第13章「騎士と旅人」
K.「無念無想」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロン城・中庭
その瞬間になにが起きたのか、セシルには解らなかった。
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自分は負けないと、叫びながらバッツが動いた。
セシルの目の前から、一瞬で死角へと飛び込む。だが、その動きは完璧に読めていた。
速攻で死角から突進してくるバッツに対し、セシルは一拍おいてから動き出す。それで十分だった。「通用しない!」
振り返りながら両手で持った剣を振り上げる。
踏み込みと同時に勢いよく振り下ろしてきたバッツの刀は、セシルのデスブリンガーに難なく受け止められた。
もう何度聞いたかも覚えていない鋼と鋼の激突音が鳴り響く。違和感は、一瞬だった。
音が響いた瞬間、バッツの動きが一瞬停止したような違和感があった。
ただ単に動きを止めた、というワケではない。
バッツだけが時間の流れからはじき出されたような、完全なる停止。
当然、実際に時間が止まったわけではない。ただ、そんな風に感じた奇妙な違和感。―――セシルが理解出来たのはそこまでだった。
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「ぐはっ!?」
空気と共に悲鳴が漏れる。
―――それが、自分の発したものだと、セシルはすぐには解らなかった。気がつけば、セシルは地面に無様に転がっていた。
理解できないながらも、切羽詰まった危機感を本能で感じ取り、セシルは兎に角起きあがろうとする―――した瞬間、背中に激痛。「・・・っ!?」
なにか固いモノで強打された打撲傷だと瞬時に理解する。理解出来ないのは現状だった。
だが、セシルには疑問に思うことヒマすら許されない!ぶるん。
背中の激痛を堪えるために、僅かに身をかがめたセシルの頭のすぐ上を、何かが通り過ぎる。
反射的に見上げれば、すぐ目の前にバッツが立っていた。今、セシルの頭の上を通過したのは、バッツが横に振るった刀だったらしい。「なん・・・っ」
「・・・・・・」なんだ!? と、悲鳴じみた疑問を吐き出すよりも早く、そして速く、バッツはセシルに向かって刀を縦一文字に振り下ろした。
疑問を口に出す時間すら与えられず、セシルは転がるように真横へと倒れ込んで、バッツの刀を回避する。同時、自分がまだデスブリンガーを手にしていることに気がついて、無我夢中で叫んだ。「デスブリンガァァッ!」
セシルの絶叫に応えるようにして、闇の剣からダークフォースが噴き出した。
放たれたダークフォースは、地面とセシルの身体を叩いて、セシルを強引に起きあがらせる。「くっ・・・・・・!」
背中の激痛と、今のダークフォースの打撃を腹部に受けた痛みに、セシルは呻く―――が、それも一瞬。
「がぁっ!」
死角から斬り込んできたバッツの一撃を受け止め―――それを受け止めることができたのは、本当に奇跡的だとセシルは後で思う―――弾く。
バッツの刀を受け止めた瞬間、背中と腹に痛みが走るが、そんなもの気にしていられない。気にしている余裕もない。なにが起きたのか―――最早セシルは考えなかった。
何が起きたと解っても、とりあえず今この瞬間には意味がない。
今はただ―――「ちいっ!」
バッツの刀は、次は真後ろからやってきた。
セシルはそれを、背中に剣を回して受け止め、受け止めると同時に振り返る―――が、振り返った時にはバッツはすでにそこには居らず。「―――っ」
セシルは咄嗟に身体を後ろへと傾ける―――そこへ、真横からバッツが斬りかかってきた。
振るわれた刀を、身体は回避出来たが、剣を持っていた右手は避けきれずに浅く斬られる。血しぶきが小さく待って、鈍い痛みを腕に感じる―――だが構わずに、セシルは剣を持つ手に力を込め、反撃の刃をバッツへと振るう―――が。「・・・・・・」
セシルが反撃に移った時には、すでにバッツの姿はセシルの視界には存在しない。
同時に、セシルの脇腹を襲う打撃。「ぐはっぁっ!」
腹から酸素が強制的に吐き出される。
