第10章「それぞれの決意」
J .「ありがとう」
main character:リディア
location:リヴァイアサンの体内

 

 

 

「それで、ここってなんなんだろうね」

 歩きながらリディアはそんなことを呟く。
 座り込んでいても仕方がないので、リディアはこの奇妙な空間を探検することにした。
 リディアと並んでブリットが歩き、その後ろにココがついてきて、ボムボムとトリスがふよふよと浮かんでついてくる。
 トリスはしばらく見ない間に随分と飛び方が上手くなり、以前のようにふらついていない。

「ワカラナイ」

 ブリットが答え、それから付け足す。

「ワカラナイケド、モシカシタラりでぃあハりう゛ぁいあさんニ食ワレタノカモ」
「ええっ! じゃあ、ここってリヴァイアサンのお腹の中ー!?」
「ご名答じゃ!」
「うひゃああ!?」

 いきなりブリットと自分以外の声が聞こえ、リディアは悲鳴を上げる。
 ブリットは素早くダガーを抜き、ココもリディアを庇うように前に出た。

「そう警戒しなさんな。わしは敵ではないぞ」

 などと言いつつ、暗闇の中から出てきたのは老人だった。
 いや、人間のような姿をしていたが人間ではなかった。
 身体は魔道士が好むようなローブを着た人間の身体で、腰は曲がってはいないがローブからはみ出た腕は枯れ枝のように細い。そして、頭は人間のそれではなく―――

「タコさん?」
「タコ言うな」

 思わず呟いたリディアに、相手が不機嫌そうに返した。
 だが、確かにその頭部はタコに酷似していて、吸盤こそないがタコの足のように―――或いは老人の髭のような触手が顎の下から生えて、うねうねと蠢いていた。

「まいんどふれあ・・・」

 ブリットが声を上げる、と相手は「ほう」と感心したような声を上げて。

「博識なゴブリンも居たものじゃ。いかにもワシはマインドフレア」
「マインドフレアさん?」
「そうじゃ、タコではないぞ」

 結構、気にしているらしい。

「ここって、リヴァイアサンさんのお腹の中なの?」
「そうじゃが」
「リディアたち、食べられちゃったの?」
「そうじゃな」
「じゃあ、死んじゃうのかな」
「それは、これからのオヌシしだいじゃなー」

 マインドフレアの答えにリディアはきょとんとする。
 代わりにブリットが、

「ドウイウコトダ?」
「お前さん、召喚士じゃろう?」

 ブリットの問いには答えずに、マインドフレアはリディアに尋ねると、リディアは素直に頷いた。
 すると、マインドフレアは懇願するようにタコのような瞳を向けて。

「ならば頼む。リヴァイアサン様を救ってやってくれ!」

 

 

******

 

 

「オヌシが生まれてくるよりも前の話じゃ」

 先頭を歩きながら、マインドフレアは訥々と語り出す。

「かつて、我らが住む幻界と、この地上とは繋がっておった―――じゃが、地上に住む人間に悪いヤツがおってのう。そいつが我ら幻獣の力を我が者にしようと、幻界に攻め込んできたのじゃ。幻獣は人間よりも強い肉体をもっておる、そうそうやられはしなかったが―――」

 ふう、とと息してかぶりを振る。

「―――それでも人間は次から次へと兵士を送り込み、ついに仲間の一匹が奴らに捕えられた。捕えられた仲間はその力を奪われて人間たちの兵器となってしまった・・・魔導、と人間は呼んでいたかの。魔導という力をつけた人間は、その力でさらに仲間を捕え、さらなる力を身に着けて際限なく力をつけていった―――最初の戦いが始まり、1年近く経った頃、幻獣王リヴァイアサンは決断した。人間が攻め込んでこれないように、幻界と現界を隔てる壁を作ろうと」
「かべ?」
「そう、壁じゃ。名を封魔壁という―――壁は幻獣たちの全ての力を集めて作られた。完成すれば何人たりとも幻界に入ってくることは不可能じゃった・・・だが、感性の直前に事故が起きた。子供が一人、幻界と現界の狭間に迷い込んでしまったのじゃ」
「子供って・・・幻獣さんの子供?」
「正確には人間と幻獣の子供じゃ。名前をティナと言う―――」
「ティナ!?」

