第9章「別れ行く者たち」
L.「愛の逃避行」
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character:エドワード=ジェルダイン(エッジ)
location:バロン城
一瞬だけ時間が止まった。
それは錯覚だったのだろうが、しかしエッジは確かに体感的に時間が止まったようにも感じられた。
一瞬の時間停止の中で、思考時間は無限にあった。その中で、これからどうしたものかと悩み考え―――「・・・あ!」
エッジとユフィ、それから兵士の三者の中で一番早くに動いたのは―――というか考えがまとまったのはユフィだった。
あわててエッジから離れようとしながら、口を大きく開ける。悲鳴でも上げて、被害者を演じるつもりなのだろうが。だが、遅ればせながら動いたエッジの敏捷は、ユフィの行動力を上回っていた。
離れようとするユフィを逃すまいと無駄のない自然な動きでユフィの腰を腕で抱き寄せる―――と、そのまま悲鳴を上げようとした口を塞ぐように。「・・・!!」
キスをした。
ぶちゅう、と下品な擬音が聞こえてきそうなほどの、勢い良い接吻だ。
実は勢い余って歯と歯ががちんとぶつかり、目と目の間に火花が散るような痛みを感じたが、我慢してエッジはユフィの唇に吸い付く。「んぐーっ!?」
ユフィは口づけされたままうなり声を上げ、エッジから逃れようとするが、腕力では叶わない。
結果、十数秒ほどディープ・キスをしてからエッジはユフィの唇を解放した。「ぷはあぁっ」
ふさがれていた口を開いて、ユフィは酸欠気味の肺の中に新鮮な空気を吸い込んだ。
そうやって彼女が息を整えている間に、エッジは真摯な表情でユフィを見つめ、真剣な声で言った。「・・・ユフィ、愛してるぜ」
「はあ・・・はあ・・・・・・・・・はああ?」突然のラブコールにユフィはなにがなんだか解らずに、文句を言うことすら忘れ、あっけにとられた表情でエッジを見返す。
「敵の本拠地のど真ん中で、味方は俺一人、お前一人・・・だがっ、俺は絶対にお前を守りきってみせる! 約束だ!」
「・・・ちょっと待て」ようやく、エッジの真意に気がついたユフィは制止の声を投げかける、が無論止まるはずもない。
エッジは大仰な身振りで、唐突なラブロマンス(もどき)を困惑したまま眺めている兵士を振り返った。さらに、その顔面に向けて指先を向ける。「というわけでっ、俺とユフィの愛の逃避行を止められるものならば止めて見るがいい、ノゾッキー一号!」
「誰が覗きだ!?」
「貴様だ貴様! さっきから俺とユフィの―――」
「てコォラ!」ごいん。
ユフィの固められた拳が、エッジの後頭部を強打する。
エッジは軽くよろめいて、涙目でユフィを振り返った。「なにしやがるハニー!」
「誰があんたのハニーだ!」
「世界中の全ての女に決まってるだろがッ!」
「うわ、言い切った!? ・・・じゃなくて、あのー、兵士さん? コイツの戯言信じないでくださいねー。私は人畜無害なお城のメイドー・・・って、いないし!?」ユフィが兵士の誤解(?)を解こうとしたときには、すでに兵士の姿は居らず、中途半端に開け放たれた扉があるだけだった。
代わりに、その扉の向こうから、「侵入者だ! エブラーナの忍者が居たぞっ!」
「なにぃっ!? どこだっ!」
「あそこの部屋だ! ユフィってメイドも仲間だったらしい!」
「なんとっ! あの全自動式お騒がせ娘が!?」
「そう。なんかこのところ城で起こった騒ぎのウチ、八割はあの女の関与したものといわれる、驚異のらんちきメイドだ!」
「なるほど・・・エブラーナのスパイだったとしてもおかしくないな・・・というよりむしろ納得!」
「チッ。メイドのフリして実は密偵だったとは・・・そう言えば、カイン隊長とレオ将軍との手合わせを、見せ物にして煽ったのも・・・?」
「ああっ! バロンとガストラの対立を誘う為の工作だったのかもしれん・・・!」とかなんとか聞こえてきた声に耳を澄ませ、エッジはユフィを振り返る。
「・・・お騒がせ娘?」
「誰がスパイだーっ!? てゆーか、見せ物は純粋に小遣い稼ぎであって!」
「ンなこと言ってる場合じゃねえ! 逃げるぞ!」エッジは強引にユフィの腕を引っ張って部屋を飛び出す。と。
「逃がすかーっ!」
ちょうど、応援を連れてきたさっきの兵士と鉢合わせするところだった。
剣は腰の鞘に収まっている。
兵士は、一瞬、剣を抜くかどうか迷ったようだったが、すぐにこちらに向かって手を伸ばしてくる。だが、エッジはユフィの腕を掴んでいるのとは逆の手で、のばされた手首を掴み返すと、そのまま軽く引っ張った。ただそれだけで。
「せいっ」
「のわっ!?」兵士の身体が宙に舞い、一回転して床に叩き付けられる。
「見たかよ! 極々最小限の動作で、相手の重心を狂わし、投げ飛ばす―――これぞエブラーナに伝わる秘技!」
空気投げ
