第10章「それぞれの決意」
B.「船上にて」
main character:バッツ=クラウザー
location:フォールス近海
「うーみーはーひろいーなーおーきーいーなーぁーっ!」
船の上だ。
夕暮れ時の甲板に船長のやけに陽気な童謡が響き渡る。
がなり声ではあるが、音痴ではない。特に気に障る歌でもなく、バッツは水平線の彼方に夕日が沈んでいく様を眺めていた。「―――良かったのか?」
後ろから声。
それが同行者のものだと気づいて、バッツは振り返らずに聞き返した。「なにが?」
「フォールスを出たことじゃ」
「良かったも何も―――わかんねえよ、そんなの」
「・・・まあ、そうかもしれんな」背後で嘆息する気配。
やがて、気配そのものが遠ざかっていく。
バッツが振り返ると、赤いとんがり帽子(先が少し焦げている)を被ったネズミ族の後ろ姿が船内に入るところだった。「・・・どう、なんだろうな」
なんとなしに呟いて、バッツは再び夕日を見る。
少し目を離しただけなのに、夕日はいつの間にか殆ど水平線の向こうへ隠れようとしていた。程なくして、夕日が完全に消えて僅かの間水平線には赤い夕焼けの色が真っ直ぐに浮かんでいたが、すぐに夜が来る。赤く煌めいていた水面はそんな名残も感じさせないほど性急に薄暗く染まり、美しかった昼と夜の境界の時間にあった世界は、今はもう色のない冷たい世界へと成り果ててしまった。
(どうでも良いことなのかもなー・・・)
なんとはなしに思う。
(なんだって、どんなことだって、終わっちまえば消え去って)
それは夕焼けの世界の後に来る夜のように。
(何も残らなくて、だから、本当はどうでも良いことだったんだ。俺にとってフォールスの出来事はもう終わったことだから。だからつまり・・・・・・どうでも良いことだった)
ぼーっと、つらつらと思考する。
と、やおらフ、と笑って。「なぁに言ってるんだか―――いや言ってないか。考えてる。人間は考える葦である。逆説的に言えば葦は考えない人間ある。いこーる、考えない人間は葦になってしまう。さもありなん」
・・・・・・
「いかん、疲れてるのかも知れない。きっとそうだ。つーか、頑張りすぎたよなー。俺。頑張って頑張って頑張りまくって、なんで俺あんなに頑張ったんだろう」
ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ、独り言を繰り返す。
その様子はなんかアブない哲学者と言った風情であり、甲板に出ている人間は薄気味悪そうな視線でバッツを見ていた。
ただ一人、船長だけは舳先に陣取って、仁王立ちで歌を歌い続けていたが。
周囲の微妙な気配に気が付かないまま、バッツはさらに言葉を続けた。「リディアを守りたかった。守りたかった―――なんで、守ろうと思ったんだっけ・・・?」
自問自答して、思い出そうとする。守る理由を。
「どうしてだっけ? リディアが弱いから? 子供だから?」
そうだろうか。弱いから助けたいと思った?
違う気がする。
そもそも、別にバッツは偶然、砂漠でセシルたちを拾っただけで、それから成り行きで一緒に行動していただけだった。そもそもリディアを守ろうとしていたのはセシルだ。バロンと戦おうとして、バロンやガストラの将軍に狙われているリディアやティナを守ろうとしていたのは、バッツではなくセシルだったはずだった。バッツはそんなセシルを砂漠で助けただけだ。
本当なら、すぐ手を振って別れる―――そのハズだった。(セシルの彼女が熱病で倒れてて、その薬が必要で・・・でもセシルは怪我をしていて、砂漠を越えるなんて出来そうになかった。そう思ったから、俺がダムシアンまで行った)
自分がお人好しだとは思わないが、それでも死にそうになっている人間を目の前にして放っておくほど無情でもない。
だから砂漠の光を手に入れに、ダムシアンまで向かった。そこへリディアがついてきたのは、単にリディアが来たいと言ったからだった。砂漠を越えるということを除けば、別に危険な旅でもない(と、その時は思っていた)、だからバッツは気軽に一緒に行こうと頷いた。(ダムシアンに行ったら、バロンの飛空挺に襲われてて。それでその時に―――)
一人の女性が死んだ。
会ってから一時間も経たずに死んだ女性だ。
