「結局、セシルたちは見つからずじまいか―――」
水平線に完全に陽が落ちきって、ヤンはセシルとリディアの探索を打ち切った。
船の甲板で、腕を組み悩む。これからどうするかを。
ヤンの目の前では、モンク僧たちが不安げにこちらをみている。皆、ヤンの次の指示を待っているのだ。(このままバロンに攻め込むか―――それとも一旦、引くか・・・?)
胸中で葛藤する。
リヴァイアサンに襲われたとはいえ、実際の被害は騎士と少女が二人行方不明になっただけだ。
こちらの戦力は、数で言えば全く減っていない。
このまま予定通りにバロンへ攻め込んでも、当初の予定となんら変わりはない。ただ―――(ただ、セシル=ハーヴィがいない・・・)
そのことが、一抹の不安を覚える。
頼り切っていたつもりはなかったが、しかし居なくなられて初めて解った。
セシルの存在がどれほど大きかったのか。ファブールがバロンの侵攻に耐えきれたのも、セシルの力があったからだと今更に理解する。そのセシルがいない。
それだけで、判断に迷いが出る。(いや・・・違う。セシルが来てから私は判断することをしなかった)
意見を出すことはした。しかし最終的な決断は全てセシルが行ってきたように思う。
そもそも、このバロン出兵もセシルが言わなければ海路を行くなどと言う作戦を承諾することはなかっただろう。リヴァイアサンのこともあるし、なによりバロンの海軍が弱体化していると言っても、こちらも海での戦闘には不安があった。というか、経験したことがない。だが、セシルは勝てると言った。
リヴァイアサンを乗り切れれば勝てる、と。(そのリヴァイアサンが乗り切れなかった・・・)
やはり伝説にすら残る巨大な海竜には、人の業など及ぶことはないのだろうか。
なんにせよ、リヴァイアサンを退けることには失敗した。どういうワケか、今はリヴァイアサンの姿はないが、いつまでもここにこうしているわけにはいかない。いつ、またリヴァイアサンが出現するか解らない。引くにしろ行くにしろ、ここに留まり続けるのは危険だった。悩むヤンの頬に、ぽつり、と冷たい雫が落ちてきた。雨だ。
―――リヴァイアサンが出現する直前にも暗雲が立ちこめ、嵐となった―――そのことを思い出し、ヤンは反射的に声を上げる。それがリヴァイアサンが出現する前兆かどうかは解らなかったが。
「全軍、転身! 一旦、ファブールまで引く!」
ヤンの号令に、応、とモンク僧たちが頷く。
すぐさま他の船にも伝令が飛び、一糸乱れぬ見事な動きで船団は反転し、リヴァイアサンの潜む海域を離脱してファブールへと戻った―――
******
「がははははははは。まあ、まっかせなさーい!」
ヤンの紹介状を渡すと、その船長は豪快に笑う。
髭モジャのいかつい顔をした、いかにも海の男と言った風体の船長だ。
引き締まった筋肉に、頭はつるつるに剃ったスキンヘッドで、それだけで判断するとヤンあたりの怒りを買うかも知れないが、もしかすると元はモンク僧兵だったのかもしれない。「ヤン僧長の頼みなら断るわけにはいかねえなッ! よっしゃ、任せろ! 絶対無敵に完璧完全安全確実にファイブルまで送り届けたる!」
「いや、そこまで気張らんでも・・・」
「何を言う!」ばん! と大仰な効果音でもつくような勢いで、船長は自分の背後に浮かんでいる船を示す。
船長と同じごつい鉄鋼船だった。(まさかフォールスやファイブルの界隈で、木造以外の船をお目に掛かれるとはねー)
半ば感心、半ば呆れてバッツはその船を見上げる。
基本的にフォールス、ファイブルの船は木造船だ。鉄鋼船とは言っても、木造の船に鉄板を貼り付けただけのメッキ船だろうが、それでも珍しいことには違いない。のみならず、船の横腹には砲門らしい四角い穴がずらりと並んでる。「客船だって聞いたんだじゃがな。軍船の間違いじゃないのか?」
フライヤの疑問ももっともだ。
バッツはそう思いながら船長を伺うと、なぜか自信たっぷりにブ厚い自分の胸を叩いて、「間違いなく客船だぞ。俺様の武装客船だ! 本当は、乗せる予定の客が居なければ、俺もバロンの戦争に参加したいところだったがな!」
