1 平成21年6月7日~17日
1 2009年6月7日(日)はれ 15℃ 624キロ 自宅~中央~名神~山陽~神戸淡路鳴門道~鳴門公園~うだつの街並み~眉山公園~阿波おどり会館~徳島市 九州、北海道の次は、四国から中国地方を車で一周する旅に出かけることにした。計画が有るような無いような、基本は海岸線を時計周りで宿は未定。 6月7日(日)午前5時5分に出発。2008年度第二次補正の土日祝日上限千円制度を利用するために。すでに外は明るく曇っているようだが、雨の心配はなさそうだ。 諏訪ICから中央道、恵那山出口では霧だったが名神に入り快晴で22度まで上昇、休日だが空いていて快適なドライブ日和。
鳴門公園に向かうが大渋滞、駐車場が少ないのでしょうがないがそれにしてもノロノロ。
県外客もつめかける人気店「支那そば巽屋」昼時を過ぎていたが満席で子供ずれが多かった。
ロープウェイで上り、着いた頂上は標高277m。展望台から徳島市街を眼下に、雄大な眺めが広がり、満月が偶然上ってきた。
1 2009年6月8日(月)はれ 21℃ 335キロ 徳島市~薬王寺~室戸岬~最御崎寺~龍河洞~桂浜~はりまやばし~高知市 ホテル8時発、四国一周は時計回りで原則海岸線を辿るコースにした。徳島から国道55号線を南下しとりあえず室戸岬を目指す。
近くの道の駅「日和佐」で、お遍路さんが休んでいる。途中歩いている人を幾人も見かけたがこの暑さで回るのは難儀なことだ。
![]() 24番札所最御崎寺は、若き日の弘法大師が難行苦行の果てに三教指帰の悟りを開いたといわれる修行の地。
昭和3年に龍馬の功績を後世まで伝えようと高知県の青年有志が募金活動を行い銅像が建立された。総工費2万5千円、像身5.3m、台座を含めた総長は13.5mで日本一の高さがある。 毎年龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日を挟み,約2カ月間,龍馬像の横に展望台を設置し,龍馬と同じ目線で太平洋を眺めることができるそうです。右手を何のために懐に入れているのか諸説あるようで興味深い。
夕食は、「土佐料理とさ市場」のかつお定食とくじらすき焼き定食。 今夜の宿は、「高知ユースホステル・酒の国共和国」です。ペアレントが酒造メーカーに勤めていたこともあり、蔵をイメージした木の香りただよう木造の建物です。日本酒についていろいろなことが学べますとあったが、バタンキューでした。 1 2009年6月9日(火)くもり 23℃ 146キロ 高知市~四万十川~足摺岬~宇和島市 まず四万十川を目指し、8時10分出発。地図上は海岸線を走るような気がしたが大半が山道でかなりの時間を要した。四万十市から沈下橋まで川沿いの狭い道を走り、対向車がきたらギブアップでした。
四万十市から足摺岬まで狭い道が延々と続き、特に国道321号線から足摺岬までは、カーブとカーブで道が構成されていた。 足摺岬駐車場では、偶然隣の乗用車が諏訪ナンバーでびっくり、四国で松本ナンバーを見かけることも無かったのに。
国道321号線はサニーロード(321だから)と呼ばれている。
夕食は紹介していただいた郷土料理「ほづみ亭」で。
「さつま」白身の魚を焼き、実をほぐしたものと麦味噌をすり合わせた汁を麦飯にぶっかけて食べる南予の素朴な料理。 1 2009年6月10日(水)雨 20℃ 195キロ 宇和島市~水荷浦の段畑~内子~道後温泉~松山市 雨音で目が覚めた。やはり予報のとおりか、梅雨時期だからしょうがないが。
「耕して天に至る、貧たるや推して知るべし。」海岸端から急斜面の山肌を切り開いて何段にも石を積み重ねて階段状の山畑を築きあげてあり、見るものを圧倒する景観だ。急峻な山を有効に利用し、段々畑が開墾したといわれ、畑の肥料として豊富に漁獲されたイワシが使われていた。
NPO法人の老人は、土の下は岩盤だから石垣にする石はたくさんあった。海石はもろいのでほとんど使われていない。盛んに石垣が作られたのは、戦後のことらしい。大雨で小規模に崩れることはあるが、大きく崩れたことはなかったそうです。 去年の11月にジャガイモを植え4月に収穫が終わったので今は畑を休ませている最中だ。
