第13章「騎士と旅人」
W.「ディアナ、襲来」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロン城・城門
命の恩人の墓参りを済ませ、セシルはベイガンと共に城へと戻った。
エニシェルは、どうやらあの墓地が気に入ったらしく、もうしばらく散歩してから帰るというので置いてきた。
万が一緊急事態が起きても、呼べば瞬時にセシルの元へ戻れるので問題ない。(王になる・・・か。大変な約束しちゃったけど、まあなんとかなるかなー・・・)
王になることを承諾したのは、ベイガンの命を救うための方便だった。
正直なところ、セシルは王になどなる気はあまりない。
なりたくても、提示した第一の条件が阻むだろう。ベイガンにはなにか考えがあるようだったが。(まあ、なにかの間違いで王様になったとしても、ベイガンに色々任せてしまえばいいか)
などととかなり無責任なことを考えながら、城へと辿り着く。
と。「どうして中に入れないのよ! 居るんでしょ、城の中に!」
「ですから、今、城内は少々混乱しているため―――」
「ええい! 埒が明かないわ! 責任者呼びなさい、責任者!」門の前がなにやら騒がしい。
二人一組の門番を前にして、二人の女性―――まくし立てているのはその一方だが。が、喚き立てる。「セシルを出せっていっているのよ! あの親無しを―――!」
見たことのある女性だった。
というか、セシルがこの世で一番苦手な女性。「あー・・・」
なんとも言えない引きつった表情で、セシルはチョコボを止めると、ゆっくりと静かに慎重に降りて、そのまま城に背を向けて逃げ出そうと―――
「ああっ、ベイガン様、セシル様!」
門番Aがセシル達に気がついて声を上げる。
うわ馬鹿名前をそんな大声で呼ぶんじゃない! と、セシルは心の中で悲鳴を上げつつ振り返る―――「セシルーーーーーーーーーーーッ!」
その叫びは、愛しい人が自分を呼ぶ叫びにかなり似ていた。
ただし、そこに込められた想いは、正反対だったが。彼女は腰に差していたレイピアを抜くと、目にもとまらぬ速さでセシルに向かって突きだした!
「危ない!」
その一撃を、ベイガンのディフェンダーが防ぐ。
「どういうことですか、ファレル夫人! セシル様の命を狙うとは!」
ベイガンの鋭い口調の問いに、ローザの母親であるディアナ=ファレルは、セシルを睨付けたまま突剣を引く。
「別に殺そうとしたワケじゃないわ」
「本気で斬りかかったくせに・・・」いつになく気弱な様子でセシルが言うと、ディアナはさらに鋭く睨付ける。
それだけで、セシルは身を小さくする。「本気で殺したかったらキャシーにやらせるわよ。ねえ?」
ディアナはセシルから目を離さないまま、後ろに控えるメイド―――もとい、使用人に同意を求める。
キャシーは「はい」と短く頷いて。「一般に噂されますに、セシルという生物にはホウ酸団子が一番効果的と聞きます」
「待て」
「光沢のある黒い鎧を身に着けて居るのが特徴で、全国的に見られますが、南に行くほど多くなる傾向にあるとの報告があります。あと、共同住宅及び木造家屋に多く見られるとか」
「いや、それゴキブリだろ!? ・・・僕も色々言われ続けて来たけど、ゴキブリ扱いは初めてだなあ」
「恐縮です」
「褒めてないッ!」セシルが怒鳴る―――が、キャシーはすまし顔で、エプロンドレスの端をつまむと優雅に一礼。
それから静かな足運びで、ディアナの隣をすり抜け、ベイガンを押しのけると、セシルの耳元に囁く。「ご安心を。実は私がローザお嬢様とセシル様の味方であることを、ディアナ様は気づかれておりません」
「・・・僕は君のことを一度も味方だと思ったことはないけどね」
「それで良いのです。敵を欺くならまずは味方からですよ。グッジョブ」無表情のまま、ぐ、と親指を突き出してくる。