「そりゃそうだろう」バロンへ出兵した船がこの港を出たのは、四日ほど前のことだ。
丁度、バッツが城を出て、セシルが追いかけてきた―――その翌朝。そのせいで、今、港にある船は、船長ご自慢の武装客船と、他に交易船が2、3隻あるだけだった。こちらは真っ当な木造船だ。
「まあ、こんくらい武装しないとな。聞いたことないか? タイクーンのシュルヴィッツ一家を」
「あー、聞いたことあるな。ファイブル最強の海賊団だろ? 俺の故郷は山ン中だったけど、そこまで噂が聞こえてきたぜ―――曰く、魔物より怖いシュルヴィッツってな」
「そう。そいつらがいるから武装が必要なわけだ。納得したか?」
「まあ、用心するにしたことはないけどな。でもあいつらタイクーンの内海を根城にしてるんじゃなかったか? 外海まで出てくることは滅多にねえんだろ?」バッツが言うと、船長はちっちっちと指を振る。
「あ、まーい! それがこのところ、ファイブルの外海どころか、フォールスの近海でヤツらの船を見たって噂があるんだぜ!」
「噂だろ?」
「まあ、な。しかも一隻だけっていうから、ますますただの噂っぽいな。シュルヴィッツっていやあ大海賊だ。一隻だけぽつんと寂しく獲物を求めてる小海賊とは規模が違うしなー」と、残念そうに船長は言う。
なんで残念そうなのか。きっと、ご自慢の武装の威力を試したいんだろうとバッツは嘆息。
できれば、もうちょっと普通の船に乗りたかったなあ、と思ったが、金のないバッツには文句も言えない。「ま、よろしく頼むぜ。穏便にな・・・」
「おう、任せろ!」いまいち不安が沸き上がる。がバッツはその不安を抑え込むと、フライヤやボコと一緒に船に乗り込んだ―――
******
「よっし。野郎共、準備は良いか!」
「「「「「おうさああっ!」」」」」ファリスの号令に船員たちがガラの悪い声を上げる。
「お気をつけて―――」
「おう。お前らも元気でな!」桟橋まで見送りに来た街の住人に手を振って、ファリスはにかっと笑って別れの挨拶を返す。
住 “人” というのは間違いかも知れない。なにせ、ファリスが手を振った相手は人の姿をしていなかった。
豚だった。
二足歩行の豚で、頭にはカエルを乗せている。あまつさえ、腹の前に組まれた両手の上には人の形をした人形―――いや、小さな小さなこびとが乗って、これもまた手を振っていた。「色々世話になった!」
「こちらこそー、また来て欲しいプー! ねずみのしっぽ、一杯一杯欲しいでプー」
「おう。また沢山持ってきてやるぜ。今度はアジトのネズミの分も持ってきてやる!」ファリスの言葉に、豚とカエルとこびとはぱぁぁぁっと顔を明るくした。
と、そうこう言っているウチに、船は段々と動き始め、ゆっくりと加速していく。
ファリスが遠ざかる桟橋を見れば、小さくなっていく豚たちがいつまでもいつまでも手を振っていた―――それらが見えなくなって、ファリスは腕を組んで嘆息。
「さて、と。結局殆ど何も解らずじまいだったな―――ただ、バロンの連中がクリスタルを集めて良からぬことを企んでいる、と」
何も解らないまま帰るのはシャクだが、これ以上バロンを探っていても進展は無い。
そもそも自分たちは海賊で、壊したい殺したり略奪するのは大得意だが、諜報活動は苦手というわけでもないが得意というわけでもない。「まあ。とりあえず、なんかあっても良いように、用意しといたほうが良いぜ、くらいに言っておくか」
とはいえ、あの親父は絶対に軍隊を持とうとはしないだろうが。
渋い顔でファリスはバロンを探ることを依頼してきたタイクーン王の顔を思い出す。最悪、バロンに対して自分たちが身体を張らなければならないかもしれない。
「ま、なんにせよ戻ってからだ―――。なれないことして疲れたからな・・・しばらくはのんびりと航海を楽しむとするかぁ・・・」
ぼんやりと呟いて、ファリスは船室へと入っていった―――
******
「・・・あれぇ?」
気が付くと奇妙なところにいた。
さっきまで船の上に居たはずなのに、とリディアは周囲を見回す。辺りは薄暗い、が完全な闇でもない。
