第8章「ファブール城攻防戦」
G.「塔の上で」
main
character:ティナ=ブランフォード
location:ファブール城
「追わないの?」
ローザが部屋を飛び出して、ティナが追い、それらを見送ったまま立ち尽くすセシルに、リディアはちょっと不機嫌そうにたずねる。その傍らのバッツは無言でセシルの方を向いて、なにを言うでもなくただ苦笑。
だからセシルは口元に小さく笑みを作って、肩をすくめて見せた。「ティナが追うって言ってる。だったら僕が追う必要は無いよ」
「そうなの?」と尋ねたのはバッツに対してだ。バッツは「ん」と軽く首をかしげて、
「さあな。セシルが言うならそういうことなんじゃないのか」
「そうなんだ」よく分からない風に、それでも頷くリディア。
―――実際、セシルにもよく分からない。ローザを追う追わないかの話ではなく、ティナの気持ちがだ。
なんとなく、セシルに対して好意を持っていてくれるというのは分かる。けれど、それが愛といわれるようなものであるとは思えない。ホブス山の山頂以来、ちょっと妙な感じに―――はっきり言い切ってしまえば、まるでローザのような行動を取っているが、それはあくまで “ローザのような” 行動である。彼女はローザやリディアの真似事をしているようにしか見えない。(まるで子供みたいだ)
と、思う。大人の真似をしたがる子供のように。早く大人になりたいと願う子供が、大人の行動を真似ることによって少しでも背伸びして大人に近づこうとするように。
けれどティナは子供ではない。最近では記憶も取り戻してきたというし、少なくとも出会ったころのように何も分からず、無垢でリディアにすがり付いていたような時とは明らかに違う。(そう言えば、あの時は怯えてたな・・・)
砂漠で倒れ、バッツにカイポの村へと運び込まれて目が覚めたときのことを思い出す。
目を覚ましたばかりで少し頭が混乱していたセシルはティナを敵だと思い睨み付けてしまった。その時の怯えた表情は、今のティナには欠片も見当たらない。(記憶を取り戻して、自分を取り戻して―――だとしたら、あれが本当のティナで・・・でも)
なにかが欠けている。ティナは色々なことを思い出して、けれどそれでも何かが足りない。その欠けた部分を埋めるために、彼女はローザの真似事をして、愛を口に出したのだろうか。
そこまで考えて、セシルは思考を打ち切った。なんにせよこれはティナの問題だ。助けが要るようならば手を差し伸べることも必要だろうが、今の彼女は自分自身というものを持っている。ならば、求められない限り、セシルがなにかする必要は無い。「ティナって言えばさ」
セシルが考えるのを止めると同時、まるで思考を呼んだかのようなタイミングでバッツが話を切り出した。目を向けると、茶色の目をした旅人は、セシルにではなく、膝の上に抱いたウソ妹に対して話しかけていた。
「もしかしてあいつ、人間じゃないのか?」
バッツが言っているのは、つまりカイポの村でリディアを助けたときのことだろう。オアシスを通して魔物を送り込んできた術者に対抗しようとして、しかし逆に溺死させられかけたリディアを救ったときのティナの姿は人間のそれではなかった。形と大きさは人間に近かったが、その身体は赤く発光し―――というよりも、光そのものであるようにバッツには感じられた。
付け加えれば、セシルはミストの村でティナに最初に出会ったときにもそれを見ている―――色々と切羽詰っていたので、そのことは後回し後回しにしていたのだが。「んー・・・・・・?」
バッツの疑問に、リディアは小さく首をかしげると、やがて、
「人間だけど人間じゃないんだよ」
「はぁ?」
「えっとね、ティナは人間だけど、人間じゃない部分があるの。ココやブリッドたちと同じ感じ」
「・・・半分人間で、半分魔物ってことか?」
「んー・・・よくわかんなぁい」えへへ、とリディアは誤魔化すように笑う。
少しだけ答えを期待していたセシルは小さく吐息すると、結局疑問が晴れずに難しい顔をしているバッツに声をかけた。「ま、そんなことは後でティナ本人に聞いてみればいいだろう?」
「いやー、でもさ。なんか聞きにくくないか? “お前は人間か?” ってさ」
「教えてくれるなら教えてくれるだろうし、教えてくれないならば、それは他人が首を突っ込んでいいことじゃないってだけさ」セシルの言葉に、バッツはまだ難しい顔で「まあ、そうか」と納得したのかそうでないのか判別のつかない様子でうなずく。