それから、彼女は後ろ歩きで再びディアナの後ろへと戻ると、再び一礼。「ともかく!」
まるで何事もなかったかのようにディアナが叫ぶ。
「セシル!」
「な、なんでしょうか?」思わず返答の声がうわずった。
情けないとは思うが、なにせ子供の頃に思いっきり叱られた(原因は主にローザ)記憶がトラウマになっている。「ローザはどうしたのよ、ローザは! 貴方がここに居るということは、あの親不孝娘だって居るんでしょう!?」
「え、ええと、その・・・」しどろもどろ。
なんて答えようかと考えるが、頭の中がぐっちゃぐっちゃになるだけで、なにも言葉が浮かんでこない。
戦場では瞬時の判断をくだし、バロン最強の剣と呼ばれ、バッツなどには英雄とまで言われた男が―――「あ、あのですね・・・ろ、ろーざは・・・・・・」
―――幼馴染の母親相手に、今までにない窮地に立たされていた。
敵に捕まってます。などと言うのは簡単だった。
だが、そんなことを言ってしまえば、半殺しにされるのは目に見えている。
―――いや、半殺しになるのならまだいい。
きっと、延々と説教の嵐だろう。たかだか説教と言うなかれ。子供の時には、最大で三日三晩説教された挙句、半月ほど寝込んだ事もあるのだ。なにか上手い言い方はないだろうかと考えて視線を彷徨わせていると、ディアナの後ろのキャシーと目があった。
味方だというのなら、なにか助けてくれないだろうかと、期待を込めてじっと目をみる。
すると、彼女は口を開いて。が。
ん。
ば。
れ。
口パクで応援したあと、親指を立てる。
励ましてくれているようだ。「・・・って、それだけかあああああああああああっ!」
「きゃあ!?」いきなり叫んだセシルに、ディアナが驚いて悲鳴を上げる。両耳を手で押さえ、非難の目をセシルへと向けた。
「い、いきなり大声をださないで! びっくりするじゃない!」
「あ、ええと、すいません」
「何故謝るの?」
「え?」
「謝るくらいなら、最初からやらなければいいでしょうに!」まあ、確かにそうかもしれない。
(だけど、なんか不条理を感じてしまうのは僕だけだろうか)
「じゃ、じゃあ、謝るのはナシで・・・」
「人を驚かせておいて、頭の一つも下げられないの!?」
「どーしろって言うんですか・・・」逃げたい。
セシルは心の底からそう思った。(・・・というか逃げればいいんだ)
馬鹿正直に付き合う必要もない。
いや、本当なら自分の娘を(おそらく)心配して城まで出向いたのだ。
例えどんなに責められようとも、事の顛末を説明するのがセシルの義務かもしれない。これが、ディアナ相手でなかったならそうしていただろう。
責められても、自分のしたことだと受け止めただろう―――ミシディアの時のように。だが、相手が悪い。
義理とか義務とか主義とか言う前に、まず苦手意識が先に立つ。
子供の頃に刻まれた苦手意識は、並大抵のことでは消え去らない。ましてや相手はあのローザの母親だ。心と言葉が直結し、どんな理屈も言い分も貫き粉砕する威力を秘めている。
セシルが知るかぎり、彼女を御しきれる人間はたった一人しか思い当たらない。(・・・とにかくこの場は逃げよう。そして、あとで手紙かなんかでローザの事を―――)
などと思いつつ後ろに転身した時だ。
ひゅん。
と、なにかが風切る音を響かせて、飛んでくる。
それは、逃げだそうとしたセシルの首に巻き付くと、締まる。「ぐえっ!?」
硬質感のある紐状の何かが首を締め付け、たまらずにセシルはその場に転倒した。
「セ、セシル殿!?」
いきなり回れ右したと思ったら、その場で後ろに引っ張られるような形で転んだセシルに、ベイガンが驚き慌てる。
「ど・こ・へ行くのかしら」
