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四国・中国地方 旅日記

平成21年6月7日~17日
全行程 3127キロ

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月 日 走行距離 行     程
6月 7日 624 自宅~中央~名神~山陽~神戸淡路鳴門道~うだつの街並み~眉山公園~阿波おどり会館~徳島市
6月 8日 268 徳島市~薬王寺~室戸岬~最御前寺~龍河洞~桂浜~はりまや橋~高知市
6月 9日 335 高知市~四万十川~足摺岬~宇和島市
6月10日 146 宇和島市~水荷浦の段畑~内子~道後温泉~松山市
6月11日 195 松山市~タオル美術館~こんぴら~高松市
6月12日 125 高松市~栗林公園~瀬戸中央道~後楽園~岡山城~倉敷美観地区~倉敷市
6月13日 172 倉敷市~大和ミュージアム~平和記念館~広島市
6月14日 190 広島市~宮島~錦帯橋~下関市
6月15日 329 下関市~秋芳洞~秋吉台~萩~津和野~出雲市
6/16~17 743 出雲市~出雲大社~松江城~八雲記念館~武家屋敷~境港~鳥取砂丘~自宅


















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200967日(はれ 15℃ 624キロ

自宅~中央~名神~山陽~神戸淡路鳴門道~鳴門公園~うだつの街並み~眉山公園~阿波おどり会館~徳島市

 九州、北海道の次は、四国から中国地方を車で一周する旅に出かけることにした。計画が有るような無いような、基本は海岸線を時計周りで宿は未定。

 6月7日(日)午前5時5分に出発。2008年度第二次補正の土日祝日上限千円制度を利用するために。すでに外は明るく曇っているようだが、雨の心配はなさそうだ。

 諏訪ICから中央道、恵那山出口では霧だったが名神に入り快晴で22度まで上昇、休日だが空いていて快適なドライブ日和。

明石海峡大橋 吹田インター付近が相変わらず分かりづらいが三木JCTから神戸淡路鳴門道へ。淡路SAで休憩し明石海峡大橋を眺める。日曜日のせいか混雑していて駐車場はほぼいっぱいの状態、11時5分に出発。淡路島を通過するのに45分、鳴門北ICから一般道へ、有料代は3100円でした。

 鳴門公園に向かうが大渋滞、駐車場が少ないのでしょうがないがそれにしてもノロノロ。

大鳴門橋 鳴門山展望台「エスカヒル鳴門」へは、東洋一の観光用エスカレーター全長68メートルで上がると360度パノラマ展望台に着く。大鳴門橋が見渡せ、青空と青い海に白い渦潮が橋の真下にくっきりと。

 遅い昼食は、名物の徳島ラーメンにした。豚骨醤油スープに甘辛い味付け豚バラ肉のトッピング。

 県外客もつめかける人気店「支那そば巽屋」昼時を過ぎていたが満席で子供ずれが多かった。

うだつの町並み 道の駅「藍ランドうだつ」へ藍を見に行くことになり、徳島市から50キロ以上あるので意に反して徳島自動車道に乗り 脇町で降りた。道の駅の藍はたいしたことがなかったが、偶然すぐ横が脇町うだつの町並みだった。

うだつ 400mにわたって塗籠め壁の重厚な家々が軒を連ねていた。阿波藍の集散地として栄えた脇町は、今でも白壁に本瓦葺きの昔ながらの家屋が建ち並ぶ。中でも隣家との境にある小屋根付の防火壁「うだつ」の町並みとしても知られている。設置にかなりの費用がかかるため、うだつが造れないことを「うだつがあがらない」と言い、出世できないことを表すようになったとか。

徳島市街 徳島市内のホテルにチェクインした時、眉山ロープウェイと阿波おどり会館の割引券を購入した。

 ロープウェイで上り、着いた頂上は標高277m。展望台から徳島市街を眼下に、雄大な眺めが広がり、満月が偶然上ってきた。

 阿波おどり会館で阿波踊りの実演があり、夜のおどりは有名連の出演で8時から50分間行われた。本日は阿波扇で正調の踊りに扇を取り入れたオリジナルの扇踊りが特徴です。

 おどりの指導があり、右手と右足を同時に出すのが基本。実際にお客を舞台に上げての練習後、希望者全員で輪になっての阿波おどり。鳴り物がおどりをいっそう盛り上げ楽しいひと時でした。



