第10章「それぞれの決意」
H.「望まぬ再会」
main
character:ジュエル=ジェルダイン
location:バロン・ファレル家の屋敷
運命の出会いというのは。
偶然の出会いというのは。
まあ、意外とよくあることなんだなーと。
ジュエル=ジェルダインはその時思ってみたりした。
「・・・ジュエルさま?」
「え・・・キャ・・・キャシー・・・?」筋肉爺やらバロンの兵隊さんやらから、不案内な街の中を逃げまわって。
後ろから横から前からと、包囲してくる兵士をやり過ごす為に塀を乗り越えて、見も知らぬ誰かさんちの庭に飛び込んだ。飛び込んできてから気がついたが、そこは貴族だかお金持ちだかが住んでいるような屋敷の庭だった。
塀の外をバタバタと駆けていく足音が過ぎ去るのを聞いてほっと一息―――したところで、不意に人の気配を感じた。
忍びとして訓練された自分がその接近に気が付かないはずはないのだが、しかしその気配はすぐ近くに―――具体的には肩を叩かれるまで気が付かなかった。ぽん、とやや気安く肩を叩かれた瞬間、ジュエルはびくっと全身を振るわせて振り返る。と、そこには見て知った顔があった。
「ジュエルさま。どうしてこのような場所に―――まさか」
と、キャシーはわざとらしく口元を抑え―――無表情のまま―――驚いた素振りを見せる。
「いけません、ジュエルさま。いくらお金に困っても泥棒だけは・・・」
「いや違うから。つーか、泥棒するならバロンじゃなくてダムシアン行くわよ」
「それもそうですね―――では、他に考えられる理由は」しばし考え。
キャシーは悲しそうに目を伏せた。「申し訳御座いません、ジュエルさま。つい先日、新しくメイドを雇ったばかりですので、奥様は新しく人を雇うことは無いと思います」
「いやそれも違うから。だいたい、なんで賃金稼ぐのにわざわざバロンまで出稼ぎに来なければならないのよ」
「それもそうですね。では、そうすると・・・」ふむ、と黙考。
やおら、ぽんっと手を叩いて。「では、もしかすると兵隊さまに追われていたところを、やりすごすために逃げこまれて来たとか」
「アンタ、最初から解ってて言っているでしょう」
「当然で御座います」ジュエルは無言で手近にあった石を拾い上げると、素早く投げつけた。
狙い違わず迅速に、石はキャシーの眉間へと迫り―――だが、キャシーはそれを軽く首をかしげるようにして避ける。と。「〜っ!」
キャシーの背後から声なき悲鳴が聞こえた―――ような気がした。
おや、と思って首を巡らせると、質素なライトグレーのドレスを着た女性が、額を両手で押さえて蹲っていた。タイミングからして、ジュエルが投げつけた小石が直撃したのだろう。
「ええと・・・」
とりあえず困ってみる。
困るだけで、どうしようかと悩んだままでいると、痛そうに蹲っていた女性が顔を上げた。額が赤い。「キャシー!」
涙目で、悲痛というには雄々しすぎる甲高い声でメイドの名を呼ぶ。
はい、とキャシーは頷くと、庭の草を踏みながら僅かな足音も漏らさない足取りで、女性の傍らまで歩む。「なんでしょう、奥様」
「貴女、今、私が後ろに居ると解ってて避けたでしょう」
「まさか! 主人の御身を身体を張って守るのが従者の役目。もし私の背後に奥様が居ると解っておりましたら、小石がナイフで有ろうとも、この身をもって受け止めましたでしょうに!」
「一緒に外に出たんだから後ろに居ることくらい知ってたでしょうが! というか、貴女に当たるべき石が私にあたったのよ! そう言うわけで、同じ目に遭わせるから甘んじて受けなさい!」
「いえ、奥様。私は奥様に雇われたメイドで御座います。だから私の身の全ては髪の毛の先一本に至るまで奥様のもので御座います。故に私の幸せは奥様の幸せ、喜びも楽しみも、痛みでさえも然り―――しかしながら、その逆はありえません。従って奥様が痛みを受けたからと言って、その痛みを私が感じるわけにはいきません」