とりあえず、という形で話に一段落つけると、セシルはリディアに顔を向けて。「さて、と。ティナは出て言っちゃったけど、リディア、これから言うことを後でローザにも伝えておいてくれないか?」
「ん、なーに?」
「これから戦争が始まる。けれど、僕はリディアやティナ、それからローザを戦わせるつもりは無い。だから―――」
風は冷たかった。
もともとファブールは寒い地方だ。ローザが今居る場所は、そんなファブールの城の一番高い塔の屋根の上だったからなおさらだ。
風は冷たかったが、しかし寒くはなかった「はあ・・・やっぱり私って駄目かしら」
語りかけるのは二匹の魔物。炎の固まりの魔物ボムのボムボムと、リディアがホブス山で出会ったコカトリスの子供であるトリス(命名・リディア)。ちなみにブリッドは城壁の外で穴を掘って、土の中に埋まって眠っている。
「・・・白魔法、自分にかけるのには上手くいくのにね」
と、振り返る。自分が飛び立った地面を───塔の屋根の上だ。普通の人間が上れる高さではないが、ローザは浮遊魔法レビテトではるか何十メートルも下の地面から、ひとっとびで屋根までたどり着いた。遙か下の地面をため息と一緒に見下ろして、ふと気づいた。
「なにあれ?」
ローザが見つけたのは光だった。人間大の赤い光。それが地面からローザめがけて登ってくる。
どこかで見た覚えのある光だった。どこでみたかしら、と思い出そうとしていうちに光は眼前まで到達する。「妙なところでいじけて。セシルだったら届かなかったでしょ」
光の中には人型の何かが居た。人間ではない。人間に限りなく近い形をしているが人間ではない。髪の毛は逆立ち、瞳は爛々と赤く燃えて、手や足の爪は鋭く伸びている。見た感じではその身体は人間の肌でもなく、さりとて獣がまとう毛皮や、あるいは鎧のような固い甲でもない。それは光だった。人間の形に凝縮した光。人間ではない異形の存在───しかし、ローザにはそれが誰かすぐに解った。
「どうしてあなたが追いかけてくるのよ!?」
「ちょっと、話したいことがあって」と、赤い光のそれはローザの隣に座る───と途端に光が消え失せた。光が消えるとそこに居たのはティナだった。部屋に居たときと同じ、いつもの赤いライトメイルを脱いだチュニックと麻のズボン姿。しかしローザはティナの変身にも驚かず、少しふてくされた顔で彼女を見返す。
「どうしてあなたが追い掛けてくるのよ」
もう一度同じ言葉を繰り返した。
むしろティナのほうが驚いて、「他になにか言うこと無いの?」
「なにが」
「ほら。私の姿」
「? 鎧脱いでいるだけでいつもと一緒でしょ」
「さっきは違ったでしょ! 光に包まれた・・・ほら、なんていうか天使?」
「あなたは天使じゃなくてティナでしょ」
「・・・・・・」憮然とするローザの台詞に、ティナは一瞬呆けたように口を開けたまま固まった。
が、すぐにぷーっと吹き出す。「あははははははははははっ!」
「うわなにどうしたの!? 気でも触れたかしら!?」
「うふふはははははははははははは!」
「誰かー! 誰か助けてー! ここに狂人がいるー! 私、食べられちゃうー!」
「あははははっ。・・・ってあんたなんて食べないわよ」
「えー、だって私って美味しそうでしょ?」
「どこがっ。煮ても焼いても食えそうにないじゃない」
「あ。私それ知ってるー♪ たしかほめ言葉よね」やたっ、となんか嬉しそうにはしゃぐローザに、ティナはやや呆れ顔で、
「あなた、幸せね」
「ええよく言われるわ」素直に頷くローザに、ティナはまた笑った。
「私、セシルが好き。愛してる」
なんていきなり言い出したのは、ティナの笑いが治まったころ。
真面目な顔で、言い出したのはローザではなくティナだった。
きょとん、としてローザはティナを見て。うん、と一つ頷いて、「私もセシルのこと愛してるわよ。多分、あなたに負けないくらいに」
「そうね。多分、私はあなたには勝てないでしょうね」
「そういう風にあっさり諦めるのはよくないわよ。もしかしたら万が一勝てるかもしれないじゃない」
「万が一なんだ・・・」ティナは苦笑。そんなティナに、ローザは慌てて。
「あー、千が一でもいいわ。ううん、そうね。ティナだったら百分の一にまけてあげる」
「勝率1%」
「そうよ。100人セシルが居たら、1人はあなたのものよっ、ティナ!」
「あれ、もしかして励まされているの? 私」確か、自分はむしろ励ますためにローザを追い掛けてきたのではなかったか?
