第8章「ファブール城攻防戦」
M.「闇の力」
main
character:セシル=ハービィ
location:ファブール城・城門
炎の壁の向こうから、影の獣が飛び込んでくる。
その獣に突き飛ばされる寸前、ギルガメッシュは確かに見ていた。獣が通ったために出来た、炎の壁の穴。その向こうに、暗黒剣を構えるセシル=ハービィの姿が!セシル=ハービィ。
その名前をギルガメッシュは知っていた。バロン軍に居れば、耳を塞いでいても聞こえてくる。いや、このフォールスの城に仕える戦士ならば誰もが知っているだろう。若くして赤い翼の初代軍団長に選ばれた若き英雄。最強の暗黒騎士。
その姿も知っていた。話をしたことはないが、バロン城の中で何度か見かけたことがある―――ギルガメッシュが陸兵団の軍団長に選ばれたのは、セシルがミシディアへクリスタル強奪へ行った直後のことなので、向こうはこちらのことを知らないが。「ぐあっ!?」
影の獣に地面に叩き付けられ、ギルガメッシュはしたたかに頭を打った。
頭の痛みをこらえながら地面に寝たまま、体を小さく丸めて防御態勢になる。獣の二撃目を覚悟した―――が。「・・・なんだ?」
追撃はこなかった。
獣はギルガメッシュの体の上を飛び越えて、後続の兵士たちをなぎ倒す。
素早く立ち上がって周囲を見れば、炎の壁の向こうからは数十、数百匹の影の獣が間断なく出現して兵士たちを倒していく―――倒しているだけだ。兵士たちは地面の上に吹っ飛ばされて、だが致命傷は無いようだった。下手な転び方をして、腕や足を軽く脱臼したり、酷いのになればどうやら骨折した者までいるようだが、それ以上のダメージはないようだった。
それから、ギルガメッシュは今更のように気がついた。影の獣たちには殺気がない。イコール、それを放ったセシル=ハービィに殺意がないということになる。「ナメてんのか・・・?」
ぎり、とギルガメッシュは奥歯を食いしばると怒りの形相で叫んだ。
「野郎ッ! おい、お前ら、敵は俺たちをナメてんぞッ! ンな畜生共にこかされてるんじゃねえッ! 突撃しろ!」
「し、しかし軍団長! 突撃するって言っても炎が・・・」
「う・・・」炎はまだ燃えさかっていた。
獣が向こうから飛び込んでくるたびに、わずかに揺らぐものの、まだまだ消えそうには見えない。
ギルガメッシュは左右を見渡した。炎の壁は一面だけだ。ファブールの城を取り囲んでいるわけではない。「こうなったら、炎を迂回して―――ぐあっ!?」
呟いた瞬間、ギルガメッシュは獣に押し倒される。三度、地面に転がされたギルガメッシュの顔を、獣はわざわざ踏みつけてからさらに後続へと飛びかかった。ちなみに獣の足は、影だというのに妙に質感があった。言わば “にくきゅうぷにぷに” 。こんなところに、職人・セシル=ハービィのこだわりが―――
「って、なんじゃそりゃあああああっ!」
大声で叫ぶと、素早く立ち上がる。
それから周囲に伝令を飛ばした。「左右に散開しろッ! それから、後続の暗黒騎士団に何とかしろって伝えとけ!」
「りょうか・・・あああっ!?」伝令の数人がギルガメッシュの前で獣に吹っ飛ばされた。
ギルガメッシュは完全に怒り心頭。炎の壁の向こうで影の獣を解き放つセシルに向かって睨付けた。(こいつ・・・ダークフォースの固まりだ。つか、こんな数をぶっ放せるのが人間だって言うのか!?)
