第8章「ファブール城攻防戦」
E.「愛の契約」
main character:セシル=ハーヴィ
location:ファブール城・物置

 

 思い出すまでもなくいつもそうだった。
 例えば彼女のことを一単語で表すのなら「突然」と言うのだろう。突然、いきなり、不意打ち、必殺。いや最後のだけ関連性がないような気もするが、それでも彼女を表す言葉の一つであるとセシルは思った。

 つい先刻も不意に思い出したばかりだ。
 あれは軍学校を飛び級を重ねて異例の若さで卒業し、陸兵団に配属されて数ヶ月経った頃だ。バロン南西にある名もない集落の人間が数十人もの野盗に襲われたというので、セシルの所属する部隊が退治しに出向いてみたら、実はその野盗とやらは単独犯で、金を取られて悔しかったから仕返しして欲しくて大仰に嘘の報告をしたという。で、当時の部隊長はまだ新兵だったセシルにそれを押しつけ、憤りながらも帰っていった。仕方なく一人で調査を進めてみれば、なんでも犯人は被害者の息子で、それが解ると被害者は「息子が親から金を盗ったなんてしれたら世間の笑い者。どうか何事もなかったということに」などと盗られた金よりも多い金額を渡されて、仕方なくそれを持って城に戻って事情を部隊長に報告したら、部隊長はセシルの貰った金を着服し、さらには「セシルのミスで盗賊を取り逃がした」ことにされ、代わりにセシルは一週間の謹慎処分という名目の休暇を貰った。そんな翌日のことだ。
 朝、ぐっすりと眠り込んでいると、いきなり騒がしい物体が部屋の中に飛び込んできた。

「セシル、セシルっ! 聞いて聞いて聞いてー!」

 今にして思えば、その時はずっとベッドの上で寝たふりをし続け居れば良かったのだが、その時セシルは寝ぼけていたのに加えて、陸兵団に入ってからは彼女に会っていなかったので、それが誰だか知覚するのに反応が遅れた。気が付けば寝たふりをする暇もなく、突然に───そう突然に部屋に乱入してきたローザに毛布をひっぺがされるとセシルを叩き起こされていた。
 寝ぼけ眼でみれば、彼女はまるで100万ギルでも拾ったような、そんなはしゃぎようで、黙っておすまししていれば月の女神もかくやというような顔が、その時はさんさんと眩しく明るく暑く輝く太陽の女神のようだった。

「すごいのよっ、なんとねえっ、私ったら告白されちゃった」

 告白ではなく告発の間違いではないだろうかとその時は本気で思ったものだ。というか、いきなり人の部屋に飛び込んできて安眠妨害するのは告発されてしかるべきだろうと。

「えっとね、うちの大学の先輩のロイドなんとかって人! 前にも話さなかったっけ? 色々勉強とか見て貰ってたんだけどね、昨日いきなり呼び出されて“結婚を前提としたおつきあいを”だって! どう? どう? どう?」
「それは・・・おめでとう」
「やだもーセシルったら、そんなふてくされた顔しないで欲しいわっ。安心して、私にはセシルが居るってちゃんと断ったから」

 ふてくされた顔をしているのはいきなり朝叩き起こされれば誰でもこんな顔をするんじゃないかとセシルは思ったが、特に訂正はしなかった。

「ふふ、やっぱり嫉妬とかしちゃう? しちゃうでしょー」
「そーだね」
「そうでしょっ。うふふっ、でも大丈夫よっ。私ったらセシル一筋だからっ。ううん、セシル命って言い換えた方が強いかしら?」

 強弱は関係ないだろうとか思ったが、特につっこまない。
 代わりに

「あのさ、ローザ」
「なに? そうは言っても私が誰か別の人にとられちゃわないか心配? やだもー、セシルったら・・・やきもち屋さんなんだから♪」

 ひたすらはしゃぎながらセシルの背中辺りをばんばんと叩いてくる。痛い。
 久しぶりの幼なじみの襲来とそのテンションに、セシルは気圧されっぱなしだが、なんとか持ちこたえた。

