ドーン パープル


   



 カランカラーンッ。ドアについている鈴らしきものが上品とも下品ともつかぬ音を立てる。夕食時のお客のピークを越えた時間で手が空いたのか、レジの所でバイト仲間らしき男の子と笑いながら立ち話をしていたその子は鈴の音に反応して入り口のところまで出てきて、マニュアル通りに接客をスタートする。
「ようこそメイドインキッチンへ。お客様何名さまですかぁ?」
「6名」
「オタバコはお吸いになりますかぁ?」
 ちゃんとお客の顔を見ないでの接客に、ちょっと焦れた貴起はいたずら心で、
「TPOによりけりでらっしゃるんですねー」
「ではこちらへ、・・・あれっ?」
 そこで初めて目線を上げて貴起たちの顔を見たその女の子、片瀬亜美は知ってる顔が並んでいることにやっと気付いて、目をまん丸にしながらぱあっと笑顔になった。
「あーっ、センパイたちー、何しに来たんですかぁー?」
 天然の部分から不意に搾り出されてきた亜美の質問に、ほえっ?とひるんだ貴起の横から飯島史枝がすすっと出てきて答える。
「あのさーオオヌキー、ファミレスに食う飲む以外で来るヒトっていんのー?」
「・・・えと、喋る・・・とか・・・」
 ちょこっと反抗してみるオオヌキ。このオオヌキというのは亜美のあだ名で、むしろ本名よりもこっちで呼ばれることが多かった。このオオヌキというあだ名の由来は、貴起たちのスキーのサークルの新入生歓迎のコンパの自己紹介で「片瀬亜美です、パフィーの大貫アミちゃんに似てるって言われます。名前が」と誰しもが思わずツッコみたくなるような切れ味のいい天然パンチをぶちかましたことからだった。そんなオオヌキに「いるのはセンパイばっかりじゃないぜー」とでも言いたげに、同じ一年生の柳圭がぬっと出てきて声をかける。
「おっすアミちゃん。結構忙しそうに走り回ってるんだね。」
「えーっ?ケイちゃんまさか外から観察してたのー?」
「10分くらいかな」
「うそー?さいあくー。ケイちゃん趣味わるいよー」
「でも言い出したのは純さんだぜー」
「えー。ジュンさんなんですかぁー?」
 急に呼ばれた格好に、5人とオオヌキからちょっと離れて入口に飾ってある派手な色調の絵を腕を組みながら眺めていた椎木純輔が振り返る。
「何が?何の話?」
「私が仕事してるトコを外から観察してようってジュンさんが言い出したってホントですかあ?」
「そうそう、オレ制服マニアだから」
 実際に制服マニアを自称してるのは貴起で、それをみんなが分かってるのを踏まえての純輔のおふざけ。
「ふふふ、いつからジュンさんはタカキさんの仲間になったんですかぁー?」
「おいおいオオヌキ、俺と純輔じゃあマニアの格が違うって」
 笑いながら貴起が加わる。
「あはは、そうですね。タカキさんホントに変態ですもんね。あ、ところで、どうします、席?」
 ふざけている貴起達の後ろに次の客が来たので、オオヌキは接客口調に戻して、
「ではあちらの喫煙席へ」
 と先に立ってメニューを数冊抱え、ずんずんと奥へ歩いていく。「オオヌキ、大分慣れてるねー」なんてしゃべりながらぞろぞろついていく6人は案内されるまま、店の奥のほうの8人がけのテーブルに座った。
「じゃ、決まったら声かけてくださいねー」
 とオオヌキは仕事に戻る。おそらくピークは越えた時間であるとはいえ、平日の午後8時半という時間はさすがに家族連れは少なかったがきっとママさんバレーやら何かの集まりやらの帰りであろうおばちゃん達が多く、6割方席は埋まっていて、戻ろうとしたオオヌキをいきなり近くのテーブルの客が呼び止めている。
「大変だねー」
「結構運動になるって言ってたよ」
「でもなんか最近あの子しゃがみ方がここの注文取る時の姿勢になってるんだよねー。それで誰かが『それってファミレス座り?』ってからかったら『うん、メイドイン座り』って開き直ってたし。ねーあきぽーん、なに食べるー?」
 史枝の言葉が合図であったかのようにそれぞれ一旦メニューに夢中になる。
 このテーブルを囲んでいるのは皆貴起と同じスキーサークルの仲間、貴起、えり子、純輔、史枝、圭、そして”あきぽん”こと今本秋乃の6人。圭だけが一年生であとの5人は2年生だ。今日は夕方のサークルの集まりの後でたまたまみんなバイトがなかったので、貴起と史枝の車に便乗してご飯を食べに来た、というわけ。
