第10章「それぞれの決意」
G.「拳の誓い」
main character:ヤン=ファン=ライデン
location:フォールス近海

 

 

 これほど自分が無力だと思ったことはなかった。
 ホブス山で弟子たちが殺された時も、自分が無力なのではなく、相手が悪かった―――そう、心の中では思っていたのかも知れない。

 しかし、今は自分の力の無さを認めるしかない。
 腕力や暴力の問題ではない。
 いや、腕力でも暴力でも何でも良い。知力でも時の運でも何でも良い。それらを使って前に進めるのならば無力ではない。

 だが、ヤンは前に進むことは出来なかった。
 圧倒的な存在である海の王リヴァイアサンを前にして、尻尾を巻いて逃げ帰ることしかできなかった。
 恐怖の為ではない。・・・そう、自分では思いたかった。

 同時に、疑問が心中に浮かび上がる。

(セシルは・・・恐れを抱かなかったのだろうか・・・?)

 思い、手の中の手紙を握りしめる。
 セシルから自分へ宛てられた手紙を―――

 

 

******

 

 

 海は静かだった。
 リヴァイアサンとの遭遇から一夜明けて、ヤンは船団を率いてファブールへ戻るところだった。
 空は快晴。嵐の気配など微塵も感じさせないような、けれどほどよく風は吹く、絶好の航海日和だった。
 そしてそれは昨日も同じだった。
 リヴァイアサンなど、何かの事故で船を転覆させた猟師たちが見た幻想ではないのかと思ったほどだ。そう思わせるほど、清々しい天気だった。

 だが、リヴァイアサンは確かに居て、その清々しい天気は海竜王の出現によってブチ壊された。

 つまり、天候に影響を与えるほどのとてつもない力を持っているということだった。
 それを相手にして、船の一隻も沈まずに済んだのは幸運としか言い様がないだろう。だが、それでも失ったものは決して軽いものではなかったが。

 無謀だったと今更ながらに思う。
 例えば強大な軍事力を持つバロンに、軍隊としてはろくに統率も取れていない自分たちが攻め込むというのは無謀かも知れない。しかし、いくら強大とはいえ相手は人間だ。化け物も少し混じっているようだが、それでもセシル=ハーヴィはそのバロン相手に一歩も引かずに立ち向かい、ファブール防衛戦では勝利、とは呼べなくとも追い返すことはできた。

 しかし、それとリヴァイアサンに対する無謀とは話が違う。
 相手は紛れもなく怪物であり、伝説にも名が残るほどの、まず間違いなく地上最強の竜だった。
 リヴァイアサンがバロン近海に出現したのはほんの数十年ほど前だったが、その名前は古くから―――文献に寄れば1000年も昔から、その存在が確認されている。

 1000年以上も昔から存在し続けている海竜は、その姿を見せることなく嵐を呼び、船を転覆させかけた。
 セシルたちが乗っていた船の船員は、踊るように波に翻弄される船の上で、海面の下に巨大な竜の姿を見たという。船のように大きな、という形容では追いつかない。それは、小さな島ほどもある巨大過ぎる海竜だ。
 ヤンは実際に竜の姿を見ることはなかった。報告した船員の話に、多分な誇張が含まれているにしても、その出現のせいで船が沈みかけてセシルとリディアが海に落とされたというのは事実だ。

 いや―――

(姿は見せていない、か)

 もしもあの海竜が、目前に姿を現していたらどうなっていただろうか。
 近づくだけで嵐を引き起こすような存在だ。真っ向から立ち向かうなど、想像するだけで肝が冷える。

 それこそが無謀という物だ。
 そのことに比べればファブールでセシルが一人でバロンの大軍に立ちはだかった事など、大したことではないように思えてくる。

 しかしセシル=ハーヴィはその無謀に真っ向から向かっていった。
 今更ながらに、あの暗黒騎士はそういう男だったのだと認識する。
 無謀であろうと己を持って立ち向かう―――それも、一人で。

 ファブールの初戦でもセシルは1人でバロンの大部隊を相手にした。
 色々と策を巡らせてはあったが、しかしもしもその策が通用しなければ、真っ先に敵の刃に刺し貫かれていたのはセシルだっただろう。
 今回もそうだ。
 いかに鈍感な人間でも解る。自分の船にヤンを同乗させず、リヴァイアサンの出現する海域に入ってから、一隻だけ先行した理由。それは、こうなることが可能性として頭にあったからだ。

 その理由に遅まきながら思い至った時、ヤンは自分が僧長という面子を汚されたと憤慨した自分を恥ずかしく思った。と、同時にセシルに対する怒りも覚える。

(だが、セシル。私は貴様を尊敬する気にはなれん・・・貴様は自分をないがしろにし過ぎる・・・!)

