第13章「騎士と旅人」
M.「闇という孤独の中で」
main character:バッツ=クラウザー
location:??????
セシル=ハーヴィ。
その名前を初めて聞いた時、彼は失意の底にいた。
その名前を知ったからこそ、彼はようやく旅の目的を見いだせた―――
******
・・・どこだ、ここ?
バッツは思わず呟いて、けれどその呟きは音にはならなかった。
そこは闇だった。
視界には何も映らない。ただ漆黒の闇が広がるだけ。闇。
光どころか影すら見えない、正真正銘の真の闇。
“広がっている” と表現したが、妙なモノで、闇をじーっと見続けていると、まるで広がっているようにも縮んでいるようにも見える。ともすれば、上下左右の感覚もあやふやになってくる奇妙な違和感。―――と、そんな違和感を感じて、ようやく気がついた。
地面がない。
足が地面についていない。かといって、落ちているわけでもない―――だが、逆に浮遊感もない。
何もない。ただ、漠然と “或る” という感覚。
・・・なんなんだ・・・?
自分の身を取り巻く奇妙な感覚を気味悪く感じ、バッツは何気なく頭を掻こうと手を挙げた。
別に頭が痒かった訳ではない。なんとなく、といったクセのようなものだった。
だが、そこでもう一つ気がつく。頭がない。
そんな馬鹿なと思いつつ、手で自分の首の上についているはずの頭を探る―――が、ない。
愕然としつつ、自分の身体に手をやる―――が、身体もない。そもそも手がなかった。ただ、手を動かそうとしていただけで、実際にはバッツの身体は消え失せていた。しかし、バッツの存在はそこに “或る” 。
闇しかない場所に、バッツは “在った” 。理解出来ない気分の悪さに頭を抱えたくなったが、その頭がない。
・・・なんだこりゃあ・・・?
疑問を声に出そうとも、声は出ない。そもそも口も喉もないのだ。声が出るわけがない。
・・・・・・ええと、落ち着け。落ち着いて思いだそう、俺。
そもそも、俺は何をしていた? 俺の記憶が確かなら、セシルと戦っていたんだよな。確か。
んで、なんかセシルのヤツに剣が届かないから、とにかく何とかしようと思った。
でも、旧にいつもと違うことやろうとしても上手くいくわけがない。
だから、セシルの死角から死角へ動いて、いつも通りのことをいつもより早くやろうと思っていたら、なんか気が遠くなって―――
気が遠くなって―――実際に意識を失っていたような気もする。
だが、その反面、その後に起ったことを、バッツは覚えていた。
・・・よく解らんが、セシルを追いつめたんだよな、俺。
なんか半分夢みたいな感じで、実感がないけど後一歩でセシルを倒せるってトコまで追いつめて―――なんかセシルの髪が黒くなって・・・
そしたら、剣が通じなくなって。そして―――気がついたらこんな所に居る。
そこまで思い返して、バッツはふむ、と頷く。
セシルとの戦いで意識を失って、それから寝ぼけた状態でセシルを追いつめて、黒髪のセシルでこんな闇の中。
つまりコイツはなんだろう。夢か?
夢。確かに夢のような気分だった。
だが、夢だと思う反面、夢ではないと確信している自分に気がついた。
夢だと気がついているのに目が覚めない―――なんて理由ではなく、直感的にこれは夢ではないと気がついていた。
少なくとも現実ではないという意味では、確かに夢なのかもしれない―――そこまで考えて不意に思い出した。
・・・これって・・・なんか、リディアに頼まれて扉の鎖を斬った時に似てるな・・・
現実ではないが、けれど夢幻でもない。
そう言った意味ではあの時と同じだった。
・・・・・・つうことはあれか。なんかイメージすればその通りになるってやつか?
リディアに “召喚” された時、バッツのイメージは闇を砕いて青空と草原に塗り替えた。
そして、鎖を断つための刀すらも産み出すことができた。その時の事を思いだしながらバッツは試してみる。
父から預かった刀をイメージする。
だが、刀は生まれない。他にも色々と産み出そうと念じてみるが、何も具現することはなかった。
・・・ダメだ。まあ、考えてみればあん時だって、特に念じた訳でもなかったしな。
何かを産み出す事は諦めて、バッツは周囲を探ろうとする。
身体も五感もないというのに、不思議と “闇” を知覚することはできた。
そのことに少し気持ち悪さを覚えつつ、バッツは闇の中を探っていく。
・・・とりあえず、ここが何なのか解らなきゃ話になんねーしなあ。
思いながら、バッツは闇の先の先まで探っていく。
闇の先は闇だった。そのまた先も闇だった。そのまた先の先の先の先の―――――――――先まで闇だった。果てはない。闇の果ての先も闇だからだ。
無限に続く闇を知覚して、バッツはふと疑問に思う。
・・・・・・なんで、解るんだ・・・?
