第9章「別れ行く者たち」
N.「エニシェル」
main character:セシル=ハーヴィ
location:ファブール城・クリスタルルーム
具合の悪い王の様子に、セシルたちは寝室を早々に辞した。
寝室を出てから、セシルたちはクリスタルルームへと向かう。
カインにクリスタルルームを隠していた壁は、カインに破壊されたままだ。瓦礫程度は片づけられているが。本来の入り口は、王座の後ろにある隠しスイッチを使って開く、仕掛け扉があるらしい。が、そんな仕掛けをわざわざ使うこともなく、セシルは破られた壁をくぐってクリスタルルームへと入った。広い部屋だった。隣の広間よりも広く感じる。ミシディアのクリスタルルームも同じくらいの広さであったし、ギルバートに聞けばダムシアンもこれくらいはあったと言う。その部屋中が、明るく光を放っていた。
煌めき、輝くタイルに敷き詰められた床と壁と天井。少しの光でもあれば、それが反射し合って部屋中が明るく輝く。
ヤンに聞いた話では、それらは一種の結界だと言う。ある存在に対して、それを寄せ付けない為の結界であるらしい。その “ある存在” というのはヤンもよく知らないらしいが。(結界・・・なんのための結界なんだろうな)
口には出さずに思う。邪悪なものを、魔に属するものを寄せ付けない結界ではないことは確かだ。
それなら暗黒の武具を装備したセシルや、ゴルベーザが入れるわけはない。
なにに対する結界かは解らないが、ただクリスタルルームに入らなかった者が居た事だけは思い出した。バルバリシアとカインが呼んだ金髪の女性。
―――残念だけど、そういうわけにはいかないの。諸処の事情で、私たちはクリスタルには近づけないの―――その輝きを封じない限りね。
自分でクリスタルを取りに行け、と言ったカインに対して、彼女はそう答えた。彼女が何者なのか、まだ良く解っていない。人間であるのか、そうでないのかすらも。ただ、セシルはよく覚えていないがギルバートに聞いた所によると、やはりあの時彼女だけはクリスタルルームに入らなかったらしい。
それが、どういうことを意味するのかセシルにはまだ推測のしようもなかったが。「ヤン僧長!」
クリスタルルーム内の祭壇前で見張りをしていたモンク僧の二人がヤンの姿に気が付いて声を上げる。
バロン軍が去ったとはいえ、クリスタルルームを晒したままにしておくのは良くないと判断して、セシルがヤンに忠告し、ヤンが見張りを手配した。セシルもまさかバロンがすぐに再侵攻してくるとは思わなかったが、あのバルバリシアという女性のように虚空から唐突に出現してくる可能性も皆無ではない。本人はクリスタルに近づくことができないと言っていたが、それを鵜呑みにするのも危険だった。そうでなくとも、もしかしたら不心得者がクリスタルを盗もうとするかもしれない。なんにせよ、用心はしておいては損はない。「クリスタルは?」
ヤンは聞きながら視線を祭壇へと向ける。
飾り気のない祭壇だが、クリスタルルームの床や天井と同じもので作られているらしく、綺麗に輝いていた。
不思議な光だった。
本当なら目など開けていられないくらい眩しいくらいの光だ。だが、何故かその光は網膜に焼き付くことなく、普通に部屋の中を見渡せる。「無事です」
祭壇の中にクリスタルがあるのを確認すると同時に、モンク僧が短く答えた。
ヤンは短く頷くと、見張りの二人へ告げた。「良し。ならお前たちはもう戻れ」
「クリスタルは・・・」
「城に置いておくよりも安全な者へ託す」
「わかりました」さして疑問も挟まずに、モンク僧たちは一礼するとクリスタルルームを出て行った。
ヤンはそれを見送ると祭壇の上に登って、クリスタルを手に取る。
クリスタルの大きさは、ヤンの大きな手ならば余裕を持って片手でつかめる位の大きさだ。形は六角柱の頭と尻の先が錐状に尖った物体で、クリスタルルームと同じように外からの光を受けて輝いていた。ただし、クリスタルルームのそれが白く輝くのに対し、クリスタルのそれは青く輝いている。それをヤンは両手で貴重品を扱う手つきで持ち上げると、祭壇を降りてセシルへと差し出す。