 思わず手に力が入る。ぐしゃり、と手紙が握りつぶされた。

 

 

******

 

 

 船室の中で、セシルに託された手紙を開く。
 手紙の中身は、当然だがセシルからヤンへと宛てたものだった。

『この手紙を見ている時、僕は近くには居らず、君はとても怒っていることだろうと思う』

 などという、こちらの内心を見透かしたような書き出しに、ヤンは思わず手紙を破り捨てようと思ったが、思っただけに留めておいた。
 手紙の内容は、リヴァイアサン攻略が失敗に終わった場合についてのことだ。
 内容は簡潔で、セシルが乗る船がリヴァイアサンに沈められたら、即刻ファブールまで引き返し、トロイアへと向かうようにとのことだった。先行してファブールを出たギルバートが、トロイアの八神官と話を付けていると書かれていて、さらには。

『バロン、ゴルベーザの目的はクリスタルを集めることである。
 だから、最後の土のクリスタルがあるトロイアが最終防衛線になるはずだ。ファブール、ダムシアンの全兵力をトロイアへ結集させる。
 トロイア周辺は森が深く、飛空挺は上手く着地しにくい。例え飛空挺で攻めてきても、空爆を仕掛けてくるのが関の山である。そしてクリスタルという目的がある以上、威嚇以上の攻撃は仕掛けて来ない。飛空挺のアドバンテージさえ無くしてしまえば、後は自力の勝負だ。
 ファブールの一戦で暗黒騎士団はまともには稼働できない。主力である陸兵団も陸兵団長の身柄はこちらにある。相手の主戦力は竜騎士団だが、城内戦にしろ森戦にしろ、天井や木々が邪魔になって竜騎士の跳躍力も制限される。ファブールとダムシアンの兵力で防ぎきることは十分可能だ』

「馬鹿な」

 一枚目を読み終わり、ヤンは苦虫をかみつぶしたような表情で、呟いた。

「全兵力をトロイアへ、だと? その隙にファブール、ダムシアンのどちらかに攻め込まれたらどうする!」

 手紙の書いた主に向かって怒鳴りつけながら、ヤンは二枚目を読み始めた。

『ダムシアン、ファブールの両国は当然兵力が無くなる。が、ゴルベーザが用の済んだ二つの国へ再侵攻することはないだろう。繰り返すが、ゴルベーザの目的はあくまでもクリスタルだ。ダムシアンの火のクリスタルは奪われ、ファブールの風のクリスタルもバッツに預けた。どういう理屈かは知らないが、向こうの陣営に居るバルバリシアという女性は、風のクリスタルの在処を漠然と察知できるようだ。ならば、ファブールにクリスタルが無いことはすぐに解るだろうし、わざわざ無駄に労力を使うことはないだろう。
 万が一、バロンが再侵攻してきたとしたら、諸手を挙げて降参するしかない。どっちみち、半端に兵力が残っていても容易く殲滅されるだけだ』

 確かに、バロンが再びファブールへ攻めてこられたら、もう一度撃退出来る可能性は少ない。
 先の戦いも、あれ以上長引けばクリスタルは奪われていただろう。そして、その後は、ダムシアンと同じように爆撃され、城は壊滅していたに違いない。
 ならば、兵力を分けて城を守るより、戦力を集中させて土のクリスタルを守った方が良い。

 ヤンにもそれくらいは理解できてはいるのだが―――だが、納得できていない。
 それは理屈ではなく、感情の問題だった。

 わざわざ手紙で伝えずに、最初から口で言ってもらいたかったと思う。
 今回だけではなく、クリスタルをバッツに預けた時も、事前にヤンは何も知らされていなかったし、ギルバートがトロイアへ向けて出立したと聞いたのも、ギルバートが城を発った後だった。
 それほどまでに自分は信頼に値しない人間なのかと思う。セシル=ハーヴィは他人を信用することが出来ない、そんな度量の狭い男だったのかとも思う。