「あー、あのさ・・・ここ、関係者以外立入禁止なんだけど」

 セシルが居るのは城の敷地の隅にある陸兵団の兵舎である。
 平の団員は城下に家を持っている人間だろうと、ここで寝泊まりしなければならない。ちなみに、セシルの個室があるわけではなく、ほかの団員と一緒に寝起きしている。特に人数の多い陸兵団は、竜騎士団が4人くらいで使っている部屋を、10人以上で使っていたりする。これが一部隊を任される部隊長以上になると、城の中に個室をあてがわれたり、城下で暮らすことを許される。ただしその場合、有事の際に即座に対応できるように、なるべく城の近くに居を構えることと、加えて一日24時間中確かな伝達手段を確立させることが義務づけられる。

 話が微妙にそれたが、つまりここは兵舎であり、軍の施設であり、貴族で父が軍関係の仕事をしているとはいえ、ただの大学生であるローザはこんなところまで入っちゃ行けない、というか入れないはずなのだが。

「私、関係者よ?」
「どこが!?」
「セシルの」

 あっさりと答える彼女に、セシルは笑い出したくなった。苦笑とかそういうレベルではなく、声を上げて大爆笑したかった。
 しかしなんとかこらえると、今度は泣きたくなった。

「もしかして、ここに来る途中そう言って来た?」
「ええ。時々、今のセシル見たいに関係者以外は入っちゃ行けない、って意地悪な人も居たけど、セシルの友達です、よろしくね☆ って言ったら途端に笑顔で通してくれたのよ」

 よろしくね☆ と言いながら愛想笑いをするローザは美しかった。きっと、誰もがその笑顔に騙されたのだろう。

「・・・せめてカインが通りがかってくれれば・・・」
「あ。カインがすぐそこまで連れてきてくれたのよ」
「カインー!? 何考えてるんだ君はー!?」

 叫びながらも、なんとなく納得していた。
 セシルよりもローザとのつきあいが長いカインのことだ、きっとローザのスーパーハイテンションぶりを即座に感じ取ったのだろう。そして下手に追い出すよりは、さっさとセシルに会わせたほうが被害が少なくて済むと考えたに違いない。

(カイン・・・君の判断は正しい。でも、できればもう少し僕のことも考えて欲しかった)

「どしたのセシル、遠い目をして」
「いや、別に・・・それで、用件はそれだけ?」
「用件って?」

 きょとんとして首を傾げる。
 それから、はっとした表情になる。それをみた瞬間、セシルは余計なことを口走った己を呪った。

「そうよそうそう! そのロイドなんとかって人に告白されちゃったのよー! ついさっきまで忘れてたけど」

 ・・・その日は日が暮れるまでローザは帰らなかった。
 なんとかローザの隙をついて、兵舎をでてもすぐに見つかって追いつかれて、ローザは告白された時のことや、そこに至る経緯や彼女なりの感想を延々と話し続けた。それはどこに逃げても同じで、そうやって城の中を色々逃げてるうちに、ローザ=ファレルに振られたロイドなんとかという男の話は城内中に広まってしまった。そうこうしているうちに部隊長に見つかり、兵舎に連れ戻されて、ローザももちろんついてきて(部隊長は彼女のスマイル一つで黙認した)、日が暮れる頃になってようやくローザは家に帰った。その後、軍関係者以外立入禁止の場所を、どういうわけか考えたくもないが、ローザは顔パスで入れるようになってしまった。

 そして月日が流れ、ロイド=フォレスが近衛兵として軍に入り、すぐに赤い翼に移ってきた時にセシル=ハーヴィがまず行ったことは、城中を駆け回ってロイドなんとか言う男の話を固く口止めして回ることだった。

 

 

 

 

(・・・って、なに長々と回想してるんだろうな、僕は)

 暗い部屋の中だ。光源がドアの隙間から漏れる光だけしかないため、どんな部屋なのか解らない。ただ、セシルを組み伏せているのが女性だと───良く知った女性だということだけは辛うじて解った。
 セシルは謁見の間から食堂へと戻る途中、突然この部屋の中に強引に引っ張り込まれて、こうして今床に仰向けに、両手首を捕まれた状態で組み伏せられていた。
 こういうのって、男女の位置が逆なんじゃないかな、とか思いつつ。

「それで、これはなんの冗談なんだい、ローザ?」

 とにかく彼女は突然だった。いつも突然だ。
 だから、いつも突然に起こった出来事でも、彼女が原因だと解った瞬間になんとなく納得してしまう。というか、最近は彼女が原因でなかった突発的な有事の時だけ驚くことにしている気がする。まあごく最近で言うなら、突発的なことが多すぎて、驚きっぱなしのような気もするけれど。

