第9章「別れ行く者たち」
M.「限られた選択肢」
main character:セシル=ハーヴィ
location:ファブール城・王の寝室

 

 エブラーナがバロンに攻め込み―――
 そして、撤退を開始した頃。

 セシルは目を覚まし、ファブール王の御前に居た。

 

 

 

 そこは寝室だった。
 しかも王の寝室であったが、質実剛健を旨とするファブールらしく、内装は抑えられ、ベッドも貴族や王族が眠るような天蓋やシルクのカーテンのついたような豪奢なベッドではなく、普通のベッドだった。
 ただ、せめて大きさだけでも王に相応しいものを、と考えたのか知らないが、その大きさは大人4,5人が並んで眠れるような、馬鹿みたいな大きさだ。
 そのベッドの中央で、ファブール王が横たわっていた。

 バロンとの戦争の最中、暴走したセシルのダークフォースに耐えきれずに倒れ、そしてその後遺症は、戦争が終わった今でもファブール王ラモンの身体を蝕んでいる。
 負のエネルギーが正のエネルギーである生命力を抑えこみ、まともに動くことも出来ない。

 それが、全て自分の責任であると痛感し、セシルは沈痛な面持ちでヤンやギルバートと一緒にベッドの前に跪いていた。

「・・・そうか・・・風のクリスタルは無事だったか・・・」

 ベッドに伏せったまま、起きあがることも、こちらに顔を向けることすら出来ないファブール国王に、見えないと解っていながらギルバートが反射的に頷いて「はい」と答える。
 その隣でヤンが沈痛な面持ちで続ける。

「ですが、多くのモンク僧が失われました―――特に、ホブス山の一件と合わせ、多くの若い命が・・・・・」

 最後まで言葉を続けられず、「くっ」と呻いて言葉を切る。
 結果としてクリスタルを守ることは出来たが、その犠牲は微々たるものではなかった。
 それも、バロン兵の数に対抗するべく、こちらもまだ若く未熟なモンク僧までも掻き集め、数の差をギリギリまで埋めようとした―――その結果、時代のファブールを担ったであろう、若者たち―――まだ20に歳が届いていない、セシルよりも年下で、中にはリディアと歳が近しい子供まであった―――の大多数が散ってしまった。若者たちでなく、熟練の僧兵も多く失われた。

 そのヤンの言葉を受けて、セシルは口を開いて―――少しの間だけ躊躇った末に、言葉を吐いた。

「しばらく、あと数年はファーブルのモンク僧は軍事力として機能できないでしょう。今回は退けることが出来ましたが、もしも次にバロンが来れば―――」
「セシル殿! 我らが負けると言うのか!?」

 セシルの言葉を皆まで言わせずに、ヤンが激昂する。
 だが、ヤン自身にも解っているのだろう、今回の戦争で受けた打撃は生半可なものではないと。

 いや、むしろ、バロンの軍隊とぶつかりあってこの程度で済んだのは僥倖とも呼べる。
 戦争というよりも、バロン軍の一方的な殲滅戦―――そう言えるくらいの戦力差があったのだ。
 そんな戦力差でありながら、大打撃を受けながらもバロンを追い払うことが出来たのは、ヤンの隣に居る、この暗黒騎士だったのだ。

 だからこそ、ヤンはセシルの口から敗北宣言など聞きたくないと思ったのかも知れない。

「負ける」

 だが、セシルはきっぱりと言い切った。
 ぐ、と奥歯を噛み締めるヤンに構わず、セシルは言葉を繋げる。

「今回だって、ファブールが勝てたわけじゃない。ただ、バロン軍が引いてくれただけだ。エブラーナが侵攻してくれたお陰で、バロンは引かざるをえなかった。だけど、おそらく次はそうは行かない。きっと、バロンの次の標的はエブラーナだろう」
「そして、エブラーナの次にまたファブールを・・・?」
「僕たちが要求を呑まなかったらね」

 要求というのは、ゴルベーザが去り際にリディアに伝えたことだった。

 女を返して欲しければ、クリスタルを持ってバロンへ来い・・・と。

 女というのは去り際に連れ去られたローザの事だ。

「・・・では、クリスタルをゴルベーザへ引き渡すと? 多くの同胞たちが犠牲となり、ようやく守り抜いたクリスタルをわざわざ送り届けてやるというのか!?」
「そうだ、と言ったら?」
「・・・いくらセシル殿でも、それを認めるわけにはいかぬ。四肢を砕いてでも止めさせて貰う」

