第9章「別れ行く者たち」
G.「乱れ雪月花」
main character:エドワード=ジェルダイン
location:バロン城内

 

 

 謁見の間の前の広間へと辿り着く。
 特に「謁見の間」とかプレートがついているわけではないが、過去に一度だけ、休戦協定の為にエドワードはこの城を訪れたことがあった。
 もうすでに、十年以上も昔の話だが、城の内部などそうそう変わることもない。おかげで対して迷うことなく目的の場所へとたどり着くことができた。

「見張りはいないな・・・」

 謁見の間の扉の前で、エッジがきょろきょろと周囲を見回す。
 先程の兵士が言ったとおり、他に兵士は居ないようだった。

「行くぞ」

 短く言って、エドワードは扉を押し開ける。
 扉の向こうは待機室になっていて、王に謁見を求めた国民や他国の使者が、ここでお目通りの順番を待つことになる。
 そこは極々短い通路のような形の部屋だった。
 長方形に、縦に長く伸びた部屋だ。入り口から一直線に赤い絨毯が敷かれ、絨毯の先にはまた扉があった。その扉の先が、王の座する玉座のある謁見の間だった。

 部屋の両脇には待機用の椅子が置かれ、部屋の隅にはなにやら書き物ようの小さな机が置かれてある。
 壁には花瓶や絵画が飾られていて、順番待ちの人間の目を楽しませるような配慮がある―――が、花瓶の中に飾られた花は。少ししおれていた。

 それらには目もくれず、エドワードは赤い絨毯の上を歩き、謁見の間へと続く扉へ辿り着くと。

 ばああんっ!

 と、手ではなく足で乱暴に蹴り開けた。

「くをらああああっ! オーディン、遊びに来てやったぜ!」

 怒鳴り、悠々と謁見の間の中へはいる。

 ―――中には誰もいなかった。
 と、そう思うくらいに部屋の広さに対して人口密度が低い。
 部屋の中央に騎士が一人居る。完璧な直立不動の姿勢だ。

 その騎士の向こう―――二段ほど高くなった高台の上にある玉座に、バロン王オーディンが座っている。

「来たか・・・」

 そう。呟いたのは騎士だった。
 騎士は腰に差してあった剣を抜いた。
 ロングソードよりも短く、ショートソードよりも長い―――位置づけとしては、ミドルソードとでも呼ぶような長さだった。
 もう少し具体的に言うならば柄も含めた刀身が、平均的な成人男性の腕より少し長いくらいの長さだろうか。
 扱いやすさを突き詰めたサイズの剣。

「ベイガン・・・ウィングバード・・・」

 その騎士の名前を呟いたのはエドワードだった。
 にやり、と笑って、その手にもつ剣を見る。

「と、ディフェンダーか・・・・・・懐かしいな。未だにオーディンの腰巾着か」
「一国の王だというのに、相変わらず口の汚い・・・」

 笑いかけるエドワードとは対照的に、ベイガンの表情は嫌悪のそれだった。
 剣を構えるベイガンを見て、エドワードはやれやれと肩を竦めた。

「お前じゃ俺の相手にならんよ」
「・・・いつまでも、昔のままだと思うな!」

 言うなり、ベイガンが剣の切っ先をこちらへと向けて突進してくる。

「なに!?」

 その行為にエドワードは酷く驚いた表情を浮かべ―――

「かああああああああああっ!」
「遅ぇよ」

 裂帛の気合いと共に繰り出された突きをエドワードは身体を斜めにして回避する。
 胸元を通り過ぎていく剣から発せられる冷気のように冷たい殺気を感じるような錯覚を覚える。

 渾身の突きを繰り出した為に、剣に引っ張られるようにベイガンの上半身が泳ぐ。
 エドワードは素早く腰を落とし、身を低くして前のめりの様な格好になったベイガンの懐へと潜り込むと―――

「せいっ」
「がっ!?」

 ベイガンの顎の下から持ち上げるように掌底を突き上げる。
 がちっ、と強く歯と歯の衝突し合う音が、後ろで様子を見守っていたエッジの耳にまで届いた。下から突き上げられた衝撃に、ベイガンは前のめりから一転してつま先立ちで背伸びをしたような状態になり、そのままよろよろと2、3歩後退する。エドワードはさらに無防備になったベイガンの腹部に足を添えた。蹴りではない。無防備とはいえ、ベイガンの身体は金属鎧が守っている。生半可な蹴りでは逆にこちらがダメージを喰らう。だから、エドワードはベイガンの身体を吹っ飛ばそうと、足の裏を鎧に付けたままの状態で足に力を込め―――