 その名前を聞いた瞬間、リディアは叫んでいた。
 先を歩くマインドフレアの肩に飛びつく―――と、マインドフレアはそのままバランスを崩して倒れ込んだ。

「のわああっ!? なにをするか!」
「ね、ねえマインドフレアさん! ティナって、リディアの知ってるティナかな!?」
「知らんよ、そんなことは・・・」
「えっと、リディアみたいに緑の髪の毛でこうやって後ろで結んでて、赤い鎧を着てて・・・」
「髪型や鎧はどうかわからんが、確かにワシの知っているティナは緑色の髪の毛をしとったな」
「じゃあ、ティナだよ絶対!」

 はしゃいでリディアが断言する。
 立ち上がり、マインドフレアを助け起こしながらさらに尋ねる。

「ねえ、じゃあ、ティナのお父さんとお母さんは!? 何処にいるの!?」
「さあ・・・わからん。―――ティナの両親はその子供を助けようとし、そのためにリヴァイアサン様は完成しかけていた魔封壁を止めようとして―――その反動で、近くに居たワシや他の幻獣と一緒に外に出てしまった。その直後に魔封壁は完成し、ワシらは故郷に戻れなくなってしまった・・・」
「マインドフレアさん、可哀想・・・」

 悲しそうにリディアが言うと、マインドフレアは「ほっほ」と笑って。

「なんの。ワシなどまだマシな方じゃ。仲間の中には人間に掴まったものも居るじゃろう。それに一番可哀想なのはリヴァイアサン様じゃ」
「リヴァイアサンさん?」
「この世界には古の召喚士が施した封印がある。かつて、とある人間にリヴァイアサン様の力が悪用されかけたことがあっての、そのためにこの地上に呼び出せないように封印してあったんじゃが―――その封印の中に、リヴァイアサン様は強引に出てしまった。今、リヴァイアサン様には封印の反発力が働き、想像も絶するような激痛にさい悩まされておる。自我を保てず、痛みを近づいたものを破壊することで晴らそうとする、破壊竜となってしまっているのじゃ」

 それこそ悲しそうにマインドフレアは吐息して。

「本来、リヴァイアサン様は慈悲深きお優しい方じゃ。何かを破壊するたびにかすかに残った理性が自責の念に捕らわれていくのが解る。ワシの力で、多少はリヴァイアサン様の破壊衝動を抑えてはいるが、それにも限界がある。このままでは封印の力と、自責の重みに潰されてリヴァイアサン様は心身共に死んでしまうじゃろう―――だから、頼む。リヴァイアサン様を救ってくれ!」
「うん! リディアにできることなら何でもする。だから、何とか出来たらティナのこと、ティナのお父さんとお母さんのこと、教えて」
「それくらいなら」

 おやすいご用だと、マインドフレアは胸を叩いた。

 

 

******

 

 

 目の前に巨大な結晶があった。
 肉の柱に埋め込まれるようにして、クリスタルが赤く輝いている。
 大きさこそ違うが、ファブールでセシルがヤンと一緒に用意していた偽物のクリスタルに良く似ている、とリディアは思った。

「クリスタル・・・?」
「まあ、同質のものではあるな」

 リディアの呟きにマインドフレアは頷く。

「だが、我らは “魔石” と呼んでおる。幻獣が死した後、力の結晶として残される力の石じゃ。そして―――」
「!」

 不意に。
 クリスタルにぴしり、と音を立ててヒビが入った。

「そして、これこそが幻獣の命の源でもあり、心でもある」

 よくよく見れば、クリスタル―――魔石にはさっきのとは別に、細かなヒビがいくつも入っている。

「ワシは生物の精神をマヒさせる力がある。その力でリヴァイアサン様の ”痛み” を緩和し続けてきたが、それももう限界が近い」
「・・・可哀想」

 リディアはリヴァイアサンの魔石を涙目で見つめていた。
 召喚士の娘として生まれ、幻獣と心を通わせ使役する才能を持って生まれたリディアは、マインドフレアの言葉以上にリヴァイアサンの心の痛みをはっきりと感じ取ることが出来た。

「リディアはどうすればいいの? どうすればリヴァイアサンさんを助けられるの!?」

 リヴァイアサンの痛みを我が身のことのように感じ取り、その痛みと苦しみに泣きそうになりながらも涙を堪え、リディアはマインドフレアに聞く。
 問われ、マインドフレアは頷き。

