もう半世紀近い歳月が流れているけれど、いまだに忘れられない不思議な思い出である。
あれは、キツネに化かされたにちがいない、と今でも思っている。

 小学校五年の秋だった。
その頃、私の家族は小さな山里に住んでいた。
 世の中が大きく変わった高度経済成長のはじまる数年前、世の中全体が貧しくも、心豊かな古きよき時代。普通の家では、薪や炭が煮炊きや暖房、風呂の燃料として使われていた。
 石油、電気、ガスが普及するのは、もう少しあとのことだ。
 (たきぎ)とりや、ごみかき、炭焼きが暮らしの中にあり、子供たちにとっても、大人にまじって薪や山菜を採ったり、遊びでかけまわる里山は、今よりずっと身近にあった。
 里山が、最も里山らしく輝いていたころ、まだ、キツネの嫁入りとか狐火などが話題となり、自然の営みや野生の動物たちに、畏怖の念をもっていたころである。

 その日は、午後になって、ひとりで柴栗(しばっくり)を採りに出かけた。古くからのお墓が集まっている若宮の脇を通り、ガレ場となっている五田沢を右に見て、山みちをどんどん上っていった。
 ひとりで山に入ることには、慣れていたので苦にならなかった。
 ただいつも通いなれた里山を通り過ぎ、奥山の入り口となっている天狗様まで来ると、さすがに心細くなった。
 天狗様は杉やナラ、ヒノキの大木ばかりがそびえ、幹や枝にからんだツル植物が、不気味に垂れ下がっていた。明るい里山と違って、鬱そうとした森には、本当に天狗が現れそうな雰囲気があった。
 冒険心を奮い立たせて、足早にそこを通り抜けると、再びナラや栗などの雑木が茂った里山の風景に出た。初めて見る林だった。

 山みちをそれて少し藪をかき分けると、平らに開けた場所に出た。それほど広くはないけれど、周囲を雑木で囲まれた原っぱだ。
 背丈より少し大きいくらいの柴栗の木が、何本もあって、ぱっくり口を開けたエガから、こつぶだが茶色にピカピカ光る栗の実が、今にもはじけてこぼれそうになっている。

 背負っていった大きなビクに、夢中になって次々放り込んだ。
 秋の日差しはとうに西に傾いていた。
「あっいけねー、かえらなきゃ」と、ひとり叫び、あわてた。
 帰りは下りだからとんで帰ればいいや。三、四十分もあれば大丈夫、と思い直すと、いくらか落ち着くことができた。
 少しだけ不安をかかえながら、おもむろに腰を下ろし、ぎっしり栗の実が入ったビクをながめた。うれしかった。

 
 原っぱへは、山みちからほんのわずか藪をかき分けただけで、たどり着いている。だから戻るのは簡単なはずだった。
 「帰りはこの辺だったな」と、軽い気持ちで林の中に分け入った。

 ところが雑木の薮をいくらかき分けても、山みちが見えてこない。
「間違えたかな」と思っても、そのときはまだ余裕があった。
 改めて出口を探すために、元の場所に戻った。

 さて、それからだった。山みちへ戻る出口が分からなくなって、原っぱを随分長い時間うろうろ歩き回ったのは・・・。
 ここかなと目星をつけて藪に入ろうとするが、なぜか「いやここじゃないのでは」という不安な気持ちがわいて、足がすくんでしまう。

 あっちかな、いやこっちだったかな、ありえない方向までそれらしく思えたりした。最初の一歩が踏み出せないのである。
 確信を待てないまま、ただうろうろするばかりだった。

 なぜか「これはおかしいな」と心のすみっこで思っていた。
 山の中を飛び回るのは得意だった。元来、方向音痴の癖はあるが、山で迷ったことはなかった。「冷静になれ」と、何度も言い聞かせた。
 太陽はすでに山の端に届きそうな位置にあった。

 「おかしい」と思い「落ち着け」といいきかせながら、パニクっている自分を、どこかで傍観するような、冷静な部分も残していた。
 山は友達なんだという、自信だったのかもしれない。
 そして「もしかしてキツネに化かされるというのは、こういうことなんか」と、ふっと思い浮かぶと、逆に手の内が見えたように、落ち着いてきた。エイッと声を上げて、そこにしゃがみこんだ。
 深い意味があっての気合ではない。
 とりあえず、何かを断ち切る必要があった。

 数分して改めて、最初選んだ場所から五メートルほど離れた藪に目をつけた。不安感はなかった。
 何の抵抗もなく、やぶをかき分けることができた。すぐそこに見覚えのある山みちが現れた。わずか十数メートルの距離である。

 そこからは一目散に家に飛び帰った。
 人里に近づくころにはすっかり日が暮れていた。

キツネ火が話題になったころ・・・

―日記からこぼれた里山暮らし余話―
里山らいふ