第9章「別れ行く者たち」
R.「別れ行く者たち」
main character:セシル=ハーヴィ
location:フォールス・内海
青い海原を船団が進む。
木造船の表面に鉄板を幾枚も貼り付けた船だった。流石に昨日今日で軍艦を用意することはできない。貼り付けられた鉄板も、出航する直前になって行われた、突貫作業の賜物だった。セシルは船団の先頭を行く船に乗船していた。
リディアも一緒だ。
しかし、ヤンは同じ船ではなく、後続の船に乗っていた。セシルがそう言う配置にしたのだ。「僧長たる私が先頭に立たねば格好が付かない」
そう、ヤンはごねていたが、それをセシルは必死で宥めて説得した。
そんなセシルの様子に、なにやら奇妙な感じを覚えないでもなかったが、最終的にヤンは承諾した。すでにダムシアンの傭兵団を乗せた船とも合流している。
ギルバートがトロイアに向かう際に、ダムシアンへ寄ってそう手配をしてくれた。それも、ギルバートがトロイアへ向かわなければならない理由の一つだった。もしかしたら、その船団にギルバートが乗ってはしないかと少し不安になったのだが、しかし傭兵たちの話に寄れば、無事にトロイアへと出立したらしい。
それを聞いてセシルは安堵する。なんにせよ、ギルバートにはここに居て貰っては都合が悪い。『そろそろじゃな』
不意に、頭の中に声が響いた。
セシルは反射的に腰に差した暗黒剣を見下ろす。
今日はエニシェルは少女の姿をして居らず、暗黒剣デスブリンガーとしてセシルの腰に収まっていた。ちなみに鎧は身に着けていない。
暗黒剣を下げている他はなんら武具を装備しては居なかった。これは万が一、海に落ちた時に鎧の重みで沈まないようにする為だった。だいたい、一昔前だったらいざしらず、リヴァイアサンがバロン内海を支配している現在では、海賊はおろか魔物すらでてきやしない。鎧を身に着けるのはリヴァイアサンをやりすごし、バロンの城が見えてきた時で十分だった。「そうか」
と、デスブリンガーへ返事をするようにセシルが頷くと、それまで船の舳先で海を飽きることなく眺めていたリディアが―――船に乗るのが初めてとはいえ、出向してもう三日以上も経つ。毎日海を眺めて良く飽きないものだとセシルは密かに感心していた―――くるりとこちらを振り返って、とてとてと走ってくる。真剣顔でセシルを見上げ、
「セシル! 感じる、すっごく大きな力!」
セシルは解った、とリディアに答えると、マストの上の見張りに向かって声を張り上げた。
「伝令ーッ! 後続に『待て』と伝えろーっ!」
マストの上のモンク僧は、即座に傍を上げる。
それを確認して、リディアに「じゃあ、リディア。よろしく頼むよ」
「うん!」元気よく頷いて、リディアは再び舳先に向かって走っていく。セシルもそれについて歩き出した―――
******
「マストを降ろせーッ。漕ぎ手、止めーッ」
ヤンの号令で、程なくして船が減速する。
「舵はここで固定―――見張りと舵取り以外は休んでも良し!」
一通り命令を出し終えて、ヤンは顔を前に向ける。
遠ざかっていく、セシルとリディアを乗せた船を、ファブールモンク僧兵最高位のヤン=ファン=ライデンは不安な面持ちで見送っていた。「セシル・・・何を考えている」
色々と不可解な事がある。
戦いが終わった後のセシルはどこかおかしい。ともすれば自暴自棄になっているようにも見える。だいたい、ギルバートではないが、バッツ=クラウザーにクリスタルを預けたのもそうだった。それにフライヤをつけたのもそうだ。大きな戦いが終わった直後で、兵力は不足している。戦力はいくらあっても良いはずだった。バッツ=クラウザーのことは、ヤンはそれほどこだわる必要もないと想いながら、しかしその一方で認めてもいる。レオ=クリストフと一対一で渡り合える人間なんて、そうは居ないだろう。フライヤもさすがにカイン=ハイウィンドと比べれば見劣りするが、それでも優秀な竜騎士には違いない。そんな二人をむざむざ手放した。
ギルバートが誰にも断らずに、書き置きだけを遺してトロイアへ向かったのも、そんなセシルを信用できなくなってしまったからなのかも知れない。正直、ヤンも少し疑心暗鬼だ。
だいたい、何故自分は後続に配置されたのだろう―――実のところ、それが一番の疑問、というか不満だった。実質、セシルが様々な指示、作戦を立てているが、形式上の司令官は主力のモンク僧兵を束ねる自分であるはずだった。それをないがしろにしているとは言わないが、それにしても自分が先陣を切らねば格好が付かない。そうセシルに進言してみても、相手は理由も語らずにただ「頼む」と頭を下げるだけだ。