「リヴァイアサン様を幻界へと還して欲しい」
「幻獣へ・・・?」
「そう。現界と幻界の間には魔封壁がある―――が、完全に二つの世界を遮断するハズだったその壁は、実は完璧ではない。リヴァイアサン様が術の完成直前で強引に止めた為に、ほんの少しだけ穴がある。召喚士ならばその “穴” を広げて幻界に戻ることが出来るかもしれん」

 マインドフレアに言われ、リディアは「んー」と少しだけ考えてから答えた。

「よく、わかんない」
「・・・リヴァイアサン様が望む場所へ連れて行って欲しい。と言えば解るかの?」
「うん。リヴァイアサンさんが帰りたいって思うところのドアを開けてあげれば良いんだよね。それならリディア、だいじょーぶ」
「そうか、よろしく頼む」

 言って、マインドフレアは一歩下がり、代わりにリディアが前に出る。
 魔石に手を触れると、石は手が張り付いてしまうかと思うくらいに冷たかった。だが、それはリヴァイアサンの痛みや悲しみだと知るリディアは、手を放すことなく逆に強く魔石へと押しつける。

「今・・・還してあげる」

 呟いて、リディアは魔物たちが見守る中、瞳を閉じた。

 

 

******

 

 

 目を閉じると、イメージの世界が目の前に広がった。
 目を閉じているはずなのに、リディアは目の前に扉が出現するのをはっきりと “見” ていた。
 それはカイポの村の時に見たものと同じ扉。リディアが一番親しみ慣れた、ミストの村の自宅の扉だ。

 だが、カイポの時は開け放たれていた扉は、しっかりと閉ざされ、ご丁寧に無骨な鎖でぐるぐる巻きにされていた。

(・・・えっと・・・)

 鎖を前にして、リディアは困る。
 鎖を解こうと念じるが、鎖はしっかりと扉に巻き付いていてぴくりとも動いてくれない。

(邪魔、しないでよぉっ!)

 イメージの中で絶叫し、鎖をどけようと念じるが駄目だった。
 断ち切ろうとしても、頑丈な鎖には傷一つつかない。
 鎖を無視して、強引に扉を開けようとしても、扉は少しきしんだ音を立てるだけで開かない。

(どうしよう・・・早くリヴァイアサンさんを助けてあげたいのに・・・どうして・・・どうして開いてくれないの・・・?)

 イメージの世界に居ても―――或いはイメージの世界だからこそか、リヴァイアサンの嘆きがリディアの心を打ちのめす。
 扉を開き、リヴァイアサンの悲しみを救うことも出来ない無力な自分に、リディアは泣きそうになる。

(リディアじゃ・・・駄目なの・・・? リディアは子供だから。弱っちぃから・・・だからティナも助けられなくて・・・!)

 助けたかった。
 リディアには大切な―――大好きな人がいた。
 でも、今はいない。

(ティナも、お母さんも助けられなかった・・・リディアが弱かったから・・・!)

 リディアが弱かったから母親は傷ついていた。リディアに力がなかったからティナはおかしくなってしまった。
 力が欲しいと思う。誰にも負けない力が。誰かを失って後悔しなくても済むような力が・・・!

 でも、今のリディアにはどんなに願おうとも力はない。

(力が欲しい! 誰か、リディアに力をちょうだい・・・!)

 絶叫する。
 と、ふわん、と風を感じた。

 

 

******

 

 

「・・・え?」

 唐突に感じた風に、リディアは思わず目を開けた。
 すると、頬に風を感じる。振り返ってみると、ココが自前の羽でリディアに風を送っていた。見れば、トリスもブリットの頭の上に掴まった状態で羽ばたいている。