外ではない―――外はまだ昼間で、だからといって海の中でもないようだった。空気は湿っているが、水に包まれているわけでもない。というより、海の中ならすでにリディアは溺れ死んでいる。「ここ、どこ・・・?」
自分の声の反響具合と、空気の流れから大分広い空間に居ると言うことをなんとなく理解する。
周囲を見回しても、薄暗いだけで何も見えない。
ふと、下を見下ろす。自分が座り込んでいる地面は、柔らかく、暖かく、そして・・・「なに・・・ここ・・・?」
ふぇ、とリディアは泣きそうになる。
リディアが座っている地面は、生暖かくて柔らかくて、そしてどくんどくんと不気味な鼓動を繰り返していた。
反射的に立ち上がって逃げ出したくなる―――が、それよりも早く腰が抜けてしまったらしい。逃げるどころか立ち上がることさえ出来ない。「やだあぁ・・・・・・怖いよぅ。セシル? どこにもいないのー!?」
さっきまで一緒に居たはずの青年の名前を呼び―――そこで初めて自分がひとりぼっちだということを認識した。
辺りには誰もいない。
リディア一人だ。「やだ・・・怖い、怖いよぅ。せしるぅ・・・バッツお兄ちゃん、ブリットぉ・・・ココぉ・・・ボムボムゥ・・・トリス・・・・・・リディアを一人にしないでよう!」
たまらずに、リディアは不気味な薄暗闇の中で泣き喚く。
涙をぼろぼろとこぼし、終いには大声で鳴き声を上げた。
広い空間に少女の泣き声が響き渡り、リディアの耳には自分の悲鳴だけしか聞こえない。だから、気が付くのが遅れた。
「ぃあ・・・りでぃあ・・・!」
「うわあああああああん! うえええええええええええええええええん!」
「りでぃあ!」
「ええええええ・・・・・・えっく? ・・・ふえ?」
「りでぃあ」自分の名前を呼ぶ声に大分遅れてから気が付いて、リディアは泣くのを止める。
涙でべしょべしょになった顔を上げると、背の低い人影が見えた。背後には巨大な黄色い鳥。その上には大きな火の玉と、羽ばたく鳥の影が見える。「・・・ブリット?」
見覚えのあるゴブリンに、リディアはきょとんとその名前を呼ぶ。
ブリットがこくりと頷くと、その瞬間、リディアは弾かれたようにゴブリンに飛びついた。「ブリット! 本当にブリットだよね!?」
「モチロンダ」
「クエッ!」
「・・・・・・」
「きゅいぃ〜」
「ココにボムボムにトリスも! みんな、どうして!?」流石にモンク僧たちと一緒の船に、魔物を乗せていくわけにはいかないと言うことで、ファブールに置いてきたはずの魔物たちが(ココだけはファブールのチョコ房に入れて貰ったが)、どうして居るのか困惑して、嬉しさ半分戸惑い半分でリディアが尋ねる。
だが、ブリットも首をかしげて。「ヨク、ワカラナイ。俺タチ、りでぃあニ言ワレタトオリニ、人間タチノ城カラ離レタ森ノ中デ、りでぃあガ帰ッテクルノヲ待ッテタ。何回カ陽ハ昇ッテ、沈ンデ、ツイサッキりでぃあノ悲鳴ガ聞コエタ気ガシタ。ソシタラ、ココニイタ」
「もしかして、私がブリットたちを召喚したのかな?」
「ソウダト思ウ」頷くブリットを、リディアはもう一度強く抱きしめた。
「ありがと。ブリット、来てくれて。リディア、本当に怖かったんだぁ・・・だからとてもとっても嬉しい!」
「りでぃあガ怖イナラ、俺ガスグニ駆ケツケル。りでぃあガ泣イテイルナラ、泣カシタ奴ヲヤッツケテヤル」
「うんっ! うんっ!」ブリットの言葉にリディアが何度も頷いていると「クエッ」「・・・・・・」「きゅいぃ〜」と、他の三匹も自己主張するかのように騒ぎ始める。
そんな友達をリディアは見渡して、「あはははっ! わかってるよ、皆も来てくれてとっても嬉しいよっ! 怖いのも悲しいのもどっかいっちゃった!」
リディアの言葉に、さらに三匹は嬉しそうに騒ぎ始めた。
そんな様子に、まだ涙の後は残っていたが、それでもリディアは満面の輝くような笑顔で笑った―――
******
―――かくて。
導かれるようにしてセシルの元へ集った者たちは別れ行き、それぞれの道を歩み行く―――