「冗談じゃないわ。私は真剣よ」

 ローザ=ファレルはいつも常に真剣、というか本気だった。冗談に見える、というか冗談と思いたい数々の言動も、彼女にとっては限りなく本気なのだとセシルは知っている。
 しかしそれでも今、セシルを組み伏せているローザはいつも以上に鋭く視線を尖らせてセシルを見下ろしている。それをぼんやりと眺め、セシルは心の中だけで思う。

(綺麗だな・・・)

 最近、ようやく幼なじみの美しさを理解するようになった。バロン一の美女とうたわれる美貌。しかし、セシルが美しいと思うのは外見だけではない。
 ローザ=ファレルは常に本気だった。特に、セシル=ハーヴィに関することになると、どうしようもなく真摯になる。昔はそれをわずらわしいとすら感じていたが。

「こんな所に引っ張り込んで、冗談じゃなかったら僕は怒るよ」

 セシルの言葉にローザはなにもいわない。吐息だけが漏れた。
 甘く、とろけそうな彼女の息がセシルの鼻にかかり、彼はくすぐったそうに苦笑。

「とりあえず、この状態はなんとかしてくれないかな。なんか変だと思うよ」
「そうね」

 あっさりと彼女は頷くと、身を起こしてセシルの上から退いた。
 セシルも身体を起こし、その場に座り込む。暗い部屋の中で、ローザと対面して座る形となった。手を伸ばせば彼女の顔に届くだろうが、そんな距離でも良く相手の顔が見えないくらい、暗い部屋。

「暗いね」
「そうね。窓一つないんだものこの部屋。なにか物置みたいだけど」

 返事を返すローザの言葉の音は、いつもと雰囲気が違う。それは瞳だった。いつもは「セシルらぶらぶびぃーむっ」とか発射しそうな勢いの好意の視線だが、今の彼女はセシルを責めるかのように見ている。睨みつけてるわけではないが、セシルは居心地の悪さを感じた。

「ど、どうしたの?」
「言い忘れてたんだけど、カインは敵になったわ」
「へ?」

 彼女はいつも唐突だ。行動も、言葉も。
 ぼんやりと思いながら、言われた言葉を理解しようとして、理解して。

「ふうん」
「それだけ?」
「え? ああ。まあ、僕が生きてるならカインは死んでないと思ったけど」
「敵になったって言ったんだけど」
「うん、まあ、最悪、覚悟はしていたし」
「驚かないんだ」
「君が言ったろ。なんかカインは少しおかしくなってるとかどうとか」
「言ったかしら?」
「言ったよ、カイポの村で。でも、まあ騎士としてはそれが正しいよ。むしろ間違っているのは僕の方だ」

 騎士とは主君に使えてこそ騎士。
 ならば、今こうして反逆しているセシルは騎士としては間違っている。

「カインが敵なのよ。えーと、その・・・ほらっ、イヤじゃない?」
「イヤだなあ。でもだからってどうしようもないだろう? カインが敵だというのなら、戦うしかない」
「それでいいの?」
「良くないさ。だからといって、僕はもうバロンに戻る気はない。カインも騎士としての本分をまっとうするというのなら、戦うしかない」

 ローザは短く「そう」と呟くと項垂れた。
 なにか、迷っているようにも見える。逡巡、ともとれる長い間を置いて、やがて再びローザは顔を上げた。その表情は、さっきとは打って変わって笑顔。いつものローザの表情だった。

「逃げるっていうのも、長い人生の中で一度くらいはアリだと思うのよ」
「ああいいね。もうバロンのことなんか放っておいて、ファイブル辺りにバカンスっていうのも悪くない。ウォルスの水街路は世界中の都市の中でも五本の指に入るくらいの美しさだとか。バッツがファイブルの出身だというし、色々と案内して貰うのもいいね」
「そうね・・・」
「嘘だけど」
「・・・そうね」