闇の果てがないということはすぐ解った。
ここには闇しかない。
探る前から、バッツには解っていたような気がする。
・・・・・・もしかして。
闇の中で、バッツは “自分” を知覚しようとする。
五体なく、五感もなく、だけれどバッツ=クラウザーという自分を知覚できる。
自分の姿はないのに、自分や周囲の闇を感じ取れる感覚。そして、闇の全てを理解している自分。
・・・・・・もしかして、この闇が俺なのか・・・?
その事に気がついた瞬間、バッツは気がついた。気づかざるを得なかった。
ここには、自分という闇しか無いことに。
俺という闇だけ・・・・・・か。
ぽつんと、バッツはその場で呆然とする。
無限にして一。一にして無限。
己で全てが満たされ、満たされた全てが己である。そして、それは完璧なるある一つの事実。
孤独・・・か。
それは完璧なる孤独。
己で満ちて居るがために、己以外があり得ない。
故に、完璧にして完全なる孤独。人は一人では存在出来ない。
それは単純に、一人では力が足りないという意味ではない。
意味がないという意味である。人は一人でもなんでも出来る可能性を秘めている。
だが、何をしたとしても一人では意味がない。どんな偉業を達成したとしても、それを知る第三者が居なければ無価値となる。
どんな素晴らしいモノを生みだしたとしても、それを価値あるものだと認める者が居なければ、それは虚しい自己満足にしかならない。
そして、自己満足で終わってしまえば、人はそこで止まってしまう。止まってしまったあとの人生に、どれほどの意味があるのだろうか。たった一人の人生に意味など無い。
人はそれを本能的に知っている。だからこそ、本能的に孤独を恐れる。孤独であることを恐れるからこそ他者とつながりを持とうとする。
孤独になることを恐れるからこそ他者とのつながりを恐れる。そして、今、バッツは完全なる孤独だった。
その場は自分という闇だけ。
他に何もないと、はっきり理解してしまっている。普通の人間ならば、その事実に恐怖して錯乱していてもおかしくない。
だが。
・・・・・・なんか、あったよな・・・・・・
バッツは錯乱せず、それどころか孤独に対して恐怖もしなかった。
ただぼんやりと、何かを思い出そうとしていた。
・・・たしか・・・そだ、あれはたしかおふくろに―――・・・・・・
思いだそうとすれば、それはバッツの心の奥底から、竪琴の響きとして思い返されていく。
それは世界の始まりの御伽噺。
この世界の何処にでも存在して、しかしてどれもが違う多種多様なる始まりの話。
ただ、話の始まりはたった一つの闇から始まる。それは、この御伽噺の約束事―――
世界は闇から始まった。
それが御伽噺の決まり事―――
******
世界は闇から始まったという。
正確に言えば、世界が始まる前には闇しかなかった。
闇は、ずっと闇だけだった。
ずっとずっとずーっと・・・闇はひとりぼっちだった。
最初はそれでも良かった。
ずっと闇だけだったのだ。そのことに闇は何も思っていなかったから。
けれど、ある時感じてしまった。 “寂しい” と。
その寂しさは、ほんのちっぽけなものだった。砂粒をさらに砕いた粒の粒よりもちっぽけな寂しさ。
けれど、その小さな寂しさは消えることはなかった。ずっとずっと闇の中に在り続けた。
小さな寂しさを、闇は最初気にはしていなかった。またずっとずっと、闇は闇のままひとりぼっちで在り続けた。
でもある時、また寂しさを感じてしまった。
最初に感じた寂しさと同じくらい小さな寂しさ。
二つの寂しさは一つになって、ほんの少しだけ大きくなった。
そうして、時折、闇は “寂しさ” を感じるようになってしまった。
永遠に等しい ”ずっと” の中で、ゆっくりゆっくりと、 “寂しさ” は大きくなっていく。
やがて、その “寂しさ” は、 “闇” と同じくらいの大きい “孤独” になってしまった。
自分と同じくらい大きい “孤独” に耐えられず、闇は嘆いた。
ひとりぼっちはイヤだ。寂しいのはイヤだと泣き喚いた。
また永遠にも等しい “ずっと” の間だ、闇は嘆き続けた。
そして、ある時、その闇は一滴の涙を零した。
涙は闇の中に落ちて弾け、飛沫となった。飛沫は光となって、闇の身体を引き裂いた。
引き裂かれて無くなってしまった闇の隙間に光が満ちて空となった。
引き裂かれたバラバラになった闇は空の下に落ちて大地となった。
大地と大地の間に、光にならなかった涙が流れ込んで海となった。
