第10章「それぞれの決意」
E.「開眼!」
main character:バッツ=クラウザー
location:フォールス近海

 

「クリスタルだと・・・?」

 ファリスが眉をひそめる。

(ファイブルの・・・じゃないな。フォールスの封印のクリスタルか!)

 バッツを振り返る。
 そのクリスタルを、この旅人が持っている。
 どんな事情かは知らないが。

(ホントに何者なんだ、コイツは)

 驚くよりも苦笑する。
 本当の本当に、相手が悪すぎたらしい。
 その悪すぎた相手は、ファリスに豪快に投げ飛ばされて甲板に叩き付けられて失神しているが。

「で、どうかしら? この船に風のクリスタルがあることは、私には解っているんだから」

 バルバリシアは、ブッ倒れているバッツではなく同行者であるフライヤに尋ねる。
 フライヤの答えは簡潔だった。
 槍を構え、その先を金髪の美女へと向ける。槍の切っ先を見つめて、バルバリシアは困ったように顎に指先を当てた。

「困ったわねー・・・私としてはお客様を待たせているからさっさと帰りたいのだけど」
「貴様らがこのクリスタルを用い、何をしようとしているのかは解らん―――が、セシル=ハーヴィに託されたクリスタルじゃ。そう簡単に渡すわけにはいかんな!」
「セシル=ハーヴィが? ・・・あらあら、だとすると彼は恋人を見捨てたということかしら?」

 ローザを連れ去る前、ゴルベ−ザは「クリスタルと引き替えだ」と言い残して去った。
 その取引材料であるクリスタルがフォールスから持ち出されようとしているということは、つまりセシルがローザを見捨てたと解釈することができる。

「違う! あやつは自分の恋人を見捨てたわけではない! ただ、どうしてもお前たちにクリスタルを渡すわけには行かないと、そう判断したのじゃ」
「それを見捨てたって言うと思うんだけど―――全く、どうせ私に奪われるなら、素直に取引してれば自分の恋人だけは助かったのにねえ」

 哀れむように下目使いに笑って―――次の瞬間、長い金髪の髪がさらに伸びて、フライヤに襲いかかる!

「ちぃっ!」

 竜騎士の瞬発力で、素早く跳んでそれを回避。
 だが、髪の毛は完璧に動きをトレースして追いかける。目の前に迫ってくる髪の毛を見て、フライヤは舌打ち。
 手にした槍では、髪の毛を立つことは難しい。斧か剣なら話は別だが。

「させません!」

 フライヤに迫る髪の毛を、横手からアルフェリアの銀の髪の毛が断ち切る。
 斬られた髪の毛は、力なく地面に落ちるが、短くなった髪の毛はさらに伸びる。

「斬っても伸びるだけよー」

 投げやりにバルバリシアが空中でそんなこと言う。

「この化け物が!」

 フライヤが叫び、アルフェリアは静かに呪文詠唱。
 金の髪の毛が、フライヤとアルフェリア、2人に襲いかかろうとした時。
 アルフェリアの魔法が完結する!

「『ファイラ』」

 ごがぁっ!
 小さな炎の嵐が甲板上に出現し、髪を焼き払う。
 何とも言えない、不快な臭いが立ちこめた。

 炎の小嵐が収まった後、甲板には焦げ目一つついていない。
 髪の毛は怯んだように炎から身を退けて動きを止めていたが、炎が消えると同時に再び伸びていく。
 だが、すぐにアルフェリアの次の魔法が完結した。

「魔法剣―――『サンダラ』」

 アルフェリアが手にした銀の剣の表面が、バチッ、と青白く放電する。
 そしてその剣で自分とフライヤに手を伸ばす髪の毛を断ち切った。瞬間。

「うひゃああっ!?」

 髪の毛の本体であるバルバリシアが奇怪な悲鳴を上げた。
 アルフェリアが剣に付加した雷撃が、斬った瞬間に髪を伝わってバルバリシアまで届いたらしい。
 流石にバルバリシアも髪の毛を引っ込める。すするする髪は縮んでいき、元の長さに―――それでも足首くらいまで伸びた長い髪だが―――戻った。

