第10章「それぞれの決意」
C.「父の遺言」
main character:バッツ=クラウザー
location:フォールス近海
父親が病で倒れた。
ろくに医者もいない、自分の故郷よりも山の奥深くにあった村でのことだった。
村人の一人が医者を呼びに街まで走ってくれたが、山の麓の街まで行って帰ってくるだけでも一週間はかかってしまう。父であるドルガン=クラウザーは世界最強とも言われる、剣聖と剣士たちからは呼ばれているほどの剣の使い手だった。
だが、どんなに強かろうとも病気には勝てない。
かつてはなんとも頼もしく、常にバッツの前を歩いていた偉大な父親が、病に伏せり日に日に痩せ衰えていく。そんな姿を見るのはなんとも辛かった。一週間して、ようやく医者が辿り着いた。
しかし医者はドルガンの容態を見て、首を横に振った。「もう手遅れです―――手の施しようがありません。あと数日の命でしょう」
それでもなんとかできないかと、バッツは医者に泣きついた。
だが、医者は困ったように。「あなたの父親が病気に掛かったのは昨日今日の話ではありません。正確にはわかりませんが、もう半年以上も前のはずです。一緒に旅をしていて何か気づくことはありませんでしたか?」
医者にしてみれば、それは病気の原因がなんであるのか―――どういう状態だったのか聞いてみただけなのだろう。
だが、その言葉はバッツを打ちのめした。
半年もずっと一緒に旅をしていて、バッツはなにも気づくことが出来なかった。その事実に、バッツは膝を屈して、病に身体を冒されて眠り続ける父親へ泣きながら頭を下げることしかできなかった。そんなバッツを見かねて、村の長が子供の頃の話をバッツにした。
なんでも、この村よりも山の奥に切り立った崖があり、その崖の途中に咲く白い花が病気の特効薬になるという。
もしかしたら効くかも知れないから、村の者に取って来させよう―――その話を聞いた瞬間、バッツは「俺が取ってくる!」
そう言って村を飛び出した。
自分がもう少ししっかりしていれば、父親の容態に気が付いていればこんなことにはならなかったかも知れない。
そういう思いが、いてもたっても居られなくなり、バッツを突き動かした。村の外は危険な領域だった。
魔物が潜み、それだけではなく村の猟師がしかけた狩りの為の、或いは魔物撃退するため罠があちこちに散らばっていた。
しかしバッツは父から教わったサバイバル技術と、旅をしている間に磨かれた直感、それから天性の身のこなしでなんなく切り抜けていった。半日ほど経って、バッツは村長が言った崖に辿り着いた。
村の人間でも1日はかかっただろう。それだけ、バッツの能力が高かった。「ここに・・・花が・・・」
ごくりと唾を飲み込み、崖をのぞき込む。
くらくらした。実は、バッツは高所恐怖症である。
幼い頃、村の友達と隠れん坊で遊んでいて、家の屋根の上に隠れていると誰も見つけてもらえずに、昇ったはいいが怖くて降りることも出来ず、村中を大人たちが探す中、一晩を屋根の上で過ごした経験がある。
高いところに居ると、その時の寂しさと心細さが蘇り、身体が萎縮してしまうのだ。崖は、随分と高かった。
普通の人間が見ても、あまりの高さに尻込みしてしまうだろう。
簡単に言えば、ちょっと足を踏み外して下まで落ちればあっさりと抗いようもなく天国へ行ける高さだ。その崖の上から、大人2,3人分を合わせた下に、ぽつんと白い花がいくつか見えた。
「あれか・・・」
崖の淵に四つん這いになって花を確認する。
だが、手を伸ばして届く距離でもない。取るには崖を降りなければならないが、しかし足場になるようなものが在るわけでもない。