 頷いてローザは吐息。瞳を伏せ、物思いに耽るように視線を下げる。
 セシルは次のローザの言葉を待たずに、彼女の頭に手を伸ばすと、半ば強引に自分の胸へと引き寄せた。

「きゃっ?」

 少し強引すぎたようだった。座っていたローザの身体がセシルの方へと倒れ、その胸元にしなだれかかるような格好になる。セシルはその彼女の肩を優しく抱き留めた。

「大丈夫だよ」
「なにが?」
「大丈夫だから」
「嘘つき」

 どん、とローザはセシルの胸を握り拳で軽く叩く。

「嘘よ。セシルは全然大丈夫なんかじゃない。セシルの身体はもうボロボロになってる」

 セシルの胸を叩きながら呟くローザの声音には、涙が混じっているようにセシルには聞こえた。

「セシルはすごいわ。精神の力がすごい。並の暗黒騎士だったらもう壊れてるくらいのダークフォースを簡単に制御してる。きっと、あなたは今までの歴史の中で最高の暗黒騎士に違いないわ」
「それはほめすぎだと思うよ」
「ほめすぎ? ううん、私はなじってるのよ。セシル=ハービィがどれだけ愚かしいかを。どれだけ馬鹿なことをしているかを! セシルの精神は確かにすごい。でも、肉体は普通の人間と全く変わらないわ。ダークフォースは精神の力で制御する。でも解き放った闇の力の一部は、精神じゃなくて肉体へと帰ってくるわ。あなたは普通の暗黒騎士よりも何倍も強いダークフォースを操る。だから、肉体への負担も並の暗黒騎士とは比べものにならない」

 いつしか、ローザはセシルを叩くのをやめていた。
 代わりに、彼の胸にすがるように身体を押しつけて呻くように言葉を続ける。

「あのシャドーブレイドは最高級の暗黒剣よ。そしてセシルはあの剣の力を200%使いこなすことができる。ホブス山の頂上で、あの変態火炎入道の炎の技を相殺したように。でも、その代わりにセシルは・・・あなたの身体は・・・!」

 言葉は、それ以上は続かない。
 すでに嗚咽と代わり、ローザはセシルの身体にすがって泣き続けていた。

 

 

 

 

「・・・ずっと、気がつかなかった」

 しばらくして───
 ようやくローザは泣きやんで、少し落ち着いたようだった。
 ぐすっ、と鼻をすすりながら、セシルの身体から離れて、先ほどと同じように向かい合って座っている。
「このお城にたどり着く寸前でセシルが倒れて、セシルに回復魔法をかける時までセシルの身体がそれほど蝕まれているなんて気が付けなかった。あのとき倒れたのだって、旅の疲れなんかじゃなかったんでしょ?」
「完全に気を失っていたからなあ。意識があるならまだ誤魔化せたんだけど」

 回復魔法を使う際に、術者は対象の身体の情報を読みとり、その破損個所を補うように魔法を行使する。例えば同じ怪我でも、切り傷と打撲では全く違う。切り傷に湿布薬を貼るのは間違っているし、打撲箇所に血止めを塗っても意味がない。だからこそ、術者は対象の体の状態を読みとり、その上で魔法を行使する。セシルはそれを、自身の精神力で術者が情報を読みとろうとするのを妨害し、誤魔化していた。

 余談だが、ローザが白魔法を失敗してしまうのは対象の情報を誤って読みとってしまうためである。加えて、魔力自体が高いので暴走に近い効果が発現してしまうのだ。これが自分の身体だと、読みとるまでもなく正確な情報が解るので完全に成功する。解りやすく言えば、切り傷に対して湿布薬を腕力全開で叩き付けるように貼っているような物である。
 そんな風に相手の状態が読みとるのが苦手なローザだから、セシルは今まで誤魔化すことができたとも言えるかもしれない。

「なんで誤魔化すのよ」
「心配かけたくなかったから」
「・・・セシルの身体。外はなんともないけど、中身がもうボロボロになってるの。身体の芯がね、まるで老人や病人の身体みたいに老朽化してる。このままだと、遅かれ早かれ剣が振るえない身体になる。・・・ううん、今でも結構しんどいはずよ? そうでしょ?」
「気を失ったのは失敗だったな。意地を張らずにチョコボに乗せて貰えば良かった」

 苦笑して。

「・・・身体の調子が悪いのは、ずいぶん前から気がついてた。ダークフォースを扱うたびに、身体がだるくなる。痛みはないけど、脱力してしまうんだ。それが一気に酷くなったのはシャドーブレイドを使ってからかな。あれを全開で使ったのはまだ数度だけど、それだけで・・・」