「くそ・・・」

 憤然たる思いで手紙を握りしめると、そのまま雑巾を絞るように両手でひねって、引きちぎった。
 手紙を強引にちぎった勢いで、荒々しく息を吐く。
 なんにしろ、一番腹が立つのは、そんなセシルの指示通りに動くことしかできないという事実だった。
 リヴァイアサンを乗り越えることが出来なかった以上、海路からバロンへ攻め込むのは難しい。残るは陸路だが、真っ向から行ってバロンを倒せるとは到底思えない。城内に攻め込むことが出来れば勝機もあるが、まず間違いなく城にたどり着く前に飛空挺の爆撃に焼き払われる。

(問題はトロイアまでどうやって行くか、だが・・・)

 陸路で大軍勢を率いて行くには少しばかり遠すぎる。
 幾分か遠回りになってしまうが、このまま港町まで船で行き、補給を済ませたらそのまま海路でトロイアまで向かうのが一番か―――と、ヤンが考えた時。

「僧長!」
「なんだ?」

 不意に、ノックもせずにモンク僧の一人が部屋に飛び込んできた。
 見ればモンク僧はかなり泡を食った様子で、興奮しすぎて息を切らせている。

「どうした? 落ち着け」
「はっ、はっ、ふ・・・船がッ」
「船?」
「そ、そう、船が! 船が見えました!」
「船が・・・? 船が見えたからといって、そんなに慌てるほどのこともないだろう?」

 まだヤンたちの船があるのはフォールスの内海だった。
 内海での交易がほぼ絶望的となり、内海を行き来する船は無くなった。
 しかし内海とはいえ、ここはリヴァイアサンの領域からは離れている。交易船はなくとも、漁船の一隻や二隻、魚を獲っていても可笑しくはない。

「そっ、それが、銀色の船なのですが、竜が―――」
「・・・なに?」

 モンク僧の発した単語に耳慣れないものを聞いて、ヤンは眉をひそめた―――

 

 

******

 

 

 デッキに出る。
 と、確かに進行方向に船が見えた。
 銀色の船だ。一応、帆船の様だが帆は張っていない。張っていない理由はすぐにわかった。

「竜・・・だと?」

 銀色の海竜。
 中型船一隻よりもやや大きいくらいの巨大な海竜が、向かってくる銀色の船を引っ張っている。

「海竜か・・・航海して、こうも竜に縁があるものとはな・・・」

 自嘲気味に呟く。
 そんなヤンに、弟子たちが不安そうに尋ねてくる。

「そ、僧長・・・どうします?」
「・・・」

 問われ、しかしすぐには答えることが出来なかった。
 大体、ヤンは生まれてこのかた船に乗ったのも数回しかなく、船の戦闘など耳に聞いた程度しかない。
 セシルの策では、バロン海軍は凍結状態であり、だから船はバロンに乗り込む為の移動手段でしかないはずだった。リヴァイアサンもリディアの力で切り抜ける予定で、つまるところ海上戦闘は全く想定していない。

 だから、ヤンは向かい来る船―――というか海竜に対してどうすれば良いか解らなかった。それでも解らないなりに声を張り上げる。

「さ、散開しろ! 船団を二手に分けて竜を取り囲め!」

 ヤンの命令に応えてモンク僧たちが手旗で他の船に伝令を伝える。
 だが、向かってくる竜の速度はこちらの倍以上も速く、伝令が伝わり着るよりも早く、竜の巨体が起こした波でこちらの船が激しく揺れた。

「くそっ、早く、散開を! このままで竜とぶつかる―――」
「僧長!」
「なんだぁっ!?」
「旗です! 白旗を上げています!」

 弟子の言葉に、よくよく向かってくる竜の方を見る―――と、いつのまにか海の上から竜は消えていた。
 その竜が引いていた船の舳先に誰かが発ち、自分の身体ほどもある大きな白い旗を大振りしている。
 白い旗。
 極々一般的に言うならば、降参、或いは戦闘の意志が無いことを伝える合図だ。