などと思いながら、まあいいかとティナは思考をうち切る。「ローザはセシルのどこが好き?」
「全部」
「・・・すごい。躊躇いもなく言い切れるのってすごいと思う」
「そうかしら? 人を好きになることってそういうことだと思うけど」
「だって、どんな人にだってイヤなところの一つくらいあるでしょ?」
「無いわよ。だって、100%好きじゃなきゃ好きとは言えないもの。1%でも嫌いなところがあれば、嫌いなところもある好きってことになって、それってなにか言葉としておかしいわ」
「むしろあなたの言葉遣いをどうにかして欲しいと思うけど」
「え、なにか変かしら?」首を傾げる彼女に、ティナは薄く笑って。
「さっきの、嘘」
「え?」
「セシルを好きで愛してるって言うのは嘘。まだ、愛するってことはよく解らない。それに、ローザ理論で行くと、私はセシルのことを好きじゃないらしいし」
「なんで?」
「・・・気づいているでしょ? セシルの身体のこと」
「・・・・・・」
「気づいてるんだ。やっぱり。本人も気づいてるはず。でも、きっと彼は暗黒剣を使うのをやめようとしない。私が止めても、誰が止めても───きっとあなたが止めても、止めないでしょうね。その力が必要である限り」そう言うティナの表情は無表情だった。
だが、彼女の手に視線を落とすと小刻みにふるえている。感情を、無理矢理押し殺しているのかなとローザは感じた。「自分の身を顧みない頑固者。そこが嫌い───セシルが死んだらみんな悲しむのに。傷つくのに。なのに・・・」
「ええ、それはとても同感ね」
「でもあなたはそんなところも好きなんでしょう」
「ええ、もちろん」にこりと微笑むその顔は女神のようだとティナは思った。
きっと、本当に女神というのが居たら彼女はその生まれ変わりなんだろうと。そう思えるほど、ローザの微笑みは美しかった。「さっき、あなたとセシルが話しているのを聞いたの」
「盗み聞き?」
「そう。ごめんなさい」
「卑怯よ」
「なにが」
「先に謝られたら許すしかないじゃない」
「本当に、あなたって面白い」
「私はぜんぜん面白くないけれど」むくれた顔でぷいっと横を向く。
その横顔は赤く、夕日のせいでも、あるいはボムボムの炎のせいでもなく、赤くなっていた。
照れている、と知り、ティナはローザはこちらを向いていないのを確認して、声を出さずに笑う。「それでなに? 私を笑いに来たわけ?」
笑っていることに気づいているのだろう。眉根にしわを寄せてとても不機嫌そうなオーラを身体から発散させて、ローザはティナを睨み付けた。対して、ティナは笑みを苦笑に変えて、
「笑ったのは謝る。でも、本当に面白かったし」
「なんか、謝られた気が全然しないけれど」
「それは気のせいよ」ティナが言うと、ローザはきょとんとした顔をして、それから何か考え込むように顎に人差し指を添える。
「気のせい。そうね、気のせいかもね」
「・・・ローザって良い人よね」
「褒められているような気がするけどこれも気のせい?」
「気のせいじゃないから」ティナは微笑んで手を振る。
と、ローザはそんなティナの顔をまじまじと見つめた。見つめられて戸惑うティナ。「な、なに?」
「・・・ん。なんか、さっきから良く笑うわね」
「え? べ、別にローザのことを笑ってるわけじゃ―――」
「可愛い」
「は、はぁ!?」突然のローザの言葉に、意識せずに顔に血が上る。
ローザは真剣な顔で何度もうなずくと、ティナの頬を軽くつまんだ。「ひゃっ!? なにを・・・」
「ティナって笑ってるほうが可愛いわよ。当たり前だけど」もう片方の頬も軽くつまんだ。つねらない程度に柔らかなほっぺをつまんで軽く上下に動かす。
「なにするのっ!?」
