第10章「それぞれの決意」
D.「海賊と旅人と」
main character:バッツ=クラウザー
location:フォールス近海
「海賊が出たぞー」
という船員の大声に、バッツは水平線の方を振り返った。
だが、見回しても何にも見えない。「反対側のようじゃな」
フライヤがそう言い、バッツたちは船の反対側に走っていく。
と、そこにはすでに船長やら船員が集まっていて、皆一様に海の方を見つめていた。確かに船があった。この船と同じようにファイブルに向かっているのか、並んで同じ方向に進んでいる。
青色の、美しい船だった。
だが、海賊船と見て解るような―――例えば髑髏の旗を掲げていると言うような様子はない。「なんであれで海賊船って解るんだよ? 同業者かも知れないだろ?」
「いーやっ! 見間違うはずもねえ! ありゃあ、海賊シュルヴィッツの船だ!」バッツの疑問に、しかし船長はきっぱりと言い切った。
「なんでそんなに確信できるんだ?」
「一度襲われたからな。そん時は積み荷の半分をごっそり持って行かれた」
「へえ、良心的じゃないか。てっきり海賊って言ったら、積み荷を全部頂いて後は皆殺しにするもんだと思ってたけど」
「そうすると、最終的には海を渡る船が無くなっちまうだろ。そうしたら、海賊だって食っていけねえ」
「なるほど」船長の説明に、思わず納得してバッツは頷いた。
「海賊も色々考えてやってるもんだな」
「見張り! 船は一隻だけだな!?」感心しているバッツをよそに、船長はマストの上の見張り台に立つ船員に声を張り上げた。
見張りは、360度ぐるりと見回してから答えてくる。「へいっ、あの一隻だけです」
「そうかそうか・・・ようし、操舵手! 並走しつつゆっくり近づけ!」
「・・・って、おい!?」思わずバッツは声を上げた。
「近づいてなにをやらかすつもりだ!?」
「ああ? ンなの決まってるだろ! あのクソ忌々しい船に俺様の大砲をブチかましてやるのよ!」
「海賊にケンカ売るって言うのか!? なんでわざわざこっちから仕掛けるんだ!?」当然のように言う船長に、バッツは非難の声を上げる。
しかし、船長はガハハハと豪快に笑って。「この前は数十隻の船に取り囲まれて降参するしかなかったが、相手が一隻なら話は別だ! 一発ブチこんで終わりだろ―――なあに、心配することはねえ。海賊っても、奴らの船はロクに武装してねえしな。大砲だってついちゃいねえ。数で取り囲んで、直接船に乗り込んでくるって古くさいのが奴らの手法だ。一隻だけなら恐れる相手じゃねえ!」
「相手が弱っちいから襲うって、それじゃどっちが海賊だかわかんねえだろが・・・」疲れたように、だんだんと説得するのは諦めていく気持ちでバッツは弱々しく呟いた。
だが、その言葉を船長は聞き逃せなかったようで、「何言ってやがる! こちろら奪われたものを奪い返すだけだぜ? 正義は俺らにあり〜」
「もう、好きにしてくれ」そう言って、バッツは吐息。
なんにせよ、もうなにを言っても無駄なようだった。
そんなバッツにフライヤも、「まあ、海賊なんてものは退治しておくに越したことはないしな。これから他の船が航海する上でも」
「けどさ。やっぱりこちらから仕掛けるのは間違ってるだろ」
「・・・まあ、そうかもしれんが、船長の言うことにも一理あろう? 商売で飯を食ってる以上、積み荷を奪われるのは大きな痛手じゃ。儲けの問題だけではなく、商売相手への信用問題でもある。やれるときに仕返しをしたいと言うのもわからんでもない」
「俺にはわかんねえよ。大体、一隻つったって相手は海賊だろ? 大砲が当たらなくて逆に乗り込まれたらどうするんだ?」バッツが言うと、アルフェリアが「ぽん!」と手を叩いた。
「その時は私達が相手をすればいいんですよ」
「なにさも当然のように言ってんだ。俺はヤだぞ。戦いたきゃ、やりたいヤツだけでやってくれ」心底嫌そうにバッツがボヤいた頃、船長が再び号令を発した。
「よっしゃあ! 射程内だ、砲門、開け! 砲撃、開始ぃぃぃ〜!」
******
「頭ぁ、船が近づいてきやすぜ」
―――そんな事を言いながら海賊の一人が、船長室に入ると部屋の主―――海賊シュルヴィッツ一家の頭、ファリス=シュルヴィッツはベッドから身体を起こす所だった。
整った顔立ちをした美しい青年だった。歳はまだ若く、20歳前後。
まだ寝起きの為か、紫の瞳は気怠くぼんやりとしていて、瞳と同じ色をした長い髪の毛も少々跳ねているが―――逆に、そんな様相も妙に艶かしく見える。報告に来た海賊も、ファリスの美しさに目を奪われて思春期の少年のように黒く焼けた肌を赤らめている。実際は思春期の少年どころか、もう三十路を過ぎた体中毛がぼうぼうのゴツいオッサンなのだが。「ん・・・船・・・?」
手下の報告に、ファリスはぼんやりと答える。
声の響きも男にしてはやや高めのハスキーボイスで、さながらセイレーンの歌声に誘われるかのように海賊はふらふらとファリスの眠っているベッドに近づくと、「か、頭ぁーっ! 好きだぁーっ!」
いきなりがばあっ! と飛びついた。
そして次の瞬間。ごがあっ!