 ヤンの顔は本気だった。
 もしもセシルがクリスタルを持ち出そうとすれば、本当に四肢を砕いて行動不能にしてでも止めただろう。
 真面目な顔をするヤンに、しかしセシルはにこりと微笑んで。

「じゃあ、ローザは見捨てられるわけだ」
「それは・・・!」

 一転して、ヤンの表情は青ざめた。
 クリスタルを渡さない。それはつまり、ローザを見捨てることに他ならない。

「それは・・・しかし・・・・・・」

 奥歯を噛む。
 なにか、感情を堪えるときのヤンの癖なのかも知れない。
 ただ、さっきのような怒りではなく、戸惑いに似たものであるせいか、その力は弱い。

 ローザを見捨てるか、クリスタルを渡すか。

 迷い、惑い、逡巡するヤンに、セシルは笑いながら、

「ヤン、貴方は良い人だ」
「は?」
「ローザは僕にとって大切な人だ。けれど、ファブールにしてみればただの一人の女でしかない。モンク僧兵たちが命がけで守り抜いたクリスタルと釣り合うような存在でもない。だから、女一人ごときといって見捨てることも簡単なのに、あなたは迷ってくれた」
「それは・・・違う。彼女はセシル殿と同じく、ファブールの客人だ。しかも、このファブールを救う為に戦ってくれた同胞でもある」

 と、そこまでヤンが言ったところで、セシルは笑みを消してバツの悪い顔を見せる。
 ローザはバロンとは戦っていない。
 暴走したセシルを相手に戦っただけだ。

「そんな女性を、見捨てることは・・・できない」
「ならどうする? クリスタルを渡すのか?」
「それは・・・」

 そこでまたヤンは押し黙る。
 見捨てることも、渡すことも。どちらもヤンにはできない選択だった。

「クリスタルを渡さずに、ローザを助ければいい」

 不意に、そう言ったのはギルバートだった。
 ヤンははっ、としてギルバートを振り返る、が首を横に振る。

「そんな・・・都合の良い話が上手く行くはずが―――」
「どうかな? でも、セシルは元々そのつもりなんでしょう?」

 ギルバートがセシルに振ると、彼は「ああ」と短く答える。
 ヤンは今度はセシルを振り返り。

「そんな無謀な! さきほど、ファブールはあと数年は軍隊として機能しないと・・・! そんな戦力で、どうやってバロンと戦い彼女を救い出すというのかッ!」
「ファブールの力だけじゃ駄目だ。・・・けれど、ダムシアンの戦力も加えれば・・・」
「あ・・・」

 ファブール、ダムシアンにはバロンやエブラーナのように軍隊と呼べるものはない。
 代わりに、国を守る力としてファブールにはモンク僧兵が、そしてダムシアンには金で雇った傭兵たちが居る。

 しかも、ダムシアンはバロンと戦闘をせずにクリスタルを渡した。
 去り際の爆撃に、何割か打撃を受けたとしても、ファブールよりは整った戦力がある。

「しかし、それでもバロンに対抗するには―――」
「そうだね。ファブール、ダムシアンの力を合わせてもバロンに対抗することは難しい。せめてエブラーナが加われば、互角以上に戦えるのだけど、流石にそこまで連携を取れる余裕は、時間的に存在しない。だから、攻める今、速急にだ」
「そうか、エブラーナに攻め込んでいる隙に、か」
「そう。そして攻めるのは海からだ。ファブールからホブス山と、ダムシアン南の山脈を越えていくよりも海路の方が圧倒的に速い」
「しかし、海路はリヴァイアサンが・・・」
「それはリディアが何とかしてくれる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・多分」

 リヴァイアサンについては、ちょっと自信無さそうにセシルが答えた。
 古くからの戦の書をひもといて、あまたの戦術・戦略に通じるセシルだったが、魔道関係には少し疎い。
 魔道に類する召喚魔法について、リディアがどれほどの力を持っているのか正直解らないが、彼女の母であるミストが言うには、現在ではシクズスのガストラ帝国のせいで、召喚士の力が弱まっているのだとか。
 ミスト自身も、ミストの村以外で召喚魔法を扱えるか不安だと言っていた。