怒って、ティナは自分の頬をつまむローザの手を振りほどいた。
怒ったティナの顔も、しかしローザはあくまでもまじめな顔で見つめ続けている。「怒った顔も可愛い」
「さ、さっきから一体なにっ!?」
「ティナって、最初会ったときから笑った顔を見たことが無かったもの」
「・・・・・」思い返せばそうだった気がする。
記憶を取り戻す前は、笑うということも一緒に忘れていた。記憶を取り戻したときは、リディアの母親を傷つけてしまった罪悪感で心が一杯だった。「・・・うん。記憶を取り戻して笑ったのは今が初めてかもしれない」
「記憶?」
「あ・・・ローザは知らなかったかしら。私、ついこの前まで記憶を失っていたの」
「記憶喪失!?」ガガーン! とか背景に擬音が描かれそうな勢いでローザはショックを受けた。
「そ、それってなんかとってもヒロインちっくじゃない!? 一体、どこでそんな技をっ!?」
「記憶喪失って技なの・・・?」
「技よ。それも必殺技! だって昔読んだ純愛小説のヒロインが記憶喪失だったもの! 記憶喪失イコールヒロイン!」
「それ、飛躍しすぎ」
「ええい、こうなったら私だって今から記憶喪失よ! ここはどこ? 私はだれ!? ―――ねえ、どうかしら、記憶喪失っぽくない?」
「ううんと、記憶喪失みたいな台詞だけど・・・でも私、そんなこと言わなかったけど」
「うっ・・・さすがはナチュラルな記憶喪失者! 駄目なの? 私じゃ記憶喪失にはなれないのーっ!?」
「ならない方がいいと思うけど」
「どうしてっ!?」ものすごい形相で、ローザはティナの肩をつかむ。
迫られて、ティナはあせって考えて、「え、ええとあのあー・・・ほらセシルが悲しむんじゃないかしら。きっと」
「セシルが・・・・・・・そうね」ローザはティナの肩を話すと、ふむふむとうなずく。
「そうね、多分悲しむって言うかすごく心配するわ。・・・そうね、じゃあ記憶喪失はやめておくことにするわね」
「それがいいと思う」ほーっと、ため息をつきながらティナが答える。
「それで、ティナは記憶喪失だったけど記憶喪失じゃなくなったのよね」
「うん・・・ようやく自分を取り戻せた」
「よかった・・・」安心したようにローザは微笑んだ。
「これでティナはヒロインじゃなくなったわね」
「・・・だからそれは単なる偏見。というか、もっと別のことで “よかった” って言って欲しいんだけど」
「別のこと?」
「ほら。記憶が取り戻せてよかったね、とか」ローザはえー? と難しい顔をする。
それをティナは半眼でみやり、「私は記憶を取り戻さないほうが良かったっていうの?」
「そうじゃなくて。私、ティナが記憶を無くしていた時のこと知らないし。記憶を失っていたティナがどういう状態だったのかよくわからないし。だから別にティナの記憶が無くて心配とか可哀想だとか思ってなかったもの。なのに、記憶が戻ってよかったね、って何が良かったのか分からないもの」
「・・・そう言われれば、そうかも」
「そういうことは、セシルとかバッツとかリディアとか・・・あなたを心配していた人に言ってもらうと良いんじゃないかしら」にっこりと、笑うローザにティナは言葉を詰まらせる。
数秒間、なにも言わないでから口を開いた。「・・・ヘンな人」
「さっきからヘンな人とか面白い人とか。私ってどんな人よ?」
「あなたって、言ってることめちゃくちゃなのに・・・でも何故か正しいこと言ってるような気がする・・・」
「私は正しくなんかないわよ。というか正しいとか間違ってるとか関係ないもの。私は私の言葉を言ってるだけ」それからまた、言葉が途切れる。
ふと西の空を見れば、日はそろそろ地平の彼方へ沈もうとしていた。
それから少しだけ時間がたって、夕日が完全に隠れて夜が始まる。