怒りながらもぞっとする。
頭は熱くかっかしながら、しかし身体は恐怖に冷えていた。その恐怖を自覚して、ギルガメッシュはさらに怒りを増した。(ゴルベーザの野郎を見たときにも驚いたがよ。このセシル=ハービィってのはそれ以上だ―――ケタが違いすぎる。下手をすりゃ、あのお方もしのぐぜ・・・)
エンキドウが帰って良かったと、彼は思う。
あの方を信奉している奴のことだ。セシル=ハービィのような存在は、何よりも認められないだろう。などと思っていると、また獣に吹っ飛ばされた。四度目。
源氏の武具を身につけているために、手をついたり変に受け身を取らなければ、ダメージはほとんど無い。が、だからこそ逆に腹が立つ。「あンのやろーっ。絶対に殺すーッ!」
倒れたまま、ギルガメッシュは叫んでいた。
間断の無い影の獣の攻撃に、陸兵団の動きは鈍かった。
それでも、なんとかギルガメッシュの命令通りに左右に開いた形になる。
そして、後ろに控えていた暗黒騎士団が前に出た。「全体ーッ、構えッ!」
暗黒騎士団長ウィーダス=アドームが指示を出す。
整然とした動きで、横一列に並ぶ暗黒騎士団。その数は100人いるかどうかと言った数だ。
だが、暗黒騎士の力は、その数の100倍、1000倍以上にもなる。それほどまでに、暗黒剣の威力は凄まじかった。ただ単純に破壊力を比べるならば、魔法や魔導などは遙かに凌駕する力を持つ。黒い暗黒の鎧に身を固めた一団は、セシルと同じような、切っ先を前に向けたまま肩より上へと剣を持ち上げる。その姿はまるで、バズーカ砲かショルダーカノンでも担いでいるような姿だ。もっとも、そこから解き放たれるのは、弾頭などよりももっと凶悪な力なのだが。
「撃て!」
短く、きっぱりとしたウィーダスの号令に、暗黒騎士たちは一斉にダークフォースを解き放つ。
黒の剣から放たれた黒い力の光。まるで帯のように広がっていたそれは、セシルへ到達するまでに重なり合い、糸が編まれて綱となるように、一条の巨大な光となった。
収束した黒い光は、斜線上に居た影の獣たちを飲み込み、しかし威力を衰えさすことなく猛進する。
光は炎の壁に突きたたり、貫き、穴を開けた。そのまま、炎の壁の向こうにいたセシルへと。凄まじい威力だった。
光が上を通り、かすめただけの草は、まるで命を削られたように枯れてしまった。
大気が震え、見ている陸兵団の兵士たちに寒気すら感じさせた。
そして、城とバロン軍を隔てていた炎の壁のド真ん中が突き破られ、セシル=ハービィごと城門を破壊する――――――はず、だった。「なん、だと・・・・・・?」
ウィーダス=アドームは唖然として眼前の光景を見ていた。
陸兵団が左右に退き、炎の壁もダークフォースによって取り除かれた。その視線の先で、しかしファブールの城門は未だに健在だった。
ダークフォースが城門に通じなかった、わけではない。ただ、届いていない。・・・そう、ダークフォースは届かなかった。総勢100名にもなる暗黒騎士のダークフォースを、セシル=ハービィただ1人が受け止めていた。「化け物か・・・?」
セシルは右手で腰の辺りで剣の柄を握り、剣は右の腰から左の肩へ斜めにして、剣の腹を見せて構えていた。その切っ先の辺りに左手を添えて、剣を盾にした構えだ。