「ということは、私が貴女をぶてば、貴女はその痛みを私にも分け与えるという事ね?」
「勿論で御座います」
「ぬぁにがモチのロンかぁーっ!」いきなりキャシーに向かって石を投げつける。
だが、それこそ当然のようにキャシーは避ける。びゅんっ、と唸りを上げて飛ぶ石は、キャシーの横を通り過ぎてそのまま真っ直ぐジュエルへと。(まあ、なんとなく予想はしてたけど)
思いながら、予め手にしていたクナイで飛んできた石を受け止めて弾く。かきん、と金属と石のぶつかり合う軽い音が響いて、石は放物線を描いてジュエルの頭へ。
「あ」
こつん、と頭に小石が当たった瞬間、キャシーは短い悲鳴を上げてその場に倒れた。
どさり、と受け身も何もない、100%完璧に人間が倒れた音。プロのパントマイムが見たら、口笛の一つでも吹いたかも知れない。それほど完璧な倒れ方だった。
それを半眼でみやり、ジュエルは呆れたように、「ったく、ざーっとらしいったら―――」
呟きながら、キャシーが「奥様」と呼んだ女性へと顔を向けて―――ぎくりとする。
奥様とやらは顔を真っ青にして倒れたキャシーを呆然と見つめていた。と、その奥様がゆっくりとこちらを向く。「ひ―――人殺しっ!」
「ちょ、ちょっと!?」
「人殺し! 人殺しよーっ! 誰かーっ、人殺しがああああああああああーっ!」
「ちょっとまってよ! こんなのコイツの演技でしょうが―――つか、石が当たったくらいで人が死ぬかーッ」
「命って結構簡単に失われるものなのよっ! 昔、庭で飼ってた熱帯魚のピッチーちゃんなんか一晩と発たずに水面に浮かんでたわ!」
「熱帯魚を庭で飼うなッ。とゆーか、そもそも人じゃねえーっ!」
「どうしました、奥様!」ぱたぱたと、庭の向こうからキャシーとは別のメイドが走ってくる。
ちょっと見たことのない、緑色の髪をした女性だ。
奥様は走ってくるメイドに気が付くと、すがるような視線を向けた。「ああ、ああ! ミスト、大変よ! 人殺しよ! キャシーが殺されたわ!」
「あら? それは述語が間違っていませんか。殺されたのではなく、殺した、が正しいかと」
「そうかしら? でもそうすると、キャシーが殺したことになってしまうじゃないの。殺されたキャシーが誰を殺せるというの?」
「話を整理してみましょう。まず、キャシーさんが殺されました。しかし、それはキャシーさんが殺したの間違いでした。そして実際に死んでいるのはキャシーさんです。さあ、これでわかったでしょう?」ミストと呼ばれたメイドが生徒に勉強を教える教師のように、人差し指を立てて奥様に言う。
だが、奥様は困ったようにかぶりを振って、「ああ、ちょっと難しいわね。解らないわ。ねえ、貴女には解って?」
「いや、ちょっとワカリマセン」いきなり話を振られて、ジュエルは本気で困って本音で応えた。
(というか、なにこの展開)
「恐れながら奥様。これはとても簡単な事で御座います」
「あら、キャシー。あなたには解るのかしら」
「はい。私が殺されて、私が殺しました。そして死んでいるのは私一人。ならば、私が殺したのは私で、私が殺されたのは私と言うことです」
「まあ、つまり自殺」
「いえ、自殺ではありません。自殺とは自分を殺すことです―――しかし、私は私を殺し、私は私に殺されました。自分ではなく、私です。故に自殺ではあり得ません―――無理矢理に新しい言葉を作るとしたら、私殺、と言うところでしょうか」
「まあ、それは困るわ。新しい言葉を作られたら辞書を買い換えなくては。―――ねえ、貴女はどう思う?」また唐突に話を振られ、ジュエルは心底疲れ切った表情で吐息して。
「頭が痛くなってきたので帰らせてください」
「駄目よ」
「なんで」
「私、暇だもの」次の瞬間、ジュエルは素早く反転すると先程乗り越えてきた塀を再び乗り越えて逃げようとした―――所を、それよりも素早い動きでキャシーに肩を掴まれてエスケープ失敗。さらに追い打ちでミストが唱えた眠りの魔法が飛んで、エブラーナから強行軍で進軍してきたり、筋肉親父とやり合った疲労や、なによりも今のやりとりで神経がかなり参っていたジュエルは、抵抗することも出来ずにあっさりと眠りに落ちた。