「う・・・」首に絡まった何かをとろうともがくセシルの後ろから、やたらと迫力のある声が降ってきた。
恐る恐る振り返る―――と、見る者を凍り付かせるような冷たい目をしたディアナがこちらを見下ろしていた。実際、セシルの動きは永久氷壁よりもガチガチに凍り付いて、動けない。―――と、セシルの首に巻き付いていたものがするりと抜けた。
ひゅんっ。と再び空切る音を響かせて、それは日光に反射して線の形を煌めかせる。針金―――と、一瞬思ったが、針金とは違う。針金をもっと紐のように柔らかくしたような硬質の紐。
光の加減で見えたり見えなかったりするその紐を目で追っていくと、その先はキャシーの腕の裾へと―――「ふっ。貴方の鋼線、久しぶりに見たけど鈍ってはいないようね、キャシー?」
セシルを見下ろしたままディアナが言うと、見えていないにも関わらず、キャシーはスカートの裾をつまみ上げて優雅に一礼。
「主人の見えぬ所で精進を怠らないのが、使用人の務めであると存じます」
「君は味方じゃなかったのか・・・?」色々と諦めた気分でセシルが言うと、キャシーは表情を全く変えずに「いえ」と前置きして。
「私はディアナ様に雇われた身。敵味方など問うまでもないことでしょう?」
そう言ってから、また静かな足取りでセシルの傍まで来ると、身をかがめて耳元に囁いてくる。
「というか、私はローザお嬢様の味方であり、ローザお嬢様とセシル様の味方ではありますが、セシル様単体は対象外ですのでよろしいでしょうかオーケイ?」
「うん、まあ味方だとは思っていなかったし」セシルの返答に、彼女は満足げに頷くと、身を起こして後ろに下がる―――それと入れ替わるようにして、セシルの目の前にレイピアが突き付けられた。言うまでもなく、ディアナだ。
「なっ―――」
キャシーの身体が死角になっていたのか、ベイガンはディアナが剣を再び抜くのが見えなかったようだった。
ベイガンは鋭くディアナを睨付けた。「ディアナ様!」
非難の声を、しかしディアナは無視。
ただセシルのことをじっと見下ろしたまま、一言。「妙ね」
「な、なにが―――」
「どうして答えないのかしら? お城にあの子がいるというなら、そう言えば良いだけでしょう?」鋭い。
言動は滅茶苦茶だが、ローザもディアナも、決して頭が悪いわけではない。
なにか答えないと感づかれる―――が、ヘタに何か言っても通じない。「それにパターン的にもおかしいわね? いつもなら、そろそろあの馬鹿娘が “セシるんるん、愛ラビューン!” とか気が狂ったとしか思えない呪文を叫びながら登場するはずなのに」
「そこまで恥ずかしい言葉を言われた覚えはないなあ。てゆかセシるんるんて」つん。
と、レイピアの先端が、セシルの額に軽く触れる。
それでセシルは言葉を止めた。「駄目よ? 私が許可しないのに喋っちゃ。なにせほら、命握っちゃってるし。私」
(握られてるんですか、命)
本気でピンチだった。
命を落としかけたことは何度もあるが、この状況は今までの生涯の中で三本の指に入るほどの窮地だ。
なにせ「あ。足が滑っちゃった」とかいって殺されかねない。「ということは、もしかしてここにはいないとか?」
・・・・・・気づかれた!
(あ・・・でも、なにも言わなければ誤魔化されるかも)
「答えなさい」
つつん。
と、レイピアの先端に込められた力が、もの凄く微妙に強くなる。「し、城にはいません」
「天国?」
「ではないと思います。まだ」言ってから。
一瞬後に、セシルは己の過ちに気がついた。
しまったあああああっ、と叫びそうになるのを堪え、ポーカーフェイスを保とうとする。表情は抑えることはできたが、噴き出すような冷や汗は止められない。「ふうん。つまり、死んでいるかもしれない状況って事かしら?」
(気づかれたああああああああああああああああっ!?)