「ヤらしい攻撃するわねー。お姉さん、感じちゃったわよ?」

 艶かしく言いながら、バルバリシア自分の髪の毛を手ですいた。
 電気が走ったせいか、髪が少し乱れている。

「なら、もっと感じさせてやるよッ!」

 そう叫んだのはファリスだった。
 彼は、自分の愛竜へと目を向けて、

「シルドラ、やれぇーっ!」
「シャーッ!」

 ファリスの声に、銀竜―――シルドラは、バルバリシアへと顔を向けて、かぱあっ、とその大きな口を開く。
 その口の奥、喉元に見えるのは渦巻く紫電だ。
 バチッ、バチッ、と見るからにアルフェリアの魔法剣とは強さが段違いのそれを見て、バルバリシアはぎょっとする。

 そして、シルドラの開かれた口から、雷のブレスが放たれた!

 

 サンダーストーム

 

 空気中の静電気を吸収しながら、高電圧の雷のエネルギー砲がバルバリシアに向かって放たれる。

「うっひゃああああああああっ!?」

 悲鳴を上げて、必死になってバルバリシアは急降下。
 その頭上を、雷撃砲が通り過ぎて行く。

「ああっ、髪があああああ・・・」

 情けないバルバリシアの悲鳴が上がった。
 直撃こそしなかったものの、強力な雷気に引っ張られ、バルバリシアの美しかった長い金髪は、見るも無惨に乱れていた。
 手ですいてどうにかなるレベルではない。

「髪の毛よりも己を心配せいッ」
「ッ!」

 バルバリシアが自分の髪の毛に気を取られていた隙を狙い、フライヤが槍を構えて突進。
 自分でも気が付かないうちに、バルバリシアは甲板近くまで降下していた。

「やば・・・ッ」

 目の前に迫る槍の切っ先に、回避しきれないと彼女は判断。

「はあああああっ! ヤアっ!」

 裂帛の気合いと共に突かれた槍は、バルバリシアの左の肩口に突き刺さる。
 彼女は痛みに顔を歪め―――だが、口元には不敵な笑み。

「詰めが―――」
「しまっ・・・」
「―――甘いわね・・・」

 嫌な予感がしてフライヤは槍を手放し後ろへ下がろうとする。
 だが、それよりも速く、槍を肩に刺したまま、バルバリシアはフライヤの胸元へと右手伸ばして、指先でつついた。

「石におなりなさい」
「なに・・・」

 触れられた場所の服が石化していく―――どころか、自分の身体までもがだんだんと石になっていく。

「石化の指先・・・?」
「フライヤさん!」

 アルフェリアが慌てて駆け寄る。
 バルバリシアはその間に槍を引き抜いて、赤い血を撒き散らしながら再び上昇。
 ボサボサになった髪の毛が一房伸びて、左肩の傷口を包帯のようにぐるぐると巻く。これで出血は止まるだろうが、もう左腕は動かせない。

(難儀な身体ねー。死ぬことはないけど、それでもルビカンテほど強靱でもないし、カイナッツォの様に固くもない。スカルミリョーネのように無節操でもないし、ね)

 そんなことを思いながら見下ろす―――と、アルフェリアが半身石化してしまったフライヤに、状態回復の魔法をかけるところだった。
 一瞬で、石化していた身体は元の状態に戻る。

「まったく・・・魔法使いが居るのは厄介ねぇ。それに、あっちも・・・」

 呟きながら、シルドラの方を見る。
 見れば、再び竜は口を開き、その喉の奥には雷撃を溜めてファリスの号令を待っているようだった。

「どうだ! シルドラのサンダーストームは。すっげえ快感だろ!」
「あん、もう、良さ過ぎて一発でイッちゃうところだったわよ! せっかちさんね!」

 妙な会話に海賊たちや船員たちの何人かは前屈みに。
 アルフェリアは顔を真っ赤にして、フライヤは呆れたような半眼で様子を見ている。

「さて、綺麗なお姉さん。降参するなら今のうちだぜ?」
「一つ質問があるんだけど。貴方には関係ないことなのに、どうして私の邪魔をするの? それとも、そこのネズミ族か貴方の後ろで伸びてる旅人とお友達とか?」
「馬鹿言え。こいつらとはさっき会ったばかりで、しかも俺の面子を汚してくれた敵だ」
「なら、何故かしら?」
「それこそてめえに関係ねえよッ! シルドラ、やれ!」
「シャアアアアーッ」