******
「あ、気が付きましたよ」
捕獲されて目を覚ました途端に聞こえたのがそんな声だった。
確か、ミストとか呼ばれたメイドの名前だった、とジュエルは思い出しながら身体を起こそうとして―――起きあがれ無いどころか身動き一つ出来ない事に気が付いた。
なんとか首だけは動くので、精一杯伸ばして自分の身体を見てみると、ごっつい荒縄でぐるぐる巻きにされていた。なんというか、悪神封じた御柱だってここまではしないだろと思うくらいに足のつま先から胸元まで隙間無くぐるぐる巻きにされている。
忍者として、縄抜けの訓練はしているが、流石にこうまでされれば縄抜けどころではない。しかも縄に覆われて見えないが、縛られた感じからすると巻かれた縄とは別に手首やら体中の全ての観察部分を紐で縛られている。それも、血の流れを阻害しないように緩く、それでも自由にできないくらいにきつく。緩すぎずきつすぎず、完璧な捕縛術だ。むしろ、縄でぐるぐる巻きにされるよりも抜けにくい。「あら、お目覚め?」
声に首を巡らせると、奥様がこちらを向いてにこやかに笑っていた。
見下ろされているわけではない。
ジュエルは縄でぐるぐる巻きにされたまま、ソファに座らされていて、奥様もソファに腰掛けている。二人のメイドはその背後に控えていた。ついでに周囲の様子を伺う。
ジュエルがいるのは部屋の中だった。おそらく、先ほど塀を乗り越えた屋敷の一室だろう。
広い部屋だ。居間や客間、私室などではなく、遊戯台がいくつか置いてあるところを見ると、遊戯室といったところだろうか。部屋の壁にかけられているランプには灯がともされていて、外を見ればもう真っ暗だった。どうやら大分長い間、眠りについていたらしい。
「えっと・・・まず、なんで縛られているのか聞きたいんだけど?」
「だって、縛らないと逃げるじゃない。そしたら私がつまらないでしょう?」
「兵隊に突き出す気?」
「なんで? そんなことしたら私がつまらないじゃない」くらくらしてきた。
身体が自由だったら両手で頭を抱えていただろう。
視線を向ければ、キャシーは相変わらず表情の読めない無表情で、ミストの方はと言うと、苦笑して「心中お察しします」と目で言っていた。お察ししてくれるなら逃がして欲しいわ、とジュエルが目で訴えかけると、ミストは軽くかぶりを振って、「そうしたら私達に累が及ぶので」と困ったように応えてくれた。そこへ奥様が「そういうわけだから観念しなさい」とにっこりと目で言って、「って、なんで目で会話できてるのよ私達!?」
ジュエルが叫ぶと奥様はきょとんとして、背後のキャシーを振り仰ぎ。
「そうね、なんでかしら、キャシー?」
「私が思うに―――アイコンタクトではないかと」
「だ、そうよ」
「・・・帰りたい・・・」訳がわからなすぎて涙が出そうになってきた。
ついさっきまではバロンと戦争していたはずだった。そこへわけのわからない筋肉親父が乱入してきて―――なんか熱いから、とか言うような理由で戦闘を仕掛けてきたが、まあ、それはまだ良い。城の門を開ける為に街に火を放ったのは自分たちだ。それを熱いと言って自分に殴りかかってくるのは、まあ正当とは思う。
だが、そんな筋肉親父やらバロンの兵隊やらをやり過ごす為に、この屋敷の塀を乗り越えた瞬間からなにかがトチ狂ってしまった。まさかとは思うが、塀と一緒に何か、異世界とか異次元とか不思議時空とかそういった境界のようなものを超えてしまったのかも知れない。むしろそうであった方が幾分か救われるような気がした。でなくては、こんな状況が自分の住んでいる世界に存在していると思うと、今まで生きてきて培ってきた「常識」というものがガラガラと盛大な音を立てて崩れ去っていくような気がする。「わかったわ」
