第8章「ファブール城攻防戦」
J.「守る決意」
main
character:バッツ=クラウザー
location:ファブール城・地下シェルター
縄で縛られている・・・
太くて堅い、さしずめ細い綱と言った方が、近いのかもしれない。
それで、体中をぐるんぐるん巻きにされている。縄が肌にくい込んでいて、痛い。そこは、夢の中だった。
夢の中でローザはいくらか幼かった。
幼いと言ってもリディアほど幼くない。きっと、貴族学校に入学した頃だとローザは思った。
だって、目の前に記憶にある顔がある。「お目覚めかい? お姫様」
そう言って、ローザの目の前にいる男が「ゲヒヒ・・・」と下卑た笑い声をたてる。
顔自体は、それほど酷くはない。きっと元はそれなりに整った顔立ちをしていたのだろう。だが、髪は乱雑に伸ばしっぱなしで、洗ってもないのかフケが目に見える。顔も泥だらけで汚らしく、口元には顎にかけて涎の後らしき筋がついていた。着ているものはボロボロだが、よく見れば貴族御用達の店のオーダーメイド。時折見る学校で見かける、友人の父親やらが似たような服を着ていた。―――自分の父がそういうのを着ているのを見たことはない。一応、貴族らしくスーツにネクタイは揃えているが、ただそれだけであり、見事な金色の刺繍や、闇の中でも輝くような宝石をつけた服を着ているわけではない。それでも父の着ているスーツは、馴染みの下町の仕立屋が、安い生地だがそれでもそれなりに見えるようにと、精魂込めて仕立ててくれたもので、父親はいつもそのスーツを着て胸を張り、登城する。「このスーツは、どんなに大金を積んでも得ることのできない、有り難いものなんだよ」―――スーツの話題が出るといつも口に出す、父親の口癖だった。
・・・話が反れた。
目の前にいるのは知っている顔だった。ただし名前は知らない。セシルの家に初めて行った帰り道。
ローザはこの男に誘拐された。
男は、その時の犯人だった。「お嬢ちゃんには恨みはないんだがな・・・ま、恨むなら自分の親をうらむんだな」
男は、元々はバロンでも位の高い貴族だったらしい。つい最近までは。
しかし、なんんらかの不正をしたとかで、それをローザの父、ウィル=ファレルに告発されて、あれよあれよと言う間に没落してしまったらしい。
陽はいったん傾き始めれば、沈むのは早いもの。この貴族も例外ではなかったようだ。「く・・・くく、そうだ。全部あいつが悪いんだ・・・三流貴族ごときが、俺様を・・・コケにしやがって!」
それにしても、とローザはぶつぶつとつぶやく元貴族を見る。
元々はそれなりに貴族らしい格好をしていたのだろうが、落ちてしまえば無惨だと思う。
これならば、まだ路地裏に住み着いている浮浪者の方が立派に見える。「まあ、あいつも自分の娘が殺されたら、間違いに気づくだろうさ・・・く・・・くく・・・」
「でも、あなたの時間は戻らないけれどね」
「なんだと?」ローザの嘲笑じみた言葉に、男は歯をむき出しにしてローザをにらみつける。
ぎょろりと、半ば飛び出たように見える目玉の白目の部分が、真っ赤に充血していた。しかしローザはひるまない。
否、ひるむ必要がない。この程度の男に対して、なにも怖がることなどない。
父に敗北した男に、なぜに娘が恐れなければならない?「鏡を見てご覧なさいな、あなたの今の姿を。思い出して見なさい、いつかの自分の姿を―――そして絶望しなさい。あなたは決して、あなたが思い返した姿には戻れない」
「う、う、う、うるさーいっ! 殺すぞ! 本気で殺すぞ!」
「どうぞ、ご勝手に。でもあなたが私を殺しても、あなたの手が血で汚れるだけ。今よりももっと汚らしく、無様に、惨めに落ちるだけ。それでも良いなら、殺してみなさい、哀れな人!」
「こ、こ、殺すぅ〜っっ!」がっ、と男の手がローザの首に掛かる。
すさまじい力でローザの細い首がぐいぐいと絞められていく。苦しい。(あの時は、ここでセシルが助けに来てくれた・・・)
首を絞められながら、ぼんやりと思う。
