第9章「別れ行く者たち」
J.「風の羽衣」
main character:ジュエル=ジェルダイン
location:バロン城下町・門前広場

 

 

 ―――爆音が、聞こえた。
 城の方からだ。
 しかも聞き覚えのある爆音。間違いない、あれは―――

(エドワードの火遁術・・・!)

 確信を持って、ジュエルは城の方を見る。
 外観からは城に変化はない。だが、城の中で何かが起こっていることは確かだ。

(さっきの爆音・・・通常のモノよりも、火薬が多かった気がする―――エドワード、まさか・・・・・)

 忍者として鍛え上げられた、ジュエルの聴力は、遠く距離の離れた、しかも城の中の爆音を捉えることが出来た。
 だが、音だけで正確にその爆発力を計れたわけではない。
 あくまでも “そんな気がする” 程度の感覚だったが、そう言った勘は、特にこういった局面では良く当たると経験で知っていた。

(どうしよう・・・エドワードを助けに行こうにも―――)

「どこを見ておるかぁぁぁぁっ!?」
「―――ッ!」

 殺気に、ジュエルは反射的に身をのけぞらせた。
 剛拳が、眼前を通り過ぎる。
 ぶわっ、と極小さな突風が、ジュエルの髪の毛を強く跳ね上げた。

「ぬううううっ! さっきからちょこまかとっ! 一回くらいは当たってみんかい。サービス悪いぞー!」

 そんなことを言ってきたのは、筋骨隆々の壮年の男だった。
 若く見えるだけで、もう老人と呼べる歳なのかも知れない。
 歳はそれなりに老いているようだが、しかしその肉体はまだ若者に劣ってない。劣っていないどころか、おそらくはジュエルやエドワードよりも上に違いないが・・・

(肉体のスペックは完全に向こうの方が上ねー。とゆーか、何食べてどんな運動したら、あんな身体になるのかしら)

 突き出された豪腕を見て、ジュエルは呆れ半分苦笑半分。
 その男の肉体は、もの凄く簡潔に描写するならば “引き締まっている” の一言に尽きる。
 普通、人間の身体というのは、ある一定のピークを過ぎると、歳を取る事に、筋肉は衰え、筋肉を覆う皮には余分な脂肪がひっついて垂れ下がっていく。
 それが、その男の筋肉は衰えた様子もなく、皮も張っている。
 だからといって、ぎちぎちに筋肉が固まっているわけではない。筋肉を動かすには相応の酸素が必要だ。だから、筋肉が多すぎるとそれだけ酸素も必要になり、ヘタをすると筋肉の隅々まで酸素が行き渡らずに、使えない無駄な筋肉が出てきてしまう。

 加えて、筋肉というのは重い。
 重いと、当然だが、その分だけ速度が鈍る。
 どんなに筋肉があろうとも、速度が出なければ、拳を振るっても強い打撃は打てない。なによりも、当たらない。

(結局は効率なのよねー。どれだけ効率よく筋肉を動かせるか―――逆に言えば、どれだけ自分の体格で、100%に近い効率で動かせる筋肉を付けられるかなんだけど・・・)

 男の身体は、まさに理想型だった。
 100%の筋力を引き出せる筋肉、ではない。
 120%の力を引き出せる身体だ。
 効率の良い筋肉を身に着けただけではなく、その上で筋肉をよりしなやかに、柔らかく、なおかつ強く、鍛え上げている。

 対して、ジュエルたち忍者は、筋力よりも瞬発力、俊敏さを考えて身体を作っている。
 筋肉は付けるモノではなく、むしろ落とすものだった。
 特にジュエルは女忍者―――くの一だ。
 男性とは骨からして身体のつくりが小さく、軽くできている。長所でもあり、短所でもあるそれを最大限有効活用する為に、瞬発力を支える必要最低限の筋力を残して、後は落としている。

 俊敏さなら、ジュエルはエブラーナ忍軍でも群を抜けている。
 長距離ならともかく、短距離ならエドワードよりも速い。
 そのジュエルに、男の速度は迫っていた。

 豪腕が、再びジュエルの身体をかすめる。
 クリーンヒットは一つもないが―――一つでもあれば、今頃はお陀仏だ―――何度もかすっている。
 攻撃速度が速い。が、それだけではなく―――

(経験の差かしらね?)