だけど、好感の持てる女性でもあった。少し年上だからって、お姉さん風を吹かしていたことが強く印象に残っている。バッツは一人っ子だったが、弟の気分というものを初めて味合わせてくれた女性だ。
その女性が目の前で死んだ。
赤い翼の爆撃で、自分の恋人を庇って。(そん時からかなー、おかしくなったのは・・・)
確かにその時にバロンのことが許せなくなった、というのはある。
だから、砂漠の光を手に入れてカイポの村に戻った後も、目的であるバロンへは向かわずにセシルについてファブールへと向かった。
別にバロンを倒したいなんて思ったわけじゃない。
ただ、バッツ=クラウザーはセシルたちのことが嫌いではなかった。友人と気軽に呼べるほど長く付き合ったわけではないが、それでも死んで欲しくない程度には親しくなってしまった。だから、守りたいと―――
(守れない、剣・・・・・・か)
ファブールの港を出る前に、バッツはセシルに容赦なく叩きのめされた。
そして、その剣の意味を問われ、守る為の剣と答えたバッツを否定した。「事実だよなー・・・俺は、誰も守れていない」
ダムシアンでは目の前でアンナが死に、ファブールではレオ=クリストフに敗北した。
そして、今、守ると言ったリディアをを見捨てて、故郷へ逃げ帰ろうとしている。(見捨てた・・・っつーか、見捨てられたっていうか)
自嘲気味に思う。
守ろうとしていた少女は、逆にバッツを守ろうとしてくれていた。
それが情けなくて、心底情けなくて、そして自分はここにいる。「ちぇっ、悔しいけどセシル=ハーヴィはやっぱり正しい。俺は・・・誰も守れない―――守られてばっかりだ・・・」
フォールスの出来事だけじゃない。それ以前だって、自分は守られ続けていた。
「じゃあ、俺の剣ってなんだろーか」
誰も守れない剣。
そして、誰も倒せない剣。
セシル=ハーヴィは誰にも負けない剣だと言った。旅人として生きていく上で必要な剣だとも。「わっかんねーな・・・・・・」
呟く。自分が頭が良いと思ったことはない。
学校だってろくに通わずに、父親と一緒に旅をしていた。
数の数え方と読み書きくらいは父から教わったが、勉強したと言えばそれくらいだ。(そんな俺に、難しい問題出すんじゃねえよ。バカセシルー)
多分、今頃は自分と同じ船の上にいるはずの暗黒騎士を罵倒する。
それが思考の一区切りになったのか、ふと、周囲に人気が無くなっていることに気が付いた。いつの間にか、周囲は完全に闇に満たされて真っ暗になっている。
船長の歌も止んでいて、甲板に出ているのは見張りと操舵士を除けばバッツ一人だけだった。
その操舵士と見張りの居るところにあるカンテラに灯りがついていた。
船の上の光源と言えばただそれだけで、夜空を見上げれば曇っているのか星も月も見えない。「なんにせよ、まだ終わっちゃいないんだ。俺は」
ぼんやりとしていた思考が段々とはっきりしてくる。
さっきは夕日に酷く感傷的な気分にさせられて、後ろ向きな勢いのままどうでも良いような気分になっていたが。(剣の意味・・・俺が口に出したことなんだから、俺は自分の剣の意味を知らなきゃいけない)
そうしなければセシルには勝てない。
レオ=クリストフにも勝てない。
だから、考えなければ行けない。(セシルは考えろって言った。思いだせとも言ったっけ。俺は、自分の剣の意味を知っているはずだからって)
知っていたんだろうか? 疑問がわき上がる。
知っていたら、どうして忘れてしまったんだろうか。「守りたいって思ったからか・・・?」
守る為の剣ではないのに、守ろうと思ってしまったから忘れてしまった。
「・・・そうなんかなー・・・」
自信なさげに呟く。
バッツは、それからしばらく考えていたが、フライヤが晩飯だと呼びに来ると、思考を打ち切って船の中に入った。
******
船で出た飯は美味かった。
一応、客船であるからだろうか。一応、料理人が乗っていて、昼間に水夫が釣ったのか新鮮な魚介類の料理が晩餐には並べられた。一応、一応と連呼しているのは、料理人と言っても真っ当な料理人ではなく、港に着いた時にちょくちょく街の料理学校に顔を出している程度の料理が好きな水夫がそう名乗っているだけであり、客船にしたって出航する前に見た、武装された外観を見るからに素直にそうと頷ける者ではなかったからだ。
そもそも、この客船には客室が4つしかない。
そこそこ大きな船で、大型とは行かずとも中型船くらいの船であり、このサイズの真っ当な客船ならば部屋は10は在るはずなのだ。
