第8章「ファブール城攻防戦」
O.「初戦決着」
main character:ギルバート=クリス=フォン=ミューア
location:ファブール城

 

 森を出たギルガメッシュは、眼前に広がる光景に驚き、動きを止める。

 ファブールの城門の前。
 先刻はセシル一人だけだった(実はバッツとヤン、ギルバートも潜伏していたが)が、今やファブールのモンク僧たちがずらりと並んでいる。

「ちっ、雑魚共が何人出てこようと敵じゃねえ! 野郎共、行くぜ!」

 と、ギルガメッシュのかけ声をかき消すように。

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!

 モンク僧兵たちの上げる鬨の声が、戦場に響き渡る。
 戦意高揚しているモンク僧たちに比べ、陸兵団の方はずいぶんと萎縮してしまっているようだった。

 朝方とは逆である。
 カイン=ハイウィンドの読みは正しかったとも言える。
 数は陸兵団の方がまだ多い。
 モンク僧たちは、負傷者で半分になってしまった陸兵団の、そのまた半分もいるか居ないかというところだ。
 だというのに、陸兵団の方が圧倒されている。

(いや・・・圧倒されてるのはモンク僧にじゃない、セシル=ハーヴィに、だ)

 ロックモッドは胸中で呟く。
 正直なところ、自分だってセシル=ハーヴィを相手にし、さっきも力を見せつけられて気後れしている。
 ・・・なによりも、この戦いそのものに疑問を感じていた。

(エブラーナとの戦争を停戦状態にまで持ち込み、フォールスの平和を願ったオーディン王―――それが、今は戦争を望んでやがる。・・・これは、本当に王の意志なのか? それに・・・)

 セシル=ハーヴィだ。
 かつては自分の部下であり、赤い翼の初代軍団長にまでなった暗黒騎士。
 個体ではバロン最強の力である暗黒剣と、バロン最強の軍事力である飛空挺団を持っていた男。
 それが、どうしてバロンを出奔したのかも解らない。理由は聞かされず、ただ「セシルがバロンを裏切った」とだけ伝えられた。
 セシルはバロンを出奔する前に、ミシディアへ出兵している。目的は水のクリスタルの奪取。

(セシルの奴も、バロン王の意志に疑問を持った? だから国を出て―――)

 今、バロンの敵として立ちふさがっている。
 疑問はまだある。こうまでしてバロン王が欲しがっているクリスタルとは一体なんなのだろうか。
 リックモッドが知っているのは、フォールスにある六国家のうち、バロンとエブラーナ以外にある秘宝であり、数年前にトロイアの土のクリスタルが何者かに奪われたと言うことくらいだった。

 リックモッドにとって、セシル=ハーヴィは「正し」かった。
 かつて部下であった時代にも、セシルが間違った判断をしたという記憶はないし、それは赤い翼の軍団長になってからも同じだった。セシル=ハービィは完璧な人間ではない。ただの人間だ。だからこそミスもするし、間違いもする―――それでも最終的に正しい選択をすると思えるのが、リックモッドにとってセシル=ハーヴィという男だった。
 部下だったのは数年もないが、その数年のうちに何度もセシルには助けられた。だから、リックモッドはどんなに無茶無謀でもセシルは正しいと信じられる。
 そのセシルが今、敵方に居る。

(・・・解らないことだ。解らないことばかりだが・・・)

 おそらく、と認める。
 セシルは正しいのだろう。セシルの生い立ちは、何度か耳にした。本人からも聞いている。バロン王に拾われたと言うことも―――そんな大恩ある王へ、なんの理由もなく牙を剥くような男ではないとも知っている。
 相応の理由があるのだろう、が、しかし。

(それでも、俺はバロンの兵隊なんだよな!)

