2005年3月30日
穏やかな日和に誘われて丘陵地を歩き、今年初めて蝶を見た。タテハチョウというのは分かるけれど、種類の特定までは知識がない。先日の初雲雀に続く蝶初見。次の生物暦(こよみ)は、四月上旬のウグイスの初音が待たれる。かくて信州の四季は移ろう。

2005年3月28日
軒先や窓辺にクモの巣が目につき始めた。まだ糸も細く獲物も小さな羽虫くらい。これが一ヶ月もすると一晩で驚くほど頑丈なネットを張る。これから秋まで、毎朝10匹程度のクモとの格闘が続く。これも自然の営みと思えばそれほど苦とは思わないが、手を抜くとクモの巣だらけ。油断大敵である。

2005年3月27日
山際の野みちを通る夕暮れのウォーキングは、森の闇の向こうにけものの気配を感じるところが楽しみ。繁殖期に入るこの時期は、林の中や丘陵の畑にシカの陰が動いたり、ピューと警戒の鳴き声が聞かれるなど、結構ざわめきを感じるのだが、いまだ今年はそれがない。寂しく、そして心配である。

2005年3月24日
久々の好天に誘われ、伊那谷に借りている菜園を訪れた。南アルプス仙丈ヶ岳を望む田園地帯。案の定、青空のあちこちから、賑やかな初ヒバリ(雲雀)のさえずり。目の前に見る揚雲雀、舞雲雀、落雲雀は新鮮な感動を与えてくれた。春到来を満喫し、春耕は近々のこととした。

2005年3月23日
近くの家のマンサクが満開となった。早春の野の花はなぜか黄色が多い。このマンサク、フクジュソウ、四月に入ればダンコウバイ、次いでジシャ(アブラチャン)。そういえば「つゆの花はみな白し」といったのは牧水?か。季節が色を選ぶのか、花が季節を選ぶのか。自然の営みにも深淵なる意志があるような―。

2005年3月22日
「里山」は、奥山に対し里に近い山を呼ぶ言葉として1960年に四手井綱英京大教授が初めて使った、戦後生まれの言葉。「雑木林」はずっと古く、明治33年に出た徳富蘆花の『自然と人生』の中で「余はこの雑木林を愛す」と書いたのが最初、という。

2005年3月21日
八ヶ岳山麓の原、富士見、茅野を車で走って感じた。諏訪六市町村の合併が流れたのは、もしかしたら必然だったのかなと。よく言えば成熟した岡谷、下諏訪、諏訪の湖周3市町に比べ、岳麓3市町村の個性の輝きは際立っている。だからこそ なのか やっぱりなのか、静かな歳月の流れに聞くしかない。

2005年3月20日
春分の日、彼岸の中日である。暑さ寒さも彼岸までというけれど、秋彼岸に比べ春彼岸の頃の平均気温は13度ほど低いという。それでも春彼岸には暖かさを感じ、秋彼岸に涼しさを感じるのは、からだが冬の寒さと夏の暑さに慣れているから。さあ、ここまでくれば寒さも峠を越えた。

2005年3月19日
6時15分、雲ひとつない八ヶ岳のほぼ中央に顔を出した、黄金に輝く太陽の圧倒的な光の拡散によって、東の山並みが一瞬見えなくなった。神代の時代からつづく、大自然の荘厳な営みを真正面から見つめていると、なにやら心改まるような感動に打たれる。

2005年3月18日
数日山へ行かないと、頭が重く思考力が鈍り細胞が弛緩した気分になる。明らかにフィトンチッド禁断症状、いや渇望症状。病名は?、恐らくフィトンチッド中毒。単なる運動不足という可能性もあるが。フィトンチッドは樹木が発散する殺菌作用のある芳香物質。森林浴の効用の源とされる。春よ来い。

2005年3月17日
暑さ寒さも彼岸まで―とはゆかず、彼岸入りは終日冷たい春の雨。日中の気温は5度まで届かず、雪にはならなかったものの2月下旬並みの肌寒さ。ぽか陽気のきのう飛び出してしまったあの虫どもは、どこでどうしているのやら。おてんとう様も罪づくりなこと。

2005年3月16日
近くの川にカイツブリが泳いでいた。近づくとパシャと水音をたててもぐってしまった。そのまま五分経っても視野の中に浮かんでこない。潜水の名人だから溺れるはずもない。あとで愛鳥家に聞いたら水草の陰でクチバシを鼻の穴まで出して隠れる水遁(すいとん)の術という。お見事!!