「おまけだ―――っと!?」

 蹴ろうとした瞬間、首筋にヒヤリとしたものを感じてエドワードは、そのまま自らバランスを崩して床に転がった。その一瞬後、自分の首があった場所を緩やかな勢いで剣が横凪に通り過ぎた。

「ちぃっ!?」

 床に転がったのもほんの一瞬のことで、エドワードは素早くその場に立ち上がる。
 見れば、ベイガンは伸びた状態から踵を降ろすところだった。

「あの状態から反撃かよ!?」

 驚愕だった。
 剣は速くなかった。はっきり言って遅い。あの速さでは、例え剣が幾ら鋭かろうと重かろうと、人は斬れない。せいぜいが皮を幾らか斬る程度だろうか。
 普段のエドワードなら、そんな剣など無視して蹴りを放っていたところだ。今の速度なら、こちらの蹴りの方が速い。もし向こうの方が速くとも、直後にベイガンの身体は吹っ飛んでる。首の皮が斬れる程度で、致命傷にはならないだろう。

 だが、ベイガンのあの状態から反撃に転じてきたことが、エドワードの冷静さをかき乱した。
 相手の攻撃直後の一瞬を狙ったカウンターの一撃。しかも、素早く相手の下へ潜り込んでの、下から上への一撃。並の人間なら、何が起こったか解らないまま、背伸びさせられる。―――いや、それよりも先に、脳を大きく揺らされて脳震盪になっているだろう。反撃など出来るはずもない。あるとすれば、反射的に身体が動いた、といったところか。

「まさか、狙ってやったわけじゃないよな・・・?」

 背筋に冷たいものを感じながら、ベイガンはそう呟く。
 その視線の先では、ベイガンが顎を軽く撫でている。
 平然としている。
 下から上への強打だ。普通ならある程度の脳震盪―――めまいくらいは起こしていてもおかしくはない。
 だが、ベイガンは突きを繰り出す前と変わらない様子にエドワードは見えた。

「随分と変わったもんだ」

 エドワードはそう言って、さっきベイガン自身が言った言葉を認めた。

「防御専門、後の先、後の後と相手の動作に合わせていたお前が、いきなり突進してくるとはな―――しかも、俺の一撃。かなり手応えあったと思ったんだが、大して聞いた様子もない上に反撃もしてくれる―――真面目に驚いた」
「ほう・・・エドワード様を驚かせることが出来るとは・・・それだけでもゴルベーザ様に従った価値があるというもの・・・」
「ゴルベーザ?」

 ベイガンの台詞に、エドワードは訝しげに名前を繰り返す。

 ゴルベーザ。
 確か、密偵からの報告にもあった。最近、バロン城内に現れた名前。
 時機は、セシル=ハーヴィがミシディアへ出兵した頃―――或いは直前辺りで、どこからやってきたのかすらつかめていない。
 ただ解っているのは、その男が暗黒騎士ということと、現在は出奔したセシルの代わりに赤い翼の隊長を務めていること、そして―――

(そのゴルベーザの名前が出てきた頃からバロンが不穏な動きを見せ始めた―――おそらくは、バロンの黒幕・・・)

 実はエドワードは、ここ一連の動きがバロン王オーディンの意志によるものではないと感じていた。
 エドワードにとって、オーディンは友人ではないものの、宿敵だった。宿敵のことは友人以上に知らなければならない。そうでなくては勝てないからだ。
 だからこそ、エドワードには解っていた。これはオーディンの仕業ではないと。

 だが、確認はしておく必要があった。
 例えゴルベーザという男が黒幕だったとしても、どうしてそれをオーディンは許しているのか。
 何か事情があるのか、それとも術か薬かで操られているのか、或いはもう―――

(死んでいるのか、と思ったが生きているしな)

 エドワードは真っ正面のベイガンから、少しだけ目線を上げる。
 その視界の奥。壇上の王座に、バロン王オーディンが居座っている。玉座の背もたれに背を預け、瞳を閉じて眠っているかのようだった。

 オーディンの姿は、以前にエドワードが見たものと同じだった。
 もう数年会っていないが、それほど老いたようには見えない。少し表情にシワが刻まれ、髪に白い部分が多少増えたか―――だが、それは自分だって似たようなものだ。

 なんにせよ、オーディンは生きている。
 ならば、後は―――

(目の前の腰巾着をブッ飛ばして、オーディンに問いつめるだけだ。事情があるなら聞く、操られてるならブン殴って目を覚まさせる―――万が一、自分の意志でゴルベーザに手を貸してるって言うなら・・・・・・殺す!)

