第9章「別れ行く者たち」
P.「騎士の剣、旅人の剣」
main character:セシル=ハーヴィ
location:ファブール・港町
―――バッツ=クラウザーはあっさりと見つかった。
港の波止場に呆と突っ立って船の眺めている。ボコも一緒だった。「バッツ」
セシルが呼びかけると、彼は驚いてこちらを振り返って―――それから、顔をしかめた。
相棒のボコも一緒になって振り返って、こちらは嬉しそうに「クエッ」と鳴いた。そんなボコの嘴を軽く小突きながら、バッツは不機嫌そうにセシルに尋ねた。
「なんだよ? こんな所まで追いかけてきて・・・俺は戻る気はねえぞ」
「引き留めに来たわけじゃないさ」少し皮肉っぽい笑みを向けてセシルが答えると、バッツはますます顔をしかめて「じゃあ、なんの用だよ?」とぶっきらぼうに言う。
セシルは、手にしていた麻袋を掲げて。「いや、預かって欲しい物があってね。―――それよりバッツ、君こそこんなところで何をしてるんだ? まさか船が大好きだから眺めていたってワケじゃないだろう?」
「・・・・・・」セシルの言葉にバッツは押し黙る。
不機嫌そうな顔から一転、今度はバツが悪そうに微妙に視線を反らしたりして、口の中でもごもごと呟く。「いや・・・ちょっと・・・色々と思い出して、な」
「感傷に浸ってたって? ・・・へえ、てっきり僕はお金が無くてどうやって船に密航しようか悩んでいるとばかり思っていたけど」
「!」バッツの反応は解りやすかった。
ぎくりと表情を強ばらせ、愕然とセシルを見返す。
そんな彼の表情に、セシルは可笑しそうに笑って。「あはははっ。図星なのか、もしかして」
「くあっ。・・・う、うるせいよ! 仕方ねえだろッ!? 金がないんだから―――つかお前、俺が金がねえの知ってて言ってるだろ!」カイポの村でセシルたちは宿屋に泊まったが、その代金を彼らは払っていなかった。
理由は単純で、セシルもバッツも金の持ち合わせがなかったからだが、宿の主人は自分たちの村を救ってくれたセシルたちから代金を貰うつもりはないと言ってくれたのだ。「いや、だから心配してたのさ。金を持ってないのに、どこか行く当てでもあるのかなって」
「くそ・・・お前、たまにムカつくな」
「ああ、なんかカインにもたまに言われるね。それよりもバッツ。お金がないんだろ?」
「ねえよ」開き直ったのか、ふんぞり返って即答。
そんなバッツに、セシルは持っていた麻袋を突き出して、「そんな君に朗報だ。今ならなんと、これを預かってくれればヤン=ファン=ライデンの権限を持って、ファイブル行きの交易船かなにかに乗せてあげよう!」
「・・・セシル。聞いてないんだが」
「言ってなかったからね。・・・あれ、そういうのはもしかして難しい?」ちょっと困ったような顔をしてセシルがヤンを振り返る。
ヤンはふうむ、と腕を組んで。「いや、まあ、難しくはないが・・・」
「なら良いだろう? ファブールのために戦ってくれたんだし、それくらいやっても君の神は怒らないと思うけどね」
「ふむ・・・まあ、良いだろう」セシルに言われてヤンは頷く。
よし、とセシルはヤンの許諾を確認すると、バッツへと再び向き直った。「そういうわけでお願いしたい」
「いや、待てよ。願っても無い話だけどな。その袋の中身って・・・?」
「クリスタル」
「はあ!?」あっさり答えた袋の中身に、バッツは思わず目を見開いて驚きを示す。
「じょ、冗談だろ?」
「本当だよ。クリスタルを君に預かって貰いたい」
「・・・ふ、ふざけんなよ! あれだけ必死になって守りきったクリスタルを、なんで・・・」
「君に預けるなら安全だと思ったんだ。・・・とゆーか、外洋に出たら適当なところで海に投げ捨ててもらっても良い」
「「おい!」」流石にヤンも一緒になって、バッツと二人で声を上げる。
そんな二人にセシルは肩を竦めて、諭すようにゆっくりした口調でクリスタルを海に捨てる理由を語り始めた。「いいかい? ゴルベーザの目的はこのクリスタルだ。これを集めて何をしようとしているのか・・・まだイマイチ解らないけど―――」
と、セシルはここでふとエニシェルを振り返る。
―――・・・長い付き合い?
