとした所、リックモッドが尋ねてきた。後ろにはロックとロイド、それからギルガメッシュの姿もあった。
何のようかと尋ねるセシルに、リックモッドはとてつもなくにこやかな笑顔で近寄る―――その雰囲気に、なにか嫌なものを感じて逃げようとした瞬間、リックモッドの豪腕が唸りを上げる! 鳩尾を狙い打たれたその一撃に、為す術もなくセシルは昏倒―――気がつけばこんな所に居たというわけだった。「まったくリックモッドさんはいつもいつも! 前だって、嫌だって言うのに僕に無理矢理お酒を飲ませて」
「お前、嫌がらずにもうちょっと楽しめよ。こういう楽しみ知らないと、人生損だぜ?」
「大きなお世話です!」さっきまでとは違う意味で顔を真っ赤にするセシルに、リックモッドは再度がははは、と笑う。
「ほれ、他の連中を見ろよ。お前と違って十二分に楽しんでいるぜ」
リックモッドが顎を指し示した先を釣られて見る。
テーブルが集まっている場所の中央には、ちょっとした広場になっていて、そこではロックがダーツを手にして客やホステスを沸かせていた。わざわざバニーガールの格好なんかしたホステスが持つ的に向かって、次々にダーツを命中させていく。ただ投げるだけではなく、飛び上がったり、後ろ向きから背面投げ、片手で逆立ちしたりして、妙技を見せる。その向こうでは、壁際にあるバーカウンターに座ったロイドが、カードを手に他の客と勝負していた。
金を賭けてるわけではなく、どうやら買った方が一杯奢る―――程度の軽い賭けのようだが、ロイドの傍らには高そうな酒のボトルがいくつも置かれていた。随分と巻き上げているらしい。ギルガメッシュはカウンターとは反対側に設けられたステージの上で踊り子達と一緒になって踊っている。ステージには王様が座るような玉座があり、金を払えば特別コースだかなんだかで、王様気分を味合わせてくれるらしい。それがこのパブの名前の由来にもなっているとかどうとか。
「ほれ、お前も。今晩だけでもなんもかんも忘れてパーっと騒いじまえ!」
(できませんよ、そんなの)
セシルは胸中で呟く。
リックモッドの好意を、セシルは気がついていた。
なにもこういう場が苦手なセシルをからかおうというわけではない―――いや、それも少しばかりあるだろうが、一番はセシルの事を気遣ってのことだった。
子供の頃から、セシルは自分1人でなにもかも背負い込もうとする癖があった。
陸兵団に入り、そのことに気がついたリックモッドは、背負い込んだものを少しでも軽くしてやろうと、ヒマがあればいつでもセシルを遊びに誘った。その事自体は有り難いとセシルは思うし、実際にお陰で色々と楽になったとも思う。(けれど、強引に連れ回すのはやめて欲しい・・・!)
セシルが断っても、リックモッドは強引に文字通り首に縄をかけて引き摺って、あちこち引っ張り回した。
好意は確かに有り難いが、ありがた迷惑でもある。しかもそのことを言っても聞きやしない。「ねえねえ、ギルバート様はまだこれないのぉ?」
セシルが昔のことを思い返していると、リックモッドの脇に座っていたホステスの1人が甘ったるい声を出してリックモッドに尋ねる。
「うんうん。私もギルバート様が居るなら、会いたーい」
ここへきて一番、セシルが驚いたことだが、どうやらこのパブではギルバートの存在は一種のカリスマであるらしい。
なんでも昔、トロイアを訪れた時に路銀を稼ぐために酒場で竪琴を鳴らしていたら、ここのオーナーにスカウトされたとか。
短期間だけという条件で、ホストとして働くことになったが、数日間働いただけでホステス達や女性客のハートをがっちりワシ掴みにした。なにせ砂漠の民とは思えないほど色白で、身体つきも細身で、そのため女性と見まごうばかりの美形。なおかつその奏でる竪琴は男女問わず心に響き、曲に合わせて語られる数々の物語はどんな人間も引き込まれる。
ギルバートが働いている間、女性客が増えたが、男性客も減ったわけではない。誰もが聞き覚えのある物語に加え、陽の当たる場所では聞けないような背筋も凍るような恐怖譚。それから歴史の中に埋もれた色んな国の暗部など、ここでしか聞けないようなギルバートの弾き語り目当てに来る客も少なくなかったという。「はっはっは。王子はまだ足を治してないんでな。・・・まあ、この国を離れる前には、一度くらい顔を出すだろうさ」
リックモッドがそう適当なことを言う。
ちなみにトロイアの城にも白魔法を使える人間はいる。セシルだって、初歩的なものならば使えるようになった。
ただ、回復魔法にはなるべく頼らない方が良いらしい。すぐに魔法に頼ってしまうと、人間が持つ生命力、抵抗力が弱ってしまう。急いで治す必要がなければ、自然治癒に任せた方が生命力が強くなり、身体も頑丈になるというのだ。だから、ギルバートの骨折も無理に治そうとしない。「まっ、王子が来なくて残念なのは解るけどよ。ここに居る連中だけで楽しくやろうぜ。ほうらかんぱーい!」