うん、と奥様は頷くと、ジュエルに向かって微笑んだ。
「暫定的にここを貴女の家と思ってくれて構わないわ。そういうわけで貴女は帰ったのよ!」
「・・・タスケテ・・・」例えば敵に掴まったとしても、どんな拷問をされても耐えられる自信はある。というより、責め苦に屈するより先に自害するだけの覚悟はあるつもりだ。
だが、この不思議時空は拷問以上の精神的な重圧が来ている。だからといって、自害しようとするのはあまりにも馬鹿らしくて情けない。「あら・・・やっぱりロープでぐるぐる巻きにしたのはやりすぎだったかしら? 苦しい?」
辛そうに表情を歪めるジュエルに、奥様は心配そうに尋ねてくる。
別にこれくらいは何ともないが、ともあれ身動きおtれない状態では隙を衝いて逃げることも出来ない。「ええ・・・ちょっと胸元が苦しくて―――」
「それは恋よ」
「なんで断言!?」
「だって私もウィルと出会った時、ロープでぐるぐる巻きにされていて胸がドキドキしていたもの」
「ええと」ウィルというのおそらく彼女の旦那のことだろう。愛人か何かかもしれないが。
しかしロープで芋虫状態から芽生える恋というのはどんなシチュエーションだったのか、やや気になるところだったが、ここでは下手な好奇心は猫どころかドラゴンでも倒しかねない。つっこみたい気持ちを抑え込んで、懇願するようにジュエルは言った。「ロープがきついの! 逃げないからこれをほどいて!」
自分でもわざとらしい演技だと思ったが、この奥様相手なら十分だと思った。後ろに控えている二人のメイドは演技だと解っているだろうが、とりあえず奥様だけ騙せれば良い。
だが、奥様は眉をひそめると、「えー」と不満げな声を漏らした。
「せっかく私がぐるぐる巻いたのに」
「アンタか! これやったの!」
「そうよ。だってキャシーったら、手首と足首とかちょっと縛っただけで済ませるんだもの。しかも思いっきり力を入れればちぎれそうな細い紐で。だから私が念のためにロープで巻いてあげたの」言葉遣いが微妙におかしいなあ、と今更ながらに思いつつ、心中で納得。
手首足首をその他の関節部分を拘束した縛り方が妙に玄人くさいのに、体中をぐるぐる巻きにしたロープの方はいかにも下手くそだった。ぶっちゃけ、ぐるぐる巻きにされただけなら抜け出すのにそうは苦労しない。が、そのロープの下で紐が関節部分をきっちり抑えてあるのが厄介だった。「というわけでロープははずせないのよ。ごめんなさい」
「全然、説明になってないけど」
「ぐるぐる巻きにするのって、結構手間がかかるものなのよ。だからそれを解くのはさらに手間が掛かると思うわ」
「切ればいいでしょ。切れば」
「あら、言われればそうね」納得して、奥様がキャシーに目配せする。
と、キャシーは一礼して部屋を出て行った。―――ややあって、大きな騎士剣を抱えて戻ってきた。「ちょっと待って」
先んじてジュエルが生死の・・・もとい、制止の声をかけるが、奥様には聞こえなかったようだ。
「抜けば玉散る氷の刃っ」
キャシーから騎士剣を受け取ると、鞘からすらりと抜きはなつ。
うふ、とか笑顔を浮かべながら口上なんぞをぶってみる。「遠からんものは音に聞け、近らば寄って目にも見よっ」
「って、近づくなぁぁぁ! あっち行ってぇえええっ!」
「おほほほ! 往生際が悪くってよ! 真っ向唐竹割ぃぃぃぃっ!」
「きゃあああああああああっ!?」敵の白刃が眼前に迫っても悲鳴を上げることの無かったジュエルが、殺意無く振るわれる騎士剣を前にして悲鳴を上げる。
―――例えば、敵に殺されようとして殺されるのならばまだ納得が出来る。相手が殺さなければ自分が殺す、自分が殺せなければ相手に殺される―――とてつもなく単純な理屈であり、生死を賭けた戦いに生きる者たちにとっては考え悩むことすらない当然の摂理でもある。