 しかし、リディアはミストの村以外でも召喚魔法を扱い、しかも母が使役していたミストドラゴンよりも巨大な巨人を呼び出したり、カイポの村では敵が送り込んでくる魔物たちを送り返し、その通路を閉じて見せた。
 もっとも、その力は不安定であり、自由に巨人を呼び出せるわけでもなく、カイポの村でも変身したティナに助けられてのことだったが。

 それでも、その力は母であるミストと同等以上の力があるのではないかとセシルは思っている。
 いや、そう思い込もうとしているのかも知れない。だが、バロンにかつには海路から攻め込むしかないのだ。

「陸路からあの城を攻め込むのは難しい。城門が一つしかなく、他は高い城壁と深い水堀に囲まれている。けれど、海路からなら攻めるのも容易い。バロンの軍港は、城と直接繋がっているから・・・」
「海からならば直接乗り込める」
「そう。だからこそ、以前は海兵団の規模も大きく、バロンの軍団の中でも、竜騎士団と1、2を争う勢力だったらしい。当然守りも堅く、陸路以上に攻め込むのは困難だった―――けれど、今はリヴァイアサンという脅威が海にいる。その結果、海兵団は今では船を出すことも出来ずに事実上無効化している。一応、海兵団という組織はあるけれど、現状では兵士たちは他の軍団に分散されて、軍港を守る―――・・・というよりは、管理している兵士たちはかつての一割にも満たない」

 セシルの戦略にヤンが明るい表情を浮かべる。
 だが、対照的にギルバートは慎重な面持ちで言葉を返してきた。

「そういうセシルの考えを読んでいる可能性は」
「・・・無いとは言い切れない」

 召喚士であるリディアがこちらに居るのはバロンは知っているはずだ。
 そして、カイポの村を魔物に襲撃させた黒幕が、ゴルベーザだとしたら―――それ以外にセシルは思いつくことが出来なかったが―――リディアの力も解っているだろう。
 だとすれば、リヴァイアサンを返還させる可能性も考えるのかも知れない。

 正直、セシルはリディアの力を計りかねている。
 ティナとローザが居なくなってしまった今、こちらの陣営にはマトモに魔法を扱える人間がリディア以外に居ない。
 カイポで示した力で、果たしてリヴァイアサンを送り返せるほどの力なのか、それがセシルには解らない。

(・・・もしも、リディアの力が海竜にすら通じる力なら、当然、ゴルベーザは警戒するだろう。けれど、リヴァイアサンに通じない力なら油断する―――けれど、それはつまり送り返す可能性が限りなく低いと言うことだ)

 ・・・どちらにしろ分の悪い戦略だと自分でも思う。
 けれど、陸路を攻めるのはさらに分が悪い。

(なんにしても、元々、勝ち目の薄い戦なんだ。それは、最初から分かり切っていることだろう、セシル=ハーヴィ!)

 段々と弱気になってきた自分を叱咤する。
 それから、ギルバートの方を向く。

「読まれているかも知れないし、読まれていないかも知れない」
「それでも、海を行くと? リヴァイアサンに船を沈められるかも知れない危険を犯して?」
「ああ。バロンに勝つにはこれしかない。そして別の策を練っている余裕もない―――好機は僅かの間、バロンがエブラーナに攻め込んでいる間だけだ」
「そういう君の考えを読んで、エブラーナに侵攻せずにバロンで待ちかまえている可能性は?」
「それはない―――逆に、待ちかまえていてくれるなら、こちらにとっても有り難いんだ。向こうが待ちに転じていてくれれば、それだけ準備する時間が出来る、僕たちもエブラーナも」

 もしかしたらエブラーナとの共同戦線が組めるかも知れない。
 そうなれば、奇策・奇襲を用いなくともバロンに真っ向から対抗できる。

「けれど、それはまず有り得ない」

 ゴルベーザという男は、絶対に待たない。
 待つよりも先に、潰しにかかる。ミストの襲撃から始まって、ダムシアン、ファブールへと続けて攻め込んだ。その間、まだ一週間ほどしか経っていないのだ。セシルのミシディア襲撃から数えても、まだ半月も経っていない。

 ファブール戦での被害を整える為に、三日程度は部隊再編と飛空挺や武具の整備に費やすかも知れないが、それ以上は待たないだろう。ゴルベーザと出会って、まだ長いとは言えないが、それでもセシルにはそうと断言することができた。