―――ま、ざっと千年ほどだ。もっとも、実際の付き合いは百の年月も数えられんが。
―――僕には君の言うことが掴めないな。
―――そうじゃな。まあ、そのうち解る。これからもクリスタルに関わっていくというのならな。
この港町に着いた時のエニシェルとの会話が脳裏に再生される。
少女の姿をした暗黒剣は、クリスタルについて何かしら知っているようだった。(後で問いたださないとな・・・)
そのエニシェルはというと、こちらの会話にはなんら興味がないかのようにぼーっと波止場にある交易船を眺めていた。
見るからに退屈している様子だったが、ヘタにこちらの会話に割って入られるよりはマシだった。さっきのようにダークフォースを解放して、ヤンと口論とかそれ以上の諍いに発展しかねない。「―――ゴルベーザの目的を達成させない為には、このクリスタルを誰かに預けるなり、どこかに隠すなり、簡単には奪い取れない場所に置いてしまえばいいだろう?」
「俺にクリスタルを守れって?」
「だから、海に投げ捨てればいいって言ってるだろ? 君に守って貰う事なんて期待してない」
「引っかかる言い方だな・・・」セシルの台詞に、バッツの表情が険しくなる。
だがセシルは飄々と、顎を持ち上げて見下した視線でバッツを見やり、「君は誰も、何も守ることが出来なかった―――だから、逃げ帰るんだろう?」
「挑発かよ。セシル=ハーヴィともあろうものが安っぽいな!」
「挑発? 事実だろう? 君は弱かったから誰も守ることが出来なかった!」
「なんだとォ・・・・・・」ぎり、とバッツが奥歯を噛み締める音がセシルには聞こえたような気がした。
つまり、それほど強く歯を噛み締めなければならないほどの激情がバッツの中に渦を巻いていると言うことだ。「てめえまで、俺を弱いって言うのかよ!」
「そう言う所を見ると、君は自分が強いと誤解しているようだね? レオ=クリストフに敗れた君が!」
「俺は、負けてねえっ! ただ、殺せなかっただけだ。くそっ、ふざけんな・・・殺さなきゃ勝てないなんて、そんなの俺は・・・」
「女々しいよ、バッツ=クラウザー! 殺すか殺されるかの戦場に居ながら、誰も殺せない君は誰よりも弱かったってことだよ」
「人殺しが強いなんて認められるか!」
「でも君は、その人殺しに負けたんだ」
「くぅっ・・・」言い負かされて押し黙る。
セシルはバッツに向けて差し出していた麻袋を引っ込めると、今度は後ろ手にエニシェルへと手渡す。
いきなり袋を差し出され、少し戸惑った様子を見せながらも、エニシェルは素直に袋を受け取った。「バッツ。君が自分が強いと信じるなら―――殺し合いだから負けたと言い訳をするのなら・・・」
バッツは強く鋭くセシルを睨み、セシルの言葉を黙って聞いている。
その瞳にあるのは憎しみに近しい悔しさだ。
暗黒騎士であるセシルには、その負の感情を敏感に感じ取ることが出来た。それと同時に、バッツに足りないものをはっきりと確信することが出来た。「僕が君を完膚無きまでに叩きのめしてあげよう。君の弱さを証明するために」
(―――それが、きっと、ローザを助けてくれた君への恩返しになるだろうから)
セシルたちは波止場から場所を移していた。
港町の端にある広場だ。
広場と言っても、普通の街にあるような噴水があったり、街の創始者のうんたら卿の銅像などが建てられているような憩いの広場ではなく、まず港を作り、魔物から港を守るように外壁を作り、外壁の中に住居や商店や交易所などの建物を造って空き地を埋めていったら、たまたま余った、と言うような場所だった。なので、街の憩いの広場というわけでもなく、人気はほとんど無い。
秘密の遊び場のつもりなのだろうか、数人の街の子供たちがボール等の遊具を手にして、突然現れた見知らぬ大人たちの様子を隅の方で警戒している。そちらの方へ、セシルは怖がらせないようににっこりと微笑みを送り「ちょっと、ここを貸してね」と断りを入れると、子供たちは皆一様に頷いて返した。とりあえず悪い人間ではないと認識してくれたらしい。或いは良い人間か悪い人間か解らないから、とりあえず逆らわないで居ようとと思ったのかも知れない。
とりあえず先住民の許可を取り、セシルとバッツは広場の中央で対峙する。
二人から離れてヤンが仁王立ちに立って見守り、その後ろではエニシェルがボコの羽毛に顔を埋めていた。
それからこの広場に来る途中で偶然出くわしたギルバートとフライヤもヤンと並んでセシルとバッツを見守っていた。「セシル、本当にやるのかい?」
不安そうに聞いたのはギルバートだった。
セシルは目の前に居るバッツから目を離さずに、ギルバートの問いに答える。「ここまできて冗談と言う気はありませんよ」
「でも・・・」
「ギルバート王子。貴方はどっちの心配をして居るのですか?」
「それは―――」それは、勿論セシルの心配である。
ギルバートはセシルとバッツの戦いを何度か目の辺りにしている。
セシルの暗黒剣の凄まじさも、卓越した剣技も知っている。カイポの村では村人の先頭に立ち、指示を出しながら自らも休むことなく剣を振るって数え切れないほどの魔物たちを切り伏せた。
“最強の槍” カイン=ハイウィンドと並ぶ、バロンの “最強の剣” の異名も成程とうなずける強さだ。だが、バッツ=クラウザーは別格だった。
相手の死角から死角へと飛び込む俊敏さ。エブラーナの忍術にも似た不可思議な体技。軍隊を持たずに、代わりに傭兵団を雇い入れているダムシアンの王子であるギルバートは、幼い頃から幾多様々な剣技術技を使う傭兵たちを見てきた。中にはバッツのように、素早さを武器として相手の死角から攻める傭兵も見たことがある。
