第10章「それぞれの決意」
I .「敵か味方か」
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character:ジュエル=ジェルダイン
location:バロン・ファレル家の屋敷
上段からもの凄い勢いで振り下ろされた騎士剣は鼻先をかすめて真下へと通過。
ふおん、と生暖かい緩やかな風が冷や汗を撫でる。
目の前から銀の残影が消えてから数秒後、ようやくジュエルは自分が死んでいないことに確信できた。
「私・・・生きてる・・・?」
そんな呟きと一緒に、自分を拘束していたロープが縦一文字に断ち切られて、はらりと床に落ちた。
開放感と安堵感がない交ぜになった吐息がジュエルの唇から漏れる―――もっとも、解けたのはロープだけで、手首足首はまだ縛られているが。「あら」
と、奥様が声を上げて騎士剣を退くと、鞘に収めながら。
「成功して良かったわー。私的に成功確率は50%くらいだったから、少しドキドキだったのよ」
「こっちは心臓が飛びでるくらい怖かったわぁっ! つーか、その割には思いっきり思い切り良く振り下ろしてたでしょうがッ!」
「だって、こういうのは勢いが肝心だもの」
「勢い余って50%の確率で殺されてたまるかーっ!」涙目。
思い返しても今までの人生で泣き喚いた記憶はない。エブラーナでは泣くことは弱さであると教えられる。喜怒哀楽の感情で、もっとも生き抜くことに不要な感情だと。
喜びの為に人は生き、怒ることで通常以上の力を発揮できる。どんな状況でも笑うことで、心身をリラックスさせれば常に100%に近い実力を発揮することが出来る。
ただ悲しみだけは弱さにしかならない。何かを失い悲しむ心は、人を立ち止まらせる。涙は視界を覆い隠す。だから、エブラーナの忍者たちは悲しみは嘆くことで発散させず、己の精神力で抑え込み、無理矢理に怒りにすることで発散させる。だが、悲しみを無くした人間は、人として欠落した存在でもあった。
最強の忍者であろうとするあまりに、エブラーナ忍者は人の何割かを捨てた存在とも呼べる。そしてそんな教えについて行くことはできないと、遙かな昔にエブラーナから袂を別ったのが、セブンスのウータイ忍者だった。
ウータイの忍者は、忍者として極めるよりも、忍でありながらも人であろうとした。それをエブラーナの忍者は中途半端だと揶揄する者も多い。そんな事情があるので、近年までエブラーナとウータイの交流は無かった。
放蕩息子であった現エブラーナ国王エドワードがウータイを訪れなければ、未だに二つの忍者の交流はありえずにエッジとユフィも出会うことはなかっただろう―――ユフィ辺りは出会いたくなかったと言うだろうが。閑話休題。
「うっうっ・・・もうやだよう・・・帰りたいよう・・・」
悲しみを己から消し、涙を無くすように鍛えられたジュエルだったが、今初めて泣き言を漏らした。涙こそ流さなかったが、演技などで人を謀る時以外では漏らしたことのない泣き言を、心の底からこぼしていた。
「ええ。だからここは貴女の家だと思ってくれて良いのよ?」
優しくこちらの肩に手をかけてくる奥様。
100%の善意が伝わってくる―――いや、自分が暇だからと言う理由でジュエルを押しとどめているのだから、100%の善意とは言えないが、それでも悪意は全くない。例えばこれがこちらを陥れようとする悪意を感じられるなら抗することもできる。敵ならば戦うことも出来る。必要と有れば、敵に屈する前に自刃することも厭わない。
だが、相手に悪気はなくこちらに危害を加える気もない―――結果としてさっきは死にかけたが―――エブラーナでの生活においても、戦場であってもこういう手合いはジュエルにとって初めてだった。だから、どうしていいか全く解らず頭が真っ白になる。ぶっちゃけ、こんな相手にこっちがマジになって自害するのは文字通り死ぬほど馬鹿らしいし。