ファリスの裏拳が海賊の顔面にめり込んで、そのまま飛びかかった時の倍の速度で吹っ飛んだ。
そのまま船長室の壁にぶち当たり、ぶち抜き、廊下へと転がり出る。「んー・・・?」
裏拳を放ったファリスはなんとなく自分の手をじっと見つめてから首をかしげた。
「・・・あれ?」
どうやら自分が今手下の一人を殴ったことに気が付いていないようだった。飛びかかってきたのを反射的に無意識に殴り飛ばしたらしい。
不思議そうにしながらも、ファリスはベッドから身を起こすと軽く頭を振る。
段々と頭がはっきりしていき、それに合わせてぼんやりとしていた表情がきりりと引き締まっていく。「―――船が近づいてきてるだと?」
先程、そう言いながら手下の一人が入ってきたことを思い出す。
いつの間にか出て行ったのか、その手下の姿は部屋の中には見えないが。「あれ。また壁が破れてやがる」
と、手下が吹っ飛びぶち抜かれた壁を見て眉をひそめた。
「まあ、古い船だからな」
それだけで納得すると、ファリスは船長室を出た。
部屋を出ると、廊下に手下が寝転がっていた。なにこいつこんなところで寝てやがるんだ? などと思いながら、たたき起こそうと肩に手をやる、とその海賊の口元から寝言が漏れた。「頭・・・頭のうなじ・・・う〜な〜じぃ〜」
「・・・・・・」肩を揺すろうとした手を引っ込めて、なんとなくその手下を踏みつけてファリスは甲板へと向かった。
踏みつけられた海賊は、ぐえっ、と呻いたがしかし目を覚ます気配もなく、幸せそうに眠っていた―――
******
ファリスが甲板に出て見ると、確かに船が見えた。
左側に、こちらと並走しながら段々と近づいてきている。
鉄板張りで、船の腹には四角い窓がズラりと並び、大砲の口を覗かせている。
どこかで見たことがあるような船だった―――もしかしたら、昔、襲った船なのかもしれない。などと思いながら、近くにいた海賊に問う。「向こうはなんか言ってきたか?」
「いえ、なーんも。ただ、やる気マンマンって感じッスね。同業者かも」いいつつ、その手下は船の上を見上げた。
いつもは海賊旗が翻っているマストの上には、今は無地の水色の旗が風になびいていた。
だから、こっちが一般の商船かなにかと勘違いした海賊が仕掛けてきたのかも、と手下は推察したのだが。「ここらの海賊だったら、海賊旗を上げなくてもこの船がシュルヴィッツの船だって解るだろ。そして、海賊なら絶対にシュルヴィッツにはケンカを売らない。そうだろ?」
「ま、そうッスね。じゃあ、なんでしょか」
「大方、前に襲った船が仕返しに来たんだろ。こっちは一隻だし武装もしてない。今なら落とせると思ったんじゃねえか」
「はー、なるほど・・・無知って怖いですねー」やれやれ、と手下が肩を竦めてみせる。
ファリスは「そうだな」と笑ってから声を張り上げた。「砲撃来るぞ! 操舵、真っ直ぐだ! 加速するから踏ん張れ!」
「「「「「アイサー!」」」」」ファリスの声に海賊たちが応え、手近な物に捕まる。
その直後、ドーンと言う大きな重い音と共に、相手から砲撃が開始される。
同時、ファリスが叫んだ。「シルドラーッ!」
その瞬間、横に居たはずの船が一瞬で後方に置き去りになった。
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「うそ」
思わず船長はそう呟く。
必中の距離でぶっ放した砲撃は全て海賊船に当たらずに、海に水柱を上げただけだった。
砲撃した瞬間、海賊船は有り得ない速さで加速すると、今はもう一隻分まるまる前に出ている。「な、ななな、なんだ今の!? 突風でも吹いたか!?」
泡食った声で船長が叫ぶ。
だが、風は穏やかなままで、そもそも突風など吹けばこちらの船も同じように加速するはずである。「今の、なんだ・・・?」
「奇っ怪な・・・」バッツとフライヤも、有り得ない海賊船の加速に呆然としている。
ただ一人、アルフェリアだけが難しい顔でぶつぶつと呟いて、「魔導エンジン・・・? でも木造船の、しかも帆船になんでそんなもの―――だいたい、シクズスやセブンスの近くならともかく、フォールスの海域でそんなもの―――」