それらと比べても、バッツ=クラウザーの強さは異常だった。(戦士としての訓練を受けたわけじゃない。ソルジャーの様に魔晄のような特殊な力の恩恵を受けているわけでもない―――ただ、伝説の剣聖の息子というだけだ)
最強の剣士の息子。
それだけの理由であれだけの強さが得られるものだろうか。(なんにせよ、バッツは強い。きっと、セシルよりも)
そのことはセシル自身も良く知っているはずだ。
しかし、ヤンに聞いた話では、最初にバッツを弱いと挑発したのはセシルだという。
セシルはバッツの事を何度も認めているような台詞を口に出している。そんなセシルが、どうしてバッツを貶めるようなことを言ったのか、ギルバートには解らない。「じゃあ、そろそろ始めようか?」
「始めるか・・・って、お前。剣は?」
「え・・・? ああ」と、セシルは自分の腰に何もないことに今更気が付いた。
「そう言えば剣がないんだっけ」
「ふっ・・・ついに妾の出番のようじゃな!」ずい、とボコの嘴を撫でていたエニシェルが前に出る。
ちらり、とヤンの方を横目で見やり、「ふふん、見ておれハァゲ。妾の恐るべき真の姿を今―――」
「あー、君はいいや」
「・・・は?」セシルに待ったをかけられてエニシェルはきょとんとセシルを見返す。
そしてすぐに歯を剥いて怒り出す。「なぜじゃーっ!? 貴様ァ、妾の見せ場をなんと心得るーっ!」
「なんと心得るって・・・なんだろう?」
「くああああっ! 封印解かれたと思ったら自分のダークフォースも制御できずに暴走するよーな馬鹿に言い様に扱われ、挙句にようやっとまともな出番が来たと思ったらお預けかーッ!?」ぶわっ、とエニシェルの身体からダークフォースが吹き上がる。
その気配を感じ取ったのか、バッツがぎょっとエニシェルを見て、「なあ・・・さっきから気になってたんだけどよ、あいつ一体なんなんだ?」
「君の知り合いじゃないのか?」
「はあ? 知るかよあんなガキ」心外だとでも言うかのように、心底嫌そうにバッツが否定する。
「あれ、君って子供好きじゃなかったかい?」
リディアとの偽兄妹ぶりを思い返しながらセシルが尋ねる。
するとバッツも自分自身に首をかしげて、「いや・・・? 別に好きってワケじゃねえけど嫌いってワケでも―――でもなんかアイツはムカつくっていうか、なんかこう・・・なんだろ?」
微妙な視線を送るバッツに、怒りをあらわに叫ぶ。
「バァッッツ! 貴様まで妾をないがしろにするかーッ!」
セシルは叫ぶエニシェルを指さし、
「ほら、なんか知り合いみたいだし」
「やー、でも俺はしらねえぞ? あんな小汚いガキ」
「小汚い言うなぁぁぁっ! 暗黒剣が白い肌だと似合わないとか抜かして貴様が黒く染め上げたんだろうがーッ!」
「なんの話だ!? だから、俺はてめえ見たいなガキは知らないってさっきから何度も何度も何度も言ってるだろがっ!」
「ちっ、やはりもう居らぬか」エニシェルは舌打ち。
いきなり静かになった少女に、逆にバッツは戸惑って、「居らぬ・・・何が?」
「なんでもない。こっちの事じゃ―――」そう寂しそうに呟いて、エニシェルは後ろに一歩下がって―――
なにかに躓いて転ぶ。
「のおっ!?」
がおん、と頭を地面にぶつける。
視界が転じて白い雲が流れる青い空が見え、その視界の端に―――「おや、どうした?」
陰険そうなハゲの顔(エニシェル主観)が見えた。
「このハゲーッ!」
「だからハゲと呼ぶな! 失礼にもほどがある!」
「ハゲをハゲと言って何が悪い! 否、本当にハゲでないならハゲと言われても気にならないはずであろうがこのハゲ!」
「そこまでハゲと呼ばれて怒らん人間が居るかッ。このハゲ!」
「妾のどこがハゲじゃーッ!」
「ほらみろ怒るだろうがッ!」
「馬鹿者がああっ! ハゲでもないのにハゲと呼ばれて怒らん道理があるかッ。しかもハゲに言われれば尚更じゃあっ!」足を振り上げ、振り下ろし、その反動でエニシェルは勢いよく起きあがる。
そして、先程と同じく歯を剥いてヤンとにらみ合う。「言ってること滅茶苦茶だなあ・・・」
傍らでやりとりを聞いていたギルバートがぽつりと感想を述べたが、二人の耳には届いていないようだった。
見ればセシルとバッツも呆れたようにこちらを見ている。ギルバートはそんな二人に軽く手を振って、「良いから始めれば? 日が暮れるよ」
正直、ギルバートはこんな無駄な事はさっさと終わらせたかった。
セシルの真意は掴めないが、ともあれセシルとバッツの決闘もついでにヤンと少女の諍いも無駄な戦いにしか思えない。
バロンと戦うためにやることは、やらなければいけないことは沢山ある。こんなところで時間を浪費している場合でもない。(本当なら、バッツにも手伝って欲しいんだけどな・・・)
レオ=クリストフに敗れたとはいえ、バッツの戦闘力は魅力的だ。
おそらく、こちら側の誰よりも強い。少なくとも一対一ならばセシルは言わずもがな、ヤンよりも強いだろう。
だからこそ、ギルバートはバッツを説得する為にこんなところまで来た。セシルは元々説得する気がないようだったから、自ら足を運んだ―――だというのに、セシルがバッツをヘンに挑発してくれたお陰で、説得どころの話じゃなくなってくれた。
これでバッツがセシルに負けるようなことがあれば、もうバッツは二度とこちらに手を貸してくれないだろう。(悪いけどセシル、僕はバッツの勝利を願うよ)
元より、バッツが負けるとは思っていない。
そう考えると、もしかするとこれはバッツを引き留める為のセシルの策略なのではないかと思ってしまう。
バッツに負けることで、バッツの力の必要性を説けば、バッツも無理に故郷へ帰ろうとは思わないだろう。だが、しかし―――
「さて、始めようか」
「だからっ、武器はどうするんだよ!?」
「あー・・・そうか。いや、別に僕は素手でも構わないよ? 良いハンデになる」