せめてロープの一つでもあれば、近くの木に結びつけてどうとでもなるのだが。「くそっ、馬鹿か俺はッ」
なんの用意もせずに村を飛び出した自分を罵った。
だが、こうして怖いのを我慢して白い花を見つめているだけではどうにもならない。一旦、村へ帰るしかないか―――そう思った時だ。「GAAAAAAA!」
「うわあっ!?」不意に、後ろから魔物の唸り声が聞こえてきた。
後ろ。それも真後ろ、すぐ後ろ。
魔物の唸った吐息がバッツの首筋に当たるくらいの直後であり、振り返るよりもバッツは反射的にその場を飛び退いて―――「あ・・・」
意識が遠くなる。
魔物とは反対側。つまり、前へバッツは飛び込んだ。
当然、そっち側は崖。「・・・・・・ッ!」
身体が塊、白くなる意識―――だが、すんでのところで気絶は免れた。
気が付けば、何処をどうしたものか、身体は崖の淵にしがみついている。
半分意識が飛んだのが幸いしたのかも知れない。考えずに、身体は生きる為に動いてくれたらしい。九死に一生を得たものの、危難はまだ去っていなかった。
「GRUUUUUU・・・」
見上げれば、魔物がゆらりと立っている。
その目には凶暴な光があった。「お、おいっ、あ、あっちいけよ・・・っ」
弱々しい声でバッツは魔物に向かって言う。それが、今のバッツの精一杯だった。
いつものバッツなら、素早く体勢を立て直し、魔物の攻撃をかいくぐって逃げ出すことも容易かっただろう。
だが、高いところで身体が竦んでしまっているバッツは、崖にしがみついているのに必死で、これ以上はどうしようもなかった。もちろん、バッツの言葉で魔物が引くはずもなく、逆に大きく鋭い爪を振り上げて、それを一気に―――
斬ッ!
―――振り下ろした瞬間、魔物の首が跳ね飛んだ。
振り下ろした爪は目標を誤って、バッツがしがみついている崖のすぐ隣を打った。首が地面に転がり、その巨体がぐらりとかしぐ。どんっ、と魔物の身体が後ろから押され、ぴゅうぴゅうと首から血を吹き出しながらバッツの隣を転がり落ちていく。
程なくして、ぐしゃ、と嫌な音がバッツの耳に聞こえた。「大丈夫か?」
そう言って声をかけたのは、ドルガンだった。
彼は根本を鉛で補強している為に鞘に収まらない刀を地面に置いて、崖にしがみついているバッツを引き上げる。バッツの安全を確認すると、ドルガンは地面に置いた刀を広い、服の中にしまっておいた白い布をぐるぐると巻き始めた。それから、またバッツの方を向いて。「危ないところだったな」
息を切らせて、にかっ、と笑う。
その笑顔に、バッツは泣いた。
助かってほっとしたわけじゃない。今更ながらにようやく気が付いたからだった。たかが1回剣を振るっただけで、息を切らす父親に。よくよく見れば、笑ってこそいるものの、顔には小さな汗の粒が浮かんでいる。
バッツが父について旅を始めた時には有り得なかったことだ。
だが、思い返してみれば、確かに半年ほど前からドルガンはこんな調子だった気がする。それまでは三日と置かずに町や村を立っていたのが、一週間、時には半月以上も滞在することもあるようになった。
剣にしても、それまではクラウザーの名前を出すたびに、剣士たちが集まり、それらに剣の指南や或いは試合の相手、時には果たし合い等というものもあったが簡単にあしらっていた。それが、最近は自分の名前を出すことを極力控え、剣の指南を申し込まれた時ものらりくらりと受け流していた。それは時には良い金にもなり、旅の主な路銀稼ぎでもあったのだが、そのことに疑問を思いながら、バッツは「親父には親父の考えがあるんだろう」と、深くは考えていなかった。気が付こうと思えば、気が付けた、