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20096月8日(月)はれ 21℃ 335キロ

徳島市~薬王寺~室戸岬~最御崎寺~龍河洞~桂浜~はりまやばし~高知市

 ホテル8時発、四国一周は時計回りで原則海岸線を辿るコースにした。徳島から国道55号線を南下しとりあえず室戸岬を目指す。

薬王寺 走行中、目に飛び込んできた薬王寺。四国八十八所23番札所、厄除けの寺として知られている。参道の石段は33段の女厄坂と42段の男厄坂、61段の男女厄坂あり、階段の両脇に置いてある1円玉や10円玉は、厄年の人が置きながらお参りする習慣になっているらしい。

 近くの道の駅「日和佐」で、お遍路さんが休んでいる。途中歩いている人を幾人も見かけたがこの暑さで回るのは難儀なことだ。

 海陽町附近で「海賊料理」の看板が多いがどんな食べ物だろうか。道路案内標識が情報豊富、道路名、現在地、○○まで何k、○○から何k、前後の札所まで何k等と旅人に親切だ。片側一車線の道が続いている、大阪ナンバーの乗用車がモースピードで何台か追い越していったが少し先でパトカーに捕まっていた。人事ではない、多分に運もあるが・・・。

室戸岬先端 えぇ、ここが台風の通過場所として有名な室戸岬か、岬は断崖絶壁にあり車が通れる場所にはない固定概念がいけなかった、あやうく通りすぎる所だった。先端の海岸は平地の部分がかなりあり人家もあるが台風の時などは大丈夫なのか。

室戸岬灯台 灯台は山の上部にあり、直径2.6mとレンズの大きさは日本最大級、56キロも先を照らすことができるそうです。


最御崎寺境内

 24番札所最御崎寺は、若き日の弘法大師が難行苦行の果てに三教指帰の悟りを開いたといわれる修行の地。

 
 道の駅「田野駅屋」で、またまた遅い昼飯、地元の赤飯、フルーツトマト。ごめん・なはり線の駅舎と兼ねているらしいが、何とも可笑しなネーミング。お土産の飴も「すてきな恋が実る飴、成績があがる・チューしたくなる・Hがしたくなる飴」内用飴だって。

龍河洞 龍河洞は、海中より隆起して出来た鍾乳洞です。山口県の秋芳洞、岩手県の龍泉洞と共に日本三大鍾乳洞の一つで、1934年に天然記念物および国の史跡に指定されている洞窟です。その鍾乳洞は、山頂付近の盆地に溜まった雨水が、永い年月を経て創られた全長4キロにも及ぶ、神秘の洞窟です。観光コースは1キロで通路は全般に狭く勾配がきつい。

坂本竜馬銅像 桂浜に向かう。一帯は公園として整備されていて駐車場から石段を登ると堂々たる坂本龍馬像の背面に威圧される。桂浜の龍頭岬にあって、はるか太平洋を見すえている。

 昭和3年に龍馬の功績を後世まで伝えようと高知県の青年有志が募金活動を行い銅像が建立された。総工費2万5千円、像身5.3m、台座を含めた総長は13.5mで日本一の高さがある。

 毎年龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日を挟み,約2カ月間,龍馬像の横に展望台を設置し,龍馬と同じ目線で太平洋を眺めることができるそうです。右手を何のために懐に入れているのか諸説あるようで興味深い。

桂浜 よさこい節で「月の名所は桂浜~」と歌われている高知を代表する景勝地。雄大な太平洋に面した龍頭岬と龍王岬の間に広がる弓状のゆるやかな白い砂浜。また、台風接近時にはテレビ中継される事が多い場所。

はりまや橋 高知市街の「はりまや橋」まで桂浜から30分以上かかった。はりまや橋は、歌の歌詞にも出て、全国的にも有名なようですが。日本三大がっかり名所とも言われています。名称の由来は、藩政時代、堀で隔てられていた豪商播磨屋と、富商柩屋(ひつや)が互いの往来のために架けた私橋が、後に「はりまや橋」と呼ばれるようになりました。