「てめえ・・・」余裕しゃくしゃくのセシルに、バッツは顔を真っ赤にする。勿論、暑いだとか恥ずかしいからだとかという理由ではなく、怒りでだ。
それを見てギルバートは頭を抱える。(駄目だ。よしんばセシルがバッツを引き留める為にこの決闘をセッティングしたとしても、あれじゃあ挑発のやりすぎだ)
セシルにはバッツを引き留める気はカケラもないようだった。
そのことに気が付いて、ギルバートは愕然とする。「ちぃっ! ああそうかい! なら俺も素手だ! これでハンデはねえだろ!」
「いや、それは困るな。それじゃあハンデにならない」
「この野郎・・・よっぽど俺を怒らせてーのか・・・!」もう十二分に激怒の様相のバッツに対し、セシルは涼しげに笑う。
「怒らせるつもりはないって。―――まあ、そうだね。じゃあ僕も武器を使おうか。ええと・・・」
と、セシルは広場の中を見回す―――と、こちらの様子を伺っていた子供たちに目をとめると、敵意を抱かせないように微笑んでゆっくりと近寄る。
「君、それを少し貸してくれないかな」
「う、うん、いいけど・・・」おずおずと子供の一人が手にしていた木剣をセシルに渡した。
木剣、と言っても剣士見習いが練習用に使うような堅い木で作られた物ではなく、あくまで子供のお遊び用に作られた物だ。形こそ普通の剣と似ているが、大きさもお子様サイズで、柄はセシルの片手ですっぽり覆われてしまうくらい短く細く、刀身の長さもセシルの二の腕より少し長い程度だ。短剣と言うほど短くはないが、ショートソードほどの長さもない。長めのナイフより少し長い程度か。セシルはそんな剣を軽く二三度振り回し、満足そうに頷いた。
「うん、これで良い」
「おい・・・ッ」
「さあ、バッツ! 君のお望みどうりに立派な剣を装備させて貰ったよ。君を相手にするには勿体ないほどの素敵な剣だ。だからさっさと君も剣を構えてくれたまへ!」芝居がかった声でセシルが声高々に言い放つ。
ぷちん、とバッツは自分の神経が切れた音を確かに聞いたような気がした。「おおおおおっ! やってやろうじゃねえかセシル! もう、完全にキレたぜ俺ぁあああっ! ギッタンギッタンにブッ殺してやるから、墓の下で後悔しやがれ―――ボコッ!」
「クエッ」バッツの合図に、ボコは自分が背負っていた荷物の中から布に包まれた刀を嘴で器用につまむと、バッツに向かって投げつける。
投げつけられた刀は、空中で巻かれていた布が少しほどけ、バッツは刀ではなくその布の端を掴んだ。「せいっ!」
かけ声と共に勢いよく布を引くと、独楽回しの要領で空中で刀がくるくると回転し、布がほどけていく。
そして、ほどけた布の中から細身の刀が一振り現れる。外の光に煌めく美しい刃―――その刃の根本には、一度折れたことがあるらしく、鉛を打ち付けて補強しており、それが幾分か外観を損ねていたが―――バッツは手にしていた布を放り、素早く柄を掴むと、ほどけた布の中から刀を引き抜いた!おおっ、と子供たちの方から歓声が上がる。
ヤンとエニシェルもいがみ合いを一時休戦して、感心したようにバッツの妙技に目を奪われる。そんな中、ぱちぱちぱち、とやる気のない拍手が響いた。
セシルだ。「すごいすごい。バッツ、君なら大道芸人になれるんじゃないかな」
「抜かせ。その余裕がいつまで続くかよ!」言って、バッツは刀を構える。
構える、と言っても刀の切っ先をセシルの方へ向けただけだ。
刀がなければ普通に立っているのと変わらない。だが、構えのない構えこそがバッツ=クラウザーの構えだった。セシルは表面では余裕を作りながら、内心で気を引き締める。
口ではバッツを弱い弱いと言ったが、だがバッツ=クラウザーは決して弱くはない。それどころか、セシルが20年の年月の中で出会ったどの武人よりも卓越した戦闘技術を持っていると感じていた。だが、それと同時にバッツの弱さも気が付いていた。
それは人が殺せない、という弱さだけではない。「―――始める前に、一ついいかな」
不意に口を開いたセシルに、バッツは刀を構えたまま怪訝な顔を返す―――が、すぐに薄ら笑いを浮かべ、
「なんだよ? 今更になって怖じ気づいたか?」
バッツの挑発に、しかしセシルは答えない。
「バッツ。僕は君に感謝しているんだ。僕とリディアを砂漠で救ってくれたこともそうだけど、なによりも君はローザのために砂漠の光を採りに行ってくれた」
いきなり、さっきまでの嘲笑していた様子とは一変したセシルにバッツは戸惑う。
だが、そんなとまどいには構わずに、セシルは続けた。「僕は君に返しようの無いほどの大きな恩がある。だから、今、その恩を返す為に君をここで叩きのめす」
「・・・・・・」
「僕に敗北した後に考えるんだ、バッツ=クラウザー。どうして自分が負けたのかを―――殺せる、殺せないじゃない。そんな適当な答えで満足しないで考えてくれ」
「・・・もう勝つ気でいるのかよ。セシル、お前こそ何で俺に負けたか考えやがれ!」不意に。
バッツの姿がセシルの視界から消えた。「速いッ!」
ヤンが叫んだ瞬間には、すでにバッツはセシルの真横に滑り込んでいる。セシルから見て左側、木剣を手にしていない側だ。
セシルは全く反応できていない。まだ、つい数瞬前までバッツが居たところを向いている。(死ぬことはねえと思うが・・・骨の二、三本は覚悟しやがれ)
バッツは手の中の刀を返して居た。
フォールスで一般に出回っている両刃剣とは違い、バッツの刀は片刃だ。刃のない峰を振り回せば斬ることはない。(いくぜ―――)
バッツは刀を振るいながらセシルに向かって踏み込み、そして―――
「ぐあっ!?」
バッツの悲鳴が上がった。
「なにを考えろって?」
どさり、と尻餅をつくバッツの方に、ゆっくりと向き直りながらセシルが告げる。