少なくともバッツがフォールスに来る時に乗ってきた船はそうだったし、聞けばフライヤも同じだと言う。そこで疑問に思ったフライヤが、バッツが物思いに耽っている間、聞き出したところ、どうやらこの船は交易品を沢山積んであるらしい。それも、“客を乗せるついでに、荷も積んでいる” というワケではなく、どちらかというと “荷を積んでいるついでに、客も乗せている” というのが正しいらしい。
なんでも、船長が客船を始めた当初はまだ魔物の数も多く、また、リヴァイアサンの脅威も無かったので海賊たちが頻繁に出没し、だからそんな危ない海を金を払ってまで渡ろうという物好きが居なかったそうで。
だから、少ない客でも航海でなんとか儲けを出そうと交易をすることにしたところ、これが大当たり。交易の回を重ねる事にだんだんと交易品の種類や量も多くしていき、それにつれて船倉を拡張し、そのために初めは12あった客室を1つずつ潰していき、なおかつ敵に襲われても良いように船を武装化。かくて現在のこの武装客船があるというわけだった。船長はあくまで交易船ではなく、客船をやりたいらしく、だから交易メインとなった今でも「これは客船だ」と言い張っているとか。
そんなわけで、今、この船に乗っている船客というのはバッツとフライヤを除けば、2組5名の客だけだ。それも、半年ぶりの客らしい。
1組は小さい男の子を連れた3人の親子連れで、もう1組は男女の2人連れだった。他の客とは晩飯の時に、食堂の大きなテーブルで皆一緒に食べたので、、その時に世間話程度の会話をした。
親子連れはこの船が出た港の住人だったが、ファイブルの知り合いの居る街に移住する為に船に乗ったらしい。「最近、またフォールスも物騒になってきましたしね・・・つい先日はファブールの城がバロンに襲われ、その前はダムシアンも・・・」などと、苦笑いで言う父親に、その二つの戦闘に関わったバッツとフライヤは曖昧な笑みで答えた。
男女の2人連れはバッツより2、3歳年下の女性と、バッツより幾分か歳をとった男性の2人連れだった。こちらはフォールスの住人というわけではなく、世界中を見て回っている―――つまり、バッツと同じ旅人だった。
恋人ですか? と、バッツが何となく尋ねると女性の方が心底嫌そうな顔をして、男性が苦笑したのが印象に残った。
******
晩飯が終わり、バッツは再び甲板に出ていた。
真っ暗で何も見えない黒い水面をじっと見つめる。見つめ続けていれば、答えが浮かび上がってくるとでも言うかのように。「ンなわきゃねえけどな」
苦笑して、バッツは嘆息。
なんとなく思い出すのは夕刻、フライヤが尋ねてきた台詞だ。―――良かったのか?
フォールスを離れて良かったのか、と彼女は聞いてきた。
わかんねえ、とバッツはその時答えたが。(―――いいわけねえじゃんか)
本当は、フォールスを離れるべきじゃない。そんなことは解ってる。
セシルに叩きのめされる前なら、癇癪の一つでも起こしてフライヤに怒鳴り返したかもしれない。
きっと、もう自分は必要ない、とかそんなことを叫んだと思う。(まあ、実際に、必要ないのかも知れないけどな)
どうなんだろう。と思う。
リディアを守りたいと思った。でも実際はリディアがバッツを守ろうとしていた。
バッツは誰も守れなかった。レオ=クリストフに敗北した―――だから、必要ない。きっと、セシルに敗れなければ、バッツはそう思って、泣いて、逃げて、また立ち止まったに違いない。
(親父が死んだ時と同じように、か)
解っていたはずだった。自分の剣が誰も守れないことなど。
何よりも守りたかった―――救いたかった父親を、バッツは守れなかった。それどころか、最後の最後の瞬間までバッツは守られていた。「俺の剣は・・・何の為にあるんだろうな・・・」
それが問題だった。セシルに出された問題。
セシルは考えろと言った。だからこそ、バッツは立ち止まらずに居られる。考えて、その先が答えがあるのなら―――それを知れば自分が強くなれると解っているから、だからバッツは立ち止まらずに考える。フォールスを出る必要は無かったのかも知れない。
考えるだけなら、フォールスでも出来たはずだ。
けれど、セシルは引き留めなかった。きっと、その理由は・・・(ちょっとだけ自惚れても良いよな・・・?)
