第8章「ファブール城攻防戦」
Z.「理解不能!」
main character:ギルバート
location:ファブール城・謁見の広間

 

 

「なにが・・・どうなってるんだ・・・?」

 敵がすぐ傍にいることも忘れ、困惑した声でギルバートは呟いた。

 ギルガメッシュが開いた広間の扉。
 まず先に目に付いたのはセシル=ハーヴィの姿だった。
 だが、いつもと様子が違う。
 兜が床に転がっているが、その他は今朝の決戦直前に目にした、暗黒の武具を身に着けたセシルの姿だ。

 ただ、その身体には黒い煙のような闇がまとわりついている。
 それからもう一つ―――

(目が、赤い・・・?)

 セシルの瞳の色は青かったはずだった。
 それが、今は赤く爛々と輝いていた。
 まるで、魔物の狂気を思わせる魔性の色。

 そんなセシルと相対しているのはカイン=ハイウィンドだった。
 いつのまに進入を許したのか解らないが、ともかく彼はそこにいた。
 愛用の銀の槍を片手に握りしめ、険しい表情でセシルを睨みつけている。

 もう少し広間の中を見回せば、ラモン王を初めとする文官たちと、それを守るモンク僧の姿が見えた。
 だが、モンク僧の何人かは床に、血の池を作って倒れ伏している。ぴくりとも動かない。死んでいるのかも知れない。
 その死因を作った人物は、カインではないようだった。

 バルバリシア―――
 ホブス山でルビカンテと名乗る炎使いを助け、そしてファブール戦争の最初の夜にカインと共に襲撃を仕掛けてきた。
 金髪の、人間離れした美貌の持ち主。
 その、人とは思えないほど長い金色の髪の先端には三人ほどモンク僧が突き刺さり、赤く染まっていた。先程まで生き生きとしていた髪の毛は、今は力なく垂れ下がり、地面に伏していたが。

 そのバルバリシア本人はというと、セシルの方を見つめたまま、その端正な表情を青ざめさせていた。
 ギルバートはその表情を目にしたことがある。
 ファブールの最初の夜。バルバリシアがセシル=ハーヴィのダークフォースに恐怖したときと同じ表情だ。

「ゼムス・・・? 聞かない名前だな!」

 憤りを隠そうともせずに、カインはセシルに向かって怒鳴りつけた。
 対して、赤い瞳をしたセシルはにやり、と邪悪に口を歪めた。
 それだけで、ギルバートはそれがセシルではないということに気がついた。
 彼の知るセシル=ハービィはそんな邪悪に笑ったりはしない。

「すぐに忘れられぬ名前となる・・・今や私は始祖の闇を手に入れた―――もはや、ゴルベーザに道を造らせる必要もない・・・」
「ゴルベーザ・・・? ゴルベーザがどうしたというんだ!」
「くくく・・・哀れだな。貴様は、ゴルベーザがどういう存在かを知らないのだから―――なぁ、バルバリシア?」

 セシル―――ゼムスと名乗ったそれは、青ざめた表情のまま動かないバルバリシアに視線を向ける。
 カインが振り向くと、バルバリシアはびくっと身体を震わせて。

「お、お戯れをゼムス様。ゴルベーザ様は・・・」
「ゴルベーザは単なる人形よ。このワシ・・・ゼムスの可愛い人形―――・・・」
「ゼムス様!」

 バルバリシアが険しい声を出す。
 しかし、ゼムスに睨まれるとすぐに気弱に顔をうつむかせた。

「ワシに逆らうのか? バルバリシア・・・?」
「い、いえ―――し、しかし・・・」
「わかっておる・・・お前はゴルベーザに懸想しておるのだったな・・・?」
「別に、私は―――」
「ふっ・・・照れることはない。―――ワシが、そう設定したのだからな・・・」

 セシル=ゼムスの揶揄するような言葉に、バルバリシアは押し黙る。

「・・・なぁ。あれってもしかしてセクハラ親父か?」

 広間の入り口でギルガメッシュが、隣に立っていたギルバートに話を振った。

「僕に聞かれても・・・」
「でもなああれ、なんか変態っぽいぞ? 目ぇ赤いし。きっとあれって、いやンな事ばっか考えてたせいで目が充血―――」
「黙れ!」

 ごうっ。
 と、セシル=ゼムスの右手がギルガメッシュに向けて突き出され、そこに身体にまとわりついていた闇の一部が収縮し、濃密な闇の塊となる。
 闇の塊は次の一瞬で、ギルガメッシュの胸元に転移して―――