 だが、必殺の一撃が放たれるよりも早く、バルバリシアがパチンと指を鳴らした。

「来たれ、我がガーディアン・フォース!」

 高らかに叫んだ瞬間、シルドラの頭の周りを三角形に取り囲むように三つの人影が現れる。
 それは死神が持っているような大鎌を手にした太った女性、長く赤い槍を手にした長身の女性、二本の短剣を両手に持った背の低い女の子という取り合わせの三人の女性だった。

 突然増えた標的に、シルドラは戸惑う。
 どれに狙いを定めるべきか、困惑している間に三人の女性が行動を開始。

「行くわよ、ドグ、ラグ」
「ええ!」
「うんっ、準備オッケー!」

 太った女性の号令に、他の二人が答える。

「シルドラ! なんでもいいからぶっ放せ!」

 ファリスが叫び、シルドラがサンダーストームを放とうとするが、しかし。

「遅い!」

 

 デルタアタックII

 

 正三角形の形にシルドラの周囲を取り巻いた三人の身体から、紅い光の線が放たれる。それは三人同士を繋ぎ、結果として三人を頂点とする赤い三角形を形取った。
 三角形の線は、形を崩さないまま、シルドラに向かって縮んでいく―――その赤い光の線が締め付けるようにシルドラの首に巻き付くと、銀竜は口を開けたまま動きを止めた。

「シルドラ・・・? どうした、シルドラーッ!」
「残念だけど、あなたの竜はデルタの光に捕らわれた―――もう、動けない」

 にこりと笑ってバルバリシアが答える。

 そうこうしているうちに、三人の女性は再び光の三角形を産み出した。
 今度は黄色い光の三角形だ。
 それは先程と同じように、シルドラの首を取り巻く。

「赤い光は動きを封じ、黄色い光はあらゆる感覚を封じる。そして―――」

 ろうろうと呟くバルバリシアの声に応えるようにして、太った女性が声を張り上げた。

「紫の光は石と封じる―――お眠りなさい! 永遠の彫像に―――」

 同じように今度は紫の光の三角形を産み出して、シルドラの首を締め付ける。その瞬間、シルドラの巨体が一瞬で石化した。

「なんじゃと!?」
「そんな・・・あんな巨体が一瞬で石になるなんて・・・」

 フライヤとアルフェリアも驚きを隠せない。
 特に魔道の知識を持つアルフェリアは、シルドラほどの質量を石化することがどれほどのものか、はっきりと解った。

「シ、シルドラ・・・」

 呆然とファリスが呟く。
 その目の先で、三色の三角形に捕らわれた銀竜は、海の中へと沈んでいく。
 と、海賊船ががくん、と揺れて、船も同じように沈んでいく。

「そうか! 海賊船とあの竜は繋がっておる! このままではあの船も沈むぞ!」
「いけないっ!」

 素早くアルフェリアが魔法を唱える。

「『レビテト』!」

 空中浮遊の魔法を石化したシルドラへとかける。
 沈んでいた石の竜は再び浮き上がる。本来は空中に浮かぶ魔法だったが、シルドラほどの大きな竜ならば水に浮かせるので精一杯だった。それでも、アルフェリアは必死で魔力を送り続け、魔法を維持しなければならない。

