「ひかりー?何してるの。あしたにはもう中国でしょう?」

宿南美朱は、一階のキッチンで料理本を凝視しながら大声を張り上げた。

子供たちはみんな、進学を控えた春休みのとある朝、美朱はいつになくそわそわしていた。

それというのも、

「まってぇー。これが終わってから用意するからさ」

今年十歳になる息子、宿南光とあしたから十日間の中国旅行に行くことになっているからだ。

それは本人たっての希望で、美朱も夫・宿南魏も、息子のその強い意志とあれこれ戦ったが、

とうとう二ヶ月目にして根負けしたのだった。

ことに魏は、行くのなら自分もっ!と言っていたのだが、例の貧乏症が働いた上、

今は会社(スポーツサポート製品専門販売等の)のほうも経済状況が思わしくなく、

人手も不足していたため、泣く泣く断念。

美朱は光の声が、対面式になっているダイニングのほうから聞こえてこなかったのを、

不思議に思って顔を上げるが、やはりそこに息子の姿はなかった。

「光?どこから声出してんの」

「あぁ。こっちこっち」

光がいたのは、ダイニングの、今の美朱から向かって右隣のリビングのほうだった。

「待ってよ。このメールだけ送っちゃうからさ」

「いいけど。朝ごはん出来たから、二階のお父さん起こしに行ってくれる?」

「……もう、起きてるよ」

さっきまでやりとりをしていた高い声から一転して、一段と低く、しかし、

限りなくやさしい声が後ろから聞こえてきた。

「魏。おはよう」

「おはよう」

さわやかに朝の挨拶を交わした……つもりだったのだろうが、魏の頭は寝癖でボサボサだった。

「珍しいじゃん。きのう、お兄ちゃんたちとあんなに飲んどいて、自分で起きてくるなんて」

「悪かったな。おかげで今朝は二日酔いで頭が……イタイ」

「あははっ……」

ご飯と味噌汁を器によそいながら、廊下から顔を覗かせている状態の魏と会話する。

「あれ?お前こそ珍しいじゃん。今朝はパンじゃないの?」

「ん。だって、もうあしたから、十日も向こう行っちゃうんだし。

 ま、きょうくらいは腕によりをかけて、おいしいもの作らなくっちゃ。ね?」

「お……おう」

少しだけ退いてから魏は「あれ?」と、キョロキョロ辺りを見回した。

「光は?」

「あっちの部屋のパソコンでメール」

「……あぁ。あの子か」

「……たぶん」

ふたりには光のメールの相手が誰なのか、わかっていた。

三年前、光のいた小学校のクラスに中国人とのハーフで、曹小帆(そうこはん)という少女が転校してきた。

その子は、その後二年日本の父方の実家で暮らし、日本語や日本について学んだ後、

一年前にまた母国へと帰ってしまった。

光と小帆はとても仲が良く、たびたび宿南家に遊びに来ては互いの言葉を教えあうなどして、

良き友であったようで、さらに料理も礼儀もちゃんとなっていたいい子で、

美朱は小帆にパオズというものの作り方も教わった。

母親がとても厳しかったそうだ。

父親が急病で倒れたという報せを受けて、急ぎ帰国し、そのまま中国の学校に通うことになったのだ。

父親はまだ目が離せない状態で、一命は取り留めたものの、自宅で絶対安静。

変わりに稼がなくならなくなった母親がいない間は、父の介護と家事全般を彼女がやっているのだという。

小帆が中国に帰った後も、ふたりの文通は続き、忙しい中小帆は光への返信を多少遅れようとも、

忘れたことはなかった。

光の今回の中国行きの一番大きな目的は、この小帆に会いたいからに違いなかった。

この話を昨夜、飲み会の席でしたところ、奎介が

「女の子に会いに行くために、海外旅行か!血はあらそえないな、魏!」

と、大爆笑。

飲み会に来ていたメンツで、奎介をはじめ、真夜、唯、哲也もその意味をよく知っているだけに、

つられて笑い出した。

ちなみにこの飲み会は、夕城家、本郷家(哲也婿養子(笑))、宿南家の三家が久々に揃っての宴会となった。

本郷家の子供は一人。今年、八つになる本郷心也は光の良き弟のようだ。

夕城家、つまり光の従兄弟は二人。上は心也と同じく八つになる由香里という女の子で、

下はなんとまだ0歳の男の子で康介といった。

みんながみんな、今の幸せをかみしめていた。

いろいろとあったけど、最後にあの本と関わってからもう十年にもなるのだ。

しかし、時は過ぎ、人は成長していっても、思い出はずっとそのまま。