「ぐあああああっ!?」

 闇の塊がギルガメッシュに触れた瞬間、その身体が遠くに吹っ飛ぶ。
 丁度、先程までギルバートたちと相対していたバロン陸兵団の面々を巻き込んで、盛大に倒れる。
 ギルバートはおそるおそると、そちらを振り向いて見てみるが、ギルガメッシュは倒れたまま動かない。気絶でもしたのだろうか。

「ワシを愚弄する者は許さぬ―――ワシは幻の月の支配者・・・そして、この星を、宇宙を我が手に―――」
「それこそ黙れッ!」

 カインがセシル=ゼムスに向かって突撃しかける。
 さっきと同じく、槍の中ほどを持っての突撃。回避されても槍を旋回させての打撃へと繋ぐことの出来る、隙のない連撃体勢だ。
 だが、それをセシル=ゼムスは涼しげな顔で見やり、

「『ストップ』」

 呟いた瞬間、カインの動きが止まった。

(な・・・に・・・?)

 突進の体勢で、しかも足下は僅かな跳躍で床からは僅かに浮かんでいる状態だ。
 カインの動きを止められたのではない。カインの身体の時間の流れだけを止められたのだ。

(魔法、だと・・・?)

 知覚することと思考することは止められていなかった。
 ただ、身体の時間が止められている。
 動け動けと、脳は身体に命令を送っていて、しかもそれに身体は反応して動いている―――と、脳は感じている。だが、実際には動いていない。

 時間を止める魔法は、それほど高位の魔法というわけではない。
 例えば、世界の時間を停止、または巻き戻すような魔法は高度、というかそもそも存在すらしない。だが、たった一人の時間を止めたり、一部の極々限られた地域の時間を戻す魔法は存在する。
 その中でも、対象の動きを止める魔法である『ストップ』は、時空系の魔法の中でも初歩というわけではないが、ある程度の力量を持った魔道士ならば、誰でも扱える術であった。

 それだというのに、カインは驚いていた。
 一つは、バロンという国にそれほど魔道が浸透していないこともある。
 白魔道士団、黒魔道士団ともに設立されて日が浅く、また一般的に魔法が普及していない。そのためカインだけではなく、バロンの兵士たちは殆どの者が魔法に疎い。
 もっとも、全く魔法がないというわけではない。先に言った、二つの魔道士団は未だ研究段階とはいえ、着実に力を付けてきているし、国が設立した大学では魔法講義の時間が取り入れられている。そして、あまり広くは知られていないことだが、バロンが誇る飛空挺―――赤い翼には、シド=ポレンティーナが発見・発掘した古代の魔道技術の結晶体である “飛行石” が組み込まれているのだ。

 だから、カインは魔法そのものに驚いたわけではなかった。
 それを使ったのが、セシル=ハーヴィだったからだ。

「吹き飛べ」

 カインの困惑をよそにセシル=ゼムスは、先程ギルガメッシュに撃ち込んだモノと同じ闇の塊を、カインに向かって飛ばす。

「・・・・・ッ」

 再び吹っ飛ばされるカイン。
 だが、今度は身体の動きを封じられ、空中で姿勢を制御することも出来ずに、無様に床へと叩付けられた。

「ぐ・・・あ・・・」

 床に叩付けられたところで、ようやく魔法の効果が切れたらしい。
 カインは全身に響き渡る痛みを堪え、それでも立ち上がった。

「セシル・・・お前、一体・・・?」
「ふぅ・・・理解力の無い若造だ―――何度も言うが、貴様の言うセシル=ハーヴィはすでに存在しない! 今ここにあるのはこのワシ―――」
「ゼムスさまッ!」

 本人の代わりに誰かがその名前を叫んだ。
 バルバリシアではない。男の声だ。

 カインはそちらに視線を向けた。
 広間の入り口だ。
 ギルバートの隣―――さきほどまでギルガメッシュが立っていた場所に、闇の武具に身を包んだ一人の暗黒騎士―――

「ゴルベーザ・・・」

 カインがその名前を呟く。
 ゴルベーザは何故か兜をして居らず、素顔を晒していた。
 ―――カインはその顔を初めて見た。
 特にゴルベーザは隠したわけではなく、ただカインも特に見たいと思っていたわけでもなかった。

 だが、見ておくべきだったと後悔する。

(セシル・・・に似ている・・・?)