海辺に建つ派手な色の一群と養殖いかだが浮かぶ海岸沿いの道、宇和海の恵まれた自然環境を生かした真珠養殖地。家の中では、真珠の核入れ作業が行われていた。
道後温泉に立ち寄る。
神の湯は、広々とした浴室で、壁には砥部焼の陶板画が飾られている。男湯は東・西二つの浴室がありどちらにも入れ脱衣場は一つ。女湯の浴室は一つで脱衣場が二つ。従業員曰く、だから浴場から上がって夫婦で話をしても意見が合わないと。
松山市内のホテル泊。いつも午後電話で予約するが断られたことは無い、平日でしかもシーズンオフなのかも。 1 2009年6月11日(木)晴れ 24℃ 125キロ 松山市~タオル美術館~こんぴら~高松市
車窓から、菊間瓦の看板、太陽石油の製油所、ラーメン豚太郎(四国のチェーン店か)、あいロード(愛媛県のあいか)さといも・やまいもの里四国中央市が目に付いた。
石段を上ると両側に土産物が並び365段上ったところに大門があり、大きな白い日傘の下で加美代飴を売る人を「五人百姓」と呼び、境内で唯一営業が許可されている。
遠方でお参りに行けない主人に代わって飼い犬にお参りをさせる「代参犬」という習慣があったそうです。この犬をキャラクター化した「こんぴら狗ゴン」の銅像が表書院の石段脇にあった。とぼけた表情が人気らしい。 こんぴらから高松までは、快調な走りが続き一時間程で到着した。
1 2009年6月12日(金)晴れ 23℃ 172キロ 高松市~栗林公園~瀬戸中央自動車道~後楽園~岡山城~倉敷美観地区~倉敷市
高松代々の藩主が修築を重ねながら、100年以上かけて造られてきた。明治8年3月に開園し、江戸時代初期の回遊式大名庭園として、国の特別名勝に指定されている。 飛来峰からの眺めが特にお勧め。出口にある「足元のホコリ取りにハタキをご利用下さい。」と記してあったハタキがいかにも親切。 ![]() 高松市内の幹線道路には自転車専用道がかなりの区間にわたり設けられていた。 「瀬戸大橋記念公園」瀬戸大橋の完成を記念して開かれ博覧会の跡地に造られた公園。岡山県児島と香川県坂出を5つの島と6つの橋で結ぶ全長9367mの瀬戸大橋。上を瀬戸中央自動車道、下をJR瀬戸大橋線が走っている。 ![]() 坂出北ICから瀬戸中央に乗り四国から本州に渡る。与島PAで休憩、この時点での走行距離1619キロ。瀬戸中央と山陽道の合流付近の岡山方面の表示が意味不明でしばらく安全地帯で停車。岡山ICで降り岡山後楽園、岡山城に向かう。 有名な観光地は何処でも駐車場は有料なのにここは無料。係のおじさんは「よっぽど岡山は裕福なんだろう」と皮肉たっぷり。
水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに日本三名園に数えられる岡山後楽園。300年余の歴史を誇り、当時の岡山藩主・池田綱政が14年かけて築いた回遊式大庭園。 旭川を挟み後楽園を見下ろすようにしてそびえたつのが岡山城。1597年宇喜多秀家が築城、その黒い姿から別名「烏城」とも呼ばれている。 あまりにも天気が良すぎて日焼けでヒリヒリです。こんなに暑くならなくてもいいのに。
白壁と黒本瓦の鮮やかなコントラストが目を引く。そしてメインストリート倉敷川沿いを彩る柳並木。 江戸時代の天領の名残をあちこちにとどめ、落ち着いた雰囲気が往時を思わせる。 倉敷市内ホテル泊。立体駐車場の高さ制限が1.55m以下で駐車できず市営駐車場へ。 1 2009年6月13日(土)くもり 22℃ 172キロ 倉敷市~大和ミュージアム~平和記念公園~広島市
福山から尾道までの国道2号線は、自動車専用道路で信号がなく制限スピードが70キロ、高速とほとんど変わらない速度で皆飛ばしていく。 三原から竹原まで、通常なら国道185号だが県道75号を案内され、距離は短いのですが一部道路が狭く、ナビさんびっくりでした。