死ヌ。
その瞬間、セシルの脳裏には死ぬことしか思い浮かばなかった。
死ぬ直前に、それまでのことが思い出されるというのは、嘘だと思った。
理解するのは死ぬという事実。脳裏に浮かぶのは死と終わりの象徴でもある黒い闇。恐怖感はない。ただこれから自分が失われるのだという喪失感が底なしに広がっていく。死の覚悟ではなく。
セシルの中で死が “確実” となった瞬間、セシルの額からレイピアが僅かに引かれた。
なんだ、と思ってみれば、レイピアの先端が揺れている―――いや、レイピアを握っているディアナの手が震えている。「言ったわよ、私は」
それは酷く淡々とした口調だった。
その場の誰に向けられたものではない。この場にはいない誰かに向けられた言葉。「この男だけはやめておきなさいって。他の誰だっていい・・・カインでも、大学の同級生でも、なんならそこら辺の路地に座ってる物乞いでも構わない。でも、セシルだけは止めなさいって言ったのに」
震える声で呟いてから―――軽く首を横に振った。
「いえ、やっぱり物乞いとかは駄目ね。せめて2人分くらいの生活費稼げるようなのじゃないと。やっぱりカインなんかが一番最適だと思うんだけどどうかしら?」
「いや、どうかしらって・・・僕に聞かれても―――あ、はいそうですね。僕もそう思います」再び額に近づけられたレイピアの感触に、セシルは即座にイエスマンに変身する。
「とにかく貴方だけは駄目なのよ! 絶対に貴方はローザを不幸にするわ!」
「その点については同感です。僕もそう思う」
「それ、貴方が言う事じゃないでしょう?」
「素直な感想ですよ」にこりと微笑んで―――微笑みの半分ほどは恐怖で強ばっていたが―――セシルは続ける。
「ですが、彼女は誰よりも幸せな人ですよ。少なくとも、彼女本人はそう思ってる」
「ええ、解ってるわ、そんなこと! だから私の忠告なんて聞く耳持たないのよ」まったく誰に似たのかしら、とディアナは憤慨する。
間違いなく貴方です、とディアナ以外の誰もが思ったが、口にはしなかった。「で?」
「はい?」
「結局、ローザはどうなっているの?」僕のせいでゴルベーザという悪いヤツに捕まっています。
・・・なんて正直に言ったらどうなるかなんて解らない。
だが、黙っていても、額のレイピアにかかる力が強くなっていくだけだ。
なので、とりあえず話を変えてみることにした。「いやあ、でも、ローザの事を心配するなんて、素敵なお母様ですね。僕には居なかったから、少し羨ましい・・・」
さり気なく持ち上げて、ついでに自分の家の不幸さもアピールしてみる。
だが、ふン、とディアナは鼻で笑い飛ばして、「別に心配してるワケじゃないわよ。ただ、あの子への仕返しが済んでないだけ」
「し、仕返し?」
「そう! 信じられる!? あの子ったら、自分の母親に世にも恐ろしい緊縛の魔法を掛けたのよ! ヘタすれば死んでたわ!」注: “ホールド” の魔法は、死に関わるような魔法ではありません。本来は。
「だからこーして仕返そうと、昔使ってたレイピアを引っ張り出して乗り込んできたのに!」
(いや、それこそ自分の娘を殺す気ですか・・・?)