 本心は、今すぐ部下を引き連れてセシルの元へと馳せ参じたいと思っているのかも知れない。
 だが、リックモッドはセシルのように天涯孤独というわけでもない。バロンには家族が居る。家族が人質と思っているわけではないが、しかしここで自分勝手に離反してしまえば、家族にどんな災いが訪れるか解らない。

(所詮、俺はセシル=ハーヴィにゃなれねえってことだ)

 正しいこと、正しくないこと、間違ってること。
 それだけで、自分の行動を決めることは出来ない。
 時には解っていながらも、間違った道を行かなければならない時もある。

 だから。

「ギルガメッシュ軍団長殿!」

 リックモッドは二の足を踏めずに居るギルガメッシュに進言する。

「敵をよく見ろ! あの中にセシル=ハーヴィは存在しない!」

 ギルガメッシュに伝えるように、しかし周囲にも聞こえるように、大声で。

「セシル=ハーヴィをよく知るカイン殿の言うとおりですぜ! セシル=ハーヴィは無茶をし過ぎた! 今頃はベッドの上だ! 攻めるなら―――」
「馬鹿野郎! セシルなんちゃらが居ようと居ないと関係ねえ! てめえら、行くぜ! 戦争だぁっ!」

 ギルガメッシュが先陣を切る。
 おおおおおおおおおおおおおおおっ、と陸兵団の兵士たちもリックモッドの大声にセシルが居ないことに気づいたのか―――リックモッドにしてみれば、ギルガメッシュに檄を飛ばすと言うことよりも、周囲の味方に ”セシルが居ない” ということを気づかせることが目的だった―――声を張り上げてギルガメッシュに続いた。もちろん、リックモッドも続く。

(勝てるのか、俺たちは・・・セシル=ハーヴィに・・・勝てるのか?)

 抱えた不安を、心の底に押し込めて、リックモッドもまた腹の底から力一杯の声を張り上げた。

 

 

 

 

 森の外に出たまま止まっていた陸兵団が動き出す。
 その様子を、ギルバートは認めると、短く呟く。

「来たね」
「ああ」

 ギルバートとバッツはファブールの城門の上に居た。
 すぐ下にはファブールにある全モンク僧がずらりと並んでいる。
 ファブールの全兵力と、幾らか減った陸兵団。それでも、モンク僧の方が数は少ないが、戦意はこちらの方が遙かに上だ。

 セシル=ハーヴィがたった一人で撃退した陸兵団など恐るるに足らず、とでも言うかのように、向かってくる陸兵団に対して動揺も気後れもなく、整然と門の前に並んだままだった。

 なんにせよ、セシルの一番の目的は達成できたのだと、ギルバートは安堵する。

「さて、と。後はセシルが居ない間、なんとか持ちこたえなきゃね―――出番だよ、セシル=ハーヴィ」

 ギルバートは後ろを振り向く。
 と、漆黒の鎧と悪魔を象った兜に身を包んだ一人の暗黒騎士が、のそりと立ち上がるところだった。

 

 

 

 

 コケた。

 さっきもあった、草の輪っかの足払い。
 再び思い切り引っかかって、ギルガメッシュは草の上に転んだ。うつぶせに。
 それを見た後続の兵士たちは進軍の速度を落とす。罠に引っかからないために。

「くそったれが」

 毒づいて、ギルガメッシュは草でこすった顔面を払い、身を起こした。
 身を起こしたところでそれが見えた。
 城門の上、三人の人影が見える。その内の一人には見覚えがあった。

「セシル、ハーヴィ・・・」

 ぎくりとして身を強ばらせる。
 他の兵士たちも気がついたのだろう。
 いつの間にか、陸兵団の進軍は止まっていた。

「嘘だろ・・・」

 リックモッドもまた止まっていた。
 その視線は暗黒騎士の姿を見つめたまま、動かすことが出来ない。
 視線をそらせばまた、あの暗黒の刃が飛んでくるような気がして。

「あ・・・あのスカシ野郎! デタラメ言いやがって!」

 ギルガメッシュが勢いよく立ち上がり、憤慨してみせる。
 スカシ男とはカインのことだろう。だが、リックモッドはギルガメッシュの言葉に同感だった。

(だからだ・・・だからセシルを甘く見てると・・・!)