兆候は出ていたのだ。―――いや、バッツは気が付かなければならなかった。母親も同じような病で、そして同じようにバッツに病状を悟らせずに、ある時あっさり逝ってしまった。(また、俺は・・・俺は・・・)
自分がなんとも情けなくて、愚かしくて、バッツは泣いた。わんわんと大声で号泣した。
「おいおい、男がみっともなく泣くもんじゃない」
困ったような父親の声が耳に届く。
だが、それでもバッツは泣くのを止められなかった。バッツが泣くのを止めたのは、なにかが自分に倒れ込んできた時だ。
「・・・え?」
見れば、父親が自分に寄りかかるようにして倒れてきていた。
さっきまでとはうってかわった、苦しそうな表情で。激しく息を切らせ、顔にはびっしりと大粒の汗が浮かんでいる。「親父・・・?」
「ハァ・・・ハァ・・・いや・・・大丈夫だ」
「なにが、大丈夫だ! くそっ、早くあの薬を―――」
「いや、無駄だ。あの花は単なる熱冷ましの薬にしかならんらしい。ちったあラクになるかも知れないが、気休めだな」
「そんな・・・」愕然とする。
あの花があれば治ると信じてここまで来たのに、それが意味のないことだと気づかされて目の前が真っ暗になる。
そのせいで、病気の父に無理をさせて―――だが、そんなバッツの表情を読んだのか、ドルガンは弱々しく笑って、
「いや、でも、無駄じゃなかったか。お前が一人でこんな所までこれることが解ったんだ。それも、俺が追いつけなかった―――それが解っただけでも無駄じゃなかった」
「でも結局親父が来なければ俺は死んでた。俺に追いつけなかったのだって、病気で弱ってたからだろ!」
「さて、な。なあ、バッツ。お前はこの世界が好きか?」
「なんだよ、突然・・・それよりも早く村に戻って医者を―――」もう、なにもかも手遅れなんだと解っていながらも、バッツにはそう言うことしかできなかった。そして、そんな事しか言えない自分を悔しく思った。
「いいから答えろよ。俺が今、文字通り死ぬほどカッコ良い遺言を言ってやるから」
「遺言とか言うなよ・・・死ぬとか、言うなよ!」
「早く答えろつってるだろ。すぐ死んじゃうぞ、俺は」息も絶え絶えに、ドルガン=クラウザーは軽い調子で言う。
まるで、自分が死ぬことすら楽しんでいるような―――そんな様子だった。「嫌いだ、こんな世界・・・おふくろが死んで、親父だって・・・!」
好きだといってやるべきだったのかもしれない。
けれど、バッツはどうしても嘘を言う気にはなれなかった。「そっか。でも俺はこの世界が大好きだ。俺の故郷とは随分と遠くに離れちまったけど、この世界には故郷と同じくらいにイイヤツがいて、ヤなヤツもいるけど、そいつらも含めてこの世界が大好きだ」
だが、とドルガンは僅かに表情を曇らせて、
「だが、俺はこの大好きな世界に対して罪を犯した。自分の故郷を守る為に、悪意を押しつけちまった。―――無力な俺にはその罪を償うことができはしない」
「罪って・・・なんだよ。無力って・・・親父は誰よりも強いだろ!? バロンの王様とだって引き分けたって言うじゃんか!」
「剣の強さだけじゃどうにも出来ないこともあるんだよ。さて、こっからが遺言だ」
「だから、遺言なんて・・・」
「いーから聞け。バッツ、お前はこの世界が嫌いと言った。けど俺は俺と同じように大好きになって欲しい。いいか、好き、じゃねえぞ。大好き、だ。ここ重要なポイントだからしっかり覚えておけ。でも好きになれって言われて好きになれたら、世界中誰だって友達になれるわな。―――だから、お前は俺が死んだ後、一人で旅を続けて欲しい。そもそも、俺が旅をしていた理由はこの大好きな世界を目にしたいってのが大きな理由で、まあ、他にも小さくて重要な理由があるんだが、そっちはお前には関係のないことだ。・・・ともかく、バッツ。この世界は本当にお前が嫌いと言うような世界なのか、その目で確かめて欲しい」長い言葉の後、ドルガンは酷く咳き込んだ。