「なんなんだ・・・」

 突然、竜従える銀色の中型船が現れたと思ったら、竜が消えて白い旗を振り始めた。
 ヤンでなくとも狼狽えるだろう。

 と、不意にヤンは気が付いた。
 白い旗を振っている男が誰であるか。
 旅人でありながら、レオ=クリストフと互角に戦い、セシル=ハーヴィがクリスタルを預けた茶髪の青年。かの剣聖の息子―――

「ファイブルに向かっているはずだろうに・・・だいたい、船が違う・・・」

 白い旗を振り続けるバッツの姿に、ヤンは困惑を隠しきれなかった。

 

 

******

 

 

「っ、と」

 船と船を並べて停めて、船同士を連結させた後、渡した木の橋を危なげなく渡ってバッツがこちらの船に降り立った。

「よ、久しぶり」

 別れた時、セシルに打ち負かされた時とは別人のように明るくさばさばした様子でバッツがヤンに向かって挨拶をする。
 その後ろからはこれまた見覚えのあるネズミ族の女性と、それから見たこともない美しい青年が続いて船に降り立った。

「・・・・・・」

 軽い調子のバッツとは対照的に、ヤンは不審そうな顔を浮かべている。
 そんなヤンの様子に苦笑しながら、

「おいおい。そんな怖い顔をするなよ」
「この顔は生まれつきだ―――それよりも、どうして貴様がここに居る?」
「借りを返す為に」

 即答。
 されて、ヤンはさらに怪訝な顔をして見せた。

「借り、だと?」
「そ。騎士様と将軍様にでっけえ貸しをつくっちまったんでな。その借りを返しに戻ってきた―――この剣で」

 と、手にしていた、布で刀身をぐるぐる巻きにされた刀を掲げて見せた。。

「セシルが言ったお前の剣の意味とやら、解ったのか?」
「まあ、そこそこ。100点満点とは思わないが、合格点くらいは取れるんじゃないかと」
「クリスタルは?」

 言われて、ぽりぽりと頭何ぞを書いていたバッツの動きが止まる。
 笑顔を表情に張り付かせたまま制止するバッツの様子に、ヤンは沸き上がる不安を抑えることが出来なかった。
 見れば、バッツの後ろではフライヤが顔に手を当てている。その後ろでは、おそらくバッツが乗ってきた船の主だろうと思われる美丈夫が、くっくっくと笑いをかみ殺していた。

「おい、クリスタルはどうした!」
「えっと。奪われちゃった。てへっ♪」

 ウィンクなんぞしながら舌をぺろりと出すバッツに、怒りを通り越して唖然とする。

「奪われた・・・?」
「いや、俺たち結構頑張って抵抗したんだが、相手の異常な強さで負けそうになって―――ほら、フライヤなんか名誉の戦死したし」
「生きとるわっ!」

 とんっ、とフライヤが後ろから槍の柄でバッツの脇腹をつつく。痛ぇ、と身体を折り曲げて悶絶するバッツの襟首を、ヤンは掴んで引き寄せる。

「き、きさまっ、どういうことだっ!」
「ああ? 今、説明したろ! クリスタルは獲られたからついでに取り返しに行くって」
「ついでとはなんだ! 我がファブールの国宝をッ!」
「ついでで十分だあんなよくわからねーもん! つーか、ようやく俺もセシルに賛成だ! あんな水晶一つで国同士が戦争したり、人が死んだり・・・アホかっちゅーねん!」

 バッツはヤンの腕を振り払って叫ぶ。顔が赤くなっているのは、怒りの為ではなくただ単に酸欠の為だろう。

「ま。そういうわけでクリスタルは奪われたけど、俺は生きてるから大丈夫だ!」
「大丈夫じゃなかろうがっ!」

 ごん。
 と、バッツの背後からフライヤが槍の柄で頭を叩く。
 もちろん頭の後ろに目なんかついていないバッツは、反応することすら出来ずに頭頂部を打撃される。ぐあ、と悲鳴を上げてその場に蹲った。

「い、痛かった・・・今の、けっこー痛かった・・・」
「人様から預かったモンを勝手に敵にくれてやって鷹揚としておるからじゃ。天罰覿面!」
「なにが天罰だ! 今のはどう考えても人災だーッ!」