だが、セシルは現れずに、それを否定する声が飛んできた。「セシルは来ない」
カインだ。
おかしい。カインがいるはずはない。
だって、カインはこのことを知ってすらいないはずだった。「セシルは来ない」
カインは同じ言葉を繰り返した。
ローザは首を横に振る。首を絞められているはずなのに、なぜか首は動いた。夢だ。なんら不思議がることはない。
声だってだせる。「セシルは来るわよ」
「来ない―――なぜなら」と、カインは自分の肩に担いでいる、愛槍を軽く動かした。
ぽたり、と雫がカインの肩に落ちる。赤い雫。雫はカインの槍の先から落ちてきた。
正確にはカインの槍の先に刺さっているモノから―――「なぜなら、セシルはここに居るからな」
いやな予感がする。
ローザは夢であることも忘れて、生唾をごくりと飲み込むと、ゆっくりと視線を上に上げた。
カインの槍の先。そこに突き刺さり、赤い雫をぽたり、ぽたりと垂らしているのは―――
「・・・っ!」
―――目を覚ます。覚醒と同時に感じたのは息苦しさだった。
息が苦しい。なぜか呼吸がしにくい。
それなのに、心臓はどくんどくんと高鳴って、新たな酸素を早くよこせとせっつく。
なにか、悪い夢を見ていた気がする。
どんな夢かは思い出せないが、悪い夢だ。息を整える。
頭の中で上手く形にならない、強い印象だけの悪い夢を追い払うように大きく、大仰に深呼吸をした。
息を整える、が妙に息苦しい。夢とは関係なく、苦しく感じる。というか身動きが取れない。寝起きの、寝ぼけた頭でぼんやり思いながらローザは思う。
そこは広い空間だった。見る、というよりも感覚でそれを知る。肌に感じる空気の流れが、狭い部屋のそれではない。逆に、外のように開放的な自由な流れでもない。広い、広い密閉空間。なんとなくそんなことを思いながら、彼女は現状を知る。「・・・あら?」
縛られている、とようやく気がついたのは、目にかかった前髪を払おうと、腕を動かそうとしたときだった。腕が、自身の身体に固定されたまま動かない。見下ろせば、太い縄でぐるんぐるんに縛られていた。
悲鳴を上げる。「なにこれーっ!?」
「あ、起きた」聞き覚えのある声だ。
視線をあげると、見覚えのある緑の髪のポニーテールが暗闇の中で小さな灯りで浮かび上がっている。ティナだ。フルネームは知らない。そういえば、ちゃんとした自己紹介はまだして貰っていなかったような気がする。付け加えれば、こちらからもしていなかったが。「おはよう」
とりあえず朝の挨拶。
すると、相手は一瞬だけきょとんとして―――それから何がおかしいのか、くすりと笑って同じように「おはよう」と返してくる。
・・・記憶喪失だったという。
彼女のことをなんとなく思い出し、記憶喪失だったころの彼女はどうだったのかとローザはふと思った。きっと、すごく不安で不安定な状態だったんだろうと想像。記憶が無い、というのは言い換えれば自分自身が無いということでもある。自分を無くして不安を感じない人間は、きっといないだろう。セシルたちはきっと、そんな彼女を哀れと思ったに違いない。
可哀想だと思ったに違いないと思う。というか、記憶を失った人間を相手に可哀想だとも思わない人間は人非人に違いない。同乗されることを、される本人が望んでいようと居まいと、自己を失ったものを哀れと思わない人間は人ではない。
だから、セシルたちはティナに対してどこか―――少しだけ、ほんの少しだけ態度がよそよそしい。それはきっと、記憶を失った彼女を知っているからなんだろう。不安で、不安定で、可哀想で―――心配したくなくても心配してしまうようなか弱い彼女を知っているからなのだろう。しかしローザは知らない。
ティナという少女のこと、それこそなにも知らない。フルネームも知らないし、そもそもどういう経緯でセシルたちと知り合ったのかすら、未だに聞いていない。年齢も、どこの国の出身かすら解らない。
だからこそ、ローザはティナを可哀想だとは思わないし、だからこそ、対等であった。・・・だからこそ、ローザはティナをにらみつけて、苛立ちをもって問いただす。