 あーだこーだとメニューを決めかねていた女の子達も腹が決まったみたいでオオヌキの隙を見て圭が呼び止める。
「あ、はーい。決まりましたー?」
 くるっとみんなの顔を見回してから、じゃ、とりあえずと貴起が口火を切る。
「じゃ、俺四川風チャーハンとライス大盛り、あと単品でジンジャーエールお願い」
 その一瞬、「また?」という呆れ顔にちょっと心配も織り交ぜてえり子のキツい視線が貴起に飛んだ。が、気付いたのは当の貴起だけで、その視線にすっと一滴冷や汗をかいた。が、
「出ましたねー。必殺タカキさん。チャーハンおかずにライス食べるんでしょ?」
 オーバーにリアクションする圭をよそに、貴起の食欲には慣れっこの他のメンバーは「サラダうどん」とか「オリエンタルサンドセット」とか「磯ドリア」とかめいめいに注文をオオヌキに飛ばしていた。でも貴起と圭のやりとりは止まらない。
「アホか。混ぜて食うに決まってんじゃん。今日、なんかハラペコなんだもーん。」
「おかしいっすよ?マジで。だってここってもともと量多いっすよ。オレ彼女とここ来たら一人前づつ頼めば絶対彼女が残すんで結構それで腹いっぱいになっちゃいますよ」
「そっか。そういえばみんな残すじゃんねー。もらおうっと」
「マジでっすかぁ?タカキさんの分だって、絶対混ぜたら2合くらいありますよー。普通の人間なら胃袋パンクしますって」
「みんなおかしいって」
「いや、おかしいのはタカキさんでしょ。しかも食うの異常に速いし」
「ばーか、ヒガシカマの方が速いぜ。でもな・・・」
 貴起が圭の耳に口を近づけ、ナイショ話モードに入る。面白そうな気配に圭もニヤニヤしながら耳を近づけ、聞くモードに入ったが、急に「ふうっ」と貴起はぬるい息を圭の耳に吹き込んだ。この奇襲には圭も身体をビクビクっとさせ、首をぶるぶるっと振って、本当に気持ち悪そうな、すぼめた顔をして恨めしそうな視線を貴起に送る。
「やめてくださいって。オレメチャ苦手なんです・・いてて、何すか?今本さん」
 さっき貴起に息を掛けられたのと逆の耳を秋乃につままれてそっちを向きながら、はっと二人は他のみんなが自分たちを見ているのに気付いた。いや、ずっと見られていたのに気付いたと言った方が正しいか。二人をとてつもなく呆れた表情で見やりながら秋乃が口を開く。
「あんたらなんで状況見えないかなあ?はい、ケイちゃん早く頼みな。決まってるんでしょ?」
「いえ、ちょっとメニュー見せてください」
「マジ?決めてないの?あんたオオヌキ呼んだじゃん。」
 信じられないという顔で、目をまんまるにしながら秋乃がメニューを渡す。でも圭は受け取りながらメニューを軽く開いて、
「じゃ、アミちゃん悪いっ、オレエスニックハンバーグとミルフィーユアラモード」
「はーい、ではご注文を・・・繰り返さなくてもいいですね。ここは信用で」
 時折軽薄な圭のいつもの調子にちょっと和んだのかオオヌキは笑って、打ち込み終わった注文用の端末をエプロンのポケットにねじ込みながら、急ぎ足で厨房の方に入っていった。
「でもさあ」
 ちょっと身を乗り出してワンテンポ置き、きょろっとみんなを見回してから、おもむろに純輔が話し出したので、みんなそっちを見る。
「あきぽんってビックリした顔カワイイよねー」
 秋乃、この不意打ちに軽く赤面、でもそれを隠すかのようにきっ、と純輔に向き直り、
「でもそれって普段カワイくないってこと?」
 思わぬ角度の切り返しに今度は純輔が一瞬固まり、そしてタイミングよくげほげほっとむせて、グラスを持ちながら秋乃から視線を反らした。

「あっそうそう、ユーコちゃんがさー」
 急に何か思い出したのか、えり子が料理待ちのなんとない沈黙を破った。よっぽど面白いことなのか、もう顔は半笑いになっている。ちなみにユーコちゃんってのはえり子が家庭教師をしている中学2年生の女の子で、時々車で迎えに行く貴起も面識がある。
「えっ、ユーコちゃんってえり子の教えてる子だっけ?」
「そうそう、この前さあ、面白いんだよ、ふふっ」
 よほど面白そうなえり子の顔を眺めながら、あれ、最近そんな話あったっけ?と貴起はこっそり頭を巡らせていた。面白いことがあったらまず話していてくれるはずなのになあ、おかしいなあ、と思ったがえり子の話はあまり間髪をいれずに進む。