シャドーブレイドは、ダークフォースを受け止めた―――というよりは、どうやら吸収したとでもいうのか、怪しくぼんやりと黒い光を放っている。ぼんやりとだが、その光は強すぎて剣の輪郭が解らない。まるで膨張しているようで、普通の剣の2倍、3倍にも見えた。動揺していたのはウィーダスだけではなかった。負の力に折れぬように精神を鍛え上げられた暗黒騎士の誰もが、動揺していた。
顔を見合わせ、困惑する暗黒騎士。
ただウィーダスだけが呆然とセシルを凝視していたので、気が付けた。セシルは剣を盾にした構えを解くと、剣を持ち帰る。
それはセシルにとって―――そしてウィーダスにとっても親しみなれた構えだ。
さきほど、暗黒騎士たちが見せた暗黒剣の構え。それを見たウィーダスは反射的に叫んだ。「逃げろ―――(いや、間に合わんッ)―――伏せろッ!」
言いながら、自身もその場に伏せた。
他の暗黒騎士団たちが、自分の言葉に反応できたかどうか、気に掛ける余裕もなく―――直後。
「行けるよな・・・シャドーブレイド・・・!」
セシルはダークフォースを受け止めたシャドーブレイドを、いつもの暗黒剣の構えをとって、それからその刀身をちらりと見る。
シャドーブレイドの刃の真ん中辺りに、小さくひびが入っていた。さすがはバロンが誇る、世界でただ一つの暗黒騎士団。凄まじい力を秘めたシャドーブレイドと言えども、完璧に受け止めることは出来なかったようだ。セシルは小さく「すまない」と剣に向かって謝罪すると、目標を見定める。
視線の先には暗黒騎士団―――と、それを束ねるウィーダス=アドーム。暗黒騎士になる修業時代に、幾度か面倒を見て貰ったこともある。そして、もしもセシルが赤い翼の初代軍団長に選ばれなければ、彼の元で暗黒騎士団の一員となっていたはずだった。「行きます・・・ウィーダス団長!」
ぐ、とセシルは地面を踏みしめると、シャドーブレイドの中に蓄積された暗黒騎士たちのはなったダークフォースを知覚する。
そしてそれを、解放するイメージを持ちながら、目を閉じるともう一つのイメージと重ねた。
シャドーブレイドが持つ、獣のイメージではない。様々な暗黒騎士のイメージがごちゃ混ぜになった、漠然とした―――ぼんやりとした夢のようなイメージ。ただしその夢は黒く彩られている。さらにセシルはもう一つイメージを付け加えた。
それは刃。なによりも鋭く、鋭利に刻みつける―――長剣ではなくナイフのような刃のイメージ。
三つのイメージが混合した瞬間、セシルはダークフォースを全力をもって解きはなった!暗黒剣
セシルの剣から解き放たれたのは刃だった。
漆黒の刃。
長めの二等辺三角形の形をした黒い刃が、消えかかっていた炎の壁の残り火を断ち切り、草原の草を切り裂いてバロン兵たちの間をかすめていく。
刃は地を這うような低さを飛び、兵士たち、主に足下をかすめて飛び、足を切られた兵士は痛みに転倒。中には腱を切られた者もいて、倒れ込んだまま起きあがらない。先ほどの、無数の獣よりもなお多い、無限数の漆黒の刃が通り過ぎたあとには、立っているバロンの兵士は一割にも満たなかった。 スカルブレイド
ウィーダスは、代々暗黒騎士団長に継がれてきた暗黒剣・髑髏の剣を地面に突き立てて、身を支えていた。
伏せていたために黒の刃を回避することが出来ず、頬と両足を切られた。腱は切られていないが、それでも傷は深い。先ほどから、血がどくどくと流れ続けている。命に関わる傷ではないが、しかし剣を支えに立ちあがるのが精一杯と言った状態だ、身動きが取れない。早く手当をしなければ、満足に走ることも出来なくなってしまうかもしれない。(・・・これは、現実なのか・・・?)
