第9章「別れ行く者たち」
I .「闇なる力」
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character:エドワード=ジェルダイン
location:バロン城内
「―――なっ!?」
何かに足首を捕まれて足が動かない。
幻覚に困惑するティナを目前にして、エドワードはそのまま動けない。
振り返って足下を見ると、巨大な手が―――片手だけで足首を覆ってしまうような大きな手がエドワードの足を掴んでいた。
人間の手ではない。
青黒い、化け物の手。その巨大な手、腕を辿って見れば、その先には―――「ベイ・・・ガン!?」
なんと、さっき倒したはずのベイガンだった。
身体は先程までと同じように、いたるところが刻まれている―――が、もう出血はしていないようだった。おびただしい量の出血に、鎧や床が濡れている。誰が見ても、その出血は致死量だった。
だというのに、ベイガンがこちらに向けた表情は、先程よりもむしろ活性化し、瞳は爛々と赤く輝いている。赤い瞳。
人間には有り得ないその瞳を見て、エドワードは直感した。
「魔物・・・!?」
ベイガンの身体はさきほどから変わっていない―――肩から先を除いて。
右肩から奇怪に膨張し、シャツやガントレットを引きちぎるほど巨大化している。その肌の色は先程も述べたように青黒く変色していた。
肩以外の部分は普通の人間の身体だが、その先が唐突に魔物のような腕になっている。まるで、人の人形の腕だけを、魔物の人形の腕に取り替えたような、そんな気分の悪くなるような違和感。驚愕に―――この謁見の間に入り、何度目の驚きだろうか―――硬直し、エドワードはベイガンを注視することしかできない。
いや、さっきから動こうとしているのだが、ベイガンの腕は、まるで石の置物のようにびくともしない。「くっくっく・・・お陰様で、人間の血が殆ど流れ出てしまいました―――このお礼はしなければね?」
「人間を・・・止めたたというのかッ!」エドワードは足を捕まれたまま叫ぶ。
ベイガンは、口の端だけを持ち上げて、にぃっ・・・と笑って見せた。「力を得たのですよ! 人間以上の力をッ!」
ぐんっ。
唐突に、ベイガンは身体を起こした。
それと同時に、エドワードの足首を掴んでいた右腕を振り上げる。「ぬあっ!?」
まるで棍棒でも振るうかのように、軽々と持ち上げられる。
「はぁっ!」
「ぐあっ!?」振り上げたエドワードを地面に向かって叩付けた。
石の床と激突し、エドワードの額が割れる。「まだですよ!」
叩付けたエドワードを、さらに持ち上げると―――また床へと叩付けた。
ゴッ、と響かない大きな激突音。「・・・ッ」
今度は悲鳴すら出ない。
ベイガンはさらに振り上げると、さらにまた床へと叩き付ける―――カッ。
不意に、ベイガンの腕に十字状に形作られた刃が突き刺さる。
思わず腕から力が抜け、エドワードの身体が宙に投げ出された。「ちっ」
舌打ちして、ベイガンは自分の巨大化した腕を引いて、もう片方の人間の手で腕に刺さった刃物を引き抜いた。
十字の刃物。
十字手裏剣と言い、エブラーナを代表する忍者が良く好む飛び道具だ。手裏剣はベイガンの腕に浅く刺さっただけで、それほどの痛手ではないようだ。
エドワードを手放してしまったのは、単なる物の弾みというやつだったのだろう。「親父、無事かッ!?」
手裏剣を投げたのはエッジだった。
エッジは、手裏剣を投げたポーズのまま、血まみれになって床に転がったエドワードに呼びかける。
ベイガンに放り出され、床に受け身も取らずに落ちたエドワードだったが、エッジの声にぴくりと身を震わして。「く・・・う・・・」
ゆっくりと。
半身を起こし、身体を起こし、立ち上がる。
その様子は、弱々しく、よろめきながら、とても不安な様子だった。エドワードの顔面は真っ赤に染まっていた。
額が割れた、というよりは砕けたように潰れていて、そこから血がどくどくとあふれ出している。
生きているのが不思議な状態だ。「く・・・無事・・・だ」
「って、どこが無事だアホ親父ッ!」全く持って説得力の無い台詞を吐く父親に、エッジは怒鳴り返した。
と、その声に、エドワードはふらふらとエッジの方へと顔を向けた。
エドワードは、もはや目が見えていなかった。
額からの出血で、顔は血に染まっている。両目も血に覆われて、これでは満足に目を開くことすら出来ない。「いいか、親父! 動くんじゃねえぞ! 今、俺が―――」
「逃げろ・・・!」
「なんだと!?」
「逃げろと言ったんだ。お前じゃこの人間止めた馬鹿を相手にするのは不可能・・・」父親の言葉に、エッジは歯ぎしりをする。
