第13章「騎士と旅人」
E.「英雄」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バロン城
セシルの推測は外れた。
バッツに連れられてきた場所は、最後の戦いの場であった謁見の間ではなかった。
その一歩手前。
謁見の間へと続く渡り廊下。
つい先日、バロン王を打倒するために駆け抜けた廊下は、その時とは随分と様相が変わっていた。広々としていた大きな廊下は、その幅を半分ほどに縮めていた。
そして、その廊下の中央の両側の壁に手をついて、まるで壁を抑えるように踏ん張って、腰を低く落としているのは。「ポロムに・・・パロム・・・・・・」
その名前は意識せずに口から漏れた。
自分のその声を耳にして、セシルは夢から覚めたかのようにはっとする。
そして、もう一度、今度ははっきりとした自分の意志で双子の名前を口にした。「ポロム、パロム・・・・・・どうして・・・こんな・・・・・・」
それ以上、セシルの口からは言葉が出なかった。
バッツも双子を前にして、目を背けている。2人について来たヤンも、自らが信奉する風の神に祈りを捧げるかのように、目を閉じて黙祷していた。双子は石化していた。
バッツが深刻そうにここへ連れてこなければ、セシルはよく出来た彫像だとでも思ったかもしれない。
だが、目の前にある双子の石像が、セシルの良く知る双子の魔道士だとはっきりと解る。まだ幼くとも、されども大人にも負けない強い意志を秘めたその表情は、石を彫って表現出来るものではない。
「―――・・・勇敢、でした」
不意に、後ろから声がしてセシルは後ろを振り返る。
そこには、見慣れた顔の近衛兵長がゆっくりと歩いて来たところだった。
その後ろには、片腕に痛々しく白い包帯を巻いたガストラの将軍、レオ=クリストフも居る。「ベイガン・・・」
セシルに名前を呼ばれ、ベイガンはその場に立ち止まると軽く会釈をする。
そして、石となったパロムとポロムを交互に見ながら呟いた。「私は彼らのことを良く知りません―――しかし、幼いながらも勇敢な子供たちだったということは解ります」
そう言ってベイガンはセシルに事のあらましを説明し始めた。
セシルが倒れた後、渡り廊下へ入った途端に、もう忘れ去られようとしていた過去の忌まわしき罠が発動し、こちらを押しつぶそうと両側の壁が迫ってきたこと。
それに対抗するため、双子は他の全員を浮遊魔法で宙に浮かし、自らは石化の魔法を使って罠を食い止めたこと。「―――彼らの周りの壁や床、よく見れば変色しているのが解るでしょう?」
「・・・・・・」ベイガンに言われ、セシルはパロムが手をついている周りの壁をよく見る。
言われてみれば、城で使われている石壁とは微妙に色、というか質が違うような気がする―――・・・・・・「・・・・・・これは・・・!」
不意に、あることに気がついてセシルは声を上げた。
城で使われている石とは変質してしまった石壁。
だが、その質は石化した双子の石質と同じように思えた。
よくよく見てみれば、壁に付いた双子の掌は、壁とくっついて混ざり合い解け合っている。「・・・はい。彼らは自分の身体を媒体にし、自分が触れた石の壁を ”石化” させ、さらには壁を伝わり、壁の奥に仕込まれている罠の仕掛けをも石化させたのです。それでようやく壁を止めることが出来ました―――浮遊魔法で私達を浮かばせたのは、私達を石化に巻き込まないため」
ベイガンの話を沈痛な面持ちで聞き終えて、セシルはベイガンではなくレオへと顔を向ける。
「石化の魔法って言ったね? なら同じ魔法で2人を癒すことは・・・?」
「無理だ」レオは静かに否定する。
「2人とも、命を魔力に変えて魔法を使っている。しかも、2つの命を融合させた合体魔法で、だ。どんな大魔道士であろうとも、その力を打ち消すのは困難だろう。現に、私はおろか “賢者” の称号を持つテラ殿ですら癒やすことは出来なかった」
レオの説明を聞いて、セシルはぎりっ、と奥歯を噛み締める。
分かり切っていたことではあった。
そう簡単に双子の石化を解くことができるのなら、テラがとうに癒やしているに違いない。
今、ベイガンが話した顛末にしても、双子自身が面白可笑しく―――パロムがちょっと誇張して胸張って喋り、それをポロムが冷静に訂正する、というようにセシルは双子の無謀さに少しだけ怒りながらも、苦笑しながら聞いていたに違いない。だんっ!