心の中で誰かに―――おそらくセシルに―――断りを入れて、バッツは結論する。
(セシルが引き留めなかったのは、きっと俺がいれば俺を頼っちまうから、かな)
自分の剣の意味がわからなくても、バッツの戦闘力は高い。
敗れたとはいえ、レオ=クリストフと対等に渡り合える人間は早々いない。
そんな人間がいれば、頼らざるを得なくなる。特に、自分たちよりも強大な敵を相手にしている時は。
セシルが頼らなくとも、ギルバート辺りはバッツの力を借りたいと思うだろう。フライヤが言うには、ギルバートがわざわざ港町まで来たのは、バッツを引き留める為だったらしい。だから、バッツはフォールスを離れる必要があった。
自分の剣を考えて、その答えが出ないうちに戦場に立たなくて済むように。バッツは知らないことだったが、セシルはバッツと別れた後に「友」であるとギルバートに言った。
戦友ではなく、ただの友人であるから彼を殺したくはないと。
己の剣を知らないままで戦場に立てば、レオ=クリストフのような強者を相手にした時に、今度こそ本当に死んでしまうかも知れないと。「妙だよなー・・・」
声に出して呟く。
妙な気分だった。光がなく、黒い水面は波が立たずに穏やかで、船は緩やかな風を受けてゆっくり進んでいる。
そんな細波を見つめていると、心が波と同じように穏やかに揺れる。
そのせいだろうか。何故か色々なことが解ってくる―――いや、気づいていく。今なら、世界の真理すら容易く理解してしまいそうだった。だから、自分を負かして、引き留めることをしなかったセシルの真意も理解できたし、なによりも。
(・・・リディアは、俺を必要としていないワケじゃなかった)
考えてみれば当たり前のことだった。
どうして、リディアを置いて逃げ出したのか―――今になって思えば、自分自身がバカらしいと思う。
―――リディアね、リディアのお母さんが今はリディアの解らない遠くにいるから、リディアはお母さんがいない間は頑張ろうと思うの。
―――ああ。
―――でもね、頑張れなくなるかもしれない。でもお母さんはいないから助けてくれない。だから・・・
―――わかった。リディアが頑張れなくなったら、リディアのおふくろの代わりに俺が助けてやる。
―――・・・うんっ!
どうして忘れていたのだろう。
砂漠の光を求めて、リディアとダムシアンへ向かっていた時に交わした約束。リディアは、最初から助けを求めてはいなかった。
守って欲しいだなんて言っていなかった。それはレオ=クリストフが言ったとおりだ。むしろリディアは助けを拒んでいた。
自分1人で、頑張ろうとしていた。バッツはリディアを守ると約束したわけじゃない。
リディアが助けを求めたら助ける―――そう、約束しただけだ。(・・・バカだなー、俺)
自嘲する。
(リディアは頑張るヤツだったじゃなんか。それを忘れて、いつのまにかリディアは弱いから守らなきゃ、なんて―――ったく、自惚れてるって言われても言い返せねえな、俺の馬鹿野郎)
ファブールで、バッツはフォールスを出るとリディアに告げて、そしてリディアが自分を引き留めるのを期待していた。
でも、そんなことは絶対に有り得ない。
母親がいなくなって、ティナも連れ去られ―――それでもリディアはくじけていなかった。頑張っている。
そんなリディアが、ワガママをいってバッツを引き留めるわけがなかった。
むしろ、こちらを心配させないようににっこり笑って笑顔で送り出すはずだ。そして、実際にリディアはそうした。
考えれば簡単に解るはずだった。
でも、その時のバッツは自分のことを考えるだけで精一杯だった。(・・・ちくしょー、情けねえ、俺)
できるなら今すぐフォールスに戻りたい。
けれど、まだ自分の剣の意味。その答えはわかってない。
それが解らない以上、戻るわけにはいかない。早く答えを見つけ出したい。その気持ちはある。
しかし、それほど焦ってはいなかった。波の動きや船の揺れが、心を落ち着かせてくれるのかも知れない。今と同じように、港町でセシルが来る前にもバッツは海を見ていた。
昼夜こそ違えど、波の穏やかさは今と同じくらいだ。しかし、その時のバッツの心境は穏やかとは言い難かった。