「セシル。それで、これを誰に渡すつもりなのだ?」
渡されたクリスタルを受け取り、セシルはどこからか持っていた麻袋を取り出すと、そこへクリスタルを放り込んだ。
乱暴というわけではないが、丁寧でもない扱い方に、ヤンはやや非難するような眼差しをセシルに向けたが、それ以上は何も言わなかった。そんな様子を、ギルバートが可笑しそうに見つめている。「バッツに預けようと思う」
「レオ=クリストフに負けた男か」
「あれ。もしかして信用ない?」バッツのことを貶めるような言葉に、セシルが聞き返す。
ヤンは少しだけ間を置いてから答えた。「私はまだその男と付き合いが浅いからな―――どうしてセシルがそこまで肩入れするのかが解らない」
「僕だってまだ出会ってから一ヶ月と経っちゃいないよ」
「そんな男をどうして信頼できる?」
「助けて貰ったからだよ」そう言って、セシルはバッツに砂漠で助けられたこと、熱病で倒れたローザのために砂漠の光を採ってきてくれたことを話した。
「それにもう一つ。クリスタルを最後に守りきったのは彼だろう?」
ヤンはその言葉にう、と黙り込んだ。ゴルベーザ立ちが去るまで、闇の呪縛に捕らわれたままだった負い目があるのかも知れない。
バッツ=クラウザーがレオとカインを相手にクリスタルを守り抜いたことは誰も知らない。
セシルもギルバートも気を失っていたし、リディアとフライヤがクリスタルルームへ辿り着いたのはゴルベーザたちが去った後だった。
ただ、そこれリディアたちが見たものは、倒れたセシルとギルバート、それからクリスタルを守るように、その前で闇の剣を手にしたまま膝を付いて意識を失ったバッツの姿だった。バッツ本人は、その時のことを覚えていないと言うが、クリスタルをバッツが守ったのは間違いない。
「クリスタルを一度は守ってくれた。なら、彼に預けるのが一番安全だろう?」
「預かってくれるかな」
「それは説得するよ」ギルバートのちょっとした疑問に、セシルはそう答える。
だが、説得すると言った時に、腰に差した漆黒の鞘―――そこに収められるべき剣は今はもうない―――を軽く叩いて見せたのは、ギルバートもヤンも気づかなかった。
「セシル!」
クリスタルルームを出ると、広間にリディアとフライヤが入ってくるところだった。
何かを探すように、きょろきょろと広間の中を見回しながらセシルたちに近づいてくる。「リディア。なにか捜し物かい?」
「うん・・・バッツお兄ちゃんがね、どこにも居ないの。ボコも居なくなってるし・・・」
「ええっ?」「なに!?」驚いたのはギルバートとヤンだけだった。
セシルは「そうか」と呟いただけ。
それから、床に膝を付いてリディアと同じ高さに目線を合わせ、彼女を驚かせないようにゆっくりと言った。「バッツはね。故郷に帰るそうだよ」
「帰る・・・」
「ちょっと待てセシル! 聞いていないぞ」
「僕もです! あのバッツが帰るだなんて・・・どうしてですか!」ヤンとギルバートが口々に喚き立てた。
ただ、ヤンは唐突に話を聞かされた驚きだけだったが、ギルバートの声には信じられないという思いがあった。ギルバート自身も、バッツとの付き合いは浅い。
だが、ダムシアンで出会い、砂漠の光を取りにアントリオンの洞窟へと向かい、多少なりとも生死を共にした仲だ。
それで知ったのは、彼にはリディアを守ろうとする強い意志があるということ。それからアンナの死を悼んでくれた。彼は戦士ではない。レオ=クリストフと対等の実力を持ちながらも、彼はただの旅人だ。
彼の目的はバロンにあるという。剣を届ける用があるだとか。
・・・だというのに、彼はバロンには向かわずに、引き返す形でファブールまで同道してくれた。カイポの村や、ホブス山での魔物の襲撃では、彼が居なかったらどうなっていたか解らない。