 スピードだけなら、確かに速いがしかしジュエルほどではない。
 だが、その速度の差を、男は経験による先読みで補っていた。
 ジュエルの動きの二手三手先を読み、攻撃の間にフェイントをはさんで罠を仕掛け、或いは先回りしてジュエルの回避した方向へと連撃を叩き込む。

 辛うじて、先回りよりもジュエルの速度が上回って、捉えられずに居るが、振り切れない。
 回避に専念しているから、かわし続けて居られるが、離脱しようとすれば隙が産れる、その隙を見逃してくれるほど、相手は甘くないだろう。

(まずいわね。このままじゃ、こっちのスタミナが先に切れる・・・)

 身軽さは女性の方が上だが、体力はやはり男の方が高い。
 加えて、目の前の男はかなり鍛え上げられているようだ。なんとなく一晩中でも戦っていられるような気がする。
 だが、こちらには速さはあっても体力がない。一晩どころか、後、一時間も持たないだろう。

 ちらり、と、視界の端、乱戦を繰り広げる忍者と兵士たちの中に、隙間が出来て、その向こうに戦場を見守るように立つ一人の竜騎士の姿が目に入った。

 カイン=ハイウィンド。

 バロン最強の槍。
 その実力は、実際に目の当たりにしたことはないものの、耳では何度も聞いていた。
 だが、その最強の槍は自らの武器を振るうことなく、ただ立っている。時折、彼に向かった忍者が返り討ちになる程度で、自分から戦いを仕掛けようとはしない。

(何を考えているのかしらねー・・・不気味だわ)

 ファブールからの連戦で、本調子ではない―――とジュエルは思い至らなかった。
 ただ。

(まあ、動いてくれないならラッキーだけど)

「よそ見をするなあッ!」

 怒号を持って、男が嬉々としてジュエルに殴りかかる。
 さっきまでは、なんか暑いとか言って怒っていたような気がするが、どういうわけかなんか今は機嫌良さそうだ。
 そのせいか、荒々しくて雑だった攻撃が、段々とシャープに洗練されてくる。
 かする頻度が多くなる―――向こうの攻撃も鋭くなってきた上に、こちらの体力も消耗しているせいだった。このままでは直に捕まる。

(仕方ない・・・!)

 舌打ちして、ジュエルは覚悟を決めた。
 口を歪め、強く息を吹く。
 ぴゅぅいっ、と甲高い口笛が彼女の口から漏れた。小さな口笛だが、エブラーナ忍者ならば聞こえただろう。

 それは撤退の合図だった。

(相手が悪い。竜騎士団だけならまだしも、カイン=ハイウィンドが出張っている上に、妙なオッサンまで現れたし―――つかだいたい、カイン=ハイウィンドはファブールに居るはずじゃないのかしらねー)

 情報を持ってきた、配下の忍者に毒づく。

(エドワードを助けに行く余裕はない。まあ、死んだら地獄で逢えるだろーし―――あの馬鹿が死ぬとは思えないし・・・とにかく、今は、私が生き延びることが最優先)

「そういうわけで」
「お?」

 不意に口を開いたジュエルに、男の動きが止まった。

「私、逃げるから」
「逃がすと思うか」
「逃がしてくれ、とは言わなかったでしょ? 逃がしてくれないと思ったから、逃げるって言ったのよ」

 そう言って、ジュエルはにこりと笑った。

「正直、疲れるからあんまりやりたくないんだけど―――行くわよ。エブラーナ伝承、秘技術・・・」

 

 風遁・羽衣

 

 瞬間、ジュエルの身体が掻き消えた。

 

 

 

 

 

 ―――掻き消えたと思ったのは、目の錯覚だった。
 錯覚、というか彼女の動きに目が追いつかなかっただけだ。

(ぬおっ!?)