 その場に蹲り、バッツは涙目でフライヤを振り返る。
 その恨みがましい視線を、憮然と見返して。

「まったく、どうしてセシル=ハーヴィはこんな男を信用したのか・・・」
「信用されてないからお前がお供につけられたんじゃねえ?」

 フライヤの嘆息に、バッツは軽口で返す。
 そう言われてフライヤは「なるほどな」と頷いた。

「いや、そこ、納得する所じゃないだろ―――っと、そういやセシルは? なんか顔が見えないけど」

 立ち上がり、辺りを見回しながら今更のようにバッツが言う。
 と、ヤンは表情を曇らせて。

「セシルは・・・死んだ」

 沈痛な面持ちのヤンの言葉に、フライヤは愕然と目を見開いた。
 だが、バッツは表情を変えずに、声の調子も変わらずに。

「死体は?」
「死体はない。今頃、海の底だろう・・・」
「そうか」
「ちょっと待て! そうか、って納得するのかお前は」
「なんだよ五月蠅いな」

 言葉通り五月蠅そうに、フライヤの声を払うように手を振ってバッツは肩を竦めて見せた。

「セシルが死んだ? 言葉だけで信用できるか。死体があるなら話は別だけどな」
「私が嘘を吐いていると?」
「いや? 別にアンタが嘘を吐いているとは思わねえよ。けれど、一つ覚えておけ。セシル=ハーヴィとは短い付き合いだが、そんな俺でもはっきりと解っていることがある。あの男は勿体振ったり謀ったりするのが大好きな変人だ」

 思えば何時だってそうだった気がする。
 カイポの時は魔物に自分を襲わせ、それを助けさせることで村人たちの勇気を促した。ホブス山でははぐれたリディアを心配するバッツを傍目に、少女が無事であることを確信し―――しかもその理由は伏せたままで―――、ファブールについてからはダークフォースが身体を蝕んでいることを偽り続け、さらには偽物のクリスタルやら、火計と自らの暗黒剣で大軍を撃退し、そしてレオとの戦いで自分の剣を見失ったバッツに対しては打ち負かし、罵倒することで立ち直らせようとした。

 いつだってセシル=ハーヴィの行動というのはなにかしら裏か、或いは秘め事がある。
 だが、それだけなら単なる嘘つきだ。

(あの馬鹿の一番救えねえ所は、意識してか無意識なのかは知らないが、自分の得になる嘘を吐かないことだ・・・)

 普通、人は自分が得する為に嘘を吐く。
 けれど、セシルは自分の為には嘘を吐かない―――どころか、最も自分が危険な嘘を吐く。

(カイポでだって、ファブールでだって、一番危なかったのはあの馬鹿だ。それだけでも二、三度死んだっておつりが来るくらいの馬鹿をやってる―――が、それでも生き延びた)

 そして、セシルが死ぬような危険に身をさらしたのは二度三度では利かないだろう。
 バッツがセシルに出会ったのはつい最近だが、出会う以前からその名前は知っていた。若くして軍事国家の一軍を任された、バロン最強の剣―――などと言った異名くらいしか良く知らなかったが、そう呼ばれるまでにどれだけの危険をくぐり抜けてきたのか、想像するのに難しくはない。

 何度も何度でも死ぬような目に会いながらも、その度に生き延びてきたのだ。あの男は。

 だから。

「あいつを殺したかったら、あいつの死体を持ってきな。出ないと、ひょっこり生き返ってくるに違いないぜ、あの男は」

 そう言って、バッツは笑った。

 

 

******

 

 

「・・・そんなことが・・・」

 ヤンの船の船室にて、とりあえず互いの事情を、情報交換し合いフライヤは唸った。

「海竜リヴァイアサン・・・それが出現するだけで嵐が起こるとはな。そこまでのものが・・・」
「妙だな」

 ぽつり、とファリスが口を開く。

「なにが、妙だと?」

 ヤンが険しい表情をファリスへ向ける。海賊だ、と自己紹介された時、当然かも知れないがヤンは良い顔をしなかった。
 悪口を言葉にして言うことは無かったが、それでもその目が不信感をありありと物語っている。神の教えの元に日々、清く正しくたくましく精進し続けているモンク僧にしてみれば、海賊に限らず盗賊山賊、およそ「賊」と名の付く輩は、人様が汗水垂らして蓄えた金品を横から暴力でかすめ取り、何の苦労もなく日々を怠惰に過ごす、許されざるべき無法者なのだろうが。