思ったけれど、怖くて聞けずにセシルは押し黙る。
「で?」
「はい?」
「結局、ローザはどうなってるの?」さっきと同じ会話の繰り返し。
とりあえず、本心はどうあれ、ディアナは娘が心配なのではなく仕返ししたいから城まで来たという。
ならば、ぶっちゃけても問題ないだろうかと自問自答。大丈夫だとは―――少なくとも、いきなり額に剣が突き刺さることはないと思うが。でも万が一「じゃあ、責任は取ってもらわないとね」とか言われた日には、死ぬ。もう死ぬ。多分死ぬ。
(うううう・・・言うべきか、言わざるべきか・・・・・・)
などと、迷っていると。
「おや、ディアナさん。こんなところで何を?」
のんびりとした男の声が掛かった。
その瞬間、ディアナが反応。
手にした突剣を放りだす。ぶすり。
放り出されたレイピアは、ものの見事にセシルの額に突き刺さった。
「ぎゃああああああああああああっ!?」
セシルが悲鳴を上げる。
だが、それを無視してディアナは声のした方を振り返る。「いっやあああああん♪ まいだーりんっ♪♪♪♪♪」
とてもステキな笑顔と、歓喜に満ちた声を向けた先には、門の通用口から姿を現した、一人の中年貴族の姿があった。
小さな眼鏡を鼻の上にちょこんとのっけた、人の良さそうな顔をした男性だ。
一目で見て貴族と解るのはその服装だが、上流貴族のようにごてごてと宝石類を散りばめた豪勢な服ではなく、いかにも体裁だけ整えました、とでも言うかのように質素な生地で作られた、言わば “貴族風” の格好をした男だ。その男に、ディアナは恋する十代の少女のように、軽やかに抱きついた―――いや実際の “恋する少女” はそんなことしないが。
「―――おっと」
飛びついてきたディアナの身体を、男性は慣れた様子で受け止めた。
抱き止めたディアナの身体を、ゆっくりと降ろして地面に足をつかせる―――と、再び「きゃー♪」とか喚きながら、ディアナが抱きつく。抱き合う男女の後ろでは、セシルの額に刺さった突剣が落ちて、代わりにぴゅーっと噴水のように血が飛び出る。それをみて「セシル殿ーっ!」とベイガンがあわてふためいていたりするが、ディアナの耳には全く聞こえない。
「会いたかったわ! 何日ぶり? 何年ぶり!? ああ、会えない時間が長すぎて解らないわ!」
「さっき家を出たばかりだった気がするけどなあ」
「愛し合う二人に時間は関係ないのよッ!」
「あはは。ディアナさんはいつも面白いね」
「やだ。そんな風に褒められると照れちゃうわ!」顔を真っ赤にしてディアナが首をぶるんぶるんと振るう。どうやら本気で照れているらしい。
その後ろでは、セシルが覚えたばかりの回復魔法で、額の傷を癒しているところだった。「でも、ディアナさん。どうしてここに? 私、なにか忘れ物したかな?」
「ううん。ただ、ここに来ればあなたに会えると思ったから!」
「「娘はどうしたああああああああっ!」」セシルとベイガンが声を揃えて突っ込む。
ディアナは抱きしめた手を離さないまま、首だけ後ろを振り向いて真面目な顔をして言う。「ふっ・・・愛の前には、あらゆるものは無意味になるのよ―――そう、例え娘のことであっても!」
「・・・よくローザがグレなかったな」
「ローザはとても良い子ですからー」ほんわかした口調で貴族風の男が言う。