「ざけんなっ! じゃあ、てめえが相手するってのか!? ンな死にそうな状態で―――」
「それでも半人前の貴様よりはマシだ。いいから、逃げろよ!」
「―――逃がすと、お思いですか・・・?」エドワードの言葉を否定するかのように、ベイガンがゆっくりと告げる。
相変わらず、全身が切り刻まれて―――だというのに出血の止まった、瞳の色と右腕だけが人間じゃない身体のままで。「残念ですが、あなた達を逃がすつもりはありません。神聖なるオーディン様の御前に土足で踏み込み、あまつさえこの私の無様な姿をオーディン様に晒した罪を―――あなた達の命で清算しなければなりませんからねえッ!」
「神聖・・・と来たか。・・・以前の貴様は・・・オーディンの馬鹿を崇拝しては居たが・・・そこまで狂っちゃ―――」
「オーディン様の名前を、貴様如きがぁぁっ!」突然、ベイガンは激昂すると、エドワードに向かって殴りかかった。
立っているのがやっとという状態のエドワードだ。
魔物のそれと化した豪腕から繰り出される打撃を、エドワードは避けることすら出来ない。ごぼっ・・・と、腹を強打されたエドワードの口から、空気と一緒に血の塊が吐き出された。
身体が殴られた形にくの字に折れて、エドワードの身体が宙に浮く。
が、浮いただけだった。
強烈な打撃を受けたにも拘わらず、エドワードの身体は吹っ飛ぶことはなく、ベイガンの突き出した腕に、身体全体でしがみつくような格好でぶら下がっていた。「なに!?」
「ごふっ・・・・・・・へ・・・へへ・・・力だけだな・・・拳打の型も手法もなっちゃいない・・・力任せにブン殴るだけじゃ、猿でも出来るぜ・・・」
「貴様・・・離れろッ」拳にしがみつくエドワードに、ベイガンは振り放そうと拳を振りあげた。
先程と同じように、軽々と持ち上げられるエドワード。そこから、また床に叩き付けようと考えているのか、ベイガンが拳を振り下ろそうとして―――だが、それよりも早く。「・・・・・・・・!」
エドワードがエッジに顔を向けて何かを口早に叫んだ。
声は聞こえない。というより、声は出ていなかった。
だが、エッジは口の形を見て、何を言ったのか知る。(後は任せた・・・? おい―――)
「おや・・・」
エッジが叫ぼうとするよりも早く。
「がああああああああっ!」
ベイガンが渾身の力を持って、エドワードの身体を床へと叩き付ける。
その瞬間!
火遁・微塵隠れ
エドワードの身体を中心に、爆発が起きた。
ティナを相手に使ったのと同じ、火炎で身を隠す火遁の術。
だが、さっきよりも爆発の強さが桁違いだった。
さらに、加えて目が眩まんばかりの閃光が放たれる。爆発は、エドワードを中心にして、ベイガンを丸ごと呑み込み、さらに近くに居たティナの身体を吹き飛ばした。
閃光は、部屋全体を照らしだし、その部屋に居た全員の視力を奪う。―――ただ、一人を除いて。「くそっ・・・・・たれがああっ!」
エッジだけは、エドワードの考えを読んでいて、目を手で覆って閃光を避けることができた。
悔しさが胸を締め付ける。
その自分を壊してしまいそうなほどの感情を、声として発散しながら、エッジは一人で謁見の間から逃げ出した。
「・・・なんだ・・・?」
街の広場で、カインは城の方を振り返った。
街の、城へ続く門の前にある広場では、バロン軍竜騎士団と、エブラーナ忍軍、さらにはよく解らない筋肉質の男が加わって、乱戦を繰り広げていた。「カイン団長・・・? 城の方が、なにか?」
カインの傍に控えていたカーライルが、城の方へ視線を向けるカインに訝しげに尋ねた。
しかしカインは「いいや」と首を横に振り。「城の方からなにか音が響いてきたような気がしただけだ」
「音、ですか?」なにも気がつかなかったカーライルは首をひねり、それから真剣な顔で、
「それよりもお下がりください。ここは我らだけで十分です」
「・・・そうは行かんな。長である俺が居なければ、兵の士気が落ちる―――そんな状態で圧せるほどエブラーナは甘くない!」
「しかし・・・ファブールから帰ってこられて休む間もなく・・・本来は戦える身体ではないのでしょう!?」カーライルに指摘され、カインは「ふっ・・・」と苦笑を返した。
「叶わんな。わかるのか」
「解ります。カイン団長のことならば、誰よりも!」確かに、カインの身体は本調子にはほど遠かった。
その証拠に、いつもなら誰よりも先陣を切って槍を振り回しているはずのカインは、今は戦場のやや後方へ位置して、自分から積極的に動こうとしていない。時たま、竜騎士団たちの間を突破して、迫る忍者たちを返り討ちにする程度だ。「なるほど。ならば解るのだろう? 俺は絶対に退かないと」