いっそのこと、敵だったらと思う。
そう思い、ジュエルは色々とぶちまけることにした。「あのねぇ。私はエブラーナ国王の妻で、このバロンを落とす為に侵攻してきて失敗して兵士たちから逃げ回っていた所でここに逃げ込んであんたたちに掴まったの! ちなみにさっき街が燃えていたでしょう? あれも私達の仕業よ!」
ジュエルが事のあらましを簡単に並べ立てると、奥様の後ろに控えていたミストの顔色が緊迫したものに変わる―――いつの間にかキャシーは居なくなっていた。
「・・・そんな」
見れば奥様も険しい顔でこちらを注視している―――そんな様子を見て、ジュエルは頭が冷えてくるのを感じた。
おそらく、今まで彼女たちは自分をキャシーの知人としか見ていなかったのだろう。だが、それが実は自分たちの街に攻め込んできた敵だとしれば、どんなに脳が緩い人間でも態度を改める。
おそらくこれから自分は殺されるか、それとも兵士に突き出されてそれから殺されるか―――どちらにしろ、あまり良くない結末が待っているのだろう。(馬鹿だねー、私も。このままこの異次元空間で話を合わせていれば生き延びられたかも知れないのに)
思う、がもしかしたら無意識にもうどうでも良いと考えているのかも知れない、とも思う。
おそらくエドワードは死んだだろう。ならば自分が生き延びることに如何ほどの意味があるのだろうか。(ごめんね、エッジ。あとは任せた)
夫に良く似た息子のことを思う。まだまだ未熟だが、それでもエブラーナを任せられるくらいには成長してくれた。
だからかもしれない、こんなにも穏やかでなにも未練が残らないのは―――などとしみじみ思っていると、奥様が口を開いた。
「・・・そんな、よく解らないこといわれても」
「っだああああああああっ!?」叫んだ。
脳が緩いのではなく、脳が弱いらしかった。「だ・か・ら! 私はあんたたちの敵なの! だから殺すか兵士に突き出すかどうにかしなさいよ!」
「えー」
「えー、じゃないっ!」
「だって、あなたはバロンの敵かも知れないけど、キャシーの知人でしょ? キャシーは私の敵じゃないわ。だからあなたは私の敵じゃないでしょう?」
「なにその無茶苦茶な三段論法ーっ!?」(もうやだもうやだもうやだもうやだ)
なんでも良いからこの異次元空間から逃げ出したい。
もしもここから助け出してくれるなら、バロンでも悪魔でもなんにでも魂を叩き売ったって良いとさえ思う。「あれ。なんか聞いた声がしてると思ったら・・・」
それこそ聞いた声がして、ジュエルはそちらを振り向く―――と、いつのまにか居なくなっていたキャシーに連れられて、息子のエッジが遊戯室に入ってくるところだった。
「なんでオフクロがこんな所に」
それこそなんで息子がこんな所に現れたのか解らないが、しかしそんなことを悩むよりも早くジュエルは懇願するように叫んでいた。
「お願いエッジ! 助けてぇぇえええぇぇっ!」
******
「―――事情は解ったわ」
キャシーの入れた紅茶に口を付けてから、奥様―――ディアナ=ファレルはそう言って頷いた。
ディアナの座るソファに向かい合うようにしておかれたソファに、突然の珍客―――ジュエルとエッジ、それからユフィ―――が座っている。
ユフィは出された紅茶をおずおずとすすって、現状を把握しようと悩んでいるが上手くいかないようだった。エッジはバロン貴族の屋敷が珍しいのか、遊戯室の中をきょろきょろと落ちつきなく眺め回し、時折、ディアナの背後に佇むミストの胸元やら尻の辺りをセクハラじみた目線で眺めては、ミストと同じく並んで立っているキャシーの目が向くと、慌てて視線を反らす。そして、ジュエルとはいうと油断無く険しい目つきでディアナの様子を伺っていた。ちなみにキャシーの施した拘束はすでに解かれている。今、ディアナは再会を果たした忍者の母子とついでにその知人から、改めて事のあらましを聞いたところだった。
「・・・・・・」