悔しさや怒りや悲しみが心を渦巻き、リディアやレオの言葉が脳裏を渦巻く。自分は必要ないのか、自分は無意味なのか―――そんな意味の思考が繰り返し繰り返し繰り返され、丁度、父親が死んだ時と同じような無様な感傷を感じていた。けれど、今はなんとも穏やかな気分になれた。
だからこそ、認め辛いことも認めることができた。(悔しいけど・・・)
苦笑した表情のまま、バッツは思う。
(セシルは、すげえよ・・・悔しいけど。多分、一生あいつには勝てねー)
穏やかな心で認める。
セシルを剣で打ち負かすことはきっと出来る。
もしかしたら、あのまま負けを認めずに向かっていったら勝てたかも知れない。そんな気がする。それでも、セシル=ハーヴィと言う男には、一生敵わないとバッツは思った。
(確か、あいつも20歳だよな。俺と同じ年齢・・・)
だというのに、自分との差を感じる。
国を裏切り、親友に裏切られ、恋人を連れ去られて。
・・・だというのに、セシル=ハーヴィの心は折れない。バロン最強の剣―――その異名を、今こそバッツは納得することができた。
それは最強の剣の使い手ではない。最強の剣とは、決して折れないという意味だ。(第一印象は砂漠の行き倒れだったのになー)
初めてセシルの姿を見た時を思い出して苦笑する。
砂塵に埋もれ、砂だらけになっていた暗黒騎士―――いや、その時は闇の武具を身に付けていなかったから、ただの騎士崩れの行き倒れ。「あーあっ、人間なんてわかんねーもんだな」
「そうですね」
「おわっ!?」いきなり背後から声をかけられ、バッツは慌てて振り向く。
「こんばんは」
船客の1人が微笑んで立っていた。
2人連れの旅人の女性の方だ。「えっと、確かバッツ=クラウザーさんでしたよね?」
「ああ、えっと―――」
「アルフェリアです。アルフェリア=セブンスノート」
「アルフェリアさん・・・いや、覚えていたんだけど、中々口に出しにくくて・・・珍しい名前だから」バッツがしどろもどろに言い訳をすると、彼女はくすくすと笑って「そうですね」と頷いた。
美しい女性だった。
操舵士の所にある小さなカンテラでもはっきりと解るくらいに煌めく、長い銀髪をした細身の女性。
身長はそれほど高くないが、女性の平均的な身長より拳一つぶん頭が低い程度だ。ネズミ族であるフライヤと同じくらいか少し高い程度。腰には銀の剣を下げていて、身のこなしから熟練の剣士だと解る。
ちなみに、相方の男の方は剣も持っておらず、とても戦士と思える印象は持てなかったが。「考え事ですか? この船に乗ってからずっと海を見てますね」
「まあ、ちょっと色々あってね。ああ、そうだ」とバッツはアルフェリアの腰の剣を見て。
「・・・ちょっと質問したいんだけど」
「なんですか? 私に答えられることだったら」
「いや、いきなり変な質問で悪いんだけどさ。あんた、剣士だよな」
「そうですね。魔法も使いますけど」その言葉に、バッツはヒュゥ、と口笛を吹いた。
「魔法剣士!? すっげー。カッコいいな」
「や。そんな大したモンでもないですよ。魔法は勝手に与えられたものですし」
「へ?」
「いや、こっちの話です。それで、質問というのは私が剣士かどうかということですか?」なにかを誤魔化すように口早に言うアルフェリアに、バッツは銀の剣を指さしながら、
「あんたがさ、その剣を振るう意味って・・・なにかなって」
「剣を振るう意味・・・ですか?」
「そう。例えば騎士だったら民を守る為ー、とか戦士だったら敵を倒す為ー、とかあるじゃんか。そういうの」
「理由ですか・・・そうですね。私は―――」言いかけて、女魔法剣士は逡巡。
「えっと、困ったな」
「あ。別に無理して言う必要はないんだけど。言いたくなかったり、特にないって言うなら言わなくってもいいし」
「ん。・・・じゃあ、交換条件、良いですか? 私も聞きたいことがあるんです」
「聞きたいこと? まあ、俺に答えられることだった」と、さきほどのアルフェリアの言葉を真似て言う。彼女は頷くと、
「じゃあ、言います。私がこの剣を振るう理由は、記憶を取り戻す為なんです」
「記憶を・・・?」
「実は私、幼い頃の記憶がないんです。10歳くらいまでの記憶が」
「・・・記憶喪失?」
「いえ、記憶喪失とは少し違って。記憶を別の記憶で塗りつぶされているんです」