 夕食は、「土佐料理とさ市場」のかつお定食とくじらすき焼き定食。

 今夜の宿は、「高知ユースホステル・酒の国共和国」です。ペアレントが酒造メーカーに勤めていたこともあり、蔵をイメージした木の香りただよう木造の建物です。日本酒についていろいろなことが学べますとあったが、バタンキューでした。

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20096月9日(火)くもり 23℃ 146キロ

高知市~四万十川~足摺岬~宇和島市

 まず四万十川を目指し、8時10分出発。地図上は海岸線を走るような気がしたが大半が山道でかなりの時間を要した。四万十市から沈下橋まで川沿いの狭い道を走り、対向車がきたらギブアップでした。

佐田沈下橋 日本最後の清流と言われる四万十川は、延長196キロ日本で唯一ダムのない大河。

高瀬沈下橋 沈下橋は、土砂や流木に流されないよう欄干を作らず、水に対する抵抗が少なくなるように設計され、台風や大雨などで水かさが増すと川の中に沈んでしまう橋で、本・支流合わせて47本の沈下橋が架かっているそうです。

勝間沈下橋 佐田沈下橋(最下流で最長)、高瀬沈下橋(3番目に長い)、勝間沈下橋(橋脚が3本ある珍しい沈下橋で釣りバカ日誌14の撮影現場としても有名)を見たがどれも自然の景観に溶け込み、のどかな雰囲気の漂う橋でした。

 四万十市から足摺岬まで狭い道が延々と続き、特に国道321号線から足摺岬までは、カーブとカーブで道が構成されていた。

 足摺岬駐車場では、偶然隣の乗用車が諏訪ナンバーでびっくり、四国で松本ナンバーを見かけることも無かったのに。

足摺岬 足摺岬は、四国最南端に位置する岬。黒潮が打ち寄せる80mもの断崖絶壁は、自然の迫力を感じさせてくれる。椿の岬としても有名で15万本が自生している。


足摺岬灯台 灯台は足摺岬の断崖にたつ、高さ18m、光度200万カンデラ、光達距離38kmでわが国でも最大級の灯台のひとつです。大正3年の点灯で昭和35年に改修された白亜の灯台。

 国道321号線はサニーロード(321だから)と呼ばれている。

宇和島市街の夜景 今夜は宇和島市の「森の宿うわじまYH」泊、市街地を見下ろす高台「愛宕公園」に隣接していたが、行くまでの道中が狭く分かりづらかった。対向車がきたらと尋ねると「県外ナンバーは止まっていれば相手が何とかしてくれる」だって。

 夕食は紹介していただいた郷土料理「ほづみ亭」で。

「鯛めし」 「さつま」
 「鯛めし」鯛の身を三枚におろし、醤油、みりん、玉子、ごま、だし汁で調理したタレに漬け込み、そのタレごとそのまま熱いご飯にかけて食べます。生の鯛を使った、宇和島にしかない独特な食べ方です。

「さつま」白身の魚を焼き、実をほぐしたものと麦味噌をすり合わせた汁を麦飯にぶっかけて食べる南予の素朴な料理。

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20096月10日(水)雨 20℃ 195キロ

宇和島市~水荷浦の段畑~内子~道後温泉~松山市

 雨音で目が覚めた。やはり予報のとおりか、梅雨時期だからしょうがないが。

 どうしても訪ねてみたかった場所のひとつ、遊子水荷浦の段畑。

 「耕して天に至る、貧たるや推して知るべし。」海岸端から急斜面の山肌を切り開いて何段にも石を積み重ねて階段状の山畑を築きあげてあり、見るものを圧倒する景観だ。急峻な山を有効に利用し、段々畑が開墾したといわれ、畑の肥料として豊富に漁獲されたイワシが使われていた。

 段畑は、平均勾配40度、畑地幅は約1~2メーター、縁辺の石垣は概ね人頭大程度の石による空積みで、平均高は1メーター以上に及び、その段数は50段余りを数える。

 NPO法人の老人は、土の下は岩盤だから石垣にする石はたくさんあった。海石はもろいのでほとんど使われていない。盛んに石垣が作られたのは、戦後のことらしい。大雨で小規模に崩れることはあるが、大きく崩れたことはなかったそうです。