「どこをみているのですかっ!」

 ベイガンの声に、エドワードは目の前の腰巾着へ視線を戻した。
 見れば、ベイガンが再び突進してくるところだった。ただし、今度は突きではなく斬り野の形で。

「ちぃっ!」

 エドワードは素早く腰の忍者刀を抜く。
 ベイガンのディフェンダーと似たようなサイズの刀だ。やはり扱いやすさを念頭に置いた武器。
 ただし、ベイガンの剣はサイズはともかく、両刃の騎士剣であるのに対し、エドワードのは片刃の刀だ。

 きぃんっ。

 鋼と鋼同士がぶつかり合い、火花が散る。

「!?」

 歯を合わせた瞬間、この部屋を訪れて3度目の驚愕をエドワードは味わった。

「重い・・・っ!?」

 ベイガンの剣がぐいぐいと押されてくる。
 エドワードは必死に押し返そうとするが、相手の方が圧倒的に力が強い。
 剣の重量は同じ。ならば、力の差はそのまま両者の筋力の差に繋がる。

 ちなみにベイガンとエドワードの体格はほぼ同じくらいだった。
 若干、エドワードの方が背が低いが、しかしそれが力の差となるほど、体格に差はない。

 だが、現にベイガンの剣にエドワードの刀が押されている。
 ベイガンは片手で剣を持っているというのに、エドワードは両手を使っても押し返せない。
 それどころか強引に押し込まれ、自分の刀と交差したベイガンの剣の切っ先がエドワードの鼻先に触れて―――

「ちぃぃぃっ!」

 素早くエドワードは身を横へ瞬転。
 同時に、剣を引いてベイガンの力のベクトルをそらす。
 突然の切り返しに、ベイガンは反応しきれず、結果、突きを回避したときと同じように、ベイガンの上半身が体勢を崩す。その隙を狙ってエドワードは両手で刀を持ったまま、渾身の一撃をベイガンに向かって振るう!

 ガッキィィィッ!

 鋼と鋼の激突音。
 エドワードの刀は、ベイガンの剣を持っていない方の腕に阻まれた。
 ベイガンの腕には、何枚も鉄板を重ね合わせた無骨なガントレットが付けられている。

「先程と同じ手は通用しないッ!」
「ちぃっ! 相変わらず守りの反応は良い!」

 舌打ちして、エドワードは素早く後方へと跳躍。
 ベイガンと間合いを取った。

 押されている。
 エドワードは認めざるをえなかった。
 以前にもベイガンと剣を交えたことがある。
 その時のベイガンは、自分から攻撃しようとはせずに防御を固め、こちらが攻撃に入る一瞬の隙、或いは攻撃をディフェンダーやり過ごしたときの隙を狙ってカウンターを仕掛けるのがベイガンの戦術だった。

 だが忍びであるエドワードは、ベイガンが捉えられるような隙を見せなかった。
 素早く細かい連続攻撃を繰り出し、ベイガンを防戦一方に追い込んだ。

 確かにベイガンの防御力には手こずった。ディフェンダーを完全に腕の延長として使いこなし、反撃できなくともエドワードの攻撃を完璧に捌ききっていたことは、強い印象に残っている。
 だが、その反面、攻撃力は貧相だった。というより、一方的に攻撃していたので、ベイガンに攻撃された記憶がない。

「・・・強くなりやがって・・・面倒なッ!」
「そういうエドワード様は、弱くなられた」

 苦々しく吐き捨てるエドワードとは対照的に、嘲弄の笑みをベイガンが浮かべる。
 それを見て、エドワードは心の底から嫌そうな顔をしてみせる。

「うわ、すげームカつく。その顔」
「親父ー、手伝おうかー?」
「ガキはすっこんでろ」

 ずっと戦いを見守っていたエッジのからかうような声音の台詞を切って捨てる。

「・・・ち、こんなザコに手こずってる場合じゃねえのにな。ぼやぼやしてると他の兵士たちも戻ってくるし・・・」
「ザコ・・・ふん。今のザコは貴様ではないか!」

 激昂するベイガンに、エドワードはふんっと鼻を鳴らして。

「ザコはてめえだ。ちょっとばかし力が強くなったからっていきがってるようじゃ、ウチの馬鹿息子の方がまだマシだな」

 ちらり、とエドワードは自分の息子の方を、一瞬だけ振り返って。

「貴様がザコなら、息子はゴミだ」
「いや、それ、どっちがマシかわからんし」
「あ? ゴミの方がマシに決まってんだろ! リサイクルできるんだぞ!」

 などという馬鹿親父と馬鹿息子のやりとりに、ベイガンはさらに激しく激昂する。

「馬鹿にしているのかッ、きさまらはッ!」
「うわ、すぐに気付よそんくらい」
「うおおおおおっ!」

 怒り。
 ベイガンは顔を真っ赤にして、剣を大上段に構えてこちらに突進してくる。
 それを、エドワードは回避する素振りも見せず、ただ真っ向からベイガンの姿を見据えて―――