彼は、ディアナに抱きつかれたまま軽く会釈をして。「どうも。なにやら家内が迷惑かけたようで」
「め、迷惑なんかかけてないわ。私はただ、えっと・・・その―――なにかしら?」
「僕に聞かれても」心底困って、セシルは視線を男性にうつす。
説明するまでもないが、彼こそがディアナの夫であり、ローザの父親でもある、ウィル=ファレルである。
ちょっと見には、人が良さそうで、借金の保証人にホイホイなりそうな頼りない男だが、騎士であるハイウィンド家と懇意になって他の貴族に対抗したりと、なかなかしたたかな所もある。
何よりも、ディアナやローザの手綱を取れる唯一の人間と言えば、その偉大さも解るだろう。「―――ほらディアナさん、ちょっと離れて。少し恥ずかしいよ」
「えー。恥ずかしがることなんてなにもないわ! だって私達は愛し合ってるんだもの」ディアナの言葉に、ウィルは何も言わない。
柔らかな微笑みを浮かべ―――ほんの少しだけ眉を寄せて、困ったような顔をしてみせる。
それをみて、ディアナはぱっとウィルから離れた。「まあ、ウィルが嫌だって言うなら仕方ないわね!」
気丈に言いながらも、ちょっと視線が不安そうに揺れている。
そんなディアナの頭を軽く撫でながら、ウィルは「ごめんね」と一言謝る。うわすげえ。
と、セシルは本気で感嘆した。(表情一つで言うこときかせるなんて、なんて人だ・・・)
自分に同じことが出来るだろうかと、脳内シミュレート。
ぎゅーっと抱きついてきたローザに、困った顔をする。「困ったようなセシルの顔もステキよ♪」
とかいってさらにぎゅーっ。
(・・・駄目だ。僕には出来ない)
「さて、セシル―――」
「は、はい?」ウィルに名前を呼ばれ、セシルは返事を返す。
だが、ウィルは名前を呼んだまま何も言わず、小さく首を傾げた。「セシル―――なんて呼べば良いんだろう? バロンの騎士だった時は、セシル隊長とかセシル軍団長とか呼んでたけど。確か、出奔したんだよね? で、今はファブールの客人扱い・・・と聞いたけど」
「あ・・・」言われてセシルははっとする。
バロンに戻ってきたので、ついつい忘れかけていたが、一度はバロンを飛び出した裏切り者だったのだ。
二、三日城に寝泊まりしただけで、ついつい自分がバロンの人間だと思い込んでいた。「・・・うん、まあとりあえず役職がないのなら、以前通りに “セシル君” と呼ばせてもらうけど、いいかな?」
「あ、はい。それで結構です」
「やだなあ。 “結構です” なんて他人行儀な言い方は―――ああ、でも君は昔からそんな感じだったよね? 少し人見知りで、つきあいの浅い相手には必要以上に丁寧になる。そんなセシル君も、今では立派な―――」
「あの、それくらいで勘弁してください」少年時代の話に流れそうなので、軌道修正。
(・・・それにしても、幼馴染の親ってどうにもやりにくいなあ)
ファレル家の人間が特別すぎるのかもしれないが。
なんにせよ、幼馴染の父親は穏やかに笑いながら。「ああ、そうだ。こんなところでのんびりしているヒマはないんだった」
(あまり忙しそうには見えないけれど)
のんびりとした口調のせいか、ウィルには余裕すら感じられた。
だが、ウィルは首を横に振って。「いや、これでも結構忙しい身でね?」
「!」考えていたことをズバリ言われて、セシルは息を止める。
(心を読まれた・・・?)