 苦々しく思いながら、どうするかを悩む。
 セシルが居るからと言って、まともに戦えるかどうかも解らない。無理の延長で、なんとか立っている状態なのかも知れない。
 だが、セシル=ハーヴィがそこに居るだけで、ファブールのモンク僧兵たちは気力が否応にも上がるだろうし、こちらはその逆だ。なにより、さきほどよりもこちらの兵数は少なくなっている。それもバロン兵の弱気の原因にもなっている。
 数だけみれば、こちらの方が勝っているが、こちらは減少して、あちらは完全な状態だ。そう考えてしまえば兵力面でも万全とは言えない。

(どうする・・・一か八かで突貫するように軍団長殿を煽るか? それともここは一旦引いて・・・)

「おいてめえら! ビビってんじゃねえ! ―――行くぞ!」

 リックモッドの意志が固まらないうちに、ギルガメッシュは進軍を再開。
 戸惑いながらも、他の兵士たちが続く。

 それに対応して。

「・・・・・・・・・」

 城門の上に立つ暗黒騎士が、腰の暗黒剣を引き抜いて振り上げる。
 それを合図として、城門の前に整列していたモンク僧たちが一斉に動き出した!

(駄目だ・・・)

 リックモッドは心の中で断じた。
 もとより士気が低かったところに、セシルの出現だ。もはや陸兵団の戦意は底辺に近い。
 ただ一人ギルガメッシュだけが気を吐いているが、たった一人だけではどうにもならない―――

(・・・セシル=ハーヴィでもなければな)

 セシルならば、どうするだろうか。
 そう思い、気づく。
 先ほど、セシルが一人で出てきた理由。もしかすると、モンク僧たちもさっきは今の陸兵団と同じように戦意喪失していたのかも知れない。
 だからこそ、セシルはたった一人で出てきて、あれほどの無茶をした―――せざるを得なかった。

(セシルの目的は敵の戦意を喪失させることじゃねえ。味方の戦意を上げることだった!)

 愕然とする。
 如何に大軍団であろうとも、士気が低ければ蟻の群れにも劣る。エブラーナとの戦史上にもいくつか、そんな事例があった。だからこそ、歴史上で名将と呼ばれた騎士は、なによりもまず兵士の心を重んじた。兵たちの戦いの意志が強く、固まり、一つになればどんな敵にも立ち向かえると。

(これは・・・負けたな)

 負けを認め、それでもリックモッドは剣を抜いてギルガメッシュを追いかけて駆けだした。

「うをおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 声を張り上げて。
 自棄だった。

 

 

 

 ―――結局、バロン軍陸兵団は無様に敗退することとなる。

 負傷者は両軍合わせた数の、8割ほどが陸兵団だった。
 死者と戦闘不能者を合わせた数も、陸兵団の方が遙かに多い。陸兵団の気迫のこもらない刃は、モンク僧兵たちには殆ど通用しなかった。ギルガメッシュとリックモッドの二人が、数人敵を屠っただけだ。

 空の陽が傾き、天頂よりも地平線に近くなった頃、リックモッドの周りには陸兵団よりもモンク僧の割合の方が多くなっていた。足下に倒れているのは殆どが陸兵団の面々だ。
 リックモッドは、拳に付けた鉄の爪を振り上げて襲いかかってくるモンク僧の喉元をカウンターで貫いて、その返り血を浴びながら苦々しく舌打ち。
 最早、バロン軍は敗色濃厚。これ以上やっても、戦力を消耗するだけだと判断したリックモッドは、

「陸兵団、引けぇっ! この戦、負け戦だ!」

 リックモッドの声に、一瞬だけ戦場の動きが止まったような気がした。
 だが、すぐに動き出す。
 陸兵団はファブールの門へ背を向けて走り出し、モンク僧はそれを追いかけようとする。が。

「追うな! 行かせるんだ!」

 城門の上。
 ギルバートが叫ぶ。
 その号令に、モンク僧たちは追撃をやめる。
 それを確認すると、ギルバートは森のほうへと撤退するバロン軍を見送り―――それから、彼の傍らにたつ暗黒騎士を振り返る。戦闘が始まってから、暗黒騎士は微動だにしていない。振り上げた剣は腰の鞘に収めていたが、突っ立ったままでまるで案山子のようだった。