2005年3月15日
今ではすっかり市民権を得た、里山はじめ雑木林、森林浴、野鳥、探鳥会、雑草などの言葉を、最初に使った人のセンスは、素晴らしいと思う。これらの言葉は、それぞれの内容を、過不足なくイメージさせてくれる。さすがは言霊(ことだま)の賑わうお国がら―。

2005年3月14日
熟年世代のスローライフと言っても、これといった特別なスタイルがあるわけではない。海外でのんびりとか、Iターンの田舎暮しとかの、大きな仕掛けとも縁のない、ごくごく普通の里山暮し。その心は、ゆとり、楽しむ、こだわらない―平々凡々。そして余暇の"ほぼ"中心に惜桜小屋がある、ことくらい。

2005年3月13日

林の奥深く、知る人ぞ知る自家焙煎珈琲の店。ゴジュウカラが目の前の白樺に舞った。窓越しに八ヶ岳の裾に広がる雑木林が、早春の詩情を奏でる。珈琲と手作りケーキで2時間余いても、客はねばる我々3人のほか、別荘滞在とおぼしき1人だけ。主人は気にもせず、森の時の流れを楽しんでいるふう。

2005年3月12日
諏訪湖西山の森一帯で、銃によるイノシシ、シカの害獣駆除が、土日の日程で行われている。ワナによる捕獲を入れれば駆除はほぼ通年に及ぶ。惜桜小屋のある沢筋だけで昨年のシカの捕獲数は10頭を超す。「可哀想だが」は、傍観者の感懐に違いないだろうが、駆除をしたのちの具体的な効果についても聞いてみたいと思う。

2005年3月11日
甘えたような聞きなれない鳥の鳴き声が聞こえて来た。繁殖期を前にしたスズメの声変わりかなと、そっと窓越しに覗いてみると、このあたりに住み着いているモズだった。他の鳥の鳴声をマネる擬声の名人。ネーミングの妙で、漢字は鵙のほか"百舌"の字をあてる。

2005年3月10日
日中の最高気温は16度と四月中下旬並み。花見陽気に誘われて、デッキに置いたテーブルに、ハエトリグモがチョコチョコと姿を見せた。「ホンマの春かいな」と、まだ戸惑っている感じで、動きにキレがない。まだ冬を引きずった次の低気圧が接近している。

2005年3月9日
南からウグイスとヒバリの初鳴きの便りが届いた。暖かい南風に背を押され、日本列島は春本番に向かって、足取りを早めている。諏訪湖西山の森の生物ごよみは、ウグイスの初音が四月初旬。もう少し間があるけれど、そう遠い話ではない。

2005年3月8日
食害に悩まされて駆除した鹿の肉を、珍味として観光用の郷土料理に仕立てる試みが始まっている。増えすぎた鹿の頭数制限に異議はないけれど、この先駆除の名目で「まず食材供給ありき」の捕獲にならないよう、生息管理には十分神経を使ってほしいと思う。

2005年3月7日
放射冷却で朝方は冷え込んだけれど、日中は南からの高気圧に覆われて暖かく、最高気温は平年を3度ほど上回る10.5度。風もなく久しぶりに穏やかな日和となって、近くの河川で釣り糸を垂れる太公望も、釣果(ちょうか)より春の息吹を楽しんでいるふう。

2005年3月6日
五穀豊穣を祈念する地域の産土神の春祭りを、回り番の十数名で奉仕した。礼服、小忌衣に威儀を正し、献饌、玉ぐし奉奠など粛々と済ませた。神事は形式美の側面もある伝統文化。その継承は、所作や小道具など少々面倒な面もあるけれど、里山の心の風景としていつまでも残したい。

2005年3月5日
「年金生活です」というと「がっぽりもらっていいね」というのが大方の反応。当初、年金額を聞いたとき正直「エッ」と思った。見事に皮算用がくるって青ざめた(?)。入るを計って出るを制す―これが目下の我が家の家訓。ケセラセラは座右の銘となっている。


2005年3月4日
朝の大雪には正直うんざりしたけれど、この時期の上雪(かみゆき)は、冬がようやく終わりに近づいたしるしというからがまんがまん。これからは三寒四温が季節の足取り。冬を引きずりながら、そこはかとない春の息吹を感じるのが、早春の味わい深いところ。


2005年3月3日
夜明け間もない諏訪湖西山の森の麓で、大きな柿木の天辺にとまった頬白が高らかにさえずっていた。「高槻の木末にありて頬白のさへつる春となりにけるかも」と詠んだのは、アララギの巨匠 島木赤彦。ここにも春の気配が―。<惜桜小屋日記参照>


2005年3月2日
ピーヒョロロ ピーヒョロロと小屋の森の空に輪を描きながら鳴くトビを聞き、デーデーボッボッとキジバトの朴訥とした鳴き声を耳にすると、諏訪湖西山の森にいまだ色濃く残る冬の気配が少しずつときほぐされてゆくようで、心を浮き立たつものを覚える。


2005年3月1日
ピンクのつぼみを膨らませたクロッカスを、隣家の庭先で見た。風は冷たいけれど弥生三月の語感は、いよいよの春を感じさせる。立春から立夏まで、春分から夏至までと、春はいろいろに定義されても、やっぱり「3月から5月」が、生活感覚に合っている。

今日のひとこと 2005年3月

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