しばらくして、小屋から井宿と秋生が出てくると、外にいた芳准がぴとっと父親にくっついた。
「ほんとにお前は甘えんぼだな、芳准」
井宿がくつくつと笑う。
「井宿、もぅええのか?」
「あぁ。オイラは会おうと思えばいつでも会えるし、香蘭に無理はさせられないのだ」
「さよか」
「じゃあ、秋生。今度、聖川郷を訪れたとき改めて“おめでとう”を言わしてもらうのだ」
「あぁ……」
このとき、秋生には言おうか言うまいか迷っていたことがあった。
意を決し、言葉を繋げる。
「あのさ、井宿……」
「今度会うときは、一家4人元気にしていて欲しいのだ」
「……気付いていたのか」
井宿は頷いた。香蘭を抱きかかえたときに気付き、話しているうちにそれは確信に変わっていた。
彼女のお腹には、ふたりめの子供の命が宿っていたのだ。
「……幸せに」
「お前こそ……。順調にいけば、半年もすれば生まれる。必ず来いよ。待ってるからな」
「必ず」
去っていく井宿と、それを囲うようにして歩いていく七星士や巫女の背中を見て、秋生は彼らの姿をよく見ておくように、息子を諭した。
あれが、この紅南国のために先頭に立って戦った戦士たち。
そのうちひとりが、自分の親友なのだ。
「……芳准、お前に弟が生まれて、その名前をやつが聞いたら何て思うかな」
「?」
「飛皋っていう名の弟、いいだろ?」
「うん」
前々から、香蘭と考えてはいた。そして、きょう井宿と話したことで、それは決意に変わった。
「仲良い兄弟になれるぞ、きっと!」
「うん!」
芳准は嬉しそうに笑って頷いた。
「はぁ、なんか一日ってあっという間だよな」
「そうだな。もう、夕暮れ時が近い。一日なんてあっという間だ」
先頭を歩いていた魏と星宿が、空を見て呟いた。
「ねぇ、ちょっと。後ろから、妙なものがくっついてくるわよ?」
「は?」
魏が柳宿の言葉で振り返る。
「井宿、ずっと気持ち悪いくらい笑顔なの」
「んなの、いつものことだろ?」
美朱が言うと、魏もいよいよ興味を示したように、最後尾のほうをひょいっと覗く。
「なんや、見てるとムカつくで」
「……ほんとだ」
井宿は、小屋を出たときからずっと三頭身のままで、しかも、その笑顔がいつにもまして全開だった。
いつもが100%なら、今はその2倍といったところ。まわりには、なにやら得体の知れない物がぽやぽや浮いているくらい。
「な?どつきたくなるやろ?」
「ま……まぁな」
「嬉しいのね。あたしだってそうだもの。久しぶりに珠玉や天文に会えてね」
「なんだか、波乱万丈の一日でしたね。……あ、でもまだ時間はありますよ。太一君はあしたの昼まで良い、とおっしゃってました」
「……けど、なんや、このまま宿で会食。んでもって、おやすみなさい言うのもつまらんな。……温泉行かへんか?」
『温泉!?』
「せや。ええとこ知ってんねん。めっちゃ格安でうまい飯。しかも、露天風呂はいり放題や!」
美朱が「うまい飯」に反応して、「賛成!」と手を上げた。
「そうね。せっかく生身の体を娘娘に貸してもらってるんだし、汗も流したいわ」
「私も柳宿と同意見だ」
「温泉ですかぁ。いいですね」
「俺も賛成だけど、おーい!井宿と軫宿はー?」
魏の声に、少しはなれて後ろから来ていたふたりが、顔を見合わせる。
ニャン!
