春の上雪が降った朝、ふくらスズメが柳に群れていた。
 数羽も集まれば、チュンチュン、チュンチュン賑やかなはずが、黙ったままじっと止まっている。けして寒いわけではない。つややかな羽毛を膨らませ防寒はばっちりのはず。それどころか、とりあえず満ち足りた様子だ。
 実は、この柳の横にある民家のあるじが「雪の中でエサを探すのも大変だろう」と、軒先にごはん粒をタップリまいてくれたので、賑やかにおしゃべりしながら腹を満たしたばかり。食後の一休みといったところなのである。
 こんな光景は実にうれしい。もっとたくさんの群れなら、なおうれしい。
 スズメと言えば、かつては稲穂が実る秋になれば、田んぼには何百何千と群れ飛ぶ姿が見られた。いつだってあたりを見渡せば、電線や屋根にとまっているスズメが10羽や20羽すぐに視界にとび込んできたものである。
 農家からは害鳥として嫌われているけれど、おそらく人とは有史以来のつき合い。けして親しいわけではないけれど、馴染みの隣人ではあった。
 ところが、巣をかける隙間もない近代家屋が増え、住宅難に陥るとともに、ずいぶん数が減っている。見渡しても一羽の姿も見えないときだってある。
 スズメが群れ飛ぶ光景を見たいというのは、稲作の苦労を知らないものの無責任な感懐かもしれないけれど、昔から人々の隣りで暮らしてきたスズメの姿は、里山の欠かせない点景だ。
 スズメにはもっともっと元気になってほしい。

―日記からこぼれた里山暮らし余話―
里山らいふ