リックモッドが大仰にグラスを高く上げると、二人のホステスも「「かんぱーい♪」」とグラスを高く掲げた。
「ね、ほら、あたしたちも乾杯しよっ」
「え、あ、うん・・・」
「ほら、ちゃんと持って―――はい、かんぱーい♪」メグがセシルにグラスを持たせ、自分のグラスとかちんと合わせる。
それから少しだけグラスに口を付けてセシルを見る。「・・・・・・」
セシルはグラスに揺れる酒を見つめたまま飲もうとしない。
「飲まないの?」
「え、ええと・・・」
「それとも、あたしと一緒に居るの、つまらない?」
「・・・・・・」
「つまらないんだ・・・」答えないセシルに、メグは悲しい顔をする。
それを見て、セシルは慌てて首を横に振った。「ち、違うよ! ただ僕はこういう場所に慣れていないというかっ」
「嘘。だってあなたの目、全然ヤらしくないもん」
「へ?」困惑する。
いやらしくない方が良いんじゃないかとセシルは思うが、メグは怒ったように口を尖らせて、セシルから身を離すと大きく胸を張った。ぷるん、と大きな胸が震える。反射的にセシルは目を背けた。「あたしのこと、見て」
「え゛・・・いや、その・・・」
「ほら、あたしのことを見ようともしないじゃない」
「で、でもそれは君がそんな格好で、恥ずかしいし・・・」
「照れてるだけなら、恥ずかしくっても、あたしの身体を見ようとするでしょ? 見たいと思うでしょ? でもあなたは見たいと思ってない。それどころか、どうやってあたしから逃げようかって考えてる」
「・・・う」言われてみれば確かにその通りかも知れない。
「あたしじゃ、楽しめない・・・?」
「・・・・・・」セシルは答えられなかった。
楽しんでいない、楽しめない。それは事実だったが、そのことを口に出せば彼女は傷つくだろう。言わなくても傷つけるとも解っている。嘘を吐いて誤魔化すことは可能だろう。彼女も客商売だ、楽しんでいる振りをすればそれが嘘だと解っていても、乗ってくれるに違いない。振りをしているうちに本当に楽しくなるかも知れないし、彼女はそれを狙っているのかもしれない。けれどセシルは嘘はつけなかった。
何故なら。「ごめん・・・でも君が嫌だってわけじゃないんだ」
嫌なのは自分自身だった。
商売とはいえ、好意を持ってスキンシップしてくるメグの姿は、どうしてもローザを連想させる。
さっきも彼女の姿とローザの姿が重なった。つまりそれは、(僕は彼女をローザの代わりに見ようとしている・・・!)
そうだとしても、メグは拒否したりしないだろう。むしろ恋人の代わりを望んでくれるかもしれない。ローザだって、セシルが浮気しても責めはしないだろう―――というか、むしろ浮気したとすら考えないに違いない。
けれどセシル自身がそれを許さない。
メグをローザの代わりとすることも、それを許されることも望まない。「僕には愛する人が居るんだ。とても大切な人が」
セシルは苦笑する。
苦笑したのは、自分の本当の心に気がついたからだった。
ローザが奪われてからずっと、ローザのことはあまり考えなかった。バロンを打倒することを、ゴルベーザを倒すことだけを頭に入れて、ローザのことを考える余裕がないと思っていた。でも違った。
ただ単に考えないようにしていただけだった。
彼女のことを想ってしまえば、心が乱れる。そうなれば判断が狂ってしまう。だから、考えないように心の奥底に封じ込めていただけだった。でも、メグの姿にローザのことを重ねてしまうくらいにローザの事を想っていると気がついてしまった。
身体の芯、心の奥底から熱い炎が燃え上がり、かーっと身体が熱くなる。
ローザに会いたい。
愛しい人の名前を呼んで、一つになってしまうほどに強く抱きしめたい!「君が嫌だってわけじゃない。でも、だから僕は君を受け入れられない―――だから、ごめん」
結局、拒絶することには変わらない。
どんな事を言っても傷つけてしまう。だから、セシルは頭を下げて謝罪する―――が。「・・・ぷ」
「え?」噴き出す音に、セシルは顔を上げた。
「あ―――はははははははははっ!なにそれ、おっかしーっ!」
「え? え?」
「え、なんでそんなマジになっちゃってるの? ―――だから僕は君を受けいぶわははははああはははははははあはっ!」ソファの上を七転八倒するメグに、セシルは固まった。
涙まで流して、ソファをばんばんと叩くメグに、さてどーしたもんかと。「ええと・・・その・・・ごめん」
とりあえずもう一度だけ謝ってから、セシルはソファを立つ。
照れのためか、顔が引きつっている。「えと、先に帰ります」
リックモッドに一言だけ断ってから、セシルは逃げるように足早に店を出て行った。
店を出て行くセシルを見送り、リックモッドは苦笑い。「―――ったく、ホントに真面目な野郎は厄介だよなぁ」
ソファに突っ伏したままのメグに向かって、そう笑いかけた―――