“―――有らざりし不浄なる恩恵よ・・・正しき流れを我は求めん!”」

 アルフェリアは魔法を制御しながら、もう一つ魔法を唱える。
 高等技術である『連続魔法』の高度な応用だ。

「『エスナ』!」

 白い浄化の光がシルドラの身体を包み込む。
 だが、フライヤの石化を癒やした状態回復の魔法は、シルドラの石化を癒やすことは出来なかった。

「そんな!? エスナが通じないなんて!」
「なかなか良い魔法の腕を持っているようだけど―――メーガス三姉妹のデルタアタックは、そうそう簡単には破れないわよ?」
「くっ・・・フライヤさん、あの竜を取り巻いている三色の光を打ち砕いてください。あれが縛めとなっているはずです」

 アルフェリアが叫ぶと、バルバリシアがぱちぱちぱちと手を叩いた。

「ご名答。でもね、デルタの光は魔力の光。貴方の魔法剣ならともかく、普通の武器じゃ砕けない―――そして、貴方は竜を沈ませない為に、そこから身動き取れない。万事休すね」

 楽しそうにバルバリシアが笑い、それから海賊船の方を振り返った。
 視線の先にあるのは、まだ倒れたまま目を覚まさないバッツだ。
 彼女は、再び金髪を伸ばして捕獲する。

「あっ・・・」

 それに気が付いたファリスが声を上げる。
 石化したシルドラに気を取られ、バルバリシアの行動に気が付くのが遅れてしまった。

「ちぃっ!」

 ファリスは自分の手斧を振りかざし、バッツを捉えている髪の毛を断ち切ろうとする―――が。

「貴方の相手は私達よ!」

 長身の女性が槍を振り回し、空中からファリスへとおどりかかる。
 突くのではなく、横凪に振り回された槍を、斧で受け止める。と、槍が振るわれた反対方向から太った女性が鎌を振り回してきた。

「のやろっ!」

 ファリスは斧で受け止めた槍を、空いた手の方で掴むと、逆に長身の女性ごと太った女性に向かって振り回した。
 細腕の何処にそんなパワーが秘められているのか、信じられない力だった。

「なっ、ドグぅぅぅっ!?」

 太った女性が自分めがけて飛んでくる長身の女性を見て目を剥いた。

「姉さん、避けてぇぇええっ!?」

 叫ぶ。が、逃げるヒマなど許されなかった。
 二人の姉妹は激突すると、一緒になって海賊船の甲板を転がる。

 それを見送ることもせず、ファリスは捕獲され、空中へ引き上げられようとするバッツの身体を掴んだ。
 ファリスの怪力に引き抜かれ、バッツが甲板に転がり落ちた。
 空中からそれを見たバルバリシアが困ったように小首をかしげる。

「あらら。折角、人質にしようと思ったのに」

 残念そうにそう言って、フライヤへと向き直る。

「いい加減にクリスタルを渡す気はない? 私もヒマじゃないから、さっさと皆殺しにしてゆっくり船の中を探しても構わないんだけど」
「なんど聞かれても答えは同じじゃ。お主たちにクリスタルを渡すわけにはいかん!」
「そう・・・なら殺すわ」

 バルバリシアの目つきが変わる。
 先程までは遊び半分だった瞳が、鋭く、冷たく、殺意をたたえてこちらを見下ろしてくる。
 同時に、バルバリシアの髪の毛が鋭く尖り、幾つもの房に別れて甲板上めがけて降り注ぐ。

 フライヤは、それを槍を振り回して受け流す―――が。

(―――重い!)

 髪の毛だというのに、その一撃は酷く重い。
 受け流すことは出来たが、槍を持つ手が少し痺れた。

「ぎゃあああああっ!」

 周囲から悲鳴が上がる。
 フライヤですら受け流すのが精一杯だったのだ。彼女ほどの技量を持たない海賊や船員は防ぎようがない。身体のどこかを貫かれ、血を流し、悲痛に泣き叫ぶ。だが、故意か偶然か、貫かれたのは足や腕などで、致命傷を受けた者は居なかった。

「アルフェリア!」

 見れば、浮遊魔法を維持し続けているアルフェリアの腿にも髪の毛が一房貫いていた。
 苦痛に歪めながらも、魔法の集中を途切れさせない。

「てめえ! 降りてきやがれぇっ!」

 海賊船の方を見れば、ファリスがバッツを小脇に抱えてバルバリシアに向かって怒鳴っていた。こちらはどうにかやり過ごしたのか、二人とも怪我はない。―――と、そのファリスの腕の中で、気を失っていたバッツが目を覚ます。