バッツの刀の一撃だ。
腹から刀、刀からバッツの姿を追ってみれば、バッツはこちらへ背中を向け、後ろ手に刀を持ってセシルへと叩き付けていた。どうやら、セシルの腕を浅く斬った刀を退くと同時に、身を翻しながら横っ飛びにセシルの視界から消える。そして着地と同時に、着地した足を軸にして身体を反転させる。刀を退き、跳んだ勢いを、身体を反転させる運動エネルギーとして使い、遠心力でセシルへ刀を叩き込んだのだと、セシルは一瞬で洞察する。
セリス=シェールの必殺剣 “スピニングエッジ” と似たような強烈な打撃だったが、或る意味それがセシルにとっては運が良かった。身体を反転させたために刀の向きも逆となり、背の部分で打たれたから良かった。これが刃の部分だったり、或いはバッツの刀が両刃だったなら、今頃はセシルの腹はざっくりと切り裂かれていただろう。(とはいえ、楽観出来るダメージでもない・・・一体、バッツは―――)
突然のバッツの動きにセシルは必死で自制しつつも、動揺を抑えきれない。
全ては先程の一瞬から始まった。
バッツの刀を受け止めた瞬間、バッツがなにか “ズレ” てしまったような違和感を感じたあの瞬間からだ。
次の瞬間には、セシルはバッツの一撃―――おそらくは、今のと似たような攻撃だろうとセシルは推察する―――を受け、地面に倒れていた。そして、連続して襲いかかり、刃を返さずに迷いなく必殺の一撃を放ってくるバッツ。「バッツ・・・君は・・・・・・?」
「・・・・・・」セシルはバッツの目を見る―――ほんの刹那、バッツとセシルの目が合う。
次の瞬間には、セシルの目の前から消える。「・・・っ!」
視線あわせの余韻もなく、次が来る。
見えざる場所から迫り来る一撃を、セシルは何とか受け止める―――だが、受け止めた次の瞬間には、バッツの姿はなく、また別の死角から襲いかかってくる。(バッツ・・・あの目は―――・・・?)
間断なく攻め込んでいるバッツの攻撃を、なんとか凌ぎながらもセシルの思考はゆっくりと回り出す。
(あの目は―――)
目。
一瞬だけ見えたバッツの目。
そこには、常にあった力強い意志の輝きはなかった。
くすんだ、微妙に焦点が合っていないような、こちらを見ていない―――セシルをセシルとして認識していない目。
意識があるのかも疑わしい、そんな目。闘争本能溢れる、戦士の中の戦士というモノは、例え意識を失ったとしても、本能で戦い続けることがあるという。
おそらくは、そういう時の戦士と同じような目なのかもしれない。だが。
(だけど、バッツは戦士じゃない)
思考の片隅。
激しい嵐のようなバッツの攻撃を受けるために、殆どの意識をそれに集中したセシルの意識の小さな片隅で、ぼんやりとのろまな思考が呟く。(闘争本能で戦うような人間じゃない。だから、これは、そう言った類のモノとは違う―――)
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「なにが起きた・・・・・・?」
実況席で、レオは立ちつくしたままその戦いを見つめていた。
先程までは、セシルが圧倒的に優勢だったのが、今ではそれが大逆転。セシルが一方的に攻められている。しかも、セシルはバッツの攻撃を受けきれない。
致命的な一撃こそ無い物の、時間が経つに連れ、セシルの身体に打撲傷や刀傷が段々と増えていくのが見て解る。着ていた運動着も、三分の一ほどが赤く滲んでいた。「わかりませんな。唐突にバッツ殿の動きが加速した・・・」
「加速したのではないな、迷いが消えた」ベイガンの言葉をレオが訂正する。
一度戦ったレオだからはっきりと解っていた。バッツは刀を振るうことを得意としない。その上、人を傷つけ殺すことに対して忌避している。
だから、無拍子による身のこなしとは裏腹に、迷いと抵抗があるため、その斬撃はぎこちなく遅い。しかし、レオとの戦闘の最中に、迷いが消えて、今のようにバッツの攻撃が加速したことがあった。
それはバッツが激怒した時だ。激しい怒りは迷いもなにもかもを吹っ飛ばす。その迷い無き一撃を、今のセシルのように、レオは受けきれなかった。奥の手である “イージスの盾” を使ったとしても、あの怒り狂ったバッツ相手では五分に持ち込むので精一杯だっただろうと思う。(だが違う)