 ゴルベーザの顔はセシルによく似ていた。
 いや、よくよく見比べてみればそれほど似ているというわけではない。特に、氷のように冷たいものを思わせるゴルベーザに対して、セシルの顔はもう少し暖かな温度を感じる。印象だけを比べてみれば、全く違う―――が、顔が似ていると感じさせるのは、瞳や鼻、口など、顔を構成するパーツが微妙に似ているせいだろうか。
 ヤンも感じたことだが、同一人物ほどにそっくりだとは見えなくとも、まるで兄弟のようではあった。

 そんなカインの感想などは知りもせず、ゴルベーザは戸惑ったような苛立ったような―――そんな色んな感情の含んだ焦りを混ぜた表情で、

「ゼムス様! これは一体・・・」

 ゴルベーザの言葉はセシルに向けられていた。
 その言葉を聞いて、カインは愕然とする。

 己が王と認めたセシル=ハーヴィ―――それを見限り、裏切って新たにゴルベーザを王と認めた。
 王の中の王と認めたゴルベーザという男。それが、セシルの姿をした何者かに敬称をつけていることに。

 ―――ゴルベーザは単なる人形。

 さきほど、ゼムスと名乗ったセシルが言った言葉を思い出す。
 信じたくはなかった。信じたくはなかった。
 幼い頃から心に秘めてきた “夢” ―――そう、それは夢だった。セシルを王とし、己はその下で槍を振るう―――を裏切ってまで、王と認めた男が誰かの下僕に過ぎなかったなどと。

「うおぁああああああああっ!」

 カインは絶叫し、ゼムスへと突進する。

「やめろ、カイン!」

 それをゴルベーザが押しとどめた。
 反射的に、カインは止まる。
 がっくりと首を項垂れ、それから低く呟いた。

「どういうことだ・・・」

 からん・・・と、槍が地面に落ちる。
 すでに、カイン=ハイウィンドには力がなかった。
 夢を裏切り、そのために自分は裏切られた。その事実にあらがう力はもう無かった。

「どういうことなんだ、ゴルベーザ・・・!」

 うつむいたまま、カインは唸るような声で言葉を吐く。
 顔は上げられない。
 おそらく、今の自分はとてつもなくみっともない―――泣きそうな表情をしているのだろうから。

「まだ、わからんか・・・この―――」
「わかるか、そんなこと・・・!」

 前者の嘲るような呟きはセシルの口から。
 そして、後者の憤った台詞もまたセシルの口から溢れた。

 その言葉に、セシル自身が当惑する。

「なに・・・まさかこの男―――」
「ふざけるなよ・・・勝手にいきなり唐突に現れてッ! 誰にも理もなく。命を賭けて想いを賭けて義心を賭けて―――己自身を賭けてここに居る誰にも断りもせずにィッ!」

 ごばっ。
 いきなり、セシルの纏っていた闇がはじけ飛んだ。

「ば、馬鹿な・・・ありえん・・・この男は、この男の心はワシが支配したはず―――」
「お前なんかに支配などされるかぁッ」
「どうしてだ・・・何故だ!? 貴様の心は完全に追いつめられていた。確約されていた死に対して諦め、それが故にワシはその心を乗っ取り、その闇を手に入れて、この身体を奪い取った―――だというのに!?」
「カイン=ハイウィンドに殺されるのならば諦めもつくっ! けどなっ! お前なんかに―――何処の誰かも何者かも解らないようなヤツ相手に諦めきれるかあああああああっ!」

 セシルの中の二つの意志が交互に叫ぶ。
 片方は焦りと戸惑い。
 片方は怒りに怒りを重ねて。

「し、信じられん・・・ワ、ワシは幻の月の支配者ゼムス―――」
「知るかそんなことッ! お呼びじゃないって言ってるんだぁぁぁッ!」
「ヌ・・・ウゥゥゥ・・・ッ!?」
「ウ・・・アア・・・ァァァァァァァァァァッ!」

 セシルの中で二つの意志が激突する。
 と、セシルはもがくように―――なにかを求めるように、その手を虚空へと伸ばす。

 その手の中に、一降りの剣が現出した―――

 

 

 

 

「・・・きゃあっ!?」
「うわっ!?」

 ぽて、といきなりギルバートは背中に重みを感じて、その場に倒れ込んだ。

 親の敵が隣に居るにも拘わらず、ギルバートは目の前のセシルの以上を注視していた。
 ―――そのせいで、背後からの不意打ちに反応することができずに、そのまま床に倒れてしまった。