もはや笑うだけの余裕もなく。それでも無理して、強ばった笑みを作ろうとして、失敗して、「あー、あとついでに俺の持ってる刀をバロン王に渡してくれ。死んだって伝えて、決着はあの世でやろうぜとかなんとかカッコ良いこといっといて」
こちらはどうでも良さそうに言うと―――そのままドルガンは目を閉じた。
「親父・・・?」
さっきまでの苦しそうな表情とは違い、安らかな顔だった。
口元に手を当ててみる―――と、息をしていない。「おい・・・親父、冗談だろ!?」
「うむ、冗談だ」
「・・・・・・ッ!」いきなり目を開いたドルガンに、泣きかけていたバッツは怒ったような泣きそうな、奇妙な顔をする。
そんなバッツをドルガンはケラケラと笑い。「お前、泣きすぎだぞ。男が泣くんじゃねえ。っていうか、人前で泣いて良いのは女だけだ。野郎は顔は笑って心で泣け! で、どうしても泣きたかったら、誰もいないところでこっそり泣きやがれ」
「このくそ親父・・・」最後まで―――本当に最後の最後まで、バッツをからかう父親に、悲しみも吹っ飛んで怒りすら覚える。
「おおっ! ここにいたか!」
人の気配に振り返ると、村の人間が数人山の中から現れた。
どうやらバッツとドルガンを追いかけてきたらしい。「無事かね」
「まあ、なんとか。俺も親父も生きてはいます」
「そうか。なら早く村に戻ろう。・・・まったく、子供や病人に置いていかれるなんて、情けねえったらねえなあ」村人の一人がそんなことを言い、困ったように他の村人も笑う。
和やかな雰囲気に、バッツも少しだけ笑い、支えている父親の肩を軽く叩く。「ほら、迎えが来たぜ。さっさと村に戻って―――親父?」
だが、ドルガンは答えなかった。
先程と同じように目を閉じている。それはまるで穏やかな寝顔といった様子だった。―――結局、それからドルガン=クラウザーは二度と目を覚ますことが無かった。
バッツは父親の最後の遺言を守りきることが出来ず、その場で号泣し、村人たちも旅人の死を惜しんでくれた。
父の遺体をつれて村に戻り、簡単な葬式を済ませた後、遺体は火葬した。故郷へ、父の亡骸を持ち帰る為だった。
この村の共同墓地に入れても良い、と村長は言ってくれたが、バッツは母が眠るファイブルにある故郷リックスで眠らせてやりたかった。だが、ここからリックスまでは随分と距離がある。途中で腐らせるよりは、と遺体を燃やし、骨を持ち帰ることにした。
病気の為か、燃やした後に原型を留めている骨の塊はほとんど無く、大部分は灰と混ざった骨を骨壺に入れて、バッツは村人たちに何度も礼を言って、チョコボのボコと一緒に一人で故郷へ旅だった。故郷へ戻り、父を埋葬して、バッツはすぐに故郷を出た。
自分たちが住んでいた家はすでに他人が使っていたし、古い知り合いを頼るのも気が引けた。
ファイブルの各地を転々として、三年近く経ち悲しみも薄れた頃、バッツはなんとなく父の遺言を思い出した。―――世界を自分の目で確かめろ。
ということと、
―――刀をバロンに届けてくれ。
そう言った父の言葉を。
バッツは大きな港のあるウォルスで、ちょっとしアルバイトをして船賃を貯めるとフォールスへ向かった。