一度、セシルの指示を無視して大失敗したヤンとしては、強く反発することも出来ず、結局は承諾したが。「まったく・・・なにを考えている、セシル・・・」
思いながら、ヤンは自分の手元にある手紙を見下ろした。
ヤンが渋々ながら二番手に甘んじると承諾した時に、渡された手紙だ。
飾り気のない封筒に入った手紙で、『なにかが起きた時に開けてくれ』と書かれている。いちいち不明瞭だな、とヤンは思った。何かとは一体、何かなのか、何が起こった時に開ければいいのかこれではわかりもしない。「・・・・・・」
不安もあり、不満もある。このままセシル=ハーヴィの指示に従ってても良いのかという、不安、不満。
しかし、セシルという男は何時もそうだった、と思い返す。
先のファブール攻防戦の時もそうだったし、数年前にセシルが三国の連合軍を指揮した一大魔物掃討作戦の時もそうだった。だれもが無茶だと思うことを、しかし平然と笑いながらやり遂げてしまう、それがセシル=ハーヴィだった。敵でなくて良かったとは思う。
だが、味方でいるとこれ以上不安に感じる男も居ないだろう。きっとセシル=ハーヴィという男は、真面目なように見えて実は悪戯好きの小悪魔の様な性格ではないのかと疑う時がある。
こちらが彼の行動に戸惑い、不安がる様を見て楽しんでるのではないかと。被害妄想だな、と自分で思いながらヤンは遠ざかっていくセシルの船を眺めていた―――
******
「・・・大分、離れたな」
セシルは右舷により、後方を確認する。
ヤンたちの乗る船団は遙か後方にぽつんと見えた。「これだけ離れていれば―――」
『来るぞ!』警告が頭の中に響く。セシルは身を翻すと、リディアの元へと向かった。
船の舳先でリディアは両目を閉じて、神に祈るように両手を合わせて念じている。
声をかけようとしたセシルは、その様子に何も言わずにリディアの後ろにつく。少女の精神統一の邪魔をしないように、息を潜めてそれを待つ。『来た』
不意に。
さっきまで晴れていた空が曇り、穏やかだった波が荒くなり、船が揺れる。
船員たちの戸惑いの声が上がる中、リディアはじっと祈りを捧げ、セシルはそれを見守っていた。「お願い・・・怒りを鎮めて―――」
リディアが呟く。
見れば、その表情にはいくつかの脂汗が滲み出ていた。曇り初めていた空から雫が落ちてきた。ぽつり、ぽつりと振っていた雫は、やがて連続して降り続けて雨となった。
海も荒れに荒れ、波もだんだんと高くなっていく。小嵐状態だ。船が傾き、船員たちが転倒した悲鳴が響き渡った。「きゃっ!?」
リディアもバランスを崩して倒れかける。それをセシルが反射的に支えた。
「リディア、大丈夫か!?」
「セシル・・・ごめん、私の力じゃ・・・」悲しそうにリディアは涙をこぼしながら、弱々しく呟く。
セシルはそれに首を横に振り、「リディア、君は良くやった。ありがとう。だから、泣かなくていいんだ」
「違う・・・違うよ。あの人、苦しんでる。帰りたいって泣き叫んでる。私は・・・それが解ってるのに、どうすることも出来ないから―――」
「もういいよ、喋らないで―――転身だ、船を下がらせろ!」セシルが号令を出す、が
『無理じゃな』
冷徹な声が頭に響く。
その言葉に反論したくなる気持ちを抑え、セシルは唇を噛み締める。
彼自身にもよく解っていた。それでも船員たちはセシルの号令に応え、必死になって船を立て直そうとする。だが。
ごがあああああっ!
強い、衝撃。
船の底から、何かが突き上げるような衝撃に、リディアを抱きかかえていたセシルの身体が跳ねた。「ぐはっ!?」
甲板に叩き付けられ、全身に響くような痛みが走る。一瞬だけ意識が飛んだ気がした。
痛みに呻きながら、それでも意識を必死でつなぎ止めて何とか身を起こす。「リディア・・・?」
起き上がり、まず初めにリディアの安否を確認しようとして愕然とする。
さっきまで抱きかかえていたはずの少女は、腕の中には居なかった。船の衝撃に手放してしまったらしい。
激痛と合わせて絶望に真っ白になりそうな頭に活を入れ、セシルは周囲を見回した。船の上に鮮やかな緑の髪をした少女の姿は―――無い。「くそっ!?」
―――後で思えば、その時のセシルは自分でもどうかしていたと思わざるを得ない。
『おいっ!?』
デスブリンガーが驚きの思念が頭の中に響く。
それにも構わず、セシルは何も考えずに反射的に海の中に飛び込んでいた―――
******
(馬鹿か僕はーッ!)