「アルフェリア? なんか思い当たることでもあるのか?」バッツが尋ねると、自分の思考に没頭していたアルフェリアははっとなって。
「あ、はい。その私の “知識” の中に、風を帆に受けて進むのではなく、スクリューを回して進む船というのがあるんですが・・・でも、それはシクズスやセブンス、エイトス辺りの技術で、こんな場所にあるとは思えないんです。それにそれは主に鉄鋼船などに使われる物でして、木造船の―――それも帆船に取り付けるのは・・・」
「有り得ないって?」
「有り得ないことはないでしょうけど、変ですね」不思議そうにアルフェリアは首をかしげる。
バッツもフライヤも、アルフェリアが上げた地方の出身ではないので、説明されてもいまいちよく解らなかったが、それでもはっきりと解ることがあった。「海賊、このまま逃げないよな」
「じゃろうな。多分、きっと―――」
「海賊船、回頭! こちらに向かってきます!」見張りの悲鳴じみた声に視線を向ければ、圧倒的な加速力で先行した海賊船が、舳先をこちらに向けて突進してくるところだった。
「ば、ばばばば、ばかなぁっ!? どーして向かい風で走ってくるううううっ!?」
今、バッツ立ちの乗ってる客船は風を真っ直ぐ受けて進んでいる。つまり、こっちに向かって逆送してくると言うことは、当然、向かい風という事だ。ちなみに海賊船の帆は、回頭する直前にたたまれていた。
「どーやらやっこさん、乗り込んでくる気みたいだなー」
「戦うしかないですね」アルフェリアが剣を抜く。フライヤも槍を持ち直した、
バッツはさっきと同じく、心底嫌そうに顔を歪める。「ゴメンナサイって土下座して謝れば許してくれないかな」
「砲撃しなければ許してくれたでしょうけどね」
「そもそも砲撃しなければ謝る必要もないだろ」嘆息して、バッツは非難がましく船長を睨付ける。が、バッツの視線など気にしている余裕もなく、船長は迫り来る海賊船を泡食った表情で見つめるだけだ。
「皆殺しかな」
バッツが呟く。
「まあ、皆殺しじゃろう。海賊にしてみれば同業者でも軍船でもなく、客船にナメられたんじゃ。ここで見過ごせば、沽券に関わる」
「だろうなあ。死ぬのは嫌だよなあ」
「嫌ですねえ」バッツの意見にアルフェリアも同意。
「アルフェリア。魔法でなんかできないか? 例えば、どっかに船ごとワープするとか」
「無理ですね。私一人なら飛んで逃げることも可能ですが」
「逃げる?」バッツが聞くと、アルフェリアは嘆息しながら首を横に振る。
「連れが居なければそうしますけどね。一応、長年つきあった相棒なんで」
「やっぱ恋人じゃねえの?」
「違います」きっぱりとアルフェリアが否定した瞬間。
船同士がぶつかり合い、大きく揺れた。
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客船に向かって海賊船が真っ直ぐ突っ込んでくる。
なんとか回避しようと客船は舵を切るが、それを逃がすほど海賊船は甘くない。時間の経過と共に二つの船の距離は少なくなっていき、あわや正面衝突するかと思われた瞬間、海賊船の舳先が反れた。
海賊船と客船の舳先はギリギリで外れ、正面衝突は免れた。だが正面から衝突しなかっただけで、船の腹と腹が激突し、すれ違い様に激しく小擦れ合い、それが互いにブレーキになって、丁度逆さまに横に並ぶ形で船は停止した。
******
「野郎共、乗り込めぇーっ!」
船同士が接触し、完全に停止するよりも早くファリスは声を張り上げた。
海賊たちが唸りを上げて、剣やら斧やら思い思いの武器を手にして客船へ乗り込もうとする―――そこへ。「ちょおっとまったっ!」
バッツの声が響き渡り、不意の大声に海賊たちの動きが止まった。
「・・・なんだ、てめえ」
自身も乗り込もうと愛用のハンドアックスを手にして客船の淵に足をかけていたファリスは、怯える船員たちを押しのけて前に進み出たバッツを怪訝そうな目で見ながら誰何の声を上げる。
対するバッツは刀の腹を肩に担ぐように持ったまま不敵に笑って、海賊たちを刺激しないようなギリギリの距離まで近づくと立ち止まる。「いや、ただの旅人なんだけどな」