「なにこれ!? あなたの仕業!?」
「そう」ティナはあっさりとうなずいた。緑の髪―――リディアと同じ髪の色・・・緑のポニーテールが首の動きにあわせて揺れる。
不思議な髪の色だった。
普通に町を歩いていても、緑の髪の色などローザは見たことが無い。聞いたことすらない。
緑という色は、不思議と、特別な色に思えた。リディアとティナだけが持つ、緑の髪の毛。「ティナの馬鹿ー!」
「リディアがセシルに頼まれたの。戦いが終わるまで、ローザを抑えておいてくれって」
「セシルの馬鹿ー!」ティナの説明に、ローザは間髪いれずに罵倒の叫びを放つ。
もっとも、その罵倒を聞くべき人間はその場にはいなかったが。―――そこは広い部屋だった。
いや、部屋と呼べる規模ではない。だだっ広い長方形の室内で薄暗い。天井はそれほど高くないように思えたが、明かりが天井には無いために高さは計れない。周囲には、ファブールの住民らしき人々が、数人ずつのグループになって、辺りに散らばっている。そこは外から光が入ってこなくて、暗い場所だったが、グループにひとつランタンか、それに類する灯火があるようで、室内に居るグループまで確認することが出来た。
グループの灯りを頼りに、その場所の広さを眺めて見る。広さはローザの通っていた大学の講堂の数倍はあるかと思えた。ファブールの人間がどれくらい居るかは知らないが、もしかしたらこの場所には住人たちが全員集まっているのかもしれない。そうだとしても納得できるくらいの広さと、灯火の数。とりあえず、それらを見渡してから、首をかしげる。
それから再びティナに視線を戻して尋ねる。「ここ、どこかしら?」
「ファブールの地下シェルターよ。本当は、何十年か前に起きた大寒波の時に作られたものらしいけど」あらかじめ、説明文を頭に思い浮かべていたのか、ティナはよどみなく疑問に答える。
「シェルター?」
「そう。なんでも城を全体凍りつかせるような冬の時があったんだって。寒さで死者が何人も出た様な―――その時に、寒波を乗り切るために、このシェルターを作ったらしいわ」
「なんで地下に」
「地下のほうが暖かいからじゃない?」
「地下のほうが冷たい気がするけど」
「・・・言われてみればそうかも」あれ、とティナも首をかしげた。
何故に地下シェルターを作ったのか、いまいちよく分からなかったが、ともかくシェルターが出来た理由などどうでも良いといえば、どうでも良いことだった。それよりも、なんで今こんなところで―――しかも縛られている理由のほうが知りたい、とローザは思い出して尋ねる。
理由は単純明快だった。ティナはにっこり微笑んで言った。「だって、縛ってないと、あなた逃げるでしょ?」
「とゆーかっ、なんで地下なんかに!? セシルたちは!?」
「上で戦争中」
「だったら、私も行かないと!」
「そういうから縛ってるの。セシルは私たちの力を必要としてないわ」嘘をつく。
おそらく、力が不必要ということは無いだろう。
ティナやリディアの白魔法は、十分に力になるし、ローザの白魔法・・・はともかくとして、弓術は確かな戦力だ。
けれど、セシルは戦力を考えるよりも、リディアたちのことを考えてくれた。幼い少女や自分の恋人に、人殺しをさせないようにと考えてくれた。(本当に、セシルは優しい人・・・)
それは、欠点かもしれない。
騎士として、戦士として、戦える力があるならすべて利用するべきだ。特に、今は少しでも戦力は必要なはずだった。
カイポの時ほど切羽詰っていないが、カイポの時よりも相手が悪い。
それでも、彼はリディアたちを戦場に立たせることを良しとしなかった。「セシルが必要してもしなくても関係ない! 私がセシルを必要としているの!」
ローザが騒ぐ。
縛られたまま、それでもその拘束を解こうとでもするかのように、身をくねらして動ける限りの範囲で暴れた。
そんな彼女は強いと思う。きっと、彼女ならセシルのために自分の手を血で汚すこともいとわないのだろう。