 去年の11月にジャガイモを植え4月に収穫が終わったので今は畑を休ませている最中だ。

 紺碧の海には幾何学模様の養殖いかだが浮かび、半農半漁の生活が今もなおその面影が伝えられている。

 海辺に建つ派手な色の一群と養殖いかだが浮かぶ海岸沿いの道、宇和海の恵まれた自然環境を生かした真珠養殖地。家の中では、真珠の核入れ作業が行われていた。

 「内子の町並み」江戸時代から明治にかけて木蝋と和紙の生産で栄えた町家が並ぶ。白あるいは黄色味を帯びた漆喰の大壁造りで、隣家との間に道路や水路空間がある。

 道後温泉に立ち寄る。

 道後温泉本館は、明治27年に建築された木造三層楼の浴場で、国の重要文化財。「温泉だけは立派なものだ」と小説「坊ちゃん」に書かれている。

 神の湯は、広々とした浴室で、壁には砥部焼の陶板画が飾られている。男湯は東・西二つの浴室がありどちらにも入れ脱衣場は一つ。女湯の浴室は一つで脱衣場が二つ。従業員曰く、だから浴場から上がって夫婦で話をしても意見が合わないと。

 脱衣場で老人たちの会話。「四国も昨日から梅雨に入ったというのに、明日から夜間断水だって」「毎年のことだが、困るよな」「行政も雨水利用に金を使わなきゃあ」

 松山市内のホテル泊。いつも午後電話で予約するが断られたことは無い、平日でしかもシーズンオフなのかも。

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20096月11日(木)晴れ 24℃ 125キロ

松山市~タオル美術館~こんぴら~高松市

 朝の松山市内、路面電車がひっきりなしに走り、市民の足として定着しているようだ。電車の側面の記述もかなりうける。「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」センスがいいね。

 道後温泉駅に、松山と道後温泉を走る伊予鉄道の「坊ちゃん列車」が偶然止まっていた。現在の坊ちゃん列車は、明治21年から67年間にわたり活躍した蒸気機関車がモデルとして復元されたものです。明治の頃は蒸気機関車でしたが、復元された現在のものはジーゼルエンジンで走っているそうです。夏目漱石がマッチ箱のようだと言うように、かなり小さな列車でしたが、レトロな雰囲気を味わうにはなかなかのものです。

 愛媛に行ったらタオル生産量が日本一の今治市でタオルを買ってきてと頼まれた。駐車場入口に正装した案内係がいて、しかもリゾートホテルのような五階建てのゴージャスな建物が「タオル美術館」でした。1階から3階がショップやカフェ、物産コーナーで4、5階が製造工程見学や美術館になっていた。道中が長いのでここでお土産を求め、宅配で送ることにした。

 四国地方はこの時期、代掻きや田植えの真最中でした。まだ、田に水が引かれていない場所も多く、水不足が深刻なのかもしれない。

 車窓から、菊間瓦の看板、太陽石油の製油所、ラーメン豚太郎(四国のチェーン店か)、あいロード(愛媛県のあいか)さといも・やまいもの里四国中央市が目に付いた。

 「こんぴらさん」こと金刀比羅宮に参拝。一生に一度はこんぴら参りといわれ、海の神様として知られている。古くから人々の信仰を集め、お伊勢参りと並んで庶民の憧れであった。

 石段を上ると両側に土産物が並び365段上ったところに大門があり、大きな白い日傘の下で加美代飴を売る人を「五人百姓」と呼び、境内で唯一営業が許可されている。

 785段最後の難所ともいえそうな、御前四段坂といわれる急な石段を上りきると、目の前にそびえるのが御本宮。展望台からは、讃岐平野が眼下に広がっている。さらに、583段先の奥社へは無理と判断しここで下ることにした。



 遠方でお参りに行けない主人に代わって飼い犬にお参りをさせる「代参犬」という習慣があったそうです。この犬をキャラクター化した「こんぴら狗ゴン」の銅像が表書院の石段脇にあった。とぼけた表情が人気らしい。