「ただの旅人がなんの用だ? 命乞いか?」
「ぶっちゃけその通りなんだけど。俺、死にたくねえし」バッツの言葉に、ファリスは薄く笑った。
「正直なヤツだ―――だが、諦めろ。海賊にケンカふっかけるような船に乗ったお前が悪い」
「ムチャクチャだなー。つか、俺が乗ったんじゃなくて紹介状を書いて貰った船がこの船だったんだが」
「じゃあ、こんな船に紹介状を書いて貰ったてめえが悪い」
「なにがなんでも自業自得にする気かよ。一応、止めたぜ俺は」
「なら、止められなかったお前が悪い―――完全に自業自得だな」冗談めかしてファリスが言うと、海賊たちもヒッヒッヒと奇妙な笑い声を上げる。
バッツ自身も「困ったな」と苦笑して、「あのさ、アンタが海賊の頭?」
ファリスに尋ねると、ファリスは頷きを返す。
「ああ、俺がシュルヴィッツ一家の現頭領、ファリス=シュルヴィッツ様だ」
「じゃあ、アンタを倒せば退いてくれるよな」言った瞬間。
バッツの姿がファリスの視界から掻き消えた。「何!?」
反射的にファリスはハンドアックスを手にしていない左側を振り向く。
その首元に刀の切っ先が突きつけられた。「命が惜しかったら退いてくれないかなー、なんて思うわけだが」
ファリスとは反対に、海賊船の淵に足をかけた状態で刀を突きつけ、バッツが降伏勧告をする。
「てめえ・・・」
余裕があったさっきとは打って変わり、憎しみのこもった目でバッツを睨む。
「頭ぁっ!?」
ファリスよりも少し遅れて、海賊たちが異変に気が付いて騒ぎ出す。
「騒ぐな!」
ファリスの声に、騒ぎ始めていた海賊たちが静まりかえった。
逆に、客船の方で歓声が上がった。「す、すげえ! あの海賊ファリスを追いつめた!」
「ふっ・・・やはりな。俺の見込んだとおりの男だったぜ・・・」なにやらさっきまで動転していた船長が、とってつけたようなことを言うが誰も聞いていない。
「すごいですね! さすがは剣聖の息子!」
アルフェリアも嬉しそうにはしゃぐ。
しかし、バッツへの称賛の同意を求めた相手は、苦い顔をしてファリスを見つめていた。「まずいな・・・あやつ、強いぞ」
「え・・・?」フライヤの渋い声に、アルフェリアはきょとんとする。
そしてバッツとファリスの様子を見るが、相変わらずバッツがファリスに刀を突きつけている。完全にチェックメイトの状態だ。
だから、フライヤが渋い顔をする理由がわからない。「まずいって、なにがですか・・・?」
「バッツが動いた瞬間、お主は気付けたか?」
「いえ。なんか気が付いたら海賊の横にいて剣を突きつけていましたから」
「わしも同じじゃ。こんな遠くにいても、動いた瞬間が解らないほど、あやつの動きは唐突で無駄がない―――近くで見ていれば、尚更、解らんだろう・・・が」だが、ファリスはバッツが動いた瞬間、反応した。
バッツが回り込んだ左側に顔を向けたのだ。
レオ=クリストフやカイン=ハイウィンド、そしてカウンターを当てたとはいえ、セシル=ハーヴィも誰も反応できなかったバッツの動きに、あの海賊は反応した。「見切ったのか、それとも単なる直感かはわからんが、あやつ・・・強い」
「強いって・・・それは解りましたけど、なにも問題はないでしょう? どんなに強くったって、剣を首元に向けられちゃあ身動きできません」
「・・・・・・」楽観するアルフェリアの言葉に、しかしフライヤは不安をかき消すことは出来なかった。
一方、焦る海賊たちと、助かったと安堵する客船の船員たちの間で、バッツとファリスは彫像のように固まったまま動かない。
困ったように、刀を突きつけたバッツが、「あのさー、そろそろ降参しろよ。いいじゃん、お互い怪我がないって事で」
「よくねぇよ。こちとらの家業は他人にナメられたらお終いなんだ。それも、同業者ならいざ知らずバンピーにナメられたらな」
「でもさ。ほら、喉、刀。俺が突いたら死んじゃうだろ? 命あってのモノダネだし」
「殺すならさっさと殺せよ。誇りを失うくらいなら、死んだ方がマシだ」きっぱりと言い切る。
その真っ直ぐな紫の瞳に、バッツはうんざりしたように吐息する。(なんで世の中ってこんな馬鹿ばっかり何だろう)
