3、想いの継承
「どうしたの?軫宿」
さっきから声が聞こえないと思っていた軫宿が、なぜか心配そうな顔であたりをきょろきょろ見回しているのを見て、
美朱が問うた。
「いや、たまが見当たらないんだが……」
「あ、そういえば」
「たま?オイラ軫宿のところにいるとばっかり……」
軫宿が首を横に振る。
「なんや?たまならここにおるで」
「そりゃ、俺のことか?こらっ」
「でも、本当にどこへいったんでしょう……」
「確か、珠玉んちに来るまではいたわよ?あたしがちゃんと紹介してやったんだから、間違いないわ」
だが、この家にたまはいなかった。
子供たちに訊いてみても、猫なんて見ていないという。
「えぇ〜、ちょっと、どこいっちゃったのよ。たまってば!」
美朱が叫ぶと、珠玉と一緒に思い当たるところを探してくれていた天文が、手をたたいた。
「あ、もしかして、通りのほうではぐれたのでは?確か今日は、あっちのほうで年に三度の大魚鮮市が……」
『それだ!!』
8人の意見があった。
「じゃあね!珠玉!」
「きっとまた会いに来てな!あんたがどんな姿になろうと、うちにはすぐわかんねんで」
「うん。きっと。……天文もまたね」
「あ、あぁ……」
短い別れを済ませ、柳宿は先で待っていた7人のほうへ駆け寄った。
「……よかったの?柳宿」
「いいのよ。ちゃんと済ますことは済ませたわ」
「そっ」
「たまぁー!どこにいるのー!?」
「魚でもつるせば寄って来るんとちゃう?ほれ、こいつみたいに」
ちゃりーんっ
ぴくっ!
「金!?金の音!」
魏が翼宿の転がした小銭に食らいついた。
「たぁまぁー、出てらっしゃいー!」
「おい、シカトかい」
美朱は通りに出るなり叫ぶが、ただ人の注目を集めるだけで、当のたまはどこにも見当たらなかった。
「……なんか、僕、恥ずかしいです……」
「美朱、叫ぶのやめなさい!みっともない。もっとあの子の行きそうなところ、みんなで手分けして……」
「たまー!!おいしいご飯あげるからー!」
「み・あ・か!」
「あのぉ〜……」
通りの真ん中で叫び続ける美朱を、止めようとした柳宿と他6人の前に、ひとりの男がやってきて、遠慮がちに声をかけてきた。
『ん?』と、彼のほうを見た7人のうち、張宿と星宿以外の顔がはっと引きつった。
「あのぉ、たまというのはもしかして、この猫のことですか?」
『ひっ……飛皋!?』
ビクゥッ!
男が怯えたように肩を大きく上下させる。
「え……ひっ、飛……皋?」
男の腕の中にいたたまが、ニャンと向こうに美朱を見つけてそっちに飛び出した。
「あ、たま!よかったぁ。ねぇ、みんな!たまが……あれ?」
やや遠いところにいる彼らと、対峙するひとりの男に目がいった。
「ひっ、飛皋!?」
「飛皋……?」
井宿が、信じられないといった顔で一歩前に出ると、男の顔が変わった。
「あ……れ?お前、まさか……芳准……か?」
「……」
「芳准!俺だよ、俺!ほら、聖川郷の!」
井宿がはっと息を呑む。
「ひょっとして……、秋生……なのだ?」
「そうだよ!秋生だ」
秋生は嬉しそうに激しく首を上下に振った。
しゅう……せい?
他のメンバーが疑問に思う中、
「秋生!ひさしぶりなのだ!元気だったのだ?」
「芳准!お前も相変わらずじゃないか!懐かしいよ、その喋りかた。ほんとに!」
ふたりの感動の再開が行われた。
「芳准、お前のおかげであの村もすっかり復興して、戦でも俺たちは紅南国について頑張ったんだ!