ついさっきまで辺りを照らしていた日の光は完全に消えてなくなり、今はふよふよとローザたちの周りを浮かんでいるボムボムが二人を照らしていた。
コカトリスのトリスは、いつの間にか姿がいなくなっていた。「―――どうして、白魔道士になったの?」
「そんなの決まってるじゃない」ティナの問いにローザは胸を張って答える。
が、それより早くティナ自身が答えを言う。「セシルのため、か」
「あ。今言おうと思ったのに。ずるいわよ」
「ローザには白魔道士の素質はないと思う」
「知ってるわよ」
「それでも、白魔道士のままでいるの?」
「そうよ」
「どうして?」
「それがセシルに必要だって信じているから」白魔道士の素質がないとはっきり言われて、少しむくれたローザの顔。
それでもその瞳はゆるぎない。
誰かに似ている、とティナは思った。(考えるまでも無いか)
なんのことはない。セシル=ハーヴィに似ているのだ。
白魔道士の素養がないと解っていながら、それでもそれが必要だと信じ続けるローザ。
身体が耐えられないと知っていながら、それでも必要だと暗黒剣を握り締めるセシル。
どちらも似ている―――似ているというより、同じ意思がある。ゆるぐことのない、想い。「・・・来る必要、なかったじゃない」
心に芽生えた、あくまでも似ている二人への嫉妬を隠すように、ティナは投げやりにつぶやく。
「白魔法に失敗して、きっと落ち込んでるって思ったのに」
肩をすくめ、ティナは塔の屋根の上に立ち上がった。
それからローザに向かって手を差し出す。「ほら、いつまでもこんなところにいないで、戻ろう。セシルも心配してる」
「ありがと」と、ローザはティナの手を握ると、立たせてもらった。
ティナはあくまでもぶっきらぼうに、「手を貸しただけで礼なんて言わないで」
しかしローザはゆっくりと首を横に振る。
「落ち込んでたもの」
「・・・え?」
「すごく落ち込んでた。白魔道士、止めちゃおうかなって思ったくらい落ち込んでた。でも―――ティナが来てくれて、すごく元気でたわ」
「セシルだったらもっと元気出てたかもね」
「セシルだったら本当に私は諦めてたかも。きっとセシルはこういうわ―――無理しなくてもいいって」確かに言いそう、とティナは思った。
「でもティナは思い出させてくれたもの」
「思い出させた・・・?」
「私が、どうして白魔道士になろうとしたか。セシルのために必要だと信じているって事を」吐息。
ボムボムの炎で、辺りは暖かい。
が、それでも吐く息は炎に照らされる中で、かすかに白く空気に濁る。「私は記憶喪失じゃなくて良かった!」
大きな声で、ローザは叫んだ。
「だって、記憶を失ってことは、そういうことも―――そんな大切なことも全部忘れてしまうってことだものね」
「うん・・・」
「ごめんなさい、ティナ。やっぱりさっきの撤回する」
「え?」
「あなたの記憶が戻って本当に良かったと、今なら思える。私の目の前にいるのが本当のティナで、私はすっごく嬉しいわ!」そういって、ローザは両手でティナの手を握り締める。
その表情は笑顔。きっと、誰もが好きになる―――そんな笑顔。
この笑顔をセシルは独占できる。ならば彼はこのフォールスでも一番の果報者なんだろうと、ティナは苦笑した。「ねえ、ローザ。一つ、教えて?」
「なに? 私、ティナのためならなんだって教えてあげる!」
「うん。あのね。・・・・・愛ってなに?」
「愛!?」
「・・・私は愛がわからない。セシルやリディアのこと、好きだけど・・・愛って言うのか解らない」
「記憶が完全に戻ってないの?」
「ううん。そうじゃない・・・記憶は全部思い出せた。私がどういう存在なのか―――でも、私は愛を知らない。私に愛を教えてくれた人はいなかったから」さびしそうにつぶやくティナ。