盲目的な愛。それが悪いかどうかは判らないが。
だが、強いと思う。(でも、だからこそセシルは彼女に人殺しの手伝いをさせたくないんでしょうね)
きっと、ローザにとっては不本意だとしても。
だとすれば、セシルのその優しさは、そのままセシルのわがままでもある。「それに、なんだかいやな予感がするのっ。絶対、絶対、なにか悪い予感が―――もーっ、この縄外れないっ!」
「解けるわけ無いでしょうが。少し暴れただけで解いたら縛った意味が無い」
「うう、こうなったら刃物で切るしか―――ティナ、切るものなにか持ってないかしら?」問われ、なんとなしに腰の剣に触れる。
ティナは武装していた。初めてセシルとミストの村で出会ったときと同じ格好。
赤いライトメイルに、ショートソード。ここまで敵は来ないだろうと思うが、それでも万が一ということもある。武装しておくにこしたことはない。「持ってるけど、貸さない」
「意地悪!? 酷いわ、それって」
「酷くて結構。大体、縛ったのは私なんだから」
「えっ・・・・・・!?」なぜかローザはぎくりと身を強張らせる。
縛られて、動きを制限された範囲内で身を引く。軽く、トン、と背中に硬いものがぶつかった。ローザのすぐ後ろは壁だった。
どういうわけか距離をとろうとするローザを訝しげに思うティナ。ローザは観念したように肩を落とすと、上目遣いでティナを伺うように見てから―――やがて、恐る恐るといったように口を開く。「あの、ティナ・・・? あなたもしかしてそういう趣味が」
「サイレス」それっきり、ローザは静かになった。
何かを叫ぶように口をパクパク開閉させているが、沈黙魔法の効果でなにを言っているかさっぱり聞こえない。
ようやく静かになった、とティナは清々した表情で額をぬぐう。汗など少しもかいていなかったが。「ティナー、ご飯もらってきたよー。木の実のクリームスープ・・・って、あれ。ローザお姉ちゃんどうしたの?」
必死で口をパクパクさせているローザをきょとんと見やる。
そんなリディアをティナは優しい微笑を浮かべて「気にしなくていいの」と、彼女からスープの皿を受け取った。クリームスープの良い香りが鼻孔をくすぐる。途端に空腹を感じ始める。なんて現金な自分の身体だろうと、苦笑。「ローザお姉ちゃん起きちゃったんだねー。じゃあ、私、お姉ちゃんの分も貰ってくる」
「あ、別にいいの。ローザは御腹が一杯だって言うし」
「〜ッ!」ぶんぶんぶんぶんっ、とローザは全力で首を横に振る。
ティナの顔に風がそよぐくらいに全力で。「違うって、言ってるんじゃないかな?」
「それこそ違う。ローザはね、御腹が一杯だから、ああやって運動してるの」
「ああ、そっかぁ」ほがらかに笑うリディア。
可愛いな、とティナは思いながらリディアの頭をなでる。
すると、リディアは一瞬だけ嬉しそうに目を細めて―――すぐに、ティナの手を払う。頬を膨らませて、顔を赤くして―――怒った、というより照れのためだろう―――ティナに向かって口を尖らせる。「も、もうっ、リディアを子ども扱いしないでよっ」
「ごめんね」くすっ、と笑ってティナは謝る。
これがバッツなら、大人しく頭を撫でられてくれるのにな、と少しばかり寂しさとバッツに対する嫉妬のようなものを感じた。リディアにとっては、ティナは未だに記憶喪失のときのように不安定な―――守るべき無力な存在なのだろう。
幼いリディアにとって、大人たちの中でティナは唯一、自分が守るべき対象で・・・言ってしまえば「お姉さんぶれる」相手であり、だからこそ、そんなティナから子ども扱いされるのは嫌なのだ。「それよりも、ご飯食べよ。スープ冷めちゃうよ」
「うん」二人は並んで座ってスープを飲む。
緊急時の非常食で、凍らせたスープを解凍しただけのものだ。味は当然美味いとも言えない。むしろ氷で味が薄くなっていて不味い。
それでも二人は、なにも言わずに黙って食べる。周囲のファブールの民たちも同じだった。味の無いスープを、黙々とすすっている。唐突に振って沸いたような、バロンとの戦争。昨日まで当然のようにしていた暮らしを、一時とはいえ放棄して、こんな暗い地下へと押し込められた住民たち。
