2005年4月30日
ポンポンポンと小屋の森の奥からツツドリの独特の鳴き声が聞こえてきた。カッコウ、ホトトギス、ジュウイチと共にホトトギス科の夏鳥で、子育てを他の野鳥にまかせる托卵鳥仲間でもある。例年に比べ一週間以上早い飛来。森に住むのでカッコウやホトトギスに比べ知名度は低いが、この鳥がやって来ると初夏を感じる。(日記参照)。
2005年4月28日
小屋から帰る山みちで、土手にコゴミの根を植えている山菜愛好家に出会った。いつも採っている場所から一部おろぬいて、別の適地に増やしているのだという。まず絶やさないのが山菜採りの鉄則だが、植生に無理がなければ増殖に手を貸すのもマナーのひとつ!?。
2005年4月27日
夜のカエルの合唱が始まっている。自宅の四囲が田んぼ、田んぼ、畑、住宅だった以前はうるさいほど賑やかだったけれど、ここ数年で駐車場、住宅、住宅、畑に変わってからは、耳を澄まさないと聞こえない。なんだかふるさとが遠のいたような気分である。
2005年4月23日
芽吹きの始まった里山のところどころポッ ポッ ポッと白く滲んで浮き出るようにコブシの花が真っ盛り。枯れ山が色めく"山笑う"季節である。限りなく美しく目にやさしい今の里山風景だけれど、これをしみじみ眺めるだけのゆとりを持ったサラリーマンはどれほどいるだろう。
2005年4月22日
『追憶のインド紀行』瀬戸正写真展は大自然に生きる男性の哲学的風貌と邪気のない子どもらの姿が印象深かった。帰りに辰野町横川峡で悠々と森を渡る野猿の群れに遭遇。脈略はないが、今の便利文化が漂着する先は結局は自然のふところなのかなとフッと思った。
2005年4月16日
『熊に会ったらどうするか』(玉手英夫著)。立ち止まって話しかける、そして静かに後ろへさがる―が正解。まるで『シートンの動物記』の世界のようだが、カナダの老レンジャーも推奨しているとか。さて実際に熊と対面したときそれができるかどうかが問題?。
2005年4月13日
地域の人の弔問の帰り、隣人のYさんを誘い、礼服のままウグイスを尋ねて森のふもとを歩いた。ホーホケキョ。10bほど先のヤブから澄んだ正調節が聞こえてきた。「ウグイスの鳴き声をこんなにじっくり聞いたのは久しぶり」と感激のYさんだった。
2005年4月8日
夜明けの森は空気がぬるんだように生暖かい。小屋の寒暖計は14度と初夏に近い。ねばり腰を見せていた残雪も、ここ数日のぽか陽気にあがらえず姿を消した。ドッドッドッと小屋の脇でヤマドリの大地を打つ羽音が、爛漫の春に向かう森の足音に聞こえる。
2005年4月6日
今朝、ウグイスの初音を聞いた。ホー ケキョとまだ正調節とはゆかないが、枯れ野をわたる、すがすがしい早春賦である。同じ春を告げるにしてもほかの鳥には替えがたい。これもあって、毎年この時期の健康ウォーキングは朝型になっている。(日記参照)
2005年4月3日
小さなこの惜桜小屋の森でただひとり、その影さえ見せてくれなかったノウサギの消息が、いくらかつかめてきた気がする。森のすみの笹原で、出産前の宴の跡とみられる大量のフンを見つけた。初めて発信された積極的な存在メッセージ(里山らいふ参照)。
2005年4月2日
軒下のすみに、厳しい冬を乗り越えた一匹の大きなアシナガバチがいた。ほうきで触ってもじっと動かない。毎年、家のまわり二、三ヵ所に巣がかけられ危ない目にあっている。さて事前に危険は排除すべきか、元気になるまで喧嘩は待つか。ハムレットの心境だ。
2005年4月1日
人と熊の共生など、最近このHPでも"共生"の言葉を何回か使っているが、気恥ずかしくなってきた。隔月刊の雑誌『風の旅人』で植物学者の岩槻邦男さんは「共生」が標語のごとくもてあそばれる現状を「言葉の軽い時代である」と断じている。(日記参照)。