セシルが感じたティナに “足りないもの” というのはつまりそれだった。
ティナ=ブランフォードは愛を知らない。だからこそ、それを補おうとするかのようにセシルを愛するローザのように振舞ってみた。それは意識してのことではなく、またセシルに対する好意も確かに存在していたが。―――不意にローザはティナを抱きしめる。
「ローザ・・・?」
戸惑うティナの呟きが耳元で聞こえる。
それでもかまわずローザはティナを抱きしめた。
しばらく抱きしめ続けて、やがて開放すると、ローザは満面の笑みで言った。「これが愛よ!」
「抱きしめることが?」
「そう! 私は今、ティナのことを抱きしめたいと思った。すごく抱きしめてあげたいと思った! これが愛・・・愛しいってことよ!」
「いとしい・・・?」
「でもね。これは私がティナに感じた愛。これがセシルに対する愛はまったく違うものになるのよ! とてもすんごいものになるんだから!」
「セシルの背骨が砕けるほど抱きしめるってこと?」
「うんうん、それもアリだけどっ、ぶぶーハズレー♪ 愛ってね、沢山色んな形があるのよ。人によってね、相手によってね、似てたりするのもあるけど全然違うのっ。今みたいにティナを抱きしめたいっていうのも愛だし、いつまでもセシルと一緒にいたいって言うのも愛。それに昔のセシルみたいに私のことを突き放すのも愛なのよ!」
「よく分からないけど」
「ねえ、ティナ。あなたはリディアと一緒にいたいでしょ?」
「うん」
「それはなんで?」
「え・・・?」問われて、返答に詰まる。
・・・なぜだろう。
記憶喪失だったとき、ティナはなんとなくリディアに惹かれた。記憶がないのは不安だったが、リディアがいると何故か落ち着けた。記憶を取り戻した今は、その理由も解ったが―――しかしそれだけであるとは思えない。「解らないでしょ。それが愛だからよ! 私だって、セシルのことをどうしようもないくらい想っているのか解らないもの。理由は考えればいくらでも考えつけるわ。でもね、そんな理由が全部なくなって粉々になっても、私はセシルのことが好き。愛してるのよ!」
「・・・うーん・・・」ローザの言葉をゆっくりと頭の中で噛み砕く。
「・・・まだ、よくわからないけど・・・でも、そうね。なんか解った気がする」
「なにが解ったの?」
「あなたがセシルのことを愛してる理由。きっと理由なんかないってことだけはよーくわかった」理由のない愛。
だからこそ、躊躇わず、なににも捉われずに純粋に愛することを信じることができる。たとえどんなに愛の理由を否定しても、理由そのものがなければ否定できない。「そうね。きっと、そのうちわかるような気がしてきた。きっと、気がついてたら私は誰かを愛してるんでしょうね」
「そうよ、そんな感じよ!」ティナは戸惑いながらも、それでも納得したようにうなずいて、ローザはいつもどおりに無意味に自身たっぷりに宣言する。
そうして二人は微笑を交わす―――と、不意にローザの表情が険しくなった。はっとしたように振り替える。「どうしたの?」
怪訝そうにティナが尋ねるが、しかしローザは微動だにしない。ただじっと、振り返った方向―――城壁の外、南西の方向へと耳を向ける。
ファブールの南西の方角。それは、軍事国家バロンがある方向―――「聞こえる。すごく聞きなれた音・・・」
「え?」ローザのつぶやきにティナも耳を澄ました。
夜闇をわたって、かすかに彼方から音が響いてくる。「この、音・・・飛空挺のプロペラ音!」
「ティナ! 早く戻るわよ! ボムボム、あなたたちは外で隠れててっ!」ローザはティナとボムボムに言うなり、素早く塔から飛び降りた―――――