怒り狂ったバッツの様子を思い返して、レオは否定する。
あの時のバッツは、常に叫びながら吠えながら、自分の感情をぶつけながら刀を振るってきた。しかし、今のバッツは違う。まるで逆だった。
叫ぶことも吠えることもなく、ただ無言で。
感情を表に出すことなく、ただ淡々と刀を振るい続けている。
そして、その動きは怒りの時よりも速い。今にして思えば、レオと対峙した時の怒り狂ったバッツは、迷い無かった代わりに、力みすぎて動きに無駄があったように思う。斬撃が速い代わりに、無拍子が完璧ではなかった。だからレオは、その僅かな “無駄” を本能的に感じ取り、反応出来ていたのだろう。
だが、今目の前で無感情に剣を振るうバッツには、そう言った無駄がない。
まだ遠巻きに見ている分、バッツの動きは見えるが、それと剣を合わせているセシルにしてみれば、バッツの姿は殆ど視界に入らないだろう。見えざる所から容赦なく、間断なく振るわれる刃。
一撃一撃が、ほぼ必殺の一撃。
並の戦士ならば、もう何十回と死んでいるだろう。レオ自身、今のバッツの攻撃を凌ぐ自信がない。
むしろ、傷つきながらもまだ立っているセシルにも驚嘆できる。「一体、バッツ=クラウザーになにが起きた!? まさか自分の不甲斐なさに怒り狂ったというわけでもないだろうに!」
「・・・まさか、あれは・・・」困惑するレオの隣で、ヤンがぽつりと呟く。
「何か知っているのか!?」
レオの問いに、ヤンは自信無さそうに首を横に振る。
「私も、聞いただけの話なのだが―――しかし、それは我らが目指す究極の・・・」
「前置きは良い。あれは、一体・・・?」苛立ったレオに言葉を遮られたヤンだったが、特に気を害した様子もなく語り始める。ヤン自身、バッツの変わりように動揺しているらしい。
「無念無想・・・」
「むねんむそう・・・?」
「我らモンク僧が目指す悟りの境地。己を捨て、身体を空に、心を無にして神の領域へと存在を近づけるのだ」
「神だと・・・?」フォールスと違い、シクズスは基本的には無宗教であるためか、レオはあからさまに訝しげな顔をする。
「無我の境地とも―――そうだな、世俗的な言い方をすれば “火事場の馬鹿力” とも言うな」
「は?」
「・・・これは、元学者でもあったラモン王に聞いた話だが、なんでも人間というのは三分の一程度の能力しか使えないという」
「それならば知っている。確か、人は無意識に身体にリミッターをかけているのだとか。リミッターを無視して、その力を使ってしまえば身体が壊れるとかな」
「そう。セブンスのソルジャーは、肉体を強化して、そのリミッターとやらを自分で外すことの出来る唯一の存在だとも言っていたな」
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「くしゅんっ!」
「・・・お、風邪か? 男のくせに随分と可愛いくしゃみをするもんだの」
「・・・・・・」
「むぅ。無視か! 人がせっかく、城の方から面白オーラが出ているのを無視して看病してやっているというのに!」
「師匠! 面白オーラとはなんでしょうか!」
「名前の通り、面白そうなことが起きてそうなオーラだが」
「なるほど! そういうモノまでオーラが見えるとは、流石は師匠!」
「ふはははははははは! そうだろうそうだろう! さあ、納得したところでマァァァッシュ! この風邪引きに毛布という毛布を叩き込んでやれぃ!」
「解りました、師匠! てやあああああああッ! ダンカン流奥義・メテオ毛布!」
「ぐはあああああああっ!?」
「おお! 風邪引きが感謝の悲鳴を! マッシュ! どんどんやれぃ!」
「はいっ! メテオ毛布! メテオ毛布! メテオ毛布!」
「・・・・・・」
「・・・おい、なんか白目剥いているが、大丈夫なのか、親父」
「風邪には毛布をかけて温かくして寝るのが一番! お前の子供の時もそうやって治しただろう!」
「ああ、必死になって治したさ。治さなきゃ、そのうち殺されるしな」
「うむ。風邪とはいえ、ヘタにこじらせれば死にも繋がるからのう!」
