第8章「ファブール城攻防戦」
AD.「信じる心」
main
character:ローザ=ファレル
location:ファブール城・クリスタルルーム
そこはどこでもない場所だった。
場所ですら無かった。
ローザ自身にも上手く言えない。それは例えば物語の文章の中であり、 “そこ” と言えば片がつく程度の場所。
何処でもない場所。それだけしかわからず、また、それだけ解っていれば十分な場所。それ以上の説明はできない場所。―――目の前にバッツが居た。
だが、ローザは、それが彼女の知っているバッツ=クラウザーでは無いことにすぐに気が付いた。
バッツと同じような顔をしながら、その目線は少し高い。ローザの知るバッツよりも背が高かった。
髪の毛と瞳の色も違う。いつものバッツは茶色い髪に茶色い瞳―――けれど、目の前のバッツは色素が抜けたような頼りない水色の髪と青い瞳だ。決定的に違うのは胸だった。
バッツの胸がでーんっていう感じで出っ張ってる。ぶっちゃけた話、女性のように胸がある。
よくよく見れば、表情もどこか丸みを帯びていて女性的な感じがする―――バッツが女装したというよりは、バッツに一つか二つ違いの姉がいればこんな感じになるのだろうと思った。バッツ(女)はローザに言った。
「時間がねえ。要点だけ言うぞ」
「質問があるんだけど」
「却下する―――いいか? 事態は現場の人間が思ってるよりも深刻だ。闇の欠片と欠片が出会って、元の欠片よりも少しだけ大きい欠片に合わさった。欠片と欠片が合わさったと言うことは、元の形に少しだけ近づいたって事だ。解るな? いやむしろ解れ」ローザはバッツの言葉を無視して尋ねた。
「あなたって、もしかしてバッツ?」
「もしかしなくともバッツ=クラウザーだ。・・・その欠片の元の形って言うのは、すげえ寂しがり屋の闇でな。そのくせずっとずっと、気の遠くなりかけるだけじゃ全然足りないほどずーっと永い時間を孤独だったもんだから、自分の身体を砕いて明るくて騒がしい世界を作り出したってくらい寂しいのが嫌いなやつだったんだ。それが、ちょっとだけ元の形を取り戻した―――つまり、孤独だった頃の寂しさを思い出しちまったんだ」
「あのー、質問」
「却下する―――で、今のアレは元の欠片・・・セシルだったっけ? そいつの思念を中途半端に引き継いだせいで―――セシルってやつは、どうもクリスタルに対して怒りを感じてたらしいな。ブッ壊してしまいたいほどの―――だから、その想いを引きずって、クリスタルさえブッ壊せば寂しさが消えると勘違いしちまってる―――けれど、そんなことはないからクリスタルをブッ壊したら、今度はどうすれば良いか解らなくなって、俺にもどうなるか解らない」
「私の知ってるバッツは男の子だったけど」
「そりゃ俺がお前の知ってるバッツじゃないからだ―――もしかするとなにも解らなくなって止まるかもしれないが、逆に怒りと破壊衝動を引きずったまま、ありとあらゆるものを壊し尽くそうとするかも知れない―――最悪、自分の寂しさを消すために自殺するかもな。自殺しようとしても、闇は絶対に無くならないから、セシル=ハーヴィとデスブリンガーっていう器が壊れるだけ。そしたら壊れてしまった器から闇が溢れでて、とりあえずあのフォールスってお前らが呼んでる地域は闇に汚染されるだろうな―――そうなったらとてもじゃないが人間は住めなくなる」
「ちょっと待って」
「なんだよさっきから。くだらない質問だったら蹴るぞ」不機嫌そうにバッツ(女)が言う。
ローザは「んーん」と首を横に振って、「わけのわからない説明は要らないわ。とにかくセシルを止めなきゃ行けないわけでしょ? それで、あなたはなにをしてくれるわけ?」
「話が早いのもなんだかな。―――俺は正直、セシルとかいうヤツはどーでも良い。クリスタルを守りたいだけだ」
「でもそのためにはセシルを止めなきゃ行けないわけでしょ?」