「ココ・・・? トリス・・・?」
「りでぃあ、汗カイテルカラ、ここモとりすモセメテ仰イデアゲタイッテ」

 ものを喋れない二匹に代わり、ブリットが説明する。
 全く気が付かなかったが、リディアは長い間精神集中をしていたせいで、顔中にびっしりと汗をかいていた。

「あ・・・あはっ」

 必死に翼を羽ばたかせる二匹を見て、リディアは笑った。

「ありがとっ、二人ともっ!」

 リディアが礼を言うと、二匹は嬉しそうに鳴いた。

「やはり・・・無理なのかのう・・・?」

 重い声音でマインドフレアが尋ねてくる。
 リディアは小さく頷いて。

「うん・・・リディアだけの力じゃ駄目みたい」
「そうか・・・」
「でもっ」

 マインドフレアの無念そうな声を打ち消すように、リディアは叫んだ。

「みんなが力を貸してくれるなら、きっと、大丈夫!」

 そう言って、リディアはブリットの手を片手で握りしめる。
 いきなり手を握られて、ブリットはきょとんとしていたが、すぐにリディアと同じように近くを漂っていたボムボムの手を握った。ボムボムの手は少し熱かったが、妖魔であるブリットに我慢できないほどではない。ボムボムは戸惑うマインドフレアに手を伸ばすと、困惑しながらもマインドフレアはその手を握った。トリスはブリットの頭の上、そのトリスの伸ばした翼にココの翼が重ね合わされる。

 そして、リディアのもう一方の手はリヴァイアサンの魔石へと添えられていた。

「これで、上手くいくのか・・・?」

 マインドフレアの不安そうな声に、リディアは力強く頷いた。

「うん。絶対今度こそ大丈夫! だって、前もそうだったから―――そうだったことを思い出したから・・・!」

 そう言って、リディアは再び瞳を閉じた―――

 

 

******

 

 

 目を閉じると、目の前に扉が見えた。
 さっきと変わらずに、鎖でがんじがらめにされた扉だ。

(今度は・・・大丈夫・・・!)

 ゆっくりと、鎖に集中する。
 さっきは一人だった。けれど、今は右手にブリットの手の温かさを感じる。その向こうに、ボムボムやトリス、ココやマインドフレアの力を感じる。
 それは、弱っちぃリディアに強さを与えてくれる力だ。

(あの時も、そうだった・・・)

 カイポの村で、魔物が溢れてくる “扉” を閉じようとした時、扉を開いた相手に逆に引きずり込まれそうになった。
 リディア一人だったら、きっと今頃は向こう側に引きずり込まれて、怖い怪物に頭から食べられていたかも知れない。
 けれど、あの時はティナが助けてくれた。

 ティナだけじゃない。

 扉を閉じる為、オアシスへ向かう道をセシルとローザが道を作ってくれた。
 扉を閉じようとしているリディアを、魔物たちからバッツや父親が守ってくれた。

 だから、リディアは扉を閉めることが出来た。

 

 いつだって、リディアは一人じゃなかった。

 ミストの村ではボムボムとその友達が力になってくれた。

 カイポの村へ、セシルたちがリディアを運んでくれた。

 ダムシアンではバッツやギルバートが守ってくれた。

 いつだって、リディアは他の皆に助けられていた。

 助けられて、自分も必死になって頑張って、だから今、ここにこうしている。

 

 鎖は頑丈だった。
 皆の力を合わせてもびくともしない。
 それでもリディアは必死になって、鎖を解こうとする。

(大丈夫・・・知ってるもん。リディア知ってるもん・・・ローザお姉ちゃんのお薬を取りに行った時も、村で魔物に襲われたときも、お山でトリスのお母さんが死んじゃった時も、ダムシアンでも―――)

 強く、強く思う。
 ミストの村を出て、母親と別離してから今までの瞬間瞬間のことを。

(―――泣きたくなっちゃうようなこともあったし、嫌なこと、苦しいこと、痛いこと・・・お母さんやティナと離ればなれになっちゃったこと。一杯色々あったけど、それでも! 皆が居たからなんとかなったんだって! だから! 今だって―――!)

 鎖に切れろと強く念じる。
 だが、手応えは何も感じない。
 それでも、リディアは力の限り必死になって念じた。

(邪魔、しないでよおおおおおおおっ!)

 風が、吹いた。

(え・・・?)