「・・・ご苦労様」

 言うなり、ギルバートは暗黒騎士の兜を外す。
 兜に触れたとたん、ひやりとした悪寒が背筋に走るが、意志の力でなんとか押さえ込む。

 兜の下から出てきた表情は、セシルのそれではなかった。
 ヤンだ。
 未だにセシルは意識が戻っていない。だから、ヤンが暗黒の武具を着込んで、セシル=ハーヴィのふりをした。セシルの存在はすでにバロン軍にとって恐怖の象徴となっていた。セシルの姿があるだけで、バロン軍は恐怖に萎縮し、そしてファブール軍はその逆だ。だからこそ、 “セシル=ハーヴィ” は必要だった。

「終わった・・・か」

 ヤンの表情は苦しげだった。
 顔は、先ほど血を吐いたセシルほどにないにしろ、顔面蒼白で、まるで雨に打たれたかのようにびっしりと汗をかいている。
 と、その身体がぐらりと揺らいだ。

「おいっ」

 倒れようとするヤンの身体を、バッツが慌てて抱き留める。
 暗黒の鎧に触れて、バッツはイヤな感覚が自分の中に入ってくるのを感じて嫌悪を覚えたが、こらえてゆっくりとヤンの身体を城壁の上に寝かせた。ヤンはすでに気を失っていた。

 本当ならば、ヤンはモンク僧たちを指揮する立場であり、セシルのふりをするならばギルバートかバッツのどちらかが適任だったが、暗黒騎士として訓練の受けていない者が暗黒の武具を身に着ければ、正常で居られるかどうかは解らない。
 暗黒騎士としての訓練を受けていないのはヤンも同様だったが、ヤンはモンク僧として、それらを束ねる長として、今まで過酷な修行を積み心身共に鍛えてきた。暗黒の武具を身に纏って戦うのは無理でも、ダークフォースに精神が負けることはない、とセシルは読んでいた。

(つまり、セシルは最悪自分が戦闘不能になることを考えていたわけだけど・・・)

 セシルが血を吐いたときのことを思い出し、今、気を失ったヤンの身体を見下ろす。

(セシルのあの状態は尋常じゃなかった。予想以上に無理をしたんじゃないだろうか・・・)

 ギルバートがセシルに聞いていたのはここまでだった。
 つまり、セシルが倒れたら、その鎧をヤンに着せて身代わりを立てろと。
 それで、とりあえず初日は凌げるだろうというセシルの予測で、そしてそれはその通りになった。

(けれど問題はここからだ・・・セシルが今晩中に目を覚ましてくれればいいけど・・・もしも目が覚めなかったその時は―――)

 不穏な予感を抱き、ギルバートはある一つの決意を胸に秘めた。

 

 

 

 漠然とした概念がある。
 それは黒く重く痛く。
 漠然とした概念がある。
 黒く黒く、重く重く、痛く痛く。
 押しつぶされそうな圧力を感じる黒。痛みは痛覚で感じる痛みではなく、頭が痛い足が痛いと身体のどこかが痛いわけではなく、ただ痛いと感じる。激痛でもなく鈍痛でもなく、死にたくなるような痛さでもなく、蚊に刺されたような痛さでもない。ただ痛い、痛い、痛いと感じる。感じ続ける。

 重くのしかかってくるようなそれは黒だった。
 白でも青でもない。色ですらない。色でない色。しかし無色ではなく、ただ黒だ。
 言うなればそれは地上にある色ではなく、宇宙そのものの色のように感じられる。