「まあ、そうだか―――そうだな。ともかく、今、お前の知るバッツ=クラウザーの身体を借りて、俺がそっちに向かってる。で、お前にはそれまでの足止めを頼みてえ」
「バッツの身体を借りてる―――そう、まあ、なんか色々と突っ込みたいところもあるけど、この際だから何も言わないわ。ともかく、私の愛の力でセシルを止めろっていうわけね。言われるまでもないわ!」そう言ってローザはなんとなく腕まくり。
気合い十分と言うかのように鼻息を荒くして。だが、そんなローザにバッツ(女)は落ち着かせるようにゆっくりと言った。
「残念だけど、お前に愛はあっても力はない―――結局、止められなかったろ?」
「そうね、止められなかったわ。でもそんなことは関係ないわよ。止めてみせると思い信じて貫けば、気持ちが負けて折れない限り、最終的にはどうにかなってしまうものだもの」
「ちったあ、世の中にはどうにもならないってことがあるって知っておけよ。ンなこたあ、3歳のガキだって知ってるぜ? ―――まあ、いい。だったらその思いとやらで、こいつを何とかしてみな」と、いつの間にかバッツ(女)は大きな杖を持っていた。
青い、大きな宝玉がついた杖だ。「なにこれ」
バッツ(女)に杖を手渡され、ローザは首をかしげる。
手にした杖は大きさの割に重たくなかった。手にしてみた手触りは不思議な感触で、木でもなければ金属とも違うような気がした。「封印されし四大魔法―――その四つのうち、フォークタワーに眠る白の聖撃魔法・・・お前の “愛の力” とやらで使ってみせな」
「最後に一つ聞いて良い?」と、前置きして、ローザは相手の応えを待たずに聞いた。
「貴女は何者? それから、こっちにむかってるって、貴女ならセシルをなんとか出来るって言うの?」
「質問が二つになってるが―――まあいい。俺はお前の知らないバッツ=クラウザーで、俺にもあのセシルってヤツを止めることは出来ない。俺が出来るのはクリスタルを守ることだけだ・・・お前が、止めるんだろ?」
「そう、良かった」
「なにが」
「だって。私以外の人にセシルを止められたら悔しいもの」
「おかしな女だな―――知り合いに似たヤツが居るけど、お前ほど変人じゃなかったなァ・・・」その声を最後に。
ローザの目の前から女のバッツ=クラウザーは消え、ローザも “そこ” から居なくなった。
圧倒的な闇の波動が来る。
セリスは、目の前に迫る―――全てを飲み込み食らいつくそうとでもするかのような闇に対して、クリスタルソードをむけて叫んだ。
魔封剣
闇が、吸い込まれるようにして剣の中へ入っていく。
赤い血で汚れた透明なクリスタルソードが、どす黒い闇で満たされて闇の色に変わっていく。「うくっ・・・」
びくん、と闇を全て受け止めたセリスの身体が震えた。
「セリス!?」
カインが彼女に呼びかける。セリスの表情は真っ青で、瞳もどこか虚ろだ。
半開きになった口から、「あ」、と呆けた声が漏れる。「おい、セリス! しっかりしろ!」
カインは槍を地面に落として、セリスの両肩を掴む。
「う・・・カ・・インか・・・? ああ、・・・大丈夫・・・私は・・・」
セリスは虚ろな声で返事を返す。
だが、その瞳には力がなく、カインの顔を見ていない。「大丈夫・・・解る・・・あの時は解らなかったけれど―――いまなら、これは―――」
セリスは以前にもセシルのダークフォースに触れたことがあった。
バロンでの事だ。
暴走したボムの指輪が召喚したボムの群れを、セシルの暗黒剣にセリスの氷結魔法を組み合わせて放ったときに、セリスはセシルの闇に触れていた。(これは、この感じはあの時と同じ―――あの時は、闇のなんだかわからない恐怖に押しつぶされて、自我を保つのがやっとだったけれど―――)
今なら、恐怖の本質が解る。
一度、触れていたからこそ、理解することが出来た。(それは―――孤独)
幾千幾万幾億を何回も何回も繰り返したような長い年月にわたる孤独だ。
それがセシルのダークフォースの本質だった。