気がつけば、セシルは双子が止めてくれた壁に拳を打ち付けていた。
「馬鹿なっ! なんで、こんな馬鹿なことを―――」
「違うだろ」悔やむような声を絞り出すセシルに、それとは対照的に静かな穏やかな声でバッツが言う。
「馬鹿なこと? ちげーよ。セシル、お前が言うべき言葉はそんな言葉じゃねえだろ」
「バッツ・・・?」
「こいつらは・・・このガキどもはお前のせいで犠牲になったんだ―――」バッツの声は段々と大きくなり最後には怒鳴り声になる。
「それをっ! “馬鹿なこと” なんていうなよ!」
「お、おいバッツ。セシルのせいで犠牲になった、なんて言い過ぎだろう」声と共に気が昂ぶった様子のバッツをヤンが宥めようと声を掛ける。
だが、セシルは首を横に振り。「いいんだ、ヤン。バッツの言うとおり、ポロム達が犠牲になってしまったのは僕のせいだ―――僕がもっと強ければ・・・僕が気を失ったりしていなかったら、もしかしたらなにか出来たかもしれないのに―――」
「いや、セシル。あの時は誰にもどうすることも出来なかった。だから・・・」悔やみに顔を歪ませるセシルに、ヤンが声を掛ける。
だが、その言葉が終わらぬうちに。風が、動いた。
「!?」
いきなり目の前に飛んできた打撃を、セシルはなにも考えずに反射的に頭を傾げて避けていた。
「ちっ、避けるなこの馬鹿!」
「バッツ!? いきなり、なにを・・・?」いきなり殴りかかってきたのはバッツだった。
セシルが驚いたようにバッツを見返すと、バッツはぺっ、と床に唾を吐き捨てる。「おい、ふざけるなよ、セシル=ハーヴィ。お前はなんにも解っちゃいねえ」
そう言って、バッツは敵意すらその視線に込めて、セシルを睨付ける。
対してセシルは困惑していた。
バッツが何故そんな目でこちらを睨んでくるのかが解らないし、いきなり殴られようとした理由もわからない。ただ、 “なにも解っちゃいない” という言葉が、何故か引っかかった。
「解っているさ!」
何故か、憤りが胸に沸く。
気がつけば、セシルもバッツと同じように声を荒らげていた。「解っている! パロムもポロムも僕のために犠牲になった! 僕がもう少ししっかりしていれば、こんな犠牲は出さずに済んだんだ!」
「解ってねえ! まずテメエのせいだって意味がわかってねえ! セシルッ! お前が強かろうと弱かろうと、このガキどもは同じことをしたはずだぜ、何度でもな―――お前が、セシル=ハーヴィで在る限り!」
「・・・僕が、僕である限り・・・? どういう意味だ・・・?」バッツの言葉に困惑するセシルに、バッツはへっ、嘲笑を浮かべた。
「ほらみろやっぱり解ってねえ」
「なにがだよ! 何が言いたい!」
「何度も言ってるだろが! “自覚しろ” ってことだ! テメエはセシル=ハーヴィなんだからな!」
「・・・・・・っ」解ってない、解ってないとバッツは言う。
ということはバッツには何かが解っていると言うことだ。
そんなバッツが、セシルには何故か勘にさわる。「・・・付き合ってられないな」
バッツの事は勘に障るが、これ以上バッツに付き合っても、何か泥沼にはまっていくような気がしたので、無視することにして視線を反らす。
「それよりもヤン、さっき聞いた話じゃ、フライヤたちがファブールとダムシアンに・・・・・・」
「そうやって、いつも逃げてるんだな」
「・・・・・・誰が逃げてるって・・・?」バッツの挑発に、セシルは反射的に応えてしまった。