 こんぴらから高松までは、快調な走りが続き一時間程で到着した。

 高松市内のホテルでチェックイン後、名物のさぬきうどんを食べに行く。このうどんは、9世紀に唐から帰国した弘法大師が伝授したと言われ、特徴は加水量の多さです(粉に対して40~45%の加水)したがって、朝ごねが原則で、そうしないと生地がダレてしまうからだそうです。だから、朝早くから営業を始め麺が終わると店じまいする店が多い。

 一軒目は、「松下製麺所」麺を受け取り自分で温めダシをかける。ダシはかつお風味漂う上品な京風の薄味。二軒目は地元の人お勧めの「うどん市場」ひや肉ぶっかけうどんと、ひやおろしぶっかけうどん。天かすと生姜はご自由にで、しこしこ麺に生姜のさっぱり感が合う。早い、安い、美味いが好まれている理由なのかもしれない。

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20096月12日(金)晴れ 23℃ 172キロ

高松市~栗林公園~瀬戸中央自動車道~後楽園~岡山城~倉敷美観地区~倉敷市

 6時に起き、散歩がてら「栗林公園」を見学。朝5時から開園しているので地元の方が多い。

 高松代々の藩主が修築を重ねながら、100年以上かけて造られてきた。明治8年3月に開園し、江戸時代初期の回遊式大名庭園として、国の特別名勝に指定されている。

 飛来峰からの眺めが特にお勧め。出口にある「足元のホコリ取りにハタキをご利用下さい。」と記してあったハタキがいかにも親切。

 高松市内の幹線道路には自転車専用道がかなりの区間にわたり設けられていた。

 「瀬戸大橋記念公園」瀬戸大橋の完成を記念して開かれ博覧会の跡地に造られた公園。岡山県児島と香川県坂出を5つの島と6つの橋で結ぶ全長9367mの瀬戸大橋。上を瀬戸中央自動車道、下をJR瀬戸大橋線が走っている。

 坂出北ICから瀬戸中央に乗り四国から本州に渡る。与島PAで休憩、この時点での走行距離1619キロ。瀬戸中央と山陽道の合流付近の岡山方面の表示が意味不明でしばらく安全地帯で停車。岡山ICで降り岡山後楽園、岡山城に向かう。

 有名な観光地は何処でも駐車場は有料なのにここは無料。係のおじさんは「よっぽど岡山は裕福なんだろう」と皮肉たっぷり。

 水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに日本三名園に数えられる岡山後楽園。300年余の歴史を誇り、当時の岡山藩主・池田綱政が14年かけて築いた回遊式大庭園。

 旭川を挟み後楽園を見下ろすようにしてそびえたつのが岡山城。1597年宇喜多秀家が築城、その黒い姿から別名「烏城」とも呼ばれている。

 あまりにも天気が良すぎて日焼けでヒリヒリです。こんなに暑くならなくてもいいのに。

 倉敷美観地区は、江戸時代の面影を残す白壁の町。

 白壁と黒本瓦の鮮やかなコントラストが目を引く。そしてメインストリート倉敷川沿いを彩る柳並木。

 江戸時代の天領の名残をあちこちにとどめ、落ち着いた雰囲気が往時を思わせる。

 倉敷市内ホテル泊。立体駐車場の高さ制限が1.55m以下で駐車できず市営駐車場へ。

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20096月13日(土)くもり 22℃ 172キロ

倉敷市~大和ミュージアム~平和記念公園~広島市

 

 福山から尾道までの国道2号線は、自動車専用道路で信号がなく制限スピードが70キロ、高速とほとんど変わらない速度で皆飛ばしていく。

 三原から竹原まで、通常なら国道185号だが県道75号を案内され、距離は短いのですが一部道路が狭く、ナビさんびっくりでした。

 「大和ミュージアム」平成17年4月に帝国海軍の工廠があった広島県呉市の港湾に面して設立され、オープンした。戦艦大和をメインに帝国海軍、その艦艇、各種兵器、そしてそれらに応用された技術などを紹介しています。10分の1スケールの戦艦大和の模型が圧巻で、その他呉工廠で建造された他の名艦の模型なども展示されています。