「いや、たまには訊いてないよ」
「……オイラは賛成なのだ。軫宿も疲れているようだし、疲れを流すといいのだ」
元の体型に戻った井宿が賛成の意を述べる。
すると、軫宿も感謝するようにこくっと頷く。
「是非そうしたい。風呂なんて、魂だけになってから久しぶりだからな」
「ぅおっしゃ。全員一致や。ほな、行くでー!」
“來來庵”
あくまで七星士との別れの一日であり、美朱と魏はむこうの世界に行けばいつでも一緒にいられるので、それを考慮に入れたくじ引きの結果、
部屋割りは以下の通りになった。
牡丹の間(二人部屋) 美朱、柳宿
蓮の間(五人部屋) 魏、翼宿、井宿、張宿
百合の間(三人部屋) 星宿、軫宿
「……なんか、見事に分かれたな」
「あかん!なんで俺が、お前(魏)と一緒の部屋なんや!」
「五人部屋は、結構広いそうですよ。夜とか集まってトランプ(笑)できますね!」
「オイラ、星宿様や軫宿と一緒のほうがよかったのだ……」
「うむ。翼宿と魏ではうるさそうだからな……。これで柳宿も一緒だったら、どんな騒ぎになっていたか。わからぬな」
「あたしだって、できれば星宿様と御一緒したかったわ!このコンビと一緒に寝んのはごめんよ。ね?美朱、女は女同士仲良くおしゃべりして寝ましょ?」
「だねー。……って、柳宿は男じゃ……」
「あぁ、もぅ。今更でしょうが!あたしは心は乙女だって言ったはずよ?……なにも、あんたみたいな子供襲っちゃおうなんて思ってないわv」
「何!?」
「……魏、あんたも妬かないの!冗談に決まってんでしょ」
「……ところで、部屋の位置なんだが」
「あぁ、軫宿。それなら大丈夫や。蓮と百合はお隣はん同士で、二人部屋の牡丹は二階やけど、ほれ、この連の間の隣んある階段上ってすぐや」
「……詳しいな」
「まぁな。よく攻児と仲間とで来る風呂兼宴会場やさかい、主人もよぅわかっとるわ。どれもいっちゃんええ部屋なんやで?」
「とか言って、主人さっきお前の顔見て怯えてたぞ?こころなしか、客も減ったような……」
「たま!そりゃきっと気のせいや。ほれ、着いたで。ここが蓮、隣が百合の間や」
一同は、蓮とかかれた大きな部屋の前に着いた。
「へぇ、広いじゃない。六人寝ても良いくらいよ?」
「ほな、各自部屋に荷物置いて、早速……」
「晩ごはーん!!」
ズッコケ!!
「ちゃうやろ!第一まだはやいっちゅうねん。風呂や、風呂!」
牡丹の間
「荷物って言ってもねぇ。あたしたち手ぶらもいいとこよ」
「そうよね。何ももってないもん。……ねぇ、柳宿?」
「なによ?」
「あ……のさ、柳宿ってお風呂……男湯だよね?」
唐突な質問、しかもまったく予想だにしていなかった質問に、柳宿が一瞬……石になった。
「ばっ!……あったりまえじゃない!!体は男なんだから!」
「そ……そう、だよね。」
「……びっくりしたじゃない。なぁに?いきなりそんな質問して」
「……ん〜。だって、みんな男の子でしょう?女湯ひとりでさみしいなぁ〜……なんて」
「……」
目が点になる柳宿の前で、照れたときの張宿のような仕種をする美朱。
「……はぁ。あんたそんなこと思ってたの。あきれた……。……あ、でも、できなくないわよ?」
「……へ?」
柳宿は得意そうな顔をする。
「だって、娘娘に借りたこの体、形だけなら頼めばいくらでも女にしてくれるわ」
「……うぅ〜」
美朱ははっとして、急に考え込むようにうなってしまった。
「……やっぱ、いいや」
「あ、そ!」
「なぁに?みんな先行っちゃったわけ?薄情ねぇ」
ふたりはとりあえず連の間に下りてきたが、すでに中はもぬけの空だった。しかたなく、そのまま露天風呂を目指す。
ここの來來庵は風呂、食堂ともに別館(というよりは宿泊施設だけが別)となっており、風呂に行くまで少しかかった。
「はぁ。……ここね。じゃあ、美朱。あとで湯上り牛乳でも一杯やりましょ?」
「うん!じゃ、あとでね」
「女湯のほうは空いてそうね?美朱、広いからって泳いじゃダメよ?」
「泳がないよ!!もぅ!」
くすくす笑いながら、「じゃ、あたしは星宿様のお背中流さなくっちゃ!」と、男湯の暖簾をくぐっていった柳宿を見て、
美朱はむぅっとほおを膨らませた。
「お?柳宿が来たか」
「あんたらお酒なんて持ち込んじゃってぇ、夕飯の前にでき上がっちゃってどうすんのよ」
「えぇやん。なぁ、たま?」
「なー!」
「……はぁ」
まぁ、なんにせよ、このふたりがふたりしておとなしく酒飲んでんだったら(流石に悪酔いする奴等ではないだろう)、と柳宿はそれ以上言わなかった。
露天風呂は広かった。しかも、彼ら七人以外の客は今はいないようで(やはり翼宿を見て皆逃げたのだ)、ほぼ貸切状態だ。