 勘だけで、ダンカンは右へ向く。
 そこに、女忍者の姿があった。手には短刀を持っている。彼女は、素早くそれをこちらに投げつけた。

「ぬるいっ!」

 飛んできた短刀を、ダンカンは右の手刀でたたき落とすと、左の拳で女に殴りかかる。が。

 ひらり。

 必殺の一撃は、あっさりと避けられた。
 拳の勢いに押されるようにして、彼女の身体が横に流れる―――その真横に、自分の拳が突き出されていた。

「なに・・・!?」

 違和感があった。
 先程までとは違う、違和感。

(手応えがない・・・?)

 さっきから拳は当たっていなかった。だから、打撃の手応えは当然なかった。
 だが、攻撃の手応えは確かにあった
 こちらが攻撃を仕掛けて、相手が回避する。回避されたなら回避されたなりに、その手応え―――次の行動に移る手応えを感じられた。簡潔に言えば、右に避けられたら、今度は右に打撃を放つ、さらに右に避けようとしたら、右に仕掛けるフリをして、左に切り返してきたところを狙う―――などといったような。

 こちらがどう動けば相手がどう動く、と、そう言ったことが解る手応えだ。
 先の先を読む、とも言う。
 だが、ダンカンは頭で相手の動きを読むわけではなく、今までの経験と直感を組み合わせて、相手の動きをなんとなく感じ取る―――それが、手応えとして感じると言うことだった。

 さきほどまで、そう言った手応えを感じていた。
 最初は軽々と避けられていた。
 暑さの怒りもあって、攻撃が単調で雑だったせいだ。
 だが、不意に目の前の女が強いことに気がついた―――そしたら、暑さも気にならなくなり、怒りも何処かに忘れた。

 目の前に強者が居る。ダンカンにとって、それが何よりも重要な事だった。

 カイポの村でもバッツ=クラウザーという強者に出会えた。
 だが、なんとなく、あの人を食ったような青年相手では、あまり気が乗らなかった。
 しかし、今、目の前に居る女は、強者であり、そして自分が本気になることに相応しい相手だった。

 こちらの全力の攻撃を、軽々と回避し続ける女。

(爆裂拳を使えば、捉えられたかもしれんが・・・)

 だが、あの技を使うには、わずかにタメが必要だった。
 そして、相手はそのタメの隙を見逃すほど甘くない。こっちが隙を見せた瞬間に、とっとと逃げてしまっただろう。そういう気配があった。

 だから仕方なく、基本の拳打で追いつめていった。
 次々に繰り出した拳を、次々に回避される―――が、しかし、手応えは感じていた。
 だんだんと追いつめていく手応え。あと少し、あと少しで当たるという確信―――が、いきなり消え失せた。

「なんじゃ、今のは!?」
「教えてあげる義理はないでしょ」

 そう言って、彼女はダンカンに背を向けて逃げ出した。
 ダンカンはやや呆然とそれを見送っていたが―――やがて、はっと我に返る。

「逃すかっ!」

 叫び、ダンカンは身体に気を溜める。

(わしに背を向ける・・・自殺行為じゃぞ!)

 それは相手にも解っているはずだった。
 だからこそ、逃げようと思っても逃げることが出来ないでいたはずなのだが―――

「くらええぃっ!」

 全身に溜めた気を、掌に収束。
 その掌を逃げる女に向かって突き出した!

 

 オーラキャノン

 

 破壊の光がダンカンの掌から解き放たれる。
 一直線に全てを破壊する闘気のレーザー光線は、女の背中へと伸びて―――

(当たった!)

 ダンカンが確信した瞬間。

 ふわり・・・

 と、女の身体が浮いた。

「なんと!?」

 驚愕するダンカンの前で、女はまるで木の葉が風に煽られるように空中に舞う。
 と、ダンカンの放ったオーラキャノンを、背面跳びの要領で回避した。

 そして空中で一回転すると、彼女は危なげなく地面に着地し、そのまま脇目もふらずに逃げ出した―――

「避けられたじゃと・・・馬鹿な!」

 絶対に当たると思った必殺の一撃だった。
 それを避けられて、ダンカンは呆然と彼女を見送ることしかできなかった―――・・・

 


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