そしてファブールでの戦争。彼にはそんなものに参加する義務はなかった。だというのに、戦ってくれた。そんなバッツだからこそ、自分の本来の目的も果たさないまま、ここで逃げるように故郷へ帰るというのは腑に落ちない。
ギルバートはバッツがレオとの戦いで何があったのか知らない。
ただ、バッツ=クラウザーがレオ=クリストフに敗れたと言うことだけ。
敗れて、死にそうな目にあったから、嫌気が差したのかも知れない。
だが、ギルバートの知るバッツ=クラウザーが、そんな弱い人間だとは信じたくなかった。多分、リディアだって同じだろう―――そう思って、少女の顔を浮かべると案の定、寂しそうな顔をして。だけど、
「そう、なんだ・・・」
小さく頷いた。
それから、にこりと微笑んで―――それはとても無理した笑顔だったが―――セシルに礼を言う。「ありがとね、セシル。教えてくれて」
「ちょっ、リディア! バッツが帰っちゃうんだよ? それでいいのかい?」思わずギルバートは叫んでいた。
リディアはバッツによく懐いていた。傍から見ると、まるで本物の兄妹のように。
兄弟の居ないギルバートが羨むほどに仲の良い二人だった。
だから、バッツが居なくなることを知って、それを簡単に受け入れるリディアが信じられない。さっきから信じられないことばかりだ、とギルバートは思った。
今のことだけじゃない。この戦争が始まる前、ダムシアンで最愛の人を失ってから、信じられないこと、信じたくないことが続く。そして信じられないことは、これからも何度も何度もあるのだろう―――戦い続けようとする限り。だから、信じられる時間を、信じ続けられる世界を手に入れる為に、信じられないことを乗り越えて戦っているのかもしれない。
「・・・お兄ちゃんがね、死ぬかと思った」
「え・・・?」
「ギルバートお兄ちゃんが真っ暗闇の中に飛び込んでから、バッツお兄ちゃんが死んだって聞いて―――」リディアはセシルが暴走した時のことを話した。
レオにバッツを倒したと言われ、バッツの元へフライヤと一緒に駆けつけて、そこで瀕死のバッツを見つけたこと。
そのバッツが急に走り出して―――次に見つけた時には、クリスタルルームで倒れていたこと。
どっちの時も、そのままバッツが死んでしまうかと思ったこと。そしてリディアは微笑む。寂しそうな気持ちを無理に塗りつぶすように。
「・・・リディア、お兄ちゃんのこと大好きだよ。だから、もう危ないことしてほしくないの。村が襲われた時、私は何もできなかった。ティナが取られちゃった時も。私はなんにも出来てない。ただ、お母さんやティナに守られただけ。もう、私は、誰にも守って欲しくない。私を守って誰も居なくなったりして欲しくない! 今度は、私が誰かを守りたい・・・!」
表情は、変わらずに微笑んでいる。その微笑みの下には不安と寂しさがあるようにギルバートには思えたが。
だが、その瞳は真っ直ぐに強く。誇り高い気高さがあった。(こんな瞳をした女性を、僕は二人知っている・・・)
一人はかつて自分の恋人であったアンナと、セシルの恋人であるローザ。
その二人に共通するのは、他人のために何処までも強く堅固な意思表示をできるということ。
だけどそれは純粋な思いやりとか優しさとか、そういうものとは全く掛け離れている。他人の事を考えずに、他人のために動こうとする自分勝手な思いやりと優しさ。今のリディアもそれに似ているような気がする。
それは弱さであり、臆病であるのかもしれない。相手に否定、拒否されたくないから自分勝手に他人へ意志を押しつける。相手の意見も聞かずに、意志も考えずに。「だからね。バッツお兄ちゃんが自分のお家に帰るなら、私はそれがいいと思う。・・・少しだけ、寂しいけど」
「―――わかったよ。リディア」そう言ったのはセシルだ。
ぽん、と彼女の頭に手を置いて。「僕たちはこれからバッツに用事があるから彼を追いかけるけど、君はどうする?」
「リディアは、もうお別れは済ませたから」その言葉を聞いて、ギルバートはなんとなく納得した。
