夜だ。

 真っ暗闇の甲板に立ち、バッツは1人夜空の下に居た。
 雲一つ無い満天の星空を見上げて、バッツは吐息する。

 と、背後に気配が一つ。

「・・・眠れないのか?」

 振り返らなくても声でファリスだと解る。
 バッツは、「いいや」と首を横に振り、

「考えてるんだ。眠るヒマもないくらいに」
「なにをだよ」
「どうやったら勝てるかを」

 レオ=クリストフ。
 なんとなく、バロンであの男は待ち受けているのだろうと直感する。
 もしバロンで遭えることなくとも、いずれは決着をつけないといけない相手だ。なぜなら。

(俺は、そのためにここに戻ってきたんだからな)

 レオ=クリストフと戦うためではなく、レオ=クリストフに勝つために。

「それは、考えて解るものなのかよ?」
「解んねえだろな。俺、頭悪いし」
「だったら考えるだけ無駄だろ」
「身も蓋もねえなー」

 バッツは苦笑する。と、その時、潮の香りに混じってなにやら良い臭いがバッツの鼻孔をくすぐる。

(石けん・・・?)

 臭いの正体をなんとなく頭に思い浮かべると、ファリスが隣に並んで立つ。
 石けんのにおいが強くなる。どうやら、その香りはファリスから漂ってくるものらしかった。

(うわ・・・!)

 石けんの香りを辿り、ファリスの方を見てどきりとする。

 風呂にでも入っていたのだろうか。
 女性のように長い髪の毛は湿り、風になびくことなく垂れている。
 月と星だけの薄暗闇の中、ファリスの形をしたシルエットの中で、髪の毛についた僅かな水滴と、その瞳だけがキラキラと輝いて見えた。もともと女性のような顔立ちのファリスが、薄暗闇の中で輪郭だけが強調され、普段よりもさらに女性っぽく見える。石けんの良いニオイと相まって、バッツは目の前にいるのがファリスという名前の海賊ではなく、1人の女性のように思えた。

(・・・って、ンなわきゃねーだろっ!)

 どきどきする心臓を必死で押さえつけようとしながら、バッツは心の中で絶叫する。

「それよりももう寝た方がいい。明日にはバロンに着くんだ」

 声の調子も、いつもより女性のそれのように聞こえる。
 元々、低くない声音だが、こうして闇の中で聞いてみると、男にはとても思えない声で。

(だからっ、ンなわきゃねーって言ってるだろがッ)

「おい」
「うわおっ!?」

 いきなりファリスの声が目の前から聞こえた。
 気がつくと、ファリスがこちらを伺うように顔を近づけている。

「お前、さっきからなんかおかしくねーか? 具合でも悪いんじゃ・・・」
「違う。ただ単にお前がクサイだけだ。近づくな!」

 高鳴る鼓動を必死で押さえつけようと息を押し殺し―――あまり効果はなかったが―――バッツはしっしっ、と犬でも追い払うように手を振った。
 流石にそれにはファリスもムッとして、身を退いた。

「なんだよクサイって。俺は、ついさっき水浴びしたばっかりだぜ」
「水浴び? 海水でか?」
「いや、真水で。船長様の特権だ。羨ましいか?」

 意外に思われがちだが、船の上では真水は貴重品だ。
 水なんて海からいくらでも汲めると思われるかもしれないが、それは塩分の混じった海水だ。調理に使うならまだしも、喉の渇きを癒すために飲めるものでもない。
 だから、当然海の上で雨も降っていないのに水浴びをするなど、贅沢以外のなにものでもない。

「つっても桶一杯分の水だけどな。でかい仕事の前には身体を水で清めるってのが昔からの習慣になってるんでな。まあ、ゲンかつぎみたいなもんでもある」
「へえ、だから石けんの良い香りが・・・」
「うん? てめえ、”石けんの良い香り”って、なにがクサイだよ。俺はクサくなんかねえだろが!」

 ファリスがバッツに近寄ると、その肩を掴んで強引に引き寄せる。

「うわバカ痛ェ! つか、顔を近づけるなッ。気色悪い!」

 暗闇の中で、顔が真っ赤になっていることを気づかれないことが幸いだった。
 しかし、そんなバッツの言葉に、ファリスはますます怒り狂って、引き寄せたバッツの身体を乱暴に突き飛ばす。突き飛ばされたバッツは、甲板に尻餅をついて悲鳴を上げた、

「痛ェ!」
「フン・・・折角、人が景気づけしてやろーと・・・」
「へ・・・?」
「なんでもねえよッ!」

 機嫌悪そうに怒鳴って、ファリスは船の中に戻ろうとする。

「お、おい、ファリス・・・」

 流石に悪かったかもしれないと思い、バッツはファリスの後ろを追いかける―――と、ファリスは船内の扉を開けたところで立ち止まっていた。
 そして、そこにはファリスだけではなく、ファリスの手下の海賊の面々がずらりと顔を並べていた。
 船内のランプの明かりに、ファリスは不機嫌そうな顔を浮かび上がらせ、自分の手下を睨付け、

「おい、てめえら・・・これは一体なんの真似だ・・・?」
「いえ、お頭のことが心配で・・・」
「そうそう。デバガメしようって思ったわけじゃないんスよ」
「いやでも珍しくお頭がご執心のようだから、こいつはひょっとしたひょっとするかもって―――」
「うわ、バカ。そんな正直なことを―――」