真面目にそんな事を悩む。
レオ=クリストフもそうだった。刀を突きつけられながらも、自ら踏み込んでくるような馬鹿だ。
きっとセシル=ハーヴィも同じだろう。(正直、全然理解できねー)
そんなことを思いながら、バッツは刀を引いた。
そして、持っていた刀を後ろに放り投げた。投げられた刀はくるくると回転して、船長の目の前に突き刺さる。「おうわっ!?」
いきなり刀が空から振ってきて、船長は腰を抜かして尻餅を突いた。
その場の誰もが―――バッツ以外の、ファリスも含めた誰もが唖然としていた。
海賊の頭領に王手をかけていたバッツが、いきなり刀を引いてしかも武器を捨てた。「なんのつもりだ・・・?」
「俺はさ」問われ、バッツは口を開く。
胸に思うのは、セシルに叩きのめされてからずっと悩み考えていたこと。
自分の持つ剣の意味。そしてそれは、何故戦うのかと言うことだった。「俺は、死にたくないんだ」
考えながら喋る。
フォールスでの出来事を思い返しながら。
海に出て、海を眺めながら考えていたこと。
アルフェリアに剣の意味を問い、考えたこと。
そして今、考えながら喋る。「でもって、誰も目の前で死んで欲しくないんだ」
「だから、俺を殺さない? ざけんなっ!」ファリスは激昂して、ハンドアックスをバッツに向けて振るう。
だが、次の瞬間。すぱぁんっ!
快音が響き渡った。
ファリスの一撃は空を切り、いつの間にかファリスの背後に回っていたバッツが手にしていたハリセンでブッ叩いたのだ。「なっ・・・? てめえっ!」
振り向き、さらにもう一度斧を振るう。
だが、バッツの動きを捉えられずに、もう一度快音がファリスの頭の上で鳴り響いた。「もー少しなんだよなー。もう少しで、俺の持つ剣の意味ってのが解るような気がするんだ。生きたいから、誰も死なせたくないから―――じゃなくて、もっと単純で、簡単で、でもって何よりも俺らしい剣の意味が」
「何をワケワカンネエこと抜かしてやがるっ!」ぶんっ!
空気を唸り切り裂いて、ファリスの斧がバッツに向かって振るわれる。
だが、結果は同じ。「先に断っておくけどな」
バッツはにやりと笑って、顔を真っ赤にして怒り狂うファリスに告げた。
「俺はお前を殺せない。だから、お前が死にたくなるほど叩きのめす―――泣かせてやるから覚悟しろ?」
バッツの今の笑みをセシルが見たなら口笛の一つでも吹くかも知れない。
その場の誰もが知らないことだが―――そしてバッツ自身も気づいていないが、その笑みはバッツがセシルと出会った時のそれと同じだった―――「殺してやるッ! てめえっ!」
怒り任せに斧を振るう。
だが、ファリスの一撃はバッツにはかすりもしない。
女性みたいな綺麗な細腕で振るわれる斧は、しかし少しでもかすれば肉が割かれ骨が砕かれると思わせるように、もの凄い唸りを上げて振るわれるが―――当たらない。
逆に斧を振るうたびに、バッツのハリセンが正確にファリスの頭へと振り下ろされる。そして、そのたびにファリスは獣じみたうなり声を上げてバッツへ斧を振るう―――その繰り返し。「強い・・・ですか?」
ぽつり、とアルフェリアが呟いた。
「いや、あの海賊、確かに強い。斧は当たらないが、しかしさっきから殆どバッツの動きを見失っておらん」
バッツとファリスの戦い―――と言うよりは、乱暴なダンスに目を奪われながら、フライヤが応える。
そう。それはダンスの様にも見えた。それほど、2人の動きは停滞しない、止まらない。バッツの動きはファリスの周りを巡るように円の動きで、それを追いかけるようにファリスはその場でターンを繰り返す。パン、パン、パン、とリズム良く小気味よく打たれるハリセンの音は、波の音と相まって奇妙なBGMの様だ。海賊と旅人が戦っているのだということを、当事者以外は誰もが忘れ、その場の誰もが船上のダンスに目を奪われていた。
「ぐっ!?」
不意にダンスが止まる。
ファリスの足がもつれ、そのまま無様に転倒する。
尻餅をついて、憎らしげにバッツを見上げた。「くっ・・・はぁ・・・ぜぇ・・・この、野郎・・・」