挑発だ、ということは考えるまでもなく解っていた。けれど、考える間もなく言い返していた。「お前がだよ、セシル。そうやって苦しいこと、悲しいこと、悔しいこと―――悔やむことがあった時、お前はいつも逃げ出してたんだろ」
「・・・僕は、逃げ出してなんか無い!」荒ぶる感情に、無視するべきだと冷静な理性が告げている。
いつもなら、そうして理性で感情を抑えることができていた。だというのに、今だけは何故か、感情を抑えることが出来ない。
「僕は! 一度だって後悔が逃げ出したことはない!」
「ああ、そうだろうともよ! 今みたいに、お前は後悔しても立ち止まらずに歩いて行くんだろうさ―――俺とは違って」俺とは違って―――最後に付け足されたバッツの言葉が少し気になった、が、セシルがそのことを聞き返すよりも早くにバッツが怒鳴る。
「でもテメエは逃げてる! セシル=ハーヴィっていう自分から逃げてるんだよ!」
「逃げてなんか無いって言ってるだろ! 僕は、いつだって僕であり続けてきた。それだけが僕の誇りだ!」なんでこんなにも腹が立つのか解らない。
感情には理由があるはずだ。
例えば良いことがあれば喜ぶし、嫌なことがあれば悲しい。
だから、この苛立ちにもなにか理由があるはずだ。だけど、それが解らない。だからさらに苛立つ。逃げ出している、とバッツは言った。
セシルは “自分” から逃げていると。
その言葉が苛立ちの原因だと言うことは解る。だけど、なんでそう言われたから怒るのかが解らない。
セシルは今までずっとセシル=ハーヴィで在り続けてきた。それは、絶対に確かだと言い切れる。
ならば、バッツの言葉はそれこそ “解ってない” 言葉だ。無視するか適当にあしらえば良いだけの、無意味な言葉。そうであるべきなのに、どうしてかその言葉が引っかかる。
だから、こうして感情が爆発する。「てめえに誇りなんてあるのかよ!」
「・・・バッツ・・・お前は僕を怒らせたいのか!」
「もう怒ってるだろーが!」苛立つ、苛立つ。
でもその理由がわからなくて困惑する。(あれ・・・)
ぐつぐつと煮え立つマグマのように、沸騰する思考の中で、不意になにか妙な既視感を感じた。
(こんな気持ち、前にもあったような・・・・・・)
「誰もが解ってる! 誰もが認めてる! だけど、セシル=ハーヴィ! お前だけがなんにも解らなくて―――解ろうとしなくて、認めてない!」
「だから、さっきからなんの話だよ!?」
「英雄の話だ」
「英雄?」セシルが問い返すと、バッツは「おう」と応えていつものように、にやり、と笑って見せた。
「英雄の話だ。セシル=ハーヴィっていう英雄の、な」
「!」どくん、と胸が激しく鼓動を鳴らす。
苛立ちは、もはや不快感となってセシルの全身を駆けめぐった。「・・・誰が、英雄だ・・・」
「お前以外に誰が居るんだよ?」
「僕は、英雄なんかじゃない! 大切な人も守れず、こんな幼い子供達を犠牲にしてしまった・・・・・・そんな男のどこが英雄だ!」もう理性はカケラも吹き飛んでしまった。
目の前が真っ赤になるほどの激しい激情がセシルを絶叫させる。
誰も見たことがないセシルを前にして、その場に居合わせたヤンたちは驚きの眼差しでセシルを見つめていた。「ホラみろ解ってねえじゃんか―――だったらさ」
ただ一人、バッツだけが静かにセシルを見返していた。
そこにはさっきまでの苛立ちはない。
ただ、セシルを睨付ける眼差しは先程よりもなお鋭かった。「表に出やがれ。俺の剣で思い知らせてやるよ―――ついでにファブールでの借りも返してやる!」