夢ではないことは、足の痛みが教えてくれている。
ウィーダスを支えている剣は、名の通りに髑髏で作られている。そのため、切れ味は皆無と言って良いが、秘められたダークフォースはバロンで最強のものだった。かつてセシルがバロンに居たときに使っていた暗黒剣も高品質のものだったが、この髑髏の剣はそれを上回る。普通の暗黒剣の十数本分の力があり、ウィーダスが扱えばその力はさらに増す。しかし、セシル=ハービィと、その剣の力はそれを遙かに上回っていた。
百本分の暗黒剣―――しかも、心身共に鍛え抜かれた暗黒騎士がその威力を高めたダークフォースを、あろうことか受け止めただけでなくさらに増幅して跳ね返したのだ。
例え、足が痛みを伝えてきても、夢であると信じたい―――ダークフォースと言う ”恐怖” の込められた武具を身にまとい、その恐怖に負けない強き心で幾多の戦場を駆けめぐったウィーダスでさえそう願ったのだ。部下の暗黒騎士は言わずもがなである。皆、パニックになって背を向けて逃げ出そうとして足をもつれさせて転んでいるか、失神しているかのどちらかで、中には気が触れて馬鹿みたいに笑い出している者もいた。無理もない、とウィーダスは思う。同じ暗黒騎士ゆえに、セシル=ハーヴィの力が、自分たちとの差がどれほどのものなのかがはっきりと解ったのだ。(この戦・・・もはや我らの出番はないな・・・)
悔しさも、憤りもなく、ただ呆然とウィーダスは思った。
ダークフォースを扱うのは心の力だ。恐怖に負けぬ意志の力。しかし、今、セシル=ハーヴィのダークフォースという恐怖に屈してしまった以上、相手にセシルが居る限り、暗黒騎士は使い物にならない。セシル=ハーヴィという恐怖を克服しない限り、ダークフォースを使おうとしても使うことは出来ない。下手をすれば、恐怖に飲み込まれて狂戦士か廃人になってしまうだろう。「あれは・・・人間ではない・・・!」
ウィーダスの声は震えていた。
恐怖に、セシルという存在に恐れおののいて震えていた。
悲鳴が聞こえる。場に居るバロン兵たちの悲鳴だ。恐怖に対する悲鳴。
暗黒騎士ほどでなくとも、陸兵団の面々もようやくにして気がついたようだった。自分たちがどういう存在に対して戦っているのかを。ウィーダスの視界の中で、陸兵団の人間が泡を食った表情で、こちらに向かって走って来ている。走れぬ者は這って。中には、気を失った仲間を担いで走る平兵士も居る。炎の壁はすでに消えていた。
その向こうにはファブールの城門が見えて、その前にはぽつんとセシル=ハービィは立っているだけだ。
だというのに、陸兵団の誰もがこちらに向かって駆けてきている。軍団長であるギルガメッシュですらも。逃げているのだ。
セシルという恐怖から、皆、逃げているのだ。
そうと解ってもウィーダスはそれを笑うことはできなかった。
自分も、もしも両足がまともならばそのまま逃げていただろう。這って逃げなかったのは、辛うじて残った暗黒騎士団長としての誇りのためだった。皆が、陸兵団も暗黒騎士団も、皆が逃げている中、ウィーダスだけがセシル=ハーヴィに向かっていた。
だからこそ、彼だけが気づいた。
恐怖たるセシル=ハーヴィに向かって、急降下する1人と1匹の竜騎士を!
「おのれ、セシル!」
セシルに向かって急降下するアベルの背の上で、カインは憤りを口にしながらも顔は笑っていた。
(やはり、やはりだ! セシル=ハーヴィ・・・俺が王と認めた男!)
風向きは間違いではなかった。
そもそも火攻めですらなかったのだ。
草を結んだだけの、子供だましみたいな足止めと同じように、陸兵団の突進を止めるためのものに過ぎなかった。
風向きはどうでも良かったのだ―――暗黒騎士団とセシルのダークフォースに消されてしまうのだから。しかし草と炎は策だとしても、ダークフォースで退けたのは力技だと思った。
100人の暗黒騎士を上回る力。確かに恐るべきものだが、そんな力を個人で使えばセシル自身もただでは済まない。ローザから聞いた話だが、暗黒剣を最大威力で放つためには、自身の生命力を代償にするという。今、セシルが使った力は、長い付き合いのあるカインも見たことのない威力だった。それでも、カインは他の兵士のように恐れたりはしない―――むしろ、歓喜に震えた。ただ疑問がある。
どうしてたった一人でバロン軍を相手にしようとしたのか。
無茶はセシル=ハービィの専売特許のようなものだが、それにしても度が過ぎる。バロン軍の力を知らないわけではあるまいに―――(いや)
と、カインは思い直した。
バロン軍の力を知るからこそ―――或いは知ってしまったからこそなのだろうか。(セシル1人、ということで気づくべきだった!)
セシルは1人でバロン軍に立ち向かったわけではない。立ち向かわざるをえなかったのだ。
そういえば、ゴルベーザの作戦では、こちらの圧倒的な戦力を見せつけて降伏させる、ということだった。そのために、陣を広く広げて見せて威圧した。結局、ファブールは降伏勧告に応じなかったようだが、それでも戦意は削いでいたのだろう。セシル以外、真っ当に戦える者が居なかったに違いない。(だからこそ、セシルは1人で相手をした。たった1人で退けることにより、ファブールのモンク僧兵たちの戦意を高揚させるために―――そして、それは成功してしまった―――・・・ならば!)