「・・・・・・・・・。・・・・・・なあ、親父。あのロックとかいうヤツと一緒に城に行かなかったのって、こっちの方が面白いからだろ」
「ふははっははははははっははははっははははははははははははは!」
「メテオ毛布! メテオ毛布! メテオ毛布! メテオ・・・・・・」
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「無念無想とは、心を無にする事によって、己の能力を抑えている無意識すらも完全な無としてリミッターを外し、潜在能力の全てを引き出す境地」
ヤンはそこまで説明すると、だが、と首を横に振る。
そして、まるで信じられないものを見るかのように、セシルを四方八方から休みなく攻め続けるバッツの姿を目で追う。「だが、私はその境地に達することのできた人間を、1人として知らん。話では、長い間、激しい修行に耐え抜いたモンク僧の中でもっとも神に近づけた僧のみがそこへ至れるという」
「バッツ=クラウザーはモンク僧ではないな」
「ああ。だからこそ信じられない」
「私は・・・逆に信じるしかないと思っている」重々しく、レオは呟く。
何を? とヤンが聞き返すと、厳かにレオは応えた。「天才、というものの存在を。バッツ=クラウザーという男は、戦士ではない。剣の握り方一つ見てもはっきりと解る。あれは戦士としての修練を積んだ人間ではない。・・・あれは、才覚、天賦の才のみで剣を振っている」
「才能だけで、あれだけ戦える・・・・・・だとすれば、天とは、神とはなんと不公平なことか!」嘆くようにヤンが呻く。
そこに。「確かに、天とは不公平なのかもしれません。私もそう思います―――ですが」
不意に、言葉を発したのはベイガンだった。
ヤンとレオはバッツの動きを目で追い、忙しなく動いている。だが、ベイガンの目は動かない。
じっと、バッツの猛攻撃を立ったまま耐え続けているセシルの姿を見つめている。「ですが、100人が100人と不公平だと思ったとしても、彼だけはそう思わないでしょう―――セシル=ハーヴィとは、そういう男です」
「セシルも天才だということか?」どこか皮肉混じりのヤンの言葉に、ベイガンは首を横に振って答える。
「逆です。彼には何もなかった。才能もなければ、土地も財産もなく、親すら無かった―――育ての親すらも幼い頃に無くなり、あったのは、捨て子という肩書きと、孤独だけ」
「それならば、やはり不公平というものだろう」
「いいえ。彼はそれを不公平と嘆くこともせず、努力し続けました。後悔しても立ち止まらず、後ろを振り返らず、前を向いて歩き続けました。例え転んでも、痛い痛いと泣き喚かずに、怪我を引き摺ってでも歩き続ける―――その結果が、皆が良く知るセシル=ハーヴィという男」自然と、レオとヤンの視線が動く。
バッツからセシルへと。そこには、まさにベイガンの言葉通りに、立ち続けるセシルの姿があった。
どんなに傷つけられようと、どんなに打ちのめされようと、セシルは倒れない。倒れていない。「この戦い・・・・・・どうなる・・・!?」
自然と、見ている人間の拳に力がこもる。
気がつけば、辺りは静まりかえっていた。誰も何も喋らない。誰も身動き一つしない。響くのは剣戟の音と、バッツの踏み込む足音。それと時折上がるセシルの悲鳴。
動くのはバッツのみ。まさに目にもとまらぬ動きで剣を振るい続ける―――それに対して、逆に、セシルは動いてるかどうかも解らないような最小限の動作で、バッツの連続攻撃を凌ぎ続けている。この時、その場の誰もがどこか感覚がマヒしていたのだろうと、その場の誰もが後になって思う。
無念無想の境地に至ったバッツに対して、セシルは一方的に傷つけられるのみ。
この時点で、普通ならば誰もが戦いを止めようと思うだろう。どんなに贔屓目に見ても、セシルの敗色濃厚であり、このまま続ければ死に繋がる。
だというのに、誰も止めようとしなかった。
それどころか、まだ勝負は解らないとばかりに、誰もがセシルとバッツの戦いを瞬き一つせずに注目していた。人の領域を超えて攻めるバッツ、それを少しずつ傷つきながらも受けるセシル。
尋常ではあり得ないその戦いに、誰もが引き込まれていたのだった―――