だが、殺意のない相手に殺されるというのは納得がいかない。自分が殺そうとしているわけでもなく、相手も殺そうとしているわけでもない。それでも自分は死ぬ。意味もなく死ぬ。人に殺されようとしなくて殺される。なんとも理不尽な殺され方だ。まだ事故の方が―――例えばチョコボに轢かれるとか、崖から落ちるとか、或いはいきなり隕石が頭上に落ちてきて潰れて死ぬのでも良い。或いはいきなり心情病になって死ぬとか―――そんな死に方の方がまだ寿命だと納得も出来る。
ジュエルは一応はエブラーナの王妃ではあるが、王自身も優れた忍者として一軍を率いるのと同様に、ジュエルもまた有能な忍者だった。まだ歳を数えて一桁の頃から戦に出て、まだ今の王になる前のバロンの兵士とも刃を合わせ、血で血を洗うような戦場で敵を屠り味方の屍を踏みつけることで生き延びた。祖父に反発して国を出奔した放蕩息子だった自分の夫よりも戦の経験は多い。当然、何度も死を覚悟したことがある。敵に囲まれ絶望的な状況で生きることを諦めたこともある。そんな状況でも生き延びられたのは、生きたいという意志の力などではなく、単なる運だった。
だが、今こそジュエルは死にたくないと思った。
さきほど顔を合わせたカイン=ハイウィンドや、いきなり襲いかかってきた筋肉親父、或いはバロンの雑兵でもいい。自分の敵に追いつめられて殺されようとするのなら、まだ諦めもつく。だが、こんな死に方は御免だった。
「キャシーっ、助けて! お願い!」
だからジュエルは、自分の古い知人に向かって懇願した。
恥も外聞もかなぐりすてて、目の端に涙を浮かべて―――演技ではない―――キャシーにすがった。もしも今助けてくれるのなら、足の裏を舐めてもいいとさえ思った。そんなジュエルの悲痛な叫びを聞いて、キャシーはゆっくりと両手を胸元に上げて―――合掌。
「諦めてください」
「諦めきれるかああああああああっ!」絶叫。
それと同時に、奥様の剣が振り下ろされた―――
******
ふと、エッジは夜風に耳を澄ませた。
「・・・ん? なんか今、オフクロの声が聞こえたよーな」
「気のせいでしょ? ジュエル様だったら、今頃はもうバロンの外に逃げおおせていると思うけどな」ユフィの言葉に、エッジは腕組なんぞしながら軽く否定する。
「どーかな。ウチのお袋、親父よりも忍者としての腕は良いけど、運が悪いから」
「そう?」
「ああ。親父なんかとくっついたのがいい証拠だろ」
「まあ、確かに」うんうん、とユフィはうなずいてみせてから、それからエッジに尋ねなおした。
「でさ。ここになにがあんの?」
ユフィは目の前にある屋敷を見やる。
来たことはなかったが、一応、この誰の屋敷かは知っている。バロンに来てから一月弱程度だが、それでも城内の見取りと城下町の地図は頭に入れてある。
だからこそ、ここに来てなんの意味があるのかわからなかった。しかし、エッジは不適に笑う。
「ふっ・・・聞いて驚け見て騒げ。ここはなんとかの有名なバロン一・・・いやフォールス一の美女と噂されるローザ=ファレルの住んでいる屋敷だ!」
「うん。知ってる。それで?」
「まあ、死ぬ前に一遍、その美女の顔を拝んで地獄に落ちた親父に自慢してやろうかと」
「なにそれーっ!?」思わずユフィは悲鳴を上げた。
てっきり、エッジには無事にバロンを抜け出すための方策があると思っていたのに。
それをあてに、黙ってついてきたというのに。だというのに、ただ単に美女を見たかっただけ。
「あんた、それマジ!? そんだけの理由で、兵士たちの包囲網をかいくぐってここまできたの!?」
「いや、まて、そんな怖い顔をするな。もちろん、それだけじゃないぞ!」
「なに? 一応、いってごらん。期待はしてないけど」氷よりも冷めた目でみやりユフィが尋ねる。
と、エッジはすんごく良い笑顔でにかっ、と笑って。「できれば乳も揉みたい」
「私さ。今まで生きてきて、これだけ誰かを殺したいって思ったこと無いわ」
「いやっ、まてっ、それだけじゃなくてできれば尻も撫でた―――」
「ウータイ秘技伝承―――」
血祭
ずばずばずばずばずばずばずばずばずばずばっ!