空と大地と海の中に、空にならなかった光が差し込まれ、生き物たちになった。
こうして、世界は生まれ、孤独に嘆いていた闇は大地となって、空と海と大勢の生き物たちに囲まれて、孤独ではなくなった―――
******
バッツは昔に聞いた御伽噺を思い出していた。
昔、母が語ってくれた御伽噺だ。
近所の子供と一緒になって母の語りを聞いていた。・・・実のところ、話の内容はよく解っていなかった。
けれど、母の語りを聞くのは好きだった。
手製のリュートをつま弾きながら語ってくれる、綺麗な母の声が好きだった。母は吟遊詩人だった。
もっとも、身体が弱く、村を出て旅することは叶わなかったが。
その代わりに、旅人であるバッツの父、ドルガンと結婚して、代わりに旅に出て貰っているのだと、冗談めかして言ったのを聞いた覚えがある。
ドルガンは、年に二度ほどしか家に戻らなかったが、その代わりに帰った時には、旅先で知った、或いは体験した様々な物語を、妻に一晩中語った。
その話を、アレンジしたり、或いはオリジナルで続きを作ったりしたのを詩にして、ドルガンが旅だった後、バッツや村の子供達へと聞かせていた。「・・・・・・可哀想な話!」
話が終わって、幼馴染の少女が口を尖らせていった。
あら、と母が小首を傾げる。「そう思う?」
「うん! 寂しい寂しいって哀しんで、そして身体を切り裂かれちゃうんでしょ? 可哀想だよ!」
「そうね、可哀想ね」
「寂しいって思わなきゃ良かったのに。そうすれば、悲しむことだってなかったでしょう?」
「そうかも知れないわね」
「そうよ! ああ、あたしがそこに居てあげれば、寂しいだなんて思わせなかったのになー!」幼馴染の少女はそう言ってプンプンと頬をふくらませる。
そんな少女を宥めるように、母は優しくその頭を撫でながら、バッツに微笑みを向けた。「バッツも、そう思う?」
「よく、わかんねえ」
「バッツはお馬鹿さんだもんねー」バッツが首を傾げると、少女が間髪入れずに言ってくる。
む、として少女を睨むと、意地悪そうに笑いながらべ〜っと舌を出していた。「馬鹿って言った方が馬鹿なんだぞ!」
「あ、今、バッツ2回も言ったじゃない。自分で認めたんだー」
「うぐっ・・・このやろ・・・」怒りにまかせ、バッツは少女へと掴みかかろうとする。
きゃーっと身を退く少女。
と、少女とバッツとの間に母の腕が差し込まれ、遮られた。「ダメよ、バッツ。女の子に “この野郎” だなんて。ましてや暴力なんて振るっちゃいけません」
「でも、こいつが・・・」
「 “こいつ” もだめ。お父さんがいつも言っているでしょう? 女の子は大切にしなきゃいけないって」
「・・・・・・っ」母に諭され、しかし釈然としないのか、バッツはそっぽを剥いた。
くすくすっと、少女の隠そうとしない笑い声が耳に聞こえるが、バッツはそれを無視した。「可哀想じゃなくなったんだろ・・・」
「え?」不意に、バッツが呟く。
その呟きに、少女の笑い声が止まった。
バッツは少女と母を振り返る。「可哀想だったかも知れないけど、可哀想じゃなくなったんだから、別にこれは可哀想な話じゃないんじゃないか?」
「でも、身体がバラバラになっちゃったんだよ。あたしだったらイヤだなあ」
「・・・・・・」自分の身体がバラバラに成った時のことを想像したのか、少女は自分の身体を抱きしめるように腕を組みながら反論する。
それに対して、バッツは黙る。最終的に闇は孤独ではなくなった。けれど、その代わりに身体がバラバラになってしまった。
少女の言うとおり、バッツも自分の身体がバラバラになるのはイヤだった。だからこそ “解らない” と答えたのだ。・・・別にこれはただの御伽噺だ。
そんなに真剣になって語り合う話でもない。
だけど子供達は―――子供達だからこそか、真剣に素直になって感想を言い合う。
それを、バッツの母は微笑ましく眺めていた。「だから、あたしは闇さんが哀しくて泣いちゃってバラバラになる前に、助けてあげたいの」
「助けるって、どうやって?」
「あら、そんなの簡単よ。たった一言だけで済む話」
「一言?」
「そう、たった一言囁いてあげれば良いだけの話でしょ」そう言って、少女はバッツに近づくと、その耳元に口を近づける。
「いい? とっても簡単で、とっても大切なことを教えてあげる―――」
少女の声がバッツの耳の中に響き渡る。
暖かな少女の吐息がバッツの首筋をくすぐり、むずがゆい。
そんなバッツに、少女はその “一言” を囁いた―――