ディアナは事情は解った、と呟いたまま何も言わずに、再び紅茶のカップに口を付ける。
ユフィもさっきから居心地悪そうに紅茶を飲んでいるが、エッジもジュエルも差し出された紅茶に口を付けようとしない。「毒は入ってませんが」
キャシーが言うと、エッジとジュエルは似たような顔を渋く染めて、それぞれ言った。
「お前の入れた紅茶なんぞのめるか!」
「この屋敷で入れられた紅茶なんかのめるか!」
「・・・え、けっこー、美味しいけど」ユフィが感想を述べるが、二人は無視。
さらに居心地悪くなって、ユフィは紅茶を飲むことに没頭する―――とすぐに紅茶は飲み干され、気が付くとディアナの後ろに居たはずのキャシーが、ティーポットを手にユフィの傍らに立っていた。「おかわりはいりますか?」
「あ、じゃあ、貰おっかな。美味しいし」
「有り難う御座います」と、ユフィの称賛に対してキャシーは一礼。
してからユフィのカップに紅茶を注ぐ。「この紅茶ってどこの紅茶? カルナックかな」
「ご明察の通り。ファイブルのカルナック産の紅茶です。先日、旦那様がご友人から頂いたもので」
「へえ、やっぱり」注ぎ終わった紅茶を眺めて頷くユフィに、エッジが横から口を挟む。
「なんだよお前、聞茶なんか出来たのか?」
ユフィはちっちっちと指を振って。
「ふふん♪ 伊達にお城で給仕をやってたわけじゃないって。実際に飲んだことはないけど、香りでどこの産地かくらいは解っちゃうよ」
「ああそういやお前メイドなんて・・・って、さっきまでメイド服着てなかったか?」エッジの指摘通り、ユフィは城でキャシーが身に着けているようなメイド服を着ていた。
だが、今はジュエルのと似たような忍装束姿だ。
言われてユフィは「今頃気が付いたの?」とでも言いたげな表情で、自分の服をつまんで説明する。「メイド服の下にこれを着込んでたの。ちなみに服は屋敷に入る前に脱いでキャシーに預けたけど」
「うわもったいねえ! 俺にくれたら有効利用してやるのに」
「・・・なに。あんたもしかして変態?」いいつつ気持ち悪そうに心持ち身を退くユフィ。
「どういう想像しやがったてめえ」
「どうって・・・そんなこと女の子に言わせる気かー」
「どこが女だ!?」
「どっからどう見たって女でしょうが」
「証拠見せろ! 脱げ!」
「―――とかいって本当にアタシが脱いだらどうする気よ!?」
「もちろんじっくり鑑賞する! あまつさえ揉む。揉みしだく!」
「変態語を力一杯叫ぶなあああああっ!」しゃきんっ! いきなりユフィはクナイを手に取る。
と、エッジが慌てて手を広げて「待った」をかける。「おい、おかしいぞユフィ!」
「アンタの頭以上におかしいところがどこにあるっ!?」
「いやマジだってかなりマジマジ。すげえヘン」
「なにが?」
「だって、今までのパターンだと、お前より早くオフクロの容赦ないつっこみが入るはずなんだが・・・」エッジは振り返り自分の母親を見る。
ジュエルはさっきから押し黙ったまま、険しい表情でディアナを睨付けていた。
対するディアナは平然と紅茶を飲んでいる。「見ろ。なんかオフクロってば、俺ですら見たことがないくらいに緊迫してやがる」
「それで?」
「そーいや今ふと思ったんだが、なんか成り行きでこのお屋敷にご招待遊ばされてしまったわけだがよ? 考えてみれば、俺たちエブラーナの敵であるバロンの貴族のお屋敷なワケで・・・んで、その屋敷の主がさっき『事情は解った』とか言ったまま、なにも言わないってことは―――」エッジの言葉に、ユフィは遅まきながらその意味に気が付いて、遊戯室の窓を振り返る。
窓の外はもう暗闇で何も見えはしなかったが―――「まさか・・・この屋敷、兵士に囲まれているとか!?」
そう。
今ひとつ事情が把握できないことと、美味しい紅茶に誤魔化されてしまったが、考えてみればここは敵地―――ユフィはただ巻き込まれただけだが―――敵を目の前にして兵士に通報しないワケがない。良い紅茶の香りが漂う中、緊迫した雰囲気に場が支配される。