いきなりバッツが帰ると言い出して、城を出たこと。それはリディアに今と同じようなことを言われたからなのかも知れないと思った。(バッツはリディアを守る。その理由でこの戦いに参加していた―――それが逆に守るって言われれば、立つ瀬がない)
しかも、レオ=クリストフに惨敗した後だ。彼の落ち込み様は想像できる。
「そうか。じゃあ、城で待っているかい」
「うん。リディア、ホーリンさんのお手伝いしてるー」そう言って、彼女はぱたぱたと走って広間を出て行った。
それを見送り、フライヤがぽつりと。「気丈な子じゃな」
「そうだね。母親を失って、大切な友達も連れ去られ、だというのに大好きな兄代わりのバッツを黙って見送ろうとしている。―――歳不相応にしっかりした子供ですよ」
「その言い方だと非難しているように聞こえるが?」フライヤがそう返すと、セシルは肩を竦めて何も答えなかった。
返事がないことを見て、フライヤも黙って踵を返す。リディアの後を追おうと広間を出ようとして―――「ああ、フライヤ。君には頼みたいことがあるんだ」
そうセシルが呼び止める。
怪訝な顔をしながらも、フライヤは足を止めて振り返った。「頼みたいことじゃと?」
「うん。これから僕たちはクリスタルを預ける為にバッツを追いかける。一緒に来て欲しい」
「何故」
「これの護衛を頼みたいんだ」そう言って、セシルはクリスタルを放り込んだ麻袋を掲げて見せた。
ヤンに頼んでファブールの城門前でチョコボを用意して貰う間、セシルは一旦ここ数日間寝泊まりしていた部屋に戻った。
バッツの行き先は見当が付いている。すぐに追いつけるとは思うが、なにが起こるか解らない。念のため、武具の用意はしておくべきだと考えたからだ。「何をやっておったのだ」
「え・・・」部屋に入った瞬間、そんな事を言われてセシルは固まった。
さして広くない、家具類と言えばベッドだけが並んだだけの部屋の中に、見知らぬ黒い少女が居たからだ。
少女と言ってもリディアより、ローザやティナの年齢に近いように見える。黒目黒髪黒肌で、白と黒のフリルが何枚も重ねられた黒いミニドレスを身に纏った黒ずくめの少女だ。そんな少女が、セシルの使っているベッドの足下の床へ無造作に置かれた暗黒の鎧にちょこんと腰掛けていた。
「君は誰だ・・・って、それからすぐに離れるんだ!」
はっとして、セシルは叫ぶ。ダークフォースの込められた武具は訓練を受けていない人間が身に着ければ、ダークサイドに引き込まれてしまう。目にするだけで気分が悪くなるほどだ。まだ精神の成長が未成熟な子供なら、なおさらその悪影響を受けやすいだろう。
だが、少女は平然としている。
むしろ愉快そうに笑って。「なにをそんなに焦っておる。妾がこんなチンケな闇に呑まれるとでも思うてか」
「・・・は? 君は、一体・・・」
「お? 妾が解らんのか? ―――そう言えば、お主は妾を手にした瞬間に暴走したのだったな。それでは覚えて居らぬのも無理はない」
「なんだ君は・・・?」三度目の誰何の問いかけに、少女はにやりと笑うと今度こそそれに答えた。
「ならば今度は忘れるなよ? 妾はデスブリンガー・エニシェル。孤独な過去に生まれし闇より別たれた一欠片にして、無為の絶望と破滅を司る呪いの暗黒剣。お主も暗黒騎士ならば耳にしたことくらいは在ろう?」
「幻の月より堕とされた堕天の剣―――・・・史上最強の暗黒騎士と言われたダークナイト・レオンハルトが振るった剣―――・・・?」
「おお! レオンの名前を知って居るのか!」少女―――デスブリンガー・エニシェルは嬉しそうに目を輝かせた。
だが、むしろセシルは困惑して。「ちょ、ちょっと待ってくれよ!? デスブリンガーだって!? なんでそんなモノがこんなところに・・・っていうか、君が剣って・・・」
困惑するセシルの目の前で、不意に少女が立ち上がった。
そして両腕を真っ直ぐに左右へのばして広げる。「在れ」
少女が短く呟くと、左右に伸ばされた手と手の間。少女の胸の前に、光が生まれた。
黒い光。ダークフォースの暗い輝きだ。