「な、なんだ・・・リディア!?」

 振り返ると、何故かそこに緑の髪の少女。
 本当ならば、地下のシェルターに避難しているはずの彼女の姿があった。

「ん・・・ぎるばーとおにーちゃん・・・? あれぇ・・・? おとーさんと、ですぶりさんはぁ・・・?」

 頭を少し打ったらしく、涙目で頭を抑えている。
 そのせいか、少しだけ混乱しているのか、ぼんやりとした口調で呟いた。

「お、おとーさん・・・? ですぶりさん?」
「うん。リディアね、お父さんとデスブリさんに会ったの。デスブリさんはセシルのツラを見に行くって・・・」

 そこで、リディアは言葉を切って、首をかしげた。

「ねえ、お兄ちゃん。ツラってなあに?」
「えー・・・と。あのね、リディア。今はそんなことを言っている場合じゃなくて―――」
「うあああああああああああッ!」

 絶叫。
 に、ギルバートは反射的に振り返った。
 ・・・振り返って、後悔した。

 広間の中には、先程よりも濃い―――セシルの身体にまとわりついていた闇などの比ではない闇が、渦を巻いていた。
 高密度の闇が広間の入り口の辺りまで拡がっている。広間の中の様子は見えない。
 先程の絶叫が、誰のものなのかすら―――ギルバートには、なんとなくセシルの叫びのような気がしたが―――解らない。

「なんだ・・・これ」

 この短時間で、似たような言葉を何人の人間が何度口にしただろう。
 それだけ、不可解な―――常識外れなことが起き続けている。

「やだ・・・なに、これ・・・お兄ちゃん、リディア怖いよぅっ!」

 ぎゅ、と、リディアも広間の中を見て、ギルバートの服をすがるように握りしめる。
 ギルバートもできれば他の誰かにすがりつきたかったが自制する。さすがにリディアにすがるのは格好が悪いだろうし、後はフライヤかゴルベーザか―――女性か、親の敵か、どちらにしても、あまり適正な相手ではない。

 だから、ギルバートは勇気を振り絞ってみる。
 なにが起きているか理解の外にある広間の中を。

 人間にとって、未知、とは恐怖の元だった。
 未来という、先の見えない未知の恐怖、闇という何があるか解らない未知の恐怖、誰も見たことも聞いたこともない―――知らない、未知の恐怖。

 だからこそ、人は未知を未知で無くそうと努力する。
 過去を振り返り、現在を考え、未来を予測して―――或いは夢想して。
 闇の中に灯りを照らし、知らなかったものを知ろうとして、未知を未知で無くそうとする。

(見届けるんだ、なにが起きてるか―――それが解れば・・・!)

 未知を知り、恐怖を克服しようとする心。
 それを、人は勇気と呼ぶ。

「リディア・・・ここで待ってて。僕が様子を―――」
「気配が、消えた・・・?」

 不意に、ゴルベーザが呟いた。
 え、とギルバートが見上げると、ゴルベーザは黙して闇の中に足を踏み入れる。

「ちょ、ちょっと!?」

 思わず制止の声を投げかけて―――しかし続く言葉が思い浮かばずに、ギルバートが居る内に、ゴルベーザの姿は闇の中に消えた。

「気配って・・・何が―――ああっ、くそっ、解らないことだらけだッ! ―――フライヤ!」
「な、なんじゃ!? どうしたっ!」

 突然、声をかけられてうろたえるフライヤに苦笑。
 どうやら目の前の異常事態―――広間を溢れんばかりに満たした異常な闇に目を奪われていたらしい。

「・・・僕も、この中に入って何が起きているのか確認してくる。フライヤ、君はリディアを頼む」
「そ、そうは行かんぞ! わしの役目はお主を守ること! お主が行くなら―――」
「リディアを一人にさせるわけにはいかないよ。頼む。ここは僕に格好つけさせてくれ」

 そういって、ギルバートは軽くウィンクする。
 それを見て、フライヤは嘆息。

(馬鹿者が・・・声が震えて居るではないか・・・)

 思いながら、怯えているのは自分も一緒なのだと自覚する。
 正直、あの闇の中には入りたくない。
 臆病者と、自分を認めるのは癪だったが、それでも認めざるをえない。同時に、ギルバートの勇気も。

「・・・わかった。この娘のことは任せろ。じゃが、絶対に無事で帰ってきてくるんじゃ」
「善処するよ」
「お兄ちゃん!」
「なんだい、リディア?」
「・・・ティナが―――・・・ううん、なんでもない。気をつけて!」

 リディアが言いかけた言葉に、そういえば一緒にいるはずのティナとローザはどうしたのかと思いながら。
 しかし、今はそれを詮索している余裕はないと、判断して、

「ああ、行ってくる!」

 そういって、彼女たちを安心させるように微笑んで、彼はゴルベーザを追って闇の中に入っていった―――

 

 


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