 騒ぎ出す手下達の言い分を、ファリスは黙って聞いていたが。

「ぶ・・・」

 ぴきぃっ、となんかファリスの切れちゃいけない神経が切れる音を、その場の全員は聞いたような気がした。

「ぶっ殺すぞてめえらああああああっ!」
「ひいいいっ! お頭が怒ったあああっ!」
「に、逃げろーっ!」

 船内に向かってちりぢりになって逃げる手下達を、ファリスは鬼のような形相で追いかけ回す。
 あっという間に見えなくなった―――どたんばたんと、騒がしい音は船の中から響いてくるが―――ファリスたちを呆然と見送ったまま、バッツはその場で立ちつくす。

「・・・なんだったんだ。一体・・・?」

 呟き、それから欠伸を一つ。眠い。

(・・・なんか、考える気分じゃなくなっちまったなー)

 大した作戦とか戦法とかを考えていたわけじゃない。
 考えていたのは、たった一つの決意。

(レオ=クリストフは俺が人を殺す覚悟がないから敵ですらないと言った。そしてセシルのヤツは、殺すか殺されるかの戦場に居ながら、誰も殺せない俺は誰よりも弱かったと言った・・・つーことは、俺は人を殺せなきゃ強くなれない・・・レオ=クリストフにも、セシル=ハーヴィにも勝てないっていうことだよな)

 認めたくないことだが―――それでも認めなければならないことだが、人を殺せる人間は、人を殺せない人間よりも確実に強い。
 何故なら、殺さなければ、何度倒したとしても相手に意志と覚悟があれば何度でも立ち上がるだろう。そしていつかは何度も向かってきた相手に倒されてしまうかもしれない。その時に殺されてしまえば、自分はそれで終わる。例え、千回万回相手を倒しても、その後に1回でも殺されれば自分の負けだ。

(・・・それでも俺は誰も殺したくない。殺すことなく、俺はあいつらに勝ちたい・・・)

 セシルはバッツに、殺さなければレオ=クリストフに勝てないと言った。
 そしてそれはその通りだろう。
 殺さなければ、何度も立ち上がり、向かってくる。その強さがレオ=クリストフにはある。

(俺は勝てないのかもしれない。けど、それでも俺は―――)

 強く。強く強く、心に思う。
 その思いを口に出す。

「・・・勝ちたい・・・!」

 

 

******

 

 

 セラフ・ロードを再び通り、ミシディアに辿り着いたのはもう夜中だった。

「・・・パラディンにはならんのか?」

 いつも通りの格好で、腰にデスブリンガーを下げたままパロムを背中に背負うセシルに、テラが言う。
 セシルは頷いて、

「僕は、パラディンとして許されるのではなく、僕として・・・ミシディアからクリスタルを奪い去った暗黒騎士として許されなければならないと思いますから」
「全く、本当に強情だな。それで許されなくて、俺まで殺されたらどうするんだよ?」

 ポロムを背負ったロックが軽口を叩く。
 ちなみに、双子は試練の山を登ったせいで疲れたのか、それとも泣き疲れ、起こり疲れたせいなのか、セシルとロックの背中でぐっすりと眠り込んでいた。

「その時はクラウドが君を守ってくれるんだろ?」

 セシルが言うと、クラウドは肩を竦めて。

「・・・興味ないな」
「って、おい! お前は俺に雇われたんだろっ。古代図書館の場所を教える代わりに!」
「もう必要ない。セフィロスはこのフォールスに居る。なら、ファイブルまで行く必要はない」
「こ、この身勝手男ッ」
「まあまあ・・・安心せい。その時は、私がセシルがパラディンいなったということを証明してやろう。さすれば誰も文句は言えまい」

 騒ぐロックを、テラが落ち着かせようとするが、ロックはさらに口を尖らせて。

「つか、セシルが強情張らずに、さっさとパラディンになったって言えばいいだろが。ミシディアの連中だってそれを望んでるだろうさ」
「・・・え?」
「魔道士って頭が良いもんだろ? だから、本当は誰が悪いのかなんて知ってるはずなんだ。だから、長老だっていきなりお前を殺そうとしなかっただろ。でも、お前が憎めとばかりにひねくれちゃ、お前を憎むしかなくなるじゃないか。ポロムが言ってたろ? 誰も憎むってのは疲れるんだ。だから本当は、誰もお前のことを許したいんだ。パラディンっていうのはそのキッカケだろ」

 ロックが言い終えると、セシルとクラウドがまじまじとロックの顔を見る。
 じいっと見られ、ロックは気色悪そうに身を退いた。

「な、なんだよ・・・?」
「いや、その・・・」
「お前、マトモなこと喋れたんだな」
「待てコラ、トンガリヘッド! 俺がいつマトモでないことを言ったよ!?」
「・・・興味ないな」
「うわ、殴りてえ」

 思わず拳を握りしめるが、握りしめただけ。
 相手はソルジャーだ。格闘能力には雲泥の差がある。殴り返されるのがオチだろう。

「まあ、それはさておき、さっさと長老の家に向かうとしよう。岩山を登ったせいで、私はもうへとへとだ」

 テラが言うと、クラウドがほうと首をかしげ。

「浮遊魔法でズルしていたのにか?」
「へ? なんだよそれ! ジジイのくせにいやに健脚だと思ってたら!」

 今明かされる真相に、ロックがぶーぶーと文句を垂れる。
 テラは「うるさい!」とロックに怒鳴りつけ、

「ジジイと呼ぶな! それに、浮遊魔法を使っておったから、MPがつきてへとへとだと言っておるのだ」
「うわ、意味ねー」

 ロックが嘲笑すると、テラがロッドの先でその頭をごつんと叩いた―――

 

 

 


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