「特にエブラーナの侵攻速度は非常識なほど速い。・・・正直、僕も驚いているくらいだ」

 主力がファブールに出ている隙を狙って、エブラーナがバロンに攻め入ることは予想していたが、セシルの見立てではあとい1日2日程度は遅いと思っていた。それでも、早くてそれくらいだと予測していたのに、その予測をエブラーナの速度は上回っていた。

(・・・実際、かなり助けられた)

 あと1日か2日、エブラーナが遅かったらあっさりとクリスタルは奪われていたはずだ。
 城の中まで攻め込まれたとき。セシルの暴走であの場はバロンを追い返すことができたかもしれないが、ファブール王を初めとする国の重鎮たちは倒れ、セシルとバッツも戦闘不能。モンク僧兵たちも傷つき、唯一無傷なのがヤンだけでは勝負は見えている。

「だからこそ、バロンは・・・ゴルベーザは速攻でエブラーナに攻め込む必要がある。先手を取るために、最低でも先手を取られないために」
「セシルの策を読もうと読むまいと、ゴルベーザはエブラーナを抑える必要がある・・・」
「そういうこと。そして、僕たちも向こうが読もうと読むまいと、海路を攻める以外に活路は残されていない」

 セシルが言うと、もうギルバートに反論異論は無いようだった。
 うん、と納得したように頷くと口を閉じる。
 と、代わりにヤンが尋ねてきた。

「それで、クリスタルはどうするつもりだ? 持っていくのか?」
「持っていくつもりはない。元々、交渉の通じる相手じゃないしね。クリスタルを差し出しても、無事に全てが収まるとは思えない―――かといって、この城に置いていくのも危険だ。今のファブールの防衛力じゃ、何も守れやしない」

 辛辣とも言えるセシルの言葉に、ヤンは渋い顔で返した。
 頭では解っていても、感情ではそんなことはないと叫びたいのかも知れない。

 ―――感情は、とくに怒りという激情は、戦争において時にその攻撃威力を苛烈なものとし、勝利に導くこともある。
 だが、感情だけでは戦争には勝てない。
 どんなに力を込めても、全力、或いは全力以上の力を出し切ろうとも、人間には限界というものがある。

 限界を超える為に修行を繰り返すのがモンク僧だ。
 そんなことを言っても、ヤンは否定するだけだろう。
 だからセシルはヤンの感情を無視した。

「・・・弱さを認められぬなら、それ以上に強くなることはできんよ・・・」

 ぽつり、呟いたのはファブール王だった。

「弱さを補う為に、人は強くあろうとする―――自分の弱さを自覚できないのなら、なにを鍛えるべきかも解るまい」
「・・・ラモン王・・・・・・それは、確かに」
「ならばヤン、認めよう。今のファブールはバロンに立ち向かえるほど強くない・・・」
「くっ・・・」

 ヤンが悔しそうに唇を噛む。
 自分の王の言葉だとしても、納得できないものがあるのだろう。
 それでも、王の言葉をないがしろにできない。渋々ながら口を閉じて、それ以上口をはさむ様子はないようだった。

 やれやれ、とセシルは心中で肩を竦めた。
 ヤンは、どこか自分の力に過信しているところがあるようにセシルには思えた。
 セシルの能力を信頼している一方で、セシルに頼らずとも勝てる、と思い込んでいるのだろう。
 その奢りが、ゴルベーザの奸計に乗り、バロン軍を城内に攻め込ませることとなった。

 自国や自分自身の力を信じることは悪い事じゃない。
 だが、過信しすぎればそれは悪にもなる。
 それを抑える意味で、セシルは先程からヤン、あるいはファブールに対して挑発的な言葉を吐いていたのだが。

(・・・ラモン王が諫めてくれて助かったな。これ以上は逆効果になるところだった)

 胸中でセシルは反省する。
 ヤンは決して自信過剰なわけではない。
 だが、それでも長年厳しい修行に耐えきってきた誇りもあるだろうし、生まれ育った自分の国を愛してもいる。

 そのあたりを、セシルは少しばかり理解が足りなかった。

(僕もまだまだってところかな・・・)

「それで・・・セシル殿。クリスタルは如何するおつもりかな・・・?」

 口を閉じたギルバートとヤンの代わりに、ラモン王が尋ねる。
 時折、弱々しく咳き込む。
 喋るだけでも、辛いはずだ。
 だからこそ、セシルは簡潔に答えた。

「信頼の置ける男に託そうと考えております―――」

 


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