バッツは刀を取り落とし、胸を押さえていた。(ぐぅぅぅっ・・・・・・なんだ、踏み込んだ瞬間、胸が―――)
激しく痛む胸を押さえながら、見上げればそこにはこちらを見下ろすセシルの顔と―――目の前に突き出された木剣。セシルは、右手に持っていた木剣を左の脇の下を通して、バッツの方へ向けて突き出していた。
セシルはバッツの動きに反応出来なかったワケじゃなかった。ただ、身体の向きを動かさずに右手の剣だけを横に突き出したのだ。考えてみれば妙ではあった。
バッツの動きを見きれなかったにしろ、目の前に居たのが唐突に死角に入り込んで消えたのだ。驚くなり、なんらかの反応がなければおかしい。
しかしバッツはそうとは気づかずに、セシルの誘いに引っかかり、挙句の果てに突き出された木剣のカウンターを胸に受けた。「―――ハンデは必要だったろ?」
嘲笑するでもなく、ただ無感情にセシルは告げた。
突き放すような、冷たい台詞にバッツは歯をぎりりと強く噛んだ。怒り、ではない。
(・・・木剣じゃなかったら―――それも子供用の木剣じゃなかったら―――)
想像して、ぞっとする。
もしも本物の刃なら、バッツの胸は貫かれて即死だったろう。
もしも樫などの堅い木で作られた木剣だったなら、死ぬことはなくとも尻餅だけでは済まなかったに違いない。そんなことを想像しながらバッツは奥歯を噛み締める。
怒りを堪えるためではない。恐怖を堪える為だった。(死んでた・・・これが実戦なら・・・あの時、レオ=クリストフが戦った時に同じ事をやられていたら―――)
だが、レオ=クリストフはそうしなかった。
いや、できなかった。
何故ならバッツの動きを見切れなかったからだ。バッツが打ち倒されたのも、挑発に乗って真っ向から打ち合った時だった。しかしセシルは、レオ=クリストフですら見切れなかったバッツの動きをあっさりと見切って見せた。
そしてそれは、もしも殺し合いならばバッツは今死んだと言うことでもある。負けたということでもあった。尻餅をついたまま呆然とするバッツに、セシルはさらに言葉を続ける。
「―――カイポの村で、君は言ったね。騎士ならばその剣を振るう意味を考えろ、と」
言った覚えがあった。確かに。
かつて父が言っていた言葉でもある。「だったら今度は僕が君に問おう。バッツ=クラウザー、君の持つ刃は何のためにある?」
「俺の刃・・・」問われて、悩む。
そんなこと今までに問われたことも考えたこともなかった。バッツは別に父から剣を習ったわけじゃない。
父であるドルガン=クラウザーはバッツに剣を教えようとはしなかった。乞えば教えてくれたかも知れなかったが、バッツは教えて貰おうとはしなかった。ただ魔物相手に剣を振るう父を真似て遊び、いつしか剣の握り方を覚え、父の剣技を見よう見まねで覚え、いつの間にか一丁前に剣を振るえるようになっていた。―――そう、思っていた。
「騎士の剣は主君に捧げる為にある。主君の主命を果たす為に、主が望むのなら人を守る為にも敵を打ち倒す為にもなる―――そして、時には主君を裏切りその刃を主の血で染めることもある」
最後のは自分にとっての皮肉でもあった。
剣とは、王と騎士とを繋ぐ、もっとも単純な力であり信頼の証でもあった。
王は騎士を信頼して力を送り、騎士はその力で信頼に応える。
騎士が王を王と認め続ける限り、それは王の為の剣として振るわれる―――が、騎士が王を王であると認められなくなれば、その剣は主君に対して振るわれるのだ。そして力は剣にのみならず、例えば部下を与えられることもあれば、領土を与えられることもある。
セシルの場合はかつて飛空挺団を与えられた。故に騎士にとって剣とは、或いは力とは、己がためのものではなく、王のための物だった。
「俺は・・・誰かを守りたいから、剣を・・・」
「違うね」バッツの答えを、しかしセシルはあっさりと否定する。
その声音はやはり冷たく、バッツの心を恐怖で凍らせるかのようだった。「君の剣は誰かを守る為の物じゃない」
「そんなことねえよ! 俺は誰かを守りたいから・・・だからっ!」
「誰を守れた?」
「・・・え・・・?」バッツは戸惑う。
いや、戸惑ったフリをした―――解らないフリをしただけだ。
本当は解っていた。自分の剣は誰も守れていない。「・・・俺は・・・」
「君の剣は誰も守れない―――ということは、君の剣は誰かを守る為の剣なんかじゃない」
「じゃあ・・・じゃあ、なんだってんだよッ! 俺はなんのためにこんなモンを・・・」目の前に転がった刀を睨付ける。
父の形見である刀。父が死んでから、自分が使ってきた刀。「それを考えるんだ、バッツ。君の剣は誰かを守る為のものじゃない。ましてや誰かを打ち倒す為のものでもない。君はそれを知っているはずなんだ―――けれど、それを忘れてしまったから、君はレオ=クリストフに負け、こうして僕にも負けている」
そのセシルの言葉は、先程までの冷たい物ではなかった。
睨付けた刀からゆっくりと顔を上げる。
こちらを見下ろすセシルの視線は相変わらず冷たかった、が―――反らしたくなるほど厳しい物でもなかった。「俺の剣・・・?」
「そう。ヒントをあげよう―――君の剣は誰にも負けない剣だ。けれど、誰かを倒す為のものでもない。・・・そして、君がこれから旅人として生きていく上で必要な剣だ」そこでセシルは笑った。
苦笑じみた、そんな微笑み。「思い出せよ、バッツ=クラウザー。君は旅人なんだぜ?」
「旅人・・・」セシルの言った単語を反芻する。
ややあって、バッツは軽く頭を振った。「わかんねえな・・・わかんねえよ。お前の言っていることが」
「答えを教えるのは簡単だけどね。でもそしたらつまらないだろう? それに、もしかしたら僕が間違っているかも知れない」
「うそこけ。そんなことは絶対にないってツラしてるぜ」