![]() メイン展示の10分の1スケールの戦艦大和。実際の諸元は全長263mだからこの大きな模型の全長は26m。 大和ミュージアムの海岸側から眺めた戦艦大和建造ドック跡。当時は民間造船所ではなく海軍工廠であった。 1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下された。瞬時にして多くの命が奪われ、原子爆弾投下から1年で14万人が亡くなった。
世界に向けて人類の平和を願い訴える目的と過去の過ちを繰り返さないために広島平和記念公園が昭和29年4月に完成した。
原爆はこの建物の南東160mの上空600mでさく裂し、このような廃墟の残骸となり、中にいた人たちは即死しました。 戦後、市民などから原爆の惨禍を後の世まで伝えるため、被爆当時のままの姿を残しておこうと昭和41年に広島市永久保存を決定し、募金などで、保存工事が行われました。 平成8年には人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を伝え、核、兵器の廃絶恒久平和を訴え続けるシンボルとしてユネスコの世界遺産に登録されました。
東館では、被爆までの広島の歴史や、原子爆弾の開発から投下までの経緯、現在の核兵器の状況など、本館では、被爆者の遺品や高熱で融けた瓦等の被爆資料が紹介されている。平成18年に本館がわが国の戦後建築物として初めて、国の重要文化財に指定された。
1 2009年6月14日(日)晴れ 24℃ 190キロ 広島市~宮島~錦帯橋~下関市
宮島には、車を宮島口に駐車しフェリーで渡る。15分おきに出航し10分で対岸の宮島桟橋に到着。
海の真ん中に浮かぶ朱塗りの大鳥居は16.8メートルあり、宮島のシンボル。現在の大鳥居は明治8年建立。本柱は1本のクスノキを使用していて、木造の鳥居としては高さ・大きさともに日本一である。
厳島神社に隣接している「大願寺」。ここの不動明王は、インド産の仏が宿るといわれる香木・白檀約20tを組み合わせ高さ4m重さ6tの不動明王が鎮座されている。 「大仏は人々の祈る気持ちを受けとめる大きな器」だと言われる仏師・松本明慶氏の大作である。 厳島神社から宮島フェリー乗り場までの表参道商店街には、土産物屋が立ち並び名物の「もみじ饅頭」を製造販売している店や世界一の大杓子も陳列されていた。観光客が満員のフェリーから続々と降りてきて、さすが世界遺産の島、宮島だ。
今から約330年前の1673年(延宝元)第三代岩国藩主吉川広嘉によって創建されました。
岩国藩の悲願である流れない橋として誕生したこの橋は、創建翌年1674(延宝2)年5月の梅雨の洪水によりあえなく流出し、同年10月末に二代目錦帯橋が完成しています。
以来、半世紀にわたって木造橋の宿命である腐朽による傷みが見られるようになったため、平成13年度から平成15年度にかけて50年ぶりの「平成の架替」に取り組み、総事業費約26億をかけた大事業は、平成16年3月に完成した。 暑い、今日も暑い、初夏を思わせるような陽気で、防府市付近には入道雲が湧いていた。山口市に入ったら国道2号線は車両専用道路の標識があり高速道とかわりがなかった。 中国地方のスーパーマーケットは広島に本社を置く「you me town」が主らしい。粋なネーミングの「こっそり堂」はうけた。 なつかしい関門海峡を横目に素通りし、下関の駅前ホテルに4時25分着。 1 2009年6月15日(月)晴れ 23℃ 329キロ 下関市~秋芳洞~秋吉台~萩~津和野~出雲市
朝食時、隣席の米国人は日本語がほとんど解からない様子だったが観光案内書で各地を旅していた初老の夫妻、食事に時間をかけ箸の使い方は手本のようでした。 下関の幹線道路沿いを大勢の会社員がいっせいに大掃除をしている。毎日なのか曜日か日にちかは不明だがさわやかマンデー。 下関ICから中国自動車道に乗り、美祢ICで降り秋芳洞に向かう。秋吉台の地下100m、その南麓に開口する東洋屈指の大鍾乳洞「秋芳洞」は、大正15年昭和天皇が皇太子の御時、探勝になりこの名前を賜ったものです。 公的な読み方は「あきよしどう」だが、旧来「しゅうほうどう」と読まれることが多く、昭和38年山口国体が開催された際、宮内庁に確認し、以後定着した。