 さっきとは違う風。
 イメージの世界に、その風は強く吹き渡る。
 清々しく、どんな暗く重いイメージでも吹き飛ばしてしまうような、疾風。
 疾風は、 “扉” しかなかったイメージの世界を粉々に吹き飛ばした。扉以外の “無” が風に砕かれ、現れたのは明るい青空。いくつも白い雲が浮かび、風の如く彼方へと素早く流れていく。その青空の下には緑の草原が限りなく広がり、風が吹くたびに草原が波打つ。その草原の真ん中に鎖に縛られた扉があった。

(なに、これ・・・)

 イメージの中で困惑する。今、リディアが見ているのはリディアのイメージの世界だ。扉は他の世界とを隔てる壁を表し、鎖をその壁が強固であることを示している―――それらはリディアが “封魔壁” を感じ取り、自分のイメージに置き換えただけのものだった。つまり、リディアが青空や草原をイメージする “何か” を感じ取らない限り、目の前にそう言ったイメージが広がるはずがない。

 困惑しながらも、リディアは目の前に広がるイメージから一人の青年を思い浮かべた。

(バッツ・・・お兄ちゃん・・・?)

 イメージの世界でリディアが呟いた瞬間―――目の前に茶色い髪の青年が現れる。

「・・・あれ、リディア?」

 青年は、きょとん、とリディアを見る。
 リディアも、青年と似たような表情で見返した。

「なんで、お兄ちゃんが・・・?」
「なんで、とか言われても―――これ、夢だろ。確か俺は寝てたはずだし」
「夢・・・?」
「夢だろ。だって、俺は船の上に居るんだぜ? なんでこんな草原なんかに・・・」
「・・・違うよ。夢なんかじゃない・・・!」

 リディアが首を横に振る。
 ここはリディアのイメージの世界だ。決してバッツの夢の世界などではない。

「夢じゃないなら・・・もしかして召喚魔法・・・とか?」
「うん。きっと、そうだよ」

 魔法の知識のないバッツが自信無さそうに言うと、リディアは頷いた。

「リディア、力が欲しいって思ったから、助けて欲しいって思ったから・・・だからお兄ちゃんを召喚しちゃったんだ」
「・・・じゃあ、これは現実なのかよ?」
「うんっ。本当じゃないけど本当なんだよ」
「ごめん、よくわかんねーけど・・・でも、じゃあ、リディアは生きてるのか?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
「マジで?」
「うん」
「ウソじゃなくて」
「うん」
「ギャグでもなくて」
「・・・いい加減にしないと、リディア怒っちゃうよ」
「そっか」

 短く呟いてバッツは悩むように首をひねる。

「どうしたの?」
「いや・・・リディアは海におっこちて死んだって聞いてたからさ。本当なら滅茶苦茶喜ぶ所なんだろうけど・・・ええと、なんか唐突すぎて驚いたり喜ぶタイミングが・・・」

 ぶつぶつ呟いて、やがて「ま、いいか」と自己完結する。

「セシルの馬鹿野郎がついてたから死んでないとは思ったけどな―――そいやセシルは?」
「わかんない」
「ふうん。まあ、あいつなら生きてるだろ。きっと」
「うん。リディアもそう思う」

 バッツの言葉にリディアも頷き、互いに朗らかに笑い合う。
 両方とも強がっていたり自分を騙しているような無理な笑顔ではなく、なんの疑いもナシにセシルの生存を信じ切っている笑顔だった。もちろん、確かな根拠は何もなく。

「ああ、それで力が欲しいって・・・なんでだ?」
「うん。あのね、あの鎖をどうにかしたいの」
「鎖?」

 リディアに視線を辿りバッツは扉を振り返る。

「なんだありゃ」
「リディアね、あの扉を開けたいの」
「なんで?」
「リヴァイアサンさんを還してあげたいの」
「どこに?」
「リヴァイアサンさんが帰りたい場所」
「あの扉の向こうにあるのか?」
「うん」

 ふうん、とバッツは扉と、扉にからみつく鎖を眺めて扉に近づく。
 鎖を掴んで引っ張ってみるが、びくともしない。

「・・・うわ固。なんか工具でもなきゃどうにもならねえんじゃねえか? ノコギリとか」
「バッツお兄ちゃんでも駄目?」
「俺はただの旅人だぜ? こういうのは鍛冶屋とかそういう鉄を扱う奴らに頼めよ―――せめて、刀があればなんとかなるような気がしないでもないけどな」