「そう? いや実は自分でもそう思う。結構、今回は自信あるんだ」そう言いあって、セシルとバッツは顔を見合わせて笑う。
それから、セシルは首だけで後ろを振り返り、エニシェルに目配せすると、少女は持っていた麻袋をセシルへと渡す。
麻袋を渡されたセシルは、それをそのまま倒れたままのバッツの傍らに置いた。「そういうワケでこれを頼む―――別に守ろうとしなくても良い。君の好きにしてくれていいさ」
それだけ言うと、セシルは子供に木剣を「ありがとう」と言って返した後、今度はフライヤを振り返る。
「フライヤ頼みがある。バッツがフォールスを出るまで付き添ってくれないか」
「・・・そう言えば、城を出る時もそんなことを言っておったな。どういうことじゃ」
「いや、なに、クリスタルの行方だけ確認して貰いたくてね。海に捨てるなり、ファイブルに持ち去るなり、どうしたかを報告して貰いたいんだ―――ギルバート王子、いいですか?」セシルが、一応フライヤの雇い主に問いかけると、ギルバートは苦笑して。
「言いも悪いも、そのために連れてきたんだろう?」
「うん。そう言うわけで、フライヤ、頼む」
「・・・まあ、雇い主が言うならば逆らえんな」二人の承諾を得ると、セシルは今度はヤンへ、
「ヤン、バッツとフライヤ・・・っと、それからボコをファイブル行きの船に乗せられるように手配して欲しいんだけど・・・」
「ふむ・・・なにか書くものがあれば一筆書くが」
「あ、それなら僕が・・・」ギルバートが懐から紙と細く削った木炭を取り出した。
小さく切られた数枚の紙には、なにやら詩の断片がいくつか書かれている。「吟遊詩人の嗜みだよ」
セシルがその詩を見やるとギルバートがそう言って笑った。
吟遊詩人たる物、いつ何時に素晴らしい詩を思いつくか解らない。だからこうしてメモ用紙を用意しておくらしい。ヤンはメモ用紙の中の、なにも書かれていないまっさらな紙にさらさらと紹介文を書いて、最後に自分の名前をサインするとフライヤに手渡す。頷いて、フライヤは紹介状を受け取ると、愛用の槍を担いでバッツの元へいく。それにボコも続いた。
倒れたままのバッツを、フライヤが助け起こすのを横目で見ながら、「じゃあヤン、王子、僕たちは城に戻ろう。まだまだやらなきゃ行けないことは沢山ある」
「妾の名前を呼び忘れて居るぞ」
「あー、エニシェルも」
「なんか、投げやりじゃのう。まあよいわ」そんなやりとりをしてセシルは広場を出る。
そのすぐ後にエニシェルとヤンも続いた。ギルバートだけは、少しだけ逡巡して広場の出口で振り返ったが、バッツに「それじゃ、元気で」と力なく手を振ると、セシルの後を追いかけた。
「なんじゃ、随分とあっさりしとるのう」
「まー・・・見送りに来たワケじゃねえだろうしな―――づっ」立ち上がったバッツは痛みに顔を歪めて胸を押さえる。
クエー、と心配そうにボコが鳴いた。「大丈夫か?」
「ああ、まあ、痛いだけだ」
「ふむ。しかし恐ろしい男じゃなセシルというのは。あの暗黒剣もとてつもなかったが、まさかお主のあの動きを見切るとは」
「正直俺も驚きだ。つーか初めてだこんなの。なんかイカサマでもしてるんじゃねえか? ・・・づぅっ」痛む胸を押さえながら、バッツは悔しそうに―――笑った。
「あー、畜生、悔しいなあ・・・ここへ来て、俺、連敗続きだ」
戦いの覚悟ではリディアに負け、レオ=クリストフを殺すことが出来ずに敗北し、そして今、セシル=ハーヴィに言い訳のしようがないほど完璧に打ちのめされた。
「しかもセシルの馬鹿野郎、わけのわからんこと言いやがって。俺は頭悪ぃんだぞ」
「おお、そんな感じするのう」
「うるせーよ、馬鹿」ふう、と吐息して。
「畜生・・・勝ちてえなあ・・・あいつに」
「あいつというのはセシルか? それともレオ=クリストフか?」
「どっちもだ」
「なら、戻るか? ギルバート辺りはお主の戦闘能力を勿体ないと思って居るようだしの。わざわざここまで来たのは、お主を説得する為だというし」
「戻れねえよ。少なくとも、セシルの出した問題が解けるまで戻れない―――きっと、もどってもセシルが追い返すさ。なんかそんな気がする」苦笑して、バッツは地面に落ちたままの刀を拾う。
「だからさ。俺が俺の剣の意味が解ったら、その時はきっとここへ戻ってくる。その時にあいつがまだ生きてたら、今度は俺が完璧にブッ倒してやる!」
(だから、それまで死ぬんじゃねえぞ、セシル―――)
「大丈夫か?」
広場を出て、いくつかの角を曲がったところで、不意にエニシェルがそう呼びかけた。
セシルはその言葉に足を止めると、にっこりとエニシェルを振り返って―――その場に膝をつく。「セシルッ!?」
いきなり膝を突いて倒れそうになるセシルをギルバートが慌てて支えた。
そんなギルバートに、セシルは「大丈夫」と呟くが、「大丈夫って・・・なんだよこの凄い汗!? 一体、なにが・・・」
見ればセシルは尋常でない量の汗をかいていた。
触れてみれば酷く冷たい。「やはりバッツ=クラウザーは強かった、ということじゃろうな」
淡々と、エニシェルが呟く。
その言葉に、ヤンが怪訝そうに、「だが、勝ったのはセシルだろう? バッツ=クラウザーの剣は、セシルには当たらなかった」
「ハッ。腑抜けてるのう、お主。今のを見てそんなこともわからんのか。モンク僧とはその程度か」
「なんだと・・・」怒りをあらわにヤンがエニシェルを睨付ける。
どうにもこのモンク僧と暗黒剣の少女は反りが合わないらしい。「実際は、紙一重だったよ」
ギルバートに支えられながら、セシルは立ち上がる。
その足は、がくがくと無様に震えていた。「・・・正直、バッツと対峙している間、生きた心地がしなかったよ」
「随分と余裕があるように見えたが」