洞内からの水は三段の滝となり、飛沫を舞い上げながらコバルトブルーの川面へと流れ落ちています。 洞内の観光コースは約1km(総延長10km)、温度は四季を通じて17℃で一定し快適に探勝できる。 皿を段々に敷き詰めたような百枚皿、黄金柱といわれる石灰華柱などが有名。
秋吉台ははるか昔、遠い海でサンゴ礁として誕生した。それから約3億5千万年、ドリーネや鍾乳洞が発達した石灰岩の台地、カルスト台地となった。 雄大な景観は、石灰石の岩肌が露出するラピエ、月のクレーターのような凹地のドリーネやウバーレなどがあり、異国的な雰囲気がある。 6月2日に秋吉台で一酸化炭素中毒事故が起きたホテルは、今でも現場はブルーシートに覆われ、警察官やマスコミの報道陣が張り付いていた。
民家の屋根瓦がどこの家も茶色なのは何故か、また、ガードレールが支柱もすべて黄色なのは、山口県だけでした。
古い町並みはいまも往時の面影を色濃く残し、現在でも江戸時代につくられた城下町絵図を見ながら歩くことができる。また、萩は明治維新胎動の地として、吉田松陰をはじめ高杉晋作、伊藤博文など多くの逸材を輩出した地でもある。
通りのわきを流れる堀割では、数千匹のコイが悠々と泳ぎ、菖蒲の花が見頃をむかえていた。コイの飼育は非常時の食料用にと藩政時代から始まりましたが、今や食べられる心配のないコイたちは丸々と太り、鑑賞用としてすっかり定着しているそうです。 茶房・沙羅の木で地元特産の竹と和紙でできた源氏絵巻を想わせるお盆を買い求める。 泊まりは、駅舎が社づくりのJR出雲市駅付近のホテル。 1 2009年6月16日(火)から17日(水)晴れ743キロ 出雲市~出雲大社~松江城~八雲記念館~武家屋敷~境港市~鳥取砂丘~自宅
出雲大社は大国主命をまつり、縁結びにご利益があるとして広く信仰を集めている。創建年は不明。
神楽殿には、日本一の大きさを誇る大注連縄があり、その長さはなんと13メートル、重量5トンもあるそうです。 他の神社とは違い左綯いとなっている。この注連縄には、清浄・神聖な場所を区画するためになされているそうです。これが神社などに掲げられる意義だそうです。 神社での参拝の作法は、二拝二柏手一拝が一般的であるが、出雲大社では、二拝四柏手一拝で拝礼を行います。
千鳥が羽根を広げたように見える千鳥破風の屋根が見事なことから、別名「千鳥城」とも呼ばれ荘重かつ優美な姿。 山陰地方で唯一現存する天守閣は黒塗りの下見板で覆われており、最上階の望楼から360度にわたって見降ろす街並みや宍道湖の眺めは圧巻です。
小泉八雲記念館には、八雲遺愛の文机や直筆原稿などが収蔵・展示されていた。城下町の面影をとどめる松江の武家屋敷は、中流武士の住んだ建物が、当時のまま保存されており、全国的にも貴重だそうです。
妖怪の里「水木しげるロード」は、境港出身の漫画家、水木しげる氏にちなんで名づけられた商店街通り。
鳥取砂丘は、南北2.4k、東西16k、最大高低さ90mの日本最大級。 ![]() 中国山地から流れ出た千代川が運ぶ砂と日本海の沿岸流が運んだ砂が風と波の力によって集まり、少しずつ、少しずつ、気の遠くなるような時間をかけて堆積してできたこの大砂丘は、まさに自然が創り出した偉大な造形です。 砂に足をとられながら斜面を登ると、目の前に砂の世界が広がり、陽光に光り輝く白い砂と、青い日本海のコントラストが素晴らしい。 砂丘といえば、平坦な砂の原を想像しがちだが、意外に起伏がある。
夕方の5時半、鳥取に泊まるか迷ったが、四国・中国地方をひとまわりしたので帰宅することにした。自宅まで557キロだった。 中国自動車道佐用ICまで一部自動車道が整備されていて無料開放中だった。 前回、新名神高速道を走り大変だったので分岐点だけ注意し、自宅に午前2時17分到着。
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