今日の一言 2005年5月分 戻る
2005年5月30日
人類学者の河合雅雄さんが隔月刊雑誌『風の旅人』最新号の『日本人の動物観』と題した小論で「里山は里と奥山を媒介する地であって、いわば人と動物の入会地」と書いている。意識の高まりによって、荒れた暗い里山に少しずつ手が入り始めたとはいえ、昔日の姿を取り戻すにはまだまだ道のりは遠い。いにしえの哲人の言葉を借りれば、里山にもっと光を!―だろうか
2005年5月29日
フォトグラファー杉本恭子さんの写真エッセーにある「緑のさえずり」という表現に、ハタと膝を打った。新緑のころの木々は輝くばかりに美しく喜びにあふれ、全身でさえずっているように見える。気持ちにストンと収まったのである。自然を見つめる真摯な心がつむいだ感覚語とでもいえようか。
2005年5月28日
四囲が家、駐車場、荒地、畑から家、家、駐車場、畑に変わったら我が家にかけられるクモの巣が激減した。これまでは、朝ホウキで容赦なくたたき出しても、隣の荒地から新手が押し寄せ、翌朝には元の木阿弥のクモの巣だらけ。それが今年は張り合いがないくらいケンカの相手が減ってしまった。環境の変化が生き物に与える影響の一例。
2005年5月19日
「薀蓄(うんちく)はいらない。素直に感動し楽しむ心があればよい」と、俳優の柳生博さん(山梨で八ケ岳倶楽部主宰)がテレビで語っていた。日本野鳥の会会長も勤め人一倍薀蓄を持つ柳生さんだからこそ言える自然観。自然を愛することは知識より心、いつも原点を忘れずに―とさとしている。
2005年5月16日
「今春看又過ぐ」(杜甫『絶句』)。異郷の地にある杜甫は「今年の春もみるみるうちに去ってゆく」と寂しがる。小屋の森で次々咲いては散ってゆく花々を追いつつ思えば何かが心に響いてくる。何がどう響くかは人それぞれ。ただ森は木の葉を鳴らしやさしくつつむだけ。それでいい。
2005年5月7日
夕暮れ自宅デッキに出たらコオモリがしきりに飛んでいる。かつてヨタカのキョキョキョキョという鳴き声も、夕闇迫る里地にはごくありふれた音だった。それが今は全く聞かれない。県絶滅危惧種に追い込んだのは、生息環境を奪う結果となった里山の荒廃という。
2005年5月6日
隣人のYさんにもらったオミナエシの苗を植えるため、雨もよいの小屋の森を訪れた。森の奥でポンポンポンポンと、お馴染みのツツドリがのどかに鳴いている。小屋をつつむ若葉の緑は昨日より更に濃い。山桜がハラリと散った。しばしデッキにたたずんで、心地よい森のリズムに身をゆだねた。
2005年5月5日
日中の気温は今年最高の25.7度の夏日、暦の上でも立夏を迎えた。日に日に濃さを増す新緑の野山を眺めれば、夏の気配は十分感じとれる。とはいえ移動性高気圧と低気圧が3、4日周期で交互に通過するこの季節、信州には「九十九夜の泣き霜」(13日頃)もあるからご用心ご用心。
2005年5月2日
スギ花粉がほぼ終息し、ヒノキの花粉がピークを迎えている。例年に比べ飛散量が非常に多く、長期に渡るのが今年の特徴という。スギ花粉はなんでもなかったのにここに来てとうとうクシャミ、鼻水、鼻づまりの典型症状が現れ、閉口している。花粉にも相性があるようだ。終息予想は五月中旬。がまんするしかないか。
2005年5月1日
つい先日まで里山を白く彩ったコブシが散り山桜が咲き始めた。新緑の山に淡いピンクが煙るように見える。「山桜とかけて何ととく。出っ歯 いや失礼!ととく。その心は花(鼻)より葉(歯)が先に出る」。全国に知られる愛鳥行事となった岡谷塩嶺小鳥バスの創始者・故小平万栄さんの漫談調の名解説によく出てきた。因みに里桜は花が咲いたあとで葉が出る。小平さんを継いだ林正敏さん(日本野鳥の会諏訪支部長)の、これまた名解説で今年も小鳥バスがスタートしている。