「はったりだよ。本当はバッツの動きを見逃さないように、ずっと神経を張りつめていた―――そうしなければバッツの動きを見きれなかったし、そして結局見切れなかった」
「見切れなかった? しかし、現に―――」
「バッツの姿が消えた瞬間に、剣を横に突き出しただけだよ。バッツの剣は真っ向からではなく、相手の死角に回り込んで奇襲を仕掛ける剣だ。それも、相手が武器を手にしていない方からの奇襲―――カイポの村の時も、ファブールでカインの強襲の時もそうだった」セシルはカイポでレオと、ファブールでカインとそれぞれバッツが戦っているのを見ている。
加えて言えば、ホブス山でルビカンテという炎の魔人と戦っているのも見ていた。そこからバッツの攻撃パターンを読み取り、バッツが仕掛けてくるだろうと思われる方向に剣を突き出しただけだ。
「もしもなんかの気まぐれか、或いはこっちの考えを読んで、裏の裏をかかれたら倒れていたのは僕の方だったさ」
それも相手は真剣だった。
殺す気で来られたら、タダでは済まない。
バッツは峰打ちしようとしていたが、それだって死ぬことはなくても重傷であることは違いない。バッツの強さに、今更になって畏怖しているセシルに、しかしヤンは不思議そうに。
「そんなに恐ろしい相手か? あれが? 確かに動きは目を見張る物はあったが、それほど恐ろしい相手とは思えない」
「それはヤン、君が一流の戦士だからだよ」
「は?」唐突に褒められて、ヤンは戸惑う。
と、エニシェルがにやりと笑って付け足した。「そうじゃのう、お主が一流の戦士だからこそヤツの強さに気づかんのじゃなー」
「おい。なんかコケにされている気がするが?」
「コケにしとるんじゃ、このハゲ」
「・・・・・・」もはやなにを言い返しても無駄だと悟り、ヤンは何も言わずに無視を決め込む。
だが、顔を茹でたタコのように真っ赤に染め上げ、額に青スジを浮かばせている所を見ると、どうにも成功しているとは言い難かった。案の定、エニシェルは嬉しそうにヤンを指さし「ユデダコ、ユデダコ」と騒いでいる。「どういうことだ、セシル」
「そうだね。例えばヤン、君は怒ってるね。というか真面目に怖いから機嫌直して欲しいなって思うくらい怖いんだけど」
「ならこの娘を浄化させろ。神の名の下に、ファブール全僧兵の力を持って封滅してくれんっ!」
「殺気立ってるなあ・・・・・・まあ、そういうことだよ」セシルが、怒り狂っているヤンに目を合わせないように微妙に視線をズラして言う。
が、言われてもヤンにはどういうことか解らない。問いただそうと声を上げかけたところで、ギルバートが「わかった」と声を上げた。「そうか、バッツの怒りは怖くないんだ」
「そういうこと」
「どういうことだ?」
「察しが悪いのう、このハゲは」頷くセシルにやはり解らないヤン、そんなヤンにエニシェルがははン、と半眼で笑ってみせる。身長差から下から見上げるようにしながらも、顎を大きく上げて無理矢理見下すような視線に、ヤンは黙ってエニシェルの額を軽く拳で小突いた。
「のわっ!?」
のけぞるような格好になっていたエニシェルは、この街に来た時と同じようにそのまま後ろへコケる。
そんなエニシェルをふんと、見下してからセシルたちに向き直った。「それで? どういうことだ?」
「殺気がないって事だよ」ギルバートが言うと、セシルは頷いた。
「一流の戦士にはあるはずの殺気―――殺意と言い換えても良いかな。そう言うものがバッツにはないんだ」
「そう。だからさっき僕はバッツを怒らせたけれど、恐さを感じなかった」(罪悪感は少し感じたけどね)
「つまり、結局、バッツ=クラウザーは敵を殺せないから―――殺意がないから弱いって事じゃな」
起きあがったエニシェルがうんうんとしたり顔で頷く。
セシルはそれを訂正するように軽く手を振って、「全然殺気がないわけじゃない。現に、ホブス山でのバッツはあのルビカンテという男に対して激しい殺意を感じていたように思う。レオ将軍や、カインと相対した時よりも剣に迷いが無く、容赦がなかった。あの時のバッツなら、レオ=クリストフだって倒せたに違いないよ」
言われてギルバートは思い出す。
確かにあの時のバッツは激しい怒りがあった―――仲間である自分が怖いと思ってしまうほどの激しい怒り。
人を殺すことのできないバッツは、人が死ぬことに対して過敏に反応をする。思えば、カイポの村で「戦え」と村人たちに言ったセシルに反発したのも、村人たちが死ぬかも知れないという思いから来たのかも知れない。「それからもう一つ。バッツは人を殺せないから弱いわけじゃない。バッツの戦闘スタイルが人を殺さなければ勝てないから弱いんだ」
バッツの戦闘スタイルは機敏さを生かして相手の死角に回り込んで、そこから奇襲を仕掛けるというものだ。
相手の姿が見えずに、無防備なところから攻められる―――剣を合わせていて、これほど厄介な戦法はないだろうが、逆に言えば奇襲でなければ相手を倒せないと言うことでもあった。「ヤンも言ったとおり、バッツの動きは誰も見切れないほど速い―――けれど、剣の技量はというとそれほどでもないと思う。相手の死角からしか攻撃できないのは、つまり真っ向から斬り合える力がないということだ」
セシルは知らないことだが、バッツがレオに敗れた時、バッツはレオに真っ向から打ち合って返り討ちにあっている。
「だから、バッツの剣は奇襲の剣なんだ。だけど、奇襲する上で大切な事が一つある。それは―――」
「相手を一撃で確実に仕留めること、だね」ギルバートの言葉にセシルは頷く。
「そう。基本的に奇襲というのは二度はない。手の内を明かしてしまえば、それは奇襲ではなくなる―――だけど、バッツは奇襲を仕掛けても一撃で相手を仕留める―――殺すことが出来ない。本当なら、バッツの戦闘スタイルなら相手の無防備な死角から急所を一突き、というのが正しいはずなんだ」