ファリスは汗だくだった。
顔が真っ赤なのは怒りのせいだけではなく、頭の上からは白い湯気が上がっている。
まともに喋れないほどに息を切らせ、だがしかし闘志だけは息切れするどころか尚も燃えさかっていた。それを呆れたように見下ろすバッツは、汗を少し掻いているものの息切れ一つしていない。
怒り任せに全力で斧を振り回したファリスと、限りなく小さな動きで軽やかに舞うように動いていたバッツの大きな差。「降参しろよ。お前の誇りはよく解ったけどな。相手が悪い」
ハリセンで自分の肩をポンポンと叩きながら、バッツが軽い調子で言う。
「この、野郎が・・・」
段々と息も収まってきて、ファリスはバッツから視線を反らして自分の手下たちに声を張り上げた。
「てめえら! 何をボサッとしてやがる! さっさと乗り込んで皆殺しにしちまえ!」
「おい」バッツが眉をひそめる、
逆に、ファリスは狂気じみた笑みを浮かべて、バッツを見返した。「はっ! 死にたくない、誰も死んで欲しくない!? なら殺してやるよ! 遊びは終わりだ! みんな・・・全部全て皆殺しにしてやる!」
「「「「「うをおあああああああああっ!」」」」」ファリスの声に、海賊たちはうなり声を上げて、次々に船に乗り込んでいく。
「下がれ!」
フライヤが船員たちに声を出し、アルフェリアと共に海賊たちを迎え撃つ。
先陣を切った海賊の一人が、斧をアルフェリアに振り下ろし、それを銀の剣で受け流した瞬間―――ごっ!
と、鈍い音が響いた。
その音は、さして大きくなくフライヤたちまでは届かなかった。
だが、後尾にいた海賊がそれに気づき、後ろが何かしら静まりかえったことに前の海賊が気づいて―――アルフェリアとフライヤが、目の前の海賊と二回三回と打ち合った頃になって、全員が気が付いた。
「ふざけんなよ・・・」
全員の視線の先で、バッツが立っていた。
両手が真っ白になるほど強く強く強く握りしめ、目には激しい怒りを込めてにらみ降ろしている。
バッツが見下ろした先には、ファリスが倒れていた。
さっきの尻餅をついた状態ではなく、完全に大の字になって伸びている。意識はあるようだったが、顔中を鼻血で染めて、見下ろすバッツをただ見上げている。その隣にバッツのハリセンが転がっている。力を込めすぎて、白くなるほど強く握られたバッツの右手はファリスの鼻血が突いていた。
何が起こったのか、フライヤたちは見ていなかったが、どうやらバッツがファリスを殴り倒したと言うことだけは解った。はー・・・はー・・・と、怒りのあまりか息を切らせ、バッツは憤怒のままにゆっくりとファリスの手―――の中にあった手斧を強引にもぎ取る。あまりにも殴られたのが唐突だったのか、それともバッツの激怒に驚いたのか、ファリスは呆然としたまま、抵抗することなく斧を奪われた。
「遊びは終わりだと・・・? 皆殺しにしてやるだ・・・? なら俺も終わりにしてやんよッ!」
叫び、バッツはファリスの額に斧の先を突きつけた。
「か、頭ぁっ!」
「てめえらあっ!」海賊の一人が上げた悲痛な声を、かき消すようにバッツが怒鳴った。
目は怒りのまま、ファリスを見下ろしたまま、周囲の海賊たちに向かって叫ぶ。「殺すなら好きなだけ殺せ! だがな! てめえらが誰か一人でも殺したなら、即座にこいつを殺してやる! それでも殺すのを止めなければ、一人を殺すたびにお前らの一人を殺す! 皆殺しにするっていうなら、テメエら全員ブッ殺す!」
完全にキレていた。
そのバッツの迫力に呑み込まれ、足下に居るファリスも、海賊たちも、フライヤたちでさえ身動き一つ出来ずに、なにも喋れない。ただ、フライヤだけは知っていた。
こういうバッツを一度だけ見た記憶がある。
ホブス山の山頂で、ヤンの弟子たちが殺されていたのを見た時のバッツと同じだと、気が付いた。波の音だけが、辺りに響く。
不意に、笑い声が上がった。
「くっく・・・はは・・・あははは・・・・・・」
ファリスだ。
斧を突きつけられたまま、ファリスは笑っていた。「凄いヤツだよ。お前は・・・確かに、相手が悪かったのかもな。お前なら、言うとおりに俺を殺して俺の手下共を全滅できるだろうさ」