それでも、その表情は暗くない。ティナはスープを飲みながら、それとなく周囲を見渡す。
どこにも嘆きが見当たらない。それはヤン僧兵長が今朝早くに、バロンとの開戦を宣言したときからずっとだ。
住民がこのシェルターに集められて、ヤンが大雑把な状況説明―――バロンの飛空挺が昨夜急襲し、それを退けたこと。しかし今日にでもまた攻勢をしかけてくるであろうということ―――をした後、住民は戦争が終わるまで、このシェルターに避難しろ言われたにもかかわらず、唯々諾々と従った。そんなことは、絶対君主制の独裁国家でも起こりえない。
国民たちは国に絶対服従しているわけでもなく、あるいは圧倒的な軍事力を持つバロンを相手にして絶望しているわけでもない。
言うなれば、普通だった。
いつもの生活と同じように、彼らは普通の表情をしていた。それは、ファブールという特殊な環境にあるせいだろうか。
北方のこの大地は、幾度と無く寒波が襲った。その厳しい自然の驚異を何度も受けて、乗り越えてきた北の民だからこそ、こうして平然としていられるのかもしれない。
まるで、大自然の洗礼に比べれば、人の力など恐れることなどないとでもいうかのように。耳を澄ますまでも無く、雑談や談笑が聞こえてくる。
結構なざわめきだが、それがそれほどうるさく感じないのは、このシェルターが広すぎるせいだろう。正確な広さは解らないが、一番遠くに見える小さな灯火を見れば、下手をすればファブールの城よりも広いんじゃないかと思えてくる。「・・・みんな、怖くないのかな」
ぽつり、とティナが呟く。
隣でスープを飲み終わったリディアはティナを振り向く。べたべたと、口の周りにスープをつけていたので、ティナは持っていたハンカチでぬぐってやる。それは別に子ども扱いされたと感じなかったのか、素直に口を拭かれて「ありがと」と礼を言って、それから「ティナは怖いの?」
「・・・怖い」(戦うことは怖くない。もう私の手は血塗れだから―――だからなにも怖くない)
「戦争なんて、やらなければいいのに」
(でも失うことは怖い。戦うことで、リディアやセシルたちが失われること―――私がこの手で、誰かを失わせること。そのどちらもが怖い)
いつの間にか、身体は震えていた。
思い出すのは、思い出せないいつかのこと。それほど遠い昔ではない―――けれど、思い出せない・・・思い出したくない過去。ガストラ帝国の魔導士ケフカ=パラッツォ。
それが作った人間の精神を殺して自在に操る魔法の道具 “操りの輪” をつけられたティナは、その魔導の素質をもって、言われるがままに敵を殺した。
敵。ケフカが用意した、ティナの潜在能力を測るためだけに選ばれた、ガストラの兵士。
ケフカは、ティナの力を知るために、自分の配下をティナに殺させた。自分が殺した兵士に同情する気はおきない。
彼らは命令でティナの前に立ち、ティナを殺すつもりでいたのだから。だが、それでも。(それでも―――人の命を失わせたあの時の感覚・・・感触は、嫌だ)
思い出したくも無い。
だからこそ、絶対に忘れられない悪夢。「大丈夫だよ、ティナ」
きゅっと、ティナの震える手を、リディアの小さな手が握る。
見れば、にこっと、リディアは無邪気な笑顔をティナに向けていた。「大丈夫。ティナは私が守るから」
「ありがと、リディア」きっと―――ティナはもう人を殺さない。殺すことはできない。
自分の中にある強大な力―――魔力を自覚している。
それを、戦うために―――殺すためにはできない。それでも。(守るためなら。リディアを守るためなら―――)
そのためなら、躊躇うことなくこの力を発揮しよう。
たとえそれが人を殺すことになっても。悪夢を蘇らせる事になっても―――リディアに、嫌われることとなっても。
その時は、自分の全力を発揮しよう。ティナは、リディアの手を握り締める。
硬い、決意と共に。と―――
どんっ。
「きゃっ!?」
いきなり背後から衝撃。