 と、バッツが言った瞬間、何も持っていなかったバッツの手に抜き身の刀が出現する。
 それも、刀の付け根が鉛で補強してある父の形見の刀だ。

「うわっ!?」

 いきなり自分の刀が現れたことにバッツは驚く。

「なんだ、これも召喚魔法か?」
「ううん、それはバッツお兄ちゃんのイメージだよ。ここはイメージの世界だから」
「・・・リディア、難しいことを言ってお兄ちゃんを困らせないでくれ」
「もしかしてお兄ちゃんって頭―――ううん、なんでもない」

 何かを言いかけて首を横に振るリディアをバッツは悲しそうな顔で見つめた。

「・・・言いたいことははっきりいった方が人の為って事もあるんだぞ」
「お兄ちゃんって頭悪いの?」
「うわ言いやがったこいつ! はっきりと聞きやがったーっ!」
「ごめんねお兄ちゃん。でも、こういうことははっきり言った方がお兄ちゃんの為だから・・・!」

 生傷をえぐるような言葉に、バッツは泣きそうな顔になる。

「いや、自覚はしてるんだ。俺は頭の良い方じゃないって。学校だってロクに言ってないし―――でも、他人に・・・それも親しい知人に言われると、すっげーキツいわ」
「じゃあ、やっぱりバッツおにいちゃんって頭悪いんだ」
「そうだよ、俺は頭悪いよ! 悪いかチクショー!」

 自棄になって叫ぶと、リディアはゆっくりと首を横に振った。

「ううん・・・リディア、頭が悪くったってバッツお兄ちゃんのこと―――好きだよ?」
「リディア・・・」
「お兄ちゃん・・・」

 たっ、とリディアは草原を駆けてバッツに飛びつく。
 刀を地面に突き刺して、バッツはそれを受け止めた。ひしっ、と二人は抱擁を交わして―――やがて離れる。

「・・・ツッコミ役がいないと、ちょっと寂しいな」
「そうだね」
「これはな、あれだな。やっぱセシルの馬鹿を捜さないとな。そんでもって、ティナも取り返して―――」
「うんっ。リディアも同じ事考えてた。ローザお姉ちゃんやギルバートお兄ちゃんも一緒に、またみんなで一緒に居られたらきっと、すっごく幸せだよね」
「ギルバートはともかくあの姉ちゃんはなあ・・・」
「ローザお姉ちゃんのこと嫌い?」
「嫌いってワケじゃないけどさ。セシルと一緒だと、四六時中ラブラブしててうっとうしいぜ、絶対」
「あははっ。そしたら、リディアたちもラブラブ見せつけてやればいいんだよっ」
「おう、なるほど。でもそうするとギルバートとティナが可哀想だな―――いや、あいつらもラブラブになれば完璧じゃないか」
「えー、駄目ー! ティナはリディアのものなのー!」
「うわ、禁断の愛ー!」

 等とツッコミ不在のまま、楽しげな会話は続き。
 やがて、会話が途切れたところでバッツは地面に突き刺していた刀を抜いた。

「さて・・・と―――じゃあ、あの鎖を斬ればいいんだな?」
「うん・・・バッツお兄ちゃん、できるの?」
「はっは。天下御免のバッツ=クラウザー様だぞ。できないことなんてあるもんか」
「・・・さっきはただの旅人だから出来ないって言ったくせに」
「旅人だからな。言うこともやることも気まぐれなんだよ」

 からからと笑いながら言い捨てて、バッツは鎖を睨付ける―――

「さて、リディア。気まぐれついでにいいモンを見せてやるよ―――俺の親父、ドルガン=クラウザーを剣聖と言わしめた必殺剣。風よりも速く何よりも速く限りなく速く・・・斬るよりも速く斬り、抗うよりも速く斬り捨てる―――究極の速さの前には、あらゆるものが斬られぬことを許されない・・・」

 その瞬間を、リディアは見逃した。
 じっとバッツの後ろ姿を見つめていたはずなのに、気が付けばそこには何もなく―――

「―――これこそが最強秘剣」

 

 斬鉄剣

 

 声は、遠くから。
 慌てて顔を上げると、いつの間にか扉の横を通り過ぎた辺りにバッツが立っていた。

 ぴしり。

 と、リディアはなにかがもろく壊れる音を耳にする。
 見れば扉に巻き付いていた鎖に、扉の真ん中辺りの高さから横一文字に断ち切られていた。
 断ち切られた鎖は、やがてばらばらと下に崩れ落ちる。しばらくして扉の真ん中から下の鎖は、全て地面に落ちていた。