 一方で、ファリスの方はと言うと、それほど気にしては居ないようだった。むしろ、ヤンをからかうようにわざとらしくにっこりと微笑んでみせる。やはり海賊の頭領などやっていると、そんな態度には慣れてしまっているのかもしれない。

「リヴァイアサンが船一つ沈めずにあっさり引っ込んだことが、だ。俺も実際に遭遇したことはないが、聞いた話じゃ奴と出会って無事だった船はないって言うぜ?」
「待てよ。遭遇した船を全部沈められたって言うなら、誰がリヴァイアサンのことを伝えたんだ?」

 バッツの疑問にファリスは苦笑。

「いるよなー、怪談とか都市伝説とかの、そういう矛盾をつついて揚げ足とるヤツ」
「なんだよその言い方・・・」
「あのな。沈められるのは船だけだ。でもって、人間っての不思議なことに海に落ちても沈むことなく浮き上がったりするわけだな」
「海に浮かんで助かったって?」
「実際には、船の破片に掴まって漂流していたところを他の船に助けられたってパターンらしいけどな。まあ、20年近くも昔の話だし、俺も又聞きだから詳しい経緯は知らないが」

 おわかり? とでも言うように、顎を持ち上げ見下すような視線をバッツへ向けるファリス。
 バッツは「わかったよ」と憮然として応える。

 と、今度はフライヤが首をかしげつつ、

「にしても妙じゃな。リヴァイアサンは人を食うのではないのか?」
「さあ? しかし、小さな島ほどもある巨大な竜が、人間の一人や二人喰らったところで腹が満たされるとは思えねえけどな」
「じゃあ、リヴァイアサンは何を喰って生きとるんじゃ?」
「知らんよ。そんなことはリヴァイアサン本人に聞いてくれ」

 投げやりなファリスの言葉に、フライヤは「むう」と難しい顔をして押し黙る。そんな彼女の様子に、ファリスは(まさか本当にリヴァイアサンに問いただそうとか考えてるんじゃないだろうな?)と疑問に思ったが、竜と対話することのできる竜騎士ならばそう考えてもおかしくはない。現に、ここまで来る途中、フライヤはシルドラとなにやら意思の疎通のようなものを見せていた。

「船に乗っていた者の話によると、リディアが海に落ちて、それをセシルが追って海に飛び込んで―――しばらくすると、嵐が収まったそうだ」

 ヤンの説明に、一瞬だけバッツの眉がぴくりとあがる。
 セシルが生きていることに疑いはないが、それでもリディアのことは心配であるらしい。セシルと一緒にリディアも行方不明だとヤンに聞かされた時、バッツは取り乱すことは無かったものの、酷く神妙な顔つきになって事の経緯を聞いていた。

「もしかして、リヴァイアサンはリディアが欲しかったのかもな」

 なんとなくそう思った、というようなぼんやりとした口調でフライヤが呟く。
 思わず、他の面々の視線がフライヤに集まった。

「え、いや、その・・・なんだ。だから、リヴァイアサンというのは元々はこの世界の者ではなく、幻獣界というところから来た・・・とセシルが言っていたのを思い出してな。だから、その幻獣界から幻獣を召喚できるリディアならリヴァイアサンをどうにかできるかもしれない・・・そういう話じゃったな、バッツ?」

 いきなり注目されて、しどろもどろに自分の意見を話す。
 確認するように名前を呼ばれ、バッツは頷いた。

「ああ。確か、そーゆー話だった気がする」

 あまりはっきりとしない口調でバッツが応えた。
 なんにせよ、この場の誰もが魔法に詳しくない。そして魔道のなかでも特殊な部類に入る召喚術ならば尚更だ。

「だから、リヴァイアサンはリディアを必要とした」
「リディアの力で自分の世界に帰る為に、か?」
「・・・かもしれん、ということじゃ。じゃが、リディアを手に入れたからリヴァイアサンは大人しく引っ込んだ―――そう、考えられんか?」
「まあ、あるかもしれないが・・・」