ファリスの称賛の言葉に、バッツは答えない。
構わずファリスは続けた。「だがな、お前も相手が悪かった。こっちにはまだ奥の手があるんだよ―――シルドラ!」
ファリスがそう叫んだ瞬間。
「シャアアアアアアアアアアアッ―――」
耳をつんざくような咆吼と共に、ファリスの海賊船の舳先にある海面が盛り上がった。
ざばあああっ、と海の中から出てきたのは巨大な竜だった。「なっ―――」
フライヤが息を呑む。アルフェリアも驚きを隠せない。
海賊とファリス以外、海面から出てきた巨大な銀竜に目を奪われた。その竜は首しか出ていなかったが。その長い首だけで船の半分ほどの大きさだった。
全身はどれほどのものか、想像もできない。「そうか、この竜が船を引っ張っていたから、急に加速したり、風に逆らって進めたのか!」
さきほど、こちらの砲撃を回避した動きに納得がいって、フライヤは声を上げる。
皆が驚愕に驚く中、ファリスの高笑いが響き渡った。「あーははははははっ! どうだよ、降参するのはてめえの方だ! 俺のシルドラには勝てねえだろ!」
「だから?」ファリスの勝利の高笑いは、しかし冷淡なバッツの声にせき止められた。
バッツは、先程と態度が変わっていなかった。
冷たい表情でファリスを見下ろすだけ。
ファリスは半笑いでバッツを見上げて―――自分では気が付いていないが―――まるで懇願するような口調で、「だ、だからって・・・竜だぞ、海竜! お前、こいつを相手に―――」
「勝てるかどうかなんて知るか阿呆。やることは変わんねえよ。お前の手下だろうが竜だろうが、誰か一人殺したらお前を殺す。まだ殺すならお前の部下を殺す。それで竜が暴れ回るって言うなら竜も殺す―――できなきゃ俺が死んで終わりだ。それだけだ」
「それだけ・・・おい―――」きっぱりと言い切られてファリスはバッツという男に恐怖を覚えた。
そして、今度こそ本当の意味で「相手が悪かった」ということを理解した。(イカれてる・・・なんだよ、こいつは・・・・・・)
見下ろす冷たい瞳。凍えるような瞳だが、その奥には見るものを畏怖せしめる激しい怒りがあった。憎悪と言っても良い。
その怒りがファリスには理解できない。年は若いが、長い海賊家業でファリスは何人も人を殺したことがある。仲間も殺されたこともある。
それは、こういう仕事をしていれば当然のことで、今更人が死んだ殺されたと言って騒ぐようなこともない。
だから、バッツが最初「誰も死んで欲しくない」と言った時には、そういう世界を知らない甘い男だと思った。その甘い男に無様にコケにされて怒り狂った。だが、こっちが怒り任せに手下に「皆殺せ」と言った瞬間、その甘い男は鬼よりも恐ろしい鬼人となった。(いや、違うか・・・甘い男だからこそ)
誰も死んで欲しくないと思う男だからこそ、誰かが死ぬ、殺されることに対してここまで怒り狂える。
そのことに気が付いて、ファリスは相手が悪かったのではなく、選択を間違えたのだと理解する。
「おい」
「なんだ?」ファリスがバッツに呼びかけると、バッツは応えた。
そのことに軽い驚きを覚えながら、ファリスは尋ねた。「本当にシルドラを―――あの海竜を殺せると思ってるのか?」
「殺せるかどうかなんて問題じゃねえつったろ。殺せなきゃ俺が死ぬなら殺すだけだ」
「ムチャクチャだな、お前―――海賊よりもムチャクチャだぞ・・・」ファリスは呆れ半分で苦笑する。
海の上を活動する海賊にとって、海を自在に泳ぎ回り、強靱な身体を持つ海竜はまさに天敵である。
船の上からでは剣や斧は海の中には届かないし、潜られれば弓矢だった意味を為さない。砲台も、基本的には対船用のものなので、海中はねらえない。海竜を倒すには、相手の領域である海の中に飛び込むしかない―――が、それはただの自殺行為だ。
逆に海竜は、船の底を破れば船が沈んで、必死で泳いで逃げようとする人間を端から食っていけばよい。だから、海賊に限らず海の上に生きる者たちは、海竜は相手にせず遭遇したら逃げるか天に祈るかの二択しかない。
その海竜を従えているシュルヴィッツは、海の上ではまさに無敵であり、それをしる同業者は絶対にちょっかいを出さない。