なにかが背中に当たってきて、そのまま押されて倒れる。
床に手をついて何とか地べたに這い蹲るような真似だけは避ける。振り返る。「・・・・・・!」
ローザだった。というか確認するまでも無いことだった。ティナの後ろにはローザしか居らず、そのさらに後ろは壁だったのだから。
未だ沈黙魔法にかかったままで、必死で声を出そうとして無音の叫びを口パクしている彼女を、ティナは押し返して起き上がる。「何するの・・・っ」
「・・・・・・・」なにか言おうとしているのだが、やはり聞こえない。
怒ってる様子は無くて、なんだかとても真剣そうな表情。「仕方ないわね」
と、ティナはサイレスを解く。
声を出せるようになったローザは、別に口をふさいでたわけではないのだが、息をついて深呼吸。
あー、あー、と軽く発声練習をして。真剣な―――思えば、彼女が真剣な顔をする時はロクなこと言わないような気がしたが―――顔でティナを見る。「大丈夫よ」
言葉は、先ほどリディアが言った言葉と同じだった。
「私もティナを守ってあげるから!」
「本当にロクなことを言わない」
「なにそれー!?」不機嫌そうに抗議の声を上げるローザに、ティナはくすくすと笑う。
「うん。二人も私を守ってくれる人がいるなら、怖くないね」
「えー。リディア一人だって怖くないでしょ?」
「そうね」ずっとさっきからリディアは手を握ってくれている。
その小さなぬくもりを感じながら、ティナは微笑んだ。(守る、絶対に)
その胸に強く感じるのは決意だった。
(リディアは私が絶対に守る。・・・リディアだけじゃない。ローザも、セシルも、他のみんなも。私が出会った、全ての大切なものを、私は守る)
例えもう一度、手を血に染めようとも
例え再び、あの悪夢を見ることになろうとも。
守るために戦うことを躊躇わない・・・・・!「ところでー。この縄をほどいてくれると、さらに守る率アップというか、当社比で150%くらいお得なんだけどー」
「それは却下」体を縄でぐるぐる巻きに縛られたまま、芋虫みたいに転がっているローザに、ティナは笑顔でにっこりと否定。
しくしくしく、とローザは悲しげに涙を流す。と―――
遠くのほう、シェルターの入り口の方でざわめきが聞こえた。
「なに?」
ティナがそちらの方へ意識を集中させる。
騒ぎ―――というかざわめきが、波のようにこちらに向かってきた。「戦闘が始まったって!?」
波のように伝達されてきたざわめきの、ティナが聞き取れた言葉がそれだった。
戦闘が始まった―――
このシェルターの中では、外の様子はわからない。
だから時間は朝に一回、昼に二回、夜に三回鳴ってだいたいの時間を知らせてくれるらしい。ちなみに、今は朝の鐘が鳴ってから大分たつが、昼の鐘はまだ鳴っていない。
外の状況は、外の兵士がなにかあるたびに知らせに来てくれる。
つまり、さきほど入り口の方の騒ぎは、伝達兵が外の状況を知らせに来たと言うことなのだろう。「始まっちゃった!? 早くセシルを助けに行かないとッ!」
「サイレス」
「ーっ! ーっ!」なんかまた五月蠅くなりそうだったので、魔法でローザを沈黙させて吐息。
大丈夫、と口に出さずに自分に言い聞かせてから声に出す。「大丈夫よ。セシルは負けない・・・カイポの村の時だって、そうだったでしょ?」
「うんっ! バッツお兄ちゃんだっているもんね!」リディアはセシルとバッツの勝利を確信しているようだ。
いや、バッツの勝利を、か。(そう。セシルは絶対に負けない。だって・・・)
ちらり、とティナは床の上をごろごろ転がって無言で―――いや無声で暴れているローザを見やる。
セシル=ハーヴィを誰よりも愛している女性。(こっちには、勝利の女神がついているんだものね)
「ティナー。ローザお姉ちゃん、動かなくなったよー?」
いつのまにかローザはぱったりと動きを止めていた。
どうやら疲れたらしい。
止まったまま、ぜーはーと息を切らせている。「・・・女神?」
ティナは自分で思ったことに対して、疑問をつぶやいた―――