そりゃ、その騒ぎでまた少し荒れたけど、今はもう大丈夫。また、綺麗なところに戻っているよ。聖川の流れも穏やかだ」
「そうなのだ?またいつか、行こうと思ってたのだ」
「ちっ、井宿……その人は?」
「飛皋やないんか?」
やや戦闘態勢をとっていた魏と翼宿が尋ねる。
井宿は「あぁ……」と、思い出したように友人を仲間に紹介した。
「彼は秋生といって、オイラが美朱ちゃんたちと逢うちょっと前まで、一緒にいた親友なのだ。飛皋とは似てるけど、別人なのだ。
秋生、こちらは朱雀の巫女と、七星士。オイラの仲間なのだ」
「芳准……」
万遍の笑顔で仲間を紹介する井宿を見て、秋生はより嬉しくなった。
「そうか、朱雀の!七星士と……巫女様」
「おとうさぁーん!!」
『?』
小さな2才くらいの男の子が、こちらへとてとて駆けてきて、ぴたっと秋生に貼りついた。
「こら、芳准。ひっつくんじゃない!」
「……“おとうさん”?……“芳准”?」
秋生は恥ずかしそうに息子を抱き上げる。
「あは……。この子は1年半前に生まれた俺の息子で……芳准っていうんだ」
「だっ」
井宿が思わず声を上げた。
「おんなじ名前なのだ」
「……お前への感謝の気持ちと、なによりこの子にお前のように強くなって欲しくて、俺と香蘭で名付けたんだ。
……ダメだったか?」
井宿はぱっと三頭身になった。
「そんなことないのだ。うれしいのだぁ!」
「あー。井宿、もしかして照れてるぅ?」
美朱が茶化す前で、芳准という名の子供は、三頭身になったキツネ面の井宿を見て、きゃはきゃは喜んだ。
「だー。香蘭と君によく似てかわいいのだ。ところで、秋生はなぜこんなところに?香蘭と聖川郷で一緒に暮らしてたんじゃなかったのだ?」
この質問に、秋生はどういうわけか突然ふっと顔を曇らせた。
「……秋生?」
「芳准、実は……」
「なぁに?」
腕の中の子供がきょとんと父の顔を見上げる。
「いや……、お前じゃなくて」
「まどろっこしいから、オイラのことは井宿と呼んでくれると嬉しいのだ」
「じゃ……井宿、実は俺たちここに薬を買いに来たんだ」
「薬を……?」
なんでまた、あんな遠いところからはるか紅南国の泰斗市まできて、薬なんて。
「ここ淳天は、薬師の出世地で有名なんだ。だから、たくさん薬の専門家がいるし、そこらにはない妙薬もある。香蘭の病に効く薬もきっと……」
「!?」
香蘭が……病気?
思いも寄らない事実を聞かされ、井宿はしばし呆然となった。
「……それは、本当なのだ?香蘭が……病に」
秋生はつらそうにこくっと頷いた。
まわりを囲っていたみんなも、どうやらもうひとりこの秋生という人の奥さんで、井宿の知り合いの香蘭という人がいて、
その人が病気なのだということを理解し、言葉を失った。
「重い肺の病気で、聖川郷の医者は都の薬でないと、と。だから俺たちは、まだ元気なうちに彼女をこの淳天まで連れてきて、
今は町外れの小屋に住処を置いてるんだ。でも、日一日と彼女はやつれていって……。薬も高くて買えないんだ。
あの性悪、人の足もとみやがって……。だから、きょうもこうやって薬師に交渉しに……」
「秋生……」
「でも、やっぱ駄目だった。ばかだよな俺……、また彼女をつらいめにあわせて……」
「そんなことないのだ。秋生はよくやっている。病は……しかたのないことなのだ」
「いや!俺がもっとしっかりしていれば、彼女を気遣っていれば、こんなことには……。きっと、病気にだってならずに済んだんだ。
俺のせいだ……!」
うっとせきを切って流れ出した涙を、芳准がその小さな手でふいてやった。
「お父さん!泣いちゃ、ダメ。早く次の薬屋さんにいって、お願いするの!お母さん、待ってるんだよ?」
「芳准……」
「芳准も言っているのだ。秋生、君は立派に今父親なのだ」
「井宿……」
「それより、今すぐその小屋にオイラたちを案内してほしいのだ」
「えっ……」
「軫宿……、力は使っても大丈夫なのだ?」
そこでみんなが、
『あぁ!!』
と、思い出したように軫宿を見た。
「せや。今まで主に怪我の治療しか頼んどらんかったから、すっかり忘れとったけど、軫宿は外内科両用の名医やったわ!」
「怪我の治療しか頼まなかったんじゃなくて、あんたの場合、怪我しかしないんでしょうが」
「“バカは風邪引かない”って、こっちにもあったっけ?」
「なんやと、たまぁ!」
「だが確かにその通りだ。軫宿」
星宿が軫宿のほうを向いた。
彼は強くこくんと頷く。
「大丈夫だ。力は使える。だが、症状を見ないことにはな」
「あ……あの、お医者様でいらっしゃるんですか?」
「そうなのだ。軫宿は名医なのだ!香蘭の病気もきっとすぐよくなるのだ」
井宿のその言葉を聞き、秋生の顔はみるみるうちに明るくなっていった。
「あっ……ありがとう芳准!……よかったなぁ芳准!」
「……秋生、名前がごっちゃになってるのだ」
一行は秋生の案内で町を離れ、小高い丘に建つ、一軒の粗末な小屋の前にたどり着いた。
「あのさ……、井宿」
「どうしたのだ?秋生」
「井宿、驚くと思うぞ?……彼女、今はもうすっかり弱ってて、……その」
「……見せたくないのだね?弱りきった彼女を、オイラに」
「……」
「わかったのだ。軫宿以外はしばらくみんな外にいるのだ。だから、治った後の元気な彼女と再会させて欲しいのだ」
「井宿……」
秋生が「ありがとう」と頭を下げ、軫宿ひとりを家へ招きいれるため、戸に手をかけたそのとき!