ユフィがいつの間にか構えていた短刀が閃き、エッジの身体を連続で切り刻むっ!
「うをわっ!?」
切り刻まれたエッジは驚いた顔で息を呑む。その様子を見て、ユフィは「チッ」と舌打ち。
「ハズしちゃったか」
「ハズしちゃった、じゃねー! 今、真面目に殺す気だったろ!?」
「うん」
「あっさりうなずくなよ!? 人殺しーっ!」
「まー、でもあんたなら避けると思ったし」言ってから、ユフィは担当を女給服の懐へとしまう。
ユフィの連撃は、エッジの忍装束を切り裂いただけだった。エッジの身体は皮一枚切れていない。「だいたい、こんなアタシの力じゃ、よっぽど正確に急所を狙わないと人なんか殺せないし」
「即死はしなくても、血が流れて止まらなきゃ、人間ってのはいずれ死んじまうんだが」
「・・・つか、あんた死につもりだったんだから、アタシに殺されたって構わないんじゃない?」
「だぁら、ローザ=ファレルのご尊顔を見てからだっつーのに」エッジの言葉に、ユフィは「へ」と笑って見せた。
「なんだよその笑い。いやらしいやつだな」
「あんたほどじゃない―――つか、ローザ=ファレルなら今、バロンにはいないよ?」
「え、うっそ、マジで?」
「うん。マジマジ。なんか、恋人おっかけて出て行っちゃったって」
「うそーっ!? ローザ=ファレルって恋人居るの!? 誰だその嬉し恥ずかし羨ましい野郎は!」
「知らないの? バロンじゃ有名だよ、ローザ=ファレルのセシル=ハーヴィへの熱愛ぶりは。なんでも、セシルが兵隊になったからローザも追いかけて白魔道士になったとか」ユフィの説明にはあ、とエッジは気の抜けた息を漏らして。
「なんだつまんねえ・・・帰るか」
「帰るか・・・って、どうやって。街はぐるりと高い塀に囲まれてるし、門は兵士が固めてるだろうし」
「んー・・・」ユフィに言われ、エッジは少し考えこむ素振りを見せてから。
「ま。なんとかなるんじゃね?」
「なんとかって・・・どう、なんとかなるのさ」
「知らん。まあ、なんとかならなきゃ、なんとかするし」エッジはにっ、と笑って。
それからおや、と声を上げた。エッジは屋敷の方を―――その玄関を見ている。ユフィもつられてそちらの方を見やると、いつの間にかメイド服を着た無愛想な女性が立っていた。「ようやく気づいてもらえましたか」
にこりともせずに彼女―――キャシーは言うと、それから軽くお辞儀をして。
「お久しぶりですね。エッジ様―――今日は千客万来で御座いますね」
「あ。俺、用事を思い出したわ」等といって、くるりと回れ右をして走って逃げ出そうとするエッジの襟首を、それ以上に素早い動きでキャシーが捉えると、そのまま地面に引きずり倒す。
「ぐえっ!?」
「えっと・・・キャシー?」
「ええ。ユフィ様もお久しぶりです。私の記憶によれば一度しか顔を合わせて居ないはずですが、覚えて頂いていて恐縮です」
「まあ、忘れにくい人だったし」ユフィぎこちなく苦笑を浮かべる。
その足下では、キャシーから逃れようと、エッジがじたばたと暴れていたが、まるで万力のようにキャシーの手はエッジの襟首を掴んで放さない。「放せーっ! 放してーっ! 誰か助けてまだ見も知らぬ僕と乳繰り合う巨乳のねーちゃーんっ!」
「そんな人はおりません―――さて、バロンの夜はエブラーナに比べて冷えるでしょう? どうぞ屋敷の中へお入りください」などと言いつつ、キャシーはエッジを引きずってさっさと屋敷の中に入っていく。
「えっと」
少しだけ躊躇ったものの、ユフィもキャシーとエッジの後を追って屋敷の中へお邪魔することにした。
本当に。
運命の出会いというのは。
偶然の出会いというのは。
それも特に、望んでいない出会いというのは。
けっこー、意外とよくあることなんだなーと。
エドワード=ジェルダインことエッジは、かつての知人に引きずられながら思ってみたりした―――