「わざわざ降りてあげる義理はないでしょう?」

 冷たくそう告げると髪の毛を引き上げる。
 先端を赤い血で濡らした髪の毛を空中に固定し、彼女は静かに告げた。

「―――次、行くわよ」

 ぎゅぅんっ!
 と、空を割き唸りを上げて、さっきよりもさらに速く凶器となった髪の毛が降り注ぐ。

「ぐああっ!?」

 先程と同じように受け流そうとしたフライヤは、しかし先程を上回る威力に流しきれずに槍が跳ね飛ばされ、腕を髪の毛がかすった。かすっただけで、酷い擦過傷が付けられる。

「うくうっ」

 高い悲鳴に目を向ければ、さっきとは反対側の腿を貫かれたアルフェリアが、その場に転倒するところだった。
 同時に魔法の集中が途切れ、ゆっくりと石化したシルドラが沈んでいく。

「ぐわっ!?」

 ファリスも今度は捌ききれずに、腕を貫かれた。
 バッツが腕から落ちて―――目が覚めていた彼は、受け身を取ると素早く起きあがる。

「ええと、なんだ? なにが起きて―――」

 目を覚ましたばかりのバッツは、何が起きているのか把握しきれていない。
 その視界の隅で、黄色い何かが迫ってくるのを見ると、素早く身をひねって回避。槍のような髪の毛は、バッツの居たところを凄まじい勢いで通り過ぎた。その髪の毛を見てぎょっとする。

「な、なんなんだ!?」
「あら、お目覚め?」

 空中でバッツが目を覚ましたのに気が付いたバルバリシアは、旅人に向かってにっこり微笑む。
 正し、目だけは冷たく殺意を放ったままだったが。

「えっと・・・確か、お前はバロンの―――」
「風のバルバリシア―――ゴルベーザ様の忠実な僕・・・もっとも、こんな挨拶はすぐに無駄になるんでしょうけどね」

 言うなり、バッツをめがけて数本の髪の毛が向かう。

「貴方には借りがあったわね―――安心して、一瞬で殺してあげるから!」
「言葉の意味がわからーん!」

 バッツは悲鳴を上げて、迫り来る髪の毛をかいくぐる。
 完璧に避けきったバッツを見て、バルバリシアは「あら」と困ったように呟いて。

「ヘタに避けると死ぬ時痛いわよ!」
「死にたくねえんだよ、俺は!」

 さらに増えた髪の毛の攻撃を、だがバッツは軽々と回避していく。
 避けながら現状を確認。

(えーっと、よく解らんが、いつのまにかあのバルバリシアとかゆーのが襲いかかってきた・・・ああ、クリスタル狙ってか)

 思いつつ、周囲を見てみれば、立っているのはバッツとフライヤ、それからファリスだけだ。
 他の船員や海賊は、髪の毛に四肢を貫かれ、床に倒れて呻いている。死人もいるかも知れない。
 そのフライヤとファリスも、無傷ではなかった。フライヤは槍を取り落とし利き腕を怪我している。ファリスも両腕を貫かれ、立っていることしかできない状態。つまり。

(五体満足は俺だけか。・・・しかも)

 バッツは自分が居る海賊船が沈んでいるのに気が付いた。
 船の底に穴でも開けられたのか、客船の方はなんともないようだったが。
 このままでは、船は沈没してしまうだろう。早く客船に移らなければならないが―――周りを見れば、傷を負って動けない海賊たち。

(参ったな・・・)

 唸りを上げて迫る髪の毛を次々に避けながらバッツは悩む。
 正直、海賊たちになんの義理もない。このまま船が沈むのを見捨てて逃げても構わないとは思う。だが。

「誰も、死なせたくねえなあ・・・」

 なんにせよ船は沈む。
 その前に、海賊たちを全員客船に運ばなければ、幾ら海に生きる者と言っても、出血したまま海に沈めばそう長く泳いでられないだろう。
 だが、運ぶと言ってもバッツ一人で、しかもバルバリシアの凶悪な髪の毛が乱舞する中を運ぶことなどできやしない。

(どうする。どうすればいい・・・!)