 と、セシルはローザの目の前に右手を差し出す。ローザは両手で優しく包むようにその手を取った。

「僕の手のぬくもりを、感じてくれているかい?」
「ええ、暖かいわ」
「でも、僕は君のぬくもりを感じられない」
「・・・・・」

 ぎゅっ、と強くセシルの手を握りしめる。強く、強く。
 握っているローザの手の方が痛くなるくらいに強く。しかしそれでもセシルは何も反応を見せない。

「感覚が、薄れてきてる。触感はあるけど、温度や痛みが感じなくなってきてる。今朝、目覚めたときから・・・」
「馬鹿」

 つぶやき、今度はローザがセシルの手を引き寄せて彼の身体を抱き寄せようとする。抱き寄せられながらも、セシルも彼女を引き寄せて、二人は座っていた丁度中間辺りで一つになって抱き合う。

「馬鹿と言われても仕方がないかな。正直、自分でも少しそう思う」
「それでもあなたは暗黒剣を捨てる気はないんでしょう? 肉体が闇に侵されて、やがて自分一人じゃ満足に動くことができなくなるとしても」
「今、この力は必要だから」
「馬鹿なセシル。でも私もそうね、馬鹿だわ。だって私はそんなあなたが好きだから」

 くすくす、とローザはセシルから体を離しながら嬉しそうに笑った。

「さっきね、逃げようって言ったわよね? あれ、もしも本気でセシルが逃げる気になっていたら、きっと私はあなたのことを嫌いになってたと思うのよ。だって、そんなセシルじゃないもの」
「本気だよ。でも逃げるのは今じゃない。全部決着が付いたら、その時は」
「それは逃げるとは言わないわ」
「じゃあ、なんていうのかな」
「新婚旅行って言うのよ」

 ・・・・・・
 えーと、とセシルは困ったように声をあげる。

「しんこんりょこう?」
「ええ、もちろん。だって全部が終わったら、私たち結婚するし」
「あれ、なんかすごく勝手に決められてる気がする」
「勝手じゃないわ。運命よ」
「運命ってすごく勝手だよなあ」
「そうよ、だって運命って勝手なものだもの」

 正論を言っているように聞こえるが、反面、不条理にも聞こえる。果たしてどっちが正しいのかとセシルは少し悩む。

「ねえセシル。一つだけ約束して」
「できない約束はしないよ?」
「簡単なことよ。私はあなたを愛してる。あなたのいない世界なんて生きている価値がないわ。だからもしもあなたが死んだら私も死ぬ」

 カイポの村でも似たようなことを言われたとセシルは思い出す。
 あのときは、なんかその場の勢いで、いつものローザの暴走に思えたが。
 だが、今目の前で宣言したその声と瞳は落ち着いていて、厳かな契約のように聞こえる。
 契約だ。
 これは、セシル=ハーヴィとローザ=ファレルの二人の契約。

「でも、もし私が死んでもあなたは死なないで。約束よ?」
「それはまた妙な約束だね。どうして」
「簡単よ。私はセシルのために死にたいけれど、セシルは私のために死んで欲しくないの」
「それをいうなら僕だって同じだ。僕のために君が死んで欲しくない」
「でも私はあなたの為に死にたい」

 怖いほど、彼女は真っ直ぐだった。
 セシルは言葉に詰まる。彼女は自分のために死にたいと言う。
 ならば自分はどうか。
 彼女のために死にたいと思うだろうか?

「僕は・・・」
「私はセシルを愛してる。でもセシルは私のことを愛していないでしょう」
「そんなことはないよ。僕は、君が僕を愛してくれるって言ってくれるのは嬉しいし、その気持ちに答えたいと思う」
「私の思いに応えたい、というのは義理でしかないわ。私があなたを愛するからこそ、あなたは私を愛してくれる。でもきっと、私があなたのことを嫌いになってあなたの前から去ろうとしても、あなたはそれを引き留めない」
「それは・・・」

 彼女の言うとおりだと思う。
 もしも彼女がセシルに愛想を尽かしても、セシルは彼女の愛を取り戻そうとは考えないだろう。

「僕は・・・」
「別にセシルを責めてるわけじゃないの。ただ知っていて欲しいだけ。私は、ローザ=ファレルはセシル=ハーヴィのことを愛していて、だからこそ一緒に居たいと思うし、一緒に居る以上のことを求めない。セシルには私を愛することよりも、やらなきゃいけないことがあるのだから。そのためにここに居るんでしょう?」