 応えながら、しかしヤンもぼんやりとした返答しか返せない。
 繰り返すが、魔道に関してはこの場の誰もがアテにならない―――辛うじて、ファリスが魔法の基礎はできているが、召喚魔法に関しては全く知識がない様子だった。

(・・・やっぱり、アルもついてきて貰った方が良かったかの)

 つい先日出会い、別れた魔法剣士の少女のことを思い出す。
 彼女なら、なにかしらのはっきりとした答えを出してくれたかも知れない。

「まあ、なんにせよだ。こっちの被害はセシルとリディアだけ―――で、ヤンは残った奴らを率いてトロイアへ向かうと」
「ああ。セシルの手紙にもそう書いてある―――悔しいが、それに従うしかないようだ・・・」

 苦虫をかみつぶしてしまったようなヤンの様子に、バッツはおや、と声を上げる。

「ヤン大先生は、セシルの指示に従うのが気にくわないと?」
「当たり前だ。事前になにも知らされず、自分一人で勝手になにもかも進め、勝手に死んでしまった―――そんな男の指示に従うなど・・・」
「腐るなよ。それだけ信頼されてるって事だろ」

 笑いながら言うバッツに、ヤンは虚を突かれたように、

「信頼?」
「信頼。だろ? あの馬鹿は自分が居なくなることを予想して、その上で後のことをギルバートとヤン、あんたらに任せたんだ。信頼してなきゃ任せられないだろ」
「それは・・・」

 そうかもしれない、と思いかけて首を横に振る。

「いや・・・いや! 信頼しているなら、何故最初から全てを話してくれない! 相談もなにもなしに独断で進めて・・・これでは、私達はセシル=ハーヴィの操り人形ではないか・・・!」
「アホかお前」

 バッツの言葉は簡潔だった。
 簡潔すぎる罵倒に対し、ヤンは息を呑み、続いて頭に血を昇らせて、怒号を放とうと口を開いたところでそれより早くバッツが言葉を続ける。

「相談って、お前なんもしてねえだろ。バロンが攻めてきた時だって、アンタはセシルとギルバートの指示に従っていただけだ。唯一、自分勝手に動いたのは門を開けた時だけだろ」
「・・・う」
「付け加えると、さっきも言ったがあの馬鹿は謀るのが大好きなんだよ。それも、他人のために―――もしもセシルが今回のことをアンタに相談してたら、アンタはどうしたよ? 止めるか、或いは強引にセシルと一緒の船に乗ってたろ」

 バッツの言葉は正鵠を射ていた。
 確かに、リヴァイアサンは危険だから後ろの船に乗ってくれ、と言われれば頑として頷かなかっただろう。

「失敗したことからも解るように。今回のことは、セシルにしてみてもかなり分の悪い賭けだった。けど、だからこそ成功した時の効果は計り知れない―――なんせ、一気に敵の本陣を落とせるかも知れないんだからな。だから、危険を承知でセシルは賭に出た―――だが、ただ賭に出ただけじゃない。賭けに負けた時のリスクを減らすことを考え、なおかつ自分が死んだとしても、お前やギルバートに後を託した。だっつーのに、てめえはセシルの真意も考えずにくさってんのかよ、ヤン=ファン=ライデン!」
「ぐ・・・言わせておけば・・・」
「言わせておきたくないなら言わせておくなよ! ほれ、なんか言ってみやがれ」
「くそ・・・・・・」

 ヤンはバッツを睨付け、しかしそれ以上はなにも言えない。
 バッツは嘆息すると、ヤンに背を向けた。

「アンタも一度あの馬鹿野郎と勝負すれば良い。そして負けてみな。色んな事を考えさせられて、色んな事に気が付くことが出来る―――なんにせよ、俺たちはもう行くぜ。アンタはセシルの指示に従うなり、くさってイジけてるなり好きにしてな」