「・・・よく解らん」バッツが素直にお手上げすると、アルフェリアは最初から話し始める。
その話によると、アルフェリアが10歳になったばかりの頃、悪い魔道士に連れ去られたのだという。
魔道士は随分と年老いていて、死ぬ前に自分の記憶をアルフェリアに写し替えて「記憶」という形で生き延びようとしたらしい。けれど、記憶を写す作業の途中でアルフェリアは剣士だった父親に救い出された。
しかし、魔道士の記憶は移されなかったものの、魔道士が持っていた魔道の知識はすでにアルフェリアの脳味噌に写し終わり、その膨大な知識はアルフェリアの10年間の記憶を塗りつぶしていた。「私は物心ついたころから、父に剣を教わっていたらしいんです。だから、記憶はなくなっても身体が剣の扱い方を覚えていました。だから、この剣だけが唯一私に遺された本当の記憶なんです」
「それは・・・」また重い話を聞いたもんだと、バッツは渋い顔をする。
そのバッツの様子に、アルフェリアは慌てて手を振った。「えと、別に大したことじゃないですよ? もうそれから8年も経ちましたし。新しい私の記憶もあります」
「十分、大したことだと思うけどな」はあ、とバッツは嘆息。
「・・・やっぱ、なにかしら理由があるもんだよなー」
ちょっと落ち込んでバッツは呟く。
「あ、あの・・・バッツさんもやっぱり剣を使うんですか?」
「・・・やっぱり?」怪訝そうにバッツは聞き返す。
バッツは別に剣を腰に下げているわけではない、父の形見の刀は、布にくるんで荷物と一緒に部屋に置いてある。「クラウザーって、あの剣聖のドルガン=クラウザーの名字ですよね。だからてっきり、バッツさんは息子さんかと」
「あー、親父か。そうだよな、剣士だったら知っててもおかしくないか」
「やっぱり!」ぱん、と嬉しそうに手を打つアルフェリアに苦笑。
親父って、凄いんだなーとか思う一方で、これからは不用意に剣を持ってる相手にはフルネームを名乗らないようにしようと思った。「うん。まあ、剣使うけどさ・・・ちょっと、それで悩んでるんだ」
「剣を振るう理由ですか?」
「そ。フォールスで色々あってね」
「バッツさんだったら、やっぱり強くなる為ですか?」
「なんで、やっぱり、なんだよ?」
「いえ。やっぱり剣聖の息子さんでしたら、強くなる為に旅してるのかなって」
「そんなんじゃねえって。俺は世界中を見て回る為に旅してるだけだって」それも、父親の遺言で。
と、バッツの言葉に、アルフェリアは再びぱん、と手を叩いた。「あ。じゃあ、世界中を見て回る為に剣を振るってるんじゃないですか?」
「別に剣を持たなく経って世界は旅できるだろ」
「でも、剣というか武器がなければ危ないじゃないですか。魔物だって襲ってきますし」
「なるほど。そう言われればそうだよな・・・」
「でしょう?」
「うん、まあ、でもそうすると―――」それだと、フォールスへ戻る理由がなくなる。
戦う為の剣ではなく、旅をする為の剣ではセシルやリディアを助けてバロンと戦うことは出来ない。「駄目ですか?」
「いや。えーっと、参考にはなったぜ。ありがと―――そういやさ、交換条件の聞きたいことって?」ちょっと落ち込みかけたアルフェリアに、バッツは慌てて話題を変える。
するとアルフェリアは「はい」と頷いて。「ええと、私の事情は先程話したとおりなんですが。私が何故旅をしているかというと、記憶を取り戻す為なんです」
「記憶を・・・って、10歳までの記憶を?」
「はい。で、そういう記憶を取り戻す都合の良い魔法とかアイテムとかないかなーって世界中を探して居るんですが、バッツさんはそういうの知りませんか?」
「そりゃまた都合が良い話だなー」素直に感想を漏らすと、アルフェリアも「そうですね」と苦笑する。
「残念だけどさ。ちょっと思いつかねーな」
「そうですか・・・」
「でも、俺も旅しながらそういうのついでに探してやるよ」
「え? いえ、そこまで・・・」
「ついでだよ。で、なんかあったら次に会った時に教えてやる・・・まあ、あまり期待はするなよ?」バッツが言うと、アルフェリアは嬉しそうに笑って。
「はいっ、有り難う御座います」
大仰に頭を下げて、銀の髪が宙に舞った―――