てっきり直行でバロンまで行けると思ったのだが、リヴァイアサンのせいで船ではバロンまで行けないと言われ、仕方なくファブールの港で降りて陸路でバロンへ向かうことにした。ダムシアンでソルジャーの青年とぶつかり、お詫びに飯を奢ったところで路銀が尽きたが、まあ、なんとかなるだろうと青年に教わったルートを透ってカイポの村にたどり着き、そのまま村を出てバロンへ向かおうとして―――
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「・・・・・・夢か・・・」
あてがわれた船室で目を覚まし、バッツはぽつりと呟いた。
夢を見ていた。
父が死んだ時の、それからの夢。
「ふわ〜ぁあ・・・・・・」
欠伸を一つして起きあがる。
ふと、隣を見るともう一つのベッドで寝ているはずのフライヤの姿はなかった。
槍もない。甲板で鍛錬でもしているのだろうか。そんなことを思い、バッツはベッドを降りて部屋を出ようとして。
ふと、隅に荷物と一緒に置いてある白い布を鞘代わりに巻いている刀を見た。自分の剣の意味。
悩んだか、結局、答えは出なかった。
なんとなく、布にくるまったままの刀を手に取ってみる。「ふむ・・・」
布がほどけないように、端を押さえて軽く振ってみる。
バッツは誰かに剣を習ったわけではない。
ただ、父の剣捌きを見て覚えただけだ。門前の小僧なんとやら。下手に誰かに教わるよりも、剣聖の剣の使い方を見ることの方がよっぽど剣の勉強になっていた。「俺も、修行とかしたほうが良いのかなー」
なんとなく思う。セシルにしろ、フライヤにしろ、レオ=クリストフにしろ、誰も初めから武器を自在に扱えたわけではない。そこはやはり相当の修練を積んで、剣技を磨いていったのだろう。
しかし、バッツは剣の修行などしたこともない。ただ、生まれつきの機敏さを生かして剣を振るっているだけだ。自分の剣の意味が見いだせないのは、そう言った修行をしていないせいなのかもしれない。
昨晩、アルフェリアは言った。
記憶を塗りつぶされ、しかし記憶は失っても身体は剣の扱い方を覚えている。それが記憶を失う前の自分の本当の記憶であると。
そこまで剣を振るい続けてきたのなら、己の剣の理由や意味など、考えるのも馬鹿らしいだろう。「・・・まあ、飯の前に身体動かすってのは悪い事じゃないよな」
そんなことを呟き、バッツは刀を持って船室を出た。
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きぃん、ぎぃぃぃんっ!
鋼と鋼が激しくぶつかり合う音を耳にしながら、バッツは甲板に上がった。
水平線を見れば、朝日はまだその頭を見せたくらいで、周囲は暗くもなく明るくもない、微妙な明るさだった。
夕方とは違う、もう一つの昼と夜の狭間の時間。
船員はともかく、客で目を覚ましているのは自分とフライヤくらいなものだろうと思いつつ、鋼の音を頼りにフライヤの姿を探す。と、思った通りフライヤが槍を振るっていた。
しかし、一人ではなくアルフェリアも剣を抜いて、フライヤと打ち合っている。さっきから響く金属音は、2人が手合わせをしている音だった。
バッツが来る随分前から続けているようで、二人とも汗だくになって自分の武器を振るっている。「くっ!」
きんっ! と、アルフェリアの剣がフライヤの槍を跳ね上げる。
同時にそのままフライヤの懐へと飛び込む―――が、槍をかち上げられたフライヤは、その勢いのまま槍をくるりと回す。「しまった!」
舌打ちしたのは、踏み込んだアルフェリアの方だった。
目の前に槍を突きつけられて、急ブレーキをかける。こつん、と石突きで額を突かれて、その場に尻餅を突いた。「はあ・・・はあ・・・、強いですね。フライヤさん」