「……香蘭!!?」
「おかあさん!!?」
『!?』
尋常ではない叫び声に、思わず全員がそちらを見た。
井宿もついさっき取り交わした約束も忘れ、ついばっと悲痛な声を上げた彼らのほうに目がいった。
香蘭になにか……。
「……!」
不安は的中した。
秋生と軫宿の間から見えた部屋の中、床の上には布切れの塊があった。
「香蘭!!」
秋生がそれに駆け寄ってくれたおかげで、井宿らの位置からも部屋の中の様子が見えるようになった。
そのため、井宿にはその布切れの塊がなんなのか、大きなざわめきとともに理解できた。
「香蘭!!」
「あ、井宿!」
美朱が手を伸ばすが、井宿は迷わず軫宿の脇を抜けて、秋生のあとに続いた。
そう。床の上にあったのは、布切れなんかではなく、倒れた香蘭だったのだ!
その彼女を、秋生と井宿とで抱き起こす。
「香蘭、またひとりで起きたりして……!あれほどおとなしく寝てろと言ったのに」
「香蘭……」
井宿は息を呑んだ。
そこには、前のふくよかな明るい少女のイメージは欠片もなく、ほぉがこけて痩せ衰えた弱々しい香蘭の顔があった。
しかも……。と、井宿は思わず目を伏せそうになる。
しかも、この肩、この体……、こんなに細かっただろうか。骨ばってて、まるで布だけに触れているように、彼女の体は軽い。
……こんなにやつれてたのだ……。
はぁ…はぁ……
生気のない唇から、苦しそうな息が漏れている。
「いけない!呼吸がおかしいぞ、早くベッドへ!」
軫宿がそれを見て叫んだ。
「……軫宿」
「大丈夫だ。幸い、発見が比較的早かったからな。もう少し遅かったら、危ないところだった……」
ベッドに寝かせた彼女に、左手をかざしていた軫宿の「危なかった」という言葉を聞き、秋生の顔がこわばった。
「……井宿に町で会わなければ、俺は芳准といつものように日が暮れるまで、戻らないところだった……。
井宿と会っていなかったら……香蘭は」
「間違いなく……」
軫宿言い、さらに秋生はしゅんとなる。
「だが……」
軫宿の手がそっと彼女から離れたのを見て、はっとその両脇にいたふたりが彼を見る。
「もう、大丈夫だ」
「軫宿?」
「彼女は助かったぞ」
うぅ……ん。
軫宿が笑顔で言ったすぐ後、香蘭の口から声が漏れた。
「香蘭!」
「……気がついたのだ!」
「あ……れ?秋生、どうし……。芳准?」
井宿はうんと頷いた。
今彼女が呼んだのは、息子のほうではなく、秋生と同じように心配そうに自分を覗き込んでいた、井宿のほうだ。
香蘭はすっかりよくなっていた。
やつれていたのが元に戻ったわけではないが、それでも笑顔や明るい声は以前のまま、とても生き生きとしていた。
「芳じゅ……あ、井宿、ほんとにありがとう。軫宿さんもありがとうございました。ほんっとにうちの亭主ときたら、
いつもいざってときにいないんだから」
「おい……」
「冗談よ」
「……冗談になってないのだ。オイラたちが来なかったら、香蘭、死んでいたかもしれないのだ……」
「でも、助けてくれたじゃない」
「そうだ井宿、お前がいなかったら……。2度も助けられたな」
秋生が心底申し訳なさそうにすると、井宿はくすりと笑った。
「なにを今更。親友なんだから、助け合うのは当然のことなのだ。それを言うなら、オイラのほうこそ何度も秋生たちに心を救われたのだ」
「じゃあ、おあいこね」
「そうなのだ!」
そこで、井宿を見ていた香蘭の顔がふと変わった。
珍しいものでも見るような眼差しで、呟く。
「井宿、変わったね」
「だ?」
「なんか、前よりずっと明るくなった感じ。なんかあった……?」
井宿はふっと目を細める。
彼は語った。
あの出来事から約8年。ようやく自分と親友の心を深い暗闇の底から救い出せたこと。彼と話して、これからもふたりのことを愛し、
信じ続けていける自信が持てたこと。
なにより、秋生と香蘭はその報せを喜んだ。
「そうか。そんなことが……。でも、飛皋のほうもきっとお前のこと、魂に刻んでいると思うぞ?」
「きっと香蘭もよ、井宿。ね?信じるっていいことでしょう?」
「あぁ。そうなのだ。オイラは信じることの大切さを、あのときふたりに教わったからこそ、今のオイラと飛皋があるのだと思う。
秋生たちへの恩は、返しても返しきれないのだ……」
続く
わぁーん!オリキャラは出さないっていったのにぃ。珠珠のうそつきー!
だってだって、どうしても秋生たちに井宿って呼ばせたかったんだもの……。
しかも1歳半なのになんでそんなに話せるんだお前!?
……ふぅ。
それから、全国の香蘭ファンの皆様、ごめんなさい!
「勝手に人様病気にして、それなりの覚悟出来てんでしょうね?」
はい。