「エブラーナ伝承―――秘技・・・」

 ベイガンの瞳をじっと見る。
 エドワードの瞳にベイガンの瞳がうつり、ベイガンの瞳にエドワードの瞳が映る。
 それはまるで合わせ鏡のように、互いの瞳を写し続けて―――

「これは―――」

 その行為の意味に気がついたベイガンがぎょっとする。
 慌てて突進に制動をかけ、その場に立ち止まってエドワードから視線をそらす―――が、遅すぎた。

「!」

 ベイガンの視界が変化する。
 城の謁見の間。自分が見ている風景がどんどんと遠ざかり、代わりに闇が周囲を包む。

「これはエブラーナの幻術!?」

 舌打ちするベイガンの視界、闇の中にひらりと何かが舞った。
 白い花びら。

 桜だ。

 桜の花びらが闇に舞う。
 最初は一枚だったのが、二枚、三枚・・・と次第に増えていく。

(これはまやかしだ)

 ベイガンは知っていた。
 今、自分が見ているものは幻であり、実際はバロンの城の謁見の間に居るのだと。

 エブラーナに伝わる秘技。
 その中の一系統に幻術が存在する。
 自分の瞳を相手の瞳に写し、自分の瞳を通して脳裏に浮かんだイメージを相手の瞳に投影する。
 別の名を瞳術とも呼ぶ術であり、催眠術などの相手の精神に作用する暗示とは違い、幻影瞳に写すので気をしっかり持てば防げるという類のモノではない。
 この瞳術を防ぐ方法はただ一つ。 “術者の瞳を見ないこと” 。
 相手の目さえ見なければ、どんな優れた術者でも瞳術をかけることはできない。

 だが、ベイガンはしっかりとエドワードノ瞳を見てしまい、幻術に陥ってしまった。
 こうなれば、それを解く術は存在しない。

「覚えているだろ、ベイガン―――以前にお前が敗れた技を!」

 どこからか、闇の中からエドワードの声が聞こえる。

「そこか!?」

 ベイガンはエドワードの声がしたと思われる方向へと剣を振るった。
 が、手応えはない。斬れたのは闇に舞う桜の花びらだけ。

「無駄だ―――解ってんだろ。前だって同じだったからな」
「くそっ!」

 ベイガンは闇雲に剣を振るう―――が、当たらない。
 そうこうしているうちに、闇に舞う桜の花びらの数が多くなっていく。
 ―――終いには、ベイガンの視界を闇と二分するくらいの薄く赤みがかった白い花びらが舞っていた。

「く、うああああああああああっ!」
「そろそろいくぜ―――」

 と、エドワードの声が言った瞬間。

 ざんっ!

 ベイガンの脇が唐突に斬られた。
 斬られた瞬間までなにも気配は感じなかった。
 闇がベイガンの感覚を押しつぶし、桜の花びらが気配をかく乱している。

「ぐぅっ!?」

 強く斬りつけられ、ベイガンはよろめく―――が、次の瞬間には肩口を斬られた。

「ぐあっ!」
「そらそらそらそらッ! 次々いくぜっ!」

 ざんっ、すしゃ、ずばっ!

 斬、斬、斬。

 連続で繰り出される斬撃に、気配の読めない見えない攻撃に、ベイガンはなすすべもなく切り裂かれていく。

「ぐ、あ、あ、ああああ・・・・・・・・・・」

 斬られるに任せて身体が跳ね、奇怪なダンスを踊り狂う。
 いつしかベイガンは自分の剣を取り落とし―――やがて、斬撃が唐突に終わる。

 ベイガンの身体は、しばらくその場にゆらゆらと不安定に動きながら立っていたが―――

「これが、エブラーナ秘剣術―――」

 

 乱れ雪月花

 

 カチン、とエドワードが刀を自分の腰の鞘に戻した瞬間。
 ベイガンの身体は力なく床へ倒れ込んだ―――

 


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