「その立役者であるセシル! お前を倒せば―――」
カインが槍を振りかざす。
眼下のセシルは、未だ暗黒剣の構えをとったまま動けない―――いや、動けないのだとカインは判断する。あれほどの力を使ったあとだ。いかに人間離れしていようとも、無事で居られるはずはない。もしかすると、意識を失っているのかも知れない。―――なんにしろ。「終わりだ、セシル―――!?」
不意に急降下していたアベルが、地面を嘗めるように急上昇。
相棒の不可解な動きに、困惑したカインだったが、次の瞬間には驚きに目を見張る。「―――ちぃっ! あともう少しでカウンターだったのによ! 敏すぎるぜ畜生!」
セシルの傍らで、茶色い髪の青年が毒づいている。
カインは青年の名を覚えていた。
バッツ=クラウザー・・・知る人ぞ知る剣聖の息子。話によれば、レオ=クリストフを退けたとも言う青年。「そう、上手くいく相手ではない」
セシルを挟んで、バッツとは反対側にもう1人。
バッツの言動をたしなめるように言ったのは、これもまたカインには見覚えのある顔だった。
ヤン=ファン=ライデン。
ファブールのモンク僧長を務める男だ。セシルが計画した魔物掃討作戦時には共に足並みを揃えて戦ったこともある戦友であり、また試合として手合わせしたこともある。その時には僅差で勝てたが、槍の分をハンデと考えると、素直に喜べない内容だった。二人とも、まるで砂嵐にでもあったかのように、全身、砂まみれ土まみれだった。
よく見れば、二人の足下には大きなくぼみがある―――どうやら、ずっとそのくぼみに身を伏せて土をかぶって隠れていたらしい。「小細工を!」
「引っかかりかけたくせに! お前の乗ってるその畜生がいなけりゃ、今頃・・・!」カインの怒号に、バッツが言い返す。
それから下品に中指をおっ立てて、挑発。「降りてこいよ! チキン野郎!」
「望み通りに!」カインが言うなり、アベルが急降下!
その狙いはバッツだ。
落ちるよりも早く、アベルはバッツに向かって飛ぶ! 対するバッツはぎりぎりまでアベルを引きつけて―――アベルの爪がバッツの身体をたやすく引き裂いた!
「・・・なんてな」
アベルが地面に不時着した時には、すでにバッツはその背後へと回り込んでいた。
爪が引き裂いたのは残像―――クラウザー流に言うならば “分け身” 。「後ろがガラ空きだぜ・・・って?」
刀を持ち、アベルの背後―――即ち、カインの背後から不意を仕掛けようとしていたバッツは、きょとんとする。
アベルの背にはカインは乗っていなかった。と、「くあっ!」
「ぢぃっ!」カインとヤンの気迫のこもった声に振り向けば、ヤンの拳をカインが左手で腰の剣を逆手に引き抜き、受け流しているところだった。どうやらアベルが急降下したときに、ヤンに向かって飛び降りていたらしい。バッツからはアベルがブラインドになって見えなかった。
カインは左手の剣でヤンの攻撃を受け流し、右手には槍を持っていた。その本来は両手持ち用の長大な槍を、不自由することなく片手で突き出す。
しかし、その切っ先はヤンを大きく外れていた。それを見て、ヤンが嘲笑する。「狙いが定まってないぞ!」
「馬鹿! セシルだ!」バッツの声にはっとしてヤンが振り向く。
振り向いた先、槍の切っ先の先には、未だ微動だにしないセシルが居た。片手で扱っているために、いつもより突きの速度が遅い―――が、ヤンは反応仕切れていない。セシル自身は、やはり気を失っているのか動かない。「くそっ!」
「シャァッ!」バッツが助けに入ろうとするが―――アベルが翼を広げて威嚇して牽制する。
それで、一瞬だけバッツは動きを止めた―――その一瞬だけで、カインには十分だった。
槍は、セシルの首を正確に貫こうとして―――ポロン・・・♪
不意に、竪琴の音が響いた。
音は、カインの槍よりも早くセシルに到達する。ポロン・・・ポロロン・・・♪
音は単音ではなかった。複数の、連なる音―――曲だ。
力強い、低い竪琴の曲。その曲を耳にして、バッツもヤンも身体のそこから活力が沸いてくるような気がした。
その曲に突き動かされるようにして、セシルの身体が不意に揺らいだ。そのまま、1歩だけ頼りないふらついた足取りだが、背後に下がる。その一歩分で、槍はセシルの首元ぎりぎりに―――届かない。「竪琴の曲!? 誰が―――はっ!?」
すぐ側で膨れあがる “気” に、カインは慌ててヤンに気を向ける。だが―――
「遅いッ!」
ごッ。
と、ヤンの掌がカインの鎧に叩き付けられた!