「別に心を読んだわけじゃないよ」
「読んでますよ!?」
「表情を読んでるだけだよ。相変わらず、普段の君が考えることは解りやすいねえ」言われてセシルは自分の顔に手をやろうとして―――やめる。
(そう言えば、こういう人だった)
ディアナも勿論苦手だったが、ウィルも苦手な大人の一人だったことを思い出す。
ファレル家の女性陣よりはアクが強くはないが、油断していると心の底まで見透かされる。昔にも同じように考えていることを言われ「表情が読みやすい」と言われ、顔を手で触って確認した覚えがある。「そちらこそ、お変わりないようでなによりです」
思えば久しぶりに会う気がする。
バロンを出奔する前、セシルはローザの事を避けていた。
そのためか、ウィルとも必要以上に話をしたりはしなかった。記憶の中の彼よりも、若干老けたようだが、印象はまるで変わらない。「ありがとう。―――それにしても、君がバロンを出るとは思わなかったよ。なにせ、ベイガン殿に次ぐ忠臣だったからね―――本当に、普段とは違って、イザという時の君の考えは読みにくい」
「聞けば納得するんだけどね」と、彼は付け足して苦笑する。
「僕は、忠臣なんかじゃ―――実際にはバロンを裏切ったし」
「背信したわけではないでしょう? 裏切ったのは、それが王に対する本当の忠義だと思ったからだ」
「流石はウィル殿! 解っていらっしゃる!」それまで黙っていたベイガンが、嬉しそうに手を叩く。
「その通りですぞ、セシル殿! 誰も貴方のことを裏切り者だなどという輩はおりませぬ! むしろ、裏切り者の汚名を被ってでも王に尽くす姿! これこそが騎士の鑑!」
「・・・・・・まさか」妙にウィルに調子を合わせるベイガンに、セシルは予感めいたものを感じた。
「もしかして、僕のことを騎士や大臣に認めさせるのって―――」
「おおっと、ウィル殿! こんなところで油売ってるヒマはないのでしょう」
「そうですね、色々とやることがありますから」ウィルが一枚噛んでるのか、と言いかけると、ベイガンがわざとらしく大声でウィルを促す。
自分の表情が読みやすいというのなら、ベイガンの行動こそ至極解りやすいとセシルは思った。「ディアナさんも、早めに帰りなさいな」
「えー、でもウィルの働いてる姿を見たいなー、なんて」などと上目遣いで自分の旦那を伺うディアナ。
すでに40目前のはずだが、その表情に老いの影は見えず、甘えるようにウィルを見るその様子はまだ二十台でも通用しそうだった。だが、ディアナの甘えもウィルには通用しない。「ディアナさんは可愛いからね。こんなところに居たら、誰かが奪って行きはしないかと不安で仕事に手がつかないんだ」
「うーん、ウィルの仕事の邪魔をするのはイヤねえ―――まあ、いいわ。ウィルに一目会えただけでも良しとしなきゃ」はあ、と彼女は吐息してキャシーを振り返る。
「帰るわよ、キャシー」
「ディアナさんを頼んだよ、キャシーさん」雇い主二人に言われ、キャシーは何度もしたように礼をする。
「かしこまりました」
そう言って、ディアナはキャシーを連れて帰りかけて―――
ふと、足を止めた。
「あ。セシル」
「え?」不意打ちで名前を呼ばれ、思わず固い声が出る。
「ローザの事だけど、貴方に任せるから」
「え・・・?」
「あの子が戻ってきたら、一度ウチに来なさい。盛大にお説教してあげるから」
「ええと、それは・・・」
「返事は!」
「はい、わかりましたッ!」もう殆ど条件反射である。
我ながら、自分の情けなさにセシルは心中で涙する。「聞いた? キャシー。今、セシルは返事をしたわね?」
「はい、確かに。ローザお嬢様と二人でいらっしゃると返事しました」
「え? それってどういう・・・」
「返事をしたからには必ず守りなさい。でなければ、認めてあげないから」それだけ言い残して、ディアナとキャシーは困惑するセシルを置いて帰っていった。
「あれで、やはりローザのことが心配なんですよ―――もちろん、私もね」
ウィルが言う。
「・・・ストレートな家系だと思っていたんですが、意外に回りくどいんですね」
「セシル君のことを認めるのがイヤなんだよ。負けたみたいで」
「はい?」まったく訳が解らない、とセシルがウィルを見ると、彼は苦笑して、
「ほら。ディアナさんはずっと君よりもカインをローザにくっつけたがっていただろう?」
「そう言えば、事あるごとにカインと比較されていたような気がしますね」
「だから、君にローザを任せるって言葉は、ディアナさんの精一杯の言葉だと思うよ―――背を向けてたでしょ? きっと、顔を真っ赤にして言ってたんじゃないかな」そう言うところが可愛いんだけど、とウィルがさりげにノロけるのを聞きながら、セシルはディアナ達が去っていった方を見送った―――