ユフィとエッジは息を潜め、屋敷の外の気配を探ろうとするが、何の気配も感じない。
杞憂か―――と、そう思い始めた時、ジュエルが口を開いた。「あなた、もしかして―――」
伺うように、なにかとてつもない罠でも警戒するように慎重に、ジュエルはディアナに向かって尋ねる。
「―――実は全然、事情を理解してないでしょう?」
ジュエルに問われ、ディアナは空になった紅茶のカップをテーブルに置くと、ゆっくり頷いた。
「うん」
「「「だああああああっ!?」」」いきなり緊迫した場面がブチ壊されて、エッジとユフィは座ったままテーブルに突っ伏す。
見れば、ミストもこけていた。
ジュエルは険しい表情から呆れたような顔になり、キャシーは空になったディアナのカップに新しく紅茶を注ぐ。そしてディアナはおっとりと笑いながら。「だって、解ったフリしなければ私がお馬鹿さんみたいじゃない」
「十分お馬鹿よ! ったく・・・」はあっ、と溜息をついて、ジュエルは立ち上がる。
「どうしたの? お手洗い?」
「悪いけれど、これ以上は付き合っていられない。帰らせて貰うわ―――エッジ、ユフィ。行くわよ」
「待ちなさい」と、エッジとユフィが立ち上がるよりも早く、ディアナが制止の声をかける。
「もう遅いし一晩泊まって行けばいいでしょう?」
「まあ一応好意だと思うから礼は言っておく。けど、私は早くエブラーナに戻らないと」
「一日やそこら早くったって何が変わるわけでもないでしょう? それよりも一晩くらい身体を休めなければ、成るものも成らなくなるわ」
「・・・!」存外マトモな言葉が返って来たので、ジュエルは少し驚いてディアナを見返す。
ディアナはさっきと同じように穏やかに微笑んで、「夜の方が逃げ出しやすいかもしれないけど、それだけに警備も厳しいわ。特に私の知り合いにカイン=ハイウィンドって言う責任感の強い竜騎士が居るのよ。きっと彼は今頃街中を見回っているでしょうね」
「あなた・・・っ!」
「だから逃げるなら明日の早朝辺り、兵士たちの緊張が途切れた辺りを狙って逃げるのが一番いいと思うの。なんならキャシーにも見送らせるけど?」ね? と言う、ディアナにジュエルは脱力。して、ソファに再び座り込んだ。
ディアナに向かって不敵に笑って見せて、「実は最初ッから全部理解してたんでしょう?」
「ええ」ジュエルの問いに、ディアナはあっさりと頷いた。
「もう一つ教えてくれる? あなたは私の敵?」
「貴女が私の敵なら、きっと私は貴女の敵でしょうね―――貴女は?」
「今まで色んな敵を相手にしたけれど」はあ、と困ったように吐息。
「あなただけは敵にしたくないと心底思うわ」
「なら、私は敵にはならないわ。そして、貴女がキャシーの友人であるなら、私は貴女の味方のつもりよ?」
「・・・なら、信じさせてもらいましょうか」
「おい、いいのか?」ジュエルの決断に、エッジが不安そうに口を挟む。
信じられるかどうか―――ジュエルにも半信半疑だったが。「彼女の言っていることは正論だしね。今、ヘタに動くよりもしばらく待った方が良いし。それに、敵なら今頃私は殺されてるか兵士に突き出されているしね。困ったことに、信じられない要素は敵国の住民ってことしかないのよ」
本当に、困ったものだとジュエルは思った。
拘束されて殺されかけて―――それでも敵だと思える要素が限りなく少ない。「まあ、オフクロがいいって言うなら良いけどよ―――オフクロが間違ったことはほとんど無いし」
「この屋敷に来てから間違いっぱなしのような気もするけどね―――っと」そこでジュエルは相手の名前を知らないことに気が付く。
すぐに察してディアナは自分の名前を名乗った。「ディアナよ。ディアナ=ファレル―――ニードルダンサーと呼ばれたこともあるわね」
「ごめん、全然知らない」
「そう」と、ディアナはかなり寂しそうな顔をした―――