今はみんな湯船かその脇にいて、だいたいメンツは翼宿と魏、張宿と星宿、井宿と軫宿というかんじで固まっていた。
風呂の岩の上で景色を眺め、酒に酔うふたりはとりあえず無視することにして、柳宿は湯船の真ん中の星宿たちのほうへ。
「星宿様……、何してらしたんです?」
「あぁ、柳宿か。今、張宿に美しい男になる秘訣をだな……」
「張宿、のぼせちゃってますわよ?」
「……。いやぁ、久しぶりに生身の体で風呂に入れたので、つい感が高ぶってしまって。やはり、風呂は心地よいなぁ?柳宿」
「そう……ですわね。ほら、張宿、あんたは少し出てなさいな」
「ふ……ふぁい……」
目が回ってしまっている張宿は、ふらふらと入り口付近で涼むため、湯から上がった。
「星宿様?あとでお背中お流ししま……」
「たま!!」
軫宿の声に柳宿と星宿がそちらを向いた。
「……たまがどうかしたのか?軫宿」
連れてきてたのか……とか思いつつも、星宿は大きな岩の積みあがったところの手前で湯に浸かっていた軫宿に尋ねる。
その岩山の上からは細く滝のようにして湯が注がれている。(ちなみに女湯はこのすぐ裏で、左右対称で男女ともに同じつくりだ)
「たまが滝の上のほうへ行ってしまったのだ」
軫宿の隣で同じく上を見ていた井宿が、困り果てた素顔で答える。
「降りて来い!たま、危ないだろう」
ニャ……
と、たまの顔が岩の上から覗く。
「なんや?たま、たま、うるさいやっちゃな。たまならここにおるやないか」
しかし、ふたりもようやくその異変に気付き、滝の上のたまを発見した。
「たまって、あっちのことかいな。……あないな危ないとこおって、何考えとんじゃ」
しかし、魏の表情が変わった。
……あの向こうは確か女湯。今、美朱が入って……!?
「ん?なんや?どうかしたんか、たま?」
「……おい!たま!そのまま女湯行ってみろ、ただじゃおかねぇ!」
「……なに猫にジェラシー燃やしとんねん」
ニャッ!(ちっ)
「あ!お前今『ちっ』とか言いやがったな!」
「ちょっと!魏、うるさいわよ。酔ってんの?」
「……たまが消えたのだ!」
「なっ!?あの猫」
魏がカッとなって立ち上がったそのとき、
ニャーーーーーーvvv!!!
『!!?』
ぴゅーーー……、ドッパァァァン!!
「わっ!?」
「だっ!?」
たまは滝の流れにのって一気に急降下!
軫宿と井宿の丁度間に落ち、高く細い水しぶきを上げる。
……しかし。
ぷか……。
「わっ、たま!?」
たまは静かに大の字になって湯船に浮上したのだった。
……ニャ。ニャニャ。(……いや。失敗失敗)
“やらなきゃいいのに”と全員が思ったとき、たまはぴょんと軫宿の肩に飛び乗った。
「……危ないやっちゃな」
しかし、たまはめげずにそこから再び岩山へ飛び移る。
ニャ……(今度こそ……)
「……って、またやるんかい!?何がしたいんじゃ、おのれは!」
一方、女湯のほうでは美朱がひとりさみしく湯に浸かっていた。
「……いいなぁ。あっちは楽しそうで」
さっき、柳宿にほんとに頼めばよかったかなぁ。
……つまんない。
泳いだりシンクロしたりも、そろそろ飽きてきた。
とっとと上がって、牛乳でも飲もうかな。お腹も空いてきたし……。
ザパッと立ち上がった、そのとき……
ガサッ!!
「!?」
滝のあるほうとは反対側の林で、何かが動いた!
「何……?」
条件反射で思わず身を縮める。
ガササッ!!
何か……いる!
と、そう思ったとき!
キラッ
光って林に浮かんだのは、ふたつの……目?
「ひっ……」
思わず息を呑む。
次の瞬間、特別ガサッと大きな音が……!
「きゃあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
『!?』
その声は男湯にしっかり届いた。
『美朱!?』「美朱ちゃん!?」「美朱さん!?」
全員が立ち上がるが、一番早かったのは魏だ。
「美朱!」
だっとかけだし、さっきたまが登った岩山を、ぴゅんぴゅん軽々かつ器用に登っていくが……。
「魏!そっちは……!!」
誰ともなく叫ぶ。
「……女湯」
「きゃあ!魏のエッチ!!」
ドカッ!!
「なっ!?わああああぁぁぁぁぁ……!!」
その甲斐なく、魏は悲鳴とともに空を飛んで男湯のほうへ舞い戻った。
バッシャアアアアアァァァァァン!!
……ぷか。
「……遅かったのだ」
続く
温泉ネタはどうしてもやりたかったのです。
ビデオシリーズの慰安温泉旅行を見まして、おぉこれの先が……旅館の中に入ることなく終わってしまったので、
とっても気になった!
メンツは少し違いますが、きっとあの後こんな感じだったのかなぁ、と思いながら書きました。
さて、美朱のお風呂を覗いた物好きとは!?……いてっ!(魏に殴られた)