恐怖と言うよりはそれは寂しさ。怒りも、哀しみも、恐怖も―――喜びも、驚きも、苦しみも全てを押しつぶしてしまうような、長く積み重ねられた深い寂しさ。あの時のセシルのダークフォースと、今のそれとでは力のケタが違う。
けれど、本質は同じだった。(あの時は、圧倒的な孤独に―――孤独と感じることも出来なくて、私は恐怖に包まれた。だけどっ)
恐怖とは未知である。
人は、未知なるものを恐怖し、畏れ、忌避する。
だからそれを知ってしまえば未知は未知でなくなり、恐怖は薄れる。(恐れるなッ。私の心ッ)
心に活力が沸き上がってくる。
セリスの虚ろだった瞳に力が戻る。
その碧眼で、孤独の源たるセシル=ハーヴィの姿をしっかりと見定める。
闇に覆い包まれたその姿をはっきりと確認する。(孤独じゃない・・・ッ)
それを、セリス=シェールは知っていた。
セシル=ハービィは孤独じゃない。
バロンと戦うために、或いは自分の大切なものを守るために、同じ志を持った仲間―――ギルバートやバッツ、ヤンや、ファブールのモンク僧たちが味方にある。そして何よりも、馬鹿みたいに己の全身全霊を込めて愛を叫ぶローザ=ファレルが居る。(セシル=ハーヴィは孤独なんかじゃない―――だからっ、こんな不似合いな力には・・・ッ)
「負けない!」
ざっ、とセリスは足を踏み出した。
彼女の肩を掴んでいたカインが一歩退く。
構えるのはセシルと同じ、剣を水平に、肩の位置まで持ち上げて切っ先を標的へと向ける―――「うおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーッ!」
吠えた。
と、同時に黒く染まった水晶の剣から、闇がはき出される。
闇の波動が、そっくりそのままセシルへとはね返された。「!」
セシルに闇の力がぶち当たり、その身体が闇ごと吹っ飛ぶ。
どさっ、とセシルが床に倒れる音を耳にして、セリスはがくりと膝をついた。「おい」
カインが呼びかける。
セリスは苦笑して、顔だけでカインを見上げた。その表情には疲労が滲んでいる。「―――もう、動けそうにないわね」
「セリス将軍!」レオが駆け寄ってくる。
彼に向かって、セリスは彼の剣を突き出して。「返す。そして早く逃げて」
「逃げる? しかしセシル=ハーヴィは―――」
「放たれた闇を返しただけ。すぐに起きあがってくるから―――早く!」というセリスの言葉通り、あっさりとセシルは起きあがった。
「・・・うんざりだな」
カインにも疲労の影が濃い。
が、セリスほどではない。
彼は、自分が床に落とした銀の槍を拾い上げると、一歩前に出た。「そういうわけだから早く行け。足手まといだ」
カインが冷たく言い放つ。
だがレオは何も言い返せなかった。今のレオ=クリストフには、セシル=ハービィと戦うだけの力がない。
ここで言う力とは肉体的、物理的,或いは魔法的な暴力ではない。
セシル=ハーヴィという恐怖に対抗できる、心の力だ。「早く、ローザとセリスをつれて退け! 殿は俺が引き受ける―――お前ら二人もだッ!」
後半の台詞はゴルベーザとギルバートに向けられたものだった。
カインは言うだけ言うと、答えを聞かずにセシルへ向かって駆け出し―――「『ホールド』!」
「ぐがあああああああっ!?」肢縛の魔法に、何故かカインの体中に激痛が走る。
身体の言うことが効かなくなるほどの激痛―――というか筋肉痛だ。今まで感じたことのない激しい筋肉痛に、カインは駆け出そうとした勢いのまま、ぽて、と床の上に倒れる。「待って、カイン!」
「ろ、ろぉざ・・・魔法かける前に声をかけろ・・・」ひくひくと、体中を振るわせるカインに、レオが解呪魔法を唱える。
一瞬で筋肉痛がなくなり、カインは素早く起きあがると振り返った。振り返ると、何時の間に目が覚めたのか、ローザが、あらまたなにか失敗しちゃったのかしらてへっ♪ とでも言うかのような表情で立っている。
手には杖を手にしていた。巨大な杖だ。