 メイン展示の10分の1スケールの戦艦大和。実際の諸元は全長263mだからこの大きな模型の全長は26m

 大和ミュージアムの海岸側から眺めた戦艦大和建造ドック跡。当時は民間造船所ではなく海軍工廠であった。

 1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下された。瞬時にして多くの命が奪われ、原子爆弾投下から1年で14万人が亡くなった

 このような悲惨な事を繰り返さないで、恒久平和を実現しようとする象徴であることを広島市は目的として、昭和24年8月6日に広島平和記念都市建設法を制定した。

 世界に向けて人類の平和を願い訴える目的と過去の過ちを繰り返さないために広島平和記念公園が昭和29年4月に完成した。

 原爆ドームは「広島県物産陳列館」で、チェコ人建築家ヤン・レツルの設計で大正4年に開館した。

 原爆はこの建物の南東160mの上空600mでさく裂し、このような廃墟の残骸となり、中にいた人たちは即死しました。

 戦後、市民などから原爆の惨禍を後の世まで伝えるため、被爆当時のままの姿を残しておこうと昭和41年に広島市永久保存を決定し、募金などで、保存工事が行われました。

 平成8年には人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を伝え、核、兵器の廃絶恒久平和を訴え続けるシンボルとしてユネスコの世界遺産に登録されました。

 広島平和記念資料館は、被爆の実相を世界の人々に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的に昭和30年に開館された。

 東館では、被爆までの広島の歴史や、原子爆弾の開発から投下までの経緯、現在の核兵器の状況など、本館では、被爆者の遺品や高熱で融けた瓦等の被爆資料が紹介されている。平成18年に本館がわが国の戦後建築物として初めて、国の重要文化財に指定された。

 4時にホテルへチェックイン。夕食は広島名物のお好み焼きを食べに繁華街に向かう。中国地方最大の都市らしく、ネオン眩しく怪しげな光が行き交う人々を誘惑している。有名店「みっちゃん」は、人気の老舗。数種類のフルーツをブレンドした甘めの自家製ソースを使用し、パリパリ食感の麺が特徴。キャベツが多めで具だくさん。人気のそば肉玉(700円)を食する。

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20096月14日(晴れ 24℃ 190キロ

広島市~宮島~錦帯橋~下関市

 

 宮島には、車を宮島口に駐車しフェリーで渡る。15分おきに出航し10分で対岸の宮島桟橋に到着。

 広島湾に浮かぶ島、宮島は日本三景の一つでもあり、「安芸の宮島」とも呼ばれている。特別史跡と特別名勝にも指定されていて、更に大鳥居と厳島神社は世界遺産にも登録されています。

 厳島神社は平家の総大将でもある、平清盛によって造られた。一族の繁栄を願って建てられた。厳島神社のある宮島は、古くから島自体を神として信仰の対象になっていました。平家の勢いが盛んになり、それにともない厳島神社も栄えました。

 海の真ん中に浮かぶ朱塗りの大鳥居は16.8メートルあり、宮島のシンボル。現在の大鳥居は明治8年建立。本柱は1本のクスノキを使用していて、木造の鳥居としては高さ・大きさともに日本一である。

 大鳥居の根元は海底深く埋められているのではなく、自分の重みだけで建っている。それは、鳥居上部の島木は箱形の造りで、中にこぶし大の玉石約7トンを詰めておもしにしているからだそうです。

 厳島神社に隣接している「大願寺」。ここの不動明王は、インド産の仏が宿るといわれる香木・白檀約20tを組み合わせ高さ4m重さ6tの不動明王が鎮座されている。

 松本明慶氏とその弟子10数名による共同作業で6ヶ月にわたって彫られ、制作された。その制作過程がNHKBSで克明に紹介されたので興味深かった。

 「大仏は人々の祈る気持ちを受けとめる大きな器」だと言われる仏師・松本明慶氏の大作である。

 厳島神社から宮島フェリー乗り場までの表参道商店街には、土産物屋が立ち並び名物の「もみじ饅頭」を製造販売している店や世界一の大杓子も陳列されていた。観光客が満員のフェリーから続々と降りてきて、さすが世界遺産の島、宮島だ。