 どうにもできない。
 魔法の一つでも使えれば話は別なのかも知れないが、バッツは魔法を使えない。

(せめて、この髪の毛をなんとか―――って)

「げっ!?」

 気が付いて、バッツは呻いた。
 バッツの周りを髪の毛が完全に取り囲んでいる。

「ようやく捕まえたわね・・・全く、手こずらせて・・・簡単には死ねないわよ」
「死ぬ気はねえよ!」
「あっそう。でも死ぬの。バイバイ」

 そう呟いて、バルバリシアは髪の毛をバッツに向けて―――

「バッツ!」

 髪の毛が動きだす寸前、上からフライヤの声が聞こえた。
 顔を上げれば、いつの間にか海賊船は随分と沈んでしまったらしく、少し顎を上げなければフライヤの顔は見えない。
 そのフライヤは、何かをバッツに向けて投げつける。それは―――

「刀!」

 バッツの目の前に刀が突き立った瞬間、髪の毛がバッツに向かって殺到する。

「バッツ!?」
「おいっ!」

 完全に髪の毛でバッツの姿が埋もれ、それを見ていたフライヤとファリスが叫ぶ。
 しかし。

「間一髪・・・」

 言葉と共に、断ち切られた髪の毛が力なく地面に落ちた。
 その中から、刀を手にしたバッツが姿を現す。

「お、驚かせおって・・・!」

 安堵と非難がないまぜになった気分で、フライヤが漏らす。
 空中ではバルバリシアが忌々しそうにバッツを見下ろしていた。

「・・・本当に、しつこい―――」

 そう言えば、と思い出す。
 ファブールで風のクリスタルを奪えなかったのも、最終的にこの男が邪魔したからだった。
 同じくファブールで、セシル=ハーヴィにとどめを刺されかけた時、何故か助けて貰った借りがあるので、せめて一思いに殺してやろうだなんて考えていたが―――

「思ったよりも危険な男かも知れないわね・・・なら、確実に殺す! マグ、ドグ、ラグ!」

 バルバリシアの号令と共に、メーガス三姉妹がバッツに向かって突撃する!

「あたしはメーガス三姉妹、長女のマグ!」

 太った女性―――マグが大きな鎌を振りかざし、

「私はメーガス三姉妹、次女のドグ!」

 長身の女性―――ドグが槍を振り回し、

「アタイはメーガス三姉妹、三女のラグ!」

 背の低い小さな女の子―――ラグが二つの短剣を両手に構えて、

 それぞれの獲物を持って、バッツへと襲いかかった。
 対して、バッツは何を思ったか自分の手にした刀―――父から預かった、無銘の刀を見つめている。
 メーガス三姉妹には見向きもしていない。