「いや、アルも中々強い。お主ほどの使い手はそうはおらん・・・し、魔法を使われれば私にはなすすべがない」
「でも槍を跳ね上げた時は行けると思ったんですけどね。まさか、槍を引かずに回転させるなんて・・・」槍はリーチが長く、剣に対して有効な武器だが、反面、槍の突きをかいくぐって踏み込まれるとどうにもならないという弱点がある。
だから、アルフェリアは突き出された槍を跳ね上げて、その隙に踏み込んだのだが、フライヤの方が一枚上手だった。
フライヤは跳ね上げられた勢いを利用して、槍を持っていた場所を支点にして半回転。突き出していた刃の部分が後ろへ回り、逆に短く持っていた槍の底、石突きの部分が前に回り、踏み込んできたアルフェリアに向けたというわけだった。「槍の長所も短所も把握しておるのが竜騎士じゃからの。これくらいは誰でもやれるもんじゃ」
「そうですか? 何人か竜騎士と手合わせしたことがありますが、フライヤさんほどの手合いは居ませんでしたよ」
「うむ、そうかの?」ちょっと照れたようにフライヤがはにかむ、だがすぐに真剣な表情になって。
「じゃが、わしなんぞよりも強い者など幾らでもおるよ。礼を上げるなら、フォールスの竜騎士カイン=ハイウィンド、それから・・・」
「竜騎士フラットレイですね。確か、フライヤさんと同じネズミ族の」アルフェリアの出した名前に、フライヤの顔がかげる。
あれ、とアルフェリアがきょとんとすると、フライヤは慌てて頷いて。「そうじゃな。わしはその2人には遠く及ばん。・・・そのことを、フォールスで痛いほど思い知らされた・・・」
フライヤはフォールスでカイン=ハイウィンドと二度槍を合わせた。
だが、その2回とも軽く一蹴された。生き残っているのは運がよいわけではない、ただ自分が弱すぎるからだった。初回の時はゴルベーザが良いと言い、2回目、ファブールで戦った時は、眼中にすら無かった。そして竜騎士フラットレイは、フライヤに槍の使い方を教えた師匠でもある。
実際にはどうかは解らないが、フライヤはカイン=ハイウィンドと同格の力を持っていると確信している。「でも、フライヤさんは強いですよ。・・・もう一回、お相手願えますか?」
「何度でも。朝食まではまだ時間がありそうじゃからな」そう言ってフライヤは槍を構える。
アルフェリアも剣を構えて「はいっ!」と嬉しそうに頷いた。そこへ、「あー、ちょっといいか?」
バッツが声をかける。
それまでバッツの存在に気が付かなかったらしく、そこで初めて2人はバッツに声をかけた。「おはよう御座います。バッツさん」
「バッツか。なんじゃ?」
「俺も混ぜてくれないかなって思ってさ」そう言って、バッツは刀の布をほどいた。
白い布が螺旋を描いて甲板に落ちる。「布・・・? 鞘は―――あ」
アルフェリアが怪訝そうに鞘代わりの布を見て、不意に気が付いた。
「鉛で補強してあるんですか。それじゃ鞘は入りませんね」
「そういうこと。で、どうよ?」バッツが尋ねると、フライヤが構えていた槍を立てて一歩引いた。
「ならわしが休ませて貰うとしよう。刀と剣という違いはあるが、同じ刀剣類じゃ。そっちの方が良いじゃろ?」
「そうですね。じゃあ、バッツさん。お願いします」そう言って、アルフェリアはバッツに剣を向ける。
バッツも刀を―――アルフェリアの見よう見まねで構えてみた。それを見てフライヤが眉をひそめる(バッツが構えを・・・?)
バッツの剣は、構えない剣だ。
構えない状態から、いきなり左右に動き、相手の死角に飛び込んで奇襲を仕掛ける。
だというのに、バッツはぎこちなく構えて見せて、さらにはそのまま真っ直ぐアルフェリアに向かって踏み込んだ!(―――速い!)