 日本三名橋のひとつ「錦帯橋」は山口県最大の河川である錦川(川幅200m)に架かっている。日本を代表する木造橋で、他に例を見ない特異な姿の五連の反り橋が特徴です。

 今から約330年前の1673年(延宝元)第三代岩国藩主吉川広嘉によって創建されました。

 橋の長さは、橋面にそって210m、直線で193.3m。また幅5m、橋台の高さ6.64mで、大正11年 には国の名勝に指定されています。

 岩国藩の悲願である流れない橋として誕生したこの橋は、創建翌年1674(延宝2)年5月の梅雨の洪水によりあえなく流出し、同年10月末に二代目錦帯橋が完成しています。

 それから、276年間不落を誇った錦帯橋でしたが昭和259月に岩国地方を襲ったキジア台風によって2度目の流出、三代目錦帯橋は昭和28年に完成した。

 以来、半世紀にわたって木造橋の宿命である腐朽による傷みが見られるようになったため、平成13年度から平成15年度にかけて50年ぶりの「平成の架替」に取り組み、総事業費約26億をかけた大事業は、平成163月に完成した。

 暑い、今日も暑い、初夏を思わせるような陽気で、防府市付近には入道雲が湧いていた。山口市に入ったら国道2号線は車両専用道路の標識があり高速道とかわりがなかった。

 中国地方のスーパーマーケットは広島に本社を置く「you me town」が主らしい。粋なネーミングの「こっそり堂」はうけた。

 なつかしい関門海峡を横目に素通りし、下関の駅前ホテルに4時25分着。

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20096月15日(月)晴れ 23℃ 329キロ

下関市~秋芳洞~秋吉台~萩~津和野~出雲市

 

 朝食時、隣席の米国人は日本語がほとんど解からない様子だったが観光案内書で各地を旅していた初老の夫妻、食事に時間をかけ箸の使い方は手本のようでした。

 下関の幹線道路沿いを大勢の会社員がいっせいに大掃除をしている。毎日なのか曜日か日にちかは不明だがさわやかマンデー。

 下関ICから中国自動車道に乗り、美祢ICで降り秋芳洞に向かう。秋吉台の地下100m、その南麓に開口する東洋屈指の大鍾乳洞「秋芳洞」は、大正15年昭和天皇が皇太子の御時、探勝になりこの名前を賜ったものです。

 公的な読み方は「あきよしどう」だが、旧来「しゅうほうどう」と読まれることが多く、昭和38年山口国体が開催された際、宮内庁に確認し、以後定着した。

 ひんやりと肌をさす冷気漂う杉木立を通り抜けると、入口に「秋芳洞開洞100周年」の看板。

 洞内からの水は三段の滝となり、飛沫を舞い上げながらコバルトブルーの川面へと流れ落ちています。

 洞内の観光コースは約1km(総延長10km)、温度は四季を通じて17℃で一定し快適に探勝できる。

 皿を段々に敷き詰めたような百枚皿、黄金柱といわれる石灰華柱などが有名。

 秋吉台地は、日本最大のカルスト台地で国定公園及び特別天然記念物の指定を受けている。

 秋吉台ははるか昔、遠い海でサンゴ礁として誕生した。それから約35千万年、ドリーネや鍾乳洞が発達した石灰岩の台地、カルスト台地となった。

 雄大な景観は、石灰石の岩肌が露出するラピエ、月のクレーターのような凹地のドリーネやウバーレなどがあり、異国的な雰囲気がある。

 6月2日に秋吉台で一酸化炭素中毒事故が起きたホテルは、今でも現場はブルーシートに覆われ、警察官やマスコミの報道陣が張り付いていた。

 民家の屋根瓦がどこの家も茶色なのは何故か、また、ガードレールが支柱もすべて黄色なのは、山口県だけでした。

 日本海へと注ぐ橋本川と松本川にはさまれた城下町・萩。毛利輝元が慶長9年(1604)に萩の地に築城・開府し、藩府が山口に移るまでの約260年間、毛利氏36万石の城下町として栄えた。

 古い町並みはいまも往時の面影を色濃く残し、現在でも江戸時代につくられた城下町絵図を見ながら歩くことができる。また、萩は明治維新胎動の地として、吉田松陰をはじめ高杉晋作、伊藤博文など多くの逸材を輩出した地でもある。