 自覚することは一つだった。
 自分は気が狂っているのかも知れない。
 いや、気が狂おうとしているのだと。

 自我はすでに黒に押しつぶされたいた。
 自分が何者なのかなど、すでに無意味となっていた。
 ただひたすらに、重く、黒く、痛い。

 重く、黒く、痛い。
 ただ三つのことを繰り返し感じ続けるだけ。
 感じ続けるだけ。

 それは恐怖ではなかった。安らぎでもなかった。
 ただ感じ続けるだけ。

 気が狂っているのだと自覚する。

 人が気が狂うとは、思考を限りなく一方向にして、なおかつその思考と連動した感情を極端にすることである。
 それが怒りに向けば怒り狂い、哀しみに向けば無き狂う。愉悦に傾けば笑い狂うだろう。

 気が狂っているのだと自覚する。
 重く、黒く、痛い。
 それを感じているのに。ただそれだけを感じて、思考しているというのに。
 しかしそれ以外のことはなにもない。感情もない。
 だからこそ狂っているのだと自覚する。

 無感情に狂っているのだと自覚する。

 だからこそ理解できそうだと。
 理解しようのないものを理解するには狂えばいいのだ。

 だからこそ理解できそうだと。そこに手が届きそうだと。

 ダークフォースとは―――

 

 

 

 

「・・・・・・・」

 目を覚ませば見慣れた天井が見えた。
 天井を見て、ぼんやりとそこは自分の部屋だと知覚する。
 天井を見上げたまま、彼はそのまま身じろぎ一つしなかった。

 身体が重い。
 気分が悪い。
 嫌な汗を体中にかいていて、気持ちが悪い。
 今すぐ、寝ているベッドから降りて、着ている服を全部脱いで、そのまま風呂場に飛び込みたい気分だった。

 だが、それ以上に動きたくない。
 果てしなくだるい。動くことも、そしてそのまま目を閉じて寝ることさえも億劫だった。
 だから彼は目を見開いたまま、瞬きひとつせずに天井を見上げ続ける。

「お。起きたか?」

 声が飛び込んできた。
 聞き慣れない声だが、聞き覚えのある声だった。
 などと思っていると、茶色い髪が視界に飛び込んできた。バッツだ。

「よぅ。やっとお目覚めかよ。もう夜だぜ?」
「・・・夜・・・」

 なんとなく呟く。
 声を出すのも面倒だったが、声に出して、そしてその自分の声を自分の耳で聞けば、自分の中の何割かを取り戻したような感覚。
 自分のかけらを取り戻されたら、後は早かった。
 自覚する。
 自分のかけらから、自分自身を自覚していく。

 気がつけば、ヤンは取り戻していた。
 そして理解する。
 今の瞬間まで、自分は理解してはいけないものに失われようとしていたことを。
 理解してはならないものを理解してしまいそうだったことを、理解する。

「くっ・・・」
「お、おい、大丈夫か? さっきまで唸されてたけど・・・まだ具合が悪いのか?」

 そういうバッツの声は心配そうだった。
 よく見れば、その顔もどこか不安そうだ。

「いや・・・もう、大丈夫だ」

 言って、身体を起こす。
 身体的なダメージは何もない。
 重さも、黒さも、痛みもここにはない。

(・・・重さ? 痛み・・・?)

 自分で感じたことに、不思議を感じる。
 だが、最早、自分を取り戻し、 “それ” を理解することの出来なかったヤンには理解できないことだった。

「ったくよー。せっかくバロンの連中を追い返せたってのに、アンタもセシルもブッ倒れたまま起きないしさ。喜ぶ気分にゃなれなかったぜ」

 やれやれと、ため息混じりにバッツが肩をすくめる。
 その表情は苦笑だった。安堵の苦笑。

「そ・・・うか、バロン軍は撃退できたか」
「一時的にだけどな。森の奥には引っ込んだけど、まだ飛空挺が飛び立った気配は見えねえ。多分、明日か・・・早けりゃ今夜あたりにでも仕掛けて来るかもだってさ」
「今夜だと?」

 ありえない話だとヤンは思った。
 確かにバロン軍は数が多い。昼間大勝したとしても、まだ向こうの方が戦える数は多いだろう。
 戦力だけを見れば、夜襲を仕掛けてもおかしくはない。