 その様子を、最初リディアはぽかんと口を開けて眺めていたが―――やがて、手を叩いてはしゃぎ出す。

「す・・・ごい・・・すごいすごい! リディアがどんなに頑張ってもどうにもならなかったのに! お兄ちゃん、凄い!」
「はっはっは。もっと褒めても良いぜ」
「うん、うんっ! やっぱり頭悪くてもお兄ちゃんは格好良いよ!」
「・・・そ、そうか。は、ははは・・・あ、頭悪いは余計だけどな」

 ちょっと寂しそうに笑うバッツに、リディアは抱きつこうとして。

「きゃっ!?」
「へ?」

 バッツに飛びついたリディアは、しかしバッツに触れることなく地面に倒れた。

「おい、リディア大丈夫か―――って、ええっ!?」

 リディアを助け起こそうと手を伸ばしかけてバッツは驚愕する。
 手首が消えていた。

「な、なんだこりゃ・・・!?」

 気が付くと、バッツの身体の色が薄くなり、半透明になっている。
 それも手首のように徐々にあちこち消えていく。
 バッツが持っていた刀も、いつの間にか消え去っていた。

「お兄ちゃん・・・行っちゃうんだ・・・?」
「どこに!?」

 地面に座り込んだまま、放心気味にバッツを見上げるリディアに、むしろ消えていくバッツの方が驚いて聞き返す。

「リディアが召喚できたの、バッツお兄ちゃんの心だけだったんだよ、きっと。だから身体があるところに帰っちゃうんだ」
「頭の悪いお兄ちゃんですまねえけど、よくわかんない」
「お別れってこと」
「・・・そっか」

 寂しそうに呟くリディアに、バッツも同じような顔して頷いて。
 それから、真剣な顔をして口を開く。

「・・・なあ、リディア、ごめんな」
「? どうして、お兄ちゃんが謝るの?」
「お前の傍にいるって良いながら、自分勝手に逃げ出しちまった―――俺は駄目なヤツだ」
「そんなの・・・お兄ちゃんが謝る事じゃないよ。だって、リディアはお兄ちゃんの事が大好きだから。だから・・・だから、お母さんやティナみたいにリディアの為に頑張りすぎて居なくなっちゃうことのほうが嫌だったから・・・」
「ああ、そうだな。あの時は忘れてたけど、リディアはそういう優しくて強い子だ」
「・・・でも、駄目だね。リディア、一人でも頑張ろうって思ったけど。やっぱり駄目だよ。お兄ちゃんがいないと、リディアは弱っちい子供だから」
「んなことねーよ。リディアは俺なんかよりもずっと強い。そりゃ、まだ子供だから力が弱いかも知れない―――でも、俺みたいに逃げ出さなかった。今だって、この扉を何とか開けたくて・・・でも自分の力じゃどうにもならなくて―――それでも開けたくて必死で頑張ったから、俺がここに来ることができたんだ、きっと」

 そう優しく言うバッツの身体は八割が消失し、もう頭だけだ。

「俺が消えるって事は、俺の役目はもう終わったって事だ―――後はリディア、お前がもう少し頑張れ!」
「うんっ! リディア、頑張る! だからお兄ちゃんも―――死なないで!」
「俺は死なねーよ! そういう “剣” だって思い出したから、だから―――」

 だから、とその後の言葉を言う前に、バッツは完全に消え去った。
 と、同時に草原が消えて雲が消えて青空が消え、風が止む。
 後に残されたのは無の中に浮かぶ、一枚の扉だけだ。

(だから―――また、逢おうね。お兄ちゃん)

 バッツの言葉の続きを、リディアは心に思い浮かべて―――そして、扉に向けて意識を集中させる。
 鎖は、まだ扉の上半分を覆っていたが、リディアが念じると容易く吹っ飛んだ。

(ありがとう・・・)

 皆が力をくれた。
 バッツお兄ちゃんが助けてくれた。
 そのことに感謝して、リディアは扉に向かって力を込める。

(開け―――!)

 鎖の無くなった扉を、ゆっくりと押し広げる―――その瞬間、扉の向こうから目映い光があふれ出て、リディアの意識を呑み込んだ―――

 

 


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