その光は真っ直ぐに伸びて、丁度両端が少女の掌に差し掛かるくらいの長さの剣の形になった。やがて、光は消えて、代わりに金属に似た質感のある黒い鞘に収められた剣が一降り。
同時に、その場に少女から力が抜けて、その場に倒れ込んだ。
「おいっ!?」
思わずセシルが少女に駆け寄って抱き起こす。
―――抱き起こしてから戦慄した。少女の身体は冷たかった。さらに、心臓の動く音、血液の流れる音などの、生きている鼓動のようなものが感じられなかった。彼女の手首を取って脈を計り、胸に耳を寄せてみるが、脈もなく心臓の音も聞こえない。
明らかに、少女は生きていなかった。「なんなんだ・・・一体・・・?」
少女を抱いたまま愕然とする。
部屋に戻ればいきなり見知らぬ少女が存在して、自分が最強と謳われた暗黒剣だと名乗り、その挙句に死んでしまった。『・・・何を呆けておる。妾はこっちじゃぞ』
「え?」声が響いた。
耳から聞こえた声ではない。セシルの思考に無理矢理割り込んできたような声だ。昔聞いた誰かの言葉を思い出す時、その誰かの声と一緒に思い出すような感じに居ている。『それは単なる人形じゃ。剣のままでは自分で身動きとれんのでな』
剣、と言われて思い出す。
彼女が召喚した?剣は、傍らに落ちていた。
ゆっくりと少女の身体を床に降ろし、代わりに剣を拾ってみる。「デスブリンガー・・・?」
『そう。これで納得したか?』手にした瞬間、震えが走った。
シャドーブレイドも滅多に無い一級品の暗黒剣だと感じたが、この剣はそのシャドーブレイドすらも凌駕する。
いや、むしろシャドーブレイドなどこの剣に比べれば、おもちゃの竹刀に等しい。鞘という封印に収まった状態でありながら、手にしているだけでこちらの精神を呑み込まんばかりの威圧感が伝わってくる。その威圧感の正体は圧倒的な力だった。本来、暗黒の武具というのは人間の怨念が込められたものを差す。大概は剣を作った人間の念が込められているが、シャドーブレイドのような力が強い暗黒剣は、長い年月を経て使われ、その剣で斬った人間斬られた人間、そのせいで不幸になった者たちの怨念が刃に宿ったものだ。
暗黒の鎧や兜も同じパターンで、武具を身に着けた人間が殺されたり殺したり不幸にしたり不幸にされたり―――それが原因で発生した負の感情が蓄積されて強い暗黒の武具となる。
だが、今セシルが手にした剣はそれらのモノとは一線を画していた。
これは人の感情で産み出されるダークフォースではない。もっと別の、根源的な闇の力だ。ドクンドクン、とさっきから自分の心臓の音が五月蠅く響く。
今、自分が手にした力がどれほどのものなのか試してみたい。シャドーブレイドを全力で解放した時は、バロン陸兵団全軍を足止めするほどの威力だった。だが、このデスブリンガーならば?
足止めなんて生ぬるい。一瞬で消滅させることができるに違いない。―――そうと思わせるくらいの力を、この剣からは感じられた。抜いてみたい抜いてみたい。
振るってみたい振るってみたい。
発作的に、この剣で何かを斬ってみたい衝動に駆られた。
できれば斬りにくいものが良い。簡単には斬れないものが良い。動かないモノじゃだめだ。そんなものは振り下ろすだけでまっぷたつだ。動物や魔物もあまりおもしろくない。あれらは動くが、剣の対処の仕方を良く知らない。自分の技なら容易く切り刻めてしまう。ならば人はどうだろう。人なら剣の使い方を心得ているものが多い。ただでは斬られまい。そんな者たちを斬る。なんとも心躍る遊戯だろうか。決めた、決めた。
人を斬ろう、人を斬ろう。
この手にした最強の剣で、心ゆくまで人を斬ろう―――「・・・・・・」
セシルは無言で剣を抜いた。
闇の剣は、その刀身も漆黒だった。
飾り気のない、意匠もなにもない無骨な刀身。だが、暗黒騎士ならば誰もが目を奪われるだろう。刃そのものにではなく、その刃に秘められしダークフォースの輝きに。
その輝きを目にしてみれば、チャチな飾りなど無粋でしかない。思った通りだ、とセシルは感動した。