「・・・・・セシル=ハーヴィですか?」
「?」
「カイン団長をそこまで追いつめたのは、やはりセシル=ハーヴィなのですか?」
「―――もらった!」突然、エブラーナの忍者の一人が、カインへと迫る。
忍者刀を振り上げ―――たところを、カインが素早い槍の突きで手を打って、刀を墜とす。「ぬぐっ・・・・・・・・ぐあああっ!?」
あっさりと武器を墜とされ、狼狽したところをカーライルがカインと同じ銀の槍で、忍者の身体を容赦無しに貫いた。
「・・・よく、わかったな」
忍者が絶命するのも見届けず、カインが言うと、カーライルは「当たり前です」と前置きして。
「カイン団長を追いつめられるのは、この世でセシル=ハーヴィだけです」
「おい。それはセシルを過大評価しすぎているか、世界を過小評価しすぎているぞ?」苦笑するカインに、カーライルは首を横に振った。
「そんなことはありません。―――確かに、世界は広いでしょう。セシル=ハーヴィよりも強い人間はいるかも知れない。もしかしたら、ほんのコンマ1%位の確率で、カイン団長よりも強い人間が居るかも知れないですが」
「今度は俺を過大評価しすぎだ」
「ですが、カイン=ハイウィンドを追い込めるのは、セシル=ハーヴィ以外にいませんし」
「いや、そんな世の中の常識みたいに言われても」
「常識です。なぜなら、カイン団長がこの世で認めた唯一の人間が、セシル=ハーヴィだからです」
「それは―――」違う、と言おうとして、その言葉を呑み込んだ。
そんなことはない、と思おうとして失敗した。反射的に感情が納得していた。
そうだ。
確かにカイン=ハイウィンドは、唯一セシル=ハーヴィを王と認めていた―――(・・・違う。唯一ではなくなった。俺はゴルベーザを・・・)
本当に、王と認めているのか?
本当に、王と認めていたのか?なにかが、疑問の声を上げる。
否、それは疑問ではなかった。それは、記憶だった。思い出せ。
思い出せと、自分の記憶が告げる。あの時、ミストから戻り、目覚めたときの事を思い出せ。
(あの時は、確か―――俺はなんと言った?)
力を与えよう―――セシル=ハーヴィを倒す力を与えよう・・・
そう、ゴルベーザは言った。それに対し、自分は―――(己の力でセシルを倒す! 俺はそう言った―――それだけだ)
そう。
カインは王となる気のないセシルに愛想を尽かし、自分が認める男を越えることで、自分が仕える王への未練を断ち切ろうと思った。
ただ、それだけだった。「いつからだ・・・?」
「カイン団長?」
「俺はいつから・・・っ!」(いつから、ゴルベーザを王と認めていた!?)
気がつけば、カインはゴルベーザをセシルに代わる王であると決めていた。
ファブールに行ったときの自分は、その考えになにも疑問を感じなかった。
だが、今ならはっきりとした違和感がある。(・・・くそっ。まさか―――)
思い当たることはあった。
ゴルベーザのダークフォース。
ミストから戻ったときも、その闇の力に誘惑されかけて―――(振り払ったと思っていた・・・だが、ゆっくりと時間をかけて俺の心に染みこんでいたというのか・・・!?)
「カイン団長!」
「っ!」カーライルの声に我に返ると、エブラーナの忍者が二人、同時にカインに襲いかかってくるところだった。
そのうちの一人をカーライルが防ぎ、しかし流石に一人では二人を受けきれない。残った二人がカインに飛びかかり―――「うざいっ!」
がっ。
無造作に、カインは槍をつく。
だが、忍者はそれを容易く見切って、横に身を反らして回避。反らした胸元を槍がかすめるくらいの紙一重で避けて、カウンターの忍者刀をカインに向ける―――が、同時にカインは槍を手放し、空中に残したまま腰の剣を抜剣。
鞘から抜くと同時に、忍者の持つ刀めがけて剣を振るう。がきいいいっ、と忍者が剣を刀で受け止め、金属の衝突音が鳴り響いた。「終わりだ」
「なっ!?」忍者がカインの剣を受け止めた瞬間、カインはすぐさま剣を放すと、未だ空中にあった槍を手に取り、そのまま忍者に向かって突く。
剣を受け止めていた忍者はとっさに動くことが出来ない。槍と剣、それからさらに槍につなげたカインの一人連携に、忍者は急所を正確に貫かれた。絶命した忍者の骸から槍を引き抜き、そのまま適当に捨てる。
それから、忍者に受け止められて落ちた剣を拾うと、腰の鞘に戻して。「ふう」
と、息を吐く。
(とにかく、考えるのは後だな。今はこの場を終わらせてからだ)
そう思い、カインは戦場を見渡した―――