 言い捨ててバッツは船室を出ようとする。その後をフライヤとファリスも続こうとして―――
 それをヤンの声が引き留めた。

「待て! 行く、とはバロンに向かう気か!?」
「当たり前だろ? 他にどこに行くって言うんだ」
「行ってどうする。死ぬ気か?」

 ヤンの言葉に、バッツは振り返る。
 笑って、自分が手にしている刀をポン、と叩いて。

「死ぬわきゃねえだろ。俺はただ単に、親父の遺言を果たしに行くだけだ。ついでに将軍様と再会できれば最高だね」

 そう、言い残してバッツは今度こそ船室を出た。
 ファリスとフライヤも後に続く。

 

 

******

 

 

 一人残された船室で、ヤンは吐息する。

「セシル=ハーヴィの真意・・・か」

 ヤンは、セシルは自分やギルバートを全く信頼してないのだと思い込んでいた。
 だが、バッツの言うとおり本当は逆なのかも知れない。

 ファブール攻防戦の時、セシルがバロン軍を自らのダークフォースを振り絞り、軍を撃退したあと力尽きたのも―――力尽きるほど全力を出し切れたのも、自分たちを信頼し、後のことを任せることが出来たからなのかもしれない。

 結局、何からなにまでバッツの言うとおりだった。
 自分はセシルの指示に従うだけで、自分からは何もしていない。
 本当は、ファブールは自分たちの国だ。セシルに頼らず自分たちで守らなければならなかったというのに。

 手の中に残った紙片をみる。
 バッツたちが来る前に引きちぎった手紙の紙片だ。
 もしもセシルが自分を信頼してこの手紙を託したとしたら、自分はその信頼の証を自ら引きちぎってしまったことになる。

「ヤン僧長」

 モンク僧の一人が部屋に入ってきた。
 なんだ、と顔を上げると、ヤンよりも若いそのモンク僧は頷いて、

「あの、竜の船が船団の横をすり抜けて東の方へ―――バロンの方角へ向かいましたが・・・」
「そうか。・・・私達はこれからファブールの港町に寄港し、それからトロイアへ向かう―――そう、伝えてくれ」
「はい」

 頷いて、モンク僧兵が部屋を出て行く。遠ざかっていく足音を何となく聞いて―――不意にヤンは自分も部屋を飛び出すと、モンク僧を呼び止めた。

「待て!」
「え?」

 呼び止められ、モンク僧はきょとんとして振り返る。

「やはり我々は再びバロンへと向かう! 回頭し、竜の船を追ってバロンへと向かう―――そう、全ての船に伝えてくれ! 急げ!」
「は、はいっ!」

 急かされて、モンク僧は慌てて走っていく。それを見送り、ヤンは吐息。

「間違っているのかも知れん。本当は、セシルの指示に従うべきなのだろう・・・が」

 別にセシルの指示に従うのが癪だからバロンへ向かおうと思ったわけではない。
 ただ。

(セシル=ハーヴィは自らの命を張って、リヴァイアサンを乗り越えようとした―――私は、まだなにもしていない。なにもしていようとしていない)

 もしかしたら、これはセシルの信頼を裏切る行為かも知れない。
 もしかしたら、ファブールの時と同じような過ちを犯すのかも知れない。
 だが、例えそうだとしても。

(このまま、尻尾を巻いて逃げるというのは性に合わん!)

 思い、確信する。
 やはりセシル=ハーヴィは正しかったのだと。
 もしも事前にセシルの真意を知っていれば、ヤンは絶対にセシルと同じ船に乗っていただろう。共に海の藻屑になるとしても。

 そしてさらに確信する。
 それでもセシル=ハーヴィは間違っていたのだと。
 バッツの言うとおり、そしてヤンが思ったとおり、セシルという男は他人のことしか考えていない。
 もしもヤンがセシルの船に乗っていたなら、ヤンが海に落ちたセシルとリディアを助けることも出来たかもしれない―――いや。

「絶対に助けていた!」

 断言する。
 そうすればリヴァイアサンを乗り越えることができたかもしれない。

 これからバロンへ向かうのは、その敵討ちでもある。

 思い、胸中で今は近くにいないセシル=ハーヴィに向かって呼びかける。

(セシルよ。もしもバッツの言うとおり、海の藻屑と成らずに生き延びたのなら―――)

 ぐ、と拳を握ってヤンは唸るように呟いた。

「一発、全力で殴ってやる」

 握りしめた拳に、ヤンは固く誓った―――

 

 


INDEX

NEXT STORY