 ローザの表情は微笑みだった。
 暗い部屋の中で、その微笑みは輝いている。

「だからね、私に心配かけたくないとか、私の思いに応えたいとかそーいうことは考えないで欲しいの。少なくとも、今は。私のことをきにかけないで欲しい」

 ローザは。
 ローザ=ファレルはいつでも唐突だった。それでいて、気恥ずかしくなるくらいに真っ直ぐで、真摯で。

(出会ったときから・・・)

 セシルは、思う。

(僕とは正反対だって、ずっと思っていた。すごく眩しい人だって感じていた。だからつきまとわれるのはいつも煩わしく思っていた)

 思えば、セシルはローザをずっと邪険にしていたと思う。子供の頃からずっと。

(それでもローザはずっと僕を追い掛けていた。僕も、煩わしいって思いながら、それでも・・・)

 ぎゅっ、とセシルは再び彼女の身体を抱き寄せた。強く。感覚の薄い手で彼女を強く抱き寄せる。

「セシル?」

 きょとんと自分の名前を呼ぶ彼女の声を耳にして、セシルは彼女と出会ったときから今までを思い返す。思い返して、確認して、それから一つ頷いた。

(・・・それでも、彼女を嫌いに思ったことは一度もない)

「ローザ、一つだけ聞いて良い?」
「なに?」
「さっき、僕と一緒に居る以上のことは求めないって言ったけどさ」
「ええ」
「でも結婚はしたいんだ?」
「え? だってそれは運命だもの。というかずっと一緒に居たいなら、結婚するしかないじゃない」

 あはは、馬鹿ねえセシル。と彼女は笑った。
 そうだね、馬鹿だねぇ。とセシルも苦笑。

「きっとさ。ローザの言うとおりだと思うよ」
「え?」
「僕には今やることがある。だから、君のことを愛することはできない。けれど」
「その先は言わなくていいわよ。解ってるから」

 人差し指で、ローザはセシルの唇をふさぐ。
 しかしセシルはローザの指をのけて、言う。

「全部が終わったら、僕は君のために生きるよ。君が今までそうしてくれたように」
「それは愛かしら。義務かしら」
「両方だよ」

 ローザ=ファレルはセシル=ハーヴィを、己をかけてまで愛してくれた。なら、セシルがローザを愛するのなら、それは当然の義務とも言える。
 ローザは薄く笑って。

「セシルはさっき、できない約束はしないって言ったわよね」
「ああ」
「なら、それはできる約束なのよね?」
「ああ」
「なら・・・セシルは全部終わるまで、私の為に生きるまで死なないってことよね?」
「ああ」

 三度セシルが頷いて。
 ローザは今も抱きしめる彼の抱擁を抜けると、立ち上がった。

「大丈夫だって、言ったものね?」
「大丈夫さ」
「ええ。セシルは約束を破ったことなんてないものね」
「・・・そうだっけ?」
「そこで落とさないで」

 ローザは苦笑して、それから少し危なっかしい足取りで部屋の入り口までたどり着く。

「絶対に、信じるから」
「ああ!」

 頷いた瞬間、ローザはドアを開いた。
 眩しい光が外から入り込んでくる。目がくらむ。
 セシルが眩しさにめくらになっている間に、ローザはさっさと部屋の外に出る。ぱたん、と軽い音を立ててドアが閉まり、部屋は再び薄い闇色に満たされる。
 薄暗い部屋の中でセシルは吐息。

「・・・死ねなくなっちゃったなぁ」

 自分の胸に手をやる。
 温度の感じない手は、しかしどくんどくんと心臓の音だけはよく感じ取ることができた。

「人は、死ぬことを知らなければならない、か・・・」

 人は死ぬということセシルは知っている。
 そして死ぬと言うことは他者を生かすことだと言うことも。
 誰かが死ぬたびに誰かは生きる。誰かが生きるために誰かが死ぬ。
 命とは、そういうものだと知っている。
 だからこそ、必要とあればいつでも我が身を投げ出す覚悟ではできていた。するつもりでいた。
 けれど、彼女はそんなセシルの心の内を見抜いたかのように───

「困った・・・」

 苦笑混じりのつぶやきは、暗い部屋の中に少しだけ響いて消えた───

 


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