さっきまで無かったものだ。気にはなったが―――そんなことに構っている場合ではないと、カインは思い直す。「・・・お早いお目覚めだなッ」
不機嫌そのものの声でカインが怒鳴る。
ええ、とローザはにっこりと笑って応えて。「もうバッチリ目が覚めたわよ―――あっちの方は覚めてないみたいだけれど」
と、セシルの方を見る。
相変わらずに闇に包まれているセシルは、ゆらりゆらりとどこかおぼつかない動作で、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
対して、ローザがカインを押しのけて前に出た。「ローザ・・・」
「待て! お前、解ってないのか!? さっきセシルに―――」
「ええ。斬られたわ。痛みも感じないくらい痛かった・・・」
「そうじゃない! その傷は応急で塞いだだけだ! 下手に動けば簡単に開く!」
「大丈夫。思い願って、想いを貫き通せれば―――・・・」ローザは、セシルに向かって杖の先を向ける。
「―――叶わないことなんてなにもないんだから!」
叫びに続けてローザは魔法を唱える。
同時に、セシルも暗黒剣の構えを取った。「『ケアルガ』ッ!」
「がああああああああああッ」ローザの魔法が完結すると同時に、セシルの暗黒剣が解き放たれる。
光と闇。
白と黒。
相反する二つの色と力がぶつかり合う!「う・・・くぅぅぅぅっ!」
「く・・・あああああああッ」光と闇は一瞬だけ拮抗する―――だが、すぐにじわりじわりと闇が光を呑み込んでいく。
「ローザぁっ!」
カインが叫ぶ。
その声すらも、ローザには届いていなかった。
力と力のぶつかり合いは、大気を振るわせ衝撃波を撒き散らす。衝撃波によって、風が吹くように空気がうねり―――と、そんな力のぶつかり合いを眺めていたセリスの顔に、何か雫のようなものが飛んできた。「なんだ・・・雨?」
室内で雨などと、自分でも間抜けなことを言うと自覚しながら、セリスは自分の頬についた雫を指でぬぐって見る。
それは赤かった。「これは・・・まさか、ローザ!?」
セリスはぎょっとしてローザの身体を見る。
その腹部から、ローブを伝わって、先程止めたはずの血が滴り落ちていた。傷口が開きつつある。
このままでは―――「ローザ、退け! そのままでは死ぬぞ!」
そんなセリスの叫びも届かない。
ローザはじわりじわりと光を呑み込み迫ってくる、闇の力を見て、身体のそこから白魔法の源である精神力を自分の魔法へと注ぎ込んだ!(力・・・力が・・・欲しい―――)
心の中で願う。
(今の私よりも強い力。闇なんかに負けない力。セシルを取り返せる力を―――)
想い、念じる。
「私には・・・」
呟きは、無意識的に口から漏れた。
「その力が・・・あるッ!」
心の奥底から信じられれば!
「うああああああああああああああああああッ!」
絶叫。
その時、ローザの手にした杖が震えた―――ような気がした。(―――賢者の杖)
ふと、ローザは心の中で呟いた。
それは杖の名前だった―――何故、教えられても居ない杖の名前を、ローザが解ったのか自分でも解らない。
それは、かつて無と戦った12人の英雄が使ったとされる、伝説の12の武器の一つ。
それは、かつて無と戦った12人の英雄の一人、 “野ばらの聖女” マリアが手にした杖。次々と、ローザの頭の中に “賢者の杖” の情報が流れ込んでいく。
その情報の中に。
封印されし魔法があった―――「光は―――」
ローザの口から言葉が出る。
それは、魔法の呪文だった。「 “光は力なり、力は光なり―――” 」
闇は、徐々に光を呑み込んで、ローザのすぐそこまで迫ってきていた。
と、不意にローザが放っていた白魔法が消える。
その瞬間、闇は勢いよくローザに殺到し、その身体を容易く呑み込んだッ!「ローザ!?」
カインが叫ぶ。
反射的に槍を手にして飛び出そうとした彼を、しかしセリスが止めた。「待て! あれを!」
ローザを包み込んだ闇―――が、内側からなにかが膨れあがり、粉々にはじけ飛ぶ!