 山陰の小京都といわれる「津和野」の代表的な風景は、古い武家屋敷や漆喰の土塀が、風情あるたたずまいを見せる殿町。

 通りのわきを流れる堀割では、数千匹のコイが悠々と泳ぎ、菖蒲の花が見頃をむかえていた。コイの飼育は非常時の食料用にと藩政時代から始まりましたが、今や食べられる心配のないコイたちは丸々と太り、鑑賞用としてすっかり定着しているそうです。

 茶房・沙羅の木で地元特産の竹と和紙でできた源氏絵巻を想わせるお盆を買い求める。

 泊まりは、駅舎が社づくりのJR出雲市駅付近のホテル。

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2009年6月16日(火)から17日(水)晴れ743キロ

出雲市~出雲大社~松江城~八雲記念館~武家屋敷~境港市~鳥取砂丘~自宅

 

 出雲大社は大国主命をまつり、縁結びにご利益があるとして広く信仰を集めている。創建年は不明。

 現在の本殿(国宝)は江戸時代中期に建てられたもので、2008年春から修造が行われており、現在、御本殿は素屋根に包まれて、外からはその壮大な御本殿の佇まいを拝する事が出来ませんでした。

 神楽殿には、日本一の大きさを誇る大注連縄があり、その長さはなんと13メートル、重量5トンもあるそうです。

 他の神社とは違い左綯いとなっている。この注連縄には、清浄・神聖な場所を区画するためになされているそうです。これが神社などに掲げられる意義だそうです。

 神社での参拝の作法は、二拝二柏手一拝が一般的であるが、出雲大社では、二拝四柏手一拝で拝礼を行います。

 松江城は城下町松江のシンボルで、松江開府の祖堀尾吉晴が足掛け5年の歳月をかけて、慶長16年(1611)に築城した。

 千鳥が羽根を広げたように見える千鳥破風の屋根が見事なことから、別名「千鳥城」とも呼ばれ荘重かつ優美な姿。

 山陰地方で唯一現存する天守閣は黒塗りの下見板で覆われており、最上階の望楼から360度にわたって見降ろす街並みや宍道湖の眺めは圧巻です。

 小泉八雲記念館には、八雲遺愛の文机や直筆原稿などが収蔵・展示されていた。城下町の面影をとどめる松江の武家屋敷は、中流武士の住んだ建物が、当時のまま保存されており、全国的にも貴重だそうです。

 昼食は、境港市の創業90年を超える老舗で四季折々の魚介を使った料理が評判の「割烹・味処ことぶき」。人気メニューのびっくり丼は、11種類のネタが各数切れずつ盛られており、食べ応えも充分満足。

 妖怪の里「水木しげるロード」は、境港出身の漫画家、水木しげる氏にちなんで名づけられた商店街通り。

 アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する鬼太郎、ねずみ男、目玉おやじなど、妖怪たちのブロンズ像が130体以上も配置されている。記念館は残念ながら火曜日で定休でした。

 鳥取砂丘は、南北2.4k、東西16k、最大高低さ90mの日本最大級。

 中国山地から流れ出た千代川が運ぶ砂と日本海の沿岸流が運んだ砂が風と波の力によって集まり、少しずつ、少しずつ、気の遠くなるような時間をかけて堆積してできたこの大砂丘は、まさに自然が創り出した偉大な造形です。

 砂に足をとられながら斜面を登ると、目の前に砂の世界が広がり、陽光に光り輝く白い砂と、青い日本海のコントラストが素晴らしい。

 砂丘といえば、平坦な砂の原を想像しがちだが、意外に起伏がある。

 正面に見える馬の背状の小高い丘が、砂丘第二列と呼ばれる砂の頂で、高さ47メートル。登るのにひと苦労だが、頂からは砂丘の広がりと雄大な日本海が一望できる。

 夕方の5時半、鳥取に泊まるか迷ったが、四国・中国地方をひとまわりしたので帰宅することにした。自宅まで557キロだった。

 中国自動車道佐用ICまで一部自動車道が整備されていて無料開放中だった。

 前回、新名神高速道を走り大変だったので分岐点だけ注意し、自宅に午前2時17分到着。

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