「この前ね、英語の勉強しててね、オキュパイって単語が出てきたのね」
「あれ?オキュパイってなんだっけ?配るとかだったっけ?あきぽん?」
「ジュンスケちゃん覚えてないの?occupyって『占領する』とかって意味だよ。」
「今本さんすげー、さすが英語科っすね」
「いやケイちゃん、それで誉められてもねえ。中学2年生がやってる単語だよ?で、えり子、オキュパイがどうしたの?」
「あ、そうそう、何て読んだと思う?」
 ニヤッ、と貴起。
「そりゃあ決まってるだろー」
「何スか?貴起さん」
「あの巨乳とか貧乳とか言っちゃうアレだろ?」
 言わんとするところを察した圭も反射的にニヤけ、
「ははは、タカキさんって貧乳好きなんすもんね・・・あ」
 一瞬の間、でもまるで聞こえなかったかのようにえり子は返す。
「違う違う。ユーコちゃんね、何て読んだと思う?もうね、笑っちゃうよ。だって、『オカピー』だよ、真顔で」
「かわいいーユーコちゃん、なんかカキピーみたい、ふふふ」
「しかもね、ちょうど教科書の文章の中にそれが出てきて、そこまではユーコちゃんもスラスラ読んでてさー、急に詰まって明らかに助けを求める目をしたんだけど、そこで敢えて突き放そうって思って気付かないふりをしたら、それ」
「真顔でってのが想像すると結構面白いよね」
「でもさあ、その気持ちもわかるよ。俺もhonestって単語、高校の時まで素直に『ホーネスト』って読んでたもん」
「えー、タカキくん、それはもっとヤバいんじゃない?高校までってのは遅すぎだよ」
 お冷やの入ったガラスのコップをカラカラ揺らしながら、史枝が応じる。
「だってさあ、『ホームホーマーホーメスト』とかいうCMやってるじゃん。あの仲間だと思ってたんだよね」
「そんでもって、どうせ間違いに気付いたのも学校じゃないでしょ?そんな気がする」
「まあね、カラオケだったんだよ、氷室の歌で出てくるのあったじゃん、『ホーネストラーブ』って歌詞のやつ」
「だから『オネスト』ね」
「今は分かってるって。それで友達があまりにも堂々と『オーネストラーブ』って歌うもんだから、あ、俺間違えてたのかな?って」
「良かったね、今まで引きずってなくてね」
「そういえば俺もfavoriteっての、ずっとフェヴォライトだと思ってて、この前進夢にツッコまれちゃったんすよー」
「マジ、ケイちゃん?タカキくんよかったね、もっと上手がいたよ」
「あはは、みんなやばいねー」
「ちょっと一緒にしないでよー」
 圭のうっかり失言でちょっと一瞬固まった場だったが、とりあえず会話的には持ち直した感じで貴起や史枝は心の中でホッとしていたが、違う角度で見ていた二人がいた。その純輔と秋乃が持ち直しつつある会話の中にこっそり紛れて小声で話していた。
「ジュンスケちゃん、さっき、聞こえたよね?」
 ミルフィーユアラモードをフォークで切りながら、皿を見たまま秋乃が問い掛ける。
「聞こえたぜ。かっちーんっていう音だろ」
白く、薄っぺらなコーヒーカップを口に近づけながら純輔が小声で応じる。
「ケイちゃんってえり子怒らすの得意だよね」
「でも怒りはタカキにいっちゃうんだよね」
「後でお説教?」
「たぶんな。たぶん一日パシリだね」
「いつもそうだよね」
「まあ素直にパシるタカキもタカキだがね」
「そうじゃないとえり子とはもたないけどね・・・あ、」
 秋乃の皿の切り分けてあったミルフィーユがぺにゃん、と崩れた。ざくっとフォークで刺してぱくっと口へ運ぶ。
「でも毎回そのグチを聞いてメシおごってんの俺だからさあ」
「パターンになってるのね、じゃあそのゴハン代ケイちゃんにもってもらえば?」
「そういっても学食の天丼代だから320円だけどね。ユニオンの半時間分だから」
 ユニオンというのは純輔がバイトをしているレンタルビデオ屋だ。どうも貴起たちのサークルの人間が代々バイトに入っているらしく、純輔もこのサークルに入ってからすぐに働き出したのだった。
「3時間?・・・あ、半時間ね。紛らわしい表現しないでよ、一瞬ユニオンってそんなに時給安かったっけって思ったもん」
「いや、安いのはタカキだろ」
「ふふふっ」

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