「バァッツ! なにをしておる! 来てるぞ!」

 というフライヤの叫びも耳に届いていない様子で、ただじいっと自分の刀を見つめて。

「そっか」

 不意にぽつりと呟いた。

「貰ったああああっ!」

 まず先制したのは小柄なラグだった。
 短剣を手に、素早い動きでバッツの喉元を狙う―――が。

「あれ?」

 ラグの短剣は空を切る。
 つい一瞬前まで目の前にいたはずのバッツの姿がない。

「ど、どこに消えた!?」

 ラグが周囲を見回す。
 後続の二人の姉も、バッツの姿を見失っていた。

「後ろよ!」

 空中にいるバルバリアシアだけが正確にバッツの位置を知ることが出来た。
 バッツは三姉妹の最後尾にいたマグの背後に立っていた。

「何時の間に!?」
「簡単なことだったんだ・・・」

 驚愕する三姉妹に構わず、バッツはぶつぶつと呟く。
 そんなバッツに向かって、三姉妹は反転。一番近くに居たマグがバッツに向かって鎌を振り上げて―――

 きん・・・

 振り上げた鎌の刃が、半分に折れた―――いや、斬られていた。

「なに・・・!?」

 マグの鎌だけでなく、ドグの槍も柄の半分が切り落とされ、ラグの短剣に至っては握っている柄しか残されていない。

 その事に驚いたのは三姉妹だけではなかった。
 見守っていたフライヤとファリスも、驚きの表情を隠せないでいる。ただバルバリシアだけが空中で舌打ちして、

「さっさと死になさいって言ってるでしょう!」

 怒りの声と共に、髪の毛がバッツめがけて降り注ぐ―――が。

「俺は・・・死なねえッ!」

 バッツの気合いと共に振るわれた斬撃一閃。
 フライヤが受け流すことが出来ず、ファリスの怪力でも受け止められなかった髪の毛を、バッツは容易く斬り裂いた。

「バッツ!」

 客船の上から、フライヤが叫ぶ。
 こちらを見下ろして叫ぶフライヤに、バッツは軽く手を振って。

「おう、フライヤ。刀助かったぜ!」
「そんなこと言うてる場合か! 沈んどるぞ、船!」
「あ、本当だ」

 すでに、海賊船からは客船を見上げなければならないほど船が沈んでいた。
 ふと横を見れば、水面がすぐそこに見える。

「うっわ、やべえどうするよオイ!?」
「『レビテト』!」

 誰かが叫び、海賊船が沈むのが止まり、逆に浮上していく。
 見上げれば、フライヤの隣にアルフェリアの姿があった。

「アルフェリア! 怪我は大丈夫か!?」

 フライヤが聞くと、アルフェリアは頷いた。

「回復魔法で応急処置しました」

 その様子を、バルバリシアは空中から見下ろして、フライヤに傷つけられた自分の肩を見る。

「この傷がなければ船ごと一気に吹っ飛ばすのに・・・!」
「あー、ちょっとタンマ」

 不意にバッツがバルバリシアに向かってタンマをかける。

「えーと、バルバリシア?」
「人間如きに名前で呼ばれる筋合いは無いわ!」
「なら金髪のねーちゃん」
「もの凄く俗っぽい言い方ね―――バルバリシアで良いわよ」
「じゃあ、バルバリシア―――ちょっと聞きたいんだが、俺を殺すのが目的なのか?」
「ンなわけないでしょ。私の目的は当然、アンタがファブールから持ち出した風のクリスタルよ!」

 バルバリシアの言葉に、バッツは胸に手をやって大げさに安堵の仕草をしてみせる。

「ああ、良かった。俺を殺すのが目的とか言われたら、徹底抗戦するしかなかったしな」
「まあ、ついでにアンタを殺そうとも思ってるけれど」
「そりゃ困るな。クリスタルはくれてやるから、それで帰ってくれねえか?」
「は?」

 バッツの言葉がイマイチ理解できず、バルバリシアは間の抜けた声を返す。
 今、この男は何を言った? クリスタルをくれてやる? あれだけ必死になってファブールで守り、そして今、頑なにクリスタルを渡さないと言った―――そう言ったのはフライヤだったが―――クリスタルを、くれてやる?

 バルバリシアが困惑している間に、海賊船は元の客船と同じくらいの高さまで浮上する。石化したシルドラも海の上に浮かび上がった。
 石化した巨大な銀竜を見て、「わお」と口で驚いた声を上げながら、バッツは軽快な動きで客船に飛び乗ると、海賊たちと同じように痛みで呻きながら甲板に転がっている船長やら船員の間をすり抜けて、バルバリシアと同じくバッツの言葉に困惑しているフライヤの隣を通って、船内に飛び込んだ。

 バッツが船の中に引っ込んで、どうにも妙な空気が辺りに漂う。
 バルバリシアとフライヤはただひたすらに困惑し、ファリスはどういうワケか仏頂面でバッツが消えた客船の方を睨付けている。事情を知らないアルフェリアは話を進めるのを他人に任せ、自分はただ浮遊魔法の維持に集中。武器を破壊されたメーガス三姉妹は、手持ちぶさたに海賊船の甲板上で佇んでいる。そして、その他大勢の海賊やら客船の船長やら船員は倒れたままだ。