闇の中から出てきたのは光だった。地面から天井まで、高く太く突きたった巨大な光の柱!「これは・・・まさか―――」
ごくり、とセリスが唾を飲み込む。
光の柱―――その魔法に、セリスは心当たりがあった。(ありえない・・・今では存在しないはずの、封印されし・・・白魔法の中で最強にして唯一の攻性魔法・・・)
光の中、光に包まれてローザは賢者の杖を手に呪文を唱え終わる。
そして、魔法は完結する!「『ホーリー』ッ!」
ローザを包んでいた光の柱は一瞬でセシルの元へ転移する。
「ぐ、あああああああああああっ!?」
光の柱の中、セシルの身体を包み込んでいた闇が砕け散っていく。
その光の柱を取り囲むようにして、無数の光の球体が出現! と、球体は一つ弾け、次いで二つ三つ四つと、次々に連鎖するように爆発し―――最後に、光の柱が大爆砕して光の奔流がクリスタルルームを暴れ狂った―――
―――光が収まった後。
光のまぶしさに目をつぶっていたらしい。セリスが目を開けると、闇はどこにも見あたらなかった。
周囲を見回す。
皆、無事なようだった。カインも隣に立っているし、レオも健在だ。―――役立たずだったギルバートやゴルベーザの姿も見える。ローザとセリスは、と見回すと二人とも倒れていた。
セリスは立ち上がると、倒れてるローザの元へと向かう。「・・・・く」
一歩踏み出して、呻き声が漏れる。
身体にガタが来ていた。セシルとの激闘、レオとの合体攻撃―――極めつけは、セシルのダークフォースをはね返したのが決定的だった。というか、よくもまだ動いていられるものだと、自分自身感心をする。ローザの元にたどり着く前に、ふと気がついた。
謁見の広間の方。
広間を包んでいた闇は、掻き消えていた―――広間の入り口の方では、ファブールのモンク僧兵や、バロンの陸兵団が様子をうかがっている。
広間の中に居た、ラモン王を初めとするファブールの文官やモンク僧たちは、倒れたまま目を覚まさない―――それとも、もうすでに死んでいるのだろうか?そうこうしているうちに倒れているローザの傍へとたどり着く。
床には血。
身をかがめ、ローザの腹部を探ってみると、案の定、傷が開いていた。「無茶を、しすぎよ・・・」
血でぬれた手を払い、血を飛ばして、今度は彼女の口元に手をやる―――呼吸を感じた。弱々しい者だったが、とりあえずまだ生きているようだ。そのことに、セリスは安堵した。
(無茶、か・・・)
ちらり、と向こうの方で倒れているセシルの姿を見る。
すでにその身体に闇はない。
黒く染まっていた髪も、今は元の銀髪に戻っていた。「無茶の恋人は無茶ってことかしらね」
そんなことを呟き、苦笑してセリスは魔法を唱え始めた。
とはいえ、今のセリスにローザの傷を癒す力はない。
仕方なく、一定時間ローザの自然治癒力を高める魔法を使う。「『リジェネ』」
ローザの身体を、淡い緑色の光が包み込む。
これで、普段よりも傷の治りが早くなるはずだが―――これでは応急手当にもなりはしない。(早いところ、誰か回復魔法を使える人間が手当をしないと―――)
だが、ファブールに白魔法を使える人間が居るだろうか?
そもそも、フォールスという地方には、ミシディアという魔道国家があるものの、一般的に魔法が普及されていない。
バロンにさえ、まともに白魔法を使える人間が居るかどうか解らない―――というか。「・・・・・・」
セリスは無言でローザを見下ろす。
それを見て、判断した。バロンにまともな白魔道士が居るはずはない。
ふと、苦笑して、ローザの隣に横たわっている杖に目がとまる。ローザが目を覚ましたとき、その手に持っていた杖。
見たことがない杖だ。しかし、秘められた力は解る。
封印されているはずの白魔法ホーリーをローザが使えたのは、この杖のお陰だろうということも解った。「カイン、クリスタルを!」
ふと、ゴルベーザの声で杖を眺め、考え事をしていたセリスは我に返った。
振り向くと、カインがゴルベーザとクリスタル、それからセシルの三者を見て、逡巡しているようだった。
だが、やがてカインは頷くと、クリスタルを治めてある祭壇へとゆっくりと歩みを進める。
それを止める者は居ない―――・・・いや。「待てッ!」
一人、居た。
ギルバートが駆け出し、カインの目の前に回り込む。「クリスタルは、渡さない!」
「そこをどけ。貴様に何が出来る・・・」
「くっ」ギルバートは震えていた。
彼は武器を持っていない。竪琴も、ホーリーが炸裂した瞬間にでも取り落としたのか、床の上だ。
それでも、無力で、足を震わせ、その手に刃の一つも持っていないとしても。(セシル=ハービィは教えてくれたッ! 戦う意思があれば、力も武器もなくとも、拳を固める意思さえあれば、人は、戦えるって!)
「うわあああああああッ!」
叫び声を上げ、ギルバートはカインに向かって殴りかかる。
振り回してきた拳の一撃を、カインは容易く避けると、カウンターにギルバートの腹部に拳を突き入れる。「う・・・ぐ・・・」
鳩尾への一発で、ギルバートの身体はくの字になり、床に崩れ落ちる。
ふ、と息を吐いて、カインはそれを見下ろした。「勇気だけでは俺には勝てない―――だが・・・」
何言が続けようとして、カインはやめた。
言葉を告げる相手が、すでに意識を失っていると気がついたからだ。カインは倒れたギルバートを乗り越え、クリスタルの祭壇へ上がると、その中央に安置されていた水晶に手を伸ばす。
手で触れる。冷たい―――
奪われようとしているにもかかわらず、クリスタルはただ黙って佇むのみ―――・・・(俺は・・・何をしている・・・?)