死角から仕掛けるというのは主に忍者や暗殺者が使う戦法だ。
もっとも、彼らの場合は相対することなく、相手が気づかぬウチに死角に潜んで奇襲するものだが。「ついでに言うとバッツには力がない。急所以外の所を斬りつけても、例えばヤンやレオ将軍のように鍛え抜かれた肉体を持つ人間には致命傷を与えられないだろうね」
これもセシルは知らないことだが、レオ=クリストフはバッツに「軽い」と言っている。
バッツの攻撃力では、レオの筋肉の表面を傷つけることしかできないという意味だった。「何にせよ、バッツは人を殺す為の意志がない。・・・だから、僕が勝てた」
「え・・・?」
「言ったでしょう? 紙一重だって―――バッツが無意識にでも躊躇ってくれなければ、良くて相打ち、ヘタをすれば僕が負けてた」
「・・・あ!」セシルの言葉の意味に、ギルバートは気が付いた。
「じゃあ、バッツに刀を使わせたのは・・・!」
「殺傷できる武器じゃなければ、バッツは容赦なく振るうから」苦笑で答える。
カイポの村でレオと相対した時、バッツは剣ではなくハリセンを手にしていた。
だからこそ、殺す殺さないと悩むこともなく振り回すことが出来たから、あそこまで小気味よくレオの頭を叩けたという事もあった。「本当に、彼は強いよ。最初の一撃をカウンターで決めた後も、いつバッツが目の前の刀を手にして反撃してくるか、それだけを考えていた」
だからこそ、セシルは膝を突いてしまうほど、滝のような冷や汗を流すほど神経をすり減らしたのだ。
実のところ、バッツの本当の恐ろしさは、機敏な動きなどではない。
瞬発力なら竜騎士であるフライヤやカインの方が上だろう。剣を振るう速さなら、セシルの居合いの方がずっと速い。
機敏な動きと評してはいるが、バッツの速さ自体は一流と呼ばれた戦士の平均値より幾分か上と言うだけだった。バッツが速く感じるのは予備動作が殆どないことだった。
なんの構えもない状態から、最小限の動作で唐突に動く。
予備動作がない為、動き出すと言うことが察知できない。だから、自分の左手の死角に飛び込むと解っていても、セシルはその動きを見きることが出来なかった。これは瞬発力がどうのという身体的な力ではなく、高次元的な体技である。
おそらくバッツ自身にも自分がどう動いているか説明できないだろう。恐ろしいほどの緻密な体重移動と行動のタイミング、無意識のうちに相手の意識が何処に向いているか察知する感覚。それと殺気がないのも武器になっている―――ヤンがバッツの強さを感じ取れないように、一流の戦士は相手の “気” を感じ取って無意識のうちに強さを計る。死線をくぐり抜けた強者であるほど、その身を纏う死の気配は強く、殺気も強い。しかし、バッツにはそういった殺気がない。
殺気がないから、こちらへ仕掛ける瞬間―――殺気が強くなる瞬間というのが感じ取れない。先程の戦い、もしも一撃でバッツが負けを認めなかったらと思うと冷や汗が止まらない。
もちろん負ける気は無かったが、それでもバッツが攻撃を仕掛けるたびにセシルは寿命を削るような心持ちでそれを迎え撃たなければならなかっただろう。
ギルバートには「奇襲は二度はない」とそう言ったが、バッツ=クラウザーについてはそれは当てはまらない。
なにしろ、最初から姿を見せた上で奇襲を仕掛けてくるのだ。しかもセシルは飛ぶ方向が解っていても見切ることが出来なかった。「・・・だったら、どうして行かせたんですか? バッツの剣は、バロンとの戦いに必要でしょう?」
非難がましいギルバートの言葉に、セシルは困ったように苦笑する。
「いいえ。バッツの剣は誰かを打ち倒す為の剣じゃない。そして誰かを守る為の剣でもない―――バッツの剣は “誰か” のために振るわれる剣じゃないんですよ。それが解るまで、もしもバッツが自ら戦いに参加させてくれと言われても、僕はそれを認める気はありません」
「どうして!? 剣の意味がわかろうと解るまいと、バッツの強さは本物じゃないですか」
「いくらバッツが強かろうと、あのままでは死にます。現に、レオ=クリストフには殺されかけた―――僕は、彼のことを友人だと思ってる。戦友、ではなくただの友人だと。その友が死ぬと解っていて、むざむざ戦いに参加させるつもりは在りません」
「・・・・・・」セシルの声は穏やかで、微笑みすら浮かべていたが―――有無を言わさぬ力強さ、厳しさがあった。
ギルバートが押し黙ると、セシルはさらに続けて。「でも、もしもバッツが自分の剣の意味に気づいてくれたなら、きっとその時は戻ってきます」
「え・・・?」確信めいたセシルの台詞にギルバートは顔を上げる。
そのセシルの顔を見て、気づく。(セシルは・・・きっと誰よりもバッツのことを信じている・・・)
強さも、その想いも。
信じているからこそ、今、決別した。
そのことがギルバートには解った。「それに、戻ってくるのはそう遠くないと思いますよ?」
去り際に見たバッツの表情を思い出す。
その時のバッツにはセシルに敗れた敗北感も、自分には力がないという無力感も無かった。(あれは、出会った時のバッツだ。砂漠で、僕とリディアを助けた時の―――それから・・・)
―――バッツ=クラウザー。ただの旅人だ。
(そう言った時の “旅人” であるバッツ=クラウザーだ。だったら、すぐに気づいてくれる)
その剣が自分の為にある剣だと言うことを。
再会は遠くないと信じている。
だから。(僕はさよならは言わなかった。君も最後に別れの挨拶を口には出さなかった―――)
それは無言の約束だ。
別れを口にしないことでの、再会の約束。「行こう。もう、大丈夫だから」
汗を拭い、セシルはギルバートの支えから離れて歩き出す。
後ろは振り向かずに、前へ―――