拳ではなく、掌の一撃だ。打撃は鎧に止められるが、衝撃力は鎧を貫通してカインの肉体に至る。「かはっ!」
肺を強打されて、カインは槍を取り落とし、無理矢理に息を吐き出させられた。
呼吸ができず、動きが止まった瞬間にヤンは追撃しようとして―――しかし、背後に飛ぶ。「ジェャアッ!」
直前までヤンがいた場所を、アベルの爪がえぐる。
そして、そのまま巨大な爪でカインと槍をと掴むと空へと飛び上がった。「ちっ、今一歩のところで・・・」
「悪ぃ。てか、さすがに飛竜を足止めするのは無理だわ」あはは、とバッツが苦笑する。
「まあ、退けられただけでも良しとしましょう。・・・セシルはここでカイン=ハイウィンドを押さえたかったようだけれど」
などと言いながら、ギルバートが城壁の側から現れる。
おう、とバッツが軽く手を挙げて挨拶する。「なんだオマエ。見かけないと思ったら・・・どこに行ってたんだよ」
「あのー、誰が火を付けたと思ってたんですか?」
「いやてっきりボムボムかと」
「火種はボムボムですけどね。火を付けるタイミングはボムボムには解らないでしょう」そう言えば結構、絶妙なタイミングだった。
結んだ草で、陸兵団の動きを鈍らせておいて、突撃しかけたところで出鼻をくじくように火を付けた。
ギルガメッシュは地面に座り込んだまま、風向きのことで笑っていたが、しかしあの炎で陸兵団はその勢いを完全に失った。「そーいや、結んだ草とか、俺たちが隠れていた穴とか・・・もしかしてやったのオマエか?」
バッツの質問に、ギルバートは軽くうなずいて。
「昨日の夜、飛空挺が森の向こうへ消えたのを見てセシルと僕の二人で」
「ああ、だからセシルのやつあんなに眠そうだったのか・・・」
「そう。僕は夜明け前に少し仮眠取ったけど、・・・セシルはずっと眠ってなかったみたいだしね―――って、こんなところでのんびり話してる場合じゃないよ! 早く城の中へ!」慌てるギルバートに対して、バッツはのんびりと不思議そうな顔をする。
「は、なんで? バロンの連中は森の中に逃げちまったようだし、別に慌てる必要は―――」
「セシルを早く休ませないと! いくらなんでも無茶しすぎだ。僕の “体力の歌” の曲で、少しは意識を取り戻したようだけど―――・・・セシル、大丈夫かい?」
「・・・ぅ・・・・・く・・・・・・」ギルバートの声に反応したかのように、セシルは小さくうめき声を返す。
が、次の瞬間。「か・・・がぼっ」
セシルは突然、血を吐いた。
暗黒の兜の隙間からはき出された血は、黒い鎧を赤黒く染め上げていく―――鎧を染めてしまうほどの量の血。「セシル殿ッ!」
血を吐き出し、そのまま倒れようとするセシルを、ヤンが抱き留める。
バッツは目を見開いて驚き、ギルバートは素早く声を張り上げた。「開門だ! 早く門を開けるんだ!」
焦燥のこもったギルバートの叫びとは裏腹に、城の門は酷くゆっくりと開いていった―――