今回、砲撃されたのも、ファリスが海賊の頭になってから初めてのことだった。(だから、頭に血が昇りすぎてたのかもなー・・・)
斧の先を額に突きつけられたまま、ぼんやりとそう思う。
シルドラの力の恩恵にすがっていたつもりはないが、知らずのうちに慢心していたというのがあるのかもしれない。「わかった。降参だ。負けを認める」
ファリスがそう言うと、海賊たちに動揺が走る。
「お前らも、船に戻れ! ここはシュルヴィッツ一家の負けだ!」
ファリスが叫ぶと、海賊たちは全員船に戻った。
それを確認して、バッツは斧を引く。
と、ファリスは立ち上がった。半分乾いてしまった鼻血を拭い、「ああ、くそ。こんな情けねえ事は初めてだ」
「ま。相手が悪かったんだろ」さっきまでの怒りの様相はどこへやら、にやっと笑ってバッツが答えた。
あまりの変わりように、ファリスは一瞬だけきょとんとしたが、すぐに爆笑して、「わーっははは! 自分で言うなよこの野郎!」
がんっ、と軽くバッツの頭を小突いた。
その一撃で、バッツはその場にひっくり返る。「ぐあっ・・・なに、しやがるこの野郎」
「あれ、軽く小突いたつもりなんだが」
「てめっ、どこが軽くだ!? チョコボに蹴られたかと思ったくらい衝撃来たぞ!」
「いや、いくらなんでもチョコボに蹴られたらすぐには立てないだろ」などと、ファリスとバッツのやりとり。
いきなり和気藹々とする旅人と海賊に、周囲の人間は困惑を隠せない。
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「これは、アレでしょうか」
「アレ?」ぴん、と指を一本立てるアルフェリアに、フライヤが尋ね返す。
「よくあるヤツですよ。どっかの河原で力一杯殴り合ってぶつかり合って、『やるな、お前・・・』『へ、お前もな・・・』とか言って、殴り合うほど憎み合っていた2人に友情が・・・とか」
「よくわからん。なんだそれ」
「エイトスの辺りじゃ、結構ポピュラーな熱血漫画の展開なんですがねー。熱血プルルンとか」
「漫画・・・?」
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「まー、人死にが出なくて良かった」
「もしも誰か死んでたら、マジで俺は死んでたのか?」ファリスが尋ねると、バッツは誤魔化すように笑って。
「さあ? でも俺は人は殺したくねえし」
「俺はてめえの殺気だけで殺されるかとおもったがな」そう言いあって再び笑い合う。
そして、バッツは手斧をファリスに返して、自分のハリセンを拾い上げると、それを肩に担いで。「じゃ」
と、手を上げてファリスに別れを告げると客船に戻ろうとして―――
「おいっ!」
不意にファリスがバッツの襟首を掴んだ。
「へ?」
と、バッツが思った瞬間、後ろへともの凄い力で引っ張られた。
「ぐええええっ!?」
襟首を引っ張られ、首を服で締められる形になって、後方へ吹っ飛ぶ。
ファリスはバッツを引いた勢いで後ろに投げつけた―――そして、寸前までバッツが居たところを黄色い糸のようなものが振ってきた。「なに!?」
「上じゃ!」フライヤの声に、場の人間が全員上を向く。
見上げれば、船のマストより高い位置に、金髪の美女が浮かんでいた。風のバルバリシア。
人の形をした、人成らざるゴルベーザの配下。
彼女は軽く舌打ちして、ファリスに放り投げられたバッツを見る。バッツは海賊たちに甲板に叩き付けられる形で倒れていた。「ざーんねん。あとちょっとで捕縛できたのに」
「なんだテメエは!」ファリスが叫ぶと、バルバリシアはふふんと笑ってゆっくりと降下。
海賊船と客船のマストの間、半分くらいの高さで止まって軽くウィンク。海賊船員問わず、ファリスと倒れているバッツ以外の男の口から「おぉ〜」と感嘆の息が漏れた。「私は風のバルバリシア―――その茶髪の子に用事が・・・あ」
彼女はフライヤの方を振り返り、
「あなたでも良いわ。クリスタル、あるんでしょう? さっさと出してくれると誰も痛い目見なくて澄むわよ〜」
そう、バルバリシアはおどけて言った―――