バッツの動きを見て、まず誰もが思う感想を、例外なくアルフェリアも感じ、バッツの一撃を受け止める。
(あれ、でも―――)
「うをっ!?」
簡単に一撃を受け止めたアルフェリアは、そのままバッツの刀を押し返した。強引に押し返されて、バッツの体勢が崩れる。
(速かった、けれど軽い―――)
「せいっ!」
裂帛の気合いと共に、アルフェリアはそのままバッツの刀を跳ね上げる。
簡単に刀はバッツの手から飛んで、空中でくるくると回りながらフライヤのすぐそばに落ちた。「あれ?」
戸惑ったように、バッツは自分のなにも持っていない手を見る。
フライヤはそんなバッツを眺めながら、足下に落ちた刀を拾い上げて、「なにをやっておる。バッツ、いつもの動きはどうした?」
拾った刀をバッツに差し出す。
バッツは刀を受け取りながら、バツの悪そうな顔で、「いや、でも、それだと剣の修行にならないだろ?」
「じゃが、それがお前の戦闘スタイルじゃろうが。というか、まともに打ち合える剣の技量はお主にはない!」きっぱりと言い切られて、バッツはへの字に口元を曲げる。
そんなバッツに、フライヤはさらに続けた。「というより、お主には剣を振るう為の筋力が圧倒的に足らん。―――アル、バッツの剣を受けてみてどう思った」
「え? えっと・・・その、すごく速かったですよ? 驚きました。今までに見た何よりも速い踏み込みで―――」
「正直に言って良いんじゃぞ」
「あー・・・えっと、速かったけど、凄く軽くて驚きました。それに簡単に押し返せて・・・」
「う」言われて、バッツはへの字顔をさらに渋く染める。
フライヤは半眼でバッツを見やり、「解ったじゃろ。真っ向から打ち合いたいのなら、まずは腕立て伏せでもやっとれ。剣を扱う以前の問題じゃ」
「このネズミ、言わせて置けば―――ならてめえ、俺と勝負しやがれ! 俺が問題外かどうか・・・」激昂したバッツに対して、しかしフライヤはあくまでも冷淡。
ダムシアンで一緒に傭兵をやっていたツンツン頭の大剣使いの仕草をなんとなく思い出しながら肩を竦めてみせる。「やめておく。はっきり言って、わしじゃお主には逆立ちしても勝てん」
「な、なんだよ。さっきは俺の剣は問題外とか言って・・・」
「お主の剣に負けるわけじゃないわい。お主の動きなら、鷲の槍をかいくぐって踏み込んでくるなど容易い事じゃろうが」確かに、と話を聞いていたアルフェリアは思った。
攻撃力はともかく、先程のバッツの踏み込みならばフライヤは剣を引く事も回転させることも出来ずに、バッツに剣を突きつけられて終わりだろう。「なんにせよ、お主の剣は真っ向から斬り合う為のものではない。相手の死角に回り込んで、奇襲する剣じゃ」
「ンなこたわかってるよ。でもそれって、なんかセコいし、だいたい剣を持つ意味がないだろっ」
「セコくて結構じゃろうが。セコかろうがなんだろうが、死角から奇襲しかけられればどんなに強者だろうが為す術がない」それに、とフライヤは諭すように指を立てて、
「お主は奇襲では剣である意味が無いと言うが、それならば何を持つ? 槍か? それとも斧か? じゃが、槍では長くて動きに邪魔になるし、斧では重くてやはり邪魔になる」
「短剣などはどうでしょう」アルフェリアがそんな意見を出した。
「剣には代わりはないじゃろ」
「まあ、そうかもしれませんが」
「いいか、バッツ=クラウザー。正直言って、お主の剣の意味というのはわしにも解らんだが。ただ一つ言えるのは、お主の剣は真っ向から渡り合うための剣ではない。そもそもお主は戦士ではなかろう? お主は旅人じゃ。ならば、堂々と戦う必要はなかろう?」
「うーん・・・」言われてみればその通りだと思う。
セシルも「敵を打ち倒す為の剣ではない」と言っていた。「はー・・・わかんねえなあ・・・」
いい加減、答えのでない問題にうんざりしてバッツがそう呟いた時だ。
「海賊だ! 海賊が出たぞー!」
突然、見張り台に立っていた水夫が大声を張り上げた―――