この剣は美しい。素晴らしくも輝いている。闇の色に、普通の人間には見えないだろうダークフォースの色に輝いている。
さっきから苦しいくらいに心臓の鼓動が高まっている。
早く早く、この美しい闇の剣で肉を切り裂きたい血の飛沫で剣を彩りたい、人の恐怖と苦痛に満ちた悲鳴を奏でたい―――「なんてね」
ふう、と嘆息してセシルは剣を鞘に収めた。
さっきまで五月蠅く高鳴っていた鼓動は、今はもう静かに平静を保っている。『ほう。妾のダークフォースをいとも容易く抑え込むか』
「・・・あんまりふざけないで欲しいな。もしも僕がダークサイドの誘惑に墜ちてしまったらどうするつもりだよ」
『そうなれば貴様に絶望と破滅が訪れるだけじゃ』あっさりと言うデスブリンガーに、セシルは渋い顔をした。
デスブリンガーの話は耳にしたことがある。
最強の暗黒剣。
だが、最強故にその剣を使いこなせた暗黒騎士は少なく、大概の者は剣の力の試したい衝動を抑えることができずに身近な人間、大切な存在、自分が愛した者を切り刻み、絶望し、そして自らも破滅する。セシルが知る限り、この剣を使いこなせたのはたった一人だけだった。
『まあ、お主なら大丈夫と思っておったがの。なにせ妾と同じモノであるし』
「? よくわからないけど・・・」
『知る必要もない。お主が人として生きていくつもりならば、知っても無意味なことじゃしの』デスブリンガーの言うことはよくわからなかったが、無意味と言われたなら別に無理して聞き出す必要もないと判断。
セシルは、ベッドの上に剣を置くと、床に倒れたままの少女を抱いて持ち上げて。「それより、これは一体なんなんだ? 人形って言ったか?」
『じゃからそれは妾が自力で移動する為に作ったモノじゃ。ちなみに名前はエニシェル』
「いや、それはいいけど。これをこのままにしておくわけにも行かないだろう? どうすれば良い?」
『どうするも何も、それは―――』と、その時、部屋のドアが開いて、ギルバートが姿を現した。
「セシル、チョコボの用意が出来たって―――」
入ってきたギルバートはセシルを見て動きを止める。
正確には、セシルとその腕に抱かれた少女を見て、だ。「あ・・・ええと・・・・・・・・・ごめんっ」
ギルバートは顔を真っ赤にして謝ると、即座に部屋の扉を閉める。
ばん、と戸が閉まる音と同時に、ばたばたと慌てて廊下を逃げるように駆けていく足音が遠ざかっていって―――「えっと・・・もしかして、なんか誤解された・・・?」
『ふむ。白昼に人気のない部屋で気を失った少女を抱いてベッドに向かおうとしている―――どういう楽しげな誤解をしたんかのう?』
「楽しいわけあるかーっ!? ちょ、ちょっとこれ、早く何とかしてくれッ。誤解を解かなきゃッ」
『えー、いいじゃん、誤解させ解けばいいじゃん。きっと楽しいじゃんじゃん』
「・・・なに、その口調」
『軽口言う時専用の若者口調じゃ。じゃん、とかいうと若者っぽかろ?』
「そ、そうかな・・・・・・じゃなくて、早くこれをどうにかしてくれよッ」
『お主が何とかしても良いのじゃぞ・・・?』ぽん、とセシルは乱暴に少女―――というか人形を、デスブリンガーの上に放り投げた。
そのまま、ギルバートを追いかけて部屋を飛び出す。後には、人形と自分の人形に下敷きにされた暗黒剣が一振り。
『おーい、こんな雑な扱いをしおってー、呪うぞー』
投げやり気味に思念を放ってみるが、向こうから反応はない。
やれやれ、とデスブリンガーは呟くと、意識を剣から人形へと移した。
人形になったデスブリンガー―――エニシェルが、身を起こしてぱちん、と指を鳴らすと自分が下敷きにしていた暗黒剣が黒い光となって少女の身体の中に消える。そしてベッドを降りて、ふと気が付いた。
床にはセシルの暗黒の防具が転がっている。
「ふむ。自分の装備を忘れるとはせっかちさんじゃのう」
レオンならばこんなボケは絶対にしなかった、などと呟きながら、エニシェルは部屋を出て行った―――