疑問が、脳裏をかすめる。
セシルが暴走する前、ゴルベーザが「ゼムス様!」と叫んだのを思い出す。
そして、ゼムスと名乗ったセシルが、ゴルベーザの事を人形と―――「なにをしている、カイン!」
ゴルベーザの声にカインは思考を打ち消した。
考えるのは、後だ。
今は、このクリスタルを手に入れてバロンへ帰還するべきだ。(疲れた・・・)
今まで、何度か魔物相手に出撃したことがあった。最近ではダムシアンへ戦争も仕掛けた―――だが、このファブールの戦争ほどに心身共に疲れる戦は今までになかった。
(早く、帰って休みたい―――全ては、それから・・・)
思いながら、カインはクリスタルを取ろうと―――
「カイン殿!」
レオの声が耳に届き、カインは反射的に身体を横に倒した。と、そのカインの頬をかすめて、刃が飛ぶ。
刃はクリスタルのすぐ横を通り過ぎて、石で出来た祭壇に当たって跳ね返り、カインの足下に落ちた。
それは、刃だった。細身の剣の刀身部分。ただ、柄はない。刃の根本がぽきりと折れて―――いや砕けている。「ちぃ、外したッ!」
声に、振り返る。
クリスタルルームの入り口に、新たな人影があった。
その名前を、カインは知っていた。「バッツ・・・クラウザー!」
カインのその呟きには応えず、バッツは疾走を開始する。
不意をつかれたゴルベーザの隣をすり抜け、クリスタルの剣を振るうレオの刃をくぐり抜け、バッツはカインに向かって突進―――「くっ!?」
カインは槍を構え、バッツを迎え撃とうとする―――が、バッツはカインの目の前で直角に横へ跳んだ。
そのバッツが跳んだ先には―――倒れたセシル。「よう、久しぶり」
バッツはにやり、とセシルに笑いかけると、セシルが手にしていた暗黒剣―――デスブリンガーを手に取った。
「なにをする気だ!? 暗黒騎士でもないただの旅人が暗黒剣を手に取れば、闇に呑み込まれるぞ!」
レオが怒鳴る。
だが、バッツは不敵に笑って。「知ってるよ、ンなこたあよ! だから―――」
バッツは高々と、デスブリンガーを掲げると、叫んだ!
「クリスタルに眠る戦士の心!」
キィン―――・・・
バッツの胸元が一瞬、輝きを放つ。「冥府魔道に身を落とし、闇の刃を手にしたその名―――」
Memory of Crystal―――
The Evil Knight・・・
「魔剣士!」
ヴゥン・・・
蝿の羽音のような大きな音が響き、バッツの身体に “闇” がまとわりつく。
煙のような黒い闇は、次第に硬質化し、やがてそれは鎧となった!「暗黒騎士・・・だと!? 馬鹿な!」
レオが叫ぶ。
「ちぃっ!」
槍を手に、カインはバッツに飛びかかる。
だが、それに対してバッツは一言。「『テレポ』」
瞬間、バッツの身体が消える。
いきなり消えたバッツの、寸前までいた場所にカインは着地し、周囲を見回す。「どこだ!?」
「ここだよ」闇の鎧に身を包んだバッツが、さきほどまでカインのいた場所―――クリスタルの祭壇の上に居た。
デスブリンガーを手に、カインを見下ろしている。「魔法まで、使うのか・・・?」
「てめえら如きによォ・・・」バッツは祭壇の上からクリスタルルームの中を見下ろす。
カイン、レオ、セリス、そしてゴルベーザ―――ゴルベーザ以外は皆、傷つき、疲労しているとはいえ、それでも1対4。
状況だけを見れば絶対的にバッツが不利だ。「・・・こいつは、このクリスタルはミンウが命を張ってフリオニールたちに託したモンだ。てめえらの汚ェ指一本触れさせっかよォ!」
カインが槍を構え、レオもクリスタルの剣を手にバッツに意識を向ける。
ゴルベーザもまた、己の暗黒剣を腰から抜いた。セリスだけは動かない。だが、しかしバッツは不敵に笑っていた。数的な不利など、なんでもないとでもいうかのように。
むしろ、愉快げに笑っていた。「さあ、こいつで終わりにしようぜェ!」
バッツが宣言し、そして、ファブール城最後の戦闘が始まる―――