色あせることなく、胸の中で生き続けるあの少女時代の思い出は、今でもきのうのことのように鮮明で。

きっと消えることはないのだろう。

そして、その物語はきっといつかこの三家の子供たちに受け継がれていく。

ふたりはきのう、みんなとその思い出話に明け暮れたことを思い出して、ふっと笑んだ。

みんな必死で、一生懸命だったあの頃……。

美朱の枕元には、大切な仲間の写真が今でもそっと置かれていて、

胸の中にあるものと全く変わらない笑顔を向けてくれる。

光には四神天地書のことを、ただの物語として少しだけ話したことがあった。

そうしたのは、まだ理解するには早いと思ったからだ。

自分たちがその本に関わったこと。それが実は自分の物語だということは、

もう少し彼が大きくなってから少しずつ話していこう。

あの写真の本当の意味を彼が知り得る、そのときまで、今は大切に大事に飾っておこう。

「みんながいてくれたから……、今の私たちがあるのね」

「……あぁ。あいつらがいてくれたから、俺も、光も、……美朱もここに今こうしていられる。

 四神天地書の本はどこかいっちまったけど、物語は確かにまだここで続いてるんだ。

 俺の中の鬼宿、星宿様、柳宿、井宿、翼宿、軫宿、張宿の七つの星や、他のみんなだって、

 今も、ずっとこれからも、朱雀の巫女とともにあります」

少し大げさに丁寧なお辞儀をし、ちらっと上目遣いに自分を見た魏を見て、美朱はくすっと笑った。

「……うん」

無意識に口元に当てた指には光る物があった……。

  

  

光は、慣れた手つきで文章を作っていた。

パチパチパチ……。

キーボードを打つたび、刻まれていく文に興奮を覚え、嬉しさで思わず顔がほころびそうになる。

魏によく似た顔立ちに、美朱によく似た明るい性格と愛嬌の彼は、人から良く好かれるほうで、

友達も多く、何より活発的だった。

“小帆、聞いてよ。もう、明日には中国に行けるんだ。

 僕は中国に着いたら真っ先に小帆のとこに行くからね!” from Hikari

「送信っと。……あれ?」

新着受信メールの中に、光は見慣れないアドレスを見つけて首をかしげた。

「なんて……読むのかな。エス、ユー……。ス……ザク?」

from suzaku to Hikari

……朱雀?

朱雀って……あの、お母さんが考えたお話の中に出てくる?

好奇心旺盛な光の頭の中で、見慣れないアドレスへの警戒心よりも先にその内容に興味がわき、

そのメールのマークを半ば衝動的にクリックした。

  

  

  

  

  

我らを求めよ。

  

  

新しい巫女を使て、世界を救わんと。

  

  

我らを求めよ。

  

  

朱雀の子。

  

  

我らを求めよ。

  

  

目覚めよ。

  

  

我らを求めよ。

  

  

残酷な黒雲に、我らが……

  

  

我らを求めよ。

  

  

めしいてしまうその前に。

  

  

我らを求めよ。

  

  

る次の災害  今こそ汝がその流転の緒を断ち切るべし。

  

  

  

  

        housekirain.gif    housekirain.gif

  

永光伝が終わってからさらに十年目の話です。

↑を読んだときからずっと書きたい衝動にかられていたもので、学校で書き始めたら、これがまた止まらなくなってしまいまして。

でも、見ての通りかなりのオリジナル要素が含まれているので、掲載に散々迷ったあげく、

「使用上の注意を良く読み、用法、用量を守って正しく使いましょう」風に(?)、注意書きを置くことにしたのです。

連載物ということで、一応大筋の話は頭の中にあるのですが、まぁ、書けるときに書いてどんどんアップしていければと思ってます。

これは「序」ということで、本当はもっと短くしたかったんだけど、この先、中国に行けないやさしい魏くんがセリフが少なくなりそうで、

かわいそう〜><

なのでちょっと、魏くんにいいところ持ってかれたかな。(持ってかれたんかい!)

では、次がいよいよ本編第一話になります。

あ、ちなみにメール(↑のね)で、る次ってあるんですが、漢字が難しすぎてうちのじゃ表示してくれませんでした。あしからず。

この話、七星宿も出ます。きっと。