「―――って、格好つけてるばあいじゃないだろっ! 早く逃げないと!」
投げ飛ばされた兵士に向かって、エッジがにやりと笑って見下ろす。そのエッジの手を、今度は逆にユフィが引っ張りながら怒鳴る。
兵士が呼んだ応援が、次々に殺到してくる。
今度は剣を抜いている―――振り回された刃の切っ先を、紙一重でかわしてエッジは舌打ちしてユフィに引っ張られるまま後に続いた。「逃げるよ!」
「どこに! 当てはあるのかよ!?」
「当てしかないッ」
「うわ。なんかそれ、不安な・・・」
「なんもないよりかはマシっ! イチバチだけど、仕方ないだろっ!? それとも、徹底抗戦する?」ユフィと並んで走りながら、エッジは少しだけ悩んだ。
ちなみに、すでに手は繋いでいない。「・・・相手が女の子だったらそれもいいんだけどなあ・・・ああっ、なんてムサくるしいところにきちまったんだ、俺はっ!?」
「だーまーれ、この色ボケ王子! ・・・ああああ、なんでこんなヤツと初キッスを〜」
「はははは。犬に噛まれたと思って俺は諦めた」
「おい。それはどっちかというとアタシの台詞だろうがーッ」
「まあラッキーだと思っておけよ。俺とキスできるなんて光栄なことだぜ」
「ありがたすぎて涙が出てくる」
「いや、そう言われると照れるな〜」
「皮肉だっちゅーのっ!」フォールスの忍びの国と、セブンスの忍びの里。
二人とも、場所は違えど忍者としての訓練を受けて育った忍びである。
そんな二人に、鎧を身に着けた兵士たちが追いつけるわけもない。あっさりとブッちぎって、何度目かの角を曲がったところで振り返れば、すでに兵士の姿は見えない―――が。「いたぞっ、こっちだ!」
「ちっ!」別の兵士たちがエッジたちを見つけ、追いすがってくる。
敏捷ではエッジたちのほうが遙かに勝っているが、エッジも言ったように、ここは敵地のド真ん中だった。
地の利は向こうにあるし、なによりも数が違う。いつかは追いつめられてしまうだろう。(雑兵なんぞ敵じゃねえが、雑兵じゃねえやつが出てこられると厄介だしなー)
正直言って、バロンの兵士程度、エッジ一人でも全滅・・・とは行かずとも、それなりに蹴散らすことはできる自信はあった。
ただ、それに手間取っているうちに、カイン=ハイウィンドやレオ=クリストフ、それから謁見の間でエドワードと互角以上に渡り合った少女や、化け物と化したベイガンなんかに出てこられると分が悪い。もしかすると、エドワードの自爆に巻き込まれて死んだかも知れないが―――それは希望的観測に過ぎないことを、エッジは解っていた。
あの程度の自爆でやられるような相手ならば、エドワードはそもそも自爆などしない。「くそっ! おい、ユフィ。その当てってのは―――」
「すぐそこっ! 黙って走れ!」
「・・・ちぃっ!」ユフィに言われ、エッジは黙って足を動かす。
何度か廊下を曲がり、兵士たちと遭遇しては逃げたりやり過ごしたりして、やがて。「あそこっ!」
棟と棟を繋ぐ渡り廊下に出た。
壁はなく、廊下の中央に何本か並んだ柱が天井を支えている。
左右はそのまま外に続いている。外と言っても、片側はすぐに高い内壁が視界を塞いでいる。如何に忍者といえども、この壁を越えるのは難儀だろう。
その反対側はというと、花一つ見えない色気の無い中庭で、兵士の訓練場にでもなっているのか、所々に人型を摸した人形やら、折れた槍の柄らしきものが落ちていたりする。
庭の片隅には古ぼけた井戸があり、古ぼけた滑車に綱が架かっているが、その綱は井戸の中に入る直前でぷっつりと切れていた。涸れ井戸なのか、今は使われていない用だった。
庭の反対側には、エッジたちが居るのと同じような渡り廊下が対になってあった。さらにその向こうにも内壁が見える。
外には出れたが、しかし城の外にはどう考えても出れそうにない。「こっち!」
ユフィは迷わずに中庭へと飛び出すと、涸れ井戸へと駆け寄った。
「まさか・・・」
嫌な予感がして、エッジはユフィの行動を見守る。
と、ユフィは迷わずに井戸の中へと、まるで身投げするように飛び込んだ。「おいっ!」
止める間もなく。
ユフィの身体は吸い込まれるように井戸の中に消えてしまった。慌ててエッジは井戸に駆け寄った。
その中をのぞき込む・・・が、真っ暗闇で何も見えない。「・・・おい、ユフィ!」
井戸の中に呼びかけてみる。
が、自分の声が反響するだけで返事が返ってこない。「・・・マジかよ」
自分も飛び込もうかどうしようか逡巡する。
が、迷っているだけの時間は無さそうだった。
複数人の足音が、この中庭に向かって殺到してくる。しかも、中庭の両側の渡り廊下からだ。「ま。野郎に捕まってアレコレされるより、井戸に身ぃ投げて死んだ方がマシか」
可愛い女の子相手だったら、むしろアレコレされたいんだがなー。
などとぶつくさ呟きつつ。
躊躇いも、逡巡も無くして、エッジはあっさりと井戸の中に飛び込んだ―――