 が、昼間の戦いの内容を見れば、それはあり得ないことだ。
 暗黒の武具に飲み込まれないように意識を集中し(それでも、わずかに呑まれかけたが)、戦いの結果まではみれなかったが、それでもセシル=ハーヴィを装った自分を目にしたときのバロン軍の様子は覚えている。

 バロン軍はセシル=ハーヴィを恐れている。
 かつてはバロン最強の赤い翼を束ね、最強の暗黒騎士と呼ばれた、あらゆる意味でのバロン最強の騎士。
 一騎打ちはカイン=ハイウィンドに譲るとしても、恐ろしいのはセシル=ハーヴィだった。
 そして昼間の戦だ。
 たった一人で、陸兵団の足を止め、暗黒騎士団のダークフォースを跳ね返した。今や、セシル=ハーヴィの恐怖はバロン軍の中でトラウマとなって心にこびりついているはずだ。

「兵士が戦える状態だとは思えないが・・・」
「一般兵はな。けどバロンが強いのは軍隊の数が多いだけってわけじゃない。軍神とも呼ばれるバロン王オーディンを筆頭とする、カイン=ハイウィンドや今はもう死んだらしいけど、元陸兵団隊長の聖剣戦士アーサー=エクスカリバーとか、名を馳せた武人も多い。加えて今は、ガストラの将軍たちも加わってる」
「まさか・・・少数精鋭で夜襲を仕掛けるとでも?」
「出来ないことじゃない・・・って、ギルバートは言ってたな。セシル=ハーヴィだって、たった一人でバロン軍を撃退した。それなら、セシルに匹敵する連中が城を攻めることだってあり得るだとさ」
「説得力があるのかどうかわからんな」

 ヤンは苦笑。
 セシル=ハーヴィは人間ではない。化け物だ。前々から薄々感づいていたが、昼間の戦いを見て確信した。あれは人の子ではない。
 しかし、その化け物に匹敵する者が相手に居ることも事実だった。特に、カイン=ハイウィンドは一対一ならばセシルより強い。今回は飛竜のアベルも共にある。人竜一体となったカインの戦闘力は、一軍を凌ぐとの噂も聞く。そしてガストラの将軍に関しては、その実力は未知数だが、いずれも腕の立つ魔法戦士らしい。特に、レオ=クリストフの名前は海の向こうから高らかに鳴り響いてきている。

 そして・・・

(ルビカンテ、といったか・・・? 私の弟子たちを・・・屠ったあの男)

 ホブス山の山頂で修行中に急襲してきた炎の男を思い出す。
 セシルとバッツによって、深手を負ったようだが、まだ生きている。この戦には出てくることはないだろうが、あれも化け物だ。その後に出てきた女も似たような存在だろう。

「ならば・・・寝ているわけにはいかんな」
「おい、無茶するなよ?」
「身体は無茶ではない」

 外傷もなく、間接などを確認してみるが、寝ていたせいで少々だるいだけだ。
 問題は心だった。
 敵が来るかも知れない。強敵だ。迎え撃つ準備をしなければならない―――と解ってはいるのだが、意気が出ない。
 やる気がまったく起こらない。
 先ほどから、感情が薄いのを自覚していた。バロンを一時的にせよ、撃退したとバッツに聞いたときにも殆ど何も感じなかった。感覚がマヒしている。これも、ダークフォースに呑まれかけた後遺症なのだろうか?

(無感動に狂っている・・・?)

 なんとなく、そんなことを思った。
 思ってから首をかしげる。なんでそんなことを考えたのかすら疑問だった。

 それ以上考えてはいけないような気がして、ヤンは思考を打ち払う。
 と。

「・・・そういえば、バッツ、お前だけか? 他の者は・・・」

 今の今まで気にしなかったが、ヤンの部屋には自分の他にはバッツが居るだけだった。

「他のモンク僧は、持ち場に着いてるよ。ギルバートは・・・」

 そこまで呟いて、バッツははて? と首をかしげた。

「そーいやアイツ、どこに言ったんだろ。さっきちょっと出て行くって言って―――」

 

 

 


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