 誰もなにも言わずに行動もせずに。
 ただ波の音と、海鳥の暢気な鳴き声だけが辺りに響き渡り、ややあって。

「お待たせ」

 とかなんとか言いながら、バッツが船内から姿を現す。
 その手には刀と、フライヤには見覚えのある麻袋。
 バッツはその麻袋を、バルバリシアに向かって全力で放り投げる―――が、袋はそこまで届かない。が、重力に従って落下しかけた袋を、バルバリシアは髪の毛を伸ばして拾い上げると、その中身を見て。

「・・・確かに、クリスタルね」
「おうよ。くれてやるからさっさと帰れ」
「ちょっと待てぇえええええええっ!」

 絶叫したのはフライヤだった。
 彼女は、あっけらかんとした表情のバッツへと詰め寄って。

「なに考えておる!? あれはセシルから託され大切な―――」
「勝手に押しつけられただけだろが。つーか、海に捨てるなり売るなり別に好きにして良いって言ってたろ? だったらくれてやっても問題なし」
「大ありじゃああああっ! なんのためにあのクリスタルを持ち出したと思ってる。ヤツらに渡さんためじゃろがッ! 阿呆か己はーッ!」
「でも、ヤツらに渡すな、なんてアイツは一言も言わなかったぜ?」
「いちいち言うか、そんなこと!」

 フライヤは顔を真っ赤にして怒鳴り、ぜえはあぜえはあと息を切らした。
 それを見て、バッツは感心したように呟く。

「ネズミ族でも怒ると顔が真っ赤になるんだなー」
「ンなこと言うとる場合か・・・」

 応えたフライヤの声には力がなかった。
 怒鳴りすぎて疲れたのか、それともバッツの愚かな行為に疲れたのか、それともその両方か。
 ともあれ、気力を使い果たしたフライヤを無視して、バッツはバルバリシアを見上げる。

「で、どうよ? 帰ってくれるかい?」
「・・・貴方、馬鹿でしょう?」
「うわひでえ。折角、クリスタルくれてやったのに。やっぱ返せそれ」
「返すわけ無いでしょう」

 呆れたように言い、それからにっこりと微笑んで。

「有り難く頂くわ。―――ついでに、貴方の命もね」

 そう言って、バルバリシアの髪の毛がまた槍のように尖ってバッツにその切っ先を向ける。

 その様子にフライヤは負傷していない方の腕で槍を構える。利き手ではないので、美味く扱えるか不安だったがやるしかない―――が、バッツはやる気を見せずに肩を竦めて。

「そりゃ困ったな。クリスタルをくれてやった意味がない」
「私の直感だけどね・・・貴方は危険すぎるのよ。ゴルベーザ様にとっても、あの御方にとっても―――なんて、言いたいところだけど」

 唐突にバルバリシアが放っていた殺気が霧散する。
 同時に、その髪にも凶悪な鋭さが無くなり、普通の髪のように風になびき始める。

「本来の目的はクリスタルを奪うことだったし―――なにより、貴方にはファブールで助けて貰った借りもあるしね。ここは」
「見逃してくれるのか? 助かる」
「本当に? そう思ってる?」
「勿論。このまま続けてたら、俺以外のヤツを助けるのは難しかったからな」
「その言い方、貴方だけは生き残る見たいな言い方だけど?」
「当然」

 自信たっぷりに言うバッツに、バルバリシアは爆笑する。

「あははははっ! 大した自信!」

 そう言って、バチン、と指を鳴らす。
 すると、海賊船の上に立っていたメーガス三姉妹の姿が掻き消えた。

「―――そう言えば名前をしっかり聞いてなかったわね。刀使いの自信家さん、お名前は」
「バッツ=クラウザー」

 名乗ってから、バッツはにやりと笑って見せた。

「ただの、旅人だ―――」

 

 


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