雨よりも少し暖かく感じる海の中に沈んだ瞬間、セシルは自分で自分を罵倒する。
なにも考えず、なんの当てもなく、ただリディアが船の上に居ないと解った時に、反射的に飛び込んだ。まるで、それが当たり前の事のように。そして、それはいつものセシルなら絶対にしないことだった。
(いや、そうでもないか・・・)
冷静に思い返して見れば、そうでも無かった気がする。
むしろ、こんな事ばかりやってきたような気もした。
ミストの村でティナを助けようとした時も反射的に動いていたし、その後でカイポの村を目指した時も無事に辿り着く保証など全くなかった。事実、バッツに救われなければそのままのたれ死んでいただろう。
そのカイポの村で起こった戦闘でも村人たちの戦意を上げる為に無茶をした。ホブス山では自分の身体が消耗していることを解っていながらダークフォースを連発し、その反動でファブールに辿り着く直前で意識を失った。だっていうのに、ファブールの戦争では初っぱなからバロン暗黒騎士団相手にたった一人のダークフォースで立ち向かった―――ダークフォースと言えば、バロンを出る前の夜にも無茶をした。そして、今は一人の少女を助ける為に、海竜の縄張りである海へと自ら飛び込んだ。
(なんだ・・・ムチャクチャじゃないか、僕は)
今更の様に気づく。
―――いや、思い出した。海の中で目を見開く。
眼下に見慣れた少女がいた。リディアだ。
―――そして、リディアの向こうにはまるで蛇のような長く、それでいて太い胴体を持った海竜の姿があった。
大きさで言うなら、セシルが乗ってきた船よりも大きい。(海竜、リヴァイアサン―――)
伝説にも出て来る、竜王バハムートと並ぶ最強の海竜。
船よりも大きな巨体。その長い胴を伸ばせば、どれだけ長いのか想像も付かない。本当にまるで巨大な蛇のようだが、蛇とは決定的に違うのはその頭だった。竜と言うからには同じ鱗を持つトカゲと似たような顔をしていると思ったが―――現に亜竜であるカインの翼竜アベルはトカゲに似た顔をしている―――リヴァイアサンの頭部はトカゲに似ているようで、それよりも恐ろしく威厳があった。絵でしか見たことがないが、まるでその威風はシクスズ地方に生息すると言われている ”獅子” の様だ。まさに海竜王と呼ぶに相応しい様である。しかし、その目は怪しく真っ赤に輝いている。
(怒っている・・・? というよりは狂っている!)
セシルはその瞳に怒りではなく狂気を感じる。
腰の辺りでデスブリンガーが同意する気配を見せた。『元々は幻獣界の生き物じゃからな。大方、現界の毒気に当てられて気が触れたんじゃろ』
(それって、つまり・・・)
『あのリディアとかいう娘はなんとか宥めようとしていたようじゃがな。そりゃあ無理ってもんじゃ。ああなっちまうと話など耳に入らん―――この前のお主のようにな』
(結局、最初からどうにもできなかったってわけか!)
『そうじゃのう。力づくでやる以外にはどうしようも無かったじゃろうし』この非常事態に反して随分と暢気なデスブリンガーの口調に、セシルは苛立ちを覚えながら、自分とリヴァイアサンの中間に漂うリディアへ向かって泳ぐ。
―――元々、勝算の見えない話だった。
魔道の心得が無いセシルにとって、リディアが召喚士としてどれだけの力量なのか解らない。本当にリヴァイアサンを抑えられるレベルなのかどうか、全く解らなかった。分が悪いだろうということだけはなんとなく思っていたが。
だからこそ、最悪の事態を想定して、ギルバートを作戦には参加させずにトロイアへ向かって貰った。ヤンを同じ船ではなく、後ろの船に乗せてリヴァイアサンが抑えられなかった場合、巻き込まれないようにした。そして、リディアは―――
(リディアは、守らなきゃいけない・・・!)
バッツ=クラウザーの代わりに自分が守らなきゃ行けない。
だからこそ、セシルはリディアと同じ船に乗り、そして。(だからこそ何も考えずに海へ飛び込んだ・・・)
解ってしまえば簡単な事だった。疑問に思うことすらおかしい。
リディアは自分の身を張ってでも守らなければならない。それは、バッツを引き留めずに見送った自分の義務であり責任だった。本当なら、リディアはファブールへ閉じこめておけば良かった。
でも、それはリディア自身が望まなかったし、セシルもイチかバチかの手段に賭けてみる気になったのは、成功すれば一気にバロンを攻め落とせるからだった。
リスクが大きいと解っていた賭けだ。なら、その負債は全部自分が支払わなければならない。(バッツだったら、どうしただろう・・・?)
必死で海の中を泳ぎながら、中々進まない自分の身体をもどかしく思いながら、不意にそんなことを思った。
海の中はまるで夢の中だった。意識が重く、視界が暗く感じる。身体が思うように動いてくれない、進め進めと意識ばかりが先行して身体は全く加速しない。地に足が着かずに浮かんでいる状態はまさに夢の―――悪夢の中の様だった。(バッツなら、リディアをファブールの城へ閉じこめただろうか?)
自問して即座に否定する。
バッツなら―――(僕が知っているバッツ=クラウザーなら、きっとリディアと共にバロンを目指しただろう―――きっと、どんなに危険だと解っていても、死ぬような目に会うかも知れないと解っていても、きっと『しゃあねえな、じゃあ行くか』とでも言って共に来たに違いない)
少なくとも、セシルが知る―――出会った時のバッツはそう言う男だった。
そしてそれは、決してリディアを守る為ではない。(バッツ=クラウザーは誰かを守る為の剣を持ち合わせてはいない―――彼の剣は、旅人の剣だ)
旅をする為の剣。
どこまでもどこまでも行く為の剣。
どんな困難であろうと切り抜ける為の剣。(だからきっとバッツは守る為に剣を振るうわけじゃない。リディアと一緒にダムシアンへ向かった時はそうだったはずだ。己が道を行く為に、誰かと共に行く為に、道なき道を、果てなき道を切り開く為に)
バッツ=クラウザーならこの困難も切り抜けただろう。リディアと共に。
ならば、セシル=ハーヴィも最低限、リディアを守り抜かなければならない。じわりじわりと息が苦しくなっていく。身体がだんだんと重くなっていく。
だが、それと引き替えに少しずつ少しずつリディアに近づいていく。
あと少し、あと少しと焦る気持ちを抑えて、少しずつしっかりと水を掻いて泳ぎ進む。(あと、少し)
手を伸ばせば、もうリディアの手に触れる事が出来た。
(よし・・・!)
セシルはリディアの手をしっかりと掴む。
そして、そのまま浮上しようとして―――『いかん! セシル、来るぞ!』
(え―――?)デスブリンガーの警告に視線を見下ろせば、リヴァイアサンが大きな顎を開くところだった。
(食われる―――?)
反射的にそんなことを思ったが、しかしセシルの予想は外れた。
る―――
最初は、そんな小さくそして美しいと思えるような短音が響いた。
海の中だというのに、その響きははっきりと音としてセシルの耳に聞こえた。
セシルが水の中で聞こえる音に、妙な違和感を感じた次の瞬間。
るぅぐごああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!
それは、咆吼だった。
海の中でありながら、耳に届く―――どころか全身を打撃するような強い咆吼。(なぁっ!?)
地上ならば、おそらく鼓膜の一枚や二枚簡単に破けていただろう。
それほどの強烈な爆声音。
海の中だから耳に音が直撃することは免れたが、その代わりに爆音の振動が水を伝わり、文字通りセシルの身体を打ちのめす。(ぐああああああああっ!?)
まるで川の流れに翻弄される木の葉のように、水の中を舞ながらセシルは絶叫した。
それでもリディアの手だけは放さずにしっかりと握る。(リディア・・・!)
甲板の上で跳ねた時よりも遙かに強烈な打撃を受け、意識がちりぢりになりかけても辛うじて気絶することだけは免れた。だが、自分ですら意識が飛びそうなダメージを受けている。リディアは大丈夫かと、少女の姿を確認するが。
「・・・・・・」
リディアにはすでに意識がなく、無事なのかどうかすらも解らない。
最悪、もう息がないのかもしれない―――そんな想像が頭に浮かんで青ざめる。『安心せい。この娘はまだ生きとる―――というか、どういうわけかさっきのリヴァイアサンの攻撃は娘には届いて居らん』
(・・・どういう、ことだ・・・?)
『さあのう。妾には、リヴァイアサンはどうやらお主が邪魔だと思うとるように見えるのう―――そゆわけで次、来るぞ』
「・・・へ?」セシルの疑問は、リヴァイアサンの二度目の咆吼で答えられた。
先程のよりもさらに強烈な、砲撃とも言うべき咆吼